嫌なことをひと時忘れる為だけに別の事に必死になって、本当に馬鹿みたい。
星の海にも見える都会の夜景を一瞥できる高層ビルの一室で、オフィスチェアにその背を凭れる吉松。
傍らのデスクに鎮座する空のワイングラスに、最高級のワインが注がれていく。その流麗な音の余韻に浸るが如く目を瞑り、その後すぐに視線を傾けた。
「ありがとう。美味しかったよ、
そう感謝の言葉をその身に受けた亜麻色の髪を後頭部で団子にした左眼に泣きボクロの────姫蒲と呼ばれたその女性は、小さく頭を下げる。彼の告げた”才能”という言葉を耳にして、軽く冗談交じりに尋ねてみる。
「調理の道を選んでいたら、機関は支援しましたか?」
「“選ぶ”?……ははっ」
何を馬鹿な事を、とその嘲笑にも似た声が漏れ出る。声の主である吉松は、ワイングラスをその手に揺らして香りを楽しみながら告げた。
「機関が支援する才能は神のギフトだ、選ぶ事などできない。生まれながらに役割が示されている」
「……人生の意味を探す必要はありませんね」
「そうだ。幸福なことだ」
客観視すれば暴論に聞こえてしまいそうなその発言を、姫蒲はいともあっさりと肯定する。至極当たり前、そんな二人の会話。疑問を挟む余地などなく、それがアラン機関として掲げている理念なのだと。
しかし、決して機関の理念を強制されたわけでもない吉松の思想は、機関のそれを優に越えてしまっている。それほどの感情を、彼は千束に抱いている。それが彼の秘書でもある姫蒲の印象であった。
暫くすると彼の視界端で、姫蒲は次の任務の準備を始める。彼のコレクションか、立ち並ぶワインの棚の下から大きめのケースを取り出し、変装道具や武器を仕込んでいく。そしてそれらを仕舞い終えて閉じ切る最終確認時、姫蒲は吉松から託された、一枚の写真に目を向ける。
────それが、今任務のターゲットの一人。
「────千束の扱いは丁重にな」
「状況次第です。お約束はできません」
背後から敬愛する主、吉松の声がする。ぬかるなよと、その声が告げている。
彼女の戦闘映像は何度も確認している。それこそ今日までのこの日の為の準備として、何度も何度も。
故に失敗など有り得ない。我々は才能を認められ、否、神に選ばれてこの場所にいるのだから。
「────できるよ、君なら」
「────……はい」
粘り気のある彼の声がスッと胸に入り込み、姫蒲の瞳の色が変わった。必ず実行し、成功させる。全ては吉松の、ひいてはその神からの恩寵を世界に賜る為に。
吉松は口に含んでいたワインを飲み干し、グラスをディスクに戻す。その傍らには、今回の
彼女に寄り添うように並べられた、少年の横顔だった。
「あんなところでいつまでも『ままごと』をさせていてはいかんのだ」
吉松のその指が、写真に映るその少年の顔を撫でる。吉松が世界に届けると誓った“殺しの才能”、そのギフトが世界に届けられずにいる原因の根幹を担う存在、
「その為にも────君には頑張って貰わなければ」
────その写真に映る少年の名は、
錦木千束を動かす為に必要な駒であり、第二の
「
Episode.35 『
●○●○
「……暇ですね」
「暇だな」
俺がそう呟くと、ミカさんがそうオウム返しする。目の前には抽出中の珈琲の香りが漂い、俺の鼻腔を擽ってくる。
現在リコリコにはお客さんが一人も居らず、珈琲の淹れ方をミカさんに教えて貰える程に暇であった。お客さんが居ないのは凄く寂しいのだが、そのお陰でミカさんに直接珈琲の淹れ方を教授して貰えるという……有難いのか何なのか分かんなくなってくる。
いつもは騒がしい店内BGMである錦木も、つまんなそうな表情のままフロアのテーブルを拭いて回っていた。
「ねー、私もひまー!朔月くんかまってよー!」
「今珈琲淹れてるから待って。今日こそ美味く淹れてみせる……」
「充分よく出来てると思うが……」
いやいや、ミカさんの至高の領域にはまだ程遠い……いやお世辞でもなんでもなく、やっぱり自分が淹れてるものとミカさんのとでは差があるのだと自覚する。それに関しては経験の差でしかないから練習あるのみだと納得してはいるんだけど……。
「あ、朔月くん私のも淹れてー!」
「…………」
「え、な、何?私の顔何か付いてる?」
「……いや」
……けどやっぱり自分が淹れてるものよりも、バイトを始めた当初錦木が俺に淹れてくれたやつの方が美味しかった気がするんだよなぁ……。
錦木は俺が凝視してしまってたからか何か付いてるのかとペタペタと顔を触り、その後やはり気になったのか裏にある洗面所の鏡を見に行ってしまった。や、違うんです、顔に何か付いてたとかそういんじゃなくて……あ、戻ってきた。
「あんまり見てくるから何か付いてんのかと思ったじゃんか!」
「……何だろう……何が違うのかな……」
「ねぇ、ちょっと聞いてる?」
「……やっぱり愛が足りないのかな」
「……え?あ、愛……!?」
前に錦木も愛情がどうのとか言ってたし。誰かの為に淹れる事が隠し味とか何とか。あの時は錦木がそう言ってるのが面白くてツボって笑って流してたけれど、もしかしたら本当に味に影響があるのかもしれない。
愛……愛、か。一言にするとあまりに単純だけれど、これがどういった感情なのかイマイチ理解できない。これまでの人生で愛された経験がないからだろうか、はたまた誰かを愛した経験がないからだろうか。
「ミカさん……愛って……何なんですかね」
「急に何を言ってるんだ?」
ミカさんは超真顔で俺を見下ろしていた。や、割と真剣に聞いたんだけど何か恥ずかしい。今の気障っぽかったかな何かイキってたかもやだ凄い照れる錦木なんて青ざめた表情で見てくるし。やめろ、そんな見んな。
「さ、朔月くん、もも、もしかして、好きな人ができたの……!?」
「は?え、なんでそんな話に……」
「だ、だって急に愛とか言い出すから……!」
いや最初に隠し味が愛情とか言い出したの君だけどね?なんなら錦木に教えて欲しい。愛情って一体どんな味がするんですか。
そんな事を考えていると、裏に続く扉からパタパタと床を走る音が聞こえてきた。次第に近付いて来たそれは勢い良く扉を開き、中から飛び出してきたのは青い和服に身を包んだツインテールのたきなであった。
「千束、今日も似顔絵の練習やりますよ!」
「っ、な、えぇ……」
紙とペンを持ちながらそう張り切るたきなに気圧され、驚くとも呆れるともいえない表情で退く錦木。たきなはそんな錦木の態度などお構い無しに近付き、錦木のその背を座敷の方へと押し進んでいく。
「やだよー、最近毎日じゃーん」
「当然です!この間のような失態を繰り返す訳にはいきません」
「い、いやでも私、今朔月くんに聞かなきゃいけない事が〜!」
錦木の言葉など我関せずに座敷へと追いやるたきな。俺はそんな二人を見ながら、カウンター上部に取り付けられている小型テレビの下に張り付いた、錦木とたきなの書いた真島の似顔絵を一瞥した。
「……」
こう言っちゃなんだけど……まあ、個性的なイラストですよね、うん。最近アイツと関わるようにようになってしまったから色々この絵の粗が見えてしまうんだけど、真島感はほぼゼロだよね。
まあ錦木のは……若干ね?若干似てなくもなくもなくもないかなー……まぁ、五十歩百歩か。
あの後、真島の特徴を伝えるべくDAに似顔絵を描きに行ったらしいのだが、あの出来栄えからお察しの通り、楠木さんに戦力外通告を受けて帰ってきたとの事。それ聞いて普通に悲しくなった。
その事がたきなの中では相当悔しかったらしく、あの日からほぼ毎日錦木を誘ってはこうして空いた時間に絵の練習をしているらしい。誘うというかほぼ強制だけど。
「っ……!」
「あっ……」
……らしいっていうのは錦木から聞いたから。というのも最近、たきなとはまともに会話ができていないんだよな……今だって目ぇ逸らされたし……ど、どうしたものか。
「ほ、ほら、画材は用意してありますから始めますよ!」
「え〜……め〜ん〜ど〜く〜さ〜い〜」
たきなは俺との視線の交わりを誤魔化すように錦木へと捲し立て始めた。
けれどやりたい事に正直な錦木は、逆やりたくない事に関してはトコトン渋る。が、たきなの強引さに渋々座敷に上がろうとした瞬間、入口が鈴の音を鳴らした。
「いらっしゃ────あ、フキ!とサクラ」
「お前ら相変わらずアホな事やってんな」
「ちーす!てか、外まで聞こえてましたよ」
何やってんすか、と言いながら入ってきたもう一人は新顔なのだが、入ってきたのは以前錦木の下着が無くなった事件でストーカーと間違われてひと騒動あった際に出会った錦木と同じ赤の制服を身に纏う少女───フキさんだった。
そしてもう一人は……あれ、たきなと同じ制服だ。てことは彼女はセカンドリコリス……二人で行動してるところを見るにフキさんの相方かな。
「フキ、いらっしゃい」
「っ……どうも」
一見素っ気無いような挨拶に見えて、その実顔がめっちゃ赤い。やっぱり以前の見立て通り、フキさんってミカさんの事好きなのかな。やだ、何かソワソワする。
そうしてフキさんの逸らした目線が俺の方に……あ、目が合った。
「……あ?」
「?……あ」
……あれ、てかこれヤバくない?リコリスが一般人と絡んでるのって問題なんだよね?
俺この前フキさんに会った時、ただの常連って事にしてるのにカウンター向こうでミカさんと並んでるの見たら完全に従業員っていうかリコリコの関係者にしか見えなくない?え、ヤバ。
フキさんの眉が次第に吊り上がり、俺を見る目が鋭くなってくる。あれ詰んだかなこれ。
「っ、お前……」
「うわ!誰すかこのイケメン!」
「あ、えっと……」
錦木にサクラと呼ばれていた少女も俺を見付け、フキの前に飛び出さん勢いで近付いてきた。
その背後には、錦木とたきなが。目の前の光景をボーッと眺めていたが、次第に状況を理解したのかその顔を青ざめて……いや気付くの遅い遅い、今更過ぎるだろ、俺がリコリコと親友(言い過ぎ)なのバレるぞマジで。
「……」
「あ、えっとフキ!?この人はね────」
必死に錦木が弁明しようとわちゃわちゃ腕を動かしているが、フキさんの目には映らない。変わらず俺を真っ直ぐ見据えている。
まるで品定めされてるかのような感覚に思わず身震いすると、その肩に手が乗せられるのを感じて思わず顔を上げた。そこには、変わらず優しい笑みを浮かべるミカさんが。
「フキ、彼は此処の常連なんだ。偉くウチの珈琲を気に入ってくれてね。折角だから、淹れ方を教えてたところなんだ」
「あ……そう、なんですか……」
俺から視線がミカさんの方へ。ミカさんの言葉を聞いて安心したのか、ホッと胸を撫で下ろして息を吐いた。俺も同じような表情をしているかもしれない。フキさんの後ろでは同じように安堵する錦木の姿が。おいしっかりしろ。
「良かったら二人とも一杯どうだ?丁度今淹れてるのが出来上がる頃だ」
「い、いえ、任務中ですので────」
「良いんすか!?いただきまーす!」
フキさんが断り切る前にサクラと呼ばれた少女が片手を上げて頂戴の意を示した。「おい!」と小さく口にするフキさんを気にせず席に座る彼女は、見上げる形で俺を見つめてきた。
「自分、乙女サクラっす!」
「え、あ、ああ……さ、朔月誉です。よろしく、乙女さん」
「固いっすねぇ、サクラで良いっすよ!」
「……んじゃサクラで。よろしく。凄い綺麗な名前だね」
「な、なぁっ……!?」
また後ろで錦木が声を上げてわなわなと震えている。乙女さん────サクラが「褒められた!」とニコニコしてる後ろで、口を全開に開けて目もなんかヤバいくらいかっぴらいてて、とにかく凄い顔で笑う。アイツさっきから騒がしいなどうした。
「誉さんは彼女とかいないんすかー?」
「いないいない、できた事もないよ」
「へぇー!意外っすね、誉さん程のイケメンだったら一人や二人居てもおかしくないのに」
「二人居るのはおかしいでしょ」
あとそんなにイケメンイケメン言わないで自惚れちゃう。そろそろリコリコの看板息子名乗っても良いかなって。何看板息子って造語?
てかサクラ凄いグイグイ来るけど隣りでフキさん青筋立ててるよ?用事があって来たのに知らねぇ奴に構ってんじゃねぇよと目と鼻と口と顔色が言っているよ大丈夫?
「……えと……二人は錦木達に用があったんじゃないの?俺邪魔なら一旦席外すけど」
「……随分気ぃ遣うんだな、ウチらが何の用で来たのか分かってんのか?」
「そりゃあ花の女子高生の恋愛話に男が介入するのは野暮だって漫画に書いてあったし」
「違ぇよ」
「漫画とか読むんすね」
そりゃ読むよ。最近同年代のお客さんから勧められて読み始めたら色々面白いのが多くって。
というかフキさん、話す度に俺を値踏みするような視線と言動が一々怖いんですが。あと顔も怖い。もうやめてよこっち見ないで俺のことはミカさんが常連のお客さんって言ってたでしょうが想い人の言葉疑ってんのか好きなんでしょ知ってんだぞこっちは(早口)。
視線を逸らすと錦木と目が合う。何とかしてくれと目で訴えると、それを汲み取ってくれた……のは分かるんだけどなんかフキさんの後ろでわちゃわちゃしてるだけだった。嘘とか誤魔化すのを錦木に頼むのは間違いだった。
「あー……そだ、もし暇なら二人に付き合ってあげてよ。今から二人で似顔絵大会するんだってさ」
「っ、そ、そーなの!フキ達も一緒にやろうよ、似顔絵大会!」
「はあ?やらねーよ」
俺と錦木の提案を一蹴。舌打ちでもすると言わんばかりの顔でそっぽを向くフキさん。一々声音と表情が怖い。しかしその隣りに座るサクラは意外とノリが良かった。
「良いっすねぇ、あっしはやりますよ。格の違いを思い知らせてやるっす」
「馬鹿らしい」
「うーん……身近な人の方が描きやすいのかもしれませんね」
相棒が乗り気でも我関せずのフキさん。そんな中、後方に立っていたたきなが腕を組みながら難しい表情でボヤき、モデルを探さんと店の中を見渡す。
悲しい事に俺への目線は一瞬で逸らされ、逃げるように俺の隣りに立っていたミカさんへとたきなの視線が固定された。
「今日のモデルは店長にしましょう」
「え……私か?」
「待て、私も参加してやる」
「はっや」
ミカさんと決まった瞬間のフキさんの変わり身の速さ。
メンコ並みの掌返しに、思わず口から本音が漏れて……あ、ヤバい、フキさんに超睨まれてる。珈琲集中しよ。集中してます。だから見ないでそんな睨まないで怖いからホントに。女の子が見せて良い表情じゃないまである。
「よぉーし!はいこれ二人の!」
「どもっす」
錦木から早速スケッチブックの用紙とペンを受け取り、カウンター向こうにいるミカさんを囲むよう席に横並びになる錦木、たきな、フキさん、サクラの四人。
俺はといえば客間に逃げるように回り込んで、四人の後ろ姿を眺めつつ珈琲を口に含んではこの異様な光景を苦笑しつつ眺めていた。
機密組織のエージェントが四人集まって似顔絵大会を開いているというワードが無茶苦茶過ぎて笑えてしまう。こうして見ると女子高生が放課後に集まって美術の勉強をしてる風景にしか見えない。俺学校行ってないけど。
「何だか照れるな、そんなに見つめられると……」
「店長は動かないでください!」
────ガチかな?
▼
「じゃあ順番に見ていきましょうか。では、まず千束から」
「ふふん、私今日のは自信あるよ」
ある程度時間が経過し、各々が自作に一区切りが着いた頃、たきなの一声により錦木が立ち上がる。
錦木がスケッチブックを手に嬉々としているのを見て、思わず視線がテレビ下に飾られた真島の似顔絵に向かってしまう。あの絵よりも自信があると、そんな気に満ち溢れた彼女を見てほんの少し期待してしまう。
「じゃーん!そっくりでしょ!朔月くんも見て!」
「おおっ……おお?」
ズギャアアアン!と効果音がなりそうな出来映え。俺とたきなは同じ表情で固まっていた。
う、うーん……何だろう、や、ミカさんなんだろうなとは思うんだけど……。チラリと横目で見ると、たきなは腕を組んで眉を寄せながら錦木の自信作を眺めて一言。
「これは……相変わらず酷いですね……抽象画?」
「なんだとー!じゃあたきなはどうなのさ!」
「あ!ちょっ……」
酷評を受けてムキになった錦木に自身のスケッチブックを取られて慌てるたきな。
錦木に見開かれたページに描かれたたきな作のミカさんは、スラッとした細身の体型に加えて、一昔前の少女漫画に出てくるようなキラキラと輝く瞳をお持ちであった。え、誰これ。ミカさん?ベルサイユ感凄い。
「なんだよー、たきなのも五十歩百歩じゃんか!」
「返して!」
た、たきな泣いてる……。
すると、サクラがやれやれといった面持ちで頬杖を付いて、店内でギャーギャー騒いでいるリコリコの二人組を眺めながら呟いた。
「はー、見てられないっすね」
「なにー!?じゃあサクラの絵を見せてみろー!」
「…………いいっすよ?」
売り言葉に買い言葉の錦木に言われるがまま、サクラは促されるままにスケッチブックを錦木に手渡す。受け取った錦木がそれを開いた途端、隣りにいたたきなと共に食い入るようにその絵を見始め、眉間に皺を寄せ焦ったような表情へと変化していく。
俺からではサクラの書いた絵を確認できないが、二人の反応とサクラの得意気な表情でおおよその検討はつく。つまるところ、錦木やたきながぐうの音も出ない程のクオリティ格差があるという事だった。
「ま、一流のリコリスならこのくらい普通っす。アンタら絶望的に才能無いっすよ?」
「ぐっ……ぬぬぬぬぬぬぬ……!」
気になって、俺もその席から離れて錦木の後ろからその絵を覗いて見ると、そこには凛々しく描かれたミカさんの横顔が……え、上手っ……え、サクラさん美術レベルがファーストリコリスなんだけど。
「……普通に上手くない?」
「い、いやいやいや……朔月くんとどっこいでしょ」
「自分の画力で張り合えよ」
何故同じリコリスでこれだけの差が……というかよくよく考えたら、絶対犯人探すのとかで必要でしょ似顔絵って。楠木さん必修にしなよ、たきなに愛人とかトランクスとか変な知恵付けさす前に。
「ひひひひひひひ……」
「……ん?」
あれ、てかいつの間にミズキさん客間に来てたのか。なんか不気味な笑い声で余ったスケッチブックに何か描き込んでる。凄い楽しそうだな何書いてんだろ。
俺は席から離れるとミズキさんの元へと向かった。鼻歌交じりでペンを走らせる彼女の後ろから、その絵を覗こうと背伸びして────うわこの人とんでもないもの描いてる。
「ふんふんふふーん♪」
「────え、ちょ、な、何を書いてるんですか」
────そこに描かれていたのは吉松さんとミカさんが互いに互いを見つめ合う姿だった。吉松さんがミカさんの顎をクイっと持ち上げ、それにつられる形で吉松さんを見上げるミカさんの表情は赤みがかっている。
今からキスするんじゃないかと想像してしまう程の距離感に隣りで眺めているだけの俺でもなんかソワソワしてしまう。
ミズキさんも絵上手いな……とかって感想一瞬で吹っ飛んだわ。喫茶店でなんてものを描いてるんだこの人。二人の間に「トゥンク……」とか効果音手書きで書いてるし。やかましっ。
「これ続き無いんですか」
「ノリノリじゃねぇか」
ハッ……思わず本能が理性より先に動いてしまった。ミズキさんにツッコまれるまで自分が何を言ったのか理解できてなかったわ。無意識に続きを要求するなんて。何だろうこの気持ち。
LGBTには寛容な俺。最近はそういったものを好む層がいる事も常連の人達から教わって理解もしている。なんならちょっとドキドキする。こんな世界があるのかと好奇心に胸が踊るまである。
「没収!」
「えっ」
「あ!?」
その言葉と共にミズキさんと俺の目の前からスケッチブックが消え去る。思わず顔を上げると、そこには珍しく焦った表情のミカさんが立っていた。力作を取り上げられたミズキさんは思わず立ち上がり────
「ちょ、何するんの…………ごめんなさい」
ミカさんの圧を感じると謝ってそのまま無言で席に着いた。いや怖っ、ミカさん怖っ……え、なんでそんな目で見るの……あ、俺も?
「な、なんかすみませんでした……」
▼
「優勝はあっしですね」
「まだ分かんないだろー?フキも残ってんだから……て、あれ?」
錦木の言葉につられて、各々がフキの座るカウンター席へと視線を向ける。そこには難しい顔をしてスケッチブックと睨めっこを繰り返すフキさんの姿が。
あの人最初こそやらねーよとか馬鹿らしいとか言ってたのに今ではこの中で一番ガチな表情をしてるまであるから、軽いノリで大会誘ったの申し訳なくなるんですけど。
「フキはまだ書いてるの?」
「先生の神々しさを描くのは難しいんだよ!もうちょっと描き込みが……くそっ……今の私じゃ先生を描くにはスキルが足らな過ぎる……!」
「何を目指してんの何を」
この人凄いガチである。スランプ中の芸術家みたいな苛立ちを帯びた表情。それは恐らくミカさんを描くのに自分の技術が足りてない事への憤り。いや普通に芸術家の思考なんだけどそれ。
「いいから見せてみなって」
「あっ!ちょっ……」
錦木が横からフキさんのスケッチブックを奪い取る。慌てて立ち上がるフキさんを他所に錦木とたきながその絵を見ると、そこには袈裟を身に纏って坐禅を組みながら阿弥陀定印を結び、背後に後光を射し込んだ仏のようなミカさんが描かれていた。
────神。
いや菩薩じゃん。フキさんの言う神々しさは、そのまんまの意味だった。錦木とたきなは何だこれと真顔でそれを見下ろし、背後では照れ臭そうに身体を抱き捩るフキさんの姿。
何か本人は満更でも無さそうなんだけど似顔絵大会の主旨変わってない?あ、絵は上手いと思います。
▼
その後、フキさんが納得いかないと二枚目を描き始めたり、ミズキさんが余ったスケッチブックでサイレントジン×ミカさんのカップリングイラストを描き始めてミカさんが人知れずそれを没収したりと色々あったが、最終的に優勝したのは後ろの方で静かに大会に参加していたクルミの絵だった。
「結局、優勝できませんでしたね」
「まあしょうがないんじゃない?だってあのクルミの絵には勝てないっしょ」
そうしてカウンター上に新たに飾られた絵に各々の視線が向かう。そこにはミカさんとクルミが手を繋いで笑う、子どもが描いたような愛らしい絵が飾られていた。似顔絵大会の主旨とは違うだろうが、それを見た全員が微笑ましくなってしまったのも事実だった。
「ですがサクラの絵を見てしまうと、やはり私達の絵は問題なのかもしれませんね」
「あの時楠木さんには自信ありげに言ってた癖にぃ〜?」
「千束の抽象画擬きだって人の事言えませんからね」
「何をーっ!!」
「どんぐりの背比べっすね〜」
錦木とたきなのやり取りを勝ち誇った表情で嘲笑うサクラさん。それに対して言い返せずぐぬぬと唸るリコリコ看板娘二人組に思わず笑ってしまう。
今日は集客が少ない日な事もあってか、錦木もたきなも元気が有り余っているように見える。錦木も今日一日ずっと暇そうにしていたし、フキさんとサクラが来てくれたのは案外有難い事だったのかもしれない。
「……なんか、見てるだけでも楽しかったな……」
ああいう学生達のやり取りみたいなの、遠くから見てるとやっぱり良いなと思ってしまう。病弱で中々学校に行けなかった経験があるからこそ、それに対する憧れはひとしおだ。
あの後つられて俺もミカさんの似顔絵描いちゃったもんね。やり始めたら興が乗っちゃって、錦木達にお願いされて真島を描いた時並みの集中力使っちゃったもん。
「……よし、できた」
穏やかな表情で珈琲を淹れるミカさんの立ち絵……うわカッコイイなやっぱ。自分で描いといて自画自賛は痛々しいけど、ぶっちゃけ錦木とかたきなよりは全然上手に描けてると思うんだよねこんな事言いたくないけど。
「っ……それ」
「え?……あ、フキさん」
背後から声をかけられて振り返ると、フキさんが俺の描いたミカさんを食い入るように見つめていた。何でそんなに見てるの怖いんだけど。
瞳を揺らしながら驚きの表情を浮かべる彼女の反応に不安になるも、俺はもしやと目を見開いた。
「……」
「……あの」
……え、もしかしてこの絵欲しい感じ?フキさんのお眼鏡にかなうクオリティに仕上がった感じか?ずっと凄い眼で見てくるのそろそろ怖いんだけどマジで。
ミカさんを慕う彼女にここまでの反応を貰える程の出来映えを作り出してしまった罪深さを反省しつつ、恐る恐るとそのスケッチブックを畳んでフキさんの胸元へと突き出した。
「……これ、良かったらどうぞ」
「……」
フキさんは無言でそれを受け取り、暫くそのページを眺め続けていた。
「────……」
……プレゼントした俺が言うのもなんだけど、そんなにミカさんが好きならカウンター向こうに実物いるんだからそっちを目に焼き付ければ良いのに、と冷め始めていた珈琲を口に含んだ瞬間だった。
「この前、千束が本部に持ってきた真島の絵……描いたのお前だろ」
────俺は
誉 「……」
フキ 「何か言えよ」
誉 「な、何か」
フキ 「ナメてんのか」
誉 「す、すみませんでした……」
フキ 「…………」
誉「…………」
フキ 「……まあこの絵は貰っとくわ」
誉 「いやちゃっかりしてんのな」