行きつけの喫茶店の珈琲が美味   作:夕凪楓

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憎め、恨めと助長する。その狂気に勝る弾丸は無い。



Ep.41 Remaining heart rate

 

 

 

「────!」

 

 怒りに吼えるたきなの銃弾は、その感情に支配されてもなお残酷なまでに正確無比だった。咄嗟に判断の利いた、看護師の姿をした女性が一瞬だけ早く身を翻すもその肩に弾を掠める。

 

「……っ」

 

 僅かな舌打ちを誉は聞き逃さなかった。これまでの氷のような表情から、ほんの僅かではあっても余裕が失われていた。対処する為に即拳銃を両手で構え、たきなに向けて問答無用で撃ち放ち、それを寸前で予測していたたきなは即座に部屋の入口まで後退してその身を通路へと隠した。

 

「二人共っ、だいじょ────っ!!」

 

 少しでも顔を部屋に向けて出せば撃ち抜かれる状況に、たきなの表情は穏やかでは居られない。反撃を伺う隙を与えまいと、扉に向けての連射が告げている。こちらの安否を確かめられない苛立ちからか、たきなは目元を伏せて歯軋りしていた。

 もどかしさを堪えつつ、扉越しにたきなが叫ぶ。

 

「誉さん、出血は……!」

「た、いした事、ない……それより、錦木を……」

「っ……千束っ……千束!」

 

 誉に促されるままに彼女の名を呼ぶも、まるで死んだように眠る千束に反応は見られない。それを見て誉の不安も助長する。一体何をされた、心臓がどうとか言っていたが、彼女の人工心臓に何かしたのか────

 

「っ……お前、何をしたっ……!?」

「……」

 

 たきなの問いの答えを聞いてやろうと、その視線を未だに正体不明の看護師に向ける。しかし彼女は、そんな誉の視線を気にする事無く溜め息にも似た息を吐くと、そのまま向かいの窓に向けて銃を乱射した。

 窓を破壊する理由を即座に理解した誉。たきなも同様らしく、慌てて部屋へ突入しようとし────再び彼女の銃弾がたきなへと放たれる。

 

「くっ……!」

 

 たきなが神がかった反応速度で再び通路側へと退避したその瞬間、自身の発砲によって中央が雑に割れた窓へとその女性は駆け出し、そのまま僅かに縁に残った窓ガラスさえも巻き込みながら外へと飛び出した。

 この場を離脱────それを理解した瞬間、たきなの表情が一転する。再び殺意を剥き出すその瞳が窓の外を見据え、その足は狂犬の如き速度で窓の方へと走り出す。

 

「逃がすかっ、よくもっ……!」

「た、きな……」

「奴は此処で始末します!!」

 

 たきなは窓の外に上半身を曝け出したまま拳銃を外に向けている。恐らくその先に逃走した女性が居るのだろう。拳銃の音が住宅街に響き渡り、空耳などで誤魔化せない程の乱射だった。

 

「────……」

 

 朧気な視界の中で映るたきなの横顔は、これまで誉が見た事も無い程の憎悪に染められていて、今にも人を殺してしまいそうな、それを何とも思わないような、かつての出会った頃の彼女を想起してしまう程だった。

 いや、以前はまだ自身の行いの何が間違っていたのか、その自覚が無いだけだった。千束と相棒として過ごす中で、命の大切さを学んできたはずの彼女は今、人を殺す事の意味を理解しているはずだった。そのうえで彼女が殺意を向ける意味を、誉は────

 

(……ああ、くそ)

 

 血が流れ過ぎたせいだろうか。突然意識が保てなくなる程の睡魔にかられる。いや、これが睡魔などという生易しいものでない事は既に分かっていた。次第に遠のく意識に、ここで眠ってしまったら危険だと脳が警告音を鳴らしているのに、その音すらくぐもって聞こえてくる。

 

「っ……誉さんっ!?」

「────ぁ」

 

 ベチャリと、力無く腕が血溜まりに落ちる。飛沫が跳ねて頬に生温かな命の残滓が飛び散る。脳が欲している酸素が正常に回せていない感覚を久しぶりに味わう事に、懐かしさすら感じ始めていた。

 

 

 ──ほま───さ……しっかり────い、聞こえ────か!

 

 

 駆け寄って呼びかけてくれるたきなの声でさえ、最早聞こえない。泣きそうになっているその表情も、初めてみたかもしれない。

 

 

 ────肌で分かる、何度も踏み越えた境界線だからこそ感じる。

 命が尽きる最後の日は、もう間も無くのところまで歩み寄って来ていた。

 

 

 

 

 

 

Episode.41 『 Remaining heart rate(秒読みの心拍数)

 

 

 

 

 

 

 

 ●〇●〇

 

 

 

 静かに。ただ、静寂に。

 

 自身のすぐ近くから、重々しい空気を肌で感じ、困惑を隠せぬ誰かの声音が鼓膜を震わせる。その振動が頭蓋骨内の脳を僅かに揺らし、その振動が神経を伝って手足の先まで行き渡る。

 

 血流が鈍く、触覚が上手く機能しない。今何かに触れているのかそうでないのか、疎らで頼りない朧気の思考の中でそれすら認識し得ないもどかしさに苛立ちを感じる。

 それによって次第に意識が確立していく気がしたが、脳に酸素が回っていないのか、倦怠感と虚無感が身体の動きを緩慢にさせる。

 

「────」

 

 心臓の鼓動をあまり感じない。このまま自分の意志で現世に別れを告げる事もできるのでは無いかと感じてしまう程で、そんな自身の弱々しさと心細さを跳ね除けるように、誉はゆっくりとその目を開けた。

 

 視界に広がっていたのは薄暗い部屋と白一面の天井。恐らく誉が人生一嫌っていると言っても過言では無い場所の天井であった。そこで漸く自身が病院のベッドで仰向けになっていた事を自覚する。

 

 それから周囲を見渡して、やっと隣りで此方を心配そうに見つめるたきなの姿が目に留まった。

 

「っ……誉、さん……!」

「……たきな?」

 

 いつも透き通るような綺麗な黒髪が乱れ、今にも泣きそうな顔で近付くたきな。その距離にいつもは近い離れてと苦言を呈している誉でも、そんな彼女の姿に何も言えずにぼうっと見上げていた。

 

「大丈夫ですかっ……どこか身体の調子は……!?」

「……いたい」

「痛っ……ど、何処ですかっ!?っ、やっぱり心臓……すぐに山岸先生に────」

「かた」

「……ぇ」

「かた、いたい」

 

 いつもより意識が覚束無い。この感覚に覚えがある。麻酔による意識の混迷だった。そこで漸く肩の痛みを自覚し、麻酔を受けた理由を思い出す。あの正体不明の看護師に左肩を拳銃で撃ち抜かれ、そのまま血が足りずに意識を手放したのだと。

 麻酔を受けた様子を見るに、その治療の術後なのだろうと理解する。自身に流れる点滴が視界端でチラつく中、こちらを覗き込んでいた彼女の膝から力が抜け落ちて、

 

「か、た……そう、ですか……肩が……肩、か……そっか……」

「……いやいや、サウスポーの夢が」

「右利きなんですから、選手生命は大丈夫ですよ」

 

 冗談にそう返した彼女は泣きそうな顔のまま、込み上げてくる安堵を噛み締めるような笑みを浮かべいて、思わず誉の視界が揺らいだ。

 

「……無事で安心した」

「っ……誉さんも、屁理屈をこねるくらいには元気そうで安心しました」

 

 その声色で如何に自身を気にかけてくれていたのかが感じ取れ、彼女の連絡を無視して医院に突入した事に罪悪感を覚えた。

 そうだ、あの時彼女が助けてくれなかったら、自分はきっと千束と共に────

 

「……そうだ、錦木は?」

「……まだ意識が戻ってなくて……今、店長とミズキさんが見てくれてます」

 

「────千束なら、今意識が戻ったぞ」

 

 たきなの更に後ろから声がして、彼女が振り返ると同時に頭を傾ける。病室の引き戸から現れたのは、どこか物憂げな面持ちのクルミだった。

 追われてる身だと聞いていたが、千束の件もあってかミカやミズキと一緒に来てくれたのかと感動しつつ、麻酔の所為で融通の利かない身体を無理やりに起こした。

 

「千束はっ……千束は、大丈夫ですか!?」

「今ミカ達がついてくれてる。意識はハッキリしてるみたいだが」

「っ……誉さん、私……!」

「……行ってきな」

 

 たきなは誉に『すみません!』と軽く頭を下げると、そのままクルミの横を通り過ぎて病室から出て行ってしまった。院内で廊下を走るという強行を今は咎める人も居らず、床を駆ける音が次第に遠のくのを感じながら、誉は視線をクルミに移す。

 

「……クルミ、最近よく外出るね」

「別に……たきなも大変だな、お前と千束の両方を気にかけなきゃならなくて」

「……その理屈だとこの場にいないミカさんとミズキさんは俺を気にかけてないことになっちゃうんだけど」

「……まあ過ごしてきた時間が違うし、仕方無いよな」

「やだ何これガチの話?」

 

 やめてよ本気にしちゃうでしょうが。

 心の中でそう独り言ちるが、まさか本気でミカやミズキが心配してくれてないとは思わない。だがクルミの生々しい言い分ももっともで、あの二人にとって千束は家族そのものだろうし心配しない方がおかしい。

 

「じゃあ……クルミは俺の方が心配で来てくれたってこと?」

「全員が千束の方に行ったらお前が可哀想だから仕方なく来てやったんだ。独りぼっちは寂しいだろ?」

「甘いねクルミ。俺が何年病院の個室で独りだったと思ってるんだ。『天井のシミの数』と『点滴の落ちる音』がいつだって俺の孤独を埋めてくれる」

「変わった名前の親友だな」

「まあ確かに、過ごした年月だけで言えば親友といっても過言じゃないかもしれない。いや、家族かも」

「お前の人生聞いてるだけで苦しいよ」

 

 この病院は綺麗過ぎていけない。新設なのか清掃が行き届いているのか、残念なことにこの空間に誉の家族も親友もほぼいないまである。長年の病院生活のお陰である程度の孤独に慣れてるとはいえ、ここ最近は他者と触れ合う時間が多かっただけに、クルミが一人此処に居てくれるだけで多少の気が紛れた。

 

「……で、体調は」

「ん?……あー、まあ、うん……いつもよりぼうっとはするけど……多分、麻酔の所為だし平気、かな」

「……本当か?」

「え……」

 

 彼女の方へと再度視線が向く。此方の顔色を伺うような彼女らしからぬ表情と言動に、僅かに自分の眉が動いた気がする。

 普段無表情でいることの方が多いあのクルミの、まるで不安を隠せていないその表情に、思わず瞳が揺らぐ。

 

「……どうして?深刻そうに見える?」

「……さあな。専門じゃないし」

 

 惚けたように笑って見せながら探りを入れて見るも、露骨に目を逸らされた。彼女にしては珍しく分かりやすい。誉はそうして漸く肩の傷に目を向けると、ガーゼや包帯で重症だとすぐに理解できる治療が施されていた。

 

 それを見て、謎の看護師に銃弾で射抜かれて夥しい程の血が流れた時の光景が頭を過ぎる。

 自分に適合する輸血がその時点で病院には無かったとあの女は言っていた。新たに輸血を用意するにはそれなりの時間が必要だっただろうことを考えると、あの場にいたたきなが応急処置と止血で時間を稼いでくれたのかもしれない。

 

「……」

 

 ────クルミは、輸血処置が遅れたことによる機能障害や後遺症を心配してくれたのだと理解する。

 勘が良過ぎるのも考えものだ。

 

「クルミって結構仲間想いだよね。最初の時はドライな印象だったから、リコリコへの依頼人ってスタンスは崩さないのかと思ってた」

「……べ、つに。居候してること自体は最初の護衛依頼の延長とも言えるし、それにラジアータへのハッキングの件でたきなには負い目もあるしな。ただの成り行きだよ」

「成り行き……の割には千束達の悪ふざけに付き合うの楽しそうだったけど。クルミも案外人助けと向いてるんじゃない?ほら、個人の為のリコリスってやつ」

「お前が居ないと店が忙しい時にボクが駆り出されるんだよ。肉体労働はボクの専門外なんだ、一日でも早く復帰してもらわないと困る。お前を気にかけるのは結果ボクの為だ。勘違いするな」

「ただの利己(りこ)リスだった……」

 

 ツンデレの素直さ90%カットみたいな発言を耳に、聞かなきゃよかったと、ブレないクルミに苦笑する他ない。気を遣われるよりはマシかと小さく息を吐きながら、弱まった感覚に歯噛みしつつ上体を起こそうと試みる。

 力は入らないが、動かせない程じゃない。ベッド下にあるリュックから着替えを取り出し、病院服から脱する。

 

「……おい、何してるんだ。まだ寝てろ」

「俺も錦木のとこに行かなきゃ。あの看護師に何かされてるはずなんだ……っ、とと」

 

 僅かに慌てたような声色のクルミを余所に着替え終えた誉は、その冷たい床に足を付けて立ち上がり───瞬間、その足が震えた。力が上手く伝わらずにそのままベッドに腰を落としてしまった。飴細工のように脆く崩れ落ちる自身の様に愕然とする。

 

「────……っ」

 

 僅かに荒くなる呼吸と、その事実に動揺を隠せない誉の表情を見て察したのか、クルミがすぐに椅子から立ち上がり床に膝を着く。

 

「大丈夫か?」

「……っ、あ、ああ、うん……ありがとう」

「……」

 

 目を逸らすクルミに苦笑して、再び腕に力を込める。その傍でクルミが誉に寄り添う形で移動し、その背に小さな腕を回してきて、思わず視線が彼女の方へと落ちた。

 

「っ……クルミ」

「どーせ寝てろって言っても聞かないんだろ。仕方ない」

「孫……に介護されてるおじいちゃんの気分」

「離すか」

「判断が早い」

 

 茶化すなって言ってるだろ、と空いた腕で誉の脇腹を小突くクルミ。見慣れないからつい、と痛みや動揺を誤魔化すように笑う誉。

 きっと、何もバレてないと願望に近い思考を引き摺ったまま、彼女に支えられながら部屋を出、る────

 

「っ……」

「誉っ……!」

 

 ガクン、と膝から下の感覚が失せ、力無く床に座り込む。クルミが支えてくれたお陰で膝の痛みは僅かではあったが、そこからまた立ち上がる程の力が絞り出せない。いつもならこの程度の事、軽く熟せるはずなのに。腕と足に力を込める度、額に汗が滲み出る。

 クルミの、本気で慌てたような声を初めて聞いた気がした。

 

「なんか、うまく力入んない」

「撃たれたんだろ。安静にしとけ」

「……俺の事って、錦木には」

「ホントにさっき目が覚めたばっかりなんだ。まだ自分の状況も理解してない。ミカが今回の件を説明してるとこだから、お前が行くとややこしくなるまであるぞ」

「はは……」

 

 乾いた声で零れる笑み。目の前に斑点が広がり、次第に暗くなっていく視界。目の前にいるはずのクルミの姿が見えない。彼女には気付かれてないだろうか。

 焦燥からか、それともこの僅かばかりの動作の所為からか、心臓の鼓動さえ早く刻まれていく。

 

 ─────見えない。見えない見えない。何も。

 

 嫌な予感やネガティブな感情を振り払うように、また足に力を込める。それに合わせてクルミまでもが誉の支えになるように精一杯踏ん張ってくれていた。ここまで必死になった表情を見たことがなくて、立ち上がる最中その横顔を見下ろし続ける。

 

「……っ」

「歩けるか」

「……うん。エスコート、よろしくね」

「……普通逆だろ、男の子」

「そうだね」

 

 互いに困ったように笑いながら、一歩ずつ歩幅をあわせて病室の入口へと向かう。遅いペースながらもどうにかドアハンドルに手をかけた時────入口横の洗面台に付いた鏡に視線が動いた。

 

「……はは、ひっどい顔」

 

 ────死人と大差無い青白い顔をした自分と目が合って、誉は思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

「……何された?山岸先生」

 

 診療室で静寂を破ったのは、千束だった。

 入口付近、彼女の後ろにはミカとミズキ、そしてたきなが控えている。その中でも、千束が気を失っている間に、山岸から既に()()()()を聞かされている二人は、傍から見ても痛ましい表情をしていた。

 

 そして千束自身も、いつもの自分の状態と何かが違うと察しているようで、その違和感の場所───心臓部に触れながら、目の前の担当医にそう訊ねた。

 

「……あの女」

 

 普段と変わらないトーンで聞いてくる千束を見て、表情が歪む山岸。それと同時にたきなも自身の記憶からも、彼女が呟く“あの女”を呼び起こす。千束の検診を担当し、そして誉を襲った看護師を。

 外傷が無かった相棒に安心したのも束の間、山岸やミカ達の深刻な空気に当てられて、たきなは動揺を隠せないでいた。

 

「急激な高電圧による過充電で、ハードとのアクセスが不可能になった。……もう充電もできないよ」

 

 ────高電圧、ハード、アクセス、充電。

 一体、何の話をしているのか。千束の様子から人工心臓の話ではあるだろうが、専門的な話に理解が及ばない。聞き慣れない単語にたきなの思考が置いていかれてる間にも、彼女達の話は進行し、

 

「単純だけどよ、効果的な最高の破壊方法よ」

「……マジか……あとどれぐらい持つ?」

「幸い、充電直後だったから────持って二ヶ月」

 

 ────二ヶ月。

 

 その具体的な期間に、たきなの思考が止まる。悪寒にも似た恐怖が背中に張り付き、思わず口を開いた。

 

「……二ヶ月って?」

 

 話についていけず、分かるように説明を要求するたきなの表情には焦燥が見て取れる。

 けれど本当は、この時点で既に心の奥底で理解していたのかもしれない。この感覚を、たきなは以前にも感じた事がある。

 

「動き回らなければもうちょっと持つわ」

「何が二ヶ月────……」

 

 

「────余命だ」

 

 

 そんな彼女に、ミカは残酷にも告げる。嫌なくらい鼓膜に響く程の事実。聞き間違いだと思いたかった。嘘だと、そう思ってしまうのを、許して欲しかった。

 

「……ぇ」

 

 思わず零れた声に、ミカは再び事実を突き付ける。

 

「────千束の余命」

「……よ、めい……?」

 

 何を言っているのか、理解できなかった。理解も したくもなかった。“余命”、“二ヶ月”、そんな話を聞くと思わず、両足の力が抜けそうになる。

 心のどこかで分かっていた。けれど、嘘だと思っていたかった。嘘だと視線で訴えても、誰一人応えてくれない。ミカもミズキも寂しそうに、そしてどこか諦めたように瞳を細めていて。

 

「……は」

「たきな?」

「は、はは……っ、そ、そん、な……そんなのっ、壊れたところを交換でもしてっ……!」

「……できないのよ」

 

 千束を前にして零れる、乾き切った笑い声。嘘だと笑い飛ばしてやろうと零した声は、かすれる程に弱々しくて。次いで出たたきなのなけなしの提案すらも、山岸に即座に否定される。それができたらとっくに実行してると、表情が語っていた。

 

「悔しいけどよ、アタシ達の知識と技術じゃあ、どうにもできないのよ」

「────……っ」

 

 その事実に、思わず言葉が詰まる。声にならない音が喉の奥から漏れ、思考も身体も硬直して動かない。そんな、そんな彼女に追い打ちをかけるように、ミカから再び告げられる。

 

「────千束の人工心臓に、代わりは無いんだ」

 

 代わりは無い。

 唯一無二の人工心臓。

 故にこれは、事実上の死刑宣告。

 安静にしていたとしても、残り二ヶ月の人生。

 その事実にたきなの瞳が揺れ、口元がわなわなと震える。

 

「────……っ、ぁ」

 

 ────余命。その言葉を、自分はつい最近も聞かなかっただろうか。

 そうしてたきなの脳裏で呼び起こされたのは、病室で儚げに笑っていた、かつての誉。その姿と、目の前の千束が重なって見えた。

 

「なら……それなら、千束は……誉、さんと……」

 

 理解してしまった事実。恐れていた未来。何故今、彼と彼女が重なって見えてしまったのかが、二人が辿るこの先が、たきなは容易に想像できてしまった。

 

 誉も、千束も、同じなのだと。

 あと数ヶ月もしない内に。

 自分の、目の前から。

 消え────

 

 

「……っ!」

 

 

 気が付けば、たきなはその身を翻していた。突然の行動に誰も彼も視線が彼女に向かう。脇目も振らずに部屋の入口、その引き戸に手を掛けた瞬間、背後から相棒の慌てた声が引き止めてきた。

 

「あ、ちょっと、何処行くの!」

「決まってるでしょう!あの看護師を始末します!」

「ちょお、たきな。落ち着いてって。別にそんなのいいからぁ〜」

 

「────いいわけないでしょっ!!?」

 

 悲痛な叫びが密室に木霊する。呼吸を荒らげて放たれた甲高い声にミズキや山岸の肩が震え、ミカは何も言わずにその背を見つめる。

 あの女が何の目的で千束を襲ったのか、たきなには未だ分からない。けれど、自分のした事の責任を、その落とし前を付けさせずに終わらせられる話では無くなっていた。

 

 誉の余命を聞いた時は、どうにか生き長らえる術を模索した。アラン機関などという報道でしか名前を聞かない眉唾物に縋ってでも、生きていて欲しいと切に願った。けれど誉自身が何かに縋らず生きる事を望んで、そしてたきなに────いや、アランに助けられる事を望まなかった。

 他に術を思い付かなかったたきなは、故にそこで諦めるしかなく、自分の中で折り合いをどうにか付けた。付けなきゃいけなかったのだ。

 

「────いいのよ」

「……ぇ」

 

 あまりにも優しいその声音に、冷静さを失っていたたきなは我に返る。

 こんな時なのに千束は普段と変わらない調子で口を開き、そして柔らかく微笑んでいて。

 

「……元々、そんな長くなかったんだから」

「……“元々”?」

 

 そこに口を挟む者は、もうこの場には居なかった。ミカもミズキも何も言わない。最初から、千束の命は制限付きのものだったのだと、今日まで生きている事こそが奇跡だったのだと、だから仕方がないのだと。

 

「アイツを殺したとこで、変わんないよ」

 

 ────千束のそれは、ただ諦めてるだけのものに見えた。いつもと特に変わらない態度。そうあるべきだと決めているような、故に歪んで見えるような在り方。

 たきなにはそれが、それが酷く────

 

「……そだ、朔月くんは?今日病院終わったら迎えに来てくれる約束だったんだけど……クルミもいないし」

「……っ、そ、れは……」

 

 ズキリと、胸の奥が痛む。たきなは自分の顔が僅かに強張るのを感じた。

 千束が目が覚めたと聞いて駆け付けてから今に至るまで、たきなは勿論、ミカやミズキも千束の容態が気がかりで、誉も襲撃者に襲われたことを伝えるタイミングを逃していた。

 千束の純粋な問いにミカやミズキが僅かにたじろぎ、互いに目配せするその様子を見て、彼らの配慮を理解する。余命を打ち明けられたばかりの千束に追い打ちをかけるような事実を伝えるべきかどうか。

 先程の死人のように色白くなった彼の顔色がたきなの脳裏を過ぎり、思うように口が動かない。彼も千束同様の刺客に襲われたのだと告げるべきかどうかの逡巡。張り巡らせた思考の末に生まれた、明らかに違和感のあるその間に、千束が眉を寄せ始める。

 

「もしかして、何か────」

 

 千束がその結論に行き着きかけた時────診察室の扉をノックする音が静寂を割いた。

 その音源に各々の視線が吸い寄せられ、誰も許可する間もなく『失礼します』と、その引き戸が開かれる。

 

「っ……ほまれ、さん……」

 

 現れたのは、先程の病院服ではなく普段着を身に纏った誉の姿だった。恐る恐るといった様相は扉を開き切るまでで、千束を視認した瞬間にその頬が綻んだ。

 

 目が覚めてから彼が此処にくるまでの時間はさほど長くない。態々彼が着替えてきた理由────千束に自分の負傷を悟らせない為だということは明白だった。

 当人の、まるで怪我なんてしてないと、言葉にしなくてもそう告げているように見える彼の表情が逆にとても痛ましくて。

 それを露知らずの千束は、彼を視覚情報のみで無事だと判断したのか、安堵の息と共に緩んだ笑みを浮かべた。

 

「なぁんだ、外で待ってたのー?」

「部外者だから遠慮したんだよ。で、身体はどうだって?注射への恐怖で失神したって聞いたけど」

「誰だそんな根も葉もない噂流したのはぁ!」

「ええ、だってクルミが……」

「おい巫山戯るな。ボクは何も言ってない」

 

 引き合いに出されたクルミが、誉の後ろから顔を出しながら食い気味で否定する。誉の怪我を知っているはずのクルミのその様子は、彼が敢えて千束に黙っているその意志を汲み取るつもりでいるようだった。

 戸惑いの中でたきなの視線が誉と千束を行き来する中、彼の表情が僅かに曇り、回転椅子に座る千束と目線を合わせるように膝を立てた。

 

「……ごめん、冗談。身体は平気?」

「ん、ぜーんぜん平気」

「……ホントに?」

「うん。()()()()()()()()()()()()()()()()

「────……っ」

 

 たきなは反射的に千束を見た。ミカやミズキも、誉に余命のことを言わないつもりなのだと瞬時に理解した。誉の疑うような視線を諸共せず、たきなが見てきた千束の中で、一番上手な嘘だった。

 

「なに、心配した?」

「したよそりゃ」

「お、おう。そか」

 

 自分で揶揄った癖に、真顔でそう返されてしどろもどろな千束。髪をかき上げて目を逸らす彼女を前に、誉は俯いて続ける。

 

「……もう少し早く病院に向かえば良かった」

「いや何言ってんの、したら朔月くんが鉢合わせて危なかったでしょーが」

「……っ、ぁ」

 

 ダメだ、言わなきゃ。かつての人工心臓、互いに黙っていたことによるすれ違いや蟠り。余命が僅かであるならばこそ、残りの時間で二人に亀裂が入るようなことはあってはならないと、言葉にならない声が漏れた。

 

「────……っ」

 

 誉がチラリと、たきなを見た。

 交錯した瞬間に、彼の意図を理解した。彼の意志を無視して告げるタイミングを逸したことを理解したのだ。

 千束に心配をさせない為か。巻き込まれたと罪の意識を彼女に与えない為か。一瞬の視線の交わりだったのに、察してしまった自分が嫌になる。もっと自分が鈍感で、空気の読めない人間だったら良かったのに。

 

(なんで、そうやって)

 

 黙っていることが、千束の為になると本気で思ってるのか。

 自身の長い前髪が目の前の二人を隠す。涙が溜まりそうになる瞳は、彼らにバレてないだろうか。悔しげに歯軋りするたきなのその口元は、今にも叫びそうなのをどうにか堪えていた。

 

 まるでいつもと変わらないやり取りをする千束と誉。変わらない笑顔。あと二ヶ月の命などと誰が信じようか。まるで平気だと誤魔化しているようにも見えない。とうの昔に覚悟を決めているようにも思えた。

 かつて、アランの支援を拒否した誉の言葉を思い出す。千束も、経緯はどうあれ同じようなことを言っていた。そこにあるのはいつだって『仕方ない』という諦観だった。

 

「……うしっ、帰ろう!ミズキ、車!」

「アタシは車じゃありませんっ」

「小学生と先生か」

「……どうして」

 

 ─────どうして千束も、誉さんも、そんなにすぐ諦めてしまうんですか。

 

「たきな」

「……はい」

「帰ろっか」

「っ……はい……」

 

 ────たきなも、ミカ達も結局、誉が撃たれたことを言えなかった。

 

 

 

 

 ●〇●〇

 

 

 

 

「……山岸先生ってリコリス専属の医師なんですか?」

「一般の患者もちゃんと診てるよ。普段はアンタほどの重症だと大きい病院に行ってもらうことが多いんだけど、傷の理由が(おおやけ)にできるものじゃないからね。警察沙汰は千束達も嫌だろうし」

 

 上を脱いで露出した肩に痛々しく張り付けられたガーゼに触れながら、山岸は努めて淡々と誉の質問に答えた。見据える瞳は痛みに耐える此方を同情するような感情を孕み、そうして申し訳なさそうに眉を寄せる彼女から逃げるように視線を逸らした誉は、彼女の言葉を頭の中で反芻した。

 

 確かに、銃による負傷なんて目立つ事件が公共の病院で明らかになれば、DA側に知られるのは必至である。だがその理屈で言えば、山岸はそれを知られないよう敢えてこの場所で自分を処置をしたことになる。

 

「……いいんですか、俺を匿ったりなんてして」

「さあ、どうだかね。でも上の連中がアンタの事を知ったらどう対処するのかは大体察しがつく。私も鬼じゃないし、今回の件はこっちにも責任がある。……それに、私も一人の医者だからよ」

「病院アレルギーとかゴネてすみませんでした」

「何の話よ」

 

 医者の鏡である。元の病院の物臭主治医に爪の垢を煎じて飲ませたい。

 隠蔽がバレた時のリスクヘッジを考え、ついつい巻き込んだ罪悪感が過ぎるが、聴取時に突発的な発言でややこしくするのも得策では無いし、嘘のシナリオを示し合わせても整合性の合わない証言は突っつかれる可能性もある。嘘を並べるくらいなら、そもそも隠した方が良いという考え方は割と理にかなってはいるのかもしれない。

 

 それに、一般人の診療をしているならば千束やたきなの治療はあくまで業務の“(ついで)”に当たる。身体的不自由が原因で医院に行けない患者には往診で応えるのが勤めに含まれる。その際に医院の留守を任せる相手を探そうともなれば、今回のようなケースが起こりえたとしても責められない。

 まして、山岸はここ何度か千束に検診に来るように促している。その当人に面倒だなんだとゴネられて勝手に日程を先延ばしにされた挙句、今日になってやっと行くことに決めた彼女に山岸が予定を合わせられなかったとなれば、この結果は千束の日頃の行いによるものに責任の比重が傾く────いやそもそも、彼女を襲ったアランが悪いに決まっているのだが。

 

「それで、今の体調は?」

「普通にしてる分には、撃たれた肩が痛む程度です。まだ身体に力が入らなかったりはしますけど……その、視界が」

「……見えないのかい?」

「いえ、今は……ただその、さっき少し歩いただけで呼吸が難しくて……その時、視界に斑点が」

「……そう」

 

 立て続けによる心労が隠し切れていない。誉の症状を耳にした山岸は、彼の目から見ても分かりやすく顔を曇らせ、溜め息を吐いた。

 

「多分、もう治らないんですよね」

「……まったく、答えにくい質問をするよ」

 

 ────心臓の活動が、更に弱まっている。

 

 最早胸に触れたところで鼓動を感じられない。つまりその程度にしか心臓が動いていない。現状少し無理をするだけで思うように呼吸ができず、血中に酸素が回らなくなっている。脳への血流不足による視界の暗転、一時的な視力の低下。動ける時間は半減以下になったといえるだろう。

 病室での立ちくらみ、胡桃に支えて貰ってなお覚束無い足取り、少し歩いただけの呼吸の乱れ。症状を列挙すればキリがない。

 

「……輸血が大分遅れて、ほぼショック状態だったからね。けど適切な処置がされてたお陰で今も生きてられるんだ、あの娘に感謝するんだね」

「……たきな、ですか?」

「専門知識のないあの娘がよくあそこまで()たせていたもんよ。あの娘がいなかったら、アンタ死んでたよ」

「……そう、ですね」

 

 意識を失う寸前、最後に見たのは泣きそうな彼女の顔。目が覚めた時のあの様子を見るに、自分がどれだけ彼女に心配をかけたのかは想像にかたくない。

 

「俺は、千束よりも先ですか?」

「……聞いてたのかい」

「部屋の外に漏れてたので。割と大きめな声でしたよ」

 

 ───()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 千束の余命、2ヶ月。クルミと共に診察室へ向かうその廊下で耳にした事実。何も考えてなかった訳じゃない。その上で、自分の終わりの方が先になったかもしれない可能性。誉は頭の中で考えていたことをそのまま山岸に向かって言い放つ。

 山岸の今日何度目か分からない溜め息を聞いて、誉は思わず笑ってしまう。

 

「あの場で千束に追求しなかったのはどうして?」

「え……ああ、いえ別に……彼女が何でもない風を装ってたので、俺に知られたくないんだろうなって。まあ、錦木の嘘って分かりやすいんですけど」

「あの娘は嘘が下手くそだからよ」

「そこが彼女の美徳ですよ。下手ってだけで嘘自体は割とよく()くんですけどね。しかも大体しょうもないやつ」

 

 摘み食いしてないだの、定期検診は行っただの。何故そんなすぐバレる嘘を吐くのだと聞いてやりたい。

 だが意図せず彼女の余命を盗み聞く形になってしまった為、聞かされてない風を装って容態を聞いた時、千束は自分に『たきなが助けてくれたから平気だ』と言ってきた。あの時の嘘は、普段と比べて此方を心配させまいとする配慮もあってか真実味を帯びていた。

 

 ただその返答の中に、たきなより先に病院に到着したはずの誉の話が一切無かったことから、つまるところあの時点では、まだ誉自身が負傷したことの共有が千束にはされてなかったということだ。

 

 つまり千束は、自分が今回の件を又聞きしただけだと早とちりしたのだ。彼女はそれを、自分に余命を隠すのに都合が良いと思ったのかもしれない。かつて人工心臓のことを説明しなかった時と状況は同じだ。だから誉も、自分の容態を優しい彼女に話すのは気が引けた。

 

 幸い千束の嘘を追求しなかったことを廊下で一緒に聞いていたクルミは突っ込まなかったし、此方が自身の負傷を黙っているのをミカ達やたきなも黙認していた。余命宣告した千束の心労を気遣っただけかもしれないが、病院服から私服に着替えてから彼女の元に向かったのは、結果的に正解だったかも知れない。

 

「それで、さっきの質問ですけど、俺と千束どっちが先に────」

「アンタ」

()っやぇ。え、やだ笑っちゃった」

「十中八九ね。自分でも分かってるんだろ?」

「ここから入れる保険とかあります?」

「一々発言が軽いのよ」

 

 こんな時に巫山戯るなと、無理に強がるなと、そう言わんばかりの視線。それを受けても誉はなお、謝るでもなくただ微笑んだ。残り時間を突きつけられてもなお失わない明るさを前に、戸惑い混じりの声色で山岸が呟く。

 

「千束もアンタも、それは達観じゃなくて()()だよ。アンタらの歳じゃまだ早過ぎるよ」

「でもほら、量より質って言葉もあるじゃないですか。短い人生ではありますけど、中身は結構濃いかもしれないですよ」

「そんなのは量を熟してない奴のセリフだよ。質ってのはある程度の量が伴ってないと生まれないからね。アンタみたいな奴の方が、まだまだこれからなんだよ」

「ちょっと、とんだ正論じゃないですか」

 

 論破がちゃんと致命傷である。論戦は山岸に軍杯が上がり、誉は観念したように笑った。それをただジッと見つめていた山岸は、その瞳を細めて告げる。

 

「……こっちは今回の件、DAには報告しなくともアンタの店にはしっかり詰めるつもりでいるの。無関係な一般人を巻き込んで……アンタも、もうあの店に関わるのは止めな」

「その辺の話はもう折り合いがついてます。どのみち俺の残り時間は少ないですし」

「消えかけの蝋燭に態々水をかける必要は無いって言ってるんだよ。もって一ヶ月、行動次第じゃその半分だって生きてられるかどうか……」

 

 ────()()()()()()

 

 何故か、そう思ってしまった。死は近い内に起こり得ること事象だと頭では分かっていたはず。何度も、何度も覚悟を決めていたはず。

 だというのに、なんだろう。聞けば、聞くほどに。残りの時間を突き付けられれば、突き付けられるほどに。

 

「それくらいの違いなら、持つべき覚悟は変わらないですよ」

 

 告げた瞬間、チクリと棘が刺さったような痛みが胸に去来する。自分でそう言ったのに、その発言に何処か違和感を覚えていることに気付く。

 その言葉に嘘はない。自分ではどうにもならないことを考えても仕方がないと、これまでも本気でそう思っていた。

 いや、()()()()()

 

「死ぬのは誰だって怖いんだよ」

 

 ────山岸の言葉を聞いて、僅かに身体が硬直した。睨まれてるかと思うくらい鋭い視線に射抜かれて一瞬身が竦んだ。まるでこちらの心の奥底を覗き見ているかのようで、途端に目線が逸れる。

 

「……俺は、別に」

「信じられないね」

「……錦木だって、同じです。だからあんなに明るく振舞えてる」

「あの娘がそう言ったのかい?」

 

 ────言ってない、けど。

 怖がっているようには、見えない。

 

「……そもそも、遅かれ早かれだと思ってます。全ての命に約束されてるものですから」

「そう、だから簡単には受け入れられないのよ。死と戦うことで生きてる」

「……死と、戦う」

 

 仕方ないのだと見切りを付けた今の自分は、死と戦っていることにはならないのだろうか。諦めは向き合いとは違うと、生きていながら既に死んでいるのだと、そう言いたいのだろうか。

 山岸や、たきな。ミカ達には、自分も千束も諦めてるように見えるのだろうか。

 

 ────決して、死にたい訳じゃないというのに。

 

「朔月くん」

「……っ、ミカさん、帰ったんじゃ」

「君を置いて帰れないさ。千束はミズキ達と先に帰ったよ」

 

 背後の扉の開閉音と共に、杖をついたミカが顔を出す。露出した肩の銃創を慌てて隠し、上着を着る。事情を知っているミカの前で、そんな無意味な誤魔化し方を披露して、恥ずかしくて苦笑する。

 ミカは誉の目から見ても何とも言えない表情のまま、椅子に座る此方を見下ろす位置まで歩いてきていた。

 

「帰ろう、朔月くん。私が送る」

「え、あ……はい。山岸さん、ありがとうございました」

「ミカ、アンタね……っ」

「分かってる」

 

 山岸の怒気を孕んだ声を手で制すミカ。何かを言いかけた彼女に向ける彼の様子には、打ちのめされた人間の弱々しさを感じた。ミカに詰め寄るつもりだと言っていた山岸を押し黙らせるほどで、誉でさえ容易に言葉をかけるのを躊躇わせる雰囲気があり、思わず立ち上がって、踵を返す彼の背を追うしかない。

 山岸も、今日は諦めたのか仕方なさそうに息を吐き出すだけで、それを背中に感じながら診察室を後にした。

 

「……」

「……」

 

 コツコツとミカが突く杖の音だけが廊下に響く。彼の背を見上げるだけの静寂を割くように、誉は切り出した。

 

「もしかしなくても、聞いてました?俺の余命」

「……あの部屋の扉は薄いな。防音には向いてない」

「ですね。それに天井にシミ一つない。綺麗過ぎます」

「それは良く分からんが」

 

 暇を潰すものが無いと嘆く誉の気持ちなど露知らず、ミカは足を止めた。つられるように誉も立ち止まり、意図せず彼の隣りに並ぶ。下向く彼の良くない顔色が、見上げる状態だとよく見える。

 ミカが今、何を感じているのか。何を考えているのか。手に取るように分かってしまう。

 

「……朔月くん、私は」

「ミカさん」

 

 今度は、誉が遮るように割って入った。無音の病院に響く声にミカの肩が跳ね、口を噤む。怯えた子犬のように揺れる瞳が誉へと向けられ、誉もそれを受けながらも変わらない表情のまま、ミカに問う。

 

「後悔してますか。()()()()()()()を」

「────……っ」

 

 その主語を名言はしない。そこにはあらゆる意味が含まれた。千束と出会ったこと、彼女を救うべくアランと取引をしたこと、その条件を反故にして今日まで来てしまったこと。

 ────そして、誉を店へと招き入れたこと。

 

「……分からない。私は、どうすれば良かったんだと、今でも……」

「……なら良かったです」

「……っ」

 

 答えを出せず、曖昧に言葉を並べ、言い訳を探そうとする情けない姿。

 それでも、間違っていたのだろうかと自問自答を重ねてきたであろう人の声だった。そこに乗せられた葛藤を耳に、誉はミカの前に立つ。

 

「迷ってくれてるなら、後悔はしてないと言える可能性がまだあるなら、その答えが見つかるまでは、絶対に謝らないで下さいね」

 

 誉は、そう言って笑った。

 

 







ミカ 「……今日は店に泊まるといい。自宅も安全とはいえない。今日は千束達も泊まらせる」

誉 「え……いや、大丈夫ですよ。冷蔵庫に賞味期限の近い鶏肉があるんです」

ミカ 「その怪我で料理なんてさせられないよ。本来なら無理やり入院させている。アレルギーとか訳の分からないことでゴネられるとは思ってなかったが」

誉 「いや入院は錦木にバレた時大変なので。痛みだってもうそんなに……店に錦木居たらバレるリスク高くないですか?うわやっぱ帰ろうかな……」

ミカ 「いつも通りが過ぎるな君は」
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