タイシンが部屋に踏み込んできた時間帯はちょうど夕食の時間帯であったのもあり、ドーベルはタイキシャトルに寄り添われながら食堂の方へと移動した。
「見る影もないね」
「……何がです?」
「体調管理。アンタ、そういうの得意な方だったろ?」
メジロドーベルは、レースにおいては『無事之名バ』を体現するようなウマ娘の一人であった。その証左として今まで長期休養するような怪我はした事がなく、しかも出走すれば掲示板入りを当たり前の如くこなす。
しかしながら、今のドーベルは目に隈を作り見るからにやつれている。近日においては寝不足による遅刻や門限破りのなどの兆しを見せ始めた。
タイキシャトルが泣きそうな顔をしているのも無理はない、とナリタタイシンはため息をついた。
まるで少し前の自分を見ているようでもある。ドーベルがかまけているのは勉学であるとの噂だが、そうする必要性があるほど彼女の頭が悪いとも思わない。
食堂にて食事を取ろうと皿を手に取るドーベルの横に、メジロマックイーンとエイシンフラッシュがいつの間にか立っていた。
タイキシャトルと表情の方向性は違えど、ドーベルの様子を咎めようとでもしている顔だ。タイシンは諫めるのは彼女達に任せようとも思ったが、用事がある事を思い返してそのまま五人で一つのテーブルを囲んだ。
「……別にアタシ自身が体調管理が得意というわけではないです……」
席についてから、先の発言の返答をしてきた。ドーベルは俯き加減にタイシンを見ると、ぽつぽつと呟いた。
「大体想像はつくよ。その手の管理はトレーナーがやってくれてんでしょ」
タイシンの解答に、ドーベルは顔を顰める。ドーベルとトレーナーは表面的に仲が悪くとも、本質的には上手くやっているとタイシンは捉えている。
「アタシもさ、デビュー前に遅刻や門限破りを退学させられる寸前まで連発したご身分だから。えらそうに言えた立場じゃないのは分かってるけど」
一旦、タイシンは周囲を見回す。今にも怒り出しそうな顔、泣きそうな顔、色々と考え込んでいるような顔と反応はそれぞれだったが。
「もう一度言うよ。無理せず休んだらどうだい。机の上のモノ、全部放り出してさ」
ここまで体調不良がひどくなるくらいなら、勉学の一つや二つを一時的に放り出しても許されるはずだとタイシンですら思った。
……しかし、ドーベルはタイシンのセリフに不服そうな表情を向ける。
「アタシは、それを放り出したくありません」
はっきりとそう断言したドーベルに、タイシンも周囲のウマ娘も意表を突かれた。この体調不良のそもそもの原因は、他人から見て明らかに『机の上のソレ』なのだ。当人すら自覚があるだろうに、ドーベルはただそれをこなす事にこだわっている。
タイシンもこれについて「らしくない」とは思った。周囲もそう思ったのだろう、それぞれが口を開こうとして、真っ先にタイキシャトルがワッと叱りつけるように口を挟んだ。
「ドーベル!」
泣きそうな声で叱るタイキシャトルに、ドーベルはそれを受けて顔をひきつらせ、他のテーブルのウマ娘達もぎょっとしながらタイキ達を見守った。
「……私がそれを放り出すと、悲しむ子が出てくるから……」
俯きながらドーベルは呟く。それは小さな声ではあったが、同じテーブルを囲んでいる他の四人には確かに聞こえた。
「まぁ、赤点取ったらアンタのトレーナーとか担任の先生とかも面目立たないだろうけどさ……」
分かるような、分からないような。ともかく、食事時でもあるから腹はすく。言葉を切り上げて、他人より量を少なめに盛った煮魚を箸でほぐし始めるタイシン。
「――ドーベル。仮に、それらを提出してその方々が喜んだとして」
マックイーンが、力強く、にじみ出る感情を抑えつけるような声色で言った。
「体調を崩してまでそれを敢行する事によって、周囲の者達を悲しませるのは平気だと仰るのですか?」
ドーベルはそう言われて、俯いていた顔をあげた。エイシンフラッシュも、タイキシャトルも、マックイーンも、事情をよく知らぬタイシンすらもが、浮かぬ顔でドーベルを見つめている。
「…………」
再び、顔を俯けるメジロドーベル。
五人は重たい空気の中、おとなしく食事を続ける。とりあえず喧嘩ゴトでないと把握した他のテーブルのウマ娘達も、それぞれが自分達の話題を話し合って盛り上がる。
「ねぇねぇ、例のコミッションさ。明日納品予定だって!」
「いいなー。こっちのは締切りすぎてるのに納品来ないんだ……」
ドーベルは下唇を噛んだ。学業も、トレーニングも、創作の内容さえも不変ではない。やるべき事は変化があり、許容量がある。コミッション活動を開始して、初めて明確に己のキャパシティをオーバーした。
そんな事は起こった事がないから、慢心していた。早描きの才があるから。親切で優秀なアシスタント達がいるから。
そんな過信が、作家としても、ウマ娘としても皆からの信用を失する事態を招いている。ドーベルの頰に涙が伝う。
「ワ、ワ……!」
タイキシャトルが、それを見て狼狽えた。ハンカチを取り出すとそれをドーベルの頬にあてて、涙を拭った。
「それはアンタにとって譲れない事柄なんだね?」
ただ赤点を取る事が悔しい、情けない事からの涙ではない事をなんとなく察したタイシンは、確認するようにそう尋ねた。
メジロドーベルは、続く涙をこらえながらうなずいた。
「遅くともクリスマスの日には、それぞれ提出しないといけない……でないと……」
――頼んでくれた者達が、他人を休日に誘う一助として使うには間に合わない。
ドーベルはそこまでを言わなかったが、アシスタントの三人はそれを察したようだった。タイシンの方は、あきれかえるようにいった。
「どうして、どいつもこいつも素直に『休め』って諫めたり、それを受け入れる事が出来ないんだか」
周りの四人が耳を傾けているのを見て、タイシンは言葉を続ける。
「どぼめじろうだっけ。他のウマ娘がそいつの絵をダシにして、異性を誘ったり友人を誘ったりする材料の一つに使ってる」
「……まぁ、はい」
ドーベルは、ぎこちない笑みを浮かべながら相槌を打った。タイシンはドーベルの表情の変化を不思議に思いながらも、続けた。
「アタシからいわせてもらえば、それが無いと誘わないっていうんなら所詮そこまでの感情なんだろうさ」
そう言ってタイシンは、煮魚をほぐしつつ食べ進める。ドーベルには彼女の言い分が理解出来たが、同時に「それは違う」とも思った。
「そう簡単に自分の心を伝えられるなら、誰も苦労しません」
だから、思わず言い返した。しかし状況的に相応しくない言葉だった。
「じゃあ、なんだい? アンタのトレーナーや友人達が散々休むように諭しても素直になれないって? アンタを大事に思ってるのに、なんで素直に休むっていう選択肢がないんだ?」
タイシンの方も思ったままに言い返してから、今年の自分を想起した。
『……走るから。「菊花賞」、出るから』
『お願いだからっ! お願い、だから……「出るな」なんて、言わないで』
『アタシには、レースしかないの。走って勝つしか、ないの……!』
『お願い、トレーナー。走れなかったら、アタシ――』
『……なんにも、なくなっちゃうよ……!』
「…………」
タイシンは、目の前のドーベルの様子に自身の過去を重ねてから。ため息をつく。
ドーベルに対する感情は同情でもなく、悲壮でもなく。ましてや苛立ちや怒りでもない。どれとも違う気がする。
「確かに。アンタが机の上のソレを放り出したら、失望するヤツはいるだろうね」
だけど、とタイシンは続けた。自分が言うに似合わない事だと思いつつも、言わずにはいられなかった。
「成し遂げる行為が誰かしらに『勇気』を与える事だってあるのも、アタシは知ってる。だから安易に投げ出せとは言わない。言える立場でもないから」
そう思いながら、タイシンは水を一杯飲んで心を落ち着かせると最後に言った。
「ドーベル。アンタを信じてるヤツらは『負担を背負う』って言ってるんだ。諦めろ、やめちまえ、って言ってるわけじゃない。他のヤツに任せられるモノは他のヤツに押し付けて、甘えてくれって言ってるんだよ」
言葉として紡ぐ事で、タイシンも腑に落ちた。自分達がトレーナーから向けられている休日の誘いは……そういう事なのだろうと。
……ナリタタイシンのその言葉を受けて、メジロドーベルは自身の指で涙を拭う。そして申し訳なさそうに、エイシンフラッシュ、マックイーン、タイキシャトルの面々を見た。
「……クリスマスまでにやるべき事と、そうでない事を仕分けして。先方には遅刻する事を謝罪、伝達しておきます」
「ドーベルの手伝いをしていたから、わたくし一人でもある程度の段階までお膳立ては出来ますわ」
「Enjoy yourself!」
その視線を受けた彼女達は、先のように重苦しい表情ではなく。どこか安堵したように笑んでいた。
ドーベルとタイシン達が遊びに繰り出したのは、クリスマスの数日前だ。
すでにイルミネーションが飾りつけられ、まるで星のように街路樹を彩っている。
「……クリスマス当日かイブじゃなくてよかったんです?」
「人混みで疲れるだけ。クリスマスを祝うなんてガラじゃないし」
なんだかんだ、この日が一番都合がよかった。お互い、トレーナーとは『そういう間柄』ではない……とは思ってる。
ナリタタイシンはトレーナー達の到着を待つ間、どぼめじろうに投げるコミッションの最終調整の文言を打っていた。自分のトレーナーと長々相談しあって決めた代物だ。
「アタシは、他人を休日に誘う材料として、絵を発注するなんてのはバカバカしいとやっぱり思ってる」
そう言いつつも、タイシンは微笑んでいる。
「でもね。アイツとどういうイラストを頼むかって話し合ってる時、正直楽しかったんだ」
ドーベルは変な笑いが浮かんだ。それを察知してムッとするタイシン。
「……笑うな」
「ごめんなさい」
謝罪するドーベルから顔を背けながら、タイシンはため息をついた。
「他の奴らがイラストを頼んでるのは。ハヤヒデが言うようにねぎらいの意図もあるんだろうけどさ。誰かに『勇気づけられたい』って部分もあるんだろうね」
ドーベルが意固地になってまで成し遂げたかった事は、つまりはそうなのだ。恋する乙女を勇気づける一助。……恋でなくとも、誰か誘う事、気遣う事。その背を押すきっかけ。
「ま、アタシはこんなものがなくても。アイツと遊びに行く事くらいどうとでもないけどね」
そういって、送信のプッシュを押した。……その直後、メジロドーベルの腰から通知音が鳴る。
「……」
「……」
「ちょっと携帯見せろ」
「え、あ、え~っと…………!!」
揉み合いになりかけたところで、トレーナー達が到着した。喧嘩していると誤解されてはかなわないので、ひとまずタイシンはドーベルから身を離した。
さて、何処へ行こうか。何を食べようか。何を買おうか。
ドーベルのトレーナーがあらかじめウマ娘二人が喜びそうな場所を下調べしてくれて、タイシンのトレーナーも担当に対して気遣うように話を向けてくれた。
クリスマスがやってくるのを謳歌する誰もが幸せそうで、いつもより華やかに着飾っている。
すれ違う恋人同士や家族連れが目につくと、ほんの少し胸の奥底が疼いてトレーナーから距離を取る。
置き去りにしてしまったのではないかと振り向くと、開いていたのは『一歩半』。
「何してんの、はぐれないでよ」
ぶっきらぼうにそういうと、トレーナーも微笑んで頷き返す。
見つめ合うのもガラじゃないから、すぐに前を向いた。
ただ一歩半だけの距離、それ以上近づかないように。それ以上引き離さないように。
今は、それがいい。それでいい。
……そんな事を思いながら。ドーベルの方を見れば、自分と同じように慎重な歩き方をしていて、タイシンは思わず変な笑いが出てしまった。
ドーベルは休日を満喫している最中、頭の中で引っかかるものがあった。
「……あれ、なんかフラッシュ達に伝え忘れてるような」
「ぁ゛ぁ゛ぁ゛……超特急フルカラー特殊PPッッッ……!!!!!」
「寮長……今回は誤算というか、相手と連絡がつかないっていうかわいそうな側面もあってだね……え? 趣味で体を壊すのは許さない? ごもっともな意見で……」
栗東寮にはいつものように勇者の叫び声が響いていた。
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