「よいしょっと。……よく皆、こんなにたくさん飲んだなあ」
大小さまざま、形さまざまな酒瓶を手に、ウタは呟いた。
酒場の裏手には、宴会で消費された酒類の残骸が、山のように積まれている。酒瓶はもちろん、ウタでは持ち上げるのも一苦労な酒樽が、いくつも空になっていた。
それらを種別に仕分け、数を数えてまとめ終わったころには、すっかり汗ばんでしまっていた。
「マキノさん、裏の仕分け、終わったよ」
「あら、ウタちゃん、お疲れ様」
ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、店内に入ると、マキノは帳簿付けの手を止めて、冷えたミルクのコップを差し出した。
「次は机と椅子だよね~」
ウタはそれを半分ほど飲み干すと、入り口に立てかけてある椅子を手に、布切れで汚れを拭き始める。野外に出して使った分、普段の料理や酒の汚れだけでなく、脚が土や埃でまみれていた。
「もうすぐ出発なんだから、そこまで働かなくてもいいのに……」
酒場は宴会で酒類をすっかり使い切り、食事やお茶は出せるとはいえ、数日後の商船が来るまでは実質休業になっていた。急ぎ店内を整える必要もなく、マキノも数日かけて、大掃除がてら作業をするつもりだった。
「ううん。私、マキノさんにはすごくお世話になったから。できる限りのことはしたいの」
ウタはそう言って首を振ると、机と椅子の手入れを続けた。それを見てマキノは、気にすることないのに、とため息をついた。
陽が昇り、ルフィとウタが酒場に戻ったころには、マキノはもう起きて後片付けを始めていた。地面で倒れていた村人たちも順々に起きだし、自らの家に戻る者や、頭を抱えてふらつきながら、仕事に向かう者もいた。
酒場の中で、酔い覚ましの水を飲んでいる村長と、その世話をしているマキノに、ウタはルフィの船に乗ることを告げた。
そして、そのままルフィの仲間たちにも、これからよろしく、と挨拶を交わしたところで、ルフィが言い出したのだ。
「じゃあ、今すぐ出航だ!」
「「「はァ!?」」」
「長居するつもりがないからって、今すぐ出航できるわけないでしょうが、この馬鹿!」
ルフィは、ナミに殴られ、ウソップに蹴られ、地面に突っ伏した。
「とりあえず、保存食は調達しないとな……」
「おれ、薬を買い足さないと……」
サンジとチョッパーは、ゲシゲシと足蹴にされている船長を横目に、それぞれの備蓄を調達しに歩き始めた。
「……皆、苦労してるんだね」
「こいつが無茶を言い出すのは、今に始まったことじゃねぇんだ。一度言い出したら、止まりやしねえ」
「今すぐは無理だけど、今日明日にでも出発ね……。ウタも、準備できる?」
「うん、大丈夫。用意しておくね」
ウタは、足蹴にされるルフィを見ながら、苦笑するしかなかった。
結局、その日のうちには出立することはできなかった。
出立に必要な荷が準備できなかった、というのもあるが、何時になく泣き笑い踊り歌いで体力を使っておきながら、徹夜をしてしまったウタが、部屋に戻って準備をしているうちにすっかり寝こけてしまったからだ。
気がつけば、すっかり夕暮れになっていた窓の外の景色に、ウタは一時呆然とした。
明日のお昼に迎えに来るって、とマキノが声をかけなければ、ウタは着の身着のまま港まで駆け、サウザンド・サニー号に突撃していただろう。
「ごめんね、こんな時間まで寝ちゃって……」
「ふふふ、いいのよ。昨日はあんなにはしゃいでたんだもの」
マキノの笑顔に、ウタは頬を赤らめた。
確かに、昨日からの自分は、フーシャ村に来てから、一度も見せたことがないほどに気分が高ぶっていた気がする。
「なんかね、懐かしかったわ。小さなころの二人を見てるみたいで」
「まあ、確かに、あの頃の悪ガキ二人という感じではあったな」
「ちょっと、村長!」
村長の明け透けな言葉に、ウタは声を荒げ抗議する。
今日の夕食には、マキノが村長を招待していた。ウタとの別れの晩餐になるから、と。はじめに、ウタがフーシャ村でまともな食事をとれるようになった時も、同じように卓を囲み、ウタの身の上を語った。
数か月前の記憶が、懐かしい。
「……マキノさん、村長。ごめんね、こんなに急に出ていくって言って。まだ、二人にも、フーシャ村にも、全然恩返しできてないのに」
パンを手で弄びながら、言葉を告げる。
改めて思えば、ふざけた話だ。日に幾ばくかしか起きない病人を、急に連れて来られ、置いて行かれ、面倒を見させられる。ようやく体調が万全になり、多少手伝いをするようになったと思えば、ろくに恩を返さぬうちに、旅に出るという。
恩知らずだ、不届きものだと、そう言われて当然だった。
村長は、食事の手を止め、ウタの様子を見て眉を寄せると、ため息をついた。
「わしはな、ルフィがこの村に帰って来た時からずっと、お前がルフィと共に行くと思っていた。……いや、違うな。お前がルフィと共に行ってくれたらと、そう思っておった」
「え……」
それは、ウタは想像もしていない言葉だった。
「世間から海賊王などと呼ばれるルフィがこの村に立ち寄れば、いずれ海軍やルフィを狙う輩は、必ずこの村に注目を寄せる。そこにいるのがただの民間人ならまだしも、かつて世界を騒がせた歌姫が生きておったなどと知れれば、この小さな村では庇い立てなどできん」
「……わしも個人としては思うところはある。じゃが、現実として、お前が一番安全に過ごしていけるのは、気ままに海を渡り歩く、誰にも靡くことのない、海賊王の船の中じゃろうて」
村長の言葉は、もっともだった。
この東の海の片田舎にいれば、死んだと思われたまま、きっと誰にも気づかれず過ごしていけると、そう心のどこかで思っていた。だが、なにかのきっかけで正体が分かれば、恩返しどころではなく、もっと多大な迷惑をかけていたかもしれないのだ。
そして、そのきっかけは、もう目の前に迫っていたのだ。
「故に、お前がこの村を出ていくことに、負い目などいらん。なにも、気にかける必要なんぞないわ」
「……まったく、素直じゃないんだから。ねえ、ウタちゃん」
険しい表情で言い放った村長に、マキノは笑って、ウタに語りかけた。
「私も、ウタちゃんはルフィと一緒に行くって、初めから思ってた。ウタちゃんは、この小さな村に閉じこもってはいられない。……ううん、私が、閉じこもってちゃ、勿体ないって思ってた」
「マキノさん……」
マキノは、優しく語り掛ける。
「この村で、酒場の娘としてウタちゃんの歌声を独占しちゃうなんて、罰があたっちゃうわ」
「ウタちゃんの歌声は、世界一だから。ちゃんと歌えるようになったら、世界中の皆に聞かせてあげないと」
マキノが優しく語り掛けるほどに、ウタには罪悪感が積もった。
どれだけ、自分は人に優しくされるのであろう。そして、その優しさを、どれだけ裏切って、自分勝手に生きていこうとしているのだろう。
「マキノさん、ごめん、ごめんね。私、ごめん……」
昨日、泣きに泣いて、枯れたと思った涙が、また滲んでくる。
マキノは、机越しに手を伸ばし、ウタの頬に手を添えて、涙を拭った。
「こういう時はね、ごめん、じゃなくて、ありがとうって、言ってほしいわ」
「マギノざん……!」
ウタはマキノの手に、自身の手を重ねる。俯き、零れる涙を堪えながら、喉を震わせながら、言った。
「ありがどう……。みんな゛、ありがどう……」
村長は天井を見上げた。マキノは、椅子をずらし、ウタの頭を胸元に抱き寄せた。
「ウタちゃん。いつか、この村にまで聞こえるくらい、ウタちゃんの歌声を世界中に響かせてね。そしたら、それがきっと、一番の恩返しだから。約束ね」
マキノは胸元で震え泣くウタの頭を撫でながら、言った。
麦わらの一味がウタを迎えに来たのは、丁度昼頃。太陽が天高く達した時だった。
「おーい、ウタ。迎えに来たぞ!」
ルフィの声が外から聞こえると、ウタは荷を持ち酒場の外に出た。
「ウタちゃ~ん!!! 荷物は、この俺に任せてくれ!!!」
「ううん、これだけだから、大丈夫だよ」
サンジが荷物を預かろうとしたが、ウタは首を振った。
もともと、ウタの荷物は大したものがない。エレジアにいたころは、もっと様々な私物があったが、今は、いくつかの服や身の回りの物と、ペンと、メロディを雑多に書いた数枚の紙束だけだった。
それでもと、サンジが言い寄るので、ウタは荷を任せて、身一つとなって、港までの道を歩いた。
腕を後ろに組み、騒がしい皆の後ろを付いて行く。普段いくらでも通る道だが、今日はいつもと違った景色に見える。
周りの村人たちが、皆、麦わらの一味と共に歩くウタに目を向ける。
村人たちには、村長がそれとなく事情を知らせているらしい。ウタの姿を見て、仕事を止めて付いてくる人もいた。
色んな視線を感じながら、ウタは一歩一歩足を進めた。
港に着くと、もう既に小さな人だかりが出来ていた。
服屋のおばさん。野菜屋のおじさん。酒場の近所のお婆ちゃん。村の中で、特にウタによくしてくれた人たちが、時間を空けて、ウタを見送りに来てくれていた。
「ウタちゃん、行ってらっしゃい」
「元気でな。病気すんなよ」
「また、いつでも帰ってきてねぇ」
「うん……ありがとう」
集まった人々に、ウタは一人ずつ、感謝の言葉を伝えた。
そして、少し離れて立つ、村長とマキノに向き合った。
「村長、マキノさんも、本当にありがとう」
「うむ、達者でな」
「ウタちゃん、体には気を付けてね。行ってらっしゃい」
「うん……!」
涙ぐみながら、ウタはマキノに抱き着いた。マキノは、何も言わず、ウタの頭を撫でた。
「おい、ルフィ」
「んあ、なんだ、村長?」
村長は、別れの様子を遠目で見ていたルフィに声をかけた。
「お前のせいで、と言っていいのか分からんが。この片田舎にいても分かるほどには、世界は変わりつつある。このおいぼれには、このあと何がどうなっていくか、さっぱり分からん」
「……おお?」
「……全く、自覚がないにも程がある。まぁ、言いたいことは一つじゃ。何が起きても、お前がウタをしっかり守ってやれ」
「おう! 任せとけって!」
「本当に分かっておるのか……、はぁ……」
にしし、とルフィが笑うと、村長は諦めたようにため息をついた。
ルフィと村長がなにやら話を終わると同時に、ウタは名残惜しくも、別れを告げるために、マキノから離れた。
「……皆、いままでありがとう。そして、行ってきます!」
皆に手を振られ、声を掛けられながら、もうそれ以上振り向くことなく、ウタはサウザンド・サニー号に乗った。
甲板に足をつけると、波のさざめきが体を揺らし、不思議な気分になった。
かつては、赤髪海賊団の元で共に航海をし、この村に来る前までも、海を渡ってきたはずなのに、まるで初めて船に乗ったかのように思えた。
きっと、この気持ちは、期待と不安というのだろう。
船の上では、気のせいか、潮の香りがより強くなったように感じる。
太陽は高く照っている。肌に汗が滲むくらいだ。
空は快晴で雲一つない。
「へへっ、絶好の船出日和だなァ」
「本当にね。この天気がココヤシ村まで続けばいいけど」
「はァ!? 次はシロップ村だろ!? 俺の冒険譚を、早く村の奴らに聞かせてやらねェとな!」
「残念、航海士権限です~!」
「なぁっ、ずりぃぞ!」
ウソップとナミが言い争いながら、荷を運び船内へ消えていった。
他の皆も、それぞれが出航のための作業をしている。
それに気づき、なにか出来ることがないか、と慌てて周りを見渡していたウタの肩を、ルフィが叩いた。
「あそこ、行ってみろよ。気持ちいいぞ!」
にしし、と笑って言うと、仲間たちの怒り声を背に受けて、慌ててルフィも船内に走り去ってしまった。
置いて行かれてしまったウタは、言われたとおり、舳先の高台に立った。遮るものなく広がる海が見えて、風が強くウタの髪を揺らした。海と空の境は、青く深く染まって果てしない。
海鳥が風を受けて高く舞い上がる。波が揺れてキラキラと輝く。
毎日のように見ているはずの景色なのに、全て見たことのない光景だった。
胸が高鳴る。血潮が体を巡り、熱く感じる。
「今から、初めて、私の冒険が始まるんだ……」
この胸の高ぶりを、歌にしたい。
忘れていた感覚が、失くしていたナニカが、戻ってくるようだった。
「野郎どもォ~~~! 出航だァ~~~!!!」
マストの先に登り、ルフィが叫ぶ。
碇が巻き上げられ、帆が張られる。波風を切り、船が動き出す。
世界が、丸ごと動き出したように思った。
ウタは、まぶしく光る太陽に、手をかざした。
「もう、諦めない」
「世界中に私の歌声を響かせて、皆が笑顔になれる世界を作る」
「世界一の歌手に、わたしはなる!」
空から差す光に向かい、誓う。
海も空も、ずっと青く果てしない。
新たな冒険が、始まる。
~fin~
この話のテーマソングは「ヒカリへ」です。
私としては、ウタには、光の中から手を差し伸べるんじゃなく、相反する者を光から蹴落とすんじゃなく、皆で光に向かって歩いて行って欲しかったと思っています。
PS.adoさんが「ヒカリへ」歌ってくれたら作者が昇天するんですが、そんな未来はないですかね……ないか。