行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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今、“死ぬ”よりも“忘れられる”事の方が、恐ろしく感じているんだ。



第6話 Opposites attract.
Ep.21 Like or Love


 

 

 

 

 

 閉店し暗くなった店内の、とある一室の押し入れの前。

 仄暗い空間で青白く展開されたモニターが見せるのは、先日の松下の護衛任務にてクルミが最後に飛ばしたドローンが映し撮った映像だった。

 

 東京駅の屋根の上からその裏側の改修工事現場に至るまでの一連の流れを、生々しく残酷なまでに、そのドローンは鮮明に映し出していた。そこに映る見知った青年の姿を眺めて、その動きを余す事無く観察する。

 

 暗殺者────ジンとの戦闘が長引くにつれて研ぎ澄まされるように動きの荒さが少なくなり、押されていた状況は次第に拮抗し、最後には圧倒するまでの適応能力と学習能力の速さ。

 千束のように銃を躱し、加えてたきなのような精密射撃を熟す映像の青年────朔月誉。

 それを見て、クルミは感嘆の息を漏らした。

 

「……凄いな。凡そ訓練を受けてない奴の動きとは思えない。誉の事は、お前の方でも調べたんだろ?ミカ」

「……ああ。特に経歴に怪しいところは無かった。隠蔽されたとも考えにくい」

「つまり、本当にただの一般人。それでこの動きか。DA顔負けだな」

 

 スナック菓子を摘みながら鼻で笑うクルミだったが、やはり自分で調べた経歴と誉の今回の動きに整合性が無さ過ぎるのが違和感だった。何度か調べ直したが、やはりミカの言うように隠蔽や改竄の後は見受けられなかったし、誉が嘘を吐いているとも思わない。

 だからこそ生まれる、矛盾にも似た違和感。

 

「……以前、地下の射撃場を彼に使わせた事があった。お前さんの護衛任務があった時だ」

「思い切ったな。それで?」

「千束が使ってる銃と弾を十発だけ置いて行ってな……帰って地下に戻ったら、消費されていたのはたったの二発」

「……二発?」

 

 クルミがそう聞き返すと、ミカは腕を組み、小さく息を吐いた。

 

「的には穴が二つ開いててな。一つは的を大きく外していて、もう一つは中心────心臓部分を貫いていたよ」

「……へぇ」

 

 成程、面白い。その光景を目の当たりにしてなくても、この前の映像を見てれば自ずと仮説は立てられる。

 つまり、初弾の外しで反動や射線や撃ち方などを経験し、二発目でそのズレを修正仕切ったという事だ。AI染みた学習能力にクルミは思わず声を漏らした。

 

「経歴に疑う余地は無かった。彼も『二発で限界だった』と、笑っててな。偶然だと、そう思って疑わなかったよ」

「生まれながらのセンス────“才能”かもな」

 

 その一言に、ミカがピクリと反応する。

 クルミはチラリと彼の様子を見上げながら、ふと思った事を口にしてみた。

 

「案外、アランがコイツの才能を認めれば、千束の人工心臓みたいな援助が受けられるんじゃないか?」

「……どうだろうな」

「……?」

 

 冗談半分で告げたタラレバ。それなのにミカはまるで、心当たりがあるかのような反応を見せた。

 けれど、断定しない答え方をする辺り、もしかしたらと思わずには居られない。

 

「……何か知ってるのか?」

「……」

 

 ────ミカは、答えなかった。

 

 

 

 

Episode.21 『Like or Love(好意か恋か)

 

 

 

 

 ▼

 

 

「……まさか入院とは」

 

 あの日だけのつもりだったのだが、次の日になると傷の痛みと筋肉痛の痛みが混ざって死んだ方がマシなレベルで痛かったのは記憶に新しい。

 検査結果も想像以上に悲惨なもので、一日どころか一、二週間の入院を余儀なくされた俺は、現在入院生活五日目である。そろそろ溜めていた書籍が読み終わってしまう。

 

「……っ、てて」

 

 少し動こうとするだけで痛みが走り、堪らずベッドにもたれ掛かる。少し上を見上げれば、真っ白な見知った天井。世界で一番嫌いなこの景色を、また見上げる日々が暫く続くのだと知ると、途端に逃げ出したくなる衝動に駆られる。

 

 ああ、ヤバい。禁断症状だ。

 俺、多分病院アレルギーなんだ……蕁麻疹がきっと出てるし咳も止まらなくなるはずだから、恐らく末期だ末期。よしナースコールしよう、病院にいると蕁麻疹と咳が止まらなくなる予定だから退院させてって本気で言ってみよう……。

 

「……あ」

 

 すると、突如病室の引き戸がガラリと開かれる。

 ナースコールを押す寸前の親指を視界から外せば、その扉の先には見知った制服を身に纏う黒髪の少女が立っていて、此方を視認するとフワリとその瞳と口元を緩めた。

 

「誉さん、こんにちは」

「……たきな」

 

 扉を閉めて此方に向かって歩いてくるたきな。

 俺はナースコールから手を離し、読んでいた本のページに勿忘草の押し花で作った栞を挟み込む。

 チラリとその栞を見た彼女は、ポツリと呟いた。

 

「……綺麗な栞ですね」

「え……ああ、母さんの形見なんだ」

「そう、ですか。傷はどうですか?」

「まあ、何もしなければ平気だよ」

 

 たきなは丸椅子を俺のベッドの左手側まで持ってきて、俺の近くで腰掛ける。そうして彼女は俺の顔を見て……え、なんか、こう……気恥ずかしいんだけど……。

 

「……あの、さ」

「?……はい?」

「いや、その……何も、そんな毎日来る事無いんだよ?」

 

 たきなは、俺が入院してから毎日欠かさず見舞いに来てくれていた。特に用件等は看護師に任せる仕事なので、たきなに何かしてもらう事は殆ど無いのだが、それでも彼女は一日も空ける事無く此処に来ては、こうして俺の話し相手になりに来てくれてるみたいなのだが……。

 

「誉さんが怪我をしたのは、私の責任ですから」

「いやそんな事は……錦木の忠告無視して巻き込まれにいったの俺だし、たきなが責任感じる必要なんて無いよ」

「……いえ、私の責任です」

(かたく)なぁ……」

 

 ええ、何でそんなに重く捉えるの……。

 たきなが市街戦で俺とか民間人を巻き込んだとかならまだ分かるけど、人通りの少ない改修作業中の工事現場での戦闘に横槍を入れたのは、他でもない俺の方だ。

 

「……すみませんでした」

「え、や、ホントにやめて。悪いの俺だから」

 

 自慢じゃないけど、本当に自慢じゃないけど、俺は細身で病弱で一般人で、取り立てて技術も無い素人。

 彼女達の足を引っ張る可能性もあれば、任務失敗のリスクもあった。たきなは俺に対して怒りはすれ、謝る必要なんて何処にも無いのだ。

 

「っ……もっと、できると思ってたんです……」

 

 俯いて、感情を吐露する黒髪の少女。膝の上に置かれた両手は、そのスカートの裾をギュッと握り締める。

 

「本部に戻る為に、成果ばかり気にして……周りが見えてなかった……結果、誉さんを傷付けました……」

「……たきなに付けられた傷じゃない」

「同じです。私が傷を負わせたのと変わらない……」

「別に、松下さんは無事だったんだから良かったじゃん。たきな自分の事卑下……というか、責め過ぎだって」

 

 松下さん……だった人、か。正確には。

 結局、松下さんを外で操っている人間はクルミでも追う事は難しく、謎はそのまま迷宮入りだったらしい。ウォールナットと名高いクルミでも辿れないなんて驚きである。

 

 ……まあ、一番驚いたのは、この前クルミがそれを報告しにたった一人で此処に見舞いに来た事だったけど。それだけ伝えると特に会話もなかったが、一時間くらい病室にいてPC弄ってたっけ。

 命狙われてるはずだよな……?と信じられない様な目で見てたけど、クルミは我関せずだったな。見舞いに来てくれるとは思ってなかったから、素直に嬉しかったけど。

 

 脱線したけど、つまりそういう事だからたきなに自分を責められても困るのが正直なところなんだけど……。

 そうしてたきなは、漸く俯いていた顔を上げたかと思うと、キッと目を細めて此方を見つめて。

 

「っ……誉さんが、私に文句の一つも言わないので……」

「まあまあな言い掛かりが飛んで来て驚いてるんだけど」

 

 俺に責めて欲しいって事?そういう趣味か?

 やらないよ俺。ホントに気にしてないし、そういう趣味も無いし。あ、今真面目な話?

 

「……また、独断専行で悪い結果になってしまいました。リコリコに配属される前と、何も変わってない……」

「悪い結果って……松下さんは無事だったでしょ?」

「……誉さんに、怪我をさせました」

「いや、だからそれは……」

 

 彼女の中で、俺の負傷は相当重いものとして捉えているようだった。これ以上は堂々巡りだ、俺が何を言ってもたきなが納得しなければ根本は変わらない。

 俺自身は、本当に気にしてないし、何なら自分の行動の結果だと思ってる。

 

 それに……まあ、命を軽く見てるような言い方は好きでは無いけれど、関係無い人が巻き込まれてしまうよりは、寧ろ俺で良かったんじゃないかって思ってしまうのは、甘過ぎるだろうか。

 

「……私は、誉さんに軽蔑されても、おかしくないんです」

「……なんだよそれ」

「っ……」

 

 ────それを聞いて、思わず本音が零れた。

 心の奥底で湧き出た感情は、怒りや苛立ちよりも悲しみに近かった。

 

「……俺、たきなにそんなこと思わなくちゃいけないわけ?」

「違っ……そういう、訳じゃ……」

 

 俺のその一言で、たきなは押し黙る。

 少し強く言い過ぎてしまっただろうかと、言ってすぐ後悔しそうになった。

 

 ────でもこれ以上、彼女が自分を責め続けているのを見ていられなかった。君の所為じゃないんだと、誰かが悪いとかそういう話じゃないんだと、そう伝えたかった。

 大切な人を傷付けられるのは、我慢ならない。その傷を刻もうとしているのが、たきな自身であっても。

 

「……それに、たきなは、さ。変わったよ」

「……私が、ですか」

 

 たきなは、俺の発言に目を見開く。

 そんなに驚く事じゃないよ。俺から言わせれば、かなり変わった。表情も、声音も、考え方も、人との関わり方でさえ。

 

「……私は、変わってなんて」

「‪初めて来た時と比べて……周りに、周りの人達に、自分の感情とか気持ちを傾けるようになった」

 

 リコリコに来た時のたきなは、不本意な異動にヤキモキしていて。本部に戻る為だけに一生懸命で、それ以外はどうでも良くて。

 成果として上げられる仕事にしか執着が無くて。関係無い仕事には不満そうで、関係無い人には事務的な会話だけ、関係無い時間に関わろうとはしなかった。

 

「毎日楽しそうに生き始めているたきなを見てるのが……なんか、凄く嬉しくってさ」

「……」

 

 けれど、今は違う。

 関わりの薄い常連のお客さんと閉店後のボードゲームに勤しみ、休日は千束と偶に遊びに出掛けたり、千束に勧められた洋画を見たり、表情をコロコロと変えて、段々と女の子らしくなっていって。

 その成長を見ていると、なんだか堪らなかった。

 

「だから寧ろ嬉しかったよ、たきなを守れて。この傷も、名誉の負傷くらいに思ってるから。痛いけど」

「────……っ!」

「……だから、“自分の所為”とか“ごめん”とかじゃなくて……もっと逆の……違うものが欲しい」

「……誉、さん」

 

 そんな、自分とは違ってこれからである彼女に何事も無くて良かったと、そう素直に喜ぶだけでは駄目だろうか。

 たきなには、罪の意識で俯くんじゃなくて、笑顔でいて欲しいだけなんだと、そう伝えるのは駄目だろうか。

 

「……本当に、お優しいですね」

「あれ、優しいのは美徳だと思うけど、何か棘を感じる」

 

 たきなは漸く、小さくではあるが微笑んでくれて。それを見て、俺も多分笑った。

 出会ってから表情を動かす事が少なかったたきなが、こうして笑えている理由に自分が含まれているのだとしたら、それに対する見返りは一重に彼女の笑った顔だった。

 

「……誉さん」

「ん?」

「……助けてくれて、“ありがとうございました”。私が助かったのは“貴方のおかげ”です」

「────……」

 

 “違うものが欲しい”。

 俺が言った事に対する、たきなの答えだった。

 

 “自分の所為”でなく、“貴方のおかげ”。

 

 “ごめん”でなく、“ありがとう”。

 

 ぎこちなく、けれど次第に感情のままに笑えるようになったたきなのその言葉を聞いて、自然と頬が緩んだ。

 

「……こちらこそありがとう。今の言葉、残りの人生の励みにするよ」

「……っ、誉さん……」

 

 それを聞いて、一気に表情の曇るたきな。

 あ、ヤベ失言……。良いムードだったのに完全にぶち壊したかも。寿命の話すんの良くないなやめよう。

 慌てて話題を変えるべく、思考よりも先に言葉が口から零れた。

 

「ま、まあそういう事だから、毎日お見舞いは来なくても大丈夫だよ」

「……ぇ」

「罪悪感とか義務とか、そういった事は感じなくて良いんだし。たきなも忙しいでしょ」

「あ、いえ……」

 

 俺に怪我させたという考え方がそもそも間違ってるんだし、そこに罪の意識を感じるのもお門違いだ。たきなが此処に毎日足を運んでくる必要は無い。

 寧ろ、そんな根本違いの所為で彼女には今日まで負担を掛けてしまったと反省した。もっと前日に言ってあげればよかった。

 

「……そういう訳じゃ、ないんです」

「え?」

 

 小さく、たきなから告げられた否定の言葉。

 視線は、彼女の方へと再び向かう。たきなは俯いて、再びスカートの裾を弱々しく掴み、口元は若干震えているように見える。

 

「たきな……?」

「っ……その……罪悪感だとか、義務とかじゃ、なくて……」

 

 言いづらそうに縮こまるたきな。

 珍しいな。普段なら言いたい事スパッと言うし、言わなくていい事もスパッと言うじゃん。心抉る銃弾の命中精度まで高いセカンドリコリスなのに。

 ……と、思っていると彼女は顔を上げて。

 

「私が……好きで誉さんのお見舞いに来てるので」

「ぇ……ぁ、そう、なの?」

 

 ────返答に困る銃弾が飛んでくる。

 俺の見舞いが好きで来ている。その言葉の意味を理解して、心臓が分かりやすく音を立てる。

 それを告げるたきなの顔が見た事も無いような……こう、上手い表現が見つからないけれど。とにかく照れてるのか怒ってんのか分からない綯い交ぜな表情をしていて、俺はただ頷く事しかできなかった。

 ……どういう感情なのそれ。てかなんだこれ。

 

「……な、なら、楽しみに待ってるよ。また話し相手になってくれるの」

「あ……はい。また来ます」

「お、おお、うん……」

「……」

 

 ……えー、ちょっとやだ何これ恥ずかしい。

 たきなの今まで見せたことの無い表情と赤らめた頬が、目に悪過ぎる。そんなに見られると目を逸らさずに居られない。耐えられる奴いんのこれ。

 

「……そろそろ、行きます。これから仕事なんです」

「あ、ああ、そうなの……危ない方?」

「いえ、リコリコの方です。今日は午後からで」

「あ……なんだ、そっか」

 

 態々仕事前に来てくれたのか、と小さく息を吐く。それは、安堵の意味も含まれていた。

 仕事というと錦木とたきなの場合、喫茶店とリコリスと二種類あるから、本当に心配する。今たきなからどちらなのかを聞けて、心底安心した。

 

「……」

「……ん、ん?何、たきな」

 

 そんな俺の様子を見て、たきながコテンと首を傾けて小さく微笑んだ。

 

「……心配、してくれました?」

「っ……そ、そりゃまあ……いや、何でもない」

「そうですか」

「……ちょ、何、見ないでこっち」

 

 何処でそんな小悪魔みたいな仕草覚えたの。

 誉は今日何度目なのか、たきなから視線を外した。顔が熱い気がして、そんな自分も見られたくなくて。明らかに彼女に翻弄されていると自覚する。

 たきなは満足したのか、カタリと音を立てて丸椅子から立ち上がった様で、その音で我に返って再び視線を戻すと、鞄を背負い直しながらこっちを見下ろしていた。

 

「……もう行かないと」

「あ、ああ……ありがとね」

「何か困った事があったら、連絡して下さい。いつでも構いません」

「え?あ、いや、そういう時は看護師さん居るし……特にたきなに頼むような事も……」

 

 たきな、もしかしてまだ償いみたいに感じてるのか……と思って口を開きかけたが、彼女のしおらしいシュンとした表情と態度を見て、音にならない声が出かかった。

 

「……迷惑、ですか。そうですか」

「いや何も言ってないけど……てか、寧ろ迷惑かける事になると思って……」

「……良いですよ」

「……へ」

 

 たきなは、真っ直ぐに此方を見つめて。ただその瞳は不安げに揺らめいて。思わず見上げると、彼女はいたたまれず目線を逸らしながら、それでも。

 

「私には、迷惑かけてくれて良いですよ。かけて、欲しいです」

「……たき、な?」

「っ……では、私はこれで」

「え、あ、うん……気を付けてね」

 

 我に返ったかのようにハッとして、慌てたかのように顔を背けて。今の発言を誤魔化すかのように、此方に背を向けてスタスタと病室入口の引き戸の取っ手を掴んだ。

 ただそれを眺めるだけだったけれど、やがてたきなが此方へと振り返り、小さく頭を下げて、告げた。

 

「……また、明日」

 

「────……ああ、また明日」

 

 身体の痛みに耐えながらその腕を上げて、たきなに手を振る。彼女から今みたいな挨拶を交わしたのは、初めてだったかもしれない。

 俺が笑うのと同時に、たきなも小さく微笑んだような気がした。こっちが手を振るのに合わせて、ぎこちなく、気恥ずかしそうに、小さく手を振ってから扉を閉めていった。

 

「……」

 

 ……何か、たきな終始様子がおかしかった様な気がするけど、大丈夫かな。こういうのキャラ崩壊っていうの?最近お店のお客さんからオススメされたライトノベルにチラッと載ってたのを思い出す。

 たきな、結構ズバッと物事を発言する様なイメージがあっただけに、しおらしい彼女はなんか、らしくなかった様な気がする。

 

 まあでも、最後は笑って帰って行ったし、そんなに心配しなくても良いかもしれない。大分たきなとも仲良くなれたかもと、自惚れても良いだろうか。

 けど。けれども。

 

「……“また、明日”、か」

 

 たきなの、最後の言葉を。

 別れの挨拶を思い出して、“もう一人の少女”と毎度この言葉を交わしていたな、と思い出して。そうして目を伏せて、ふと思った。

 彼女を傷付けた俺が、会いたいと口にするのは勝手だろうか。

 

 

「……言えなくなる日も、近いんだよなぁ」

 

 

 ────あと何度、自分は明日を迎える事ができるだろうか。

 

 

「……錦木、一回も来ないなぁ」

 

 

 ────あと何度、君に“また明日”が言えるだろうか。

 

 

 

 ●〇●〇

 

 

「……はい、もしもしー」

『おはようございます』

「どしたの、こんな朝早く」

 

 ────平日の早朝、何の脈絡も無く携帯がコールする。手を伸ばして画面をタップし繋げてみれば、聞き慣れた相棒の声。

 

『千束に共有です』

「何、緊急?」

『いえ、ただ警戒度は高いです』

 

 その声の主────たきなの声音は真剣そのもので、焦っているようにも聞こえる。千束は思わず、彼女の話に耳を傾けると。

 

「……え、リコリスが?」

『はい。四人とも、単独任務中に大勢に襲われたらしいです』

 

 ────今月に入って既に、リコリスが四名殺害されているとの報せが本部から連絡が入ったという。

 

 それぞれが単独任務中に襲撃されており、殺害方法は惨殺銃殺とバラけてはいるが、まるで見せしめと言わんばかりの夥しい傷の量が共通点として挙がっているそうだ。

 同じ遺体に刻まれている弾痕が複数種類である事から、複数による犯行だというのが検視からの見解だそうだ。

 

 問題なのは、女子高生の姿をした少女が狙われているという事ではなく、その対象の全てがリコリスであるという事。つまり、犯人側は機密組織であるリコリスという存在を認知しており、特定にまで至っているという事である。

 

 千束は話を聞きながら、普段のルーティン通りに朝の珈琲の準備を始める。それでも疑問は頭の片隅に残っていて、訝しげに眉を寄せた。

 

「……何で特定されてんだぁ……?」

『……分かりません。例のラジアータのハッキングと関係があるのかも。暫く単独行動は控えるようにと。それと「今月の検診昨日よ」、と山岸先生から』

「あー……そうだったぁ……」

『……行ってないんですね』

「だってぇ……」

 

 たきなの呆れた表情が目に浮かぶ。

 千束は困った様に笑って、言い訳がましい表情で振り返ると、リビングの窓際の長方形テーブルに乱雑に散らばった洋画のディスクの数々。言わずがもがな、ここ最近で一気見したDVDである。

 

「……っ」

 

 ────嫌な事、悲しい事、悩み事、ストレス、それらを払拭したいが為に、忘れたいが為に、逃げ出したいが為に、試行錯誤した結果がそこにはあった。

 

 とある男の子が、脳裏にチラつく。

 思い出した途端に泣きそうになる。

 

「……」

『……千束?』

「っ……あ、ごめん、聞いてなかった……」

 

 ふと我に返り、電話越しのたきなに慌てて返事する。たきなが伝えてくれた件も大事だ、話に集中しないと、と彼女の言葉に集中し始めた。

 

『早速今日から常にペアで行動しようと思います』

「え……や、ペアって、毎日お店で一緒じゃ……」

 

 ────ピンポーン、と千束の部屋のチャイムが鳴り響いた。千束は珈琲豆の袋から視線を上げ、梯子を登って玄関へと足を運ぶ。

 この部屋の存在意義と性質上、普段なら扉を不用意に開けたりはしないのだが、たきなの電話の内容とこのタイミングで、もしかしての予感があった。

 

「……何してんの」

「夜は交代で睡眠を摂りましょう」

 

 玄関の扉を開ければ、リコリス支給の学生鞄の他に大きなバッグを肩にかけ、片耳にスマホを当てた相棒───井ノ上たきなが立っていた。

 その真剣な表情と放たれた言動に整合性が無くて、思わず『え』と声を漏らす。するとたきなは玄関へとその身を入れて、バッグを床に落とした。

 

「安全が確保されるまで、二十四時間一緒に居ます」

「……ウチに泊まんの!?」

 

 相棒の言葉の意味を理解した途端、その表情を綻ばせる。たきなが此処に泊まる、それだけでテンションが高くなった。友人や仲間との普通のお泊まりなんて初めてと言ってもいい。

 しかもただ泊まるだけじゃない、たきなの口振りでは安全が確保されるまで連泊するという事。

 そんなのもう、同棲ではないか。

 

「……元気ですね」

「案内するよー!さ、入って入ってー!」

「……お邪魔、します」

 

 急にテンションが高くなった千束に狼狽えながらも、案内されるがままにお邪魔するたきな。見渡す限り殺風景の部屋────カモフラージュの部屋を見て、たきなは目を輝かせていた。

 

「……プロの部屋だ……」

「何その感想……」

 

 感動するポイントが女の子としてズレ過ぎではないだろうか。千束は困った様に笑いながら、そのままその部屋に進もうとするたきなを手招きする。

 

「あー、そっちじゃないよ。こっちこっち」

「え」

 

 たきなの視線を背中に感じながら、千束は玄関から見て左手にある扉の先の壁を軽く押す。するとその壁が回転し、新たな空間がそこに現れた。

 ────所謂、回転扉という奴だ。

 

「え……ええっ……!?」

 

 たきなは驚きでその目を見開き、口を変な形に曲げていて。そんな表情初めて見たな、と千束は笑った。

 その回転扉の先にある、下へと続く梯子から両手を離し、次いで荷物を担いだたきなが付いてくる。荷物を先に受け取り、たきなが下りてくるのを確認してからリビングへと向かい、たきなの荷物を下ろす。

 

 そうしてすぐに途中だった珈琲の準備を始めながら、現れたたきなに声を掛ける。

 

「その辺座ってー。アイスコーヒーで良いでしょ?あ、味はもう平気?」

「え、ええ……」

「よかったー」

「……何なんですか、これ」

 

 まだこの光景を情報として処理出来てないのか、リビングを見渡して小さな声で聞いてくるたきな。その声を背中に浴びながら、千束はアイスコーヒーの準備を始めつつ説明した。

 

「長く仕事してると色々あるのよ。此処はセーフハウス一号。他に三つあるんだー」

「……セーフハウス?」

「ま、その説明は後で」

 

 ────そうして、たきなへのおもてなしムード全開ではしゃぎ、何の為の同棲なのか忘れるところだったのは言うまでもない。仲間と一緒に暮らせるという事実は楽しいものだが、理由が理由なだけにそんなには喜べない。

 かく言うたきなも、“同棲”とか“お泊まり”と言えば楽しいのに、“共同生活”なんてお固い言い方をするものだから……と千束は苦笑する。

 

「では、これが共同生活を送る上で公平な家事分担です!」

「ねぇその表自作?」

 

 たきなが壁に貼り付けたのは、今後の家事分担が書かれたスケジュール表だった。料理・洗濯・掃除の三つを月曜日から日曜日まで、それぞれ一日交代で役割を交代する、正に公平な家事分担。

 それをボーッと眺めながらストローでアイスコーヒーを啜る千束は、たった一言。

 

「……つまんなぁい」

「つ、つまらない……?」

 

 たきなの声が震える。つまらないと言われたのが割とショックだったのか、途端に腕を組んで考え出す。

 こうして、千束の我儘に振り回されるのが板に付いて来た辺り、たきなは誉によく似て来ていた。千束もたきなもその辺の自覚は無いのだが。

 やがて何か思い付いたのか、恐る恐るたきなは口にする。

 

「では……ジャンケンとかが、良いですか?」

「いいね……それいーね、ジャンケン!」

「そ、そんなに良いですか……?」

 

 千束の好反応に少し嬉しそうにするたきな。

 相棒の期待に応える事の出来た達成感からか、表情も柔らかかった。

 

 

「「最初はグー、ジャンケンポンッ!!」」

 

 

 ────しかしそんなたきなの表情も、このジャンケンの後には歪なものへと変わっていた。

 

「……ぇ……ぇぇ……?」

 

 結果は千束の全戦全勝。

 千束が喜んでいたのは、自分に有利な勝負だったからというだけだった。そんな事も露知らず、たきなは家事担当全ての名前が自身の名前に塗り替えられたスケジュール表を見てどうなってるんだと口を開けて驚愕している。

 

 そんな彼女を知らぬ存ぜぬか、千束はその身を揺らしながらアイスコーヒーを飲み干している。

 楽しそうに鼻歌まで出そうなその姿を、たきなはスケジュール表から視線を外して、振り返って見ていた。

 

「……ん?何、たきな」

「あ……いえ」

 

 何か言いたそうにして、けどあからさまに押し黙るたきな。それを見て、千束は眉を寄せる。

 変に隠し事をされたりすると、気になるのは千束の性分だった。コップを机に置いて身を乗り出した。

 

「ちょっと何、気になるじゃんか」

「……千束は、いつも通りだなと」

「へ……?」

 

 言っている意味が、よく分からない。どういう事、と聞き返そうとした時だった。

 

「……誉さんのお見舞い、行かないんですか?」

「────……っ」

 

 ────“誉”。

 その名前を耳にして、千束の動きが止まる。表情と身体が固まって、鼓動を伝えないはずの人工心臓が、存在を象徴し始めるかのような、一際跳ねたような感覚に陥った。

 

「え……な、何、急に……」

「誉さんのお見舞い。一度も行ってないんですよね?」

 

 切り出されるとは思わなかった話題。彼女の言葉を耳にする度、あの日の光景が蘇る。

 血だらけで、傷だらけで、包帯だらけで、今にも死にそうで……今じゃなくても、近い将来死んでしまうのだと、本人から告げられたその時の記憶が呼び起こされていく。

 

 ────彼に向けて放ったこれまでの不用意な発言と共に、そんな彼を自分の我儘で振り回した記憶が、まるで走馬灯のように。

 

「っ……あー……うん……行って、ない……」

「何故です?」

「何故って……たきなこそ、何でそんな事……」

「いえ、単純に気になって。店長やミズキさんも時折、あのクルミもお見舞いに行ってるので、それも一人で」

 

 クルミ……命が狙われているのもあるが、基本的にインドアな彼女は、外に出る事自体が酷く珍しい。全員での行動ならまだしも、クルミがたった一人でというのは、流石に驚いた。

 普段クールな彼女でさえ、誉の為に一人で病院にまで……なのに、自分は。

 

「……行ってないの、千束だけですよ」

「そっか……」

「……誉さんは、千束に会いたがってると思います」

「っ……どんな顔して行ったら良いか、分かんなくて……」

 

 グッ……と、拳を握り締めるも、すぐに力無く、弱々しく解ける。あの日、彼の余命の話を聞いてから、一度たりとも彼に会ってない。彼の顔を、見れていない。

 

「……だから、検診行かなかったんですか」

「鋭いなぁたきな……」

 

 千束が検診を受けている病院に、誉も入院している。この辺りだと割と大きい総合病院だ、特に驚く程の偶然でもない。

 けどだからこそ、病院にいけば何かの拍子に誉とかち合う可能性があるかもしれない。そう思うと、行く勇気が出なかった。たちまち足が竦んで、とてもじゃないけれど、そこから歩き出せなかった。

 

「聞きたい事、あるんでしょ。二人で聞くって、約束したじゃないですか。まだ聞けてない事、たくさんありますよ」

「……ごめん、たきな」

 

 会いたいのに、会いたくない。彼からの言葉を、今は何も耳にしたくなかった。彼に何を言えばいいのか、何を言われるのか、何も言われないのか。

 ただ、どんな結果だとしても、きっと納得しないような気もして。

 

「なんか……もう、怖くて聞けないや……」

 

 リビングのテーブルに散らばった、数多の洋画のディスク。

 ぐちゃぐちゃに混ぜられた感情を整える為に、嫌な記憶や辛い感情を誤魔化すように、楽しいもので上書きするように、衝動的に、義務的に鑑賞し続けた昨日の夜。

 

 彼の────朔月誉の事を考えたくなくて、他のもので埋めようとした結果がそこにあった。結果は……散々なものだったけれど。

 一瞬だって、一秒だって、彼を忘れた瞬間など無い。いつだって、何処でだって、彼の事を思い出す。彼に出会った時から今の今まで、生まれ育ってきた感情が忘却の邪魔をする。

 

 そうして彼を思い出して────罪悪感で嫌になるのだ。

 自分が恋をしなければ、何か変わったのだろうか。出会わなければ、話しかけなければ、彼はまた違う生き方をしたのだろうか。

 

 

 そんな、そんな悪循環が────

 

 

「……なら、千束はもう要らない(・・・・)んですか」

 

「……え」

 

 

 ふと、顔を上げる。言葉の意味が分からなくて、思わずその声の主へと目線を合わせる。

 たきなは真顔のまま、真っ直ぐに此方を見据えて、再び口を開いた。

 

 

捨てる(・・・)って事で良いんですか」

 

「……な、何言ってんの……?」

 

 

 ────人工心臓が、音を立てた気がした。

 “要らない”、“捨てる”。たきなの言葉の意味が、意図が、理解できない。

 

 いきなり何の話をしているのだと、その口を開きそうになって────止まった。

 

 

「千束が捨てるなら……要らないなら……私が貰っても良いですか」

 

「……たきな……?」

 

 

 たきなが何の話を────誰の話をしているのかを、千束は理解した。

 彼女はずっと、その一人の青年の話をしていたのだと、今更ながらに。

 

 

 

 

 

 

「────私、誉さんが欲しいです」

 

 

 

 

 

 








たきな 「あ、半分こします?」

千束 「朔月くんを!?」

朔/月 「寿命前に死ぬからそれ」

真島 「バランス取らねぇとな」

朔/月 「出番まだでしょ黙って」


※本編とは無関係です。
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