「スカイさん。今日は調子が良さそうですね」
トレーニング中、ニシノフラワーがセイウンスカイに声をかけてきた。
近頃悶々としていたセイウンスカイだったが、その気持ちが晴れたような態度だったから気になったらしい。
それを理解してかセイウンスカイの方も、いつもよりも少し快活なノリでそれに返した。
「分かる? ちょっと嬉しい事があったんだ」
「嬉しい事?」
ニシノフラワーは首を傾げた。セイウンスカイは、そんな彼女に対してニコニコと気分の良い時の緩い笑顔を向ける。
「最近ウマッターで流行ってるどぼめじろう先生。あの人、コミッションを請け負ってたみたいでさ。その人に漫画を頼んでみたら、その内容が嬉しくってさ~」
セイウンスカイの機嫌の良さは、どぼめじろう先生に頼んだ漫画にあった。
その内容はトレーナーと恋仲になり、甘々と女の子として溺愛されるもの。ハグとか、キスとか、現実では起こり得ないであろうそんな行為もその中には詰まっている。しかもニシノフラワーからは現実以上に慕われ、気軽にスキンシップが出来る関係性だった。
……いや、まぁ、どぼめじろう先生との「公には非公開」という約束も併せて、他人に見せられる代物ではないが。
「へぇ、私もどぼめじろう先生の話は聞いた事あります。一体どんな漫画を描いてもらったんですか?」
目を少し輝かせるようにして、星空雲改めセイウンスカイに寄ってくるニシノフラワー。漫画の内容が思い起こされてスカイも頬が熱くなる。
「あ、あはは。ヒミツヒミツ。少女漫画だから、恥ずかしいし……」
顔を赤らめながら、やんわりと伝える形で詳細を教えるのは断った。ニシノとて自分が持っている少女漫画を他人に見せるのが恥ずかしい人種がいるというのは理解出来る。ゆえに、その点についてはそれ以上は深く突っ込まなかった。
「でも、良かったです。スカイさんの元気そうな顔が見れて……」
ニシノは心底安堵した様子で言う。セイウンスカイはそれがとても照れ臭くて、また調子が良い時の笑顔で表情を崩した。
さて、同時間帯にトレーニング中のウマ娘達はそんな話を聞いて少し羨ましくなった。
どぼめじろう先生はジュニア期のウマ娘を中心として、学園内でもファンが多い。絵がとにかく綺麗で、ウマ娘側の解像度がやけに高いのだ。
――名前からして男性作家だろうに、
どぼめじろう先生の名を知るトレセン学園の生徒達の大半がそんな事を思っていた。
「……漫画、描いてもらえるんだ」
チームシリウスに所属するウマ娘、ライスシャワーもその一人である。
「……まったく、なんでわたくしがベタ塗りを手伝わなければ……」
メジロマックイーンはぶつくさと文句を言いながらも、メジロドーベルの描いた原稿にベタを塗っていた。
「私は、ただ単に危ない事に足を突っ込んでないか監視をしにきただけだというのに……」
「仕方ないじゃない……マックイーン以外に、私が漫画を描いてるなんて知られてないんだから……」
対するメジロドーベルも、必死に作業を続けている。何故こんなに切羽詰まっているかというと、ここ数日間でコミッションが大量に来た。どこかでまたどぼめじろうがコミッションを請け負っているという話が広まったらしい。
ドーベルは己がどれだけのペースで描けるか、まだよく分かっておらぬ。コト、ユーザーとの打ち合わせ通りに描く事に関しては。
アグネスデジタルにも教わったが、コミッションの受注形態には大別があるらしい。
・最初に送られてきた文面だけで作品を描くかどうか決める『リクエスト形式』。
・依頼者とある程度の相談しながら作品を作り上げていく『打ち合わせ形式』。
基本的に依頼者との相談に時間を割かなくていい前者の方が労力が少ない。されど、星空雲の一件を考えるに後者の方がドーベルの作風を最大限活かすに適っていた。……適っていただけに、「どんな少女漫画がいいか」という事をいちいち相談するわけで。
『えぇっと、このウマ娘はファンの男性とこういう……』
『トレーナーさんとついに心だけじゃなく体で結ばれるの!』
『仲違いしていた弟に「お姉ちゃん、今日のレース恰好よかったよ」って仲直りするシチュエーションを!』
ウマ娘の恋愛事情について仔細を聞くハメになり、ドーベルは砂糖で胸が満杯になりかけていた。……いや、まぁ、ドーベル本人はそれも願ったり叶ったりの様子だったが。そのおかげで作業量が格段に増えている。
「……まったく、くだらない。そんなに慕っている人がいるなら、実行に移せばよろしいのに」
ウマ娘達が己の欲望を消化する手段として、自己投影した理想の少女漫画を他人に描かせるなどマックイーンには理解出来なかった。
無論、教職員であるトレーナーを組み伏せろとまでは言わない。そんな事をしたら大事件だ。だが「お慕いしています」くらいは伝えてみればいいのではないか。
「そう簡単に自分の心を伝えられるなら誰も苦労してない……」
マックイーンの疑問に対して、ドーベルがボソリと言った。それがマックイーンの耳に届いていないのか、届いた上で無視しているのかは定かではない。マックイーンはベタ塗りに集中していた。
スマートフォンの通知音が鳴る。ドーベルのものだ。
「ドーベル。メールですわよ」
「……代わりにお願い。今、手が離せない」
時間帯的に、たぶんコミッションのメールだ。そう判断したドーベルは原稿に向き合ったまま返事をする。
マックイーンはため息をついて、仕方なしに机の上に乗っていたドーベルのスマホを開いた。
『送信者:RICE PASS
依頼種別:漫画形式15ページ前後
依頼内容:初めまして。ライスシャワーです。
いつも、ウマッターでどぼめじろう先生の作品を楽しませてもらっています。
(中略)
今日は、どぼめじろう先生に描いてもらいたい作品があります。
その作品は、私の実体験を元にしたものです。
私がチームシリウスで今まで経験してきた、忘れられない思い出のストーリーです。
それは――』
メッセージをそこまで読んだマックイーンは、目を見開いて硬直した。
(ライスさん? 本人?)
一応、ウマッターでライスシャワー本人認定がなされているアカウントの様子を見てみる。
『ライスシャワー:はぁ~、緊張する……私もどぼめじろう先生にコミッション投げてみたんだけど、受けてもらえるかなぁ……?』
……やはり、間違いなかった。この依頼メールはほぼ確実にライスシャワーのものである。
続けて読んでみる。
ミホノブルボンの三冠を阻んだ菊花賞。観客からの反応。トレーナーやチーム員や、ミホノブルボン自身が支えてくれた事。
天皇賞でもマックイーンの三連覇を阻んでしまい、そして――
マックイーンはその続きを読む事が出来なかった。なんというか、顔が熱い。
(なんで私の台詞を一言一句違わず覚えているの……)
ライスに語った「勝者の義務や誇り」のくだりもしっかり書かれていて、マックイーンは赤面するしかなかった。
「どうしたの?」
マックイーンが耳を伏せながら赤くなっている事に気づいたドーベル。
拒んでも致し方ないので、マックイーンはそのままスマホを手渡した。
「ライスさんの依頼……」
「自分の大切な想い出を、漫画として残したいとの事で」
ドーベルも依頼文を読み進めて、チームシリウスとマックイーンの事を深く知れた気がして少し嬉しくなった。
ここで「マックイーン、慕われているのね」とでも言えば茶化していると受け取られそうだからその点については何も言わないが。
ともかくとして、今から行うのは通過儀礼だ。ドーベルはライスシャワーに対して返信を行った。
『モデル本人の許可がない場合は当人への配慮の為、納品した作品については公には非公開の形となりますがよろしいですか?』
『トレーナーさん、ブルボンさんやゴールドシップさんには許可が取れています。でもマックイーンさんは近頃忙しそうなので……』
ドーベルは微笑んでいいのか困った方がいいのか、そんな複雑な表情でマックイーンの方を見た。
「……どうする?」
その問いにマックイーンは作業に集中している体で答えない。
しかし、翌日すぐにライスシャワーから『許可が取れました!!』と大喜びのメールが届いた事で、ドーベルは苦笑するしかなかった。
さてはて、では作品の執筆に取り掛かろう。
ライスシャワーは絵本を作るのが趣味だとかいう話を聞いた事がある。その経験があってか、物語の道筋を説明する文章は理解がしやすかった。
ストーリーについてはその通りに描けばお互い満足のいく出来に出来るだろう。
ただ、問題は……。
「……トレーナーさんとの若干の恋愛描写?」
アシスタントのマックイーンは、依頼の要求に口を「ヘ」の字に歪めた。恋愛描写については露骨なものではなく「ライスシャワー側から慕っているという描写を、ほんの少し」と書き足されている。
「そういう関係だったの? あの二人」
「私に聞かないでください」
とはいえ、二人にとっても彼女の心情は理解は出来る。それを“恋愛”といえるかどうか怪しいが、ライスシャワーがトレーナーを慕っているのは確かだ。それが「年上の男性に対する恋愛感情」か、「導いてくれる者への好意」か、当人にも些か判別の付き辛い問題なのである。ドーベルもそれと似通った状態だ。
だから、それも問題なく描写は出来そうなのだ。出来そうなのだが……。
「…………」
先日とは打って変わって、アシスタントのメジロマックイーンが少々不機嫌そうな表情をしていた。先ほどまで尻尾をゆらゆらさせてご機嫌だったのに。
「ま、マックイーン。今回の依頼は私一人で……」
「いえ、お気になさらず。今回もアシスタントとしてお手伝いさせていただきます」
その言葉には有無を言わせぬ圧があった。まるで「シリウスのトレーナーが他人と恋愛してようがなんでもない」と言わんばかりに。
(なんでだろう。胃が、痛い……)
ドーベルはまた苦笑いしながら胸をおさえた。
数日後。ライスパス改めライスシャワーの元に、完成した原稿のファイルが届いた。
ライスは早速、その絵を確認していく。
色鮮やかな色彩で描かれた、学園での出来事を描いたストーリー。ライスにとってとても大切な想い出を、綺麗で繊細なタッチで描かれている。
「やっぱり、どぼめじろうっていう先生の絵は綺麗だなぁ……」
ライスは目を輝かせて、ページをめくっていく。こうやって視覚化されたおかげでどのシーンも、鮮明に思い出せる。
あの時、トレーナーさんと交わした会話の内容や、ミホノブルボンの三冠を阻んだ菊花賞。観客から受けた言葉も、皆のおかげで一つの想い出として怯える事なく思い起こせる。
ライスシャワー視点ではトレーナーを慕っている事も付け加えて、読んでいる当人は甘酸っぱい気分を楽しむ。
(トレーナーさんの容姿とか、細かい仕草の描写とか、まるで実際見た事あるみたいに描いてくれてる……)
ライスはその部分を何回も読み返した。その度にライスの顔が紅潮していく。自分で要求した内容なのに。
それは恥ずかしさもあったが、それよりも嬉しい気持ちの方が強かった。
そうして天皇賞のシーン。そのレースの描写は少女漫画にあるまじき、1コマ1コマに真に迫った胸に熱い感情がこみ上げる代物。こんなものが描けるだなんて、どぼめじろうは陸上競技の経験者なのだろう。
そして、ウイニングライブのシーン。その直前でマックイーンに教えられた「勝者の義務と誇り」……その想いはライスの心に深く刻まれている。
(……まるでマックイーンさんを目の前にしながら描いたみたいに、とっても似てるなぁ……)
マックイーンが上向いた時のお顔が真ん丸に見えるところまで再現されていて、笑みがこぼれた。
そして最後に、天皇賞のウイニングライブを終えた後の描写は、毛色の変わったお願いをした。
『どぼめじろう先生。最後の2ページのシーンは、私には分からないので描写は先生の想像にお任せしたいのです。そのシーンは――』
天皇賞のウイニングライブ後、学園に戻ってきたマックイーンは夜も更けてきたというのに物憂げにレース練習場を眺めていた。
『マックイーン。今日はお疲れ様』
『……トレーナーさん』
そのマックイーンを見かけて、チームシリウスのトレーナーは彼女に声を掛ける。
『ライスさん。自分に足りなかったものに気がついてくださったようですわ』
『ウイニングライブを見て、よくわかったよ』
『まったく、格好つかないですわね。レースに出すように頼んでおいて、負けてしまったのですから』
マックイーンは苦笑する。彼女の言から、ライスシャワーを天皇賞に出走させるように要望したのはマックイーン本人だという事が想像出来る。その理由はライスシャワーの事を考えての事だ。
そんな優しさが彼女の“チームシリウスのエース”としての強さであり、漫画を読んでいるライスシャワーも気づいている。
『……本当に素晴らしい走りでしたわ』
そんなメジロマックイーンがそう賞賛するほどに、天皇賞のライスシャワーの走りは最高だった。
それだけに、それと肉薄したマックイーンの走りだって天皇賞にかける想いがライスにも伝わってくるほどだった。
「……がんばったね、マックイーンさん」『がんばったねマックイーン』
シリウストレーナーの台詞を、ライスシャワーが思わず音読する。
そして、漫画の中のマックイーンは溜め込んでいた心の内を吐き出す形で泣き始めた。
『あと一歩でしたのに……勝ちたかったですのにぃ……っ!』
マックイーンの頬を伝う涙は、悔しさから来るものだろう。
ライスシャワーは頬にひとしずくの涙が伝った。
メジロマックイーンの嬉しさ、悔しさ、悲しみが、その2ページで全て表現されているからだ。
これと似たようなやり取りが実際にあったのだと、ライスの頭の中でありありと思い浮かぶ。そのシーンに感化され、涙を流してしまったのだ。
「……ありがとう。マックイーンさん。マックイーンさんと一緒に、ライスもシリウスのみんなと頑張っていくよ。今度は、ライスがみんなに夢を届ける番」
ライスシャワーはそう呟いて、明日からもトレーニングを頑張っていこうと決心した。
「大好評ね」
作業を全て終わらせてから、ライスパスから届いた感想メールに目を通して一息をつくドーベル。
マックイーンがむっつりと顔を背けている。まぁ、本人が出てくるシーンで作画モデルを頼んだり、シリウストレーナーが慕われるところにベタ塗りさせたり、最後の2ページの事を取材したり……この仕事では特に頼りきりだったから致し方ない。
特に最後の2ページについては、内容からしてシリウストレーナーと二人だけの秘め事なので、ライスシャワーには曝したくなかった部分だろう。
「……ライスさん本人が要望しているなら致し方ありませんわ」
マックイーンがボソッと漏らした。その声色は不服そうだ。やはりライスシャワーに知られるのは嫌だったのだろう。
同じメジロの家族と気まずい雰囲気は、やはり胃が痛い。
「マックイーン。今回のコミッション報酬は全部そっちに回すわ……だから、スイーツでも買って機嫌を直してくれたら……」
その言葉で伏せっていた耳がぴくりと揺れる。しかしそれだけでは足りないようだ。
「……前のアカウントであげてたやつ」
「?」
「前のアカウントであげてた、私とトレーナーさんをモデルにした漫画。……恋愛込みの方も……それらの原稿もくれれば、機嫌を直して差し上げます」
それを聞いて、ドーベルはまた苦笑いが浮かんだ。
色気も食い気も、トレーナーも仲間も、そのどれも大切にするのが実にマックイーンらしかった。
五話目の依頼者
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ハルウララ
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スマートファルコン
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タマモクロス