麦わらの一味が、
それが世界中に知れ渡るのに、そう時間はかからなかった。
麦わらの一味を追い続けていた海軍や世界政府は、当初情報を隠蔽しようとしたものの、先の大戦で大きく影響力を損なったばかりでは、溢れ出す情報の波を食い止めることはできなかった。
かくして、新たな海賊王の誕生が知れ渡るともに、世界は変革の渦へと吞み込まれていった。
世界の果てを目指した大勢の海賊たちは、大いなる旅路の先を失い。
海軍はサカズキ元帥および三大将の引退により、次世代への交代を余儀なくし。
世界政府は過去の陰謀を白日に晒され、内外からの批判を受けその存在意義を危うくし。
世界は、揺れる。
古きが倒れ、新しきが生まれる。
それはまさに、「新たな時代」の到来であった。
そのさなか、変革の渦の中心であった、新たな海賊王。
モンキー・D・ルフィはと言えば。
「あ~~~、いい天気だなァ……」
大海原の真ん中で麦わらの海賊旗はためかす海賊船。サウザンド・サニー号の船首の上で、だらしなく寝っ転がっていた。
空は快晴。波は穏やか。
カモメたちが潮風に舞い、魚たちは水面を踊る。
季節は春から初夏に移り変わるところで、日差しは心地よく、眠気を誘う。
ルフィもほとんど意識を手放しかけたところであったが、
「こら、ルフィ!さぼってないで、こっち手伝いなさい!」
「え~~~……」
「フランキーもジンベエもいなくて、男手足りてないんだから!」
「そうだぞ、ルフィ!はやくそっちのロープ持てって!」
「は~~~い……」
力の抜けた声で答えると、海賊王の面目なく、しぶしぶと、ルフィは帆を調節するウソップの手伝いへと向かった。
麦わらの一味は、先の大戦で黒ひげ海賊団を破り、海軍や世界政府の追手を煙に巻き、
「ヨホホ……これで、胸を張ってラブーンに会いに行けます」
しみじみとしたその響きに、騒がしかった宴が、静まり返った。
次の冒険。大いなる目標。その喪失の中で、次に思い浮かぶのは、故郷、残した家族、仲間、大切な人のこと。多少の違いはあれど、思うことはいっしょだった。
仲間たちが皆、心のどこかで分かっていたこと。それを急に目前に出されて、思わず口をつぐんだ一同に、ルフィは事も無げに言った。
「……よし、じゃあ、解散するか」
「「「はァ!?」」」
「おい、ルフィ、おま……。解散って……」
「別に、もう一生お別れってわけじゃねェよ。一度、自分の会いてえ奴に会ってきて、やりたいことやって、そんでまた、みんな揃って次の冒険だ」
「ひとつなぎの財宝は手に入れたけど、俺たちの冒険は終わりじゃねえ!」
「だからまた、次の冒険のために、それまで一旦解散だ!」
こうして、乾杯の音頭とともに、たくさん笑い、たくさん泣いた後に。麦わらの一味はひと時の、それぞれの休息を得ることとなった。
「いや~~~、それにしても、
「おれ、こんなに穏やかで平和な海、初めてかもしれねぇ……」
「そっか、チョッパー。お前は偉大なる航路育ちだから、外の海は初めてだもんな」
一行は様々な航海を経験してきた。その中で、波穏やかな日も当然あったが、数日間雨風なく済むような日々はそうそうなかった。
偉大なる航路の中では、嵐や大シケはかわいいもので、急な大渦や雹はもちろん、自然にはあり得ない超常現象が起きるのが日常だった。
「嵐はいやだけど、おれ、あれはいいな。飴玉の雨が降ってくるやつ」
「あ~、あったなそんなの!」
笑いながら話をするウソップとチョッパーだったが、ふいに、ウソップは顔を少し顔を曇らせた。
「なあ、チョッパー。お前、やっぱもう少しドラムにいたって良かったんじゃねェのか?」
目線の先にあったのは、チョッパーが手に持つ医学書だった。チョッパーの故郷、冬島ドラム王国は、偉大なる航路の前半にある。
帰りの旅路の中で、一行は当然ドラム王国に立ち寄った。しかし、チョッパーは、Dr.くれはとわずかな時間過ごしたのち、すぐに一行と旅立ったのだ。
チョッパーの持つ医学書は、土産とばかりにDr.くれはがチョッパーに山ほど押し付けたものだった。
「ジンベエやフランキーみたいに、故郷にしばらく居たって誰も責めねえのによぉ」
「いいんだ、ウソップ」
医学書の表紙を大事そうに撫でながら、チョッパーは静かに語った。
「ドクトリーヌにはいつでも会えるさ。おれは今、ルフィのそばにいてやりてェ。ルフィの体、前の戦いで無茶しすぎて、まだボロボロなんだ」
「そっか、分かった。なら、もう言わねえよ」
ウソップは嘆息して、帆のロープを掴み、風向きに合わせる作業に戻った。
「ルフィの故郷、楽しみだなぁ」
空を見て、チョッパーは笑いながら言った。日は傾きかけてきたが、空はなお青い。
偉大なる航路から離れ、幾日か。
まず先にと、サウザンド・サニー号が向かうのは、
「海賊が来たぞ~~~!!!」
海を見て、誰かが大声で叫ぶ。
固唾を飲み、強張った村人たちの表情は、その帆に描かれた髑髏に麦わらが描かれているのを見るや、みるみる解けていった。
「おい、あの海賊旗……まさか!」
「ルフィ!? ルフィが帰ってきたのか!?」
「おい、誰か村長を呼んで来い!」
港の村人たちが俄かに騒がしくなるのを余所目に、サウザンド・サニー号はフーシャ村の港に碇を下ろした。
「おう、ここがルフィの故郷か。のどかでいい場所じゃねえか」
「にしし、だろ?」
サンジの言葉に、ルフィは嬉しそうに笑うと、手を伸ばし、マストの上に飛び乗った。小ぢんまりとした村、奥に広がる牧草地と、風車の列。高台から見た村の景色は、旅立ちの日に脳裏に焼き付けたままだった。
「いや~、全然変わってねえなぁ」
「ルフィ! もう、降りてきて荷下ろし手伝いなさい!」
「ナミ、そうだ! 宝くれ、宝!」
「はぁ、なに!?」
「宝払い、しなきゃならねえんだ!」
マストから一息に飛び降りると、にしし、とまたルフィは笑った。
麦わらの一味が荷支度を終え、フーシャ村に降り立つと、途端に、村人たちは群れを成してルフィの元に駆け寄った。
「おいルフィ! ようやく帰ってきたなあ!」
「お! 果物屋のおっちゃん、元気か!」
「ルフィちゃん、久しぶりだねえ」
「おお、婆ちゃん、久しぶりだなぁ! 足はまだ大丈夫か?」
ガチャガチャと騒がしい音を立てる荷を背負いながら、上機嫌にルフィは進む。
ルフィが村人たちと次々と挨拶を交わしていき、その後ろを追って一行は村の中へと入っていった。
「ルフィ、すげえ有名人だなぁ」
「まあな。一年中ずっと、村中駆け回ってたからなぁ」
チョッパーが驚いたように言うと、ルフィは懐かしそうに目を細めた。何度も駆け抜けた、村の真ん中の道。遠目に見てくる村人もいるが、おおよそは親しげにルフィに声をかけ、肩を叩き、中には野菜や果物を押し付けてきた。
ウソップとサンジの腕に増えていく荷物を見て、仲間たちは苦笑した。色々な街を見てきたが、海賊に対して、品物を隠したり、嫌みな態度を取ることこそあれど、何もせずとも向こうから品物を押し付けてくる人々はそうそういない。
「なんか、村人全員が世話焼きな爺さん婆さんみてェだな」
「それだけ、ルフィが好かれてるってことね」
ゾロの呟きに、ロビンは微笑みながら答えた。
ふと、ルフィが仲間を置いて小走りになった。荷が大きく音を立てるのも気にせず駆け出すと、とある一軒の店の前で立ち止まった。
小ぢんまりとした小さな店だ。「PARTYS BAR」と書かれた看板に、小さな植木が飾ってある。幼いころから変わらない外観。
「マキノ~~~!!!」
「え、あら、ルフィ!」
勝手知ったるとばかりにルフィは飛び込んだ。カウンターの奥には、夜の書き入れ時の準備をしていたのだろう、この酒場の店主のマキノが居て、入ってきたルフィの顔を見て驚きの声を上げた。
「いつからフーシャ村に?」
「ついさっき、着いたばっかりだ」
「そうなの。急に来て、びっくりしちゃった」
マキノは、慌てたようにカウンターから出てきて、ルフィのそばに駆け寄ってくる。上から下まで、本当に本物か確認するように眺めると、呟いた。
「本当に、無事に、帰って来たのね……」
「おう!」
感慨深そうな声とともに、マキノの目に涙が滲んだ。目尻を拭うマキノを見て、ルフィは鼻を小さく啜った。
「なんじゃ、まったく、やかましい奴が帰って来たわい」
「おお、村長! ……なんか老けたなあ?」
「だれのせいじゃと思っとる! 手紙の一つもよこさんと、悪名ばっかり広めてきよって!」
酒場の扉を開けて入ってきた、フーシャ村の村長は、ルフィがとぼけるやいなや、唾を飛ばしそうな剣幕でルフィに怒鳴った。
「あはは、変わってねえなあ、村長」
目の前の始まった説教を、笑いながらルフィは受け流した。
「えーっと……」
「あ、どうぞ入って。ルフィの仲間の子たちよね? いらっしゃい」
急な展開に目を点にしたナミたちを、マキノが酒場に誘い入れた。荷を下ろした一行が、お酒はちょっと待ってね、とマキノが出したジュースに口を着けたところで、村長のお説教はいったん収まったようだった。
「あ、マキノ、俺にもジュース!」
「人の話を聞けと、何度言ったら分かるんじゃ……」
「はい、村長、お水」
心底疲れた様子の村長に、マキノは苦笑いしながら水を差しだした。
「ふう、ところで、こいつの帰りを一番待ち望んでいたやつがおったじゃろうが?」
「いま、丁度お使いをお願いしてて……。そろそろ夕暮れだから、もうすぐ帰ってくると思うけど」
「待ち望んでいたやつ?」
ジュースを片手に、ルフィは首を傾げた。
思わず、鼻歌が口からこぼれていた。
日が沈みかけて、水平線に消えようとしている。なにかいいフレーズが生まれそうで、だけど、うまく形にできず萎んでいった。
すっかり遅くなってしまったな。そう思い、少しだけ足取りを早める。
「おい、そこのべっぴんさん! 今日は、服は見ていかないかい?」
「ごめーん、お使いの帰りなんだ」
「あら、それは残念」
服屋のおばさんともすっかり仲良くなった。この小さなフーシャ村で一軒のみのお店だが、小綺麗で素朴な服や飾りが多く、しょっちゅう立ち寄っては井戸端話をするようになっていた。
「あら、今日はなにか港のほうが騒がしいわね」
「え……」
港のほうが騒がしい。
小さく心が跳ねた。
最近ずっと、いつも頭の片隅で思い描いていた光景が、脳裏をよぎる。
「ごめんね、おばさん。また今度~!」
「え、ちょっと……」
引き留める声も聞かず、駆け出す。
ニュース・クーで海賊王誕生の報を見て、そのうち、ルフィが帰ってくるんじゃないかと、最初はそう思っていた。
そして毎朝、なにも様子が変わらない港を見て、少し落胆して、そしてまた明日に期待して。
行商船が来るたびに、遠回しに話をせびってみたりして。
それでも、ここ何か月か、ずっとそんな日々が続いて。実はもう、帰っこないんじゃないか、なんて少し思ったりして。
だけど、今日。
港に停まる海賊船の、麦わら帽子の海賊旗を見て、頭が真っ白になった。
心臓の鼓動が大きくて、頭がくらくらして。
気が付いたら、汗だくになって、溺れそうなほどに荒れた呼吸で、お世話になっているいつもの酒場の前に立っていた。
柱に凭れながら、慌てて呼吸を整える。
中からは、聞きなれない声がする。男の声。女の声。どれも村人じゃない、普段村で聞かない声。そしてその中に一つ、どこか懐かしい声。
震える手で、戸を押し開けた。
そして、店の中に、見覚えのある顔と、被った麦わら帽子が見えて。
「ルフィ!!!」
気が付けば、ルフィは床に押し倒されていた。
自分の胸元に抱き着く女性。赤と白のツートンの髪。耳には大ぶりなヘッドフォンをつけている。忘れもしない、かつて失ったはずの、幼馴染。
「「「ウタ!?」」」
仲間たちが驚きの声を上げている。それはそうだろう。ルフィも含めて皆、ウタはもうこの世にいないと思っていたのだから。
音楽の都、エレジア。かつてそこでライブを開催し、ウタウタの実の能力で世界中の人々を昏倒させ、ウタウタの世界に閉じ込めた。世界を滅亡の危機に陥れ、魔王トットムジカを再臨させ、最後は人々の心を開放するために、命を賭した。
赤髪のシャンクスの娘。ルフィの幼馴染。
かつて、自分が救い損ねた、大切な人。
ウタが顔を上げる。ウタの紫色の瞳に、目を見開いた自分の顔が映って。次の瞬間には、ルフィはしわくちゃになりながら、ボロボロと涙をこぼしていた。
「ウタ……! おまえ、いぎてたんだな!!! おで、てっぎり、死んじまっだって、おもっで!!! よがった!!!」
「ルフィ……」
「エーズも、ウタも、しんじまっだっで、思っで! おで! ほんとに、よがった!!!」
涙が滝のように溢れ、降ってくる。ルフィの腕がやさしく自分の体を抱き寄せて、ルフィの顔が、思い出の中の小さい頃の姿と重なった。
自然と、ウタの瞳からも、大粒の涙が溢れ出していた。
「ルフィ゛、ごべん! わたじ、ルフィにひどい゛こと、じた! ひどいこと、たぐさん言っだ!」
「会いだかった!!! あや゛まりたかっだ!!! ごべんねえ!!! ルフィ! ごべんねえ!!!」
「いい゛、べつにいい゛! いぎでてくれで、ありがどう!!!」
「「っっっ!!!!!!」」
二人は泣いた。声にならない声で、泣き叫んだ。涙と鼻水で顔中を濡らしながら、抱きしめあい泣きじゃくる二人を、その場の皆が涙を溜めて見守っていた。