行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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何色にも染まれるって事は、重ねていけば黒くなるって事。そうなってしまったら、もう変われない。
何者にでもなれるって事は、最後は何者にもなれないって事なのさ。



Ep.22 Because I longed for

 

 

 

 

 

 

 ────助手席で車道の反動に揺られながら、誉はポツリと呟いた。

 

「……あの、俺の退院は、山岸先生から?」

「ああ。流石に傷が癒えたばかりの君を歩かせる訳にもいかないからね」

「……そう、ですか」

「……何か、問題があったのか?」

 

 退院の手続き後、病院の自動ドアから出てみれば、いつも通りの和服に身を包んだミカがたった一人で迎えに来てくれていて、誉は素直に驚いた。

 

 退院の日取りは誰にも伝えておらず、サプライズでリコリコに行こうと思ってただけに拍子抜けだ。山岸には黙っておいて欲しいと伝えていたのだが、保護者としてミカには伝えていたのかもしれない。責めるつもりは全く無いが、少しばかり残念な気もした。

 

「退院を知らせず店に行って驚かせよう作戦が……」

「……思ったより元気そうで安心したよ」

 

 誉の落ち込む理由が思ったよりしょうもなくて、ミカは呆れたような、困ったような、そんな笑みを浮かべて呟いた。

 

「だが、そういう事なら大丈夫だよ。現時点で知ってるのは、私とミズキだけだ」

「……態々迎えに来て下さらなくても良かったのに」

「遠慮しなくていい。まだ本調子じゃないんだろ」

 

 ミカの運転する車の助手席で、誉は申し訳なさそうに『……ありがとうございます』、と小さく告げて笑う。確かにまだ万全とはいかない。多少動いただけでまだ痛む箇所も少なくなかった。

 それが分かったからか、ミカも運転しながら心配そうな声で尋ねる。

 

「それより、家で休んでなくて平気か?」

「ずっとベッドの上だったんで、身体動かしときたいんです。お店のみんなにも会いたいですし」

「……そうか。入院中は退屈だっただろう」

「勿論です」

「はは、即答だな」

 

 こちとら病院が嫌い過ぎて、何度脱出を試みた過去を持っている事か。自慢げに言う事でも何でもないのだが、狭い世界で閉じ込められている感覚が、恐怖に近い程に恐ろしく感じて、平然を装ってはいてもやはり好きになれるところではなかった。

 

「……ただ」

「ん?」

 

 ────今回の入院は以前と違って、決して独りきりではなかったから。

 孤独で退屈な永遠にも等しい時間を、読書や勉強で埋めるだけの日々じゃなかったから。

 

「たきなとかクルミとか、ミカさんやミズキさんが何度もお見舞いに来てくれたので、前に入院してた時よりも楽しかったです」

「────……」

「なので……改めて、ありがとうございました」

「……感謝されるような事じゃないさ」

 

 誉はそう言ってミカに向き直って小さく頭を下げた。ミカ達にとっては大した事は無いと笑うけれど、誉にとっては彼らの厚意がとても嬉しい事だったのだ。

 母親が生きていた頃は、多忙な毎日の中で隙間の時間を見付けて会いに来てくれていた。それでも、会えない日の方が多くて、孤独と退屈を重ねるだけの毎日だった。

 

 変わり映えのしない日々の連続。自分は本当に生きてるのか。死んでないだけなのではないか。そんな消極的な思考ばかりで。

 余命宣告によって未来の見えない、目的を見失った毎日をただ過ごしてきて、それをきっと、“生きてる”とは言わなかったけれど。

 

 ────たきな達が来てくれただけで、自分の存在に意味を齎してくれた気がしたから。

 

「……だが……そうか」

「……?」

 

 目の前の信号が赤に変わり、車が停車する。ミカのその声音に違和感を覚えて、誉は視線を隣りのミカへと向けると、何処か遠くを見つめながら、物憂げに呟いた。

 

「……千束は、来なかったか」

「っ……」

 

 ────千束。

 入院してから退院に至るまで、一度として顔を合わせる事が叶わなかった少女の名前を耳にして、誉は身体が震えた。咄嗟に、彼は自分の先程の言動を思い返し、慌ててミカに弁明する。

 

「す、すみません違うんです。さっきのは別に、錦木が来なかった事を悪く言ったつもりじゃなくて……!」

「そんな事は分かってるよ。あの娘がすまないな」

 

 普段と変わらない穏やかな表情のまま、ただ申し訳なさそうに謝罪する。見据える瞳には此方への誠意しかなくて、とても巫山戯たり誤魔化したりができるような感じではなく、誉はただ彼を見上げる。

 

 結局、一週間以上も入院する事になった誉だったが、千束は遂に一度たりとも病室に顔を出す事は無かった。

 ────その理由もハッキリしていて、きっと、どうしようもなく自分が悪かったのかもしれないけれど。

 

「っ……何でミカさんが謝るんですか。全然気にして……ない、事も……ないですけど……や、ホントは錦木来てくれなかったの、ちょっとショックでしたけど……」

「……二人に話した事、後悔してるか?」

 

 誤魔化そうとも、本音が零れて。それを言及するミカへと、その視線が傾いた。

 それは先日の病院での言葉を、錦木とたきなに伝えてしまった自身の余命の話を、悔いているのかどうか。ミカのその問いに、あの時の錦木の表情が鮮明にフラッシュバックされる。

 

「え……あー……どう、ですかね……分からないです……ただ、自分だったら黙ってて欲しくなかっただろうなって思って……それで、思わず……」

「君は、優しいんだな」

「……そんな事、無いです」

 

 ────本当は何も言わずにその時(・・・)を迎えるつもりだったから、多少楽になったような気もするけれど。

 

 錦木とたきなにもあんな顔をさせてしまった事が、正しい事だったのかと言われれば、それは違うと言い切れた。

 ならば、何をどうすれば良かったのだろうか。

 

 たきなは昨日まで毎日お見舞いに来てくれていたけど、特に寿命の事について言及する事もなく、今まで通りに接してくれていた……ような気がした。

 若干、負い目からなのか献身的な態度や行動をしてくれていた様なのだが……。

 

 だが錦木に至って会話する機会すらない。まさか顔も見せてくれないとは思ってもみなくて……それをショックだと感じている自分もいて。

 彼女と仲良くなってると思っていただけに、自惚れていたのだと、無性に恥ずかしかった。

 けれど。

 

(……自業自得、だよな)

 

 ────錦木にあんな顔をさせてしまった原因を作った自分が、今の彼女の態度に文句を言うのは……なんというか、あまりにも巫山戯た話だった。

 

 錦木が自分を巻き込ませない様にと、こういった仕事を遠ざけていたのは知っていた。それを理解した上で松下さんの誘いに乗り、たきなを助ける為に行動したその行いに、後悔は微塵も無いけれど。

 

「……っ」

 

 ────それでも、彼女が悲痛に歪んだ様な表情のまま、此方に背を向けて出て行ったあの日の背中だけが、今もなお脳裏に焼き付いていた。

 

 

 

 

Episode.22 『 Because I longed for (私が、貴女に憧れてしまったから)

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────鈴の音を鳴らしながら、その扉を開く。

 

「ミズキ、クルミ、帰ったぞ」

「おかえりなさーい」

「わぁ……久しぶりだなぁ……」

 

 久しぶりに“リコリコ”の店内をその目で見て、なんとなく感動すら覚えた。

 そのまま、ミカの挨拶に気の抜けた返事をしたミズキへと、視線が向かう。いつもの定位置に座り、酒瓶を傍らに置くミズキのいつも通りの姿に懐かしさすら覚える始末である。

 

 もしかしたら涙腺に来てるかもしれない。態とらしく涙を拭うような素振りをしていると、丁度ミズキと目が合った。

 

「お、帰って来たわねー。もう大丈夫なの?」

「はい、一応は。明日からまたよろしくお願いします」

「もう働くの?あんま無茶するんじゃないのよ」

「分かってます。お気遣い痛み入ります」

「固いのよ」

 

 誉の無駄に丁寧なお辞儀と言動に思わず突っ込みが入る。ミカがそのやり取りを微笑みながら眺めつつ、『珈琲を淹れようか』と店奥へと入っていくのを見送ると、反対方向の和室の引き戸が開く。

 

 視線を向かわせれば、クルミが眠たそうな表情でタブレットPCを片手に立っていた。そうして、大きな欠伸と共に歩いて来ていた彼女のその細い瞳が客間にいた誉を認識すると。

 

「……お」

「あ、クルミ……」

 

 途端に、その瞳を見開き────やがて、再び眠たそうな表情に戻った。

 あれ、想像してた反応と全然違う……と思いながら見上げていると、クルミはただ一言。

 

「……なんだ、帰ってたのか」

「ええ……全然驚かないじゃん……」

 

 入院してた患者に対しての言い草じゃない。冷たい通り越して痛いまである言葉の弾丸である。

 クルミは誉の一言に『子どもかよ』と鼻で笑い、普段の定位置である二階に続く階段へと上っていく。

 

 求めていたのとかなり差異のある、圧倒的コレジャナイ感……肩を落としながら、誉は常連客として通っていた頃のカウンター席に腰掛けた。

 すると上の方から、

 

「傷はもう大丈夫なのか?」

「……え」

 

 思わず、顔を上げる。

 二階からクルミがディスプレイを眺めたまま、此方に声を掛けてきたのだと理解するのに数秒かかった。驚いて固まっていると、此方からの返答が来ないのを気にしたのか、クルミは漸く画面から目を離して視線を下ろしてきた。

 

「何だよ」

「あ、ああいや……え、俺に言ってるんだよね?」

「他に誰が居るんだよ」

「だよね……え、心配してくれてる?」

「ボクを何だと思ってるんだオマエ」

 

 ────いや、だってなんか冷たいから。

 今の素っ気ない反応から、あんまり気にしてないのかもと思っていたから、逆に驚いた。だがよくよく考えてみれば、たきなに次いで見舞いの頻度が多かったのはクルミだった気がする。

 病室に顔を見せては、会話するでもなく一、二時間PCを弄るだけの彼女だったけれど、何度か来てくれたのはきっと、クルミなりに心配しての事だったのかもしれない。

 

「お陰様でもう平気だよ。お見舞いありがとね」

「……そりゃ良かった。お前の代わりに仕事しなくて済む……ふあぁ……」

「……俺の感動返して?」

 

 ────涙引っ込んだんだが。

 クルミはやはり平常運転であった。彼女の専門である電脳戦───クラッキングの類に関しては進行形で勉強中の誉。

 最近彼女に宿題感覚で渡されたプログラムの解体が出来るようになってきたのだ、このまま成長して彼女のお株を奪ってやろうか、とまで考えていると、ミカがカウンターの向こう側から淹れたての珈琲の入ったカップを渡してくれた。

 

「わ……ありがとうございます。久しぶりに飲みたかったんです、珈琲」

「気に入って貰えてるようで嬉しいよ。……ああクルミ、頼んでいた件は?」

「今準備してる。始めるのにもーちょい時間かかるぞ」

 

 ミカの質問に端的に答えるクルミ。何の話だとミズキを見るが、彼女は我関せずで酒瓶を傾けていた。当てにならなそう。

 誉はカウンターテーブルを挟んで向こうに立つミカに向かって、なんとなく問いを投げた。

 

「……何か仕事ですか?」

「まあ、な……」

 

 何だか歯切れが悪い、とそう感じた。

 誉自身が関係無いから話せない、というよりも本人達さえも理解できてないような、不安に近いような何かを感じる。

 なんとなく気になってミカに重ねて質問しようと口を開いた瞬間、店の二階の方から此方を遮るように割り込んでいたクルミが、

 

「ボクの専門だよ。弟子にはまだ早い」

「ふーん……どっかハッキングするの?」

「DA」

「は?」

 

 ノータイムで聞き返した。手に持ったカップが揺れ、再び顔を上げて彼女を二度見するが、彼女はなんでもないような顔でボーッと画面を眺めていた。

 リコリスという存在の詳細を知らない誉でさえ、機密組織であるDAをハッキングしているというその意味合いのレベルを理解出来た。クルミに最近その手の事を教えて貰ってただけに、驚くのは尚更だった。

 良いんですかそんな事させて……とミカを見上げると、彼は小さく息を吐いた。

 

「……話しておくか」

「良いのか、ミカ?」

「ああ、もう無関係じゃいられないからな」

「……?そんな深刻な話なんですか?」

 

 少しばかりの不安を胸に、ミカから切り出された話を聞く体勢に入る。

 

 ────噛み砕いて説明すると、ここ最近リコリスの闇討ち事件が増えてきている、との事だった。今月で既にリコリスが四名殺害されているとの連絡が入ったらしい。

 

 それぞれが単独任務中に襲撃されており、殺害方法はバラけてはいるものの、まるで見せしめと言わんばかりの夥しい傷の量が共通点として、同一犯の可能性が高いそう。さらに同じ遺体に刻まれている弾痕が複数種類である事から、複数による犯行だというのが検視からの見解だそうだ。

 

 これだけ聞けば、つまるところ重要な点が何処なのか、リコリスの存在の機密性を知っている誉にも理解できた。

 

「……犯人は、リコリスの存在を認識してる……って、事ですか?」

「……そういう事になるな」

 

 犯人の攻撃対象の全てがリコリスであるという事は、つまり犯人側は機密組織であるリコリスという存在を認知しており、特定にまで至っているという事である。

 

「……それ、錦木とたきなは大丈夫なんですか?」

「何故特定されてるのかが今のところ分からないからな。危険な事に変わりない。ただ……」

「……“ただ”?」

「さっき、たきなから連絡があってな。事件解決の目処が立つまで、千束の家に泊まるそうだ」

「……なるほど」

 

 安全が確保されるまで一人にならないよう行動するという事か。たきならしい考え方かもしれないと納得する。

 ……そういえば、と誉は自身のスマホを開く。早朝彼女から連絡が来たのを思い出した。内容は簡単にまとめると、『仕事でこれから暫く病室に行けませんが、すぐに片付けますので待っててください』というようなものだった。

 

(……退院したの言ってないからなぁ……)

 

 そういう事情なら巫山戯てる場合ではないかもしれないし、退院した事を早いところ連絡してしまおうと指を動かしかけた時、ミズキから深い溜め息が聞こえた。

 

「にしてもタイミング悪いわねぇ……これじゃあ朔月くんの誕生日のパーティーできないじゃない」

「────……ぁ」

 

 スマホ操作が止まり、顔を上げる。ミズキから告げられた『誕生日のパーティー』という言葉を聞いて、誉は思わず固まってしまった。

 

 先月、八月二日が誕生日であるたきなの誕生日パーティーを店の皆で催した時の事を思い出す。誰かを祝うのも、誰かとパーティーをするのも初めての経験で、凄く楽しかったのを覚えてる。

 そんな自分を見たからなのか、九月には誉と自分の誕生日が控えているから、その時もパーティーをしよう、と千束が楽しそうに計画してくれていて。

 

「……そっか。もう、そんな時期か」

 

 ────それが嬉しくて、図々しくも楽しみにしていたのを覚えた。カレンダーを見やれば、成程。あと数日もしない内に迎えてしまう、自分の誕生日。

 

(……あれだけ待ち遠しかったのに、どうして忘れていたんだろうか……)

 

 だがどちらにせよリコリス、ひいてはDAの危機なのだ。そんな悠長な事は言ってられない。自分の事を重荷にさせたくないと、誉は誤魔化す様に笑った。

 

「……そんなの、気にしないで下さい。それどころじゃないんだし」

「……すまないな、朔月くん」

「い、いやそんな謝られる様な事じゃ……錦木の誕生日パーティーまでには事件が解決してくれれば、俺はそれで」

「……そうか」

 

 そう返事はしてくれているが、ミカは変わらず申し訳なさそうに目を伏せる。こういう事に乗り気に見えなかったミズキでさえバツが悪そうで、なんだか此方が居た堪れなかった。

 

 残念だとは思うが、本当に気にしてない。誉にとっては、みんなと盛り上がったあの時間が好きなだけだ。自分のでなくても、千束の誕生日パーティーで集まれるのなら、それは変わらない。

 

 ────それに。

 

「……それに、楽しみが無いわけじゃないんです」

「ん?」

 

「────母が、祝ってくれるので」

 

 そう伝えると、ミカは目を見開く。

 ミズキや、クルミも視線を此方に向けてきていた。誉の肉親は既におらず、彼が天涯孤独であるのを知っているが故に。

 

「君の母親は……」

「あー、その……実は母さ……母が、俺が成人になるまでの誕生日プレゼントを死ぬ前に用意してくれてて……毎年、それを開けるのが楽しみになってるんです」

 

 ────“誕生日が来る度、一つずつ開けなさい”と、そう言われていた。

 

 普段忙しく、病気でいつ危篤状態になるかも分からない息子が居るにもかかわらず、仕事に奔走する日々を重ねていた母親。それが寂しくないと言ったら嘘になるけれど、そんな母親は誕生日には必ず帰ってきてくれていた。

 

「生前は忙しくて中々会えない人だったけど、誕生日だけは一緒に過ごしてくれて……普段一人でも、プレゼントのお陰で寂しくなかったなぁ……」

 

 本だったり、服だったり、時計だったりと色々。

 およそ一般の子どもだとゲームとか玩具とか、そういった物の方が喜んだのかもしれないけれど、誉にとっては母と一緒に居られる時間が何よりも嬉しくて。

 

「……良いお母さんじゃないか」

「どう、ですかね……まあ、偶に仕事抜け出して会いに来てくれるくらいには、大切に思ってくれてたとは思いますけど」

 

 ミカの言葉に、困ったように笑う。

 母との時間はそれほど多くない。他の家族と比べて関係性は希薄なもの。時間が経つにつれて記憶は風化し、錆びれ、色褪せていく様な気がして。

 思い出が少ないからこそ、毎年のプレゼントに縋っているのかもしれないけれど。

 

「そんなに忙しいって……何やってる人だったのよ?」

「え……」

 

 ミズキの素朴な疑問に、思わず固まる。

 数秒間が空いて、ポカンと口を開けて見つめてくる誉に、ミズキは『どうしたの?』と問いかけた。

 

「え……あ、そういや仕事内容ちゃんと聞いた事無かったな……科学者だとは聞いてたんですけど」

「……科学者、か」

「はい……あ、けど色々できる人みたいですよ。医者とか弁護士とか、資格持ってたし」

「……亡くなった原因、聞いてもいいかな」

「多忙だったし過労死かと思ってたんですけど……病気です。あの人も、心臓弱かったらしくて……俺は最後まで知らなかったんですけど……」

 

 自身の病気は遺伝性なのか何なのか。母親の場合は過労もあったのかもしれない。忙しくして会ってくれない事に不貞腐れるばかりで、彼女の仕事内容をそこまで気にする様ことはなかった。最初のうちは。

 けれど、あの人がそこまで頑張っているのは自分の治療の為なのだと主治医に聞かされた時は、もう何も言えなくなってしまった事をよく覚えてる。

 

 だから仕事内容はよく分からなかった誉だが、ふと思い出した事があり、思わずそれを伝えようと口を開きかけて────

 

「あ、ただ───」

 

「────おはよう、労働者諸君!」

「おはようございます」

 

 ────そこまでで、言葉が途切れた。

 背後の扉が鈴の音と共に開かれるのを耳にしたからだった。聞き覚えのある二つの声に思わず肩が震え、自然と顔の向きは扉の方へ。

 

「……誉、さん?」

 

 ────錦木千束、井ノ上たきながそこにはいた。

 

 

「ぇ……」

 

「ぁ……」

 

 

 視線は、千束へと向かった。どうしようもなく、彼女と目が合ってしまった……が、すぐに逸らされてしまう。

 笑顔で入ってきたはずの彼女の表情は固まり、誉も誉でサプライズのつもりで気持ちを作っていたはずなのに、戸惑って表情が作れず。

 久しぶり過ぎて、どんな風に話していたか忘れかけつつ、ぎこちない笑顔で挨拶した。

 

「……お、おはよう、錦木……」

「っ……お、はよ……」

「……」

「……」

「退院、したんだ」

「っ……ああ、うん……」

「……そっか。よかった」

 

 全然視線が合わない。言葉を交わしているはずなのに、目を逸らされただけで、一方通行な会話になってしまっているような、そんな感覚。

 いつもと違う千束の様子に、誉は慌てて次の言葉を重ねた。

 

「あ……そういえば、さっきミカさんから事件の事、聞いた」

「エライ事になってるわね〜」

 

 誉の後ろから、ミズキが同情する様に息を吐く。

 千束は何の話かと眉を寄せて、すぐに思い出したのか口を開いた。

 

「え……あ、ああ……私らDAじゃないから大丈夫だよ」

「可能性はゼロじゃありません」

「そう、だよね。二人とも気を付けて」

「っ……ありがと」

 

 千束は、誤魔化す様な下手くそな笑みを浮かべながら、更衣室へと続く扉へと入っていく。

 その背を見送りつつ、彼女になんとなく避けられたような気がして、誉は溜め息を吐いた。

 

(やっぱこうなるよな……ん?)

 

 すると、すぐ目の前の人の存在に気付いて顔を上げる。

 そこには、セカンドリコリス────井ノ上たきなが真顔で立って、此方を見つめていた。

 

 因みに、退院を隠していたというのに、全然驚いてない様子。今に至るまで、誰も誉の望んだリアクションをしてくれていないという事実。

 そうして暫く見つめ合っていると、たきなから一言。

 

「……退院、されたんですね」

「えっ、あまり歓迎されてない……?」

 

 まさかの対応。寧ろ此方がサプライズである。

 もしかして嫌われてた……?もっと入院してて良かったのに、とかそういう……?うわ立ち直れない泣く……。

 

 衝撃の事実が発覚しそうでガタガタ震えていると、たきなが僅かに眉を寄せて詰めてきた。

 

「……今朝、メッセージ送ったと思うんですが」

「……驚かせようと思って」

「子どもですか」

「……ゴメン、不謹慎だった」

 

 千束とたきなが大変な時に自分は何を……と肩を落としていると、たきなが小さく息を吐いて、ポツリと呟く。

 

「……驚き、ました。怪我が治りきってないのに、病院を抜け出して来たのかと思って……」

「……っ」

 

 ────誉は、顔を上げた。目を逸らして俯きながら、両手で指を弄りながら。たどたどしく伝えてくるたきなの顔を見て、言葉に詰まった。

 

 たきなは毎日お見舞いに来てくれていたのだ。仕事で忙しい日も会ったはずなのに、僅か十分でも時間を作って来てくれていて。やはり、彼女には伝えておくべきだったかもしれないと、今更ながらに反省した。

 

「……次からは連絡するよ」

「いえ、次は無いです。もう入院はしないで下さい」

「あ、ああ、うん、そうね……その方が良いよね……」

「でも、メッセージはちゃんと返してください」

「返す、ちゃんと返すよ」

「それから電話も」

「で、電話?……わ、分かった……電話?」

「私からの電話は三コール以内に出て下さい」

「い、いや、早くない?それ出れない時あるって絶対」

 

『ま、まあ、分かった、一応』と、あれよあれよと彼女の要望を承諾していく誉。このままなし崩し的に色々了承してしまって彼女の思う壷になりそうなのだが。

 

「それから」

「ええ、ま、まだあるの……?」

 

 思わず嫌そうな声を漏らしかけて────たきなの、小さな笑みが誉の視線を釘付けにした。

 

「────おかえりなさい」

 

「────……っ」

 

 彼女の笑顔を、何度か見た事がある。

 最初は無表情で鉄面皮で、感情を表に出さない機械のような印象だったけれど、この店に来て千束や誉、店のみんなと関わるようになって、彼女の笑顔は増えてきたように思える。

 

(……何、その顔)

 

 けれど、誉は見た事がなかった。

 僅かに頬を朱に染め、楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに言葉を音にして。小さく微笑む彼女の姿と、その感情の正体を、誉は知らなかった。

 

「……た、だいま」

 

 

 ▼

 

 

「あ、たきな……」

「千束……」

 

 更衣室の引き戸を開けると、赤い和服に身を包んだ千束が立っていた。目が合うと、気不味そうに視線を逸らして俯く彼女に、たきなは瞳を細めた。

 

「誉さんと、話さなくて良いんですか」

「え……やー、後で話すよ」

「本当に?」

「な、何でそんな事聞くのよ」

 

 煮え切らない。素直じゃない。

 常にやりたい事最優先で、望みや欲に愚直なはずの彼女が、想い人とのすれ違いを解決する努力もせずに引き延ばそうとしている。

 凄いと感じた、憧れた錦木千束が自分から離れていく。

 

「私の宣戦布告、聞いてなかったんですか」

「っ……聞いて、た、けど……ね、ねぇ、ホントに?ホントに、朔月くんの事、好きなの?」

 

 そんな風に慌てるくらいなら、あの人にも積極的になれば良いのに、と思わずにはいられない。

 毎日、病室に足を運んだ。口下手で盛り上がるような話題の提示もできない自分が、初めて誰かの為にと思って必死に話す事を考えてきて。それを聞いて笑ってくれる彼を見るのが、とても嬉しくて。

 

「……私は、千束が羨ましいです」

「え……」

 

 ────けど、千束と同じくらい誉を見てきたから分かっているのだ。時折見せる彼の憂いた表情が、誰を思ってのものだったのか。

 誉はつい最近まで病気で孤独だった。だからこそ、他人と関われるこの店の時間が好きで、この店の人達が忘れられないと病室で話してくれていたのを思い出す。

 

「……嘘じゃないです」

「……た、きな」

 

 その中でも特に、彼の心の中に長く居座っているのが誰なのかも、なんとなく気付いている。

 それでも、関係無い。

 

「────誉さんが好きです」

「……っ」

 

 千束の想い人だと知っている。

 彼女が誉を大切に思っているのを知ってる。

 

 そして、多分誉も────。

 それでも、関係無い。

 

 

「私、誉さんの残りの時間が欲しいです」

 

 

 たきなは、千束に向かって、不敵に笑って見せた。

 

(────戻ってきて欲しい)

 

 今までの千束に戻って欲しい。

 想い人の為に頑張れる、誰かの為に頑張れる、やりたいこと最優先で、格好良い彼女に戻って欲しい。

 

 そう思っての、千束を焚き付ける為に言った言葉ではあったけれど。その言葉に嘘は無い。彼が欲しい事にも、変わりは無い。

 

 

「勝負ですね、千束」

 

 

 ────たとえ、分が悪くても構わない。

 茨の道で、無様に暴れてみようかと思う次第。

 

 







誉 「結局誰も驚いてくれなかったな……」

ミズキ 「いや二人とも驚いてたと思うけど」

誉 「やー、あーいうんじゃなくてですね……」

北村 「こんにちは〜……あれ、朔月くん!? 体調不良が長引いてたって聞いたけど……大丈夫なの?」

誉 「あ……北村さんいらっしゃい……はい、治りました」

伊藤 「あー!朔月くんやっと来たわね!ネタの提供に付き合いなさい!」

誉 「……ミズキさん、コレです。この反応が見たかったんです……!」

ミズキ 「アンタとことん不謹慎ね……」


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