今在る生が二度目だと気づいたのは六歳の時だ。
忘れもしない二月十二日、祖父母からランドセルを小学校入学の祝いにプレゼントされて舞い上がり、大事なお礼を返す前に廊下をドタドタと鳴らして走り、母親の怒号を背中に浴びながら自宅の玄関へ到着した瞬間の出来事だった。
姿見の中、必ずや美人になる将来を約束された赤いランドセルを背負う黒いワンピース姿の美幼女がいた。
ランドセルをプレゼントされた喜びは瞬く間に沈静化。思わず『えっ!?』と呟き声を漏らして、茫然自失に陥る。
その理由は簡単。俺は男、それも三十六歳のだ。
昨夜、誰も待っていないアパートの狭い一室で寂しい誕生日を迎え、とうとう俺もおっさんと呼ばれる年齢になってしまったかと嘆いた記憶も新しい。
しかも、俺は黒髪黒目の一般的な日本人。
父母も日本人なら、その両方の家系に外国人の血が入っている的な話は一度も耳にした事が無い。
ところが、目の前の美幼女に感じる日本人らしさは顔立ちだけ。
こちらをまじまじと見る瞳は紅くて、腰まで伸びた髪は金色、眉毛も同じく金色であり、金色の髪が生来の地毛だと解る。
混乱は極みに達した。
もしや、昨夜の深酒が過ぎて、夢でも見ているのかと考えるが、両頬を両手で抓ってみれば、それを目の前の美幼女も真似をして、痛みもしっかりと感じるではないか。
次にまさかまさかと両手を股間へ伸ばしてみると、そこに慣れ親しんだ感触は見つからない。
目をギョッと見開いて固まるが、実戦を一度も果たせないままに行方不明となった相棒を諦めきれず、その生存をこうなったら目で直に確かめるしかないと決断。パンツを足首まで下ろして、スカートを捲り上げてようとしたその時だった。
「どうしたの? お漏らししちゃった?」
「ち、違っ……。えっ!?」
今さっきまではしゃいでいた俺が急に静かとなり、それを不思議に思ったのだろう。
母親がスリッパの音をパタパタと鳴らして玄関に現れ、その心配を含んだ声に俺は思わず振り返り、極みに達していた混乱は極みすらも突破した。
俺の母親は62歳。ちょっと小太りで『かーちゃん』と呼ぶべき存在である。
決して間違っても、二十代に見える若々しさとほっそりなスタイルを持つ美人の『ママ』ではなかった筈だ。
「マ、ママ?」
「最近は大丈夫だと思ったのに仕方がないわね……。
もうすぐ一年生になるんだからしっかりしないと駄目よ? ほら、バンザイして?」
「バ、バンザーイ……。」
しかし、俺の記憶は目の前の女性を自分の『ママ』と認識した。
言われるがままに両手を挙げて、俺の身体は当たり前のように今現在を肯定した。
その途端、逆に36歳の男だった筈の過去に違和感を覚え始める。
名前も、父母と姉弟の名前も、故郷の住所も、現住所も、昨日まで働いていた会社名も思い出せるが、美幼女としての記憶も確かにあるだ。
名前も、父母の名前も、ランドセルをプレゼントしてくれた祖父母の名前も、通っている幼稚園の名前も、今朝は何を食べて、昨夜は何を食べたかも思い出せる。
輪廻転生、そのキーワードが頭にふと浮かんだ。
ひょっとすると、男だった俺は死んでしまったのだろうか。そうだとするなら、ある程度の納得が出来る。
今更言うのもおこがましいが、俺は不健康と言うしかない生活を幾年も送っていた。
不向きと承知しながらも日々の糧を得る為、とある工場に就職したが、やはり日毎に生活時間が変化する三交代の勤務制度に身体が馴染まず、不眠症を慢性的に患っていた。
ここ数年は体重が徐々に減り続けて、最近は周囲からもっと食べろと、顔色が悪いと本気で心配されていたにも関わらず、駄目だ駄目だと解っていながらストロングな酒の力を借り、ストレスの解消と睡眠を少しでも確保しようと深酒の毎日。先ほども言ったが、特に昨夜は深酒が過ぎてしてしまっている。
だが、後悔は無い。現実は子供の頃に思い描いた未来と大きくかけ離れていたが、精一杯に生きたという自負が有る。
後悔が強いて挙げるとするなら、両親よりも、姉弟よりも先に逝ってしまった事実と自分の性癖がモロ解りなパソコンのハードディスクの中身についてだが、今はその後悔を吹き飛ばしてしまう巨大な衝撃があった。
「あら? ……汚れてないじゃない?
なら、どうしたの? トイレはもう一人で出来るでしょ?」
それは俺を世話するママの頭の上には耳が、お尻には小言を言いながらも嬉しそうに揺れる尻尾が伸びている点だ。
どちらもママの髪色と同じ栗色をしており、その人間には無い特徴を目の当たりにして、すぐさま姿見に視線を戻せば、自分もまたママと色は違えども同じ2つの特徴がそこにあった。
そして、それ等の特徴を持つ人間に似て非なる存在を俺は知っていた。
そう『ウマ娘』だ。今の俺が生まれてから育んできた知識もそうだと太鼓判を押した。
ウマ娘とは、前の人生で爆発的に流行ったゲーム『ウマ娘プリティーダービー』の中で登場するキャラクター達の総称だ。
日本の競馬史上で活躍した競走馬を擬人化、女体化。彼女達を育成して、日本競馬界を模したレースの数々を勝ち進めてゆくゲームであり、俺自身も勧めてきた職場の同僚以上にハマった。
おかげで、それまでは縁遠い幾つか有るギャンブルの一つとしか認識していなかった競馬にまでハマってしまい、毎月の給料から少なくない金額をゲームのガチャに投資していた為、勝馬投票券を購入した経験は無いが、毎週末にある競馬中継を視聴するようになり、ウマ娘達のモデルとなった競走馬の動画をネットで探して、それを風呂上がりに酒を飲みながら見るのが日課になってさえもいた。
俺は混乱も、戸惑いも、驚きも全てを綺麗さっぱりに忘れて狂喜乱舞する。
当時、大袈裟が過ぎると感じていたウマ娘ちゃん狂いなウマ娘『アグネスデジタル』の気持ちが今ならこれ以上なく解る。
どんなに熱狂しようと所詮は架空のキャラクターでしかなかったウマ娘達がこの世界には実在する。
それも自分自身がウマ娘であり、実力次第では憧れのウマ娘達と一緒に競い合えるのだから、これを幸せと言わずして何という。もし、最推しの『サイレンススズカ』となんて考えるだけで尊死もの。
ただ、とても残念なお知らせ。
ここは地方の田舎。ママ以外のウマ娘を一度も見た事がないし、通っている幼稚園にも居ない。
一応、将来の夢を問われる度、トレセン学園に入学して活躍すると応えてはいた。
しかし、それはパパやママ、祖父母を喜ばす為のものであり、小さな女の子が『将来はパパと結婚する!』という微笑ましい約束事ようなもの。
嘗てのママがトレセン学園に在籍していたから、自分もきっとそうなるのだろうくらいのふわりとした軽い気持ちでしかなかった。
端的に言うと、今の俺はウマ娘全てに対する関心が今の今までとても薄かった。
絵本を読むのが大好きな完全インドア派。テレビのレース観戦とて、周囲がそうしているから一緒にただ見ているだけ。
現役を引退して久しい今でもママは空模様が悪い時以外は朝夕と欠かさずに走っているが、俺は半ば強引に誘われない限りは付いていかない。
例え、付いていったとしても目的地の河川敷まで軽いジョギングをしておしまい。河川敷を本気のダッシュで往復するママを眺め、それに飽きたら花を摘んだり、虫を探していたりする。
だから、俺は変わらなければならい。
明日からなんて生温い。今日どころか、今この瞬間を以ってだ。
何故ならば、俺は知っている。
ウマ娘にとって、トレセン学園はエリート中のエリートが集う最高学府。その門は決して広くない事を。
どんな分野の能力だろうとそれを育むのは幼少期の今こそが最も大事な時期であり、今の努力が将来を大きく左右する結果を生む事を。
自分の中にどれだけの才能があるかは解らない。
だが、せっかく掴んだチャンスだ。それも明確に目標が見えているチャンスなのだから、ここで努力しないなんて選択肢は選べない。
「えっ!? 大きい方なの?
駄目よ! もうちょっとだけ我慢して! 今日はママが手伝ってあげるから!」
みなぎる興奮にたまらず鼻息をフンスと吹き出す。
身体は妄想する憧れのウマ娘達との輝かしい学園生活にブルブルと武者震いを起こし、その様子に何やら勘違いしたらしいママが慌て出す。
すぐさまランドセルを外され、ワンピースも、パンツも脱がされて、両脇を持たれながらトイレへ運ばれる道中、今挙げた努力以上の重大な問題に気づいた。
それは俺が重度のコミュ障という大問題だ。
対人恐怖症でもなければ、あがり症でもない。会社での業務上の会話なら出来て、仕事に支障をきたす事は一度も無かった。
しかし、日常的な会話になると相槌を打つので精一杯。
会話のキャッチボールが上手く続かず、せいぜい三往復くらいで終わってしまう。
遠い朧気な記憶を手繰れば、もう小学校低学年の頃にはそうだった。
友人を作ろうとする気持ちは常に持っていたが、その術が解らないままに年齢を重ねてしまい、前の俺は友人と呼べる存在は一人も居なかった。
だったら、転生した今、正に生まれ変わった気持ちでこれから頑張れば良い。
そう言いたくなるかも知れないが、それが出来たらとっくにそうしている。
今ほどの環境変化は及ばなくても心機一転の機会は中学校入学時にも、高校入学時にも、大学入学時にも、社会人になった時にも、転職した時にも確実に有ったのだから。
別にコミュ障だろうと問題は無い。コミュニケーション能力を鍛える時間が有るなら、その時間を走る為のトレーニングに費やした方が良い。
そう言いたくなるかも知れないが、それではトレセン学園への入学を目指す意味が無い。俺は憧れのウマ娘達と充実したキャッキャウフフな学園生活を過ごしたいのだから。
極論を言ってしまえば、ウマ娘を眺めるだけならテレビの前で事は足りるし、実物をこの目で見たかったらレース場へ足を運ぶだけで簡単に済んでしまうのだから。
「はい、お待たせ!」
「う~~~~~ん……。」
「そうそう! ギルちゃん、その調子!
さあ、んーーーっ! んーーーっ! んーーーっ!」
だが、皺を眉間に刻んで迷える俺に天啓が舞い降りる。
未だ勘違いが解けず、トイレの便座の前に膝立ち、両拳を胸の前で作りながら俺に便意を促してくるママの言葉こそが光明になった。
愛称『ギル』で呼ばれた俺の名前は『ギルガメッシュ』である。
ギルガメッシュといったら、詳しい説明は長くなるので省くが、前の世界でウマ娘プリティーダービーと並んで人気を博したゲーム『Fate』シリーズに登場するキャラクターの一人。我様、慢心王、金ピカの別名で愛された彼を置いて他に居ない。
今の俺と名前が同じなら、髪の色も、瞳の色も同じ。
違いは性別だけ。最後の未練だった相棒は便座に座った時、死亡をこの目で確認して、さよならばいばいしている。
これはもう神様がそうしろと言っているに違いない。
俺が我様になれば、コミュ障問題など万事解決だ。これを天啓と言わずして何という。
つまり、ゼロから一を生み出すのは難しいが、既に有るモノを真似するのなら容易い。
元々、あの厨二病を擽る強気な言動、態度に憧れはあった。その格好良さを目の当たりにして痺れない者は存在しない筈だ。
ならば、これからの俺に必要なものは我様に相応しい自尊心である。
ちょっとでも臆したり、照れたりしたら我様の魅力は伝わらない。ただ痛い奴で終わってしまう。
その点、ママ相手なら難易度は低い。最初の一人目に相応しい。
そうと決まれば、善は急げ。ゲーム作中の我様がそうしていたように腕を組んで胸を反らしながら高笑いをあげてみる。
「ふははははははははははっ!」
「えっ!? えっ!? えっ!? ……い、いきなり、どうしたの?」
ところが、ママの反応は芳しくなかった。
目をパチパチと瞬きさせた後、口をポカーンと開いたままに固まってしまった。
もっとも、今の俺は我様らしく玉座に座るどころか、便座に座り、シャツ一枚で大事なところを丸出しにした状態。
これではサマになる筈が無かったが、我様の愛すべき性質『うっかり』を偶発的に生じさせる事が出来たのが嬉しくて、今度は鼻でニヒルに笑ってみる。
「ふっ……。」
「ギ、ギルちゃん?」
だが、またもやママの反応は芳しくなかった。
最初はこんなものか。fateの主人公『士郎』も『偽物が本物に敵わないなんて道理はない』と言ってたし、今はただただ間抜けな真似事に終わったも、やがては本物になるだろうと納得した。
お読み頂き、ありがとうございます。
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気になるあの娘の物語における第一話時年齢設定という名の覚え書き。
12歳前 :アグネスデジタル
13歳 入学 :主人公と黄金世代
14歳 ジュニア期 :サイレンススズカ
15歳 クラシック期:
16歳 シニア期 :シンボリルドルフ
17歳 シニア期 :
18歳 シニア期 :マルゼンスキー(未定)
19歳 ドリーム期 :