次元だって飛び越える。君の為ならば。
一度見れば、その事象を再現できた。
一度聞けば、その仕組みを理解できた。
検討や施策はほぼ不要。提示された環境に適応するのにそれほど時間は掛からない。一度見聞きした事象や物質の構造、情報を即座に理解し実行、最適解を導き出して完成させる事ができるその才能は、精密機械と呼んでも差異がなかった。
どれだけの事象を体験させ、どれだけの知識を詰め込めるのか、そんな実験にも似た好奇心の怪物は、その才能を調べれば調べる程に、行き着く先の理想を高く掲げた。
これは、“世界に救済を齎す才能”だと。
ある者は、“神になれる才能”だと。
またある者は、“何者にでもなれる才能”だと。
周りがそうして囃し立てるが故に、その才を持つ少年もそう在るべきなのだと、心のどこかで覚悟していた。学問、スポーツ、音楽、芸術、ありとあらゆる分野を突き詰めるだけの日々の中ではあったけれど。
できる事が増える度に肉親に褒められる事、そして身に付いたものが他者に還元された時、『ありがとう』と微笑んでくれる人の笑顔が少年は好きだった。
────総じてそれは、“救いの才能”だと、誰かが言った。
だから、そう在るべきなのだと。
これは自分が好きで、望んだ事なのだと。
そう在りたいんだと、そう言い聞かせるように。
『何にでもなれる』と、呟くそれは呪いのように。
だから、自分がそう在る事を望んでいると思っていた存在から、その才能の使い方を、思いの丈を綴られた時の事を、今でも覚えてる。
周りとは違う言葉を、
曰く、それは“抱いた理想を実現できる才能”だと。
曰く、“なりたい自分になれる才能”なのだと。
その当時、少年に自身の才能について自覚があったのかどうかは分からない。
けれど、それでも。
『貴方は何にでもなれる。だから何にも縛られず、なりたい自分になって良いんだよ?』
────そう言って笑った彼女の顔を、少年は決して忘れない。
●〇●〇
「……ほま、れ……」
「……なんて顔してんの」
今にも泣きそうな、情けない顔をした最強のリコリス。誉は小さく苦笑しながら、へたり込んで此方を見上げる彼女の表情と、その瞳を見つめる。ここ最近で何度も逸らされていたその瞳と自身の瞳が、久方振りに交わった気がした。
(……思ったより元気そうで良かった)
千束の無事を確認し、すぐさま視線を周りに切り替える。突然の乱入者に驚いたのか、周りのツナギでサングラスの集団は互いに顔を見合せて狼狽えている。千束を助ける為に蹴り飛ばした緑髪の男はまだ横たわっており、彼の指示待ちなのか拳銃を取り出す奴は居ても襲ってくる輩は居ない。
「耳抑えてて、千束」
「え……」
千束の返事を聞かずして、誉は瞬時にアサルトライフルを構え、此方を円を描く様にして囲う集団の、その足元に向けた。
奴らが驚くのと、千束の口から驚愕の声が漏れるのはほぼ同時で、しかしそれら全てが今から誉によって放たれる銃声によって掻き消された。
「────っ!」
両手で構え、引き金を引く。瞬間、誉のアサルトライフルは
(くそ、難しいっ……あくまで牽制、当てるなよ俺……!)
それを視認した誉は、反動と次弾発射までの間隔を頭に刷り込みながら構えと弾道を修正していく。次第に連射されたその弾丸は彼らの足元へと軌道が正確に修正された。近付こうとする者の足元は銃弾によって土煙が舞い、迫ろうとする輩全てを牽制する。
殺す気も、傷付ける気も毛頭ない。誰も傷付けずに彼女を救おうだなんて、傲慢だろうか。
「痛ってぇ……うわ、何この威力肩外れそう」
「ちょ、ちょいちょいちょい!待て待て待て!」
「ん?」
彼らが揃って腰を抜かすのを確認し、誉はアサルトライフルを下ろした。見たところ誰も怪我はしてなさそうだ。安心して胸を撫で下ろす。
アサルトライフル初めて撃ったけど、使えそうで良かった……なんてこの場で考える事じゃない感想が頭の中を過ぎっていると、後ろから千束が大きな声で此方を静止した。
「涙引っ込んだわ!え、何その銃、どっから持ってきたの!?」
「ああ、これ?この人達の車、ドア全開でさ。なんかいっぱいあったから借りてきた」
「危ないって!使った事無いでしょ!?」
「大丈夫、最近ゲーセンで射撃ゲームやったから。ただ銃横に振っても
「言ってる事ヤバいんだけど……」
────千束は、気が付けば心にゆとりが生まれていた。
この緊迫した状況の中で、唯一普段と変わらない態度。その姿に安堵もするし、不安もする。けれど千束にとっては、一般人である彼のその背がこの瞬間においては何よりも頼もしくて。
何故此処にいるのか分からない。けれど、彼が危険な場所に居る事に怒ったり、逃げてと叫ばなければならない状況なのに、その姿を見て千束は安堵してしまっていた。
周りはリコリス狩りの犯人集団で多勢に無勢、離脱は絶望的だというのに、それらの理不尽や恐怖の感情全てを押し退けて、自分の為に来てくれたのかと思うと、どうにも堪らなかった。
改めて誉を見上げると、その背には自身の身体と同じくらいの背丈があるスナイパーライフルを背負い、左手には黒く質量のあるアサルトライフル。立ってるだけなのにふらついている様に見える辺り、現状誉が扱えるかは怪しい。
だが、腰のホルスターには千束と同じ拳銃────デトニクスコンバットマスター。
「……その、銃……」
「そ、お揃い。なんか良いでしょ?」
「……っ!」
戦場の中心に立っているとは思えない程に、屈託の無い笑み。千束と同じ物を持っている事に嬉しさを感じているだけのような、そんな表情。
こんなときに話す事じゃないし、場違いにも程がある。それなのに、何故か安心して、嬉しくなってしまいそうになって。
「っ……千束……?」
「ぇ……ぁ……」
────気が付けば、再びその頬から一筋の涙が滴り落ちていた。
誉だけでなく千束自身も驚き、千束は目を見開きながらも濡れた頬に触れて、慌てて制服の裾で強く拭う。
「え……ええっ!?ナンデ!?ナンデ泣イテンノ!?」
「っ……えっ、や……泣いてないしっ……!ちょっ、もうこっち見んなっ!」
「理不尽」
駄目なのに。巻き込んではいけなかったのに。喜んではいけないのに。こんな状況なのにも関わらず、彼とこうして会話を交わせるのが、こんなにも楽しくて、嬉しくなるものだなんて、知らなかったから。
「……痛ってぇな……」
「────っ」
その声を耳にして、千束は顔を上げる。誉も同時に視線を前に戻し、左手に持ったアサルトライフルを構え直す。その銃口の先には、緑髪で目元が血塗れの高身長の青年が、立ち上がって此方を睨み付けていて。
その男は小さく息を吐き出すと、その瞳を見開いて誉を見据える。彼を見るその視線は鋭く、殺意さえも感じた気がした。
「……で?何、お前」
「何って……彼女の友達だけど」
「んだそりゃ、ヒーロー気取りかよ」
「そっちこそ、その髪の色何?天然?小学校ん時のあだ名はマリモかブロッコリーかな?」
────何故煽る。
千束は信じられないと言わんばかりの顔で誉を見上げる。彼は調べる限りでは裏の世界に精通していない戦闘経験皆無の正真正銘の一般人であり、目の前のような光景に晒される事など、人生においてほぼ無かったといえるはず。
にも関わらず目の前の男に物怖じせず、なんなら煽ってる始末である。彼の思考回路というか、精神構造はどうなっているのだろうか。
「……良いとこなんだから邪魔すんなよ」
「言っとくけど、女の子一人に野郎数十人で囲うって、絵面と字面ヤバいかんね?」
「そりゃ勘違いだ。仲間には手ぇ出させてねぇよ?」
「よく言うよ、さっきまで全員で追い掛け回してたじゃんか。車まで使って……
「ハッ、言うじゃねぇの」
ケタケタ笑う男相手に、変わらず言葉を重ねる誉。
目の前にいるような奴に煽った態度を取る事が、後々どういう末路に繋がるかを想像し、焦った千束は誉の服の裾を背後から引っ張る。
それに気付いて、誉は眉を顰めながら視線は変えず、彼女に顔半分だけ向けて口を開いた。
「……ちょ、何。今カッコつけてるとこなんだけど」
「何相手煽ってんの!?カッコつけるタイミング違うから!」
「や、ほら、俺戦闘経験皆無の素人だからさ。バレないように強がってないと」
「もうその発言がカッコ悪い……」
頭を抱える千束に、首を傾げる誉。
その漫才のようなやり取りに、目の前の男は軽く笑う。
「お前もDA関係者か?……の割には、あんま強そうじゃねぇな。ホントに素人かよ」
「まあ、お茶汲みで採用されてるからね。因みに得意なのは珈琲」
「茶じゃねぇのかよ」
「今引き上げるなら飲ませてやっても良いよ?」
「遠慮しとくわ。苦いのダメなんだ」
「何だ素人か。珈琲ってのは焙煎の方法や技術でその豆の持つ甘さを引き出す事もできるんだぞ。俺なんて今絶賛修行中で」
「聞いてねぇよ」
何故か会話が弾んでいるという不思議な空気。
というかこの男、何故お茶汲みだのDA関係者だのと、嘘がポンポン出てくるのだろうか。千束は、あまりにも物怖じしなさ過ぎる誉の図太さに唖然としていた。
「てか、苦いのは俺も苦手なんだ。仲良くなれそう」
「それでよく珈琲が得意だなんて言えたなマジで……ハッ」
だが目の前の緑髪の男もその会話をある程度楽しんだのからか、もしくは飽きたのか、やがて小さく息を吐き出すとその笑みを表情から消し、瞳を細めて誉を睨み付けた。
「……生憎お前に用はねぇんだわ。そこを退け」
「え、
その言葉を最後まで聞いた瞬間、男は腕を上げ、銃口を向けた。その先に立つのは、誉。
千束が目を見開き声を上げるよりも先に、その男は瞳を細め、その引き金に指を掛けた。
「いいから、退けよ」
────銃声が鳴る、そのコンマ数秒前。
誉が反射的にその首を右に傾ける。直後引き切ったその引き金と共に銃声が鳴り響き、音速の弾丸が誉のその頬を掠めていった。
先程まで誉の頭蓋があったその位置を誤差無く通過する弾丸を横目で流す彼を、その緑髪の男と────何より千束は、目を見開いて見上げた。
この至近距離から、
千束同様の神技をやってのけた誉は、その男に向かって不敵に笑った。
「────やだね」
Episode.26 『
●〇●〇
「すげっ……お前も躱すのかよ……!」
「躱してねぇよ掠ったよっ
緑髪の男が不気味な笑みを浮かべるのを横目に、左頬の突き刺すような痛みを耐えるように歯を食いしばった。
その部分からは生暖かい何かが滴り落ちる。見なくても流血だと分かる程の痛みに、掠ったとは言ったが思いの外、傷が深かった事を理解する。
「やっぱ筋肉の機微とか一回見ただけじゃ、判断なんて付かないって……!」
千束が普段から任務でそうやって銃弾を躱していると聞いてから、その難しさを今こうして体感すると、改めて意味不明だと苦笑する。
自分にもできるかなんて、軽い気持ちでぶっつけ本番でやるのではなかった。千束が普段から、想像以上にギリギリな戦い方してる事に驚きを禁じ得ない。
「え……え、え?い、今、銃躱した……?」
「や、ちょっと掠ったって。やっぱ避けんの無理ゲー……」
「か、掠ったって……」
千束は知る由もないが、今のは誉がミカとミズキの話を聞いて実行した、千束流の銃弾の躱し方である。だが、筋肉や服の動きから行動を予測するのは、現段階で経験の浅い誉には難しかった。
以前にも、誉は“サイレント・ジン”との戦闘で銃弾を鉄パイプで弾いたり、銃弾を躱すという離れ技をやってのけたが、あれにはカラクリがある。
あれは戦闘技術の
逆に言えば集団相手や、戦い方に一貫性の無い相手にはまるで効果が無い。今回が正にそれだ。
目の前の緑髪の男からは、ジンのような基本に忠実な動きや思考を第一印象からは感じない。どちらかというと搦手も使うラフファイトが得意な印象すら感じる。こういう自由さが武器の相手は予測が難しい。
故に千束の躱し方は参考になると思ったのだが……既に一発掠ってしまって正直かなり痛かった。
「……な、なに?」
「……や、別に」
珈琲の味だけでなく、専門外である戦闘の部分においても、誉は千束に劣っているのがなんとなく悔しいが、それとは別にそのスキルを使ってジャンケンでイカサマしてた事に関しては、誉はまだ根に持っていた。
「っ────!」
「なっ……!?」
すかさず一発、今度は千束とお揃いの拳銃を放つ。瞬間、緑髪の男が此方に向けていた拳銃へ着弾し、それは奴の手元から弾かれ離れ、放物線を描いて後方へと吹き飛ぶ。
たきなに勝るとも劣らない命中精度に、千束は唖然とする。跳ね飛ばされた拳銃を最後まで眺めていた緑髪の男は、本当に楽しそうに笑いながら此方に向き直り、震える声で呟いた。
「ハッ……恐れ入ったぜ。お茶汲みはハッタリかよ」
「や、それはあながち嘘じゃないよ。俺DAでもリコリスでもないし、アサルトなんて、今日初めて使った」
「マジかよ凄ぇな。ならお前もそこのリコリスと
緑髪の男はそう言うと、周りの仲間に向けて首を傾ける形で指示を出す。瞬間、誉の牽制で倒れていた彼らは揃って全員が体勢を立て直し、各々が銃火器を構え始める。
「……凄い数の銃だけど、ひょっとして以前の銃取引現場に居たのってアンタなの?」
「なんだ知ってんのか。なら分かってんだろ?俺達がどれほどの銃を持っているか。この人数じゃ勝ち目無いぜ?」
両腕を広げて笑みを浮かべる彼を見て、誉は小さく息を吐き、ゲンナリした表情で呟いた。
「なんだよ、結局数に物言わせるんじゃんか。バランス考えろバランス」
「先にそれを傾けたのはお前らDAだろ?俺は帳尻を合わせてるだけだ」
「ふーん……よく分からないけど、犯罪者なりの正義とか美学ってやつ?ちゃんと聞いてないし、真っ向から否定したりはしないけど」
誉はアサルトライフルを左手に、そして千束と同じ拳銃を右手に構えた。真っ直ぐに奴を見据えて、同様に広げる両腕は後ろにいる千束を守るかの如く。
「彼女には指一本触れさせない。何人居ようが多勢に無勢だろうが、そんなのは関係無いんだよ」
「……っ」
────その背が、あまりにも頼もしかった。
次第に弱っていき、死の予感さえ近付いていた千束の心を、その言葉の一つ一つが優しく温めてくれる。彼はただの十七歳の青年で、DAともリコリスとも関係が無い普通の人間だ。
それに彼は心臓に病気を患っていて、それを抜きにしてもこの場に居るべき人間ではないというのに。どうして、こんなにも頼もしい。
「なら見せてみろよ、ヒーロー。こっからの逆転劇」
「……っ」
緑髪の男のその言葉を皮切りに、周りの連中が持っていた銃器の銃口をこちらに向けてくる。全方位からの掃射は流石に避けられないし対処もできない。
それでも誉は顔色一つ変えずに、銃を構えて張り詰める。その表情は真剣そのもので、後ろで座り込むだけの千束でさえ息を呑んだ。
────その瞬間だった。
「ぐぁっ!」
「ぎゃあ!」
「あ、足がぁ……!」
「どっからだ!?」
その男の後方で、集団が急に弾かれたように次々と悲鳴を倒れ始めた。緑髪の男も、誉も千束も我に返り、その悲鳴のする方へと視線を向ける。
見ると、そこには血を流し倒れる男達が痛みに耐えるように歯を食いしばっていた。
「……発砲?」
よく見れば、彼らは全て急所を的確に外されたうえで無力化されていた。撃たれてる事を理解した残りの人間は、辛うじて車の影へと逃げ込むように移動を始め、何処からともなく襲ってきた銃撃に備えて警戒を始める。
そして、その正確な射撃が誰のものかを、相棒である千束は理解していた。
「たきな……!」
「え、マジ?タイミング神過ぎ流石かよ……!」
ならば、逃走用の車も用意してるはず。目の前の緑髪の男を引き離せば逃走が可能だと瞬時に理解した誉は、即座にホルスターに拳銃を仕舞うと、左手のアサルトライフルを構え直し、目の前の光景に唖然としていた緑髪の男に向けた。
「っ……チィ!」
それに逸早く気が付いた奴は、舌打ちしながら車を盾にするべく横に走り出し、誉はその足元を追い掛ける様にアサルトライフルを連射する。勿論、敢えて当てない様に。
「千束!」
「……!」
奴がワゴン車の影に隠れたのと同時に、誉は振り返って千束へと右腕を伸ばす。この乱戦の中でも、彼の柔らかな笑みは変わらなかった。
「一緒に帰ろう!」
「……うんっ!」
千束は小さく笑って、地面に転がっていた自分の拳銃を回収してから、誉のその手を取った。固く握り締め、結ばれたその指に力を込めて立ち上がると、同時に後方から赤いスバルのフォレスター。
「ミズキだ!行こう誉!」
「分かった!……これ重っ!」
「もう置いてけそれっ!」
「くそ、一回使ってみたかったのに……」
誉は背中のスナイパーライフルを泣く泣く降ろし、千束の背中を追うように走る。ついぞ使われる事はなかったが、使わなくても問題無いのならそれに越したことは無い。
やがてミズキが車を止めると、後部座席の扉が開く。そこには焦った表情のミカが、めいいっぱいにその腕を伸ばす。
「うわ、ミカさんまで居る」
「千束、朔月くん、早く乗れ!」
「と、りゃあっ!!」
千束は両腕を伸ばして頭から後部座席に飛び込み、誉はそれを確認してから振る。
姿は見えない。だが集団が倒れる方向の逆の位置から撃ってるのは明確。たきなが居るであろう方角に向かって、ありったけで叫ぶ。
「たきな、もう大丈夫だ!早く帰ろう!」
「“帰ろう”って……こういう時は、“逃げる”って言うんですよ!」
たきなは茂みから飛び出し、此方へと向かってくる。
それを視認した誉は、助手席の扉を勢い良く開けて素早く乗り込み、たきなは千束同様に後部座席へと頭からダイブした。たきなが乗り込んだのを確認し、ミカがすかさず扉を閉める。
「むぐっ……!?」
「せ、狭い……!」
「詰めてください……!」
「後ろの二人、ちゃんとシートベルトしなよ」
「言ってる場合か!」
「ミズキ、出してくれ!」
「バッチこい!」
後部座席が詰め詰めの状態のまま、ミズキがアクセルを吹かす。凡そ公園内で出していいレベルじゃない速度で車が走り出す。
外傷の無いツナギの集団が、一斉に此方に向かって銃撃を繰り返し、その弾丸を弾きながら車が走り出す。
「逃がすかよっ!」
緑髪の男の怒声にも似た声が僅かに聞こえる。誉は集団の射線から車が外れたタイミングで助手席の窓を全開にし、アサルトライフルを構え直す。
「────っ!」
ミズキの運転する車の真正面から、白のワゴン車の一台が突っ込んでくる。よく目を凝らせば、運転席に人が乗っておらず、猛スピードで迫って来ていた。
使い捨て、自滅覚悟の特攻だ。
慌ててハンドルを切るミズキを横目に、誉は上半身を窓の外へと預け、ライフルを向かいのワゴン車のタイヤへと向ける。
「なっ、朔月くん危ないわよ!」
「────チェック」
ミズキの制止を聞かず、アサルトライフルを発砲。
瞬間、目の前のワゴン車の左前のタイヤが破裂し、勢い良く空気が抜ける音と共に火花を散らしながら左側へと逸れていく。
慌ててハンドルを切っていたミズキの運転もあって、ぶつかる事無く各車はすれ違い、そのまま誉達は逃走経路を辿り始める。
「っ、ちょ、ハアッ!?」
「……凄い」
誉がワゴン車のタイヤをパンクさせたその命中精度と技術に、運転手のミズキと後部座席のたきなが唖然とする。ミカも目を丸くして誉を見つめ、当人は我関せずで小さく息を吐いていた。
しかし、それも束の間。通信機からドローンで状況のモニターをしていたクルミから最悪の報告が。
『ヤバいので狙われてるぞ』
その声を耳に各々が振り返ると、未だ此方に発砲してきている集団の中で一人、明らかに拳銃やライフルとは違う筒状の物を肩に担ぎ、此方に向けてきていた。
「……何あの太い排水管みたいなやつ」
「ランチャーだよランチャー!ロケットランチャー!」
誉の素朴な疑問に千束が慌てた様に答える。
そして、後部座席で身を乗り出して迎撃していたたきなが座席へと戻り、追加で最悪な報告をしてきた。
「っ、弾切れです……!」
「ひいいぃぃぃっ!!」
それを聞いて、千束が半ばヤケ気味に銃を乱射する。数打ちゃ当たる戦法なのか、これでもかと連射しているが、命中精度に難ありの弾を使ってるだけに全く当たる予感が無い。
「あああああぁぁ駄目だヤバいヤバいヤバいヤバい!!」
千束の焦った様な叫びが車内に轟く。
向かい合う様な形で、進行方向先で待ち構えるロケットランチャー。その少し離れたところには、この集団を指揮しているであろう緑髪の男の姿も視認できる。
「……100mくらいか」
「誉さん……?」
誉は再び助手席の窓から顔を出し、車の速度とランチャーを持つ人間、緑髪の男との距離を推し量る。
そして、アサルトライフル────を捨て、デトニクスコンバットマスターを右手に構えた。
「ミズキさん、速度上げて!!」
「ちょ、アンタまたっ……!何する気なのよ!?」
「いいから!」
誉の声にミズキやミカ、千束の肩が震える。その一瞬を突くように、たきながその背を後押しした。
「ミズキさん!誉さんの言う通りに!」
「〜〜〜っ、分かったわよ!!」
どうにでもなれ、と言わんばかりの表情でミズキがアクセルを踏み抜く。速度を表示するパラメータが右に振り切り、ランチャーを持つ敵との距離が縮まっていく。
「────弾道を再補正」
何度も告げてきたそれは、詠唱の様に。
「────風向きと移動速度の修正」
風力と風向き、そして乗車による移動速度と揺れを含めて再演算。
「
徐々に近付いてく双方の距離。それさえも、焦る要因にはなり得ない。ただ集中し、そのタイミングで穿つ、ただそれだけの為に。
「目を背けず」
決して、目の前の事から逃げずに。
「狙いは違わず」
決して、目的と手段を履き違えずに。
「────不殺を心に」
決して、人を傷付け、殺す事はせずに。
「────Forget-me-not」
────そのランチャーが放たれたその瞬間に、誉は引き金を引いた。
続け様に数発、反動でブレる事無く連射する。車の揺れも、常識外れな運転速度も、目の前の理不尽な攻撃にも臆する事無く。
そして、その弾丸全てが吸い込まれるようにランチャーの弾へと向かっていき、やがて激突して火花を散らす。
そしてその後方には緑髪の男の、驚愕に満ちた表情が垣間見えた。
「な────」
瞬間、緑髪の男とその集団────そして、誉達の車の丁度中間地点でランチャーの弾が地面に落下して暴発し、その爆風が炎と共に広がり始めた。
盛大な爆発。ミズキが全力でハンドルを回し、黒い煙を躱す様にして爆炎の外側を走り、爆発に巻き込まれた連中を置き去りにする様に逃走する。
爆炎に巻き込まれた集団は、されど大きな怪我はしてないように見えた。誉は細心の注意を払って、奴らが怪我をしない、かつ此方を追う事もできない威力をお見舞し、連中全てを爆風で吹き飛ばし、無力化したのだと理解する。
「……うっそぉ……」
千束は開いた口が塞がらず、次第に離れていく爆炎を眺めていた。ミカも同様に驚いた表情のまま、その場所から目を逸らせないでいた。
ミズキもバックミラーからその光景を眺め、信じられないと言わんばかりに誉へと視線を向けた。
「……はぁ、危なかったぁ」
「誉さん……」
我関せずに、小さく息を吐き出す誉。
それを、彼の戦闘を一度だけ間近で見た事があるたきなだけが、驚く事も無く、ただ黙って見つめていた。
●○●○
「うぅ……」
「……」
リコリコに戻ってすぐ、クルミは店内の客間の中心で正座して項垂れていた。床に直である。彼女の目の前には無表情で直立するたきなの姿が。
後方のカウンターではジョッキで酒盛りするミズキ、座敷の席の方には千束と、彼女の傷を治療するミカ、そして二階に続く階段に誉が腰掛けていた。
「
ミカに包帯を巻かれる度に、腕に痛みが走り苦い顔をする千束。治療されつつ今回の事の顛末を聞いた千束と誉は、一先ず今回の事に納得がいった。
事件はたきなが問題を起こした、銃取引現場に遡る。あの日、DAの頭脳とも呼べる、全てのインフラを司る人工知能《ラジアータ》が何者かによってハッキングされ、その為に通信障害とそれに伴う指示の遅れで現場を抑える事に失敗し、その隠蔽としてたきなが責任を押し付けられる形になった。
そのハッキングをしていた張本人というのが────目の前のウォールナット。
「つまり、全部コイツが原因って事」
「何だよ、助けてやっただろぉ……!?」
ミズキの雑な、しかし告げられた事実にバツが悪そうに返事をするクルミ。そう言い返す声には覇気がなく、なんだか弱々しくて。
こんな彼女を、誉は初めて目の当たりにしていた。
「たきな〜?アンタは被害者なんだから、いったれいったれ!」
「どーすんのぉ、たきな?やっちまうかぁ?」
ミズキと千束が煽りに煽り、何故か楽しそう。今回傷を負ったはずの千束は、そんなクルミの正体と事の経緯を聞いても特段怒ったりはしておらず、気にしてなさそうだった。
「千束ぉ……」
だからこそたきなを煽る千束に言い返す事も出来ず、縋るような声を絞り出すクルミ。しかし言い逃れや言い訳、そう言った逃避の考えを改めたのか、クルミは顔を上げてたきなに向き直り、ただ純粋に頭を下げた。
「っ……ごめん、たきな!」
店内に響き渡る程の謝罪。そこには大人びた普段の印象も、人を揶揄う時の様な巫山戯た表情も無く、ただ彼女に申し訳が無くて、許してもらおうと謝罪する、その為だけの行為をするクルミの姿があった。
やがてその沈黙を割るように、たきなが息を漏らす。視線を向ければ、そこには小さく口元を緩めた彼女が居た。
「……あれは私の行動の結果で、クルミの所為じゃありません」
それを聞いて、千束とミカは顔を見合せて笑い合う。ミズキは面白くなさそうに、ただ何も言わずジョッキを仰いだ。てっきり怒ると思っていただけに、あっさりとクルミを許すたきなの姿に成長を感じて、誉は小さく笑った。
「でもアイツは捕まえる。最後まで協力して貰いますよ」
「勿論だ!早速だが、奴の名前が分かったぞ!」
許して貰ったと理解してから、クルミの表情はより一層明るくなった。そうしていそいそとタブレットPCを取り出して、楽しそうに情報を提示する。
何だ何だと、誉以外のメンバーが一斉にクルミの開いたPCの画面に近付くと、そこに映っていたのはドローンが撮影した録画映像。
千束をいたぶる緑髪の男を応援する様に声を上げる、楽しげなツナギの集団が居た。その内の一人が、その緑髪の男に向かって『真島さーん!』と声を掛ける。
「……真島、か」
「先生知ってる?」
「いや……クルミ、奴の顔は」
「カメラには顔がちゃんと映ってなかった。千束と誉は奴の顔、はっきり見てるだろ。特徴は?」
そうクルミに問われ、千束が腕を組んで唸る。
ぶっちゃけ千束が難しい顔で考え始めた瞬間『当てにならなそう』と誰もが思った。
「えーとぉ……髪が緑っぽくてぇ……天パっぽくてぇ……あと、目付きが悪い」
「アバウトが過ぎるな……朔月くんは?」
ミカにそう投げられ、千束を含めた全員の視線が集まる。誉は一瞬緊張で息を呑み、やがて顔を下に向けて奴の顔を思い出す。
「え、と……錦木と、ほぼ一緒です。ただ……」
「ただ?」
「……目元に手術痕があった。先天的に視力が無かった可能性があると思います。五感は何かが失っていると、他の感覚が優れる傾向にある。俺が錦木を助けようと飛び出したのに気付いてた節もあって……もしかしたら、聴覚が優れてるのかも」
「……成程な」
千束以上に有力な情報を伝えてくれた誉に、一同が感嘆とする。そして同時に、此処に来るまでに誰も触れて来なかった疑問が浮上し始め、それを気になったミズキが、逸早く口を開いた。
「……で?そもそも、何で朔月くんがあの場所に居たのよ?帰ったんじゃなかったの?」
────空気が引き締まるのを誰もが感じた。
そう、そもそもの話、千束が出掛けた後すぐに帰路に立ったはずの誉が、事の経緯を知る術は何処にも無い。彼が帰る振りをして立ち聞きしていた線もあるが、それをする理由が無いし、車で千束の元へ向かっていたたきな達よりも千束の居る現場に到着するのが早かった。
「え、や、そうですけど……錦木が襲われてるの知ったから」
「だから、何でそれを知ってたのよ」
「……えと」
誉は、視線をあちこちへと移動させる。
ミズキから逸らしてミカ、クルミ、たきな、そして千束。誰もがその答えを求めていて、けど聞けずにいた。それをミズキが問い出してくれた事で、その解を聞けるところまで来た。
けれど、誉はずっと歯切れが悪く俯くだけ。それを見て、思わず千束は立ち上がった。
「い、良いじゃん別に!朔月くんは私を助けてくれたんだし、今回は何事も無かったんだから……」
「何言ってんのよ、アンタが一番彼を巻き込みたくなかったんでしょうが」
「そ、れは……そう、なんだけど……」
今まで誉を巻き込みたくなくて、彼をDAやリコリスの事件に関わらせない様にしてきた。結果的に彼を巻き込み、心臓の病気を知らされて、余計に巻き込ませる訳にはいかなくて。
今回、此方が何も教えてなくても現場に来た誉。何か、彼が事件を知る手段があったのなら、今後はその要因を徹底的に排除しなければならない。誉に余生を少しでも安全に過ごして貰う為に、それが一番の筈なのに。
助けて貰ったからだろうか。それに対する情なのだろうか。彼が困っているなら、助けないといけないと、身体が勝手に動いてしまって。
けれど、誉を巻き込みたくない気持ちも、変わらず此処にあって。千束は、結局ミズキに言い返せずに俯いてしまう。
「……あー、えと、怒らないって約束してくれます?」
「そんなん内容によるわよ……え、何、まさか盗聴器とか仕込んでんの?」
「や、そんなヤバい事してないですよ」
しかし、千束の気持ちとは裏腹に、誉は思ったよりもあっけらかんとしていた。申し訳なさそうというよりかは、少し苦笑気味で。
もしかしたら、やはりたきな達の会話を偶然聞いてしまって、それで助けに行こうとしてくれたのか────
「……クルミのPCハッキングしました」
「ハアッ!?」
「もっとやべぇわ」
────予想の斜め上の解答だった。
千束 「朔月くん、ハッキングできんの……!?」
誉 「あんま高度な事出来ないけど……クルミのPC覗き見るくらいなら」
たきな 「充分過ぎるのでは……というか、何故できるんですか!」
誉 「や、クルミに教えて貰ってたから……」
ミズキ 「つまり、またアンタが原因って事じゃない!」
クルミ 「」
ミカ 「立ったまま気絶している……!」