「タイシンタイシンタイシーンーッッ!!!!」
朝礼が始まる前のトレセン学園のクラスにて、元気の良い声が響き渡った。ウイニングチケットだ。彼女は興奮冷めやらぬ様子で、同じクラスの友人の席まで駆け寄っていく。名前を呼ばれたウマ娘は、同じく高等部に所属する生徒。柔らかそうな鹿毛の髪に小柄な体躯が特徴の少女。彼女は片側の耳を塞ぐような仕草を取ってから、顔を顰めながらウイニングチケットの声に応えた。
「……うるっさ。頭痛いんだけど」
「ご、ごめんよタイシン~~~っ!」
ナリタタイシンに「頭が痛い」と言われ、また大きく快活な声で謝罪するウイニングチケット。タイシンはため息をつく。今回は本当に体調不良なわけでもないので、その辺りはタイシンも叱り続けるつもりもなかった。
「で、なに?」
どうせいつものような“感動話”だろうと予想しながら、タイシンはそう問いかけた。すると、チケットはパァッと笑顔を浮かべて、ポケットからスマホを取り出して、タイシンの目の前に差し出した。画面には……タイキシャトルとそのトレーナーがショッピングや食事を楽しんでいるイラストが描かれている。
「タイキのトレーナーさんが徹夜で働いている時期にね、彼女がイラストを頼んで、そしてこれを見せて一緒に休息を迫ったらしいんだよ!! 絵の通りに買い物や食事を楽しむって言ってさ! すっごく素敵な話だと思わないっ!?」
目をキラキラと輝かせながら語るチケットに圧倒されながらも、タイシンはその説明を聞いて改めてそのイラストを見た。
……確かに上手い絵だとは思う。だが、タイシンにとってそれはただの絵であってそれ以上の何物でもない。あまり関心がなかった。
「単純に、『休め』って諌めればいいだけの話」
ぶっきらぼうにタイシンは呟いた。
チケットはその態度に気を悪くしたかと思いきや、タイシンの言葉を聞いた彼女は更にテンションを高めて熱弁をふるおうとした。そんなところで、頭のシルエットがデカい…………もとい髪の毛量が多い女性、ビワハヤヒデが話へと入ってくる。
「まぁ、トレーナーをねぎらう意味合いではよい添え物ではないか? 父母に絵を贈るというのは文化的によくある事だし、彼女の例では視覚的にも意図が伝わりやすい」
それに、とハヤヒデは付け足してから……クラスメイトのウマ娘達の方をちらりと見る。
「タイキシャトルの例に肖って、慕っている人間を遊びに誘う為にイラストを描いてもらうというのは最近流行っているらしい。彼女が校庭でやってのけた誘い方は、私も見ている分にも微笑ましかったしな」
タイキシャトルがトレーナーに休むように説得したやり取りは、たまたま居合わせた人物達に目撃されていた。つい最近海外G1からの凱旋を果たした彼女の行為は、間接的にイラストの使い道をムーブメントとして拓いたともいえる。
「…………」
クラスメイト達に視線を向け、タイシンはむっつりとした表情で黙り込む。ウマ娘達がトレーナーを思いやる気持ちまで「バカバカしい」と言い切るつもりは全くない。むしろ好ましい事だとは思う。だが、クラスメイトの何人かが『トレーナーに恋慕の感情を抱いている』という噂もあり、タイシンにはどうにも邪念混じりの話題に映ってしまう。
「あ、そうだ! タイシンもトレーナーさんを休養に誘ったらどうかな!!」
その内心を露とも知らずにチケットは言い放つ。その言葉に、タイシンの顔は険しくなった。
「アタシはアイツの事そんな風に思ってないからっ!」
強い口調で否定するタイシン。その勢いに押されチケットは目を丸くして押し黙り、ハヤヒデは苦笑い。
「そうだな。だけど、彼が最近疲れている様子なのは事実だ。クラシックも一段落ついたんだし、私達も自分のトレーナーをねぎらってもバチは当たらないと思う」
ハヤヒデの言葉にタイシンは唇を軽く噛んで言葉を詰まらせた。
彼女の言う通り、トレーナーのここ一年は多忙だった。レース出走のスケジュール調整はもちろんのこと、メディアへの対応や取材のセッティング……その苦労は、担当ウマ娘からしてみれば一定以上は理解出来る。特にクラシックは《皐月賞》、《日本ダービー》、《菊花賞》という大舞台が詰まっているのだから尚更である。
しかし、それでもだ。
「……別に、アタシはドボとかいう変な名前のヤツが描いたイラストとか使わないから」
ねぎらう事については否定しない辺りを見てハヤヒデはまた苦笑いし、チケットも遅れて気づいて快活な笑顔を見せた。
一方で件のどぼめじろう先生が最近どうしていたかといえば。トレーニングが終わるなりまっすぐ寮に戻り、机に突っ伏したまま眠っていた。連日連夜の激務に加えて昨日は夜遅くまでイラストを仕上げていた事もあり、疲労が蓄積した。そのまま睡魔に負けて眠りこけてしまっていた。
「オゥ、ドーベル。ベッドで寝ないと疲れがトレませんよ……?」
同室のタイキシャトルは、ドーベルの体を抱きかかえる。彼女は体躯の良いタイキと比べて華奢で、柔らかかった。ドーベルはゆっくりと瞼を開き、少し掠れた声で返事をする。
「……大丈夫、30分仮眠取ったら作業続けるから……」
そう聞いて、タイキシャトルはびっくりとした顔をしてから、表情だけ怒らせたように眉を吊り上げた。
「いけません。明日のトレーニングに響いてしまいマス」
その声は母親が子をなだめるように優しい声色だった。だけれど、心配も混じっている。その声を聞くとドーベルの心の奥底で、甘えたい気持ちが沸き上がる。普段なら恥ずかしくてそんな気持ちも湧かないが、疲労の溜まった今は弱っているせいか、つい口元が緩んでしまった。
最近、どぼめじろうのアカウントに対してとんでもなく依頼量が増えた。
たまらず値段を一時的に上げてみせても、依頼を頼んでくる者が途絶える事はない。
その理由は海外からの凱旋を果たしたタイキシャトルに肖って……というのもあるだろうが、それよりも明確に思い当たるものがある。クリスマスという大イベントが近いのだ。
クリスマスを待ち望むウマ娘達にとってトレーナーと一緒に遊びに行くイラストを描く事は一種の験担ぎ、あるいは流行になっていた。それはタイキシャトルの凱旋を間接的に誉め称えてくれている行為だし、メジロドーベルにとっても恋する彼女たちを勇気づけられる立場にあるというのはある意味嬉しかった。
「……だから、断るに断れなくて……」
ベッドで仰向けになったドーベルは甲斐甲斐しく頭を撫でてくるタイキシャトルへ、母親に弁明するかのように言葉にした。その額には汗が滲んでいる。
タイキシャトルも彼女に助けられた側面があるから、その気持ちは立派だとは思う。けれど、それでドーベルが無理をしてしまっては元も子もない。そもそも自分達はウマ娘であって、学生であって、アスリートなのだ。その本分に影響が出てきそうな今、タイキシャトルは同室の者としてそれを見過ごすわけにはいかない。
「……少し仕事の量を減らしマショウ? その間、私たちアシスタントがやれる事はやっておきマスから……」
タイキシャトルは諭すように言い聞かせる。ドーベルは少しの間黙り込んだ後、やがて力なくうなずいた。
「…………」
同時刻、ナリタタイシンはスマートフォンを一人でじっと眺めていた。開いているページはコミッションサイト。そこで件の『どぼめじろう』というアカウントを調べていた。
『現在依頼の受け付けを休止しています』
辿り着いてすぐにそういう案内が記載されているのが目に入った。タイシンはフッと笑う。
「別に、頼むつもりなんかないし」
自分に言い聞かせるように呟く。実際、イラストを頼むつもりはなかった。ただどんな絵が納品されているか見てみたいと思っただけだ。タイシンは改めて納品したイラスト群を確認する。そこにはやはり自分の知らない世界が広がっていた。
タイシンの関心を惹いたのは、やはりライスシャワーの軌跡を描いたものだ。自分と同じクラシック路線に挑んだ少女の奮闘が、誠実に描かれていた。
『がんばったねマックイーン』
『あと一歩でしたのに……勝ちたかったですのにぃ……っ!』
マックイーンの本音を告白するシーンも描かれていて、タイシンは微妙な笑みが浮かぶ。本当にそのやり取りがあったかのような錯覚に陥ってしまう。
「こういう漫画。嫌いじゃないけど」
タイシンとしても、こういう作品ならば肯定的に見ていられる。それだけライスシャワーの軌跡は見応えがあった。
……けれど、話に聞くような『デートのダシに使う』という考え方にはどうにも抵抗感がある。タイキシャトルの件はトレーナーを休ませたいというのが本質だからまだ理解出来る。だけど他のは、学生の身分で何千円も使って、相手に断る時の重みをありありと実感させているようなものだ。
『メールを受信しました』
突然スマートフォンの通知音が鳴った。タイシンは「トレーナーか」と判断して、トレーニングのスケジュールの変更かレースの相談かと考えながらメッセージ画面を開く。
『どぼめじろうっていう人にタイシンの絵を描いてもらおうと思うんだ! 依頼はひとまず取り付けてもらったんだけど、まずタイシン本人から許可が必要らしくて……』
タイシンはその文面を見て、思わず額を押さえた。
「あのバカ……」
速攻で却下するメールを送ろうとしたが、ライスシャワーの漫画を思い返して少し思い留まる。あぁいうのを頼むつもりなら、許可を出すのもやぶさかではない。そんな考えが頭をよぎって、メールの内容を変えた。
『どんな内容で頼むつもり? まずそれを聞かないと許可なんて出せない』
タイシンの質問は至極当然。むしろ最初に併せて伝えるべき内容だろう。
だけれど、そのメールに対しての返信はだいぶタイムラグがあった。タイシンは訝しげにメールの応答を待つ。
『……どぼめじろうさんとのイラストの相談内容そのまま転写する形でいい?』
トレーナーからの返信はそう書いてあった。すぐに『別に構わない』と返信する。
そうすると、許可を取る話と並行してイラストの内容を相談している部分のスクリーンショットが送られてきた。
内容自体は、冬やクリスマスをイメージしたナリタタイシンの人物画でその部分に限れば特にツッコむところはない。これだけなら、まぁ許可を出してもいいだろうと考えたかもしれない。
『星降る石畳を踏んで君はゆく。一歩半だけ先を、怒ったように忙しなく。
もろびとこぞる市場の中を、その細い脚で縫うように淀みなく、騒ぐ人波をかきわけて。
店先は光で満ちて、きらめく品々は眩しく鮮やかだ。
甘いホットチョコレートの湯気に、シナモンの香りが乗って夜を温めている。
この冬の日の喧噪の中でその小さな肩を見失わずに済んでいるのは、間違いなく君自身のおかげだった。
「何してんの、はぐれないでよ」
振り向いて、ぶっきらぼうに君は言う。
頷き返すと、すぐに前を向いてしまう。
ただ一歩半だけ先を、それ以上決して引き離さないように、
細心の注意を払いながら君はゆく。
時折、ちらちらと振り返る視線に、気づかないふりをして後を追う。
気づいたことがわかったら、そのとたんにこの聖なる1歩半がぐんと伸びて消えてしまうからだ。
聖夜の月明かりを受けて君はゆく。
1歩半だけ先を、誰よりも優しく慎重に。』
自分のトレーナーがそのシチュエーションを情緒的に語り、どぼめじろうが嬉々としてそれを聞き出している場面が目に入りかけて、タイシンは反射的にブラウザバックした。
『却下』
タイシンは震える手を必死で抑えながら、速攻でそのような文言を送りつけた。そして心を落ち着け、付け加える形でもう一つメールを送る。
『つーか内容変更。許可取りたいならアタシと絵の内容を相談。いい?』
正直、トレーナー単独で頼ませると自分も巻き込んで小っ恥ずかしい事をやらかしかねない。それくらいならタイシン自身で手綱を握った方が幾分もマシだ。
そういう形で、ナリタタイシンはトレーナーと一緒にどぼめじろうに頼むイラストを考える事になった……。