幻想郷の添い寝屋さん 作:香椎
──人里に一風変わった商売をしている男が居る。
そんな噂を聞きつけやって来たのは、耳と足だけは速い鴉天狗の
到着したのは人里の隅に建てられたこじんまりとした民家。人間の里ではさも珍しくない併用住宅だろう。
しかし、噂になっていたので客がひっきりなしに詰め寄っているものかと思えば
「ごめんくださーい」
その様子に訝しみながらも射命丸は戸を開けた。すると奥から返事が聞こえ、暫くして足音と共に彼は姿を現した。
「はいはい。……おや、まさか初めてのお客さんが天狗だとは。しかもブン屋と来たもんだ」
物腰柔らかそうな青年だ。
それが彼の第一印象で、次いで面倒臭そうに顔を
こう言った対応は日常茶飯事で門前払いばかりされる彼女だが、先の発言を聞くに初めての客だそうじゃないか。だというのにそんな態度を取って良いのかと問い詰めたくなる(彼女の場合はそう言った態度を取ることが正解の時もある)。
「あやや。初めての客に対して随分な物言いですねぇ」
「客は
そりゃそうだ、と射命丸は写真機を構える手は崩さず店内を見渡した。
物は売っておらず、襖の奥を覗けば布団がひと組畳んであるだけ。一体何の店なのかわからず、そういえば看板を見ていなかったなと射命丸は彼に訊ねる。
「……して、此処は何屋で?」
「添い寝屋だよ」
返ってきた聴き慣れぬ言葉の組み合わせに射命丸はまたも首を傾げた。
「添い寝屋?……やや、まさか陰間と言うやつですか」
「そういうんじゃないさ。ただ疲れた者に安らぎを与えたい──その一心で開いたんだよ」
その瞳には一切の澱みはない。妖怪として長くも人を見てきた彼女はその言葉が嘘ではないことを感じ取った。
どうやら本当にその一心で開いた店らしい。なるほど、と射命丸は更に疑問をぶつける。
「うーむ……と言うと、外の世界で言うカウンセリングに近いのでしょうか?」
「かうんせりんぐが何か分からないけれど、人の温もりに触れる事で心身の疲れを癒せればと思ったんだ。……最近、何かと異変が起きては人里の住民も振り回されていて、一様に疲れが顔に滲み出ている。人間は妖怪と違って脆いんだ」
物憂げに遠くを見つめる彼に、射命丸はへーと間延びした声で返した。妖怪である彼女にとって人里の住民の体調面についてはあまり興味がないらしい。
その様子に店主は苦笑と一緒に愚痴を零した。
「とは言っても、嫁入り前の娘は当然にして、男と寝るなんてって方が殆どで開店以来君が初めてのお客さんだよ」
「まぁ、普通はそうでしょうね」
すらすらとペンを走らせながら射命丸は相槌を打つ。いつのまに持っていたのか、それを見た店主ははぁっとため息をついた。
「……君の前であまり喋ると勝手に記事にされそうだ」
「これは失敬。職業柄こういった癖が抜けなくてですね。……勝手に記事にするなんて真似はしませんので。我々記者は信頼が命ですから」
どの口が言ってるんだ、と彼女の被害を受け走り回った者達がこの場に居たのなら口を揃えて言っただろう。
彼女の言葉に店主はふぅむと顎に手を添えて、何やら思案に耽ている。何を考えているのか射命丸は疑問符を浮かべるが、二人だけの場に訪れた静寂はそう長くはなかった。
「それなら、実際に体験してみるのはどうかな?」
「え?」
沈黙を破った店主の言葉に射命丸は目を丸くする。というか、何を言ってるんだこいつという目をしていた。
そんな彼女の表情に、説明不足だったかな、と店主は先ほどの言葉を補足した。
「記事にすること自体は構わないけど、店の概要だけじゃつまらないだろう?なら、君が体験してそれを記事にするのはどうかと思ってね」
確かに、一理ある。
飛ばし記事よりも体験談を交えた記事のほうがリアリティが増し読み易いためか、読者の反応も著しく変わる。そう考えれば願ってもない相談だが、そもそもそれ以前の問題なのだ。
「なるほど──しかし、私も妖怪とはいえ花も恥じらう乙女ですし、男性の方と同衾するのは抵抗がありますね」
妖怪なれど、乙女は乙女。それ以前に人間と同衾する、という単語が気に入らないのかもしれない。
彼女の言葉に店主はさりとて気分を害した様子でもなく、残念そうに「そうか」と溢すだけだった。
「本当に添い寝をするだけだけど、まぁ、無理にとは言わないさ。あくまで疲れを癒すのが目的だし。私としても、君のような美しい女性と温まると言うのは緊張してしまうからね」
「なかなか口が上手いですね。まぁ、そんなのに乗せられる私ではありませんが」
「お世辞でも何でもないんだけど、本当に残念だ。初めての客と言うこともあって少し舞い上がっていたよ」
影を落とす店主に、されどの射命丸もちくりと良心が痛んだ。
「そう言われますと考えてしまうのが現状です。……むぅ、ちなみにおいくらで?」
気がつけばそんなことを訊いていたが、まあ断る理由の一つにでもなるかと撤回はしない。
しかし先ほどの落ち込み様は何処へやら。その言葉を待っていたと言わんばかりに店主の顔に生気が戻る。
「初めては無銭で構わない。後で何か言われても嫌だし、お試しくらい設けているさ。それで気に入ってくれた方がいたら御の字だ」
どうやらこの男、本当に善意で商売をしているらしい。……いや前のやり取りのせいで少し怪しい部分もあるのだが。
射命丸は一貫した店主の行動理念に感心を抱くと、更なる湧いて出た疑問を彼にぶつけることにした。
「ふぅむ。俄然興味は湧いてきますが、やはり抵抗が……いやしかし、そこまで言うとは余程自信がお有りで?」
「自信がなきゃやってないさ。まぁこれも単に能力あってのものでもあるけど」
「能力、ですか?」
「そこから先は企業秘密だよ」
口に指を当て店主はにこりと微笑む。どうやら相手の方が一枚上手だったらしい。
してやられたと思う射命丸は、しかしタダでは起きないと息巻いた。
「……では見せてもらいましょうか、添い寝屋の実力のほどを」
×××
屋根の上、すずなりになった雀の
今日は何やら寝覚めが良い。久々にすっきりとした起床だ。そう思って彼女は身体を起こそうと布団に手を掛けて、違和感にはたと気づく。
「えっ……」
視線を這わせれば、隣で寝息を立てる男。
朝チュンである。鴉天狗はチュンと鳴かないが、朝チュンである。
「おおおおおお落ち着いて射命丸文っ!」
揺蕩う感情を抑制して、射命丸は昨日のことを必死に思い出す。人里で面白そうな噂を聞きつけて、その店を訪れたこと。口車に乗せられて、彼に添い寝を頼んだこと。そして──ぐっすりと寝てしまったこと。
「いやいやいやいや、なんですかあれなんなんですか!?」
紅葉を散らした射命丸は両の手で顔を覆い隠して狼狽する。
あれは一種の麻薬だ。快楽だ。抗えない、人を駄目にする効力がある(妖怪だけど)。ただ一緒に寝るというだけで凄まじい安心感。疲れた心身に沁みる労りの安らぎ。その結果、恥じらいも感じぬほど泥のように眠ってしまった。
「……ぅん?」
騒ぎ立てたせいか、薄らと目を開けて朝日を確かめる彼に、射命丸は目では追えない速度で布団から這い出て店先まで出た。彼女の人生の中でトップスピードにも及んだと言う。
「あ、ああありがとうございましたっ!私、仕事があるので帰ります!!」
目をぐるぐると回しながら、しかしお礼はしっかりと告げる射命丸。そんな彼女を見て彼は現状を正しく理解できぬまま、店主として口元を緩めた。
「また、いらしてください」
「ひ、ひゃい!」
顔を真っ赤にして蜘蛛の子散らす彼女に、この様子ならまた来てくれるのだろうかと彼は苦笑を溢す。
襖の開いた縁側から空を見上げれば雲ひとつのない快晴。不思議と二人の心も穏やかに晴れ渡っていた。
添い寝屋の店主
年齢は20歳くらいらしい。
能力、というのは半ば冗談なのだが射命丸は知る由もない。
射命丸文
添い寝屋の記念すべき初めてのお客さん。
店主の秘密を暴くため、これからも足繁く通うのだった(添い寝屋を記事にした新聞は発行されなかった)。