大切だから。愛しいから。失くしたくないから。それだけなのに。
Ep.34 Lgnorance is bliss
「ふぅ……」
開店前、お店に出勤する前に近くのスーパーで必要な材料の買い出しに出るのがたきなの日課だった。お店が忙しくなって在庫が足りなくなってから対応するよりも今のうちに備蓄を用意して置いた方が良いという、効率を重視する実に彼女らしい行動ではある。
(買い出しに随分時間かかっちゃった……)
だが今回は思ったより時間がかかり、たきなは現在小走りでリコリコまで向かっていた。買い足した材料を詰め込んだ重いビニール袋を何度も別の腕へと持ち替えながらお店へと向かう。
やがて視線の先に小さくリコリコが映り、間も無くこの重労働も終わりに差し掛かる事を自覚すると、逆にこれから始まるであろうリコリコの業務を意識して、小さく息を吐き出した。
「……はぁ」
たきなは別に、リコリコの業務が嫌だと感じている訳ではなかった。彼女とて仕事を面倒だと感じる事は勿論あるし、千束にジャン負けして家事を全部押し付けられた際は巫山戯んなと思わなくもなかったが、気が重い理由はそれではなかった。
────億劫なのは、朔月誉。彼と対面する事だった。
「……っ」
呼び起こされる記憶は常に鮮明で、それを思い出す度にたきなは後悔と罪悪感でどうにかなってしまいそうだった。あの日に戻れるのならば、あの発言をしてしまった自分を、彼にあんな事を言わせてしまった自分を殴り飛ばしてやりたいと、何度も何度もそう思った。
────“……ごめん、負担にさせて”
────“……っ、ぇ”
────“俺……こんなんで、ごめんね”
────“ぁ……ち、違っ……違います……なんで、そんな……謝らないで、ください……違うんです……っ”
────“……本当に、ごめんね……っ”
────彼に言わせてしまったあの謝罪が、自分が起こした行動の結果であり、自分の犯してしまった事の全てだった。決して感謝される事を望んでいた訳ではなかったけれど、拒絶されるとまでは思っていなかっただけに、彼の怒りにも近い叫び声を聞いた時は、心臓が縮まるような思いだった。
決して彼の病気が悪い訳ではないのに。負担だなんて、思ってなかったのに。自分がそうしたいから、そうしただけだったなのに。何故自分はあんな事を言わせてしまったんだろうかと、今でも考える。
(……私は)
ただ自分は誉に生きていて欲しくて、その為の手段を考えて実行に移しただけだった。彼の意志もアラン機関の事も何も考えず、千束の命を救ってくれた一点のみを見て衝動的に動いてしまった。彼の残り少ない時間が少しでも伸ばせる可能性があるのならと、彼の為にと、そう思っていたはずなのに。
「……っ」
────……誉に、嫌われて、しまっただろうか。
良かれと思っての行動ではあったけれど、突き詰めてしまえば誉に生きていて欲しいという自分の願望、我儘でしかない。
出しゃばった事をして、彼は怒っているだろうか。失望しているだろうか。嫌悪感を抱いただろうか。それを考えるだけで、なんとも恐ろしい。これほどまでに焦がれているだなんて、思いもしなかった。
あんなに声を張り上げる誉を初めて見ただけに、その不安もひとしおだった。そこまでいくと、そうさせるまでの
(……“アラン機関”、か……)
アラン機関────テレビニュースで放送されている情報だけ抜き取って見れば、ただの慈善団体だと思ってしまっても仕方が無いし、たきな自身も以前まではその認識だった。何よりも相棒である千束の命を救ってくれた事実が自分の中では大きく、それ故に誉も同様の援助をしてくれるかもしれないと、都合良く楽観視してしまっていた事は否めない。
誉の、あの日の言葉を思い出す。
『……前に話したと思うけど、アランチルドレンは支援と引き換えに機関から“使命”を与えられる。助けたんだからその才能を活かす道を進むべきだ、こう在るべきだと強制される。やりたいことができなくなるんだ』
……それをたきなは、松下の護衛の時にも似た事を聞いたはずだった。それをえらく軽く捉えていたものだと今更ながらに歯噛みした。
「……っ」
────それでも、千束の自由さを見たら思わないじゃないか。
支援と引き換えに“使命”を与えられ、世界に束縛される人生を過ごす事になるなんて。
「あっ……」
そうしてふと我に返ると、リコリコの入口まで辿り着いていた。あと数歩で横切ってしまう程に進んでしまった足を戻し、そのまま入口の扉の鍵を開けようと手を伸ばし、止まった。
「……あれ、鍵が……」
開いてる────自分よりも早く出勤した人間がいるようだ。たきなはそのまま扉を押して中を覗く。
すると、そこで待ち受けていたのは────
「キャ〜〜〜助けて〜〜〜(棒)」
「良いよ〜、良い感じだよ〜!もっと身体をくねらせて!」
────腕を後ろで縛られて顔を赤らめる千束と、それを興奮気味に撮影する常連の漫画家、伊藤の姿だった。
「……」
……何してんだコイツら、と眉を寄せて入口から傍観するたきなを余所にカシャ、カシャ!と拙僧無くシャッターを切る伊藤。
そしてその前で満更でもなさそうにノリノリに身体をくねらせては、わざとらしく色っぽい声を出す千束という酷い絵図。見ると千束は、以前ミカを尾行した際に会員バーで着ていた赤のイブニングドレスを身に纏っていた。
「ああ〜ん、助けて〜ん」
「イイ!千束そのポーズ最高っ!」
「あは〜ん」
「……………………」
開店前の店内の座敷使ってマジで何してんだコイツら、というのを隠しもしないたきなの侮蔑にも似た視線。千束と伊藤が彼女の存在に気が付いたのは、その圧を感じてすぐの事だった。
ギギギ、と錆び付いた人形のような音を立てながら首を回して此方を認知すると、青ざめた表情で震えていた。
「…………失礼しました」
「「説明させてぇ!!」」
────説明って何。ここから挽回できると思ってるのか、変態。
Ep.34 『
▼
「なるほど……そういう事情が……伊藤さんの漫画の資料として千束にポーズをとってもらっていたと……」
「ごめんね〜……二人のお仕事の邪魔しちゃって……」
座敷で一つの円テーブルを囲い、正座する伊藤。彼女の漫画の資料の提供という体の写真撮影だったという事で誤解は意外とあっさり解け、それを聞いたたきなは腕を組んで難しい表情をしていた。
たきなの隣りで、伊藤は申し訳なさそうにシュンと俯き、二人に謝罪する。
「どうしても描けないポーズがあって頭を抱えてたところに千束が声をかけてくれて……」
「そうそう!決していやらしい何かとかではないからね!漫画の資料なんだから!」
「いやらしいなんて……別にそこまでは思ってませんから」
キラキラした顔で告げるテンション高めな千束から目を逸らし、たきなは頬を搔く。それと同時に、吉松と会った時の元気の無いように見えた彼女とは打って変わって、いつも通りの彼女に少しばかり安堵する。
杞憂だったかな、と。そう頭の中で一区切り付けたタイミングで、千束とたきなの間に座っていた伊藤が、おずおずと手を挙げた。
「……あの〜……そこでですね、ちょっと二人にご相談が……」
「「?」」
伊藤の方に耳傾ける。千束とたきな、各々がそれを聞いた瞬間の反応は真逆だった。たきなは驚いたように顔を上げ、僅かに頬を赤らめながら慌てて口を開いた。
「私もポーズをとるんですか!?」
「いーじゃん、楽しーよ?ほら!こんな事もあろうかとたきなの衣装もしっかり用意してあるから!」
「っ、これ……」
それは、以前ミカを尾行した際にたきなが着用した男性用のタキシードスーツだった。千束もあの日と同じドレスを着ているだけに、嫌でもあの日の光景が蘇ってしまう。
誉の聞いた事もないような叫びと、苦しそうに告げる謝罪が、嫌でも耳に媚びり付いて。
────“……変、ですか”
────“いやそんなことないよ、似合ってる。てか、カッコイイよ”
「────……っ」
……そういえば、そんな事も言ってくれたっけ。
できれば男装の自分ではなく、千束のようなドレスとまではいかなくとも女性らしい格好の際に言って欲しかった気もする。
苦い記憶だけじゃない、あの日言われて嬉しかった言葉も、きっとある。たきなは小さく微笑んだ後、溜め息を吐きながら千束からその衣装を受け取った。
「……仕方ないですね。分かりました、協力しましょう」
「え、いいの……!?」
「大切な常連さんのお願いですしね」
「たきなちゃん……!二人ともありがとね〜!」
「伊藤さんの為に頑張るぞっ、おーっ!!」
────こうして、伊藤による千束とたきなの写真撮影が始まった。指定されるポージングは、恐らく伊藤が漫画で展開するであろうシチュエーションを想定してのものだろうと粗方予想は立てていた二人だったが、伝えられたポーズからの横顔の激写などは可愛いもので、それ以降は案の定たきなが千束を抱える所謂“お姫様抱っこ”だったり、千束を後ろからたきなが抱き締める構図だったり、手を“恋人繋ぎ”で絡めたりと、次第に十代の少女には些か照れ臭いものへと変わってき始めた。
「エクセレント!!めちゃくちゃ参考になるよ!二人とも息ピッタリだね……!」
「「はぁ……」」
伊藤は最早希望の写真が撮れてテンションが上がってるのか鼻息が荒い。自前のカメラで写した映像を精査している間の待ち時間、千束とたきなは疲労で身体が項垂れていた。
最初こそノリノリだった千束も、一人の時よりも精神的に疲れたのか額に汗が滲み出ている。そんな彼女だが、撮影中たきなの目から見て心做しか顔が赤かったような気がしたが、何かあるのだろうか。
「えーっと……じゃあ次は……たきなちゃんが上になってもらって……で、千束は髪を少しだけ崩してもらって……」
「え、と……こう?」
千束が少しだけ上体を起こす形で仰向けに横たわり、その上に覆い被さるような形でたきなが四つん這いになる。その距離の近さに、千束の顔がやや強張った。
「そうそう、良い感じ良い感じ!そのまま向き合って!」
「はい!」
伊藤に促されたたきなは、そのまま千束へと向き直る。
しかし千束は、一瞬チラリとたきなを見た後、またすぐ顔を逸らした。勢い良く逸らされたたきなは、思わずキョトンと首を傾げる。
「……あの、千束?何かありました?」
「え?あ、やー……その……」
伊藤に聞こえないよう小声でそう問いかけるも、千束は口篭って要領を得ない。
「ごめーん二人とも!たきなちゃんはキリッと、千束ちゃんはあま〜い表情でお願い!」
「「は……はいっ!」」
そう伝えられた二人は、今度こそ向き直る。視線が交わり、息がかかりそうな距離の中で、次第にたきなの顔も赤くなってしまう。友人───いや、相棒とこんなに近い距離にいると思うと、なんだか照れ臭い。というか撮影されていると思うと余計に恥ずかしい。
「……っ」
「……ぁ」
まただ。また千束に目線を逸らされた。変わらず頬も赤く、たきなの目から見てもなんだか色っぽい───あ。
「……今、誉さんとの
「っ!?え、なっ……ええっ!?」
「確かに、所謂お姫様抱っこも恋人繋ぎも、後ろから抱き着かれるのも千束好きそうですもんね」
「っ〜〜〜!!」
成程、誉との同様のシチュエーションを一人で妄想してたのか。たきなに図星を突かれ、顔を真っ赤にしてしどろもどろになる千束。
戦闘に置いて基本的に慌てる事の無い楽観的な相棒が、誉の事になるとここまで分かりやすく余裕が無くなるなんて、なんだか可笑しな話だと改めて思う。
「だ、だってぇ……花の十代なのにそんなシチュ、一回も無いんだもぉん……」
「そんなの私もですけど……集中して下さいよ、私まで想像しちゃうじゃないですか」
千束の言動の所為で、自分まで目の前の彼女が誉に見えてしまう───なんて事はないが、やはりどうしても想像してしまう。そんな状況は有り得ない、そんな未来はきっと来ない、と自分に言い聞かせながらもふと、思考が過ぎる。
彼とこれほど距離が近くなるくらいの親密度を、今後自分は築けていけるのだろうか。
「……実現、すると良いですね」
「……たきな?」
「私には……難しそうです」
────……いや、自分はもう嫌われているかもしれない。先日の吉松との一件は、誉を怒らせ、そして傷付けた。その理由の詳しくを聞けてはいないけれど、それを考えると今この状況の実現が現実的なのは千束と誉の二人だろう、と、たきなは苦笑した。
小さな声でそう呟くと何を思ったのか、千束の表情が驚きに満ち始め、伊藤の依頼そっちのけで上体を起こして慌てて口を開いた。
「え……も、もしかして、たきな、フラれたの……!?」
「……ん、え?」
「だ、だってなんか、諦めてるみたいな言い方だったから……“勝負”って言ったのたきなじゃん……!」
「ぁ……いえ、私はもう……」
その勝負に関しても、始めから敗北が見えた戦いだった。
それに、あの言葉は弱腰で情けなくなった相棒に喝を入れる目的で言い放った言葉でもあった。誉に特別な想いを抱いているのは認めるけれど、そもそも千束と同じ感情をちゃんと抱けているのか、不安はずっと残ってた。
この独占欲のような醜い感情が、千束の焦がれる程の想いと同義なのかと、こうも誉の事で自分が狂うと疑いたくもなる。
────ガチャ
「「……!?」」
扉の開閉音。千束とたきなは身を強張らせ視線を音源へと傾ける。カウンター横と裏へと続く扉のドアノブが周り、扉が開きかける音だと理解した途端、自身の現状を客観視し、これはやべぇと双方理解する。
ドレスコードで至近距離に交わる女性二人など完全に誤解を生む。しかもこれで入ってきたのが誉だったら軽く死ねる。たきなはとんでもない速度で飛び上がり、身体を寝かせていた千束は座敷に転がりその勢いで上体を起こす。
互いの距離が離れ、やがて扉が全開になって現れたのは、紫色の和服に身を包んだ巨漢の姿だった。
「……?何してるんだ、二人してそんな格好で」
よりにもよってミカであった。これもこれで不味いと千束は顔が引き攣る。
彼の場合はそれこそ同性によるそういった関係に偏見が無いどころか寛容であるからこそ逆に誤解されても問題というかなんというか。
「いや〜……ちょっと“柔道”の練習がしたくて、たきなに付き合ってもらってたんだよね〜!」
「そ、そう!そうなんですよ!急に言われて困りましたよ、まったく!」
「よく分からんが……顔が真っ赤じゃないか、大丈夫か?」
適当に誤魔化す二人の朱に染る頬を見て、訝しげに眉を寄せるミカ。顔を赤くする程の羞恥の理由が写真撮影というのもあまりに情けないが、一番は撮影で指定されたシチュエーションの相手で誉を想像した事による恥ずかしさであった。
「何でもないよ」
「何でもないです」
互いに一瞬だけ目を合わせ、誤魔化すように逸らした。相棒同士という事もあり、同性でやるにも照れ臭い依頼だったかもしれない。
とにかく、バレずに良かったと二人して胸を撫で下ろした瞬間だった。
「ミカ、ボクがその理由を見せてやるよ」
「見せる……?」
「これでバッチリ撮っといたから」
「「!!?」」
その声に思わず肩が震えた。振り返れば、笑いながらカウンター裏から這い出て来ては、ニヤけた表情で此方を見つめるクルミの姿だった。まさか、ずっとそこにいたのか。
そしてその手には───なんか高そうなカメラが。
「クルミィ……どんな写真が撮れたのかお姉さん達に見せてごらん?」
「内容次第では覚悟しないといけませんよ?」
手を組み指を鳴らす千束と拳銃を構えるたきな。その目はガチだった。
これを恩師であるミカや想い人である誉に見られたりしたら、二人からしたらたまったものではない。
その圧に、クルミが青い顔をして震えた。
「クルミっ!大人しくそのカメラを寄越しなさい!」
「おいたきなっ!銃を使うのは反則だろぉ!!」
「やっちゃえたきな〜!」
涙目のクルミに向かってモデルガンを乱射するたきなの背に声援を送る千束を眺めて写真撮影を続ける常連客の伊藤という狂った絵図。開店前に清掃したはずのフローリングも座敷も、ドッタンバッタンと埃が舞い出す。
店内全体を使った鬼ごっこを眺めながら、ミカが一言。
「……開店してるんだが」
その呟きは、目の前の騒動に掻き消された。
▼
「あー……今日もつっかれたぁ〜……」
閉店作業を終え、座敷に伏せるように倒れ込む千束。既に着替えを終え、帰り支度を済ませていたたきなは、小さく息を吐きながらその隣りに腰掛けた。
「今朝クルミを追いかけてる時が一番疲れました」
「それな!まあ、写真全部削除できて良かったけど」
いや、バックアップとかされてたらどうしよう……いやでもあのカメラ見た目アナログだったし……と唸りながら眉を寄せる千束。確かにあの一部始終を見られていたらあらぬ誤解が広まっていたかもしれない。
クルミは涙目だったが回収できて良かった、と胸を撫で下ろした。
「今日はボドゲ大会も無いし、朔月くんも居ないしなぁ〜……帰るかぁ……あー、朔月くんの珈琲が飲みたいぃ……」
「……」
────“家に居ても特にやる事が無い”。
ほぼ毎日当たり前のように出勤し、休日でもほぼ必ずリコリコに顔を出す程にこの場所に浸かっている誉が、連絡も無しに一日店に顔を出さない日があるのも珍しい。
千束はただ寂しいと思うだけみたいだが、たきなからすれば先日の吉松に対しての失言もある。あの日彼の琴線に触れ、顔を合わせたくもないと思われていたとしたら今日来なかった事にも納得が……言ってて悲しくなってきた。
「……明日は誉さん、出勤じゃないですか。今日は我慢してください」
「分かってますぅ……しょーがないかぁ……」
「……」
「……」
「……」
「……それで?」
「はい?」
顔を上げた千束が、チラリとたきなを見上げる。隣りに座るたきながそう聞き返すと、千束は勢い良く起き上がり、たきなの隣りに座ると同じ目線で問いかけた。
「その朔月くんと、何かあった?」
「……っ」
それはたきなにとっては、一番聞いて欲しくない質問だった。先程の撮影時の言葉や表情から、千束に何かを読み取られてしまっただろう事は理解していた。やはり挨拶だけしてそのまま帰宅するべきだったかもしれない。
「…………」
……だけど、何かを言って欲しかったのかもしれない。だから、帰る前に千束の元に立ち寄り、その隣りに腰掛けてしまったのかもしれないと、そうも思ってしまうから。この相棒に、縋り付いてしまおうと。
だけど、詳しい事は何も言えなかった。誉の心情を考えると他人に話して欲しくないかもしれないし、また勝手な言動で彼を怒らせてしまうかもしれないと思うと、怖かった。
「……あった、と言えばあったんですが……これを、千束に話しても良いものか、分かりません」
「そっか……喧嘩?」
「喧嘩……では、ないですけど……嫌われてしまったかもしれません」
「朔月くんは、そんな簡単に誰かを嫌ったりしないよ」
「即答しますね。流石片想いが長いだけありますね」
「煽っとんのかキサマァ」
千束は揶揄われて赤くなった頬を誤魔化すように、たきなの左腕を右肘で軽く小突く。その反応が面白くて、たきなは思わずクスリと微笑んだ。
彼の事をよく知っている千束がそう言うのだから、少しは安心できた気がする。彼をずっと見てきて、ずっと好きだった千束が言うのだから────とまで考えて、たきなはふと、これまで千束に聞いた事のなかった質問をしようと思った。
「……あの、聞いても良いですか?」
「ん?なーに?」
「千束って、いつ誉さんを好きになったんですか?」
「え……な、何急に」
「いえ、聞いた事無かったなと思って」
普段快活な千束だが、やはりこの手の話になるとしどろもどろになるのは相変わらずで、たきなの目の前でその顔がどんどん赤くなっていく。
「え……ぁ、ぇ……えぇ……やー、なんというか……」
たきなとしては固まってないで教えて欲しいところだ。その感情が恋だと理解できたのは、どんな時だったのだろうか。
たきなが今誉に抱いているこの感情が果たして千束と同じ純粋なものなのか、彼女から聞けばそれが分かる気がした。
「え〜……なんかハズイなぁ……こーゆーのって、何か自分の胸だけに秘めとくのが乙女って感じだしぃ……」
「何言ってるんですか?」
ダメだ、当てにならない。目の前の相棒は最早、顔を赤くして身体をクネクネさせている変態でしかない。聞いた自分が馬鹿だった、とたきなが溜め息を吐き出す。
今度こそ帰る為に立ち上がろうと足に力を込めた瞬間だった。
「────私ね、まだお店に来る前の朔月くんを、お仕事の行き来で何度か見た事があったの」
「……え」
思わず身体を止め、千束を見る。
あっちは知らないだろうけどねー、と千束は楽しそうに笑っていた。
「見かける度に違う人と一緒にいて、掃除手伝ったり、子ども達と遊んだり、道に迷ってる人案内してるうちに一緒に迷ってたりしてさ」
「……誉さんらしいですね」
「にひひっ、でしょ?……最初はよく見かけるなー、ってくらいだったんだけど。そういうの見てる内に、ああやって誰かに何かしてあげて、見返りもないのに楽しそうな朔月くんが、なんか良いなって思ったんだよね」
「…………」
────たきなはきっと、恋愛とはどういう概念なのか、その定義が知りたかったのかもしれない。理論や理屈で説明できる、明確な形が欲しかったのかもしれない。
けれど、千束が述べたそこには理論なんて何もなく、曖昧で抽象的な感情のみ。説明なんてしようがない、と。なんか良い、と。ただそれだけだった。
「……ま、その後も“
今思えば私ヤバい奴だったかな、なんて苦笑する相棒。それでも、楽しそうな表情がずっと変わらなくて。
「これは恋だなーって、思った」
「────……っ」
照れ臭そうに笑う千束は、たきなが今まで一緒に居た中でも最高に可愛らしかった。
歴代最強のファーストリコリス。至近距離でも銃弾を躱し、集団においても個の力のみで圧倒せしめる強さを持つ彼女がここまで骨抜きにされてしまうとは
たきなでさえ、目の前の彼女を見て少しばかり照れてしまう。
「……なんというか、ベタ惚れですね」
「っ、やー、なんかハズイなこれ!やだ!忘れて!」
「聞いてるこっちが恥ずかしかったです」
「知らんわ!たきなが聞いてきたんだろーが!」
「なんか大分語っちゃってましたね」
「んいいぃぃー!!」
掴みかかってくる千束を適当にあしらいながら、そんな彼女が面白くて思わず笑った。千束は逆にそれが面白くなかったのか、むくれた表情のまま言い返してくる。
「そーゆーたきなこそどうなのさ」
「え?」
「朔月くんの事、いつ好きになったの?千束さんに聞かせてごらん?」
「……」
そう言われて、思わず考えてしまう。この感情が恋とは別の、醜い独占欲だったとしても、それを抱くきっかけは色々あっただろう。
それでも決定的だったのは暗殺者との交戦時。銃弾が足を掠めて、痛みに動けず苦しむ中で突き付けられた銃口と目が合った時に感じた死が迫る感覚。
あの頃の自分は任務の失敗への恐怖や、本部に戻る為の功績や実績の獲得に対する執念とか、そういったものばかりが脳裏にあったように思える。
リコリスは替えが効く使い捨てと称する上層部の連中も居ると聞く。DAとは、そこに準ずるリコリスというのは、そういうものだと心のどこかで割り切っていたように思う。
───そんな自分を身を呈して助けてくれた誉が、傷だらけになりながらも放った一言が、今でも忘れられない。
『……たきなが無事で、ホントに良かった……』
そう言って本当に安心したような笑みを浮かべた彼にたきながどれだけの衝撃を受けたか、それを彼は知らない。
自分の無事を喜んでくれる人間がいる、その事実にたきながどれだけ勇気付けられたか、きっと彼は気付きもしてないだろう。
きっと自分は、あの時既に────
「……」
「たきな?」
「……嫌です」
「はぁ!?ズルい!私に聞いといてぇ!」
「ちょ、やめてください!」
「こんぬぉー!!」
千束が両手でたきなの黒髪をぐしゃぐしゃにするのを、手で振り払いながら逃げる。
客間を掃除したばかりだというのに、二人は今朝の時とほぼ変わらぬ勢いで、ドッタンバッタンと店内で騒ぎ散らかし始めた。
「いつかなんて知りませんよ!」
「あ、こら逃げんなぁー!」
「うるっさい!!さっさと帰れぇ!!」
────二人の鬼ごっこは、酔ったミズキの一括で終結した。
●○●○
────その頃、朔月誉宅では。
誉 「……ねぇ、この短期間で何回ウチに来るわけ?」
真島 「まあ待てって、今映画良いとこなんだからよ」
誉 「ったく……ほら、デザートできたから食いなよ」
真島 「もてなしてんじゃねぇか。……何も盛ってないよな?」
誉 「盛ってないっての。強いて言うなら消費期限間近の食材使ったくらい」
真島 「……切れてはないよな?」
誉 「拘るね……意外と神経質なのな」
真島 「当然だろ。不純物が混じれば全体のバランスが悪くなんだよ。料理も同じだ」
誉 「はいはい、バランスねバランス。ここ最近で一番聞いてるわ」
真島 「バカにしてんだろ」
誉 「してないけど……今回のは期限切れてないから大人しく食べなって」
真島 「おう……え、美味っ!お前何色パティシエールだよ!」
誉「……何お前アニメも見んの?」
誉 「お前の声は料理作る人の側だろ」
真島 「何言ってんだお前」