行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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生きたいと思わねばならない。
そして、死ぬ事を知らねばならない。




第9話 What's done is done
Ep.40 Grim Reaper's beckoning


 

 

 

 

 

 ────静寂の中で僅かに聞こえる、衣擦れの音。ギシリと軋むベッドの音。

 

 普段一人で寝過ごすこの部屋で自分以外の何かが音を立てているような感覚にと気配に、誉の眠りが次第に浅くなる。さりとて瞼が重い事には変わりなく、寄せる眉の険しさが目覚めの悪さを物語っていた。

 

「……んん」

 

 カーテンの隙間から差し込む太陽光によって僅かに視界が映えるも、その薄暗い部屋は再び眠気を助長する。細めた瞳のまま、右手で自身の位置や周りにあるものを確認していく。

 そうしていく内に右手が何かに触れ、その慣れない温もりに動きが止まった。それはやがて人差し指に掛かり、段々と他の指とも絡まっていく。

 

 ────……これ、は……人の手?

 

 未だ覚醒のない意識のまま、半ば反射的にその手を優しく握り締める。心地の良い感覚を確かめるべく、絡まる指に軽く力を入れて握っては力を抜くのを繰り返し、この繋がれた手の熱に惹かれて腕を引き寄せながら、ぼうっとその先を見上げる。

 

 

「……ぁ、ぅ……」

 

「……────んぁ?」

 

 

 ────視界全体を覆う程の至近距離に、熟れた果実並みに頬を紅潮させた、錦木千束が固まっていた。

 

 

「………………………………ぇ……えっ、ええっ!?ちょ、……はあぁ!?」

 

 

 誉は一瞬にして意識が覚醒し、重かったはずの瞼がこれでもかと見開いた。弾かれるように状態を起こし、彼女の指と絡めていた自身の指を、腕ごと置き去りにするのではと錯覚する程の速度で外した。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp◎△$♪×¥●&%#?!」

「ほ、誉!?」

 

 千束から後ずさるように壁に背を付け、未だ頬を赤らめたまま魚のように口を開閉している彼女を見て、誉は今自分が居る場所、彼女の制服姿、辺りの壁を渡して冷静に────なれるわけない。

 

「な、なんっ……な、えっ……は!?え、待って待って、何で錦木が此処に居んの!?」

「い、いやいやいや!誉が泊めてくれたんじゃんか!昨日急に雨降ってきたし夜遅いからって!!」

「え……あ、そう、だった……?」

 

 ……言われてなんとなく思い出してきた。

 確かに夕食後、彼女の言葉に甘えてお皿を洗って貰っている間に、窓の外を一瞥するとこれでもかという豪雨が発生していて、時間帯と彼女の家の距離、そのうえ狙われてる危険性などを考慮した結果、泊める事にしたのだった。

 

 彼女も最初こそその提案に驚いたり遠慮してたが、雨だけでなく風も強くなってきて帰るに帰れない状況だったし、最後の方は割とノリノリだった気がする。

 

「えっ、でもじゃあ、何で俺の部屋に……ま、まさか、ど、同衾……」

「どっ……!?し、してないしてない!『お客さん用の部屋があるから』って言って、向かいの部屋貸してくれたじゃん!?」

「……た、確かに言った、かも……?」

 

 ……言われてみればそうだったかもしれない。

 来客用の部屋がお誂え向きに用意されてるから、好きに使って良いと言ったんだった。ベッドやテーブルなど必要最低限の物は用意されているし、一日寝泊まりするくらいなら支障は無い。

 

 彼女も最初こそいきなり明け渡された部屋に落ち着かない様子だったが、部屋の説明をしていたものの数分で慣れたのか、最後の方はベッドの上で跳ねて奇声を発していたような気がする。

 

「……けど、じゃあ何で俺の部屋に……え、まさか、これがミズキさんの言ってた、夜這い────」

「よばっ……!?す、する訳無いでしょ寝惚けてんのかっ!もう朝だっての!!『寝坊するようなら叩き起こして』って昨日自分で言ったんだろーっ!!」

「……言った、わ。言ったね。や、けど鍵……っ」

 

 外からノックして声掛けて欲しいという意味だったのだが────いや待て、待て待て待て、それどころじゃない。いつも寝る時は一人であっても中から鍵を閉めてるはずなのだが、今日に限って閉め忘れた────?

 

(っ……マズイ、()()()っ……!)

 

 思わず視線が彼女の更に後方へと動く。扉を正面にして左側の壁に沿って設置されている本棚とクローゼット。

 

 ────そして、()()()()()()()()()()()()()()

 

 そのケースは幸いな事に白いカーテンが掛かっており、こちらから中を見る事はできない。

 どうやら、()()()()()は見られなくて済んだようで、ホッと胸を撫で下ろしていると────

 

「っ〜〜〜!しっかりしろぉ!!」

「ぶへっ」

 

 誉の度重なるデリカシーゼロの質問の連続に耐えられなくなったのか、頬の熱が冷めやらぬまま誉のベッドから勢い良く枕を引っこ抜いた千束は、それを思い切り彼へ目掛けて投げ放ち、目を丸くしていた誉の顔面に見事直撃するのだった。

 

 

 ▼

 

 

「ったく……誉の所為で朝からとんだ恥かいた」

「……や、ごめん。取り乱して……どうかしてた」

「……朝、弱いんだ。意外だった」

「寝惚けてて……ホントにごめんなさい」

「もう良いってば。結構可愛かっ……あ、やっ……何でもない」

 

 誉の謝罪を前にして、気恥ずかしさを誤魔化すように食パンを齧る千束。互いにテーブルで向かい合いに簡単な朝食を囲う中で、先程のやり取りが聡明に呼び起こされて、誉と千束は二人して顔を赤くして黙々と食べていた。

 

「あ……えっと……晴れて、良かったよね」

「え?あ、うん……」

 

 誉の言葉につられるように、千束もテーブルから窓の方を一瞥する。外は深夜の雨が嘘のような快晴で、パッと見では雲一つ無いように見える。そんな天気の元で見下ろす都会の街並みは夜とはまた別の顔を見せており、此処へ来てすぐに彼女が贅沢だと言ってたのも頷けた。

 

 ────……そして、何故このタイミングで天気や景色といった当たり障りの無い思考を誉が凝らしているかと言えば、こんな朝早くから錦木千束と一緒に居るというこの非日常が落ち着かないからであった。

 それこそ、彼女がたきなと生活していた際に頻繁に口にしていた“同棲”というやつではないかと、何故か父親代わりであろうミカに謝りたくなってくる。

 

 いや別に何かしたわけではないのだが……と顔を顰めていると、目の前でスクランブルエッグを食べていた彼女の口元が緩んで、綻んだ。

 

「……にへへっ」

「?どうしたの?」

「……朝から誉と一緒なの、なんか変な感じだなぁって……にひっ」

「……」

 

 自分で言って照れたのか、マグカップで此方に顔を隠すようにして珈琲を飲み始めた千束。彼女も同じ事を思っていた割には、幾分か嬉しそうに見えるから、誉はどう反応したらいいのか分からなくて悶える。

 ただ、彼女に言われてふと、一人で住むには些か静か過ぎるであろうこの部屋を軽く見渡した。

 

「……確かに、新鮮かも」

 

 ────自分の残りの人生の中でもう一度、この家で自分以外の誰かと生活を共にする瞬間が訪れようとは、思いもしなかった。例えそれが今日だけの、刹那の夢であったとしても。

 因みに真島はノーカウント。奴に来客用の部屋は贅沢過ぎる。

 

「……誉?」

「ああ、何でもない。珈琲お代わり要る?」

「要る!」

「いや勢いが……」

 

 インスタントでここまで喜ばれてしまうと、いざ自分が珈琲を淹れた時の反応と比較してしまいそうになる。最近のインスタントコーヒーはクオリティがかなり高い。千束があんなに笑顔で飲んでいるのを見ると、何故か面白くないし、危機感と焦燥感がひとしおである。

 

 しかし、朝のモーニングコーヒーが飲みたいが為に、ペアリングを考えての焼いた食パンやソーセージ、スクランブルエッグに野菜といった洋食チックで軽めの朝食だったのだが、彼女の表情を見るに割とご満足頂けたようで、用意した甲斐があった。

 

「美味しかったぁ〜!ご馳走様でしたっ!」

「お粗末様です。千束は今日何時から?」

「え?……あー……や、今日は、病院……」

「病院……ああ、たきなの言ってた定期検診か」

 

 千束が面倒臭がって中々行かないと噂の定期検診。予約してはいても、たきなの考案パフェが想像以上に繁盛した事でピーク時に店を抜けるに抜けられなかったり、出発する矢先にアポ無しで真島が自宅に押し掛けてきたりと、彼女以外の原因もあるにはあった。

 

 ────だが前提として、今目の前で絶賛不満顔の彼女を見るに、彼女自身、病院に対して何かしらの苦手意識を持っているのではないかというのが、同じく病院が苦手な誉の見立てであった。

 

「聞きたかったんだけどさ、何でそんな定期検診嫌なの?先生苦手なの?」

「先生じゃなくてぇ……ち、注射……」

「注射?」

「……」

「……あ、何、注射が怖いって話?」

「そーだよ!今、子どもだと思ったでしょ!」

「い、いや、思ったよりも可愛らしい理由だったから……」

 

 病院の独特の臭いや診療の待ち時間、常に死を身近に感じてしまう心地の悪さ、箱庭にも似た不自由な生活、誉が病院を嫌いな理由を上げ出したらキリが無いだけに、彼女の病院嫌いな理由はかなり予想外のものだった。

 ……まあ確かにお子ちゃま(笑)と鼻で笑いそうになったけども。なっただけで笑ってはないから、ギリ。

 

「し、仕方ないじゃん!だって注射避けらんないしぃ!」

「何故注射を避ける必要が……?」

「痛いのもそうなんだけどぉ、身体に異物を入れられるってのがさぁ……」

「身体に異物」

 

 聞けば聞く程に子どもの駄々に聞こえて逆に面白いまである。異物というかワクチンとかビタミン剤とか身体を守る為のものなのだが。

 もっと言えば弾丸は避けられる物にカテゴライズされてるのが、良い感じに人間辞めてて恐ろしい。

 

「誉は平気なの?」

「俺?いや俺はだってほら、刺され慣れてるから」

「注射刺され慣れてるってあんま聞かないけど……」

「子どもの頃はよく刺されたなぁ」

「蚊みたいに言うじゃん」

 

 確かに、そんなに注射の頻度が多かったら、寧ろ身体の方が心配になるか。此方としては注射なんて痛みを感じなくなる程の数を打たれているのだが、この場ではあまり笑えない冗談だったと反省しつつ、未だ湿っぽい雰囲気で顔を顰めている彼女に声を掛けた。

 

「嫌な事は先に消化した方が後々楽だよ」

「分かってるよぉ、今回はちゃんと行くからぁ……」

「そうしときな。さて、ご馳走様、と」

「あ、いーよ置いといて!私洗うから」

「え?いいよ別に、これだけだし。出る準備しなよ、検診は何時から?」

「ダーメ!流石に至れり尽くせりが過ぎるってば」

「……たきなと同居中は家事全部任せてたって聞いたけど」

「あ、あれは、違くて、ジャンケンで決めようってたきなが……!」

「何その慌てよう、冗談だって」

 

 じゃあお願いしようかな、と食器とカトラリーを彼女の分と重ねて渡す。此方が折れたのが余程嬉しかったのか、ニコニコしながらシンクの方へと食器を持っていき、そのまま蛇口を捻って洗い始めた。

 しかし、そんなに皿洗いがしたかったのか……たきなと一緒に暮らしてた時も手伝ってあげれば良かったのに、とは言わないけれど。

 

「〜♪」

「……」

 

 ────普段から見てるはずの彼女の笑顔が自分の家で咲いている事実を、今になって実感する。同居中はたきなに任せてていたくらいには面倒に感じているであろう家事を、鼻歌交じりに行うその姿があまりにも楽しげで。

 自分にだけ見せてくれる姿なのかもしれないと思うと、途端に心臓が煩くて。

 

「おーっし、皿洗い終わりっと!」

「あの、さ」

「ん?なーに?」

 

「……俺、今日お店午後からだし、検診終わる頃に迎え、行っても良い?」

「……え?」

「え?……あ、いや……っ」

 

 ────自分でも訳の分からない台詞が口から飛び出した。

 言い切ってから我に返り、既に後の祭りだというのに思わず手で口元を覆う。慌てて顔を上げれば、勿論全て余さず聞いていた千束の皿を洗う手が止まっており、物凄い勢いで顔を上げて目を見開いていた。

 

「えっ!?ホントッ!?良いのっ!?」

「っ……あ、うん……調べたら通り道だったし……そのまま一緒に店に行こうかなって────」

「行く行く!一緒に行こっ!」

「あ、ああ、うん……」

 

 想像以上の反応に面食らいつつそう答えると、彼女の瞳が輝き出す。自分の言葉一つでそこまで喜んでくれるのかと、自惚れが心臓の鼓動を早くする。

 

「へへへ……やだもぉ〜、なんかデートの待ち合わせしてるみたいぃ……!」

「でーと……い、いや待ち合わせ場所が病院前ってのは情緒が……」

 

 ただ待ち合わせしてお店に向かうだけの約束なのに、頬を染めながら緩み切った顔で喜ぶものだから、安上がりで逆に申し訳がなくなってくるけれど。

『デートみたい』だと彼女が言ってくれた事に、ここまで穏やかに居られないとは思わなかった。

 

「……ん?」

「っ……」

 

 タオルで濡れた手を拭う彼女と視線が交わりそうになり、咄嗟に逸らす。────何だこれ、いつもより身体が熱い気がする。心臓も、早くなっているような。

 気を紛らわせようと何かに視線を留めようとして、ふと時計の時刻を視認する。

 

「……っ、て、あ。時間、大丈夫?」

「え?……あ、そろそろ行かなきゃ……うへぇ、注射ぁ……」

「まだ言うか。頑張って刺されてきなさい」

「頑張ると刺されるって両立するんだ……」

 

 千束が呻きながらリビングにあった学生鞄を背負う。誉は玄関に向かう彼女のその背を追うようにして見送りに向かい、彼女が靴を吐き終えるのを確認して声を掛けた。

 

「それじゃ、また後で」

「うん、お邪魔しましたー!」

「検診って一時間くらい?」

「え?あ、うん……あ、そっか、迎え来てくれるんだもんねぇ〜、にひひっ」

「……喜び過ぎだから」

「……ね、ねぇ……また、来ても良い?」

 

 此方が照れるのも束の間、不安そうに問い掛ける彼女の声音に逸らしていた視線が戻る。先程まで朗らかに笑っていた彼女が、所在無さげに視線を移動させながら、偶に此方を見上げてくる。

 

「────……」

「……誉?」

 

 ────“また(・・)”、か。

 彼女は何気無く使っているであろう言葉。“また来てください”、“またお待ちしております”、“また明日”。それを聞く度に、約束はできないのに自分も“また”と嘘を吐いてる気分になって。

 

「……ああ、“また”今度ね」

 

 彼女の喜ぶ顔を見る為だけに、そうやって嘘を重ね続ける。

 あと何度、君にそう言えるだろうか。

 

「……まあでも、アポ無しで来たら“Ms(ミス).真島”って呼ぶからね」

「絶対ヤダァ!!」

 

 その不安を誤魔化すように彼女を揶揄う自分の表情。どうか上手く笑えていますようにと、ただそれだけを願っていた。

 

 

 ▼

 

 

「……っ、やべ、寝てた」

 

 彼女が玄関の扉から消えるのを見届けた後、そのままリビングのソファに腰掛けて暫く、どうやらうたた寝してしまっていたらしく、気が付けば彼女が出掛けてから一時間近く経ちそうだった。

 

(やば、千束そろそろ終わるんじゃ……)

 

 自分で千束に提案しといて遅刻など論外だ。しかしこんな朝早くから居眠りは珍しい。普段嵐のような千束を家に招いたからか、いつもより疲れが出たのかもしれないと、誉は小さく息を吐き出した。嵐が過ぎ去った後の安堵というには表現があまり良くないが、自分で彼女を部屋に招いておいて、その緊張感で心臓が早くなっているのだから世話が無いといえば、なんともまあ情けない話だ。

 

「……準備しないと」

 

 そのまま踵を返して自室のベットメイキングに向かう。リビングから廊下に出てある程度歩き、左手側の部屋のドアノブを軽く捻って開けてみれば、そこは誉の寝室もとい自室である。

 

 開けてすぐに目に付いたのは、起きたままの状態にしてあったベッドだった。乱雑に目濡れた掛け布団とシーツに手を伸ばす。いつも通りシーツを綺麗に引き伸ばして、掛け布団を畳んで床の埃を簡単に拭き取り、他にちり紙や髪の毛が落ちてないか、簡単に床を見渡す。昨日も掃除したし、掃除機は要らなそうだ。

 ふと棚に目をやれば、漫画の背表紙に乗ってる巻数が数字の順に並んでいない部分が目に留まり、すかさず順番を正す。

 

「あと、は……」

 

 そして、それが済むとふと部屋を見渡した。

 勉強机とクローゼット、最近常連のお客さんに影響を受けて、文学や学術系に留まらず、ラノベや漫画で潤ってきた本棚。

 

「────……っ」

 

 ────そして、()()()()()()()()()()()()()()

 

「……」

 

 

 薄い白のカーテンに仕切られたその棚に、ゆっくりと近付く。起きてすぐ目の前に千束の姿があった時は、思わずこの棚に視線を向けてしまった。あれでは気になって下さいと言わんばかりにあからさまな態度だったと反省する。

 あの後、千束からこの棚の話題は出なかったから、中身を見られた訳ではないだろうが……肝を冷やしたのは事実だ。

 

「……これ見たら、どう思ったかな」

 

 そう言って、誉がそのカーテンに手を伸ばした瞬間だった。

 

 ────突如、静寂を壊す程の携帯の振動音に身体が震えた。テーブルに置いてあったが故に響き渡る振動が一際で、誉は詰まりかけていた喉から盛大に息を吐き出した。

 心臓が弱いというのに、こう何度も朝から驚かされていては流石にもたない。まあ、寝起きすぐに千束が目の前に居たのとは驚きのベクトルが違うとも言えるが。

 

 画面を下にして置かれた携帯を手に取り、映し出された名前には『井ノ上たきな』の文字が並ぶ。そのまま親指でスワイプし、右耳に当てて口を開き────

 

「もしもし、たき────」

『誉さん、千束が何処にいるか知りませんか!?』

 

 耳を劈く程の声量でスマホから響いたのは、たきなの焦った様な声音だった。この短いスパンで再度心臓に悪い突発的なアクションの連続に流石に冷や汗が止まらない。

 

「っ……え、定期検診行ってるけど……どうしたの?」

 

 一時間弱程前にこの家から出発した彼女の顔が脳裏に映る。本日定期検診に向かう事はたきなやリコリコのメンバーも周知の事実だったはず。彼女の受話器から聞こえる不安染みた声音に僅かばかりの違和感を抱く。

 

『千束と連絡が取れないんです』

「いや、検診中なんだしそもそも出れないんじゃ……」

『私もそう思ったんですが、電話しても呼出状態のままずっと鳴ってるんです。昨日の今日ですし、何かあったのかも』

「────……っ」

 

 たきなの千束と誉に守らせた約束事は『電話に三コール以内に出る事』だ。面倒を嫌う千束だが、だからこそ心配性のたきなを不安にさせる事など、まして昨日今日決めたばかりのルールを無視するとは考えにくい。

 

「────────」

 

 千束に、何かあった────?

 

「……分かった。俺からも連絡してみるよ。もし繋がらなかったらちょっと様子見てくるよ。丁度今錦木が居る医院の近くに居るんだ」

『えっ……っ……待って下さい、ダメです!一人では────』

 

 たきなが何か言っていた様に思えたが、誉の意識は既に切り替わっていた。半ば焦った様に身支度をして、逸る気持ちで部屋を飛び出す。誰よりも脆弱な心臓であるはずなのに、その足取りは決してそれに気を遣ったものではなく、誉はそんな自身の命の危機も忘れて、一心不乱に駆け出すのだった。

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────君の所為だよ、千束(・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

(千束────!)

 

 自身の身体の負荷など厭う暇も無く、自分の今出せる全力疾走で医院に辿り着く。胸の痛みも過呼吸も、震える足腰でさえ全て瑣末事だと思える程に、思考全てが千束の安否に傾いていた。

 

「────っ!」

 

 自動ドアが開く速度すらもどかしく、その隙間に手を突っ込んでこじ開けるように腕で強引に押し開いて突破し、空いた腕で額の汗を振り払いながら廊下を駆ける。平日の日中だというのに待合室や通路のソファにさえ患者が居ない不自然さが、千束の安否への焦燥を助長させていく。

 そしてそれが、更に誉の心臓に負荷をかけていく。病室も暗く、検査を受けるであろう場所に医者すら居ない。その焦りさえもが呼吸を荒らげ、心臓の鼓動に不規則に刻まれる。

 

 けれど、誉はそれどころではなかった。自分の身体を蔑ろにしているつもりはなくても、それを忘れる程に今の誉は平静を保てていなかった。

 たきなの電話がただの杞憂で、本当は電話に出るのを彼女が面倒臭がっただけだとか、偶手が離せなかっただけとか、そんな可能性も十二分にあるというのに、嫌な予感が拭えず足早に住宅街を駆け抜け、医院についてからはその不安は確信に変わりつつある。

 彼女の身に何かがあったのだと、そんな予想が事実に変わる事を確信し、そして恐れている。

 

(間に合え────!)

 

 ほんの一時間前まで共に時間を過ごしていたのだ。その笑顔を、今もなお鮮明に思い起こせる。何故今、それらが走馬灯の如く脳裏を駆け巡っているのかが分からない。

 まるで、今日この日を境に何もかもが決まってしまうような、そんな嫌な予感が身体を支配していた。

 

「……ぁ」

 

 そうして通路を奥へ奥へと進んだ先、そこに一部屋だけ引き戸が半開きになっているのを見つけた。思わず目を見開き、一心不乱に駆け出す。

 薄暗い部屋が続く中、目の前のその部屋だけは電気が点いており、差し込む光と共に僅かだが何かが動く音がした。その足を進める度、そこに近付く度に、その音と連鎖するように自身の心臓音が脳裏にまで届く。そんな焦りを誤魔化すように強くその扉の取っ手を掴み、その腕を払うかの如く雑に扉を開く。

 

 

「にしき、ぎ────」

 

 

 ────その部屋は、さながら手術室のような場所で。殺風景な部屋の中心に立っていたのは、亜麻色の髪を後ろで纏めた、一人の看護師だった。

 右目は前髪で隠れ、泣きぼくろが特徴的な左の瞳は、唐突な侵入者を前にして揺らぐ事無く此方を見据えている。

 誉のその視線は、次第に。次第に、その女性から下へと逸れていく。

 

 

「────」

 

 

 その女性の傍らに律する手術台。

 そこに横たわっているのは────意識の無い、死んだ様に眠る千束の姿だった。

 

()()っ……!!」

 

 

 その名を叫んだ、その瞬間だった。

 病院で耳にするはずのない強烈な破裂音にも似た音と共に、何かが誉の左肩を容易く貫いた。

 

「ぐっ、あ、ああっ……!!?」

 

 悲鳴にも似た声が絞り出る。視界が明瞭さを失い、同時に飛沫のように左肩から溢れるのは、赤黒い液体。夥しい程の量が無遠慮に清潔な床を汚し、それに伴って心臓以上の痛覚が肩に集約される。

 

「いっ……ぐぅっ、てぇ……」

 

 状況に理解が追い付かず、右手で肩を抑えつつ顔を上げれば、視線を交えた先に立つその看護師の右手には、硝煙を立ち上らせた拳銃が握られていた。

 その拳銃に撃たれたのだと理解したのは、その瞬間だった。

 

「────朔月、誉」

 

「……な、に……?」

 

 告げられたその名は、自身のものだった。彼女とは今日が初対面のはずで、名乗った記憶はない。仮に一方的な既知であったにしても、撃ち抜かれる謂れなどあるはずがない。

 ほんの僅かだけ、誉が此処に居る事実に瞳の奥が揺れた気がしたが、それも刹那であった。

 

「……探す手間が省けました」

 

「何、言っ────ぐぁっ!?」

 

 ────瞬間、誉の鳩尾に突き刺す程の痛みと衝撃が走った。身体がくの字に折れ曲がる威力で身体が跳ね、部屋の入口の扉にその背をぶつけ、その衝撃で扉ごと廊下へと吹き飛ばされる。

 

「うっ……がはっ、ごほっ……ゲホッ……!」

 

 視界が暗転し、あまりの痛みに涙が溜まる。肺をやられたか、呼吸がまともにできない。両の腕で抱き抱えるように胸を抑え、倒れ横向きな視界のままにその女性を見上げる。

 片脚を上げた姿勢から察するに、あの距離から強烈な蹴りを鳩尾に入れられた様で、まともに酸素を拾えずに咳き込み嘔吐く。

 

「ゲホゲホッ……っ、痛ってぇな……女性の看護師が放って良い威力の蹴りじゃないでしょ……」

「ええ、看護師ではありませんので」

「女性でも……ゲホッ、ないんじゃないの……」

「案外失礼な方ですね」

「……絶対、ゲホッ……ハァ……、人を診るより痛め付ける方が才能あるだろ……っ」

「護身用ですよ」

「何そのジョーク笑えな……過剰防衛だろ……あと銃刀法……」

「それに、才能の意味を決めるのは私ではありません」

「────っ、ぁ?」

 

 それを聞いて、誉の眉が吊り上がり、口元が歪んだ。

 才能の在処を自分で決めないというその発言は、言い換えればそれを教えてくれる指標が別に在る事を示している。そんな思想を持つ輩を、誉は嫌という程に知っていた。

 

「……アラン(・・・)の人間か、アンタ」

 

 此処に来るまで、彼女を襲う可能性のある組織を大きく二つに絞っていた。

 一つは真島率いる犯罪集団。理由は不明だが立て続けにリコリスを狙う彼らの標的として、彼女が狙われた可能性。実際、真島は誉だけでなく千束の自宅にも侵入している。しかし、これに関しては誉の時と同様、襲おうと思えば手を出せる距離にいたにも関わらず何もせずに逃げた事から、改めてこの場で彼女を狙う事は考えにくかった。

 

 そして、残るもう一つの可能性に関しては、目の前の彼女の発言を聞けば自ずと理解してしまう。他者の才能の使い道をまるで自分達が神であるかのように決める、傲慢不遜の狂信者共────アラン機関。

 

 ────つまり目の前の女性は、吉松シンジから錦木千束に向けられた刺客。

 

「彼女に何を────っ!?」

 

 朦朧とする視界の中、目の前の影が一瞬にして距離を詰めてくる。半ば直感でその身を左に擲ち、繰り出される蹴りを紙一重で回避する。その勢いのまま立ち上がり、腰のホルスターに右手をかけた途端、再び彼女から回し蹴りが放たれる。

 

「くっそ、何アンタ脚長過ぎモデルもやれんじゃんっ……!」

「どうも」

 

 脚が長いのがただただ恨めしい。この場ではただリーチが長い厄介な攻撃でしかない。回避が間に合わず、咄嗟に空いた左腕で頭をガードするも、繰り出されたそれは女性から放たれたものとは思えない程に重い一撃で、防御に使った左腕が軋むような音を立てた。

 

「がっ……!」

 

 その勢いを受け止め切れずに足元がふらつき、そのまま後退する身体。なんとか倒れずに耐え切るも、左腕はズキズキと鈍痛が続き、額は焦燥によって過剰に汗を吹き出していた。

 ────強い。才能の無駄遣いはそっちだろ、と笑ってしまうくらいにはどうしようもない。

 

「はぁっ、はぁっ……はぁ……」

 

 心臓が、酸素を求めてる。鳩尾を貫かれてから、肺が酸素を回してくれない。吸っても吸っても吸い足りない。おまけに血も足りなくなってきた。上手く、呼吸ができてない。肌が冷たさを感じ、寒さを覚え始める。不規則な呼吸は次第に痛みとなって心臓を襲い、頭痛と視界の不明瞭で身体がふらつき始める。

 

「……既に限界の様ですね」

「い……いや、別、に……最近、腹式呼吸にハマってる、だけ……将来、出産の時に、使うから……」

「口だけは達者ですね」

「だけとは、失礼ですね……芸とか、悪知恵も達者なんだぜ……最近、色々出来るようになったんだ……見せてやるから……ちょっと、待ってな……」

 

 限界が割と早い。此処に来るまでに焦って走り過ぎた所為か、中々呼吸が安定しない。いつもならもう少し長く立ち回れたはずなのに。

 ────それとも、元々既に、身体が限界を迎えていたからなのか。残りの時間を穏やかに過ごす事しか、緩やかに死を待つしか出来ない身体に成り下がってしまっているのか。

 

「っ……がっ────!」

 

 そうして前に一歩、足を部屋に踏み入れた刹那、おもむろに拳銃を取り出して銃口を彼女に向けた誉の身体が激しく横へブレる。

 それは雑に繰り出される彼女の左足。その蹴りが真横から誉の胴体を捉え、部屋の壁に豪快に叩き付けた為だった。

 

「がはっ……げほっ……くそ、何人か殺してる奴の蹴りだ絶対……!」

 

 此方の話に付き合う必要は無いのだと割り切られてしまえば、もう口八丁でやり込められる相手ではない。分かってはいたが、見え透いた時間稼ぎに乗ってくれる程、向こうも馬鹿じゃなかった。

 

「……どうやら、私の仕事はここまでの様です」

「待て、よ……看護服、着てる癖に……この重篤の怪我人放っとくの……?血、足りてないん、ですけど……」

「貴方の血液型はAB型のRH-、二千人に一人の割合。この医院に輸血がない事は確認済みです。とはいえ急所は外してますので、死ぬ事は無いと思いますが」

「ストーカー、かよ……これ以上……属性、足すな……怖い、頭痛い……」

 

 アラン機関の恐ろしさを垣間見る。千束が目的なのかと思っていたが、最初の彼女の言動を見るに、誉自身も何故か標的の一人に指定されている節が見て取れる。支援者への直接の介入の禁止という禁忌を、吉松はまだ破ってないつもりなのか。

 

 今自分が死にかけているのは、吉松の思い描いた台本通りなのだろうか。狙いは何だと思考するのを、肩の痛みと呼吸の困難さが阻害し、視界は段々と暗くなっていく。

 

「……思ったよりも瀕死ですね。すみません、()()()()()と違って加減が難しいもので」

「っ……やっぱり、錦木に……何か、したのか……」

 

 横たわっている千束を横目に、憎悪を孕んだ瞳を向ける誉。したし、怒りに身を任せて叫ぶ事すら最早叶わない。足に力が入らず、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。

 ドクドクと脈打つ心臓が、その度吹き出るように流れる血液が、自身の死を宣告してくる。燃料の漏れた機械仕掛けの身体は、次第にその動きを途切れ途切れにさせていく。

 そうして横たわって意識を手放しかけるその瞬間、彼女が此方に背を向けてこの場を離脱しようとする姿が目に留まり────

 

「────待てよ」

「……っ」

 

「逃がすと、思ってんのか」

 

 その細い足首を引っ掴む。指の力さえ最早弱々しく、感覚は既にほぼ失われていると言っていい。握ってるのかどうかすら怪しく、自身の視界だけを頼りに彼女の足を自身へと手繰り寄せるよう、腕に力を込める。

 

「────!」

「ぐぁっ……!」

 

 彼女の左脚の踵が、自身を右の足首を掴む誉の手首を踏み抜く。その無慈悲な痛打に思わず声が漏れ、骨に亀裂が入ったのではないかと錯覚する程の激痛に顔が歪む。

 離すものか、そう心に決めて指先に力を込め───そうしてその頭蓋を蹴り飛ばされた。

 

「がはっ……!」

 

 首が飛ぶ程の医療で頭が跳ね、壁に持たれるようにして倒れ込んだ誉。肩だけでなく、蹴り飛ばされた顔面が腫れ上がり、口内は切れ血が滴り始める。

 

「……!」

 

 執拗く粘る誉に煩わしさを感じたのか、鉄面皮を貫いていた彼女の眉が僅かに眉間に寄り、それを誤魔化すように再びその銃口を此方に向けていた。

 既に抵抗する力も残っておらず、何とか意識を手放さないよう気力だけで耐えている誉は、陽炎にも似た視界の中心で此方を覗く銃口と目が合った気がした。

 

 

「……ち、さと」

 

 

 手術台で霰もない姿を晒して瞳を閉じている千束の名を、ふと呼んだ。彼女の発言から、千束の心臓に何か細工を施されたのは想像に難くない。もしかしたら、寝ているように見えてもう既に───

 

「く、そ……」

 

 ────“次、誉が危険な目にあった時、私が一緒に居たい”

 

 そう言ってくれた彼女に恥じない自分でありたいと思った。自分も彼女が危険な目にあった時には、隣りに居られる自分でいようと、昨日の夜交わしたばかりの約束だった。

 これは果たして自分の望んだ結果であっただろうか。危険な時に一緒に居た事になるのだろうか。何一つ、守れてない。ただの一つも、戦えてないというのに。

 

「────っ」

 

 そうしてトリガーに指がかかった時、ふと目の前の彼女が顔を上げた。

 この部屋以外に誰も人が居ないように思えたこの空間に近付く、駆けるような足音が一つ。連鎖する音は静寂の中床を伝って、横たわる誉の耳にも届いていた。

 次第に、この部屋に近付いて来て。

 

 

「────千束っ、誉さんっ!」

 

 

 乱暴に弾かれた扉の先、誉の視界端で揺れる長い透き通るような黒髪。千束の物とは色違いの紺色の学生服。それらが乱れ、額には此処に至るまでに生じた焦燥と疲労によって汗が滲む。その右手には人を命を意図も容易く滅ぼせる力を手にし、それでもなお光を失わない眼差しを部屋の中へ向け、そして見つける。

 静かに眠るように横たわる見た目無傷の千束と、夥しい程の血を流し床に伏している、余命幾ばくかの想い人の姿。

 

 

「ほ、まれ……さ────」

 

 

 誉と視線が交わり、その瞳が揺らめく少女────井ノ上たきな。

 その視線の先は、誉から────彼に拳銃を向ける存在へと変わる。無機質で冷たい、機械のような表情の彼女を冷ややかに見据え、そして歯軋りした。

 

 

「……る、な」

 

 

 わなわなと声音が、そして両手で握る銃が震えている。前髪に隠れたその瞳が、ただただ憎悪に揺れていた。

 

 

「────その人に、触るなぁっっっ!!」

 

 

 怒りに吠えるたきなの脚が床を勢い良く蹴り飛ばし、その銃口を女に向ける。

 

 

 ────そこには、これまで誉が感じた事のない程の、明確な殺意が込められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.40 『 Grim Reaper's beckoning(死神の手招き)

 

 

 

 








誉 「看護師もいけるし拳銃も扱えるし蹴りも強いし何でもできるじゃん。おまけに美人でスタイルも良いときてる。どれが才能なの」

姫蒲「貴方に教える必要はありません」

誉 「あ、もしかして自分でも分かってない?なまじ何でも出来ちゃうと吉松さんもどれが才能なのか分からないって事?神からのギフトが聞いて呆れ────ぶなぁっ!?」

姫蒲 「すみません、うっかり足が」

誉 「手じゃなくて足が先に出る辺りイカれてるんよ」

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