行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

26 / 42






届けたかった言葉。受け取った言葉。
それはただ、慈しむように君へ────



Ep.25 Talent of “Savior”

 

 

 

 

 

 

 

「んー……」

「……たきな?」

 

 それはリコリコ閉店後の空き時間での事だった。俺が着替えを終えて客間に戻ると、和服姿のたきなが座敷に腰掛けて唸っていて。

 どうしたのかと、ミカさんとミズキさんを見ても、首を左右に振ったり肩を竦めたりで、どうやら二人も分からないようだ。そうして暫く考え込むように眉を寄せたたきなを眺めていると、やがて気になったミズキさんが声を掛けた。

 

「どったのアンタ?」

「勝てないんですよ……」

「へ?」

「家事の分担をジャンケンで決めてるのですが、一回も千束に勝てませんね……」

 

 家事の分担……ああ、そっか。今二人一緒に生活してるんだもんな。なるほど、錦木はそれでたきなに自分の下着の洗濯も任せてた訳だ。

 

 因みに前回の下着泥棒の件に関しては完全に解決したようで、千束の下着はたきなが履いてて、たきなの下着は単に干し忘れで、洗濯機の中に置き去りになっていたらしい。

 

 にしてもジャンケン……ジャンケン、ね。錦木とジャンケンで勝負した時の記憶を辿ってみると。

 

「……そういや、俺も錦木に勝った事無いかも」

「誉さんもですか?」

「うん。そんなにした記憶無いけど、言われてみればって感じ……」

 

 買い出しとか、皿洗いとか、ボドゲで先攻と後攻決める時とか。勝率三割の筈なんだけど、思い返すと一度も勝った試しが無い気がする。

 たかだかジャンケンだし、たまたまだと思ってそこまで気にした事なかったけれど、考えてみると確かに俺だけじゃなくてたきなも一度も勝てないっていうのはおかしい話だ。

 

 すると、その話を聞いたミズキさんとミカさんが一度顔を見合せ、納得したような表情を浮かべると、此方に視線を戻して二人は告げた。

 

「“最初はグー”でやってるでしょ」

「それじゃ千束には勝てない」

「「えっ?」」

 

 俺とたきなの声が重なる。

 え、何故“最初はグー”だと勝てないの。因果関係が分かんない……と思っていると、ミカさんから追加の説明が入った。

 

「千束が、相手の服や筋肉の動きで次の行動を予測するのは知ってるだろ」

「いや、知らないです」

 

「「「…………」」」

「俺知らないです、それ……」

 

 不思議な空気。三人が揃ってこっちを見る。

 錦木がリコリスとしてどんな戦い方してるのかとか、そういえば知らないな……え、今の知らないと錦木にジャンケンでそもそも勝てない感じ?てか服と筋肉の動きから次の行動を予測って……凄いな、どうやってやんだろ。

 

 気を取り直したのか、ミズキさんは眼鏡の位置を中指で整えると、ミカさんに代わって説明を続けた。

 

「……まあ、そうなのよ。だからグーから始めちゃうと、次の手を変えるかどうかを読まれちゃう。変えずにグーだと当然パーを出されるし、変えると分かれば千束はチョキを出せば絶対負けないでしょ?つまり、あいこにできる確率が三割」

「勝つ確率はゼロだ」

「え……」

 

 ……何それ。もうチートじゃん。

 開いた口が塞がらないでいると、ミズキさんが煽るような笑みを浮かべながら、再び説明してくれる。

 

「千束にジャンケンに勝つには“最初はグー”をやめて、最初のジャンケンで勝つしかない。あいこになったらもう勝てないし、ましてあいこから始めたら一生勝てないよぉ〜?」

「……」

「うわぁ……」

 

 たきなと俺はそれぞれ何とも言えない顔をしてただろう。に、錦木汚ぇ……って流石にたきなも思ったかもしれない。

 てか服とか手の筋肉見ただけで次の手が分かるっていうのもあんまり信じられないんだけど……そんなに他人の掌とか凝視する事無いから盲点だったわ。俺もやろうと思えばできるのかな。

 

 と、噂をすればだ。裏に続く扉から錦木が出てきた。……な、なんか合羽みたいなの着てる……何あれ、ポンチョ?

 

「組長さんとこに配達行くわー……何よ?」

「……いいえ別に」

 

 俺は兎も角、ジャンケンのカラクリを知ってしまったたきなは不機嫌を隠さず錦木から顔の向きを逸らした。

 まあ、そりゃあこれを知らずに全戦全敗した挙句に錦木の家の家事全部やってるんだもん、あんまり面白くないよなぁ……。

 

「えー、なになに?」

「いーから、早く配達行ってきな」

「……すぐ支度します」

 

 ミズキにそう促され、たきなは不満顔のまま座敷から立ち上がり、二つ縛りの髪ゴムを解いた。

 安全が確保されるまで、二十四時間を共にするというのが、今のたきなの行動方針らしいので、配達について行くつもりだったのだろうけど……その足で更衣室に向かおうとするたきなを、錦木が片手で制した。

 

「ああ、大丈夫。制服がバレてるんだろうって、クルミが」

「……リコリス制服ですか?」

「そそ。これならー、ぜったーい、分かんなーい♪」

 

 楽しげにそう告げ、両の腕を広げると、黄色みがかったポンチョが映えて、不謹慎だがよく似合っていた。どうやらリコリス制服を隠す為のものらしい。

 

 DAのエージェントであるリコリスは制服でないと銃の携帯が出来ないとの事だが、そう考えると確かに制服で特定されてるっていうのは的を射てる気がする。

 この仮説が正しいならば、リコリスは相当に動きにくいだろう。それを踏まえての作戦か。

 

「私服じゃ銃は使えないんだぞ」

「警察に捕まっちまえ……」

「んなこた分かってるよ、下に着てますぅ、ほらぁー!」

 

 ミカさんとミズキさんから予想通りのアウトが飛んできて、錦木はポンチョをたくし上げていつもの赤い制服を見せる。万が一襲われても、これなら銃で対応できるという事か……なんか錦木にしてはよく考えてるけど。

 

「じゃあ、私もそれで……」

「あー大丈夫!たきな、今日も夕飯楽しみにしてるー♪行ってきまーす!」

「っ……ぁ、錦木……!」

 

 俺は扉を開けんとする錦木のその背を思わず呼び止めた。思ったよりも大きな声が出て、錦木の肩がビクリと震える。

 しまった、と思いつつも彼女が止まってくれたと安堵して、けど半ば衝動的にその名を呼んだだけで、大した用事なんてある訳でもないのに。

 

「……」

「……な、なに?」

 

 ────俺は錦木に、何を求めてたんだっけ。

 

「い、や……また、明日」

「っ……うん、また明日ね」

 

 片手を上げると、錦木は少しぎこちない笑みを浮かべてその扉から外へと出ていった。鈴の音が扉が閉まる音と重なり、彼女の足音が遠くなっていくのを聞きながら、力無くその片腕を下ろすと、小さく息を吐いて。

 

「……ヘタレですね」

「言えてる……あー、情けな……」

 

 たきなの辛辣な言葉を受け止める事ができる程に、ヘタレでチキンな自覚がある。クルミに発破を掛けられ、たきなにも気遣われてなお、この体たらくだ。

 ……いい加減、この店の空気を壊すような事したくないのにな……。

 

「早く何とかしないと……」

「それ毎日言ってますよね……分かりました。ではちゃんと期限を設けましょう。明日までには仲直りしてください」

「あ、明日……?や、それは流石に心の準備が……」

「もう聞き飽きましたそれ。千束があのままだと、リコリコの業務だけでなく任務にも支障が出るんです」

「ぐうの音も出ないんだけど」

 

 何にも言い返せないド正論でぶん殴って来たんだけど。思わずミカさんとミズキさんへと視線を逃がすと、二人に揃って逸らされた。ちょっと。

 ……まあ、世間では『明日やろうは馬鹿野郎』という名言があるらしい。そう考えると明日まで猶予を貰えるのは良心的な気がする。先延ばしにした結果、好転なんてした試しが無いのも事実だし……。

 

「……が、頑張ります」

「それも聞きました。結果で示してください」

 

 会社の上司みたいな事言い出した(白目)。

 たきなパイセン……や、冗談はよそう。真剣に俺と錦木の事を考えてくれてるんだもんな。

 

「……分かった」

「言いましたね。破ったらペナルティですよ」

「えっ……俺今そんなにお金の持ち合わせない……」

「……私を何だと思ってるんですか」

 

 たきなだったら罰金徴収とかやりそうだよねっていうド偏見。遊び心あんまり無さそうだし。だから最近冗談とか言ってくれるの嬉しかったりするけれど。

 その変化や成長が、とても嬉しくて楽しくて。ついつい彼女の言葉に折れてしまうのだ。

 

「じゃ、明日気合い入れるよ」

「……ええ、期待してます」

 

 不敵な笑みを再現する俺を見て挑戦的な笑みを浮かべるたきなが、どうにも面白くて再び笑った。

 

「……アンタ、最近たきなに弱くない?」

 

 ────それ、俺も思った。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 ────そして、それは千束が配達に出掛け、誉が帰路に立って暫くした時だった。

 

「わああああああああああああああああああああ!!」

 

 その大声に、客間のカウンターに座っていたたきなとミズキ、カウンター向こうのミカは大きく肩を震わせた。その声は和室───クルミが根城にしている部屋がある方角からで、その声は次第に此方に近付いて来る。

 視線を向ければ、やはりクルミが慌てた様子でタブレット端末を抱えて駆け寄って来ていた。

 

「見てくれ!これは銃取引の時のDAのドローン映像!殺されたのはこの四人だ!これが犯人に流出して顔がバレてたんだ!」

 

 焦燥で汗まみれになりながら、クルミはいきなりとんでもない事を告げてそのタブレットをたきな達に見せてきたではないか。思わず凝視すると、そこには先日たきなが参加した銃取引の現場であったビルの下で待機していたサードリコリスの四人が、顔まで鮮明に映し出されていた。

 

「なんでそんなもんが流出すんのよ!?」

「……あの時のハッキングか」

 

 ミズキの疑問に答えるミカの言葉に、たきなはふと思い出した。以前、千束の健康診断に同行して本部に行った時に千束から共有を受けた話だ。

 

 たきながリコリコに異動になった理由は、表向きはDAの任務中────つまるところ先の銃取引現場にて独断行動をした為とされている。

 だが実際は、DAが偽の取引時間を掴まされ、ラジアータがハッキングされたという失態を上層部に隠匿する為、たきなの独断専行(スタンドプレー)を作戦失敗の原因とし、たきなを左遷する事で面子を守ったのだ。

 つまるところ、あの日DAをハッキングした輩が別に存在しているのだが……。

 

「DAもまだそのハッカー見つけられてない様です!」

「アンタの仲間じゃないの!?さっさと調べなさいよ!」

「……っ」

「何よ」

 

 ミズキの発言を聞いた瞬間、口を噤みバツの悪そうな顔で眉を寄せるクルミ。しかし、ミズキが言及した瞬間、言いにくそうにしながら口を開いた。

 

「……あの時のはボクだ」

「ハァッ!?」

「どういう事だ!?」

 

 ────聞き捨てならない台詞。その場の誰もがクルミに視線を向ける。たきなに至ってはそれが原因でDA本部を追放されているのだ。その言葉の真意を、次の言葉を聞かずには居られない。

 責め立てるような視線に耐えかねたのか、クルミは慌てたように言葉を重ねた。

 

「……依頼を受けてDAをハッキングした。その依頼主(クライアント)に近付く為には仕方無かったんだ……!」

「ちょっと……アンタが武器をテロリストに流した張本人って訳!?」

「っ、それは違う!指定の時刻にDAのセキュリティを攻撃しただけだ!」

 

 叫ぶように問い詰めるミズキに、食い気味で否定するクルミ。

 依頼主に近付く為───事情はよく知らないが、どうやら彼女自身の好奇心と探求心が、結果として悪い方向に向かってしまった様だ。

 

「そうですかぁ!おかげで正体不明のテロリストが山ほど銃を抱き締めて、たきなはクビになりましたぁ!」

「もういい!やめろミズキ!」

「映像はそれで全部ですか!?」

 

 小言を言うミズキをミカが制止する中、たきなは他にも対象のリコリスがいるかどうか問い出す。それが特定出来れば、此方で対応できる幅も、犯人制圧も現実味を帯びてくる。そのつもりの問いだった。

 ────だがクルミはふと、客間をひと通り見渡して、その瞳を見開き戦慄した。

 

「っ……おい、千束はどこだ!?」 

「先ほど配達に行きましたが……」

 

 何故、今千束の名前を────?

 クルミの慌てぶりから、嫌な予感は既にあった。そして、それは数秒後に現実のものとなる確信さえ。

 

「……全部じゃないんだ……!」

「っ……まさ、か」

 

 クルミが再びタブレット端末を三人に見せる。それは先程同様、ドローンからの映像だった。

 しかし、それは先程の銃取引現場の映像ではなく、千束とたきなが一緒にいる映像であり、たきなが初めて千束と共に行動した時の、篠原沙保里を護衛した時のものだった。千束に言われてドローンを撃ち抜いた記憶がたきなにはあり、そこには千束の横顔がはっきりと映り込んでいた。

 

「……っ!」

「いかんな、これは……」

 

 つまり、千束も犯人の標的であるという事で。

 そんな彼女は今、たった一人で行動している。その事実が理解できた時、たきなはその場から急いで立ち上がり、更衣室へと走る。ミカは自分の携帯を取り出し、千束に連絡を入れる。

 

『もしもしもしもし〜?』

「千束っ、敵はお前を狙っているぞ!」

 

 数コール後に繋がり、事を知らない千束は呑気なトーンで電話を受け始める。ミカは慌てて事実を伝えようと口を開く。

 ────その、直後であった。

 

 

『え?……っ、えっあ、ちょいちょいちょいちょいちょいちょおい────!』

 

 

 瞬間、車のタイヤがすり減る音、エンジン音が近付くと共に。

 バンッ!と物凄い衝撃音が走り、その後千束の声は聞こえなくなってしまった。

 

 

「……千束?っ、千束っ!?」

 

 

 何度ミカが叫んでも、彼女が返事をする事はなかった。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

(……痛ってぇ)

 

 車に衝突されて、千束の身体は道路に投げ出されてしまっていた。

 どうにか直撃を免れたとはいえど、身体の節々が先程の衝撃で悲鳴を上げている。普段ならいきなりの事でも回避出来たはずなのに、考え事をしていた所為か身体が動かない。

 

(……最近、朔月くんの事ばっか考えてんなぁ……)

 

 なんて、今考える事じゃないけれど。

 千束はうつ伏せで倒れ込んでる中、此方を撥ねた黄色のスポーツカーから、誰かが降りて来るのを察知する。その後ろからも車が数台。停車した後、ドアの開閉音が幾つも聞こえ、ゾロゾロと足音が此方に近付いてくる。

 

 多勢に無勢。複数の犯行。店を出る前にクルミから教えられた、リコリス狩りの犯行に、以前銃取引で引き渡された銃が使われていたという情報。

 そしてミカの先程の連絡から察するに、彼らが銃の取引先でこの一連の騒動の犯人。クルミの仮説は当たっていたという事。

 

 だが、制服を隠していたのに狙われたという事は、特定材料がそれではなかったという事だ。たきなと別れたのは愚策だった……いや、巻き込まなかったと考えれば、それは千束にとっては悪い事ではなかった。

 

「……はっ、分かった分かった」

 

 千束を撥ねた車の運転手が、そう呟きながら近付いてくる。誰かと通信しているのだろうか。その存在感的に、奴が親玉か。

 

(……来る)

 

 千束は動かず、ただうつ伏せのまま奴が近付くのを待つ。そうすると、奴は足を使って千束の身体を仰向けにさせた。

 女性を足蹴にするとは……いや、それは今はどうでもよかった。

 

「……ほぉーん」

「────っ、オラァ!!」

 

 その男が千束の何か(・・)に反応を示した、その瞬間を隙と見た。千束は瞳を見開き勢い良く立ち上がると、目の前の男に自身のポンチョを覆い被せ、直後手元の銃を乱射した。

 

「ぐぁっ……!」

「うわああああっ!!」

「ぐはっ……!」

 

 ポンチョを被せた男の後ろに控えていた、サングラスでツナギの集団全てを非殺傷弾で倒すと、すぐさま千束は踵を返して反対方向へと全力疾走した。

 千束にとっては既視感のある姿をした集団───そう、初めてたきなと仕事をし、誉にリコリスである事がバレてしまった日の、あの時の犯人達と同じ。全てが繋がりつつある感覚を抱きながらも、今は離脱に意識を傾ける。

 

「っ……行け行けぇ!!」

 

「ちっくしょう……ポンチョ盗られたぁ!」

 

 ポンチョを被せていたであろう男が、背後でそう叫ぶ。それを聞き舌打ちをしながらも、脱ぎ捨てたポンチョを名残惜しむが、流石にこの暗闇の中を相手取るには、人数比が悪過ぎる。先程の車の衝突も無傷では無く、今の千束は万全じゃなかった。

 

「……っ!」

 

 走る度、足を行使する度にズキズキと痛む。歯を食いしばりながらも、なんとかその足を緩めずにツナギの集団を引き離す。ここ最近で一番の危機に、人工心臓が力を発揮する。

 

(……ははっ)

 

 ────ああ、なんて皮肉だろうと、危機だというのに笑えてくる。

 自分を生き長らえさせてくれるこの心臓が、存在して良かったと思う場面に出会す度に、彼の顔を思い出してしまうのだから。

 同じ心臓の疾患を持った者同士で、彼の痛みや苦しみを分かってあげられるのは自分だけだったはずなのに。彼の前で、自分は何度も勝手な言葉を投げ掛けて。

 

 ────彼は、どんな気持ちで私の言葉を受け止めていたんだろうか。

 

「……っ?」

 

 ふとその身が光に照らされて、我に返り振り返る。国道を外れて芝が広がる公園へと進路を変えていたのだが、千束のその背後には一台の白いワゴン車が猛スピードで迫って来ていた。

 後部座席の扉を開けてその身を乗り出していたのは、自分を撥ねた車の運転手。暗くてよく見えないが、ボサボサの緑色の髪が風で揺れ、悪魔のような笑みで此方に迫って来る男が視認できた。

 

「また吹っ飛ばしてやるッ!」

「っ……だぁ〜、しっつこいなぁ!」

 

 千束の走る速度、車が迫る速度。追い付くのは時間の問題だった。その車は法定速度お構い無しに迫って来ており、あと数十メートルもしない内に再び千束を撥ね飛ばし、なんなら轢き殺す勢いだ。

 

「……ッ!」

 

 その足を止め、その身を翻す。

 構えた銃は、その車を迎え撃たんとする意志と共に。迫る車の後部座席から、その緑髪の男はリボルバー────チアッパ・ライノを引き絞り、その引き金を引く、その瞬間を視認する。

 

 放たれたその弾丸と、千束の頭が左へ逸らされたのはほぼ同時。紙一重でその弾丸は千束の側頭部を通過し、それを見た男はその表情を驚愕に染めた。

 

「なっ……!?」

 

 その直後、再び千束は銃を乱射する。その車の運転手と、後部座席に座る、あの親玉目掛けて撃ち続けた。フロントガラスが砕け、運転手の驚く声が耳を伝う。命中精度に難アリの非殺傷弾であるが故の強引なやり方。

 

(っ……なんで、今になってこんなに……)

 

 こんなに、彼の事を想ってしまうんだろうか。

 どうしてこんな状況なのに、頭から離れないんだろうか。

 あれだけ避けて、困らせて、距離を置いて、話さない時間が長くなりつつあったはずなのに。

 

 それでも、彼の姿が頭にあるからこそ、この想いがまだ根強く残っているからこそ、この重い引き金を引く躊躇は、今の千束には無かった。

 

(……死ねない)

 

 その拳銃を逸らさない。

 今まで無いほどに集中しているとさえ思えた。最近の中で一番死に近い現状に、久しぶりの焦燥を感じる。

 

 それでも、“やりたい事最優先”のはずの自分が、“したいのに出来てない心残り”が、まだそのままになってしまっているから。

 

「────ッ!」

 

 その引き金を、三度乱射する。

 その弾丸の一つが緑髪の男の脳天を直撃し、その車から投げ出された。ワゴン車は揺れながら、千束のすぐ横を通り過ぎ、そのまま横転した。

 それを流し見ながら、千束は恐らく親玉であろう、先程車から吹き飛ばした男へとその足を忍ばせる。

 

「アンタが一連の襲撃犯?」

 

 銃を突き付けながら、千束はその緑髪の男に近付く。被弾した非殺傷弾の鈍痛から解放されたのか、その男はゆっくりと起き上がると此方を見て振り返った。

 

「……酷ぇじゃねぇか」

「うっわ……」

 

 振り返った奴の目元は血まみれで、暗がりと相まって人相が伺えない程だった。しかし、このまま奴を無力化してDA本部に突き出すか、クリーナーに回収を頼めば一連の騒動はほぼ解決の一途を辿るはず。

 千束は銃を向けたまま、奴の背後を取ろうと回り込んだ────その、瞬間だった。

 

「……っ!?」

 

 その両手首を捕まれ拘束されたかと思えば、そのまま立ち上がった奴の口から何かが吐き出され、同時に千束の視界が塞がれる。

 目を閉じる寸前、赤黒い何かが飛沫を上げて千束の顔面に直撃する。血液を含んだ唾が視界を奪うと同時に、奴の拳が千束の頬に直撃した。

 

「がっ……!?」

「くっははっ……!」

 

 千束はその容赦の無い威力によろめき、身体が傾く。倒れまいと膝を曲げた途端、今度はその足の支えを蹴り飛ばされる。

 倒れ込み、地面に上半身を打ち付け、先程の車の衝撃を身体が思い出して激痛が走る。それを耐えて急いで起き上がると、今度は鳩尾に拳が飛んできた。

 

「かはっ……!」

 

 視界が暗い。何も見えない。焦りと、ほんの僅かな恐怖───いや、違う。今まで感じた事の無い何かが押し寄せてくる。

 

 失われた視界を補うかのように聴力が研ぎ澄まされていき、段々と周りの状況が理解できる。

 

(……っ、これ、マジでヤバいやつ……)

 

 次第にこの場所へと先程のワゴン車が集結してきていて、千束と目の前にいる緑髪の男を囲うように、ツナギの集団が野次馬のように集まってきていた。

 この一方的な蹂躙を、オーディエンスのように笑いながら、楽しみながら、応援しながら観戦している。

 視界を覆う血をどうにか拭い去ろうとしている中でも、拳の応酬は続いていき。

 

「ゴム弾じゃなくっ!実弾にしとけば良かったなぁ!」

「ぐぁっ……!」

 

 左頬に鈍い痛み。その軽い身体が吹き飛ばされ、背中から床に叩き付けられる。周りの男達は緑髪の男の勝ちを確信し、笑って声援を、千束に野次を飛ばしていて。

 

「……()ぅ」

 

 その上体をゆっくりと起こす。久しぶりに感じる痛みの連鎖に、思わず歯を食いしばる。腕が震えて力が上手く伝達していかない。

 そんな中で、ふと顔を上げると、目の前には銃口が向けられていた。

 

「────……」

 

 緑髪の青年は、その瞳をゆっくりと開く。突き付ける銃の焦点を、千束から変えることはない。距離は問題ではないけれど、この体勢で目の前の敵の銃弾が躱せるかどうかは、恐らく千束にとっても未知だった。

 

(痛い……)

 

 この痛みが身体から来るものか、心から生まれたものか、千束には分からなかった。この戦いの最中で何度も呼び起こされる誉の顔を思い出す度に、胸が苦しくなるから。

 

 頭を殴られ続け、脳が揺れるような感覚に陥る。視界が揺らめき、力が入らず、身体を思うように動かせない。この状態で相手の銃が躱せるなんて、そんな事を思えるはずもなくて。

 もしかしたら死ぬかもしれない────そんな予感が、久しぶりに胸に去来した。

 

「……お前の“使命”は何だ」

「────……ぇ」

 

 急に話し掛けられ、思わず声が漏れる。

 問われた言葉の意味が分からず固まっていると、目の前の男は自身の首元を指差して告げる。

 

「それ」

「?……っ」

 

 奴の視線を辿り、自身の胸元を見下ろす。

 そこにあったのは、梟のチャーム。────アラン・チルドレンの証。支援の対価として世界に“使命”を与えられた存在を意味する証である。

 

「……“アラン”のリコリスか。面白いなぁ」

「っ……使命、なんて」

 

 深く、考えた事は無いけれど。

 けれど、朧気にだが覚えてる。自分を助けてくれた人、誰かを助けられるような人に、憧れた感情が残ってる。

 

(……ああ、そうだ)

 

 その“使命”とやらを、今までしっかりと考えた事は無かったけれど。

 千束はきっと、潜在的に、そして本能的に、もっといえば感情的なまでに。

 

 憧れは────“なりたい姿”は、朧気にはあって。

 そして、ごく稀に頭を中を過ぎる“救世主”という言葉。

 

 なりたい姿。やりたい事。在りたい自分。

 それはきっと、ずっと昔からこの胸にあって。

 そして、つい最近その“具体例”に、千束は出会ってしまっていた。他者の“ありがとう”を大切にする、優しい少年の顔。

 

「────……っ」

 

 それを思い出す度、今は後悔しか生まれない。

 心臓の疾患を知る前の言動と、知った後の自分の振る舞い。

 中途半端で、いい加減で、一体何度、彼を傷付けたか分からない。

 

「おっと」

「がっ……!」

 

 立ち上がろうと立てた膝を、即座に蹴り飛ばされる。ただでさえ弱々しい力が逃げ、再びその身をうつ伏せに打ち付けた。

 その瞬間、湧き上がるオーディエンス。周りに味方は居ないのだと、その絶望的な現実を千束に突き付けてくる。

 死がすぐそこにあるのだと、そう突き付けてくるのだ。

 

「悪いな。これも仕事なんでな。逃がさねぇよ」

「────……っ」

 

 あまりにも惨めで、滑稽で。

 情けなくて、泣きそうになる。

 最近、どうしてか今までにないくらいに涙脆くて。

 その原因である彼の事が、ずっと頭から離れなくて。

 

(……死んで、たまるか)

 

 自分は、本来なら既にこの世に居ない人。そう思って生きてきた。だから、そこまで生に執着はしていなかったかもしれないけれど。

 今、千束は明確に“死にたくない”と感じている。生き残って、成さねばならない事が残っていると自覚する。

 誰の所為でこんな風になってしまったんだと、千束は困った様に笑った。

 

 

「……っ、く……」

「へぇ……頑張るな」

 

 

 ────ああ、そうだよ。全部、君の所為なんだよ。

 

 

「……アンタの目的なんて、知らない」

 

 

 そうだ、私は。

 彼に謝るまでは。

 

 

「……まだ、死ねない」

 

 

 彼に、もう一度会うまでは。

 彼に謝って、そして怒られるまでは。

 傷付けた分、彼に傷付けられるまでは。

 

 

「……立て、私」

 

 

 死にたくない。

 また、会いたい。

 “また、明日”を再び口にするまでは。

 

 

 そして────

 

 

 

「────見付けた(チェック)

 

 

 

 その言葉が、喧騒の中ではっきり聞こえた気がした。

 千束と、そして目の前の緑髪の男が、揃って声のした方を向く。

 

 

「シッ────!」

 

「がぁっ……!」

 

 

 ────瞬間、人影が飛び上がり、目の前の男の顔面を思い切り蹴り飛ばしていた。

 緑髪の男はあさっての方向へと吹き飛び、その人影は千束の前にゆっくりと舞い降りて、着地と同時によろめいて。

 

 

「おっとと……やっぱ重いな、この重装備……」

 

「っ……ぁ……」

 

 

 その背に、分不相応なスナイパーライフルを携え。

 その左手には似合わないアサルトライフルを抱え。

 腰のホルスターには、千束とお揃いの拳銃を差し込んで、そんな姿で“彼”は現れた。

 

 

 ────涙が、出そうだった。

 

 

 本当は、千束こそ決めていたのだ。

 明日また会う時には覚悟を決めて、震えながらでも、泣きながらでも今までの事を謝罪しようと。

 例え傷付けられても、怒られても、無視をされても、自分がしてきた事の償いをしようと。

 

 

 そして、“やりたい事最優先”である自分の生き方と、在り方に誓う。

 今まで恥ずかしくて言えずにいて、その度に後悔してを繰り返して居たけれど。

 

 

 もう決して、それ(・・)を告げる事を、躊躇ったりしない。

 

 

 

 

「────大丈夫?千束(・・)

 

「……()……ほまれぇ(・・・・)……!」

 

 

 

 

 ────今度こそ、君のその名を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.25 『 Talent of “Savior”(救いの才能)

 

 

 

 









錦木千束────喫茶リコリコの看板娘。幼稚園の手伝い、日本語学校の講師、暴力団の抗争の手打ち、漫画家へのアドバイス、ボディガードなど多岐にわたる人助けをしている。ただし人助けするのは「依頼された場合のみ」と自らルールを定めている(wiki参照)。
「やりたい事最優先」が座右の銘。それ故に自分を犠牲にしない。自分を優先させつつ周りの人をも一緒に幸せにできる人。
アラン機関に見出されたのは、「殺しの才能」


朔月誉────喫茶リコリコの男性店員。幼稚園の子どもと戯れ、困ってる外国人は多国語(マルチリンガル)で助け、漫画家に原稿の手伝いを任されても対応可能という適応振りだが、この人助けは依頼や仕事とは無関係の、自身の過去や信条に基づくものであり、そこに依頼かどうかの隔たりは無い。
「やりたい事最優先」が信条。千束の在り方に憧れての真似である。しかし彼は自分の身を犠牲にしてるつもりがない。大切な人に報いる事、優先する事こそが彼のやりたい事であり、自分の気持ちを優先した結果である。
母親に見出されたのは、「救いの才能」。なお、詳細は不明である。



  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。