オーバーロード ~絶死絶命交流ルート~   作:日ノ川

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第20話 新天地への帰郷

 トブの大森林の中に作られた村の広場で、元八本指の麻薬部門の長、ヒルマ・シュグネウスを始めとした、四人の仲間たちが並んでいた。

 

「……」

 

 全員直立不動の姿勢を維持したまま無言を貫いていたが、ただ一人。

 

「っうぇ」

 

 先ほどからひっきりなしに続く、喉からせり上がってくる胃液を無理やり飲み込む嗚咽。

 それに加え、直立して立つことすら難しいらしく体を震わせ、歯がカタカタと小さな音を鳴らし続けている。

 音の発生源は元奴隷売買部門の長であるアンペティフ・コッコドール。

 彼が洗礼を終えこの村に戻ってきたのはつい先日のことだ。

 

 もちろんその内容について、聞くようなことはしていないがおそらく自分たちが行われたものと同じだろう。と己のやせ細った体を服の上から抱きしめた。

 そうしないと自分もあのときの恐怖を思い出して、体が震えてしまいそうだったからだ。

 もっとも彼の場合、自分たちと異なり体型自体は大きく変わっていない。

 元から線の細い男だったこともそうだが、自分たちの体がやつれた原因は洗礼そのものではなく、固形物を食べることができなくなり、栄養不足に陥ったことが要因なので、彼も大変となるのはこれからだ。

 

 特に、王国の崩壊と共に八本指自体、犯罪組織としては壊滅したも同然であり、今までのように金に物を言わせて栄養価の高い飲み物などを入手できなくなったのだから、なおのこと。

 それでも自分たちの大切な仲間である、コッコドールを見捨てることなどできるはずがない。

 それができるなら、そもそも収監されていた彼を助け出すこともなかっただろう。

 

 故に洗礼を終えたばかりの彼らは村での作業──運搬用のゴーレムは借りているが、細々とした作業はできないため自分たちの手で行う必要がある──はさせず、体と精神を休ませていたのだが、先刻魔導王の側近である絶世の美少女、シャルティアが村にやってくるという連絡が入った。

 まだ正式に決まったわけではないが、今のところ村の代表は自分たち元八本指の長たちがそのまま務めている。

 コッコドールもその一人であり、魔導王の側近がやってくる以上、どんなに体調が悪かろうと、出迎えて忠義を示さなくてはならない。

 これは自分たちではなく、当のコッコドールが言い出したことだ。

 

 洗礼を受ける前から魔導国に忠誠を誓うと言っていたが、あのときは本心からのものでないのは明白だった。

 しかし、洗礼によって恐怖が刻み込まれ、二度と同じ目に遭わないため僅かなミスも犯すまいと考えてのことだろう。

 とはいえ、この状態で彼女に会わせること自体、不興を買ってしまう気もする。

 

「ねぇ、コッコドール。貴方本当に大丈夫? まだ本調子じゃないんだから休んでいていいのよ?」

 

 さりげなく退席を進めてみる。

 

「そうだな。今回は元から予定されていたものではない。お前以外にも外に出ている者もいるのだから咎められることはないと思うぞ?」

 

 他の者たちも同調するが、コッコドールは歯を鳴らしたまま首を横に振った。

 

「だ、大丈夫よ。そ、それに仕事に出ている彼らと違って私は体自体は問題ないもの。それなのに姿を見せなかったら、あれのせいで動けないって言っているようなものじゃない」

 

(それは、確かに)

 

 実際あの洗礼のせいでまともに体が動かないとしても、相手がそれを理解してくれるとは限らない。

 むしろ、当てつけがましい。と思われる可能性すらある。

 そう考えると無理にでも居てもらった方がいいのかもしれない。

 彼の体調を気遣ったつもりだが、余計なお世話だったようだ。

 

「分かったわ。頑張ってね」

 

 ならばこれ以上、自分から言えることはないと、最後に一つ頷きかけるとコッコドールも力強く頷き返した。

 

「ええ。ありがとうヒルマ。でも本当に大丈夫。私がいないせいで貴方たちが責任を取らされるようなことになったら、たまらないもの」

 

「コッコドール……」

 

 思わず言葉に詰まり、同時に気づかされる。

 ヒルマたちは、あの地獄をもう二度と誰にも経験させないと誓っていた。

 しかし、結局コッコドールに同じ地獄を味わわせてしまった。その罪悪感が未だ残り続け、必要以上に彼を過保護に扱ってしまっていたのだと。

 コッコドール自身もそれに気づき、その上で同じ地獄を経験した仲間である自分たちを気遣ってくれている。

 

「ありがとう。……アンペティフ」

 

 一度は名前で呼ぶようにしていたが、これもまた救えなかった罪悪感によって再び距離を取ってしまっていたが、今は心の底から名前で呼べる。

 

(それにしても。今日はいったい何の用かしら。新しい村の建設はまだ終わっていないはずだし、引っ越しではないわよね)

 

 懸念材料が消えたので、改めて今回の訪問理由について考え始める。

 前回シャルティアがこの村にやってきたのは、村に来てから三日後、何か必要な物がないか確認にきたとき以来だ。

 そのとき、いくつかの注意事項と共に大量の食料が運び込まれた。

 

 元々、この村で生活するのは一週間の予定であり、食料も二週間分用意されていたため、追加で食料を渡されたときは不思議に思ったのだが、同時に別の場所に作っている村の建設に時間が掛かっているため、ここでの滞在が延長になったことを告げられた。

 それ自体に不満はない。

 いや、あったとしても言えるはずがない。

 そもそも自分たち千人は魔導王の慈悲によって生かされ、安全な場所で匿ってもらっている身分。

 確かに慣れない森での生活は辛いこともあるが、そんなことで文句を言ってはほぼ全て虐殺されただろう王国の民たちに申し訳が立たない。

 なによりも。

 

(魔導王陛下の慈悲に文句を言うなど許されない)

 

 むしろ、そうした不満を抱いているかも知れない村人たちを事前に見つけ、発見しだい抑えることこそ自分たちの役割だ。

 そう考えて必死に村人たちとも交流を行い、これまでの上司部下という関係を払拭しようと尽力したことで──少なくとも表面的は──問題は起こっていないため、そちらの方でも咎められることはないはずだが。

 そんなことを考えていると、突如として広場の真ん中に薄っぺらい下半分を切り取った楕円形の漆黒が現れる。

 転移門(ゲート)と呼ばれる長距離を一瞬で移動する魔法だ。

 気づいた後は早かった。

 全員が地面に片膝を突いて、深く頭を下げる。

 

 先ほどまで震えていたコッコドールも含めて一糸乱れぬ動きを取れた。

 頭を下げたまま、耳を澄ますと聞こえてきた後音は二つ分。

 一人はシャルティアだろうが、もう一つは誰だろう。

 そんな疑問は、次の瞬間聞こえた声に吹き飛ばされた。

 

「頭上げていいよ」

 

 天真爛漫な子供の声に、その場に居た全員が体を硬くする。

 先のコッコドール同様、恐怖で震えそうになる体を意志の力でねじ伏せ、無理やり顔を持ち上げると、そこにいたのは案の定、アウラという名のダークエルフの少女だった。

 一瞬の目配せで、自分以外の二人の仲間が必死に歯を食いしばっているのがわかった。

 先のコッコドールのように歯を打ち鳴らさないようにしているのだ。

 

 気持ちは分かる。何しろ彼女は、八本指の首脳会議の場に乗り込み、あの地獄へと連行した双子の片割れなのだから。

 だからこそ、ここはヒルマが動かなくては。と決断する。

 自分を直接連行したのはもう一人のダークエルフの少年──確かマーレという名前だ──のため彼女に対して直接的な恐怖はないし、なによりあの時、皆を騙して双子を手引きしたのは自分なのだ。

 結果的にあの洗礼があったからこそ、いがみ合っていた八本指の長たちが真の仲間として団結できたとはいえ、あの裏切りは未だヒルマの心に棘として残っている。

 それを抜く良い機会だ。

 

「お待ちしておりました」

 

 普段であれば、こちらから話しかけることなく、向こうから命令が下るのを待つだけだが、あえてヒルマから挨拶する。

 こうすることで今回は自分が窓口になると宣言したのだ。

 その態度自体が不敬だと思われ、叱責される可能性もあるが、それも含めて自分の贖罪だと言い聞かせる。

 ヒルマの狙い通り、アウラとシャルティア二人分の視線が向けられた。

 恐怖と共に喉の奥からせり上がってくるものを必死に飲み込み、精一杯笑顔を向けて、挨拶を続ける。

 

「本来我ら八人全員でお出迎えしなければらないところ、四人は現在外での仕事に出ております。まことに申し訳ございません」

 

 他の仲間たちから向けられる無言の感謝の気持ちがなければ、声が震えていたかもしれない。

 そんなヒルマの言葉に二人は顔を見合わせた。

 やはり顰蹙を買ってしまったか、と内心で身構えたが、そうではなさそうだ。

 アンデッドのため表情というものが一切存在しない魔導王や常に微笑で本心を見せないようにしている宰相アルベドと異なり、この二人は感情がそのまま顔に出るため、不満を抱いたのならすぐにわかる。

 では一体これは何を確認しているのだろうか。

 

「ほらやっぱり。外に出た奴らがいるなら、早く連絡に来て良かったでありんしょう?」

 

「あー、はいはい」

 

 豊満な胸を張って、自慢げに語るシャルティアに対し、アウラはどこか投げやりに答えると、満足したらしいシャルティアが続ける。

 

「アインズ様にご相談した結果、この森を囲んでいるアンデッドを不可視化が使える者に変えることになりんした。万が一目撃されてせっかく越してきた場所が危険な場所だと思われては困るということでありんすぇ」

 

「ふーん。そんなことまで気を使われるなんて。あいつらにまだ使い道あるのかな」

 

「さあ、そこまでは聞いていんせんが、しばらくは客人待遇で何か問題が発生したら手伝うように言われておりんす」

 

「へー」

 

 ヒルマのことなど眼中にないとばかりに、二人は会話を続ける。

 当然口を挟むことなどできないが頭の中では今話している情報を精査し、必死で理解しようと努めていた。

 

(要するに森の中に誰か他の者たちが越してきたからその連絡ってことね。でも客人待遇なんて一体誰が……)

 

 自分たちのように王国から生き残りを運んできたのか。いや、そもそも相手が人間である保証はない。

 どちらにしろ、慈悲によって生かされているだけの自分たちと違って、相手は魔導王自らが気を使い客人として持て成そうとしている者たちだ。

 こちらより遙かに上の立場にいると思っていた方が良い。

 

「ああ、今の話でだいたいの事情は分かったと思いんすが、この森の中に余所から越してきた者たちがいんす。数は、えーっと」

 

 思い出したとばかりに、シャルティアがこちらを見て話し出し、アウラが続いた。

 

「だいたい二百人。距離は離れているけど、相手はあたしと同じダークエルフだからね、森の中なら結構広範囲を移動するかもしれないし、もし見かけても気にしないでいいよ」

 

「畏まりました。皆にも伝えます」

 

 アウラの言葉に、驚きが顔に出ないように気を使いながら了承する。

 ダークエルフ、つまりアウラたちの同族だ。

 二人の故郷から家族や親戚を連れてきたのかもしれない。

 それなら慈悲深く、配下を大事にしている魔導王が客人待遇で扱う理由も分かる。

 

 しかしそれにしてはアウラ本人はあまり気を使っている様子がない。

 子供だからそのあたりに無頓着なのか。と思ったがすぐに否定する。

 この二人を始めとして魔導王の側近たちは基本的に誰が相手でも下等生物として見下して横柄な態度を取るが、逆に魔導王には最大限の忠義と気遣いを見せる。

 その魔導王が、自分の親族を優遇してくれたとあってはもっと感謝の意を示すはずだ。

 

「まあ、向こうから近づいてきたら普通に話したりして良いけど、喧嘩とかしないようにね」

 

「もちろんです! 魔導王陛下のお客人にそのような無礼は致しません。むしろ、必要とあらば我々を手足のように使っていただいても、いっこうに構いません!」

 

 どちらにしても自分たちより格上なのだから。と声を張り上げるがアウラは呆れたように肩を竦めた。

 

「いや、そこまで気を使わなくて良いよ」

 

「そうでありんすね。あと少しで村も完成する予定でありんすし、お前たちはそれまでの間、面倒を起こさず大人しくしておけば問題ありんせん」

 

「はっ! 承知いたしました」

 

 ん。と無言で顎を引いたシャルティアとアウラはもう用は済んだとばかりに、再び転移門(ゲート)を開いてその場を後にしていった。

 漆黒が消えた後も、しばらくの間無言で頭を下げていたが、やがて全員が顔を持ち上げ、ほっと息を吐いて立ち上がる。

 

「ヒルマ。済まない」

「本当に助かりました」

 

 残るメンバーであるノア・ズィデーンとプリアン・ポルソンが口々に礼を言う。

 何に対しての礼なのか詳細を言わないのは、先日魔導国の救援を待つため王都内の邸宅で待機していたとき、自分たちの影に悪魔が待機していることを知ったためだ。

 下手なことを言って、彼らに伝わるのは不味い。

 だからこそ、ヒルマも細かいことは言わず笑みだけ深める。

 

「気にしなくても良いわ。私たちは仲間なんだから。それより外に出ているオリンたちに早く連絡しましょう。万が一ダークエルフの皆様に接触して無礼でも働いたら……」

 

 そこから先は言葉にせずとも全員が共有できた。

 自分たちが責任を取らされることになる。

 

「そ、そうだな。では俺が行く。お前たちは村に残っている者たちに伝えてくれ」

 

「そうですね。今日は村の外に出ないように通達を出しましょう。アンデッドが不可視化している以上、輪の外に出てしまう危険があります」

 

 ノアとプリアンが早々に指針を打ち出して、動き出した。

 こうした決断力は元組織のトップだっただけはある。

 

「そうね。後は──」

 

 万が一ダークエルフがやってきた際の対応についても考えておく必要がある。と続けようとしたヒルマを遮り、横から情けない声が聞こえてきた。

 

「ヒ、ヒルマぁ。申し訳ないけど、起こしてくれない? こ、腰が抜けちゃって」

 

 見れば、未だ一人だけ片膝を突いたままのコッコドールがこちらを見上げていた。

 必死に体を起こそうとしているのか、先ほどまでとは違った意味で体が震えている。

 その様子を見て気付いた。

 アウラの存在が、他の二人にとってトラウマの象徴であるように、コッコドールにとってはシャルティアこそが己を地獄に導いた存在なのだ。

 それも自分たちのように数年前ではなく、つい先日の出来事。

 そんな相手に直接接触したことへの恐怖と、何事もなく済んだ安堵感の落差で腰を抜かしてしまったらしい。

 彼を除いた三人は思わず顔を見合わせた後、笑みを浮かべた。

 それは当然この姿を見て、情けないと嘲笑するようなものではない。もっと別の、仲間意識から現れる親愛の笑みだ。

 

「当たり前じゃない、アンペティフ」

 

 彼の傍に移動して立たせようとするが、細身とはいえ男であるコッコドールを女の自分が持ち上げるのは無理がある。

 こちらが何か言う前に、ノアとプリアンも力を貸し、三人がかりでゆっくりと持ち上げる。

 

「ありがと」

 

 最も体格の良いノアが肩を貸して歩き出した。

 その動きも力の入らないコッコドールの体に痛みなど感じさせないように気遣った優しいものだ。

 

「何言っているの。私たち仲間じゃない」

 

 以前にも言った言葉を繰り返すと、コッコドールは目を見開いた。

 あのときはこの言葉をキッカケに、悪魔が皮を被った偽物なのではないかと疑われたものだが……

 

「そうね。ええ。私たちは仲間……」

 

 噛みしめるように何度も頷きながら言うコッコドールの瞳には、涙すら浮かんでいた。

 

「さ。行こう」

 

 ノアに肩を借りながらゆっくりと歩き出すとプリアンが先行する。

 

「では私は先に行って寝床を用意しておきますよ」

 

 離れている後ろ姿を見ながらヒルマも念のためノアの反対側に回り込むとコッコドールは再び、しみじみと呟いた。

 

「仲間って、良いものね」

 

 

 ・

 

 

「お、おお」

 

 懐かしい森の匂いに思わず吐息が漏れる。

 三百年ぶりであり、樹はおろか、地形すら見覚えがあるものではなかったが、間違いない。

 南の森──モモンによると現在はトブの大森林と呼ばれているらしい──だ。

 自分たちが住んでいた場所の近くでは無さそうだが、大樹海とは違った匂いがある。

 

 ダークエルフにとって森とは単なる住処ではない。

 それこそ衣食住、すべてが森の恵みによって与えられ、自分たちが死亡したときは森の土に還り栄養となる。

 いわば自分たちも森の一部であると考える者が多い。自分たちの種族そのものを森の樹に喩えて呼ぶのもそれが理由だ。

 その意味で言えば、大樹海に移ってから生まれた若いダークエルフと違って、この森こそが自分たちの故郷なのだ。

 そんな森を見間違うはずがない。

 

「そろそろ全員来た?」

 

 あっけらかんとした口調で言うのは、先にここで待機していたらしいアウラである。

 

「はい。全員いるようです。して、フィオーラ殿。妖精の祝福を得たお方はいずこに? まずはここまで連れてきていただいた、お礼をさせていただきたい」

 

 子供たちも含め、全員がいることを確認後、周囲を見回す。

 妖精の小道とは異なる転移の力を使ったのは彼女ではないとのことだったが、周囲にその力を使っているような者は見受けられない。

 

「ん? ああ。えーっと……今は近くにはいないね。その内会うこともあるだろうから、紹介はそのときにね。あたしもそろそろ魔法の効果が切れるから向こう側に戻らないといけないし、後のことは──」

 

「はいはい。私に任せて」

 

 小さな体を精いっぱい伸ばしながら隣に立つドライアード、ピニスンが言う。

 

「ん。よろしく」

 

 それだけ言うと、もう用は済んだとばかりに、漆黒の半円球の中に入ろうとするアウラに声をかけるべきか一瞬悩む。

 ここまで手を尽くしてくれたことへの礼を言うべきなのは当然だが、この妖精の小道とは似て非なる強大な力を持った魔法の効果時間が迫っていると聞いたからだ。

 下手に足を止めて、時間が切れてしまいアウラが戻れなくなったらモモンたちに危険が及ぶ。

 ならばここは黙って見送り、再会後盛大に感謝を伝えるべきだ。

 そう判断し、せめてこれぐらいはと深々頭を下げると、村人たちも追従する。

 

「っ! ア──」

 

 ただ一人エグニアだけは、何か決心したような顔つきでアウラに話しかけようとしていたが、直前で狩猟頭とガネンに両側から押さえつけられていた。

 

「? じゃーねー」

 

 三人の様子に不思議そうな顔をしたものの特に指摘はせず、今度こそアウラは軽やかな足取りで闇の中に姿を消えていく。

 その直後、漆黒もまた徐々に小さくなっていき、やがてはじめから何もなかったように消えてしまった。

 アウラがいなくなった後も、しばらくの間頭を下げ続けていたが、やがて誰からともなしに顔を持ち上げ、改めて周囲の様子を観察する。

 ここが自分たちの故郷の森であるのは間違いないが、果たしてどの辺りなのか確認しようとしたのだ。

 先ほどまで視界を遮っていた漆黒が消えたことで、その先を見通そうとしたラズベリーの呼吸が止まる。

 

「っ!」

 

 視界の奥、百メートルほど先で、森が途切れているのが見えたからだ。

 それも何らかの目的で伐採したのではない。

 なぜなら、その周囲の木々が皆不自然に枯れているからだ。

 以前見た時よりも遙かに広がっているが間違いない。

 ここは目覚めれば世界を滅ぼすと謳われた魔樹が封印されている死の森。

 考えてみれば、元々魔樹の近くに本体の樹が植えられているピニスンがここにいるのだから当然のことだ。

 本体の封印は解かれてはいないだろうが、触手の方はいつ目覚めても不思議はない。

 全身から血の気が引いていく。

 魔樹の存在と危険性を知っている長老衆は視線だけで頷き合い、即座この場から離れるよう、村人たちに告げようとするが、初めてこの森にやってきた若者たちは物珍しげに周囲を観察して好き勝手に動き出していた。

 

「立派な木だ。大樹海に勝るとも劣らないな」

 

「ああ。木の実もたくさん落ちているぞ。小動物でも採りきれないんだ。森が豊かな証拠だな」

 

 暢気な台詞を咎めようとして、はたと気づく。

 

(まだ枯れてはいないにしろ、この距離なら、近くの樹も魔樹に栄養が吸われているはず)

 

 ラズベリーたちも地面を見てみるが、確かにざっと見渡しただけでいくつもの木の実が落ちており、その木の実も丸まると太ったものばかりだ。

 木に栄養が行っていないとこうはならない。

 では何故この木は魔樹の影響を受けていないのだろう。

 

「ピ、ピニスン? 魔樹はどうなったの?」

 

 自分と同じ思考を辿ったらしいストロベリーが聞いた瞬間、ピニスンの顔から表情が一切抜け落ちた。

 その表情はダークエルフよりも更に永い時を生きても、精神的な成長は見られず、いつまで経っても無邪気で子供のような彼らしくないものであり、思わずギョッとして息を呑んだ。

 

「あれでしたら、少し前に討伐されましたよ」

 

 表情と同じく感情の抜けた声に驚く間もなく、その内容に思い切り目を見開く。

 

「馬鹿な! あれは一度封印が解かれれば、この森どころか世界そのものすら、破壊する化け物だぞ。いくらフィオーラ殿たちやモモン殿がいたとしても勝てるはずがない」

 

「そ、そうよそうよ。かつての私たちのように触手の一部を倒したってことでしょ?」

 

 世界すら破壊する魔樹を討伐してしまう何者かが近くにいる。

 危険から逃れるため、さらなる危険の近くにやってきてしまったなんて冗談にもならない。と祈るような気持ちでピニスンを見る。

 そんな必死な様子に、村人たちも何事かとざわめき出すがピニスンは注目を浴びてもあわてた様子も見せず、なぜかその場で両手を合わせて視線を宙に飛ばした。

 

「いいえ。本体が討伐されたのを私はこの目で見ました」

 

 きっぱりと告げられ、絶句する。

 そんな自分たちの様子を見て、ピニスンは視線を遠くにやったままゆっくりと首を横に振った。

 

「そんなに慌てる必要はありません。この世には世界を滅ぼせる力を持った者など幾らでもいるのです。重要なのは己の分を弁えて、そうした者に逆らわず自分にできることを精一杯することなのですから」

 

 達観したかの如き表情と言葉遣いで語られる説法に眉を顰める。

 とりあえずこの森は現在そうした存在が支配しており、ピニスンもその部下として活動しているのは間違いなさそうだ。

 

「ま。とにかくさ。君たちがいた頃とは、この森の法則(ルール)が変わってるけど、普通に暮らす分には、危険な魔獣や亜人もいないからそこだけは安心していいよ」

 

 自分たちの緊張が伝わり、それを解消しようと考えたのだろう。

 言葉遣いを戻したピニスンが、あっけらかんと言い放つ。

 そういう問題ではないと言いたいところだが、もう元の場所に戻る手段がない以上、ここで言っても仕方ない。と意識を切り替える。

 

「まあ確かに、モモン殿やフィオーラ殿たちも暮らしているんだ。そこまで心配することはないか」

 

 どちらかといえば本心ではなく、自分たちの緊張が伝わった若者たちを安心させるための言葉だったが、自分たちの命と未来を救ってくれた英雄たちの名前は、効果覿面だった。

 

「そうだよな。フィオーラ様たちも普段はこの森に暮らしているんだもんな」

「だったら挨拶に行った方が良いんじゃないかしら? 彼らはいなくても他の家族は残っているんじゃない?」

「いや、二人は確か両親が行方不明って言ってなかったか? 都市っていう色んな種族が集まってる場所で暮らしているとか」

「なら挨拶は後の方が良いか。彼らが戻ってきてから案内してもらおう」

 

 ガヤガヤと好き勝手話し出す村人たちの表情に明るさが戻った。

 そんな村人たちを見て満足げな顔を見せた後、ピニスンはああそうだ。と思い出したように付け加えた。

 

「みんな、おかえりなさい」

 

 植物系のモンスターや精霊は基本的に個人主義で他人を気遣うことなどなかったはずだが、彼もこの森の新しい法則とやらに染まった結果だろうか。

 どちらにせよ、彼のその気遣いで自分たちも実感が湧いてきた。

 ようやく、故郷に帰ってきたのだと。

 

「ああ。ただいま」

 

 かつての故郷にして、これから先暮らしていくことにある新しい住処。

 生い茂る木々の隙間から覗く木漏れ日は自分たちのこれからを祝福してくれているように見えた。




ちなみにこの話は時系列がちよっと前後しており、最後の村人たちのシーンは、前話でシャルティアとアウラが話していたシーンの少し前の話になります
次から、エルフ王との最終決戦に入ります
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