ライスシャワーの頼んだ漫画は依頼者やモデル達の許可もあり、どぼめじろう先生の納品実績の一つとして、サークル『メガドボ』のサイトで閲覧する事が可能だ。
それは当事者二人の体験談をもってして、チームシリウスの軌跡を忠実に描いたような代物。チームメイトとトレーナー達の絆の物語だ。どぼめじろう先生の作品の一つにして、最高傑作とも名高い。
特にジュニア期のウマ娘達はこの物語に憧れを抱き、どこかしらチームに入部したという話も少なくないという。
モデルにして当事者であるチームシリウスはトレーナー目当ての新入部員がやってきて、マックイーンがしばらく頭を悩ませる事になったが……そういう邪な輩はゴールドシップがイモリの黒焼きの洗礼を浴びせて追い払ったらしい。
チームシリウスの漫画を読んで、とある企みを思いついたウマ娘が居た。
(……これだ)
そのウマ娘の名はスマートファルコン。彼女が着目したのは、ライスシャワーがトレーナーを慕っている事が描写されているシーン。
それは『大人の男性に対する恋心』とも『トレーナーを師として頼りにしている』とも取れるが、そこからファル子には一つのビジョンが思い浮かんだ。
『トレーナーさん……ファル子、トレーナーさんの事が好きなの。もちろん、異性としてだよ?』
漫画の中でトレーナーさんに告白する。あわよくば、この作品のようにメガドボで掲載してもらってその事を“周知の事実”とする。
スマートファルコンはセイウンスカイのようにトレーナーに恋心を抱いていた。だが、それが実る事はない。何故なら自分は学生のウマドルで、相手は教員職の担当トレーナーなのだから。
だから、ファル子は決めた。この想いを叶えるために、一世一代の大勝負を仕掛けると。
『トレーナーさん! どぼめじろう先生っていう人にイラストのコミッションを頼みたいんだけど……漫画を描いてもらうにはモデルになる本人の許可が要るらしくて、私はOKなんだけど、トレーナーさんはどうかな?』
スマートファルコンは担当トレーナーにそういうメールを送った。トレーナーの返事は『もちろんOK!』との事だ。
チームシリウスを題材にした漫画の事は彼もよく知っている。そういうものを描いてもらえるのだと考えて、快く了承をしたのが見受けられる。
(……にぶトレーナー)
スマートファルコンは心の中でそう思った。だが今回だけはそれがありがたかった。
そして、早速どぼめじろう先生に連絡を入れる。
『送信者:フライングイーグル
依頼種別:漫画形式10ページくらい
依頼内容:初めまして! わたし、フライングイーグルっていいます!
今回描いてほしい漫画はスマートファルコンとその担当トレーナーのカップリングもので――
(中略)
担当トレーナーから迫る描写は無しの方向で、スマートファルコンから恋愛感情を抱いている描写を明確に強く押し出す形でお願いします!
モデルの許可については、二人とも取れています!!
詳しい流れについては――』
「ファルコンさんと担当トレーナーさんのカップリングもの?」
ドーベルは首を傾げた。その二人に恋愛っ気があるという話は微塵も聞いた事はない。二人ともトレーニングやレースに日夜励んでいて、そんな色恋沙汰に費やす時間は無いともっぱらの噂だ。
そのおかげか彼女の主戦場とするダートレースではほぼ負けなし。ついたあだ名が『赤鬼スマートファルコン』。
同じダートレースを走る者達にとって、まさに「赤き鬼」か「ピンクの悪魔」とでも云うべき存在。
そんな純然なアスリートたる彼女とその活動を支えるトレーナーが、恋愛に現を抜かす姿がそうやすやすと想像は出来ない。
「まぁ、そういうのを望む人もいるのかな……」
ドーベルはその疑問は振り払い、依頼の通りに作業に取り掛かった。
どぼめじろうが引き受けた漫画は、スマートファルコンが土手でライブを開いているところから始まる。
観客が一人もいない河川敷で歌う彼女の姿は、傍から見ればしがない中高生がアイドルに憧れて“ごっこ遊び”をしているそれに過ぎない。
――だがトレーナーから見れば、彼女の姿はとても輝いて映ったのだろう。二人の今の関係性からドーベルはそう感じている。
将来トレーナーとなる人物はそのライブを最後まで見守る余裕はなかったが、その代わりに精一杯の拍手を一つ。
スマートファルコンが、将来トレーナーとなるその人物に何かを感じたのはそこからだったかもしれない。
「…………」
スマートファルコンはどぼめじろう先生との打ち合わせで自分の想いを赤裸々に晒すハメになっていて、顔が赤くなっていた。
自分のトレーナーにも打ち明けた事のない感情。それを全くの赤の他人であるどぼめじろう先生に吐露しているのだから。だからこそ、こんなにも胸がドキドキするのだろうか。
(漫画で遠回しに告白するんじゃなくって、この打ち合わせのメールをトレーナーさんに転送出来たら……)
トレーナーへ「漫画の内容はこれでいいかどうか確認する」という体のメールを転送するまであとワンプッシュ。そこでスマートファルコンの指がピタリと止まった。
出来ない。どぼめじろう相手になら何故か打ち明けられるのに、あの人に伝えるには、あまりにも恥ずかし過ぎる。その葛藤がスマートファルコンの心を掻き乱した。
(やっぱりダメ! メールを送るなんて無理!)
結局、それはコミッション用の『送信者:フライングイーグル』のフォルダに保存されたままとなった。
スマートファルコンが漫画を依頼して、しばらく経った。
どぼめじろう先生からストーリー確認用のラフが送られてくる。
スマートファルコンは寮室のパソコンでその内容を確認し、その内容にドキドキとした。なにせ、漫画の描写からはファル子がトレーナーを好いている事が丸分かりなのである。
(これを、皆に見られる状態に……)
ファル子は一瞬躊躇した。なにせ、今のファル子は“3兆人のファン”がいると揶揄されるほどのウマドルだ。
そんな彼女の本音が駄々洩れの漫画を多くの人に知られる事は……ファル子にとっては羞恥以外の何物でもない。
――羞恥を周知する。ふふふ。
頭の中でシンボリルドルフが囁く。彼女がビデオメッセージに恋愛お悩み相談コーナーを入れておいてくれればこんなに悩む事はなかっただろうに。
「……ちょっと、飲み物買ってこよう……」
緊張のあまり、喉がカラカラに乾く。ふらふらとした足取りで席を立った。
同室のエイシンフラッシュが、ファル子が出払っている最中に帰ってきた。
フラッシュはつけっぱなしのパソコンを目に「つけっぱなしはいけない」と手動でスリープ状態に移行させようとする。
動作中のプログラムが無いか、画面で起動中のプログラムを見た。真っ先に目に入るのは漫画のラフ。
「これ、ファルコンさんの……?」
……エイシンフラッシュはそのまま漫画を読み漁る形でマウスを操作していた。
部屋に戻ってきたファル子。自分の手で軽く頬を叩いて、気合を入れ直す。
「これもファル子が輝く為! うー……しゃいしゃーいしゃーいっ☆」
いつも通りの調子を取り戻そうと、声を出して気合を入れる。
……パソコンの前に戻ろうとすれば、そこで座っているのはエイシンフラッシュ。漫画をじっくりと品定めするように読んでいる。
ファル子はそれを理解して「ボンッ」と頭から煙が吹き出しそうになった。
「え、あ、ちょ、えっと……」
言葉にならない声が漏れる。漫画を読まれてしまったのがとても恥ずかしくて、どう言葉を紡げばいいのか分からない。
ファルコンは部屋の真ん中で正座して顔をうつむけていた。真ん丸なお顔はすでに真っ赤だ。
エイシンフラッシュも目の前で正座をし、説教する姿勢を取っている。
「ファルコンさん。漫画を利用してトレーナーを囲い込もうなんて、卑怯な手段だと思いませんか?」
「……はい」
「だからコミッション名が
「……それは『飛ぶ』って意味で……恋愛するところまで、飛翔できればなー、って……」
「あとイーグルはワシで、ファルコンがハヤブサです」
「……しゃい……」
エイシンフラッシュからしてみれば、ため息が出る内容だった。
漫画で繰り広げられるファル子の願望の数々。メールの内容からもこれを喧伝して既成事実を作ろうとしている事が見え見えだ。
教職員のトレーナーにとって、一歩間違えば悪い噂が広まって迷惑になるだろう。ファル子当人はあくまで「漫画の内容だから!」と誤魔化すつもりなのかもしれないが。
……それでも。男性を想って苦しい気持ちは、同じ女の子だから理解は出来る。
「作るにしても、これは公には掲載すべきではないと思います。トレーナーさんにも見せてはいけません」
「…………」
エイシンフラッシュも漫画の内容までは否定しない。なにせ、それがスマートファルコンの正直な気持ちだと分かっているからだ。
それに、そういう用途でどぼめじろう先生に漫画を頼んでいるのはファルコンだけでない。家族や親友、そして誰かに気持ちを伝える事を主目的にどぼめじろう先生に漫画を描いてもらう事もひそかに流行り始めている。
「……それでも、キラキラな想い出だけでトレーナーさんとの関係が終わっちゃうの、ファル子は嫌だよ……」
ファルコンの口からポツリと呟かれた一言。今を輝くスマートファルコンがいるのは、現担当トレーナーの存在があってこそ。
彼女は、自分の人生を変えた人物とどうしても離れたくなかった。
ウマ娘とトレーナーの関係は長く付き合えたとしてもせいぜい六年。アスリート前線から退いているであろう十年もすれば、あとは赤の他人だ。
だからこそ、卑怯だと分かっていても消せない想いが胸の奥から込み上げてきて、ファルコンは泣きそうな声でつぶやく。
「だからね、ファル子は……」
涙を浮かべたファルコンを見て、エイシンフラッシュは考え込んだ。
「ファルコンさん」
エイシンフラッシュは立ち上がって、ファルコンの元へ歩み寄る。そして、頭の中に思い浮かんだ一つの案を打ち明けた。
どうしてこうなった。
スマートファルコンは頭を抱えたくなった。日にちは休日。場所は遊園地の入場口前。
ファル子なりの精一杯のおめかしをして、トレーナーがやってくるのを待っている。
『いいですか。ファルコンさん。”遊園地を楽しむだけ”で終えてはいけませんよ?』
耳に装着した通信機からエイシンフラッシュの声が聞こえてくる。スマートファルコンはそれに小声で応答した。
「や、やっぱり無理だよぉ……あの漫画の内容通りにやるなんて……」
『無理なんかじゃありません。どぼめじろう先生には、ちゃんと伝えられてたじゃないですか』
……いや、それはどぼめじろうが乙女心に理解ある人物だったからこそ出来た事だ。ファル子もフラッシュもそれは分かっている。
だがトレーナー本人に伝えられずして、どうやって想いを成就させようか。その恋が実るとも実らずとも、あのトレーナーなら一番適切な形で受け止めてくれるはずだ。決してスマートファルコンを真っ向から拒絶して傷つけるような態度を取らないと、エイシンフラッシュは信じている。
そんなこんなで、10分遅れで。トレーナーが「ごめん、またせたか?」などと慌ててファル子に駆け寄ってくる。
「もう、トレーナーったらー……」
『ファルコンさん。そこは「ううん、今私も来たところ」と言って、デート前に男性の気を削がない事です』
エイシンフラッシュが横から指示を出してくる。確かに、その通りかもしれない。
「うぅん、ファル子も今きたところなのっ!」
トレーナーは安堵したように微笑んでくれた。その笑顔を見るだけで、ファル子は今日は最高の一日になるんじゃないかと思える。
ファル子とトレーナーは、二人仲良くチケットを係員に渡して入園ゲートを潜っていく。
『ファルコンさん、腕を組んでください』
そう言われ、無言のまま胸の前で腕組みするファル子。その自信たっぷりな様子は、まさしくダートの赤鬼……。
『……違います。自分の腕を組むんじゃなくて、トレーナーさんと腕を組んでください』
「へ?」
エイシンフラッシュからの指示に、思わず変な声が出る。
【ケース1】トレーナーとファル子は仲良く腕を組む
『漫画でも、ファルコンさんはトレーナーと腕を組んでいたじゃないですか。ほら、早くしてください』
エイシンフラッシュが急かす。「いやいやいや」と、ファル子は首を横に振って抵抗を示す。
「で、できないよ! いきなりそんな事……だって、それって……」
突然そんな風に騒ぎ始めたのを見て、トレーナーが「何かあったのか?」と心配そうに尋ねてきた。
えぇい、ままよ。ファル子は近寄ってきたトレーナーの腕に抱きしめかかるように絡みつこうとした。
……傍から見れば、ファル子の動作も含めてプロレス技のソレにしか見えない。
だがトレーナーも意図は察してくれたのか、我が子へ微笑みかけるような表情で、振り払う事もなくそのまま歩き出そうとする。
「え、えへへ……」
予想外の結果に、思わず照れ笑いを浮かべてしまうフライングイーグル。
だが、腕組みしながら歩き慣れていない。緊張も併せてファル子の歩き方がぎくしゃくする。
二人とも一緒に転びそうになったところで、おずおずと申し訳なさそうにファル子の方から離れた。
『ファルコンさん……』
「だ、だって……トレーナーさんに怪我させちゃったら……」
フラッシュに言い訳を並べ立てる。なんだかファル子は腕を組めない方が安堵しているように見えるのは気の所為か。
腕を組んだり、組まなかったり。そんなファル子をトレーナーが不思議そうな顔でファル子を見つめてくる。ファル子は慌てたように両手をバタつかせて「なんでもないよ~」と言いながら誤魔化した。
トレーナーは納得した表情で頷いて、彼女に手を差し出す。腕を組むのが不得手なら、そちらの方が良いと判断をしたらしい。
『……ファルコンさん。差し出された手を握りましょう。腕を組むのはまだ性急でしょうし』
通信機越しにフラッシュに諭される。ファル子は、おそるおそるトレーナーの手を握った。
【ケース1】トレーナーとファル子は仲良く腕を組む《失敗》
ここで一つ、エイシンフラッシュにも予想外の事が起きていた。
二人を見つめているのはエイシンフラッシュだけではなかったのだ。
「あの二人……」
それはメジロドーベル。彼女も休日に偶然この遊園地を訪れていた。
「どうなさいました?」
そう問いかけるのはメジロマックイーンだ。休日という事で、気晴らしに遊園地にでも一緒にいこうという話になっていたのだが。
「ファルコンさんがいる」
「……今日くらいは創作活動から離れては?」
小言を並べそうになったマックイーンだったが、実際にスマートファルコンとトレーナーが手を繋いでるのを目撃して驚いた。
その様子を表現するのならば、カップルというよりも我が子が転ばないように手を握ってあげている父親とその子供というような光景にもっとも近い。……しかしスマートファルコンの方は、顔を俯けて頬を赤らかとさせている。
「…………」
「ね?」
マックイーンとしても、スマートファルコンの色恋沙汰を応援したくないわけではない。真面目な性格のマックイーンがそう思えるほど、スマートファルコンというウマ娘はダート路線で今まで頑張ってきたのだ。
しかし部外者の自分達に何が出来ようかという話だが。直接二人を焚き付けるわけにもいくまいし。
マックイーンがそんな風に考えていると、手元に持っているものをドーベルがじっと見つめてきた。
「なにか?」
『ファルコンさん。売店の前にマックイーンさんが居ます』
「へっ!?」
ファル子は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。トレーナーがまた不思議そうに首を傾げたが「なんでもないっ」と誤魔化す。
『マックイーンさんの手元にある飲み物を見てください』
まさしく小さめのバケツみたいな容量のカップ。ウマ娘からすれば桁外れではないにしろ、人間からすればとんでもない量である事は変わりないだろう。
「……追加のストローをお願いできますか?」
ぎこちない笑顔で店員にそう頼むマックイーン。店員は「はい。一本ですか?」と訊ね、マックイーンにストローが入った袋を一つ渡そうとする。
「……飲み口が二つに別れたストローを」
彼女はボソリと言って、一本のストローが二股の飲み口に別れたカップル用のストローを要求する。
隣にはニコニコと笑うメジロドーベル。男性は引き連れていない。店員は内心で少し驚きながらも、それを表情に出す事なく注文に応じた。
女の子同士なら悪ふざけでそういうものを頼む事もある。むしろ“そういう関係性”の可能性もなきにしもあらず。どちらにしろ、遊園地の店員として嫌な顔をする事はない。
渡されたカップル用のストローを巨大なカップに挿入し、マックイーンはファル子の目の前を通りかかっていった。
「…………ファル子達の方に気づかなかったみたい」
『えぇ、でも好都合です。ファルコンさん、貴女も彼女達のようにカップル用の飲み物を購入しましょう。漫画にも描いてあったでしょう?』
そう言われて、ファル子はドキリとした。一つのカップに入ったジュースを一つのストローで飲むなど……ただこうして手を繋いでいるだけでも恥ずかしいと言うのに……。
だがファル子は意を決した様子で、売店の方に歩き出しながらトレーナーの手を引いた。入ってから食事を買う事自体は元々する予定だった。その流れで、自然に、カップル用の飲み物を購入するのだ……!
【ケース2】カップル用の飲み物を一緒に飲む
「いらっしゃいませー」
二人は手を繋いだまま、お昼ごはんを兼ねた飲食物を決める為に売店へやってきた。
チュロスだとか、クレープだとか、ハンバーガーだとか……持ち歩きながら食べるのにちょうどいいものが色々ある。休日で家族サービス中のお父さんの姿も多いのか、ラーメンや蕎麦なんてものを食べてる人も見かける。
やたら美味しそうなのでそれらを食べてもみたいが、女の子が遊園地でデート中にそれを頼んでしまうのは風情がない。食欲をぐっと堪えて、ファル子は苺や生クリームで見た目映えるクレープを頼んだ。
トレーナーの方はハンバーガー。中身もそうだが、パン生地が結構分厚い。あれは喉が乾く。
『絶好のチャンスです。ファルコンさん』
トレーナーが飲み物を頼もうとすると、ファル子の方から突然「代わりに頼みたい!」と強引にねだった。彼はファルコンの言葉に微笑みながらも、そのまま注文を譲る。
「この、ウマ娘向けのおっきいサイズのをお願いしますっ!」
そうして出てきたのは小さなバケツサイズの容器。女性なら両手で抱えるような大きさだ。
「それと、あの……ストロー……」
言え、ファル子。思い切って頼むのだ……マックイーンが頼んでいた、カップル向けのストローを。
恥ずかしくて言えずにもじもじと躊躇っていると、店員がさりげなくフォロー。
「二本ご入用ですか?」
二本なら、隣の男性と一緒に飲める。家族だったとしても一本よりは衛生的に無難だろう。
――……うん、それでもいいかな。
店員の心遣いに逃げるようにしてファル子は妥協した。遠巻きに見守っていたフラッシュは額を手で覆った。
さてはて、外のテーブルに座って二人は食事を食べる。ファル子はバケツの如きカップに目をやり、ストローで一口飲んでからそわそわし始める。
ここでファル子もさりげなく勧めるのだ。「トレーナーも一口どうかな?」と。自然な感じで言えるはずだ。漫画で描かれていた延長線なのだ。
……そう思っても、行動には移せなかった。言えていたら、そもそもここまで苦労してない。
更に、トレーナーはバッグから水筒を取り出した。そういえばこの遊園地は水筒による飲料持ち込みOKだったか。
遊園地で買うよりもコスパが良いという面もあるだろう。喉が乾いたから一口、という口実は使えなくなったわけだ。
『……ファルコンさん。水筒があっても、勧めても構わないと思いますよ』
フラッシュが見かねてそう提言するが、フラッシュからしてもそれは少々苦しかった。
普段であればともかくとして、今はトレーナーと二人きりの状況。トレーナーに意識を向ける度にファル子の心臓の鼓動は強く激しくなっていくばかりで、この状況で陽気に自分の口をつけた飲み物を勧めるのは不可能に近い話である。
――陽気に容器を勧める。ふふっ。
また頭の中でルドルフが囁いた。東京大賞典の後のビデオレターでの印象が鮮烈過ぎて、彼女の存在が頭にチラつく。
――ダートの……いや、ウマ娘界のセンター、スマートファルコン。ひたむきに前を見つめ続けた君へ。我々から感謝を……。
……ウマ娘が目指す一つの到達点ともいえるシンボリルドルフからの賞賛。それを受けるに値する、皆が認めるような功績。その時ばかりは、このトレーナーも感極まって涙を流しながら喜んでいたものだ。
(そういう意味でファル子の事を好きでいてくれるのは、もちろん嬉しいんだけど……)
彼女は俯いて、膝の上で拳を握る。
正直なところ、デビューしたての方が”男女”という観点からは距離は近かった気がする。だけれど、スマートファルコンがウマ娘としての輝きを得る度にそれは遠ざかった。レースに勝ち続け、ウマドルとして恥じないほどにファンが増えた。トレーナーはスマートファルコンを支える為の意識を明確化した。
多くのファン達から数多の好意は向けられど、トレーナーから異性としての好意を感じる事はもはや無い。彼から感じるのは『家族』や『師弟』といった、性別を超えた親しみの好意だ。
それが嫌なのかと問われればきっとファル子は「違う」と答える。本当は、それだけでも満足なのだ。だけど、トレーナーとは本当の家族ではないからその好意はいつか途切れてしまう。
そんな事に気付いてしまったから、ダートの頂点に君臨した今でさえ不安になるのだ。自分達はいつまでも一緒に居られるわけじゃない。彼と二度と会えなくなってしまうかもしれない。そう考えるだけで悲しくなる。
ファル子がそんな風に俯いていると、目の前にハンバーガーが差し出された。どうやら、お腹が空いているとトレーナーに思われたらしい。
……実際、お腹が空いている。トレーナーの前だからと行儀良くクレープ一つで済ませようとしたのだが。美味しそうなジャンクフードの香りと湯気が立ち上る熱量を感じていると、ファル子は固くなっていた表情を緩ませた。
(……想定してたのとだいぶ違うけど、こういうやり取りでもいっか……)
【ケース2】カップル用の飲み物を一緒に飲む《失敗》
『……仲が悪いとは言いませんが、傍から見ていれば恋人のやり取りではなくて本当に親子のソレですよ』
フラッシュから苦言を呈された。実際、ファル子にもその自覚はある。このままだと、万が一自分のファンから目撃されても都合良く誤解してくれる事はないだろう。
「嫌ですわ! 絶叫マシーンなんて!!!」
マックイーンの大声が聞こえてきた。ドーベルは彼女の手を無理に引いて、乗り物エリアの方に連れて行こうとしている。
「だって、この遊園地の目玉なのよ。乗っておかない手はないと思うの」
「ああぁぁああぁぁ……」
マックイーンは悲鳴をあげて抵抗するも、ドーベルはお構いなしにぐいぐいと引っ張っている。ファル子達に絶叫マシーンに乗る事を勧める形とはいえ、自分達が実際に乗る必要はないのではなかろうか。マックイーンは青ざめた顔でそんな事を胸中に思い馳せる。
そういえば、ドーベルは部分的にライアンと似通ってるところがあった。そんなところでポジティブにならなくてもいいのに。
『ファルコンさん。お二人に便乗して、トレーナーさんも誘ってください。二人が搭乗するなら誘いやすいはずです』
フラッシュが耳打ちしてきた。これもどぼめじろう先生に頼んだ漫画の通りだ。
意気揚々と乗り込んだファル子が、絶叫マシーンを降りた後にか弱く、繊細に、ふらふらとしてしまい、トレーナーに抱きとめられる。
そういう流れの筋書きだ。上手く行くかどうかは別にしても、トレーナーと乗り物を楽しめるのは間違いないだろう。
【ケース3】トレーナーに抱きとめられる。
「ファル子、マックイーンさん達と一緒のに乗りたいなっ」
決まった。トレーナーの性格から断る事はないだろう。その予想通り、トレーナーは快くファル子の注文に頷いた。
よし、あとは流れに身を任せるだけだ。
……やけにトレーナーの顔が青ざめていた気がしたが、ファル子はそれに気づかなかった。