鼓動が早くなり、弱くなり、溶けて消えてしまう前に。
Ep.28 Temporary daily life
思い出す、死と隣り合わせの日常を。
何も無い平穏な日常を繰り返していると、ふと地獄の日々を夢に見る。
────胸を、強く握り締める。
呼吸、が、段々と早く。
身体に、ちから、が入らない。
目の前が、暗く、黒く、染まっていく。
心臓の鼓動がうるさい。胸が、痛い。苦しい、辛い。
あ、これ、ダメなやつ、かもしれな────
────“⬛︎⬛︎夫、大丈⬛︎⬛︎から”
「────……っ」
声がくぐもって、よく聞こえない。
ただ、誰かが自分に声を掛けてくれている。我に返ったように、ゆっくりと顔を上げると、誰もいない。気の所為か、空耳なのか。
けれど、ずっと前から知っている声。酷く懐かしさを覚える、優しい声音。
ああ、思い出した。遠く昔の記憶だ、これは。
いつかの日に、死の淵にまで陥った自分に、これでもかと寄り添ってくれた家族の声。何故、今またその声が聞こえるのだろうか。
自分が、かつての過去と同じ状態になりつつあるからだろうか。
『⬛︎、さん……俺、死ぬの……?』
────“⬛︎⬛︎なこと⬛︎い、大丈⬛︎だよ”
朧気に、ところどころ霞んで消えかかっていても、その声の主が分かる。何度も、何度も何度も、自棄になる自分に在り方を諭してくれた存在の声。
『でも、⬛︎も苦しいし、⬛︎⬛︎もできない……⬛︎んじゃうよ……』
────“平⬛︎よ、きっと。⬛︎⬛︎、いつもみた⬛︎に想像して?強⬛︎自⬛︎を、病⬛︎なんかに負⬛︎ない⬛︎分を”
弱い自分を認めない。強く在ろうとする心を持つ事を、いつだってその身をもって教えてくれた、優しい人の声。
『む、無理だよ……だって、こんなにも⬛︎い……こんなにも、⬛︎しいんだ……』
────“大丈夫。大丈夫”
『……どうして。どうして、そんな事が分かるの?』
────“だって、⬛︎⬛︎は、
慰めと、励ましの言葉。だが決して、それらの言葉は無責任に放たれたものではなかった。
いつだって、自分の事を考えてくれて、優しい笑顔を向けてくれた、家族の声。
────“忘れないで。貴方は、何にでもなれる。これくらいじゃ死なないわ”
それは今も胸の中に刻まれている、その言葉。何度も胸の奥で反芻する。歌うように、呪うように。
望めば、何者にもなれる。想像次第で、強くも弱くも自分を変えられる。なりたい自分になれるのだと、死ぬまで自分に教え続けてた存在────
『ふざけるな』
────その怒声と共に、目の前の病院食を思い切り振り払った。
綺麗に配膳された健康食は床へ散らばり、清掃された床を汚していく。静寂を裂くように食器が床に打ち付けられる音と、目の前に立つ女性の僅かながらに漏れる吐息。
『っ……そんな、聞こえの良い言葉ばかり並べて……“何にでもなれる”なんて、そんな言葉、励ましでもなんでもない……』
『────……』
『呪いだよ、俺にとっては』
目の前の女性は、何も答えない。
肩を上下させる、俺の荒い呼吸と震える声だけがこの部屋に響く。苛立ちや怒り、悔しさ、悲しみ、形容し難い感情の固まりが脳を支配し、己を突き動かしていた。
まともに運動を許されず、筋肉が衰え、歩く事さえままならない程に自由を失って。病院のベッドの上で駄々をこねるだけの、望まれた姿とは程遠い惨めな姿がなんとも情けなくて。
それが、八つ当たりだと分かっていたけれど。
それが、目の前の彼女の“罪”だと理解しているから。
『何がっ、“
『────……』
『アンタにとっての俺は、ただの
その先は伝えてはいけないと分かっていた。けど、あまりにも毎日が苦痛過ぎて、死んでいないだけで生きてるとはいえない毎日を重ね過ぎて、どうにかなりそうだったのだ。
いつ死ぬか分からない身体も、外に出る事も許されない事情も、望んだ姿になれなかったのも、何もかも、何もかもが。
『全部全部っ……アンタの所為じゃないかっ……!!』
『────……っ』
────俺は。
母親のその涙の理由を、最後まで聞けなかった。
Episode.28 『
●○●○
それは、とあるリコリコでの一日。
リコリコは基本的にリコリスの仕事とお店の
そういった事もあり、常連のお客さんが居ない時なんかは暇の時間が長く続くタイミングもある訳で、現在の客間では俺を含めて錦木、ミズキさん、クルミの四人が、仕事とは名ばかりの時間を費やしていた。
「ミズキー!!」
そんな中、静かな空気を裂くのはやはりこの店一番のハイテンション看板娘、錦木千束な訳で。
暇過ぎてテーブルと窓の拭き掃除をしていた俺はその大きな声でビクリと肩を震わせた。ビックリして布巾落としちゃったよもう……何急に。
視線を向ければ、カウンターの椅子に腰掛けるクルミと、ミズキさんが呆れた顔で錦木の次の言葉を待ち受けていた。
「なんで教えちゃうかなぁ、ジャンケンの秘密」
「不公平じゃない。賭け事はバランスがあってなのよー」
「え〜、もーっ!たきなとの同棲がかかってたっていうのにぃ〜ッ!」
「あんたねぇ……」
ジャンケンの秘密……ああ、そういえばたきなと共同生活してた時に家事分担をジャンケンで決めてたんだっけか。その際、錦木は並外れた洞察力で相手の次の動作を予測できる天才で、その能力でジャンケンに勝利しているという話をミズキさんから聞いたんだった。
ミズキさんがたきなと俺にそれをバラした事で不貞腐れてるのか。えっ、小さっ……器っ……小さっ……。
「……てか錦木、ズルしてる自覚あったんだ」
「えっ、あ、やー……それはその……」
「うわぁ……」
「ちょ、ちょい!やめて!そんな目で見ないで!」
先日、錦木と俺の怪我を診て貰う為に病院に赴いた際に、もう暫く共同生活を続けないかと、付き添っていたたきなに錦木が提案していたのを思い出す(本人は頑なに“同棲”と言いたがる)。
しかし、その時は『ジャンケンで千束が勝ったら続ける』とたきなが挑戦し、結果たきなが見事勝利を収め、一先ず共同生活は終了になった。
そんな背景を思い出していると、話を一部始終聞いていたクルミが鼻で笑った。
「同棲(笑)。頼りまくる気満々の癖に」
「そ、そんな事無いもーんッ、映画の準備とかー、お菓子の買い出しとかー、ソファをあっためたり〜……」
「うわぁ……(2回目)」
「これは酷い」
俺とクルミはドン引きである。
つまるところ掃除洗濯料理、必要最低限の家事は何もしてないという事。自分の好きな物と怠けてる最中に片手間でやれる事を手伝いや家事の一種だと言い訳してる辺り、たきなの不憫さが目に浮かぶ。
「ボクは千束と同棲無理だな。誉は?」
「あー……多分俺も難しいかなぁ」
「っ!?」
そもそも二人で住むような予定も今後無いけれど……あーでも、錦木に甘いのは自覚してるし、何だかんだで全部やってあげちゃいそう……と思っていると、錦木が青い顔して、焦ったように捲し立て始めた。
「や、違うんだよ?同棲中はたきながやってくれてたから、少し?ほんの少しだけね?怠けちゃったかもしんないけど、私ホントは結構家庭的な女の子なんだよ!」
「何で俺に言うのさ。俺に弁明しても意味無いでしょ」
「だ、だって、勘違いされてたら困る……」
「……や、割と想像付いてたけど」
“やりたい事最優先”な彼女が、“やりたくない事を後回しにする”のは想像に難くない。家事分担をジャンケンで決めるだなんてたきなからの提案があれば、全て任せてしまいそうなのは予想通り。
洗濯物は溜めてそうだし、調味料なんかは大雑把、四角い所は丸く掃きそうな印象がもう染み付いてしまってる。
や、普段の仕事は何だかんだで丁寧だから完全にド偏見なんだけど……うん、別に凄い勘違いって訳でも無さそう……?
「ち、違うって!……あ、そうだ料理!朔月くん、私の料理は!?美味しかったでしょ!?」
「いや必死……や、まあ、まかないは毎度美味しかったけどさ……」
つい先日錦木がまかないを作ってくれた事を思い出す。
喫茶リコリコにおける昼食というのは、持ち回りによる当番制である。ミカさんなんかは手早く食べられる真っ当な料理を作ってくれるが、錦木が当番の時は基本的に馴染みのある料理は食べられない。
けど、これは良い意味である。というのも錦木は、食べた事の無い異国の料理なんかを一か八かで初めて作ってみたりと、平日の昼休憩の合間に食べる物とは思えない、イベント的な食事を出してくるのだ。
この前はなんか……パエリアだったな。俺が食べた事無いだけに凄く感動したのを覚えてる。
逆にたきなは……うん。普通に料理できるんだけど、最近までなんか……効率と栄養重視とかでプロテインとか携帯食料だったなぁ……でも錦木には、ちゃんと料理作ってあげてるのか。
なんか……ホントに成長したよね、たきな。『食事』を『摂取』とか言ってた頃が懐かしいよ。
「……や、でも、全部たきなにやらせてたんでしょ?家事のお礼に料理振る舞ってあげたりとかしてないの?」
「う……それは……」
あ、してないんだ。たきな大変だなぁ。
クルミが隣りで笑っているのが面白くなかったのか、錦木は彼女の頬を人差し指で突きながら不満を垂れ流し始めた。
「にしたって、すぐ荷物まとめなくてもいいじゃん。愛が無いよ愛がッ!!」
「これはたきな、相当嫌気さしてたな」
「もしくはジャンケンにムカついたか〜?」
「聞いてた感じだと錦木側からの愛は感じないしね」
クルミとミズキさんの笑いながらの追い討ち。楽しそうで何より。加えて俺の一言でクリティカルヒット。錦木はそれを聞いてその表情をみるみる青くさせていく。
どうやら、自分が相棒に嫌われてたかもしれないという可能性が出てきて焦り始めているみたい。そんな心配しなくても良いと思うけど……。
「ま、まさかぁ!先生!今日たきなは!?」
「夕方からと聞いてるが……何でも、本部に用事があるとか」
「……DAの本部、ですか?」
「な、何で急に……?」
裏に居たミカさんからの言葉に、俺は首を傾げる。
このタイミングでDA本部の名前が出るとは思わなかったらしく、錦木もわなわなと口元を震わせていた。クルミとミカさんは示し合わせたように口元を緩め始めて。
「あー……これは指導だな」
「今後の補助金を減らされて……シクシク」
「そ、そんなぁっ……!!」
クルミとミズキさんの大人気ない日頃の仕返し。いや、別にそれだけでDAから援助が切られる事は無いと思うけど……あ、でも指定の下着がトランクスの組織だからなぁ……あ、それはたきなだけか。
「朔月くん!私たきなに嫌われたかなぁ……?」
「……や、そんな事無いんじゃない?」
「最近の私とたきな見てどう思った……?」
「いや必死か……ええと……や、そう言われると、俺最近まで錦木に避けられてたから、二人一緒んとこあんま見てないなぁ……」
「ぐふっ……」
「あ、トドメ刺した」
オーバーキルだった模様。クルミと目が合う。え、俺がトドメ刺したの今。俺を避けてたの相当反省してる模様。
……というか、実際問題たきなが錦木を嫌ってるなんて事は全く無いと思うのは俺だけだろうか。
だってたきな、ここ最近のお泊まり、凄い楽しそうだったし。
▼
「こんばんは」
「たきなぁ!」
「っ、千束……?」
夕方、予定通りたきなが店の表口からドアチャイムを鳴らしながら入って来た瞬間、錦木が泣きながらたきなに飛び付いた。いきなりの事で状況が分からず、たきなは錦木と俺達を交互に見やり困惑している。
「ジャンケンごめんねぇ〜っ!!」
「……えっと」
「ズルして勝ってた事、謝りたいんだとさ」
「ああ……自覚あったんですね」
「うぅ……」
俺がそう説明すると、心当たりのあり過ぎるであろうたきなが納得した様に息を漏らした。ああ、やっぱそういう感想だよね。
しかし見下ろせば、自身の胸元で涙混じりの瞳で見つめてくる錦木の姿。たきなは恥ずかしそうに頬を赤らめて。
「嫌いになっちゃった……?」
「っ……別にならないですよ。少しムカついてますけど……」
「よ、良かったぁ〜……」
……これ百合か?(最近常連の男子高校生達から勉強中)
“てぇてぇ”ってやつか?“ちさ×たき”か?推すべきか?
たきなの返答に安堵した錦木の背を見て、ニヤつきながら『良かったねぇ〜』と他人事のクルミとミズキさん。変な勘繰りしてるの俺だけっていう、ね……。
ヤバい、ここ最近で伊藤さんとか男子高校生達のアニメとかラノベとかの話を聞き過ぎて、二人が仲良くしてるの見ると『おや?おやおやおや?あれはもしや?』みたいな感じになるからやめて欲しい。
流石に気持ちが悪いと自分でも思う。けどソワソワしちゃうのなんか。
「それより、これ」
「……トートバッグ?」
そんな思考が巡っている間に、錦木を引き剥がしたたきながトートバッグを見せてきていた。脈絡の無いその存在に各々が首を傾げ、そんな中でクルミが予想を口にする。
「なんだ、プレゼントか?」
「いえ、私のお泊まりセットです。本部にも許可を得てきました」
「……!」
「今後、有事などでお世話になる際に、パジャマ、歯ブラシ、化粧品などを置いていただいた方が便利かと思いましてまとめ直しました。ご迷惑、ですかね?」
……え、そのお泊まりセットの準備の為に本部まで行ったって事……?
やだ何それめっちゃ可愛い……たきな、錦木とのお泊まり楽し過ぎて連泊の許可貰いに行ったの?本部まで?
ヤバい、微笑まし過ぎて机叩きそう……これはDAの事は伏せつつ伊藤さん達に共有するべき事項ですね……。
「……それって、同棲ってことっ!?可愛いなぁもぉ!」
「どど、同棲じゃないですっ!」
たきなに嫌われてるどころか、本部まで行ってお泊まりセットを準備するくらいに同棲を楽しんでくれていた事実に、錦木は再びたきなに飛び付いて頬擦りする程喜んでいた。
たきなは変わらず頬を赤くしながら否定しつつ、言い訳の為に視線を逸らしながら、
「共同生……まあ、長めのパジャマパーティってとこでしょう」
「……にひっ、じゃあ帰りにお揃いのマグカップも買おう!」
「検討します」
……何これ尊っ。召されるわ天に。何かお腹いっぱいで今日多分ご飯要らないもんこれ。珈琲だけ作って帰ろう。
すると、二人の背後でその光景を見ていたクルミとミズキさんが、顔を見合せたかと思うと途端に悪い笑みにその表情を変えて、錦木に向かって呟いた。
「良かったなぁ〜、千束。またたきなにご飯作って貰えるぞ」
「掃除と洗濯でもこき使ってグーダラできるわよ〜?」
「なぁっ……!?」
そう言われた瞬間、錦木の顔が赤くなる。そして振り返って俺の方を見て……や、何でこっち見んの。今着てる和服並に顔赤いけど、どした。
錦木はクルミとミズキさんの方へと睨み付ける様に視線を向けると、慌てた様に騒ぎ出した。
「ちょ、ちょいちょい、やめろ!しないって!もうしない!ね、たきな、今日は私がご飯作るから!」
「随分必死ですね。何故急に……ああ、そういう……」
たきなは首を傾げつつ錦木の視線を追うように首を傾け、そして俺と目が合うと納得した様に頷いた。
……や、だから何で俺を見んの。俺関係無いよね?
「誉さん」
「は、はい、何でしょう」
「家庭的な女性は好きですか?」
「え」
「っ!?!?」
錦木が驚いた様に目を丸くして俺とたきなを交互に見ている。俺はというと、いきなりの発言に困惑して眉を寄せていた。
え、何その質問。俺が好きって言ったらそうなってくれるって事?何それ可愛い……ていうか、たきな思った事直接伝えてくるタイプの娘だから、その質問普通に邪推しちゃうんだけど。
たきな、もしかして俺の事好意的に思ってくれて……や、待て違う、そういやこの娘、ミカさんに下着の好み聞いてたわ危なっ、勘違いするとこだったわ。誰に対しても真っ直ぐ聞いてくる娘だったわそういえば。
「……まぁ、家庭的な方が普通に良んじゃない?」
「そうですか、分かりました」
一緒にご飯とか作り合うとか、なんとなく楽しそう……と、思った事を素直に伝えると、たきなは小さく微笑み、その表情のまま錦木に向き直る。
「千束、今後も家事は私が担当しますので、いつも通りグータラしてて良いですよ」
「っ……!?」
それを聞いた錦木は、わなわなと口元を震わせて顔を青くさせていた。や、何をそんな焦ってるのか知らないけど……たきなが全部やってくれるというなら、錦木にとっては願ったり叶ったりなんじゃ……?
何故かたきなの挑戦的な態度と発言に、錦木が今度は顔を赤くして捲し立て始めた。
「っ〜〜〜!い、いい!私がやるから!たきなこそダラけてて良いから!ソファで寝転がりながらテレビ付けてのんびりしてなって!」
「千束、アンタ……」
「たきなに家事任せてる間そんなに怠けてるのか……」
「ハッ……!?」
ミズキさんとクルミに引かれているのを知って我に返る錦木。その慌てふためく視線が、何故か再び此方に向いた。や、何故毎度俺を見んの。
「や、違っ……違うからね!?」
「……何が?」
「私、普段はそんなに怠けてないからね!?」
「……や、うん、大体想像付いてたけどね?」
「違うんだってええぇぇえええ!」
客のいない客間に、錦木の声が響き渡る。たきなはそれが面白いのか小さく笑い、それにつられてクルミやミズキさんも笑みが零れる。
そんな空間を眺めていた俺は、自然と頬が緩んでいた────けど、何故か胸に僅かな違和感が、凝りとなって喉に詰まる。
まるで、その暖かな光景が、ただの風景画にしか見えないような、そんな違和感。目の前の世界と、自分との間に隔たりがあるかのような、そんな異質な空気を吸い込んで、小さく息を吐く。
「……ああ、良いな」
────羨ましい。
まるで、みんな本当の家族みたいで、と。
自分は全くの無関係なのだと、何の疑問もなくそう思っていた。
●○●○
「……」
「……」
DA本部のとある一室。
静寂に隔離された部屋の中央のテーブルに、向かい合うように座るファーストとセカンドのリコリスが二人。
監視下の元、二人がペンを走らせる音だけが響き渡り、今二人が描いているものの完成系を誰もが待ち侘びていた。
というのも、リコリス連続殺人事件の重要参考人物である真島と接触した事をミカが報告すると、顔を目撃した千束とたきなを楠木が本部まで呼び出したのだ。カメラに真島の顔がはっきりと映ってなかっただけに、二人に人物絵を描かせる事になったのだが……。
「せぇーのぉ!!」
ファーストリコリス────錦木千束の掛け声と同時に、向かいに座っていたセカンドリコリス────井ノ上たきながそれぞれ描き上がった似顔絵を突き出した。
その先に立っていたのは、赤髪で短髪、白衣を身にまとったDA司令官───楠木。彼女は千束とたきなが見せてきた紙に描かれたものを見て、彼女達に問いかけた。
「……それが真島か」
「「はい!これが真島です!」」
────そこには、あまりにも酷い人物絵が二枚並んでいた。
楠木は表情一つ変えずにそれを眺めているが、隣りの助手は二人の似顔絵の出来の悪さに頭を抱えている。千束のは服装こそ似てるが、髪型や髪色、果てはルックスも何もかもが実際のものと違う。たきなは言わずがもがな……誰だコイツ、といった感じのイラストだった。五歳児と良い勝負まである。
「っ……ぶはっ、たきな、何それぇっへっへっへっ!!」
「なっ……千束こそ、その画風漫画じゃないですか!」
たきなは千束の似顔絵を見て絶句。しかし千束はたきなの絵のクオリティに思わず吹き出してしまった。顔を赤くしながら指を指して千束の絵を指摘するたきなと、未だ腹を抱えて笑う千束に、部屋の隅で光景を眺めていたフキが痺れを切らし始めていた。
「っ〜〜〜、全然違うじゃねぇかぁ!!」
プロジェクターに映っていた真島の仮の似顔絵を示して声を荒らげる。現状、DAで共有されているその人物画も、中々に形容し難い顔付きをしていて、千束とたきなは目を細めた。
「だってそれ似てないし……」
「……似てない」
「そういうから描かせてんだろぉ……!」
怒りを抑えつつも漏れ出し、声が震えるフキ。それを眺めていた楠木が、踵を返して部屋の出口へと向かった。時間の無駄と判断した様子だった。
「帰っていいぞ」
「あっ、待って下さい司令!私のは似てます!」
楠木の背を慌てて追い掛けるたきな。
千束は未だにフキと言い合いを重ねていた。
「ならフキが描けよぉ!」
「お前らしか真島見てないんだから描ける訳無いだろ!」
「あーそうか」
「ホント阿呆だな!」
ヤイヤイと騒ぐ千束とフキ。目の前を楠木と助手、たきなが通過するのを眺めながら、フキの相棒であるセカンドリコリス────乙女サクラは溜め息を吐き出した。
「リコリスは絵も必修にするべきっすねぇ……」
「くぬぅ……こうなったらぁ……」
ご最もである。
千束は暫く苦い顔で悔しがっていたが、やがて小さく息を吐くと席を立ち上がり、学生鞄から一枚の紙を取り出した。
「はいはい待って、楠木さん」
「……何だ」
「はいこれ、しょーがないからあげる」
そうして、その紙を楠木へと渡す。受け取った楠木は、そこに書かれている人物画をジッと見下ろした。そこには白黒の鉛筆によるものではあるが、明らかに千束やたきなとはレベルの違う似顔絵が描かれていた。
天然の捻れた髪質、目元まで覆う程の前髪、その下にある細いつり目は、手術痕を思わせる皺までバッチリ描かれており、あの日千束とたきな、そして誉が遭遇した真島当人に瓜二つだった。
「これが真島です。リコリスに共有お願いしますよー」
「……」
そう千束が伝えると、ふと楠木がそれを見つめたまま固まる。何か考え込んでいるようで、その様子を誰もが訝しげに眺めていると、楠木は千束へと視線を傾けた。
「……何故これを先に出さなかった」
「や、だぁって、なんか悔しいじゃないですかぁ。私もほら、頑張れば書けるかなぁ、なんて」
「……これを書いたのは?」
「えっ!?やー……あ、センセイですよセンセイ!」
「真島の顔を目撃したのはお前達だけだと聞いている。他に情報提供者が居るのか」
「っ、や、そんなの居ませんよぉー!ね、たきな?」
「そうですね」
────マズイ。千束の背に冷や汗が流れた。たきなも言葉に詰まり、視線を右往左往させている。
ちなみに、その絵は言わずがもがな誉が書いたものに他ならない。彼は知識や戦闘技術だけでなく、芸術にも秀でていたのだとこの件で知り、色々な面で敗北してる感が否めないのが最近の千束の悩みである。
楠木から連絡があった時点で誉が念の為にと書いてくれていたらしく、本部に行くにあたって持たせてくれていたのだ。
「「…………」」
リコリス以外に情報が漏れていると知られるのは非常にマズイ。誉に負けたくなくてムキになったのが仇となってしまった。
このままなし崩し的にリコリコに調査に入られれば、誉だけでなくクルミがウォールナットだと勘づかれるのも時間の問題。完全にやらかして────
「────失礼します」
突如、部屋の扉がノックと共に開かれた。すると、そこには本部直属の情報担当部署の一人であろう女性が、楠木へと視線を向けて告げた。
「司令、上層部からの連絡事項が」
「……分かった、すぐに行く。……帰っていいぞ、ご苦労だった」
楠木は最後、千束とたきなに視線を向けた後、出口へと向き直り白衣を翻して出ていった。その背について行くように助手の女性も扉の奥へと消えていき、部屋には千束とたきなと、フキとサクラが残されるに至った。
「っ……はあぁぁぁああぁああああ……」
「千束、気を付けて下さいよ……!これで誉さんの事がバレたら千束の所為ですからね」
なんとか楠木の尋問から逃れられた千束とたきなは、盛大に力を抜いて机に突っ伏し息を吐き出した。
たきなが鋭い目で千束を睨み付け、千束は肩を震わせ縮こまる。
「ごめえぇぇん……あ、でもそうなったら、その……私のセーフハウスに匿う、とか良いんじゃない?」
「っ……言うに事欠いて……!反省して下さい!」
ギャーギャーと言い合いに発展する千束とたきなを、サクラが冷めた瞳で見つめながら、『何やってんすか、あの二人』と興味無さげに呟いた。
その隣りで────
「……情報提供者、ね」
二人を眺めながら、フキがふと呟いた。
●○●○
「────……ふん」
暗がりの中、その一室のパソコン画面に映る録画映像を再生しつつ、砂糖入りの珈琲を飲む真島。
画面に映し出されていたのは、先日の攻防。今までとは打って変わって苦戦を強いられたアランのリコリス────錦木千束との戦闘映像だった。拳銃を躱し、非殺傷弾を連射するファーストリコリスの姿がそこに映っており、それを見た通信先の相手が訝しげに呟いた。
『……避けてんのかなぁ……アンタの射撃が下手なんじゃないのかぁ?』
「いいやこの距離で外す訳ねぇ。しかもこの後迷いなく撃ち返してるだろ?当たらないと分かってなきゃできない事だ」
真島の見解として、このリコリスは確実に銃弾を躱している。それを偶然ではなく狙ってそれを引き起こしている。神業的技術は、恐らくアランに裏打ちされた才能に他ならない。彼女が支援されているのは、必然的に銃弾を躱せるこの技術を買われてのもののはず。
「そして……問題なのはコイツだ」
画面が切り替わり、映し出されたのは真島の顔面を蹴り飛ばした男。アランのリコリスを助けに入った、黒髪の少年である。アサルトライフルで牽制し、迫るワゴン車のタイヤをパンクさせて軌道を逸らし、ランチャーの弾を拳銃で逸らして此方の集団を退けた。
『……ああ、この男な。調べたけど、特に裏に通じる内容は出て来なかったぞ。リコリスでもリリベルでも無いみたいだし、ホントに一般人じゃないのか?』
「一般人の素人がここまでの戦果を挙げられる訳ねぇだろ。経歴と実際に見た事のギャップが釣り合わねぇ、バランスが悪い。絶対に何かある」
真島はその画面に映し出された男────朔月誉の顔に向けて、拳銃を突き付けて、ニヤリと笑った。
「お前は、何者だ?」
千束 「ねぇたきな!待って!私がご飯作るからぁ!」
たきな 「何でですか?今まで私に全部任せてたじゃないですか」
千束 「だ、だってぇ……朔月くんにだらしないと思れたくないぃ……」
たきな (もう思わてるんじゃ……)
クルミ (もう思われてるな)
ミズキ (もう思われてるでしょうよ)
ミカ (思われてないと思ってるのが凄い)
誉 (家事の話してたらお腹空いたなぁ……夕飯何にすっかな……)←別に気にしてない