「単刀直入に申し上げます。レースは諦めて下さい」
「そんな! 娘はウマ娘なんですよ! 才能だって有るんです!」
幸いにして、俺には走る才能があった。
この世界に目覚めてからの約二年間。うろ覚えな過去の陸上知識と学校での体育の指導、ママのアドバイスを基にトレーニングに励み、雨の日も、風の日も走った。
丸々と休んだのは風邪を患った三日間くらいか。お正月も、お盆も、お祭りの日も、大晦日の日も、家族旅行の時だって、両親から今日くらいは休んだらと諭されながら走り続けた。
勿論、元が完全インドア派だった私の激変っぷりに両親や祖父母は驚いて戸惑いもしたが、ウマ娘のママはすぐに歓迎。私を応援してくれるようになり、それにパパや祖父母も続いてくれた。
そして、今年の春。ママと二人の馴染みのトレーニング場所である河川敷にて、俺は約500メートルの競争で遂に本気のママを追い抜いて勝った。
そうなるとママとの二人だけでは決して解らない世間的な指針が、自分の実力がどれくらいほどなのかが知りたくなってくるのが当然の気持ちであり、それはママも同様だったらしい。
ママから強く出場を勧められ、パパの車でドライブを兼ねて、遥々とやってきた大会。
県下のちびっ子ウマ娘達が集うそこで芝の600メートル直線コースに出場。全てが初めてで何も解らず、レースの駆け引きを必要としない大逃げを選び、スタートからゴールまで先頭を譲らない大差での一着ゴールを果たした。
「それは触診で感じましたし、以前通っていた病院で撮ったCTスキャンの画像でも解ります。
よくぞ、8歳という幼さでここまで鍛えたと感心しました。
年齢と見た目に目を瞑れば、既に地方レースなら勝ち負けを狙えるレベルにあります。
それに筋肉の質も良くて、心臓も大きい。素晴らしいの一言です。
所謂『名家』と呼ばれる方々がお嬢さんを見たら羨むでしょうね。求めている集大成がそこにあるのだから」
「でしたら!」
しかし、ゴールをした直後。バランスが唐突に崩れて、前倒しに転倒。
喜びの歓声の場はたちまち悲痛の場に様変わりして、すぐさま俺は病院へ搬送されると、両足脛骨の骨折が判明した。
その後、一ヶ月の入院と更に一ヶ月のリハビリの途中、ただの骨折にしては様々な検査を繰り返す為に不審さを感じていると、今話されている事情が明るみに出た。
それを知り、パパと祖父母は俺を慰めたが、ママは納得しなかった。
退院後、今日までの一ヶ月半。名医が居ると聞けば、松葉杖がまだ外せない私を連れて、西へ東へと。
だが、いずれの医者も俺とママが望む言葉をくれなかった。
今、俺を診断している医者は七人目を数える。ここまで来るのにだって、一泊二日がかりで来ていた。
「しかし、お嬢さんの骨はどうしようもなく脆い。
トレーニングでなら問題は無かった。今言った質の良い筋肉が骨を守る鎧になってくれていたから。
だが、実力以上のモノが求められるレースは違う。
同じ身体能力の持ち主同士なら技術で勝った者が勝ち、技術差も拮抗しているなら心が強い者が勝つ。
そう、ウマ娘は魂を削って走る。……そして、お母さん。それは人間の私より中央で嘗て走っていたウマ娘の貴女の方が良くご存知の筈です」
「そ、それは……。」
「つまり、お嬢さんは本気で走れない。
今回は単純骨折で済みましたが、恐らくは……。1000メートルくらいでしょうか?
それ以上、走ったら粉砕骨折です。もう二度と歩けなくなるかも知れません。レースを諦めろと言った理由がそれです」
今回の医者について、ママは大きな期待を抱いているらしい。
出発前から『今度のお医者さんは凄い!』や『ギルちゃんを絶対に治してくれる!』と自分自身を奮い立たせるように俺を何度も何度も励ましていた。
ただ、実際に対面した感想を言わせて貰うと、目の前の医者は何だか怪しい。
見た目は普通の初老美人である。薄青のブラウスと黒のタイトスカート、茶のストッキング、その上に袖まくりして着る白衣に汚れは見当たらず、医者としての清潔感を感じる。
ブラウスの第一ボタンと第二ボタンを外して開き、張りを衰えさせていない胸の谷間を主張しているのと髪を金髪に染めている二点に年甲斐の無さを感じるが。
妙に引っ掛かりを覚えるのはこの診療所だ。
まず外観が只の平屋であり、玄関には表札も無ければ、ここが診療所と解る看板も無かった。
今は家の中へ通されて、この診察室は正に診察室というしかない設備が整っており、病院でしか見ないような大きな検査装置がある部屋も廊下の途中で窺え、やっぱり本当に診療所だったのかと認識を改めたが、目的地の住所を知っていたママでさえも玄関チャイムを押して、医師が応対に現れるまで不安がっていた。
次に立地が絶対におかしい。
ここは新幹線から在来線に乗り換えて、四駅目。俺達が住んでいる田舎より田舎。
広大な畑の中にポツンとある無人駅からタクシーを呼び、そこから約三十分。砂利敷きの森の中を更に十分ほど進んだ先、海にせり出た高い崖の先に在った。
どう考えても暮らすには不向きなら、客商売にも不向きな場所である。
世捨て人となるには目の前の医者はそれほど歳を重ねていないし、こうして訪ねてきた俺達を応対してもいる。
第一、こんな場所に家をどうして、どうやって建てたのか。
森の一本道はタクシーですら横幅が精一杯。上下にガタンゴトンと揺れて、家の建材を運ぶのが大きな手間なら、先ほど挙げた病院でしか見ないような大きな検査装置にどうやって運んだのか、どれほどの運搬費がかかったのかと疑問だらけ。
もっとも、今となってはそれ等の疑問はどうでも良い。
ママと医者の会話の雲行きから、どうやら今回も空振りだったかと溜息を隣に居るママへ聞こえないようにこっそりと漏らす。
「それともう一つ、ご存知の筈です。
誰に聞いて、この場所を知ったのかは聞きませんが……。
その人はこうも言っていませんでしたか?
私は免許を剥奪された無免許医。法外な金額を報酬に求める悪徳医だと」
「でも、テンちゃんは自分の命を救ってくれたって! どんな病気も直せる名医だって!」
「テンちゃん? ……ああ、裏切り者はテンポイント君か。
あれだけ口酸っぱく口止めしたのに……。もう一度、釘を刺す必要があるかな?
……と、それはそうと彼女を愛称で呼ぶとは珍しいですね? もしや、同期ですか?」
「あの! ……これ! 些少ではありますが、ご用意させて頂きました!
もし、足りないようでしたら、すぐに改めてご用意させて頂きます! どうか、娘を助けて下さい!」
しかし、ママは違った。これっぽっちも諦めてはいなかった。
キャスター付きの丸椅子を蹴って立ち上がると、自分のハンドバックを探り、その中から取り出したA4サイズの包まれた茶封筒を医者へ差し出すと共に頭を深々と下げた。
一目見て、茶封筒の中身を問い質してみるまでもなく察した。
大きさと厚み、凸凹した形からいって、一万円札が七つに束ねられた七百枚。七百万円だ。
しかも、目測に過ぎないから『最低でも』という前置詞が付く。
何故、それが解るのかと言ったら、実は前の人生で現金百万円の束を一度だけ手にした経験があった。
自分のモノでは無いのに、弟と一緒にニヤニヤと笑いながら眺めたり、せがむ姉の頬をペチペチと叩く下衆なブルジョワごっこに浸ったりと。
実に間抜けな思い出だが、これが人生で全く役立たないように思えて意外と役立つ。
さすがに億超えの額は無理でも、一千万円くらいまでなら、ニュースなどで金額を耳にした時に『これくらいかな?』と具体的な想像が付くのだ。
さて、目の前の七百万円に話を戻そう。
我が家は先祖代々の米農家。今現在は農家を止めた家々から田を預かり、農繁期は近所の奥さん達を雇い入れるくらい手広くやっているが、めちゃめちゃ儲かっている訳ではない。
その一つの証拠として、食卓を彩る毎日のメニューの数々は俺が知る一般家庭とそう変わらない。
違いが有るとしたら、米農家故に美味しいご飯に困らず、ウマ娘故に俺とママのご飯茶碗がドンブリで超山盛りなところか。
それ故、七百万円という金額はとてもリアルな数字だ。
パパとママの貯金だけでは足りない。祖父母の貯金を合わせても足りない。
特に今年は田を耕したりする大きなトラクターを新品購入した為、我が家に余裕は無い。
恐らく、両親と祖父母が親戚の家を駆けずり回った結果の金額に違いない。
今、ママが足りなかったらと言ってはいるが、これ以上は無理だ。これ以上となったら、我が家が所有する生活してゆく為の資産を切り売りするしかない。
しかし、肝心要の俺ときたら、そんな両親と祖父母の想いを知らず、知ろうとせずいた。
最近、パパや祖父が家を空ける日が多いと気づいていたが、その行き先を気にせず、骨の治療に関してもママに任せっきりで動かず、根拠もなく何とかなるだろうと甘い考えを持っていた。
そう、俺は転生した。それも憧れのウマ娘達がいる世界に。
その上、ママが親の欲目無しに驚いて褒める才能まで有していた為、俺は有頂天となり、世界が自分を祝福していると自惚れた。
今回の故障と伴った致命的な弱点発覚。
これはもう弱点克服イベントに違いないと。待っていれば、解決方法が勝手に向こうからやってくる筈だと。
己の愚かさに恥じ入り、心は感動に満ち溢れる。
涙が瞳に滲み、鼻の奥が詰まって息苦しさを感じ、鼻を啜ろうとしたその時だった。
「ふぅぅ~~~……。
申し訳ありませんが、お帰り下さい。その十倍を頂いたところで、とてもとても……。」
これみよがしの深々とした溜息が目の前で聞こえた。
いつしか落ちていた視線を跳ね上げると、先ほどまで俺達と相対していた医者が机に向かって、もう話す事は無いと言わんばかりに俺のカルテを書き始めている。
だが、ママは頭をずっと下げたまま。
悔しさと縋る思い、その両方がそうさせているのだろう。茶封筒を差し出す両腕がブルブルと震えている。
ところがところが、医者の関心は俺達から完全に消えている。
やはりドイツ語だろうか。時折、カルテを書く手を止め、またボールペンを走らせる音だけが響く静寂の中、俺は俺の中でブチリと何かが切れる音が確かに聞いた。
「ふん! お前の望む額が幾らかは知らん!
だが、我を舐めるなよ! ああ、払ってやるとも! 幾らでも払ってやる!
しかし、勘違いするな! それはお前次第だ! 我が与える側、お前は施される側だ!」
こちらを見ようとしないなら、こちらへ無理矢理にでも振り向けさせるだけ。
暴れ狂う感情に松葉杖を突こうとする余裕すら忘れて立ち上がり、上手く歩けずにつんのめるが、その勢いを利用して取り付き、医者の襟首を掴んで引き寄せる。
「ふむ……。まだ八歳なのに難しい言い回しを使うのね? どういう意味かな?」
しかし、悲しいかな。所詮、今の俺は八歳の幼女。
前の人生でも経験が無い激怒をぶつけても、子犬がキャンキャンと吠えた程度にしか捉えていないのか。医者が口の端に隠しきれない嘲りを描いて苦笑する。
「ギ、ギルちゃんっ!?」
「戯けが! 解らぬのか! 中央のG1を一つでも穫れば、億の金が手に入る!
しかし、それはまずお前が我の足を治せたらの話だ! そうであろう! 違うか、違うか!」
それがまた癪に障った。
慌てたママが俺を羽交い締め、医者から引き剥がしにかかるが、俺は医者の襟首を絶対に放さない。
先ほどママを小馬鹿にした態度を謝らせてやる。両親と祖父母の想いを踏み躙ってくれた愚かさを土下座させてやると唾を飛ばして叫ぶ。
「それを聞きたかった」
次の瞬間、医者は応えて頷き、その変化は劇的だった。
俺の頭の上に右手を優しく置き、今さっきまであった嘲りを微塵も感じさせない心底に嬉しそうな微笑みをふわりと浮かべたのである。
力が呆気に取られて抜けた。
両手が医者の襟首から外れ、急に抵抗が無くなって引き剥がす勢いを余らせたママが尻餅をつき、その膝の上で目をパチパチと瞬きさせる。
もしや、その言葉から察するに、俺はまんまと乗せられたのだろうか。
それが正しいとするのなら恥ずかしい。怒り自体に正当性は有るし、それを譲る気はサラサラ無いが、俺の他力本願な甘えを見透かされていたのかと考えたら穴に掘って入りたいくらい。
だが、事態は顔を赤く染める暇すらくれなかった。
背後にある廊下と繋がる観音開きのドアが勢い良く開き、その音に釣られて振り返ると、白衣を着た二人が可動昇降式ストレッチャーを押して現れる。
「医学ノ進歩、発展ニ犠牲ハツキモノデース!」
一人は眼鏡をかけた白髪の波平ハゲな初老男性。
外国人らしくて、やや片言の発音。何やら不穏な事を言っているが、医者というよりも博士っぽい貫禄がある。
「わおっ! あんし~ん☆」
しかし、もう一人の金髪の女性に不安を抱かずにはいられない。
声が明らかに若いし、白衣の下に着ているのは何処ぞの学校の制服である。推定で17歳、高校生と見た。
だが、その若さなんて問題視にならない大問題が有る。
それは仮面舞踏会で着ける様な目線を覆い隠した白いマスクを着けている点だ。
思わず二度見してみても現実は変わらず、たまらず正面に答えを求めて振り向き戻り、問いかけようとしていた言葉を失う。
「善は急げ! 早速、ブスッといくわよ!」
なんと医者までもが同じだった。
いつの間にか、仮面舞踏会で着ける様な目線を覆い隠した白いマスクを着けているではないか。
いや、怪しさ全開の仮面を百歩どころか、千歩譲っても、その針で何をしようと言うのか。
調理で用いる菜箸ほどの長さと太さがある針を胸の前で交差させた握り拳の中に逆手で持っていた。
脳裏に蘇る苦い思い出の数々。
俺は知っていた。今日、初めて会った筈の医者をとても良く知っていた。
しかし、それを認めてしまったら、これから行う治療行為の手段も認めなければならず、それは嫌すぎた。
お尻の穴をキュッと窄まらせて、全身が硬直。その拍子におしっこがちょびっと漏れて、全身の毛穴から冷や汗がダラダラと流れ始める。
「ギルちゃん、頑張ってね! 安心沢先生、よろしくお願いします!」
だが、現実は非情である。
ママが今の今まで『先生』としか呼んでいなかった医者の名前を初めて告げ、現実を認めざるを得なかった。
調べた限り、この世界は俺が知っているウマ娘達が活躍する前の時代だ。
テレビで聞く名前も前の俺が生まれる前に活躍した古い名馬達ばかり。活躍しているなら絶対に話題となるあの『マルゼンスキー』の名前すら聞かない。
その点を踏まえて考えると、女子高生が前の世界『ウマ娘プリティーダービー』で登場する謎のキャラクター『安心沢刺々美』で間違いない。医師は彼女の母親、初老の男性は彼女の父親だろうか。
もう一度、言おう。彼女に関する思い出は苦いものばかり。
ウマ娘の育成を幾度も繰り返す中、その存在を忘れた頃くらいの低確率で現れ、ユーザーを誘う甘い囁きで天使のような、悪魔である。
画面の中に表示される五つの選択肢の中から一つを選び、成功したら思わずガッツポーズをしてしまうくらい天国ハッピー。
能力数値が軒並み上がったり、とても有効なスキルを得たり、ゲーム進行上で有利なステータスを得られるが、失敗したらその逆になる。
成功率はそう高くない。当たり前のように失敗する。
少しでも強いウマ娘を作り上げたいという青空天井の欲が、底無しの業がユーザーを狂わす。
救済としてあるベターを得ようとせず、ベストを望み、ハイリスクハイリターンな選択肢を押させてしまい、その結果次第で時にゲームのリセットを強いられる。
しかし、今度は紛れもない現実だ。ゲームのようにリセットは出来ない。
第一、医者が持つ針『笹針』を身体にぶっ刺すなんて恐ろしすぎる。またおしっこがちょびっと漏れた。
「お、王は……。ひ、退かぬ! こ、媚びぬ、省みぬ!」
だが、やはり現実は非情だった。
あれこれと現実逃避に考えている内、ストレッチャーに乗さられて、ベルトが額を、両手首を、腰を、両足首をしっかりと拘束完了。もう後には退けそうになかった。
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余談だが、父を『パパ』と、母を『ママ』と呼ぶのは未だに気恥ずかしいが仕方がない。
ママを我様っぽく『母』と初めて呼んだ時、本気の本気で泣かれてしまい、それ以来ずっときっかけが掴めずにいるからだ。
お読み頂き、ありがとうございます。
感想、お気に入り登録、高評価をお待ちしています。
今回のお話の中で用いられた『あんし~ん☆な秘孔』は……。
『元気で健康になり、レースで勝てる強いウマ娘になれる秘孔』です。
一番大事で必要な『魅力アップの秘孔』も打っておけば良かったのにね。(;^ω^)