ずっと一緒が良いと言った。
叶わぬ願いと知っていながら。
「え……このパフェ、やめちゃうんですか?」
目の前に鎮座するたきな考案のホットチョコレートパフェを見下ろしていた誉のその問いに、クルミとミズキはほぼ同時に頷いた。
今回たきなの考案した新メニューや、たまに行う様になったコスプレなどのイベント、そして彼女がクルミと協力して実施していた投資などによって収支が目に見えて回復し始めていた。
そうして余裕が出来た分、たきながミズキの為の食洗機やらミカの為のレコーディングプレーヤーやら、果ては店の手伝いをする配膳ロボット(通称ロボリコ)やらを購入した事で、ここ最近のスタッフのモチベーションは勿論、お店の回転率も言う事無しの向上を見せていた。
それ程までに景気は安定を見せるまでになったというのに、突如予想だにしないメニューの取り下げを耳にした誉は思わず珈琲作成の手を止めた。
「な、何で急に?別にチョコは旬ものじゃないんだし、錦木のパフェと違って頻繁に出てるんだから残しといても……」
「あー……たきなも気付いちゃったのよ〜。人気なんだから良いじゃないって言ったんだけどぉ」
「あの、気付いたっていうのはどういう……」
「ん」
ミズキの発言に疑問を投げかける誉の和服の裾を軽く引っ張るクルミに顔を寄せると、彼女が此方に手にしていたスマホ画面を突き出してきた。
そこに映っているのはSNSのアプリで、投稿されていたのは普段写真写りの悪いたきなにしては珍しい満面の笑みと、その手に持った彼女考案のホットチョコパフェ。そしてその写真の下に店に来たのであろうお客様の投稿が掲載されていた。
【笑顔でウ〇コ持ってて草】
「?……何これクイズ?」
この〇に入る単語を入れろ的な話だろうか。クルミがこれを見せるに、恐らくたきながこのパフェを出すのを止めると言い出したきっかけなのだろうが……てか草って何。
このSNSコメントを見ても誉は特に表情を変えないどころか、疑問符を浮かべる始末であった。
「……えと、どういう?」
「は?いや……え、コレ見て分かんないのか?」
「……何が?」
思い付くのはウロコと売り子とかだけど見た目がどうとか言ってるし関係無いのかな……とブツブツ呟きながら未だにクルミのSNSを目を細めて見つめながら本気で考える始末。
それを見てクルミとたきな、そしてミズキは顔を見合せた。特にミズキはある程度予想してはいたのだが────やはりこの男、たきなのパフェが
しかしそれを敢えて説明するというのも、それはそれで恥ずかしい。
「……なんか説明ダルくね?」
「そのままにしとくか」
「そーしましょそーしましょ」
「え、何、何なの。結局何でやめるの?」
「はい解散!ロボリコ、これお願いね」
『ハイ、流シテオキマス』
ミズキにそう指示されたロボリコは、パフェを乗せたその皿を客間────ではなくお客様用のトイレの方へと向かっていく。ミズキは慌てて「流すなクソが!」と店内で下品な奇声を上げていた。それを皮切りにクルミもその場から離脱し、結局何故パフェをやめるのか分からずに首を傾げる誉だけが残った。
「……仕方無い、直接本人に聞くか」
「最低だな」
「デリカシーのない奴」
「だから何でよ」
そんな最低とかデリカシーとか理不尽に言われる程の話なのかこれ……遠い目をしながら、ふと店の時計で時刻を確認する。
「……二人とも遅いな」
────千束が定期検診に来ないと、山岸先生からの連絡を受けたたきなが千束の家に向かってから暫くの時間が経っていた。
今日来る予定だったというのに約束していた時間になっても千束が病院に来ないのだと、態々お店に連絡までくれた担当の山岸先生。たきなが困り果てた様子で相棒に電話を掛けていたのが記憶に新しい。
掛けた電話は暫くコールが続き、流石に待機音が長過ぎると感じ始めたその時、その音が途切れ通話状態に切り替わった。しかしたきなが千束の居場所を聞こうと口を開いた時、
『……あー、ごめんごめん急用でさ〜、ちょい遅れるーって山岸先生にも言っといてー!』
それだけ告げると通話が切られてしまった。誉からも僅かに漏れ聞いた彼女の声音はいつもと同じように見えてその実、何かを誤魔化すようなものにも感じた。
それはたきなも同様だったようで、不自然に切られたその通話に嫌な予感を感じたのか、その後すぐ彼女を迎えに店を飛び出して行ってしまったのだった。
現在真島の件でトラブルの渦中にいる事を考えても、千束が何かに巻き込まれている可能性は決して低くない。誉も同行しようとたきなに話を持ち出したのも束の間、戦闘になった際に銃の所持携帯が認められているリコリスに手ぶらで同行するのは流石に危険だという真っ当な正論に何も言い返す事も出来ずにこうして普段通り珈琲を淹れて二人の帰りを待っていた。
同行する方が足手まといだっただろうと自覚はしているが、だからこそ力不足な自分を歯痒く感じてしまう。此処で待ってる事しか出来ないなんて……と表情が陰るその瞬間、ドア鈴が軽快な音を立てて思わず顔を上げた。
「っ……あ」
「……ただいま戻りました」
「お帰りたきな。……錦木も」
「……うん」
「……錦木?」
安堵の息を吐き、二人を出迎える。しかし、いつも軽快な足取りで店に来るはずの千束の顔色が良くない。何かを考えている様な、そんな表情。その違和感をすぐに感じて再度彼女の名を呼ぶも反応が無い。
隣りに立つたきなでさえ、何から話して何を伝えれば良いのか決めあぐね、錦木に気を遣うかの様に視線を交錯している。そんな居心地の良くない静寂の中で、千束がポツリと小さく呟いた。
「……今日、家に真島が来た」
「え……」
思いがけない打ち明けに言葉が詰まる。
既に誉の家には何度も侵入している真島だ、その際に千束とも話がしたいといった主旨の話を聞いてはいたので、誉の中で驚きこそないものの、此方を見上げる彼女の表情がいつもより覇気が無く、だがそれでいて険しくて、誉は何も返せないでいた。
「……何か、アイツにされた?」
「……ううん。ただ話しただけ、だけど……」
歯切れが悪く、けど聞かずには居られないと、そんな表情で問うてくる。
「アイツ……朔月くんの家にも行ったって言ってた……」
「え……!?」
「……えっ」
「しかも何度も」
「あっ、や……」
「……ホントなの?」
「…………えと」
────あ、これマズイやつ。
たった今、心配させまいと意図して言わずにいた内容が裏目に出た事を理解した。此方が言わずとも真島が彼女の家に赴けば自ずとバレるのは時間の問題だった。実害は無かったしただ話をしただけではあったが、DAと敵対関係にある人間を何度も家に入れてるという事実は客観的に見ればかなりの問題である。
たきなも聞かされてなかったらしく、物凄い目で此方を見ていた。怖過ぎる。眼光だけで人殺せるまである。
「……本当です」
「なんで、黙ってたの」
「……い、や……黙ってたというか……アイツ最後の方は見たい洋画だけ借りて帰るだけの感じだったし、実害無かったから良いかなって」
「良いわけないでしょ!」
うわたきな凄ぇ怒ってんじゃんやだ怖い。あの野郎、最後の最後に爆弾投下していきやがったふざけんな早くDVD返せよマリモブロッコリーが、と責任転嫁の罵詈雑言がとめどなく溢れた。
▼
「真島が家に来たぁ!?」
閉店後、たきなにこってり絞られてぐったりしている誉を余所にカウンター席に並ぶ従業員達。やはりDAを脅かしている張本人が千束の家を特定し侵入までしてみせた事実はかなり大きいところで、カウンターの向こうでミズキが身を乗り出す程だった。
「殺ったかぁ〜?たきな」
「……残念です、目の前に居たのに」
千束を挟んだ両隣りに座るクルミとたきな。悔しげに表情を歪めて俯くたきなの隣りで、千束がふと眉を寄せながら胸元で鈍く光る梟のチャームに触れた。
「……アイツもこれ持ってたわ」
────それは、アラン機関に見初められた才能の持ち主である証。つまるところ、千束と同様に才能の発揮の為に支援された過去を持つチルドレンであるという事に他ならない。
その事実に、誉以外の全員の表情が驚愕の色に変わった。
「あんな奴にどんな才能あんのよー?」
「凶悪犯も支援されるものなんですか!?」
「ミカ、恋人から聞いてないのk」
クルミが最後まで言い切る前にミズキが彼女を手刀で落とした。いや、もう今の隠せてないだろと思わなくもなかったが、当のミカは何か思い当たる節があったのか此方に背を向けてはいても僅かに確認できる横顔が深刻なものに誉には思えた。
首を折られたかの如くテーブルに沈むクルミの隣りで、千束は馬鹿馬鹿しいと息を吐いた。
「どっかで拾ったんでしょ。ヨシさんがあんな奴を助ける訳ない」
「……」
千束は自身を救ってくれた過去がある故に、吉松の事を微塵も疑ってない様子だった。もしくは、そう思い込もうとしているだけなのかもしれないけれど。
けれど誉は……そして恐らくミカも、千束とは真逆の事を考えていた。以前誉が真島に感じていた違和感、そして自身の家に幾度と無く侵入してきた奴を観察する時間は十二分に取れている。優れた聴力と目元の手術痕から察するに、真島は十中八九アランの支援を受けていた。
アランは才能がある人間に、中でも環境が起因してその才能を発揮出来ていない者には等しく寛大だ。その能力を世界に届ける為の手段に道徳も何の躊躇も無い。そして、そこに善悪の区別も垣根も無い。真島は穿った見方をしてはいたが、決して間違った事は言っていなかった。
それに吉松に関しては、松下として千束に近付いた挙句、彼女に殺しを強要した前科がある。勿論可能性の話ではあるし状況証拠でしか語れるものじゃない。しかし火の無い所に煙は立たぬとも言うし、シロと言うよりはクロよりのグレーだ。それだけに千束の今の発言を素直に信じる訳にもいかなかった。
「……とにかく、今後の事をちゃんと考えないといけませんね。千束、それから誉さんも!」
「うぁ、はい!?」
「え……お、俺も?」
急に立ち上がったたきなに呼ばれて千束と、そして何より自分も呼ばれると思わなかった誉が同時に肩を震わせる。素っ頓狂な声で反応してみせれば、途端にたきなの表情が険しくなった。
「当然です!真島は誉さんの家にまで何度も侵入してるんです。対策は必須です」
「はぁっ!?」
「マジか」
「……はい、すみません……」
それはまだミカ達には話してなかった事だ。ミズキとクルミは今初めて聞いたようで、物凄い表情で此方に視線を向けてくる。
「あ、アンタそれ何で早く言わないのよ!?」
「いえ、特に実害無かったですし……何回も来てるけど襲われたりしなかったからその気は無いんだろうなって思って……」
「そんなに頻繁に何しに来てるんだ真島は」
「俺が千束から借りてた洋画観てたりとかかな……後は俺が作ったご飯食べたり」
「友達かな?」
クルミのツッコミに否定が出来なくて顔を顰める。そんな事無いと言ってやりたいが、殺す気無いんだなってなってからの距離感は確かに友人間に近いものだったかもしれない。
「それに関しては言いたい事が物凄くありますが……無事だったので今は良いです。それよりもこれからの事を、誉さんは特に真剣に考えて下さい」
「は、はい……」
その真剣な声音に自然と敬語で返答する誉。
たきなはそれを見て一先ず『よろしい』と納得すると、次は自身の隣りに座る千束と目線を同じ高さにして告げた。
「まず千束!これは誉さんにも以前伝えてますが、私からの連絡は3コール以内に出て下さい!出ない場合は危険と判断して次のワン切りですぐに向かう通知とします!嫌ならすぐ出るように」
「え、あ……は、はい……?」
「……それと、他のセーフハウスに移って下さいね」
「え、ええ〜……アソコ一番気に入ってるんだけどぉ〜……」
「命には代えられないでしょ。……また遊びに行きますから」
『同棲!?また料理作ってくれる!?』と周りが気の抜けるような事を嬉々として聞く彼女を適当にあしらうと、たきなは座っていた席から離れて誉へと近付いて来た。ギョッとして顔を上げると、すぐ近くに彼女の顔が。
「誉さんも、暫くは別の場所に移った方が良いでしょうね」
「え……い、いや、俺は今のままでいいよ」
「駄目です!またいつ真島が来るか分からないんですから!」
「でも他に行く宛てなんて無いし……」
「……でしたら、常に互いを守れるように三人で一緒に暮らしましょう」
「できるかぁっ!!……と、とにかく俺は大丈夫だから」
異性でのルームシェアの提案とか悪魔的過ぎて震える。千束もその提案にギョッと目を見開き、何を想像したのかみるみる顔を赤くさせていく。たきなに至っては自分が何を提案したのか理解してるのかしてないのか、とにかく真剣な眼差しを此方に向けていた。
「誉さんの『大丈夫』は信用出来ません」
「いや辛っ……え、何で……?」
「……自覚が無いようなのでこの際言わせて貰います。誉さんは危険な状況に対しての認識が今日までずっと甘いです。怪我をしても何でもない様な顔してたり、病気の事を話してくれた時も平気そうに笑ってたり、恐怖に鈍過ぎるんです!」
「────……っ、ぁ……い、いや、そんな事無いと思うけど……」
────何故か、たきなの発言に喉が詰まった。そんなつもりなど微塵も無いはずだったのに、彼女のその言葉には何処か腑に落ちる様な、納得してしまいそうになる程の威力が込められていて、バツが悪くなって途端に目を逸らす。
するとたきなは、ここまで何故か普段よりも静かな千束が気になったのか、険しい顔付きのまま千束の座る席まで戻ってその手を引き出した。
「わ、え、ちょっ、何たきな急に!?」
「さっきから何で黙ってるんですか!千束からも何か言って下さい!」
「えっ……あっ、え、私も……!?」
「誉さんはハッキリ言わないと直らないですよ!ただでさえ此方が何度も言っても響いてるのか分からないんですからこの人」
「ねえ今日たきなずっと鋭いんだけどナイフなの?」
涙が出そうまである。毎回反省はしてるつもりなのだが、その度問題を起こしてる自覚があるだけに何も言い返せない。たきなに引き寄せられた千束は、困った様に此方を見上げて────気不味そうに目を逸らした。
「……?」
その反応に、僅かに違和感を覚える。以前の千束なら、それこそ松下の観光に誉が同行した時はあれ程怒っていたのに、まるで今は何処かバツが悪そうで、それを見た誉は小さく息を吐いた。
「……たきな、本当に心配要らないよ。実はフロントのパスワードも部屋の鍵もこの前新しく替えたんだ」
「……本当ですかそれ」
「ホントホント。領収書もある」
────嘘は言ってない。初めて真島が家に来た時に部屋を物色されてイラついた事もあり、試しに部屋とフロントのパスワードを全て替えてみたのだ。
……ただその翌日に何事も無いように真島が部屋に入って来たので、ああコイツには関係無いんだなキモイな、と思ってもうセキュリティ強化に関しては既に色々諦めている。
鍵を替えた際に掛かった費用が記載された領収書を軽くチラつかせて、一先ず納得した……ように見えるたきなに、それとなく聞いてみる事にした。
「ね、ねぇ、俺ってそんな信用無い?」
「大丈夫って言われたら何か隠してると思います」
「そんなレベル!?」
▼
「……」
「……」
「……って……え、あれ?錦木いつも帰り道ってこっち……じゃない、よね?」
「……こっちからでも帰れますぅ」
「……いつもの原付は?」
「今日はたきなと一緒に来たから乗って来てない」
リコリコの営業時間が終わり、真島の件もあって今日は居残りやボドゲ大会も無しで即解散が命じられた。そうして各々がそれぞれの帰路に立つ中で現在、帰り道が別のはずの二人が同じ道を歩いている。
……正確には、誉の背中を千束が少し離れた距離から追って来ている構図であり、誉としては彼女に尾行されているような気がして居心地があまり良くはないのだが……。
「……えと、何で付いて来るの」
「ち・が・い・ま・すぅ〜!たまたまこっちに用があるんですぅ〜!」
「コンビニにまで付いて来た癖にその言い訳苦しくない?」
『うぐっ』と苦い顔を見せる千束に自然と笑みを零してしまう。やはり付いて来てたのか。ただまあ、店ではあまり元気が無い様に見えただけに、今この瞬間はいつもの彼女に近い様に思えて、少しばかり安心する。
やはり、いつもと様子が違うのは真島に会った際に何か言われたからなのだろうか。彼女が真島の所持していた梟のチャームを気にしていた事から、口では『拾ったんでしょ』と言ってはいたけれど、少なからず真島を支援した可能性のあるアラン機関、引いては吉松に何か思う部分があったのかもしれない。
あのバーでの一件以来、吉松は店に来てない。支援者と直接接触するのは禁忌であるが故に、千束が吉松をアランの人間と理解した時点で、あくまで客としての大義名分は失われている。もう二度と店には来ないのかもしれない。
「……」
「な、何よ……何か付いてる……?」
「……いや」
────ただ、
……いや、誉はもう本当は理解している。彼女が今日、店に来てから自身に見せた
誉は目的地に到着すると、振り返って千束に告げる。
「……俺、此処だけど」
「此処って……え……?」
高層マンションが立ち並ぶ住宅街で足を止めた誉を訝しげに見ていた千束だが、彼の自宅に到着したと理解するや否やその目線を動かし、次第に目の前の建物────ビルにも似た何階建てかも目算じゃ判断の付かない程の高さで聳えるマンションを見上げる形で視界に捉えた。
現状を理解出来ずに目と口を開けて固まる彼女の横顔が、少しばかり面白い。
「え……えっ、まさか朔月くん家って、此処なの!?」
「そうだけど」
「いや明らか高級マンション……え、何階?」
「……最上階」
「な、何でこんな高そうなとこ……」
「親が残した部屋なんだ。そのまま使わせて貰ってるってだけ」
「……朔月くんって、ボンボンだったんだ……」
「その呼び方やめて」
真島も同じ事言ってたぞ、って言ったら訂正してくれるかしら。誉は未だ信じられないと表情で語る千束の横顔を見て、仄かに笑みを浮かべる。
────……そして、少しばかりの勇気を絞り出した。
「……寄ってく?」
「────……………………ぇ…………ええっ!?」
「……」
「なんでっ……い、良いの……?」
「うん、全然良いけど」
何その顔、と苦笑しながら彼女に背を向けて入口の自動ドアに自身の姿を晒す。それに慌てて付いて来る千束を尻目に、開いたドアの先に鎮座するパネルにパスワードを打ち込んでいく。
「うわすっげぇ……豪華なホテルみたい」
「……何その感想」
千束が辺りの装飾や大理石の壁を見渡してその瞳を輝かせているのを尻目に指を動かす。彼女が自身の誘いに乗ってくれた事への嬉しさを顔に出さないように下唇を噛み締めながら、ポチポチと数字を打ち込んで……エラーを弾き出した。
「っ、えっ、あれっ……ああ、そだ、パスワード変えたんだった」
「……んふふっ、何慌ててんの(笑)」
「う、うっさいな……人を招いた事無いから、ちょっと調子狂っただけ」
「いや真島部屋にあげてんじゃん」
「アイツは毎度勝手に入って来てるだけで、別にこっちが招いてた訳じゃない。知り合いをあげるのは錦木が初めてだよ」
「っ……へ、へぇ〜?そうなんだぁ、ふーん……」
────分かりやすっ……あっ、ナンデモナイデス。
あからさまに表情筋を緩める彼女。頬を赤らめて自身の髪の先を指に絡めるその女の子らしい仕草に心臓が強く鼓動した。
煩悩染みた思考を振り払い、ロックを解錠して目の前のドアが開く。そのまま丁度1階に止まっていたエレベーターに入り込み、最上階のボタンを押して上昇する中、無言で到達を待っていると、背後で千束が責めるような声音で、
「……アイツと映画の話もしたんでしょ」
「いや根に持つね……あー、“ガイ・ハード”の事か、錦木から借りてたやつ」
「で、誰が好きか聞かれたんでしょ」
「いやそうだけど……ってか、その話題出るって事は今日錦木も真島とその話になったんでしょ。そっちも盛り上がってるじゃん」
「ギクッ……!」
「あ、それ声に出すんだ」
人の事言えないじゃんか、と論破してまた軽い言い合いが勃発する。嘘が顔に出るタイプの人間は分かりやすくていけない。まあ、今のは彼女が自滅しただけなのだが。
しかし、こうして話してるだけでも次第に彼女の表情から覇気が蘇るようで、此方も楽しくなってくる。そうこうしてる内にエレベーターが最上階を知らせ、そのまま自室の部屋番号まで一直線に歩いていく。
「そんなキョロキョロしないでよ。不審者みたいだよ?」
「っ……や、だって、こんな凄いとこ入った事ない……」
「……錦木はもっとテンション上がってくれると思ってたから、その薄い反応は解釈違いだなぁ」
「朔月くんがオタクみたいな事言い出した……」
彼女もミズキも、金目の物に目が無いイメージ(偏見)があるが故に、まるでお化け屋敷にでも来たのかと言いたくなる程にソワソワしながら辺りを見渡す彼女は何と言うか……誉の中では解釈不一致なのだ。
「い、いやそうなんだけどぉ……だってぇ……好きな人の家だしぃ……」
「あ、此処ね、俺の部屋」
そう言って部屋の鍵を差し込み回し、持ち手を掴む。重め扉をゆっくりと引くと、そこには暗がりでも分かる程に広い廊下がリビングまで続いていた。
「────……っ」
「どうぞ」
「……お、お邪魔、します」
「ん。適当に上がって」
廊下の電気を付けながら靴を脱ぐ。隣りで彼女が綺麗に自分の靴を揃えるのを見て、普通の事なのに何だか笑ってしまう。なんとなく、彼女は自分の家では帰宅後は玄関に自身の靴をそのまま脱ぎ捨てるイメージがあったから、他人の家だから気を遣ってたり緊張してたりするのかな……とか本人に言ったら割と失礼に当たるであろう事を考えてしまった。
「っ……えっ、なっ、ええっ!?すっご!ひっろ!何これ、豪邸じゃん!!」
「豪邸は言い過ぎだけど……」
「えっ、リビングひっろ!!……えっ、因みに、何LDK……?」
「え?……えっと……3、とか4?とか、何かその辺……」
「よんっ……!?や、家賃は……?」
「いや言わんわ流石に」
言ったら逆に落ち着かんでしょ。ただでさえ君ソワソワしてるんだから。これ以上借りて来た猫みたいになられたら困る。
と思ってたら、今度は窓の外に広がる夜景を目を奪われたのか、一気に部屋の端から端を駆け抜けて窓に張り付いた。
「うーわ、夜景最っ高じゃん何コレ……!?毎日これ見てんの君……羨まし過ぎるぅ……!」
「いやテンション……」
「しかも何このソファー、ウチのやつより柔らかいじゃん……クッションもオシャレ……うわウチのと交換してぇ……!」
「落ち着けって」
「ね、他の部屋はどうなってんの!?此処まで来たら探検したいっ!!」
「書斎と寝室と客室で使ってる……や、使ってないなほぼ」
「見て来て良い!?」
「おい待てイッヌ。デリカシーゼロか」
右往左往するね君。いやそっちの方が好きだけど、このまま好き勝手を許すと真島と変わらん目で見る事になる。
さっきまでオドオドしてた癖に、今や借りて来た猫どころか散歩行く前のイッヌ並みのテンションじゃんか。この落差よ。首輪付けんぞ。
「はしゃぎ過ぎ。小学生か」
「……ひひっ……なんか、朔月くんに囲まれてるみたい」
「────……っ」
その言い方はズル過ぎるからやめて欲しいと、そう言いたくなった。
嬉しそうに呟く彼女の何気無い一言に、今日何度目か分からない心臓の高鳴り。自分の部屋に来れただけでこれだけ喜んでくれるのかと思うと、どうにも堪らなくなる。小さく息を吐いて、気持ちを切り替える。
「……さて、と。錦木、お腹空いてる?」
「え?……あ、うん、まあ……」
「昨日作ったカレーあるんだけど食べる?」
「……え?」
「昨日『一晩寝かせたやつが美味い』ってネットにあったのを見てさ、食べてみたくて作ったんだよね」
「いや行動力……」
そう言って作り置きしていたカレーの準備に取り掛かる。カレーの入った鍋を火にかけ温め直し、焦げないようにお玉で鍋底からかき混ぜていく。
暫く部屋の真ん中に棒立ちしていた千束だが、ソワソワしたままおずおずと此方に近寄って来て、
「……わ、私、何か手伝おっか?」
「え?別にソファで寛いでて良いけど」
「……や、その……一人で座ってんの、逆に落ち着かなくて……」
「あ、そう?じゃあ、えっと……どうしよっかな……あ、そしたらちょっとカレー見ててくれる?その間に洗濯物片付けてくる。最近良い香りの柔軟剤見つけてさー、洗濯するの楽しいんだよね」
「女子か」
聞こえない振りをして洗面所に置いてある洗濯機から衣類を取り出す。乾燥機付きの洗濯機は便利過ぎていけない。華やかな香りが服やタオルから漂ってきて、思わず微笑んだ。
「……」
……彼女はちゃんと洗濯とかしてるのだろうか。溜めに溜めて着る物が無くなってから慌てて纏めて洗濯機に押し込む姿が想像に難くない。再びたきなと一緒の部屋で過ごす事になるだろうし、たきなの苦労が目に浮かぶようで、また自然と頬が緩んだ。
「……美味しい」
「ちょいちょい、何摘み食いして、んの────」
取り敢えず衣類とタオルを畳んで一纏めにしてからキッチンに戻ると、食器棚にあったであろうスプーンで温まったカレーを口に含む千束の姿を目撃して、思わず突っ込みそうになって───彼女の横顔を見て、固まった。
「……」
「……に、錦木……?」
驚いてはいるのだろうが、表情に大きな変化もなく、いつもみたいに美味しいものを食べて笑うでもない。かつて自分の淹れた珈琲で同様の表情を見せた千束を思い出して、誉は言葉にできない焦燥を感じた。
「……あ、えっ、あ!ゴメン!美味しそうだったからつい……!」
「……錦木、あのさ」
「やー、朔月くん無敵かよ、なんか女として負けてる感が……弱点とか無いの?」
まるで、今自分が誉に晒した姿を無かった事にしたい、みたいな。下手くそな笑顔と言葉で必死に誤魔化そうとしているようなそんな姿に、心の中で歯噛みする。
「……カレー、気に入ってくれたなら良かったけど」
「うん、私これ好きー。……これを
「……い、一応、材料は賞味期限の近いやつばっかにしてやってたから、今頃お腹壊してくれてれば良いなぁ、なんて……」
「何それ、抵抗がささやか過ぎんのよ(笑)」
「食べ物は粗末にできない
「……んーん、反省してるならよろしいっ」
────今回の件、誉は千束にこっぴどく怒られると思っていた。
真島を何度も家に入れていた事、それを店の皆に黙っていた事。DAに奴の味方だと思われても仕方の無い事だと、考えが足らなかったと理解している。
しかし彼女は、自身が真島とその仲間達に襲われたたの一件以来、彼の余命について触れる事をしなくなっていた。松下の件でそれが判明した時は無理を続けようとする彼に激情し、行き場の無い感情を涙と共に流し、言葉を交わさずすれ違う事さえしていたというのに。
誉の延命の為、たきなのようにアラン機関に接触しようと考える事も、彼の無茶を咎める事も、真島が侵入したと聞いてからも一人暮らしを続けようとする事に対して、たきなのように強く反対する事もしていなかった。
「…………」
────そして今回、千束はこの件を遂に誉に強く言い咎める事をしなかった。今もこうして『仕方ないなぁ』と呆れたように笑うだけで、誉はずっとそこに違和感を感じていた。
「……おし、盛り付けオッケー!じゃあ運ぼっか」
「っ……ああ、うん」
「おおお……美味しそ〜!」
本当は何か……言いたい事を我慢しているような、そして何かをずっと考えているような、そんな横顔に。たきなのように自分の立場や危険性を言い聞かせる事もなく、ずっとその笑顔に陰が差し込んで。
そのらしくない彼女の在り方が、誉をずっとモヤモヤさせていた。
────故に、思わず口から漏れ出てしまった。
「……本当に?」
「えっ……あ、うん、凄い美味しそ……というか、実際美味しかったし────」
「そうじゃなくて」
テーブルに二皿のカレーライスを置いた千束の肩が震える。誉は真っ直ぐに彼女の瞳を見据え、
「……本当は、俺に何か言いたい事があるんじゃないの?」
「────……ぇ」
彼女の顔が強張る。それを見逃すはずもなかった。
彼女の楽しそうに、幸せそうに笑う顔が好きなのだ。真逆の表情をいつまでもさせて置く程に気が長い訳じゃない。その原因が自分か、はたまた真島によるものなら尚更だった。
「……っ、い、いやー、別に?そんなの無いって……」
「……」
「…………ぁ」
「…………」
案の定誤魔化すつもりで目の前で両手を騒がしくしていた彼女だったが、誉が何も言わずにそれを見つめていると、次第にその動きを止め、両腕は力無く、ゆっくりと下ろされた。
「…………わ、たしは、ただ……」
「……うん」
何かを絞り出そうとしている彼女の言葉を、誉は俯いて待つ。どんな言葉でも受け入れようと思った。実際、今回悪いのは普通に誉の方だ。それに対して怒られるべきものであった事も理解している。
────けれど、彼女から告げられた一言は予想もしてないものだった。
「……結構、満喫してるんだなって、一人暮らし」
「え……?」
彼女の寂しげな声音に、自ずとその顔を上げる。千束は目を細め、何かを誤魔化すように、何処か切なげに微笑んだ。
「もっと大変だったり、もしかしたら寂しかったり、とか……思って……」
「……錦木」
「たまに一人が、怖くなったり……そういう毎日なのかなって、思い込んでた」
「……君も、最初はそうだった?」
「…………」
────彼女の返事はなかったけれど、かつて心臓が弱かった時はそうだったのだろう。自分の死期が近いと知った当初は、一人きりが途轍もなく寂しくなって、どうしようもなく怖くなって……そんな日々を送っていたのかもしれない。
「……どう、だったかな。忘れちゃった」
「……」
けれど、きっと今の千束は違うのだろう。最初こそ不安で泣きたくなる日もあったかもしれない。けれどアラン機関から命を貰ってからは、毎日が楽しくて仕方無かったに違いないと、今の彼女を見ればわかる。
「……やっぱり、真島から何か聞いた?」
「……っ」
彼女が僅かに歪ませる、その表情を見逃さない。口で肯定はしてないけれど、今のが答えだった。今日一日、彼女はいつもより顔が暗く、声が萎れ、立ち姿が弱々しかった。
真島がアラン機関の援助を受けている事実、それを吉松が支援したかもしれない可能性、色々思う事があったのかもしれない。
────けれど、帰り道に付いて来ていた事には、他に理由があるのではないかと、薄々分かってはいた。
千束は下唇を噛んで目を逸らし、とても言い難そうにしていたけれど、諦めたように眉を寄せ、震える声でポツポツと声を漏らした。
「……アイツが、言ってたの。朔月くんの心臓が、“普通の人の半分も動いてない”、って……いつ死んでも、おかしくないって……」
「……そっか。……ったく、アイツ出禁だな」
真島がアランに見出された“聴力”で誉の心臓の現状を把握し、それを真島は今日、彼女に告げ口したのだと理解した。彼女の浮かない表情もそれが原因だったのか……だが、余命が幾ばくかしか残されていない事は、彼女も既に知っていたはず────
「────ねぇ、
そう呼ばれて我に返る。明瞭になった視界の中心で、何かを隠す笑顔がそこにはあった。
「誉は今日、『自分は大丈夫』って私に伝える為に、此処に入れてくれたんだよね」
────誉は、何も言わない。口を閉じたまま、何かを諦めたように笑う彼女を、ずっと見つめ続けていた。
その瞳に逃れるように顔を背け、千束はテーブルのカレーを見下ろしながら言葉を続ける。
「っ……一人で何でもできる。誰の手も借りずに、生きていける」
────何でもできる。
「それに、あんなに強い。多分、自分の身は自分で守れる。私が心配しなくても、怖いものなんてない……眠れない夜も、きっとない」
────これぐらい、余裕で。
「────あるよ」
千束の言葉を遮るように強く、強く放たれた言葉。けれど優しくて暖かくて、包み込んでくれるような柔らかい声音。
泣きそうになっていた顔のまま、視線を持ち上げる。その声と同じくらい優しい表情の誉が、彼女の前に立っていた。
「君の声が聞きたくて、電話する時もある」
「────……っ」
そう告げた時の彼女の顔を見て、誉は微笑む。
映画の感想を聞かせてと、そうやって毎度夜中に電話してくる彼女に苦労した事もあったけれど、気が付けば待ち遠しくなって、次第に自分から電話をかけるようになって。
「────ねぇ、
その名を呼ばれ、目頭が熱くなる千束。
その瞳に溜まる涙を見て、誉は口元を緩めて。
「今日は、俺を守りに来てくれたんでしょ?」
「────……」
────彼女はきっと。
誉が自分のように、自身の死期が近い事を“仕方がない”と、そう割り切ってしまう事が怖かっただけだった。
自分の危機鈍く、死の感覚に酷く疎い。
いつ死ぬかも分からない。そんな誉を一人にするのがただ怖くて。いつでも助けられるように、いつでも守ってあげられるようにと、ただそれだけの話だった。
「……勝手、かな」
「え?」
「自分じゃどうしようもできない事を、考えても仕方ないって……思ってるのに……誉には、そう思って欲しくない……っ……諦めないで欲しいって、思っちゃう……っ」
彼がその死に抗おうとせず、心のどこかで仕方ないと諦めている姿が我慢ならなくて、たきなのように色々言えたり、行動したりが自分にも出来たら良かったのにと、千束が何度思ったかしれない。
けれど彼に対して抱いているこの苛立ちの理由が、同族嫌悪に近しいものだと理解していたから、今の今まで口に出せなかった。他人の事を言えた義理じゃないのだと、分かっていた。
「……誰かの為の感情がお節介だとは、別に俺は思わないけど」
「……っ」
その一言で救われた気がして、気が緩んだ。
耐えども零れる涙を見せる自分自身が、情けなくていたたまれない。制服の裾でゴシゴシと瞳を擦り、誉の前から一歩、後退る。
────その彼女の手を、誉は手繰り寄せた。
「嬉しかった。今日来てくれたの」
「……必要無かった」
「あったよ。だから俺、そのまま甘えたじゃん。もうさせないけどね。千束、俺の家政婦でも護衛でもないし」
そう言って誉は、ただ可笑しそうに笑って見せた。
「友達でしょ、俺達」
「……っ、うん……っ」
その手を、強く握り締める。互いの力が強くなり、その分想いの丈を感じられる気がした。未だ泣き止まない彼女を揶揄うように頭を撫で回し、くしゃくしゃになった髪から覗く瞳が真っ赤に腫れていて、どっと笑った。
「ほら、もうこの話終わり。取り敢えず食べようよ。折角昨日から準備してたのに冷めちゃう────」
「誉」
席に座ろうとした誉の腕を軽く引く千束。振り返れば、鼻を啜りながら俯く彼女が、絞り出したかのようなか細い声で告げた、なけなしの勇気を耳にした。
「次、誉が危険な目にあった時、私が一緒に居たい」
「────」
誉は、不敵に笑った。
「お互い様だよ」
Ep.39 『
誉 「……そーいやさ」
千束 「んー?」
誉 「たきながあのパフェやめようとしてるらしいんだけど……理由聞いてる?」
千束 「え?……あー……たきな気付いちゃったかー……」
誉 「それミズキさん達も言ってたんだけど、何?何なの?」
千束 「………………たきなに聞いてっ」
誉 「ここまで引き延ばされると怖いんだけど」