ふと、ルフィが目を覚ますと、夜はとうに更けきっていた。
寝ぼけ眼を擦りながら見渡すと、周囲には酒の杯が散乱し、篝火はとうに消え、地べたに酔っ払いたちが寝こけていた。
仲間たちも、机に突っ伏したり、壁に背を預けたり、各々の形で寝入っていた。
そこに、ウタの姿はない。
気づかぬうちに、マキノの家に戻ったのだろうか。
大あくびを一つし、再び寝ようとしたルフィの耳に、かすかに歌声が聞こえた。
「……ウタ?」
ルフィは立ち上がると、歌声に導かれるままに、村はずれへと歩き出した。
フーシャ村は、ゴア王国の端にある寒村だ。人口も乏しく、自然は豊かだが、産業に富んでいるとは言えない。
村はずれの丘陵地には牧場が広がり、麦を引くための風車がいくつも建っているが、その中には、もう管理の手も回らず、ツタにまみれて動かなくなったものがいくつかあった。
そういった廃墟は、数少ない村の子供たちにとっては、格好の遊び場となっていた。かつて、ルフィとウタが、秘密の隠れ家としていたように。
ルフィの足は、苔むした廃墟の真ん中にある、一つの風車の前で止まった。
懐かしさを覚えながら、中に入る。
今となっては狭く感じる階段を一歩一歩上ると、窓辺に、月明かりに照らされる紅白の髪が見えた。
「ルフィ……」
ウタは、歌うのを止めてルフィを見た。
「よく、ここが分かったね」
「歌声、聞こえたからな」
「ここから? そんなに大きな声で歌ってないのに」
ふふ、とウタは笑った。窓から、月明かりにかすかに照らされた風車たちの影と、さざめく海が見える。月はほとんど雲に隠れている。風が立って、潮の匂いが少しだけした。
「ねえ、ルフィ、覚えてる? ここ、昔も二人でよく来たよね」
「そりゃ、覚えてる。よく、ここで歌ってたじゃねえか」
「うん、昔は、ここは私のお気に入りのステージだった」
ルフィは、ウタの隣に並んで、窓辺に腰かけた。
「あのころは、どこだって私のステージだった。ボロボロの風車も、酒場の机の上も、崖の上の原っぱも。歌えば歌声がどこまでも、世界中に広がっていくように思ってた」
「今は、違うのか?」
ウタは答えなかった。何かを言いかけて、思い出したかのように、口をつぐんだ。風が草木を揺らし、ぎしりと、風車の羽が少し軋んだ。
少し間が空いて、それから、唐突にウタは言った。
「ねえ、そうだ。ルフィの冒険の話、聞かせてよ」
ぱちくりと、目を瞬いたあと、おう、と返事して、ルフィは語りだした。
東の海での、仲間たちとの出会いの話。偉大なる航路の入り口にいる、巨大なクジラの話。恐竜うごめく島の、100年間決闘を続ける巨人族の戦士たちの話。真冬の島の、桜の話。砂漠の国と、国思う王女の話。空に浮かぶ島と、黄金の鐘の話。水の都と、夢を乗せた水上機関車の話。ゾンビ蠢くゴースト島の話。偉大なる航路の中央の、シャボンで彩られた島の話。深海にある、魚人たちの楽園の話。国民がおもちゃにされた、支配された王国の話。巨大な象の背にある獣たちの国の話。お菓子や植物が命を宿した不思議な国の話。侍たちの奪われた国の話。
大きなものから小さなものまで、身振り手振りを交えて、たくさんの冒険の話をした。
ウタは、笑ったり、驚いたり、悲しんだり、憤ったり、いろいろな反応をしながら、ずっと真剣に、話を聞いていた。
「あ~、なんか喋りすぎて疲れちまった……」
「私も、疲れちゃった……」
一通り話終わって、ルフィの喉はすっかり渇いてカラカラになっていた。ルフィが話を止めると、沈黙が訪れた。ルフィも何も言わず、少し時間が経って、ウタはぽつりと呟いた。
「ルフィは、本当に、たくさんの冒険をして、強くなったんだね」
ルフィは、ウタを見た。
ウタは、窓の外の遠い夜空を見つめていた。
「私、フーシャ村で目が覚めて、しばらくほとんど立ち上がれなくてね。起きている間、ずっと、なんでああなっちゃったんだろう、って考えてたんだ」
「ルフィやシャンクス、たくさんの人に迷惑かけて。ただ、みんなを歌で幸せにしたかっただけだったのに」
ウタの話が、あのエレジアでの事件のことだと、ルフィは遅れて理解した。
「考えて、考えて、何度も考えて、思ったんだ。わたし、なにも分かってなかったんだな、って」
「私の歌を待ち望んでいた大勢の人が、ほんとうは、全部捨てて、現実から逃げたいなんて思ってなかった。歌を聞いてちょっと楽しみたいだけで、きっと中には、私をおだてて、利用しようとしている人もいた」
「何も知らなかったんだ。みんなが本気で、私の歌だけを求めてるって思った。だから、間違えた。望まれない方法で、みんなを幸せにしようと一人で思い詰めて、だれも幸せになれない結果になっちゃった」
ウタは、変わらず遠くの夜空を見つめていた。ルフィの目からは、ウタが何を見ているのかは見えなかった。
「フーシャ村でね、色々なことを調べたんだ。いま世界で起きていること。いろんな島や国のこと。歴史や、文化や、風習のこと。戦争や、災害のこと。いままで知らなかった、知ろうともしなかったこと。そして、……エースの、ルフィのお兄さんのこと」
「ルフィは、逃げ出したい辛いことも、投げ捨てたい苦しいことも、全部、全部乗り越えて、夢を叶えたんだね」
すごいや、と小さくウタはこぼした。
風が頬を撫でて、髪を揺らす。髪を抑えて、ウタは俯いた。
少し風が立ってきたのか、海にはかすかに白波が見え、雲の流れが速くなっていた。
ルフィは、少し間をおいて、口を開いた。
「ウタは、どうなんだ?」
「え?」
少し驚いて聞き返して、ウタはルフィを見た。
ルフィは、じっと、ウタを見つめて言った。
「お前にだって夢があったじゃねぇか」
「私は、だって、あんなことになっちゃったから。もう、だれも、私の歌を聞いてなんてくれないよ……」
「最近はね、フーシャ村で、マキノさんのお手伝いするのも楽しいんだよ。村の人も、みんな良くしてくれるし、こないだだって……」
「諦めるのか?」
「……ルフィ?」
ルフィから視線を外そうとしたウタは、急に重くなったルフィの言葉の圧に、驚いたように返した。
「お前がもう諦めるなら、何も言わねェ。けど、諦めたくないから、そんなに悔しそうなんだろ? 投げ捨てられないから、そんなに苦しそうなんだろ?」
「ウタ、お前はどうしてェんだ。どうなりてェんだ」
「おれには、ちゃんと言えよ!」
ウタは、また俯いた。しばらく、沈黙が続いた。かすかに聞こえる、風が木を揺らす音だけが、やけに大きく響いていた。
ぽた、と音がした。
ウタの目線の先で、床に一つ、また一つと染みが増える。それが、自分の瞳から溢れる涙だと、遅れて理解して。
感情が、迸った。止められなくなった。
「……わたしは」
「世界中を旅してみたい」
「いろんなところに行って、いろんな食べ物を食べて、見たこともない景色を見て、新しい歌を作りたい」
「世界中の人に会って、話して、いっしょに歌って、踊って、たくさんの人を笑顔にしたい」
「……わたしは」
「わたしは、世界一の歌手になりたい!」
「世界中にわたしの歌声を響かせたい! 世界中の人を、わたしの歌で笑顔にしたい! みんなが、歌で笑顔になれるような世界をつくりたい!」
「わたしは、わたじは、夢をあぎらめだくない!!!」
「……なんだ、言えるじゃねぇか」
叫んで、それから必死に涙を止めようとするウタを見て、ルフィはかすかに笑った。
「なあ、ウタ。おれたちの船に乗れよ」
「え……?」
ウタは、驚いて顔を上げた。思いがけないことに、涙が止まった。
風がひときわ強く吹いた。雲が流れ、落ちかけた月があらわになった。ルフィは、それを見つめて、語りだした。
「世界はな、すげェんだ。どれだけ旅しても、行ったこともねえ場所や、見たこともねえ景色がいっぱいある。うまい食い物も、とんでもねえ怪物もいっぱいだ」
「閉じこもって、本や新聞で調べてるだけじゃ分かんねェ、見れねェものがたくさんある!」
「俺たちはこの世の果てに行ったけど、それでもまだまだ世界には冒険がいっぱい待ってる! だから、これからもずっと、俺たちの冒険の旅は続くんだ」
「だからさ、いっしょに来いよ、ウタ!」
「っっっ……!」
ウタは息を飲んだ。絞り出した声は、小さく、震えていた。
「……けど、けどわたし戦えないよ?」
「別に平気だ!」
「わたし、わがままいっぱい言うよ?」
「おれだって、好き勝手言って、仲間にしょっちゅう怒られてる!」
「いっぱい迷惑かけるよ!」
「仲間だったら、当たり前だ!」
「わたしが生きてるって知ったら……! 海軍や世界政府が! わたしを捕まえにくる!そしたら、みんなだって……!」
「おれは、世界一強い男だ! なんてことねえ!」
「けど、けど!」
「ウタ」
ウタは、ルフィを見上げた。ルフィは、にしし、と笑って、手を差し出した。
「おれといっしょに、冒険しよう!」
「……う゛ん゛っ!!!」
いつの間にか、夜は明けていた。水平線から太陽が昇り、徐々に陽の光が部屋の中へと差し込んでくる。
薄っすらとした光の中で、ウタは子供のように泣き、ルフィはただ嬉しそうに笑っていた。
一番書きたいシーンが書けました。
一部誤字修正しました。