オーバーロード ~絶死絶命交流ルート~   作:日ノ川

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一応の最終話、時系列としては前話のアルベドとの会話の少し前になります


第26話 最後の交流

 夢を見ている。

 いつもと同じ、夢と分かる明晰夢。

 ただ、いつもと違うのは、その中にいる自分が子供ではないこと。

 相変わらず、夢の中にいる母は棍を握ったまま私を見下ろしている。

 大人の体とはいえ、ハーフエルフである私の身長はそれほど高くないのだ。

 

 そんな私に、母は表情のない仮面のような顔つきのまま、手にした棍を構えると、なんの躊躇もなく振り下ろしてきた。

 

 けれどもう子供ではない私は、黙ってそれを受け止めた。

 夢なのだから痛みが無いのは当たり前だが、思った以上に衝撃も少ないのも夢だからなのか、それとも母が手加減してくれていたからなのか。

 どっちでも良い。

 

「いきなり何するのよ。もういいじゃない。貴女の復讐は果たしてあげたでしょ?」

 

 彼女が死の瞬間まで憎み続けたエルフ王は死んだ。

 私が殺した。

 それでもまだ足りないというのか。

 やっぱり彼女は私をエルフ王と同様に憎しみ、嫌っていたのだろうか。

 

 簡単に殺せたはずなのに殺さなかった。

 だから嫌われてはいない。

 

 そんな思いすら、私の哀れな願望でしかなかったというのか。

 棍を掴まれても、彼女のガラス玉のような瞳に感情が入ることはなく、ただじっと私を見つめたままだ。

 いつものように、本心を隠すための笑みを浮かべ、私はそれを受け流す。

 

「これでも結構頑張ったのよ? 一度くらい誉めてくれても良いじゃない」

 

 私は、生まれてからずっと、母からありとあらゆる祝福を受けたことはなかった。

 ありがとうとか。

 おめでとうとか。

 よかったねとか。

 そんなありふれた祝福さえ貰えないままの人生だった。

 これで最後なのだから、それぐらい幸せな夢を見せてくれてもいいのに……

 

 最後?

 そう。最後だ。

 私の人生は多分もう終わっている。

 

 だからもしかしたら、これは夢じゃなく本物の母の魂が私を迎えにきたのかもしれない……

 なんて考えてから、自嘲する。

 この人が、そんなことをするわけがない。

 でも、夢の中だとしても、こうして向かい合うことで、自分はもう母に対して怒りも憎しみもなく、許すことができたと実感した。

 

 それを自覚した瞬間、一番最初に嗅覚が戻った。

 こびり付いた血の匂いは嗅ぎ慣れたもの。

 母との訓練で私が流した。強くなってからは私が流させた。

 そしてつい先ほど嗅いだのは、エルフ王のものだったか、それとも──

 

 

 ・

 

 

 薄暗い部屋の中、自分が立っている、いや立たされていることに気づく。

 いつの間に流れたのか、頬を伝う涙を拭おうと腕を動かそうとしたが、金属が擦れる音が僅かに鳴るだけで腕はピクリとも動かない。

 光源が少し離れたところにある蝋燭の炎しかないために、はっきりと見ることは出来ないが、どうやら手足に金属の枷が付けられて拘束されているらしい。

 

(拷問室か)

 

 こびり付いた血の匂いと拘束具、視覚を狭める蝋燭台、全て人間の五感を責め立てるためのものだ。

 

「ん? 起きたか」

 

 おどろおどろしい雰囲気に似つかわしくない軽い声に、思わず口元が斜めに持ち上がるが、あえて返事はしない。それでも向こうは特に気にした様子もなく続けた。

 

「流石高レベルだけあって気絶からの復活も早いか。ちなみに言っておくが、その枷はお前の力でも壊せん。無駄に暴れると傷が開くから大人しくしておけ」

 

 傷と言われた途端、体に思い出したように痛みが走る。

 全身くまなく痛みがあったが、最も強いのは一番最初、モモンに殴られた場所だ。

 回復魔法を使って治したいところだが、それを許してくれるはずもない。とりあえず我慢して、辺りを観察する。

 室内の様子は分からないままだが、どうやらモモンは少し離れたテーブルのような場所に座って、何か書き物をしているようだ。

 僅かな動きと紙にペン先が擦れる音でそれが分かった。

 

「こんな暗い中でよく書き物なんかできるわね」

 

「ん? ああ、そうか。人間の目では見えないものな」

 

「人間?」

 

 絶死の疑問に答えることなく、モモンはその場でパチンと指を弾く。

 瞬間、壁側からの白い光──永続光(コンティニュアル・ライト)に照らされた。

 明るすぎる光に目が眩んでいたが、それも少しの間。やがて目が慣れたとき、絶死の視線の先には豪華なローブを纏った男の後ろ姿があった。

 

「モモ、ン?」

 

 鎧を脱いでいるのかと思ったが、両肩から伸びる角のような肩当ては、報告書で見た覚えがある。

 でも、この声はモモンの……

 

「よし」

 

 満足げな声と共にペンを置き、男は立ち上がる。

 バサリとローブをはためかせてゆっくりとこちらを振り返った姿に、絶死は息を呑んだ。

 豪華なローブに見合う数々の装飾品を纏った骸骨の姿。むき出しにされた頭蓋骨の瞳部分には赤い炎のような揺らめきが宿っている。

 

「アインズ・ウール・ゴウン。そう、貴方だったの」

 

「驚いていないようだな」

 

「……一つ教えて。本物のモモンはどこにいるの?」

 

 絶死の問いに魔導王は少し考えるような間を空け、視線を宙に飛ばす。

 普通の人間のような動きもアンデッドが行うと恐ろしい計略を企てているようにしか見えなかった。

 

「そうだな、せっかくだから教えておこう。君たち法国も知っている英雄モモンは、全て私が変装した姿だ。当然二人同時にいるときは影武者を使っているがね」

 

 ごく自然に言われた言葉の意味がすぐには分からなかった。

 

「嘘よ。だって貴方は魔法詠唱者(マジックキャスター)でモモンは──」

 

「戦士化の魔法、と言っても君らは知らんか。とりあえず、ダークエルフの村で君と一緒に行動し、仮師匠に弟子入りしたのは間違いなく、ここにいる私だ」

 

 その言葉が本当なら、魔導王は何十万も一気に殺せる魔法だけでなく、絶死ですら一撃で昏倒させる強大な膂力も持っていることになる。

 

(なんてインチキ! 本当にそんなことが可能なの? でも確かに声はモモンだし)

 

「信じられないか? なら、これなら証拠になるかな?」

 

 そう言って魔導王はテーブルの上に置かれたままの手帳らしきものを手に取ると、ページを捲って絶死の眼前に突き出すように見せた。

 そこには、あまり上手くない絵と文字が載っている。

 文字の方は見たことがない。いや、六大神の残した秘宝の中で似たような文字を見た気がするが、どちらにせよ、絶死では読むことができない。

 しかし、一緒に載っている挿し絵が何かはすぐ分かった。

 

「これ。仮師匠の秘伝薬の調合法」

 

 絶死が調合した際に使った器具や、使用した植物の特徴が詳細に書き記されていた。

 よく見れば手帳自体もモモンが使用していたものと同じだ。

 だが、その内容は彼が絶死の横について、作業手順を書いていた内容とは違う気がした。

 

 なんと言えばいいのか、文字そのものは読めないがもっと詳細に仮師匠が口頭で言ったことまで書き加えられているようだ。

 つまり、少なくともあの場にいたのは正真正銘目の前のアンデッドということになる。

 

「途中でエルフ軍が来たせいで曖昧なところが多かったからな。今はとりあえず一つだが、残りはいずれ仮師匠に教えて貰うことにしよう」

 

 鯱張った口調から一転して絶死と接していたときの軽い雰囲気へと変わる。

 声が全く同じことも併せて、やはりモモンと魔導王が同一人物なのは間違いなさそうだ。

 

(法国にとっては最悪の事態ね)

 

 かつての神々と同じ存在と目されている魔導王と近しい実力を持っているとされていたモモン。

 この二人が同じ勢力に属しているのは、法国どころか周辺諸国からみても最悪の組み合わせではあったが、同時に唯一の希望でもあった。

 何しろモモンはエ・ランテルに残された国民を守るため、法の番人として魔導王に下ったと言われていたのだ。

 ようするに心から魔導王に従っている訳ではないのだから、誰にも気づかれないようにモモンに接触し味方に付けることができれば、内側から魔導王を討ち取ることもできる。

 いや、そうすることでしか、もはや魔導王を討つ術がないと言うべきだろうか。

 

 実際絶死も似たような計画を立てた覚えがある。

 もっともそのときはモモンを使うのではなく、モモンに手引してもらい、自分が直接魔導王を討つつもりだったのだが。

 どちらにせよ、この二人が同一人物だった以上最後の希望は潰えたことになる。

 

「いやしかし、お前がちゃんと覚えてくれていて助かった。今度続きから教えて貰うにしても、また一からなんて言ったら仮師匠にどんな嫌みを言われるか分かったものではないからな」

 

「何の話?」

 

 心から安堵しているような態度に、ついこちらもモモンと接している時のような話し方をしてしまう。

 

「決まってるだろう。この調合法だ」

 

「だから。あのときの説明を貴方が覚えてたから、書き直せたんでしょう?」

 

 確かに絶死は秘伝薬の調合法を記憶しているが、最後に教わってからすぐエルフ軍襲来の報が入り、以後は戦いの準備などばかりで、調合の話は一切していないはずだ。

 今書いていたのは、調合中の記憶を頼りに改めて清書したものだろう。

 そんな絶死の問いかけに、魔導王は軽く肩を竦めながら首を横に振った。

 

「言っただろう。記憶力に自信がないんだ。あんな早口でまくし立てられても一度では覚えきれんよ。だいたいあのときは手順を書き記すので精一杯だったからな。これはお前の記憶を読んだからこそ、完成したものだ」

 

「記憶を、読む?」

 

 支配(ドミネイト)魅了(チャーム)の魔法を掛けて、話させたなら分かるが、記憶自体を読む魔法なんて聞いたこともない。

 

「そうだ。第十位階魔法、記憶操作(コントロール・アムネジア)。これにより他者の記憶を読むことも、改竄することも、消すこともできる。私が何を言いたいか、分かるか?」

 

 声のトーンが一つ下がり、同時に周囲の空気が冷たくなっていく。

 絶死のことを敵だと断じ、攻撃を仕掛けてきたときと同じ雰囲気だ。

 

「私がモモンに手引させて、貴方──魔導王に接触して殺そうとしていたことも知ってるってことでしょ?」

 

 最終的には説得することにしたとはいえ、一度は殺す計画を立てていたのは事実。当然その記憶も読まれたに違いない。

 

「それだけではない。お前の母とエルフ王との確執も、お前が法国でどんな生活をしていたのかも、すべて知っている」

 

 静かな口調。そこに感情らしいものは何も乗っていなかった。

 怒りも憎しみも同情も哀れみも。

 

「そう……法国は、これからどうなるの?」

 

「ほう? 自分のことではなく、祖国の行く末が気になるか」

 

「どうせ、私の祖国への気持ちも知ってるんでしょ?」

 

 国そのものに命を懸けるほどの恩義があるかは分からない。

 だが、長い人生の中で知り合った幾人かの気に入った人々。彼らが命を賭してでも守りたいと願った国だ。

 魔導王の命を狙った自分が生きて帰れないのなら、せめて、そちらがどうなるかだけは知ってから死にたいと思ったのだ。

 

「準備が整い次第、攻め滅ぼす。元々お前たちからふっかけてきた戦争だ。きちんと買ってやらねばな」

 

 先ほど同様、声は静かなままだが、そこに込められた憤怒の感情に絶死は身を震わせた。

 

「待って!? 確かに法国と魔導国は仮想敵国同士ではあるけど、戦争をふっかけるつもりなんて──」

 

 そこまで言ったところで、不意に思い出す。

 自分がモモンの怒りを買ったそのきっかけを。

 

「理解したかね? 君たちがホニョペニョコと呼ぶ吸血鬼、彼女は私の配下であり、私の大切な友人の忘れ形見でもある。お前たちが彼女を操ったことで、私はそんな彼女を一度殺さなくてはならなくなった。許されることではない。その罪は君たち全員で償ってもらう」

 

 全員が示す意味が全国民であることを理解して、絶死は思わず口を挟んだ。

 

「そこまでしなくても良いでしょ!? 私の記憶を読んだのなら分かっているはずよ。あれは貴方たちを狙ったものじゃない。偶発的な事故で──」

 

「そんなことは関係がない! これは私に、アインズ・ウール・ゴウンに戦争を仕掛けたも同じこと。その罪は必ず贖わせると決めたのだよ。君がエルフ王を許せなかったのも同じことではないかね?」

 

「っ!」

 

 言葉に詰まったのは彼の言っていることが正しかったからではない。

 そもそも絶死にとって、エルフ王への憎しみは母の恨みをコピーされたものでしかないのだから。

 反論出来なかったのは感情ではなく物理的な要因によるもの。

 

 エルフ王が放っていたものとは比べものにならない勘気に、絶死の身体が恐怖に震え呼吸すらままならなくなったからだ。

 これでは反論も出来やしない。

 だがそんな怒りも、突如として波が引くように消えていく。

 

「ふう。確かに何も知らない国民に関してはかわいそうだが、まあ、連帯責任という奴だ。王国民に関しては、一割ほど見逃したが君たちはそれすら許さない。いや、一度わざと見逃してから改めて滅ぼすのも良いか。何だったか、絶望の名残。といったかね?」

 

 国外にある隠れ里。六色聖典の一角、土塵聖典が守っている法国最後の砦すら知られている。

 喉を鳴らすような低い笑い声とともに告げられた言葉で、完全に心が折れる音が聞こえた。

 この時になって初めて、絶死は目の前の男が生者を憎むアンデッドであることを、真に理解した。

 余りにも普通に、モモンの時と何ら変わらない態度だったから勘違いしそうになっていた。

 

(ああ。そうか)

 

 今分かった。

 

(これが、敗北)

 

 敗北とは敵に倒されることではない。本当の敗北とは我が身を賭してでも叶えたい願いを無残に打ち砕かれることなのだと。

 法国最強の切り札、絶死絶命はこの瞬間、生まれて初めて敗北した。

 

「……私は、どうなるの?」

 

 負けを認めたことでようやく、絶死は国ではなく自分の身を案じた。

 最終的に殺されるのは間違いない。

 だが、全国民を皆殺しにしなくては収まらないほどの怒りを抱いている以上、ただ殺されるだけで済むとは思えなかった。

 

 戦争にあたって必要な情報を抜き出すために拷問に掛けられるのか、それともただ憂さ晴らしのために嬲り者にされるのか。

 あるいは、あのエルフ王がやろうとしていたように、戦力増強のために孕ませられて、子を作らせ続けるのかもしれない。

 

 以前は、自分に勝てた相手の子供なら産んでもいいなんて思っていたが、そんなの嘘っぱちだ。

 何一つとして自分の意志では決められない。

 それが敗者の末路なのだと気づかされ、意志とは関係なく体が震えていく。

 

「……そう怯えるな。仮に君がシャルティアを洗脳した張本人であったのなら話は別だが、そうではなさそうだからな」

 

 サラリと言われた台詞に、安堵ではなく背筋に冷たいものが流れた。

 あの吸血鬼を直接魅了したカイレは既に死亡しているが、他にも護衛として付いていった漆黒聖典の隊員たちがいる。

 周囲と関わり合いの無かった絶死にとって、漆黒聖典の隊長を始めとした隊員たちは、殆ど唯一日常的に接していた仲間のような存在だ。

 今の言葉は、彼らが今後最悪の未来を辿ることを示していた。

 

「それに。君の場合は仮師匠との約束もあるからな」

 

 なんとか出来ないかと懇願の言葉を探している最中、突如として空気が軽くなった。

 

「え?」

 

「必ず生きて連れ帰れ。その後、自分たちが行く森、つまりトブの大森林まで連れてこいとな」

 

「あの人は、本当に……」

 

 思わず苦笑する。

 

「だが」

「分かってるわよ。私をそのまま連れていったとしても裏切らない保証はない。いいえ、法国の未来や仲間たちがどうなるか知った以上、どんな手段を使ってでも国に帰るわ」

 

「そうだ。だからこそ、君をそのまま連れて行くことはできない」

 

「どういう意味?」

 

「さっき言っただろう? 私には記憶を改竄する力がある」

 

「それを使って、私の記憶を書き換えて味方にするってこと? そんなことまで出来るなんて、流石は魔導王様ね」

 

「そんな簡単なものじゃないさ。この魔法は取り扱いが非常に難しい。例えば君の記憶を改竄し、村で一緒に過ごすうちに本当に打ち解けて、法国を裏切りダークエルフの村に残ることにした。という記憶を植え付けたとしよう」

 

 心臓がドキリと跳ねた。

 エルフ王が攻め込んできているとハムスケから聞かされる直前、狩猟頭と長老の一人から同じ説得を受けたことを思い出したからだ。

 そのときの記憶や葛藤なども読まれてしまったのだろうか。

 

「だが、君がそれ以外のところで、祖国のため、かつて仲良くしていた友人や仲間たちのために国を裏切れない。と思った記憶はなくならない。それらを一つ一つ探して消していったとしても、自分がどうして国を捨てるに至ったのかその感情の流れが理解できず、大きな矛盾が生じてしまう。この魔法は膨大な魔力を使うのでな、上手く流れが出来るようにじっくり記憶を改竄するなどしてられないのだよ」

 

 淡々と、しかしどこか自慢げに話す魔導王は先ほどまでの燃えたぎるような怒りを忘れてしまったかのようだが、そうした切り替えの早さこそ、人間離れしたアンデッドの精神性によるものなのだろう。と余計恐ろしく感じた。

 

「だから、全てを消すことにした」

 

 続く言葉を聞いてその恐怖は更に強くなる。

 

「全て?」

 

「そう全てだ。この魔法は使用時間によって消費される魔力量が変わる。いちいち消す記憶を選別せず一気に消せば、そこまで大量に魔力を使わずに済む」

 

「それは、私が生まれてから、今日まで生きてきて見聞きしたもの全部忘れてしまうってこと?」

 

 思わず出てしまった声は、体同様に震えていた。

 

「そうだ。ああ、安心しろ。完全な記憶消去の場合は殆ど廃人同然になってしまうが、なんといったかな、エピソード記憶? 意味記憶? まあどちらだったか忘れたが、そこさえ残しておけば日常生活を送る分には問題ない」

 

 あっさりと言ってのけるが、それはつまり今現在ここで思考している絶死の存在が完全に消える、つまり死と同義ではないか。

 

 それを何でもないように言う魔導王はやはり血も涙もないアンデッドだ。

 そこまで考えてふと疑問が湧いた。

 そんな男が、どうして薬師頭との約束を守ろうとしているのだろうか。

 

 そもそも約束などと言っているが、それはおそらく、あの意外にも他者に気を使える薬師頭が、生きて帰れるように発破をかけるために言ったものだ。

 ならばただ、絶死はエルフ王と相打ちになったと言うか、あるいは勝つことは出来たが、エルフの国に戻ったと嘘を吐けば済む話ではないか。

 それをどうしてわざわざこんな手間を掛けるのか。考えられるとすれば……

 

「最後に、教えて」

 

「ん?」

 

「そんな面倒なことをしてまで私を生かそうとするのは、戦力として使うため?」

 

 消えるのが記憶だけなら、絶死の強さ自体は変わらないはずだ。

 それを魔導国の戦力として利用する、例えばこれから戦争する法国に対して使用するつもりなら、悪趣味この上ない。

 

 そんな絶死の問いに、魔導王は一瞬驚いたような間を空けてから小さく笑って首を横に振った。

 

「そうではない。というより正直なところ、君くらい強い現地人は扱いが難しい。私が信用できるのは直属の配下のみ。それ以外の強者が裏切り、その配下たちを傷つけるようなことになったら目も当てられないからな」

 

「だったらどうして……」

 

 どうせここにいる自分は死ぬのだからその前に、と更に深く追及すると魔導王は何かを考え込むように顎先に手を持っていく。

 少しの間うんうん唸っていたが、やがて覚悟を決めたように一つ大きく頷くと絶死をまっすぐに見たと同時に眼窩の赤い輝きが一瞬揺らめいた。

 

「……そうだな。どうせ忘れるんだ。お前には話そう。あの村での生活、お前はどうだった?」

 

「どうって」

 

「俺はな、案外楽しかったんだ。自分の知らない知識を手に入れて、傅かれたり、遜られることもなく、逆に文句を言われたり注意されたり、くだらない世間話をしたり、子供たちに友達が出来るかどうか心配してみたり、そんな普通の生活が、案外楽しかった」

 

「あ──」

 

 思わず、頷きそうになってしまった。

 自分も同じことを考えていたからだ。

 モモンに口先だけで丸め込まれたり、薬師頭に小言を言われたり、子供たちとままごとをさせられそうになったり、芋虫まで食べさせられたり、と一つ一つ思い出してみれば良い思い出なんてぜんぜん無いはずなのに、あの生活が楽しかった。

 

 それはきっと村人たちが誰も絶死のことを知らないから。

 法国の切り札や、裏切り者の間に生まれた忌むべき子、あるいはそう思った母親に虐待同然で育てられた哀れな娘。そんな色眼鏡で見られることなく、ただのハーフエルフとして生きることが出来た。

 

 もしかすると魔導王、いやモモンも同じだったのかもしれない。

 彼がいったいいつから存在して、今までどこでどうしていたのかは分からない。

 しかし、一国の王として、誰からも崇められ、同時に恐怖され続ける今の生活を心から望んでいるわけではないことだけは理解できた。

 

「だが、これはナザリック──いや魔導国の支配者として正しい選択ではない。それは分かってる。それでも一つくらいそういう場所を残しておきたい……自分で考えろと言ったのは俺だが、まさかアウラとマーレがこんなに早く成長するとは思わなかったしな」

 

 最後ボソボソと呟いた内容は良く聞こえなかったが、そのために薬師頭との約束を守り、絶死をそこに置いておきたいということだけは分かった。

 実に傲慢で自分勝手な考えだ。

 しかし、絶死にはそれを否定できなかった。

 自分だって、そんな場所が作れたなら、残しておきたいと考えるに違いないのだから。

 

 同時に、目の前のアンデッドがただ生者を憎むだけの血も涙もない存在ではないように思えてしまった。

 いや、法国への怒りや対応などはアンデッドらしい思考だが、それだけではない。

 そもそも誰だって、一つの側面だけを持っている訳ではないのだ。

 どんな聖人だって腹を立てることはあるし、悪人だって家族は大切にする。

 誰にだって表と裏の顔はある。

 

 彼が何のために国を興したのか、何のために戦争を仕掛け、国力を高めているのかは分からない。

 分かるのは彼がそんな生活に疲れているということだけ。

 

「ねぇ、モモン」

 

 敢えて魔導王ではなく、自分の知る名前で呼ぶ。

 

「ん?」

 

 絶死は唇を持ち上げ、笑みを浮かべてキッパリと告げた。

 

「貴方、本当は王様なんて向いてないんじゃない?」

 

 絶死の言葉に、再び眼窩の光が揺らめいた。

 それが怒りなどではなく、驚き呆気に取られたからだと何故か理解できた。

 

「ははは! そうだな、うん。分かっている。俺に出来るのはせいぜいギルドマスターくらいだよ」

 

 機嫌好さそうな高笑いと共に告げられるモモンの言葉に、首を傾げる。

 

組合長(ギルドマスター)?」

 

 冒険者組合のことだろうか。

 確かにそれくらいこじんまりとした集まりなら、口の巧さも併せて、うまく回せそうだ。

 

「あとはそれこそ、村の村長とかなら出来るかもね」

 

「そうだな……だが俺はアインズ・ウール・ゴウンだからな。この生き方を変えることは出来ない」

 

「そう。じゃあ、せいぜい頑張りなさい」

 

「ああ」

 

 会話が途切れ、室内に再び静寂が戻る。

 互いにそろそろ終わりだと自覚していた。

 

「もう、いいか?」

「……ええ」

 

 これまでの会話のおかげで、ようやく自分の感情を整理することができた。

 今ここで思考しているアンティリーネ・ヘラン・フーシェという個が消えるとしても、生まれてからずっと教え込まれてきたエルフ王への復讐は果たすことが出来た。

 

 祖国のことは残念だが、敗者である自分に出来ることはもう無く、ここで消えるのなら滅亡の憂き目を見ることもない。

 肉体的な死もないと分かっているのだから、嘆く必要はない。

 

 ただ少し、残念なだけ。

 せっかく母を許すことができて、これから誰のためでもなく、自分のために生きることが出来ると思ったのに……

 

「では、またな。アンティリーネ」

 

 頭に向かって手が伸びてくる。

 この期に及んで、未だなにも理解していない男に、最後に教えてやろう。

 

「違うわ。さようならよ。モモン」

 

 心を隠すためのものではない、本心からの笑顔を向けて言ってやると、モモンの眼窩の炎が今までで一番大きく揺らめいた。

 

「そうか。そうだな……」

「そうよ」

 

 互いに頷き合った後、絶死はゆっくりと目を伏せた。

 もう、心に恐怖も悲しみもない。

 だって、一つだけ、記憶を失うことで良いこともあると思えたから。

 

(きっともう、私は悪夢を見ない)

 

 髪に硬い骨の腕が入ってきて、そのまま頭に手が置かれた。

 

「あ」

 

 分かってやっているのかは不明だが、その体勢はモモンがアウラやマーレにしていたように、頭を撫でて自分の頑張りを褒めてくれているような気がした。

 

「〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉」

 

 魔法を唱えるモモンの声を遠くに聞きながら体の力を抜く。

 アンティリーネはその向こうにある安らぎに身を任せ、そして──真っ暗になった。




ちなみにアインズ様は絶死の記憶を大雑把にしか見てないので、色々知っているように見せていたのは全て演技です
それをあっさり信じる扱いやすさも含めて、肩の力を抜いて話せる相手になる。と考えたようです

次のエピローグは明日には投稿できるかと思います
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