ONE PIECE “IF” RED 【完結】   作:巨象先輩

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“To be IF”

すべて奪われた。

 美しく整えられた町並みは面影を残すことなく崩れ去り、あちこちから火の手が上がっている。火災で吹き上がった黒煙は島の上空で雲となり、雷鳴が轟く。

 

 みんな殺された。

 視界に入る景色に屍が映らないことはなく、石や木とは違う何かが焼けるような臭いが鼻に刺さる。

「…………」

 島の港、つい先日客人たちを迎え入れたこの場所から、ゴードンは遥か遠くの海原を見つめている。真っ白だった礼服は血と煤で汚れ切っており、彼自身も深手を負ったのか、頭に包帯を巻いている。

 そして彼の腕には――ウタが、抱かれていた。

 遠くの海から爆発音が響く。海軍の軍艦が砲撃をした音のようだ。横一列に三門並べられた砲台が狙う先には、大型の帆船らしき影が一つ。港からの距離が遠すぎることに加え、夜であることも相まって詳しい見た目はここからではわからないが、ゴードンはそのシルエットに見覚えがあった。

「シャンクス……」

 ゴードンの呟きは、島を覆いつくす炎や頭上で炸裂する雷鳴の音に空しくかき消された。

 足の力が抜け、ゴードンがその場に膝から崩れ落ちる。ウタは急な揺れにも反応せず、くうくうと寝息を立てている。

 こうして、〝音楽の都〟エレジアは一夜にしてその全てを失った。海賊〝赤髪のシャンクス〟の手によって――。

 

    †

 

 夜が明ける前に、海軍の船が何隻も島へとやってきた。

 数百人規模の海兵が動員され、まずは島全域の消火活動が行われたが、もはや島に燃えるものもほとんど残っておらず、火を消し止めるのにさほど時間はかからなかった。

 ゴードンたちもその後海軍の船へと連れられ治療を受けた。ゴードンの頭は何針も縫う必要があるほどのケガを負っていたようだが、それ以外に特に目立った外傷はなかったようだ。一緒に診察を受けたウタも、身体に疲労が溜まっている以外にケガなどの異常は見られず、今もまだ医務室のベッドで眠っている。

 夜が明け、時間にして正午になるかならないかといった頃、ゴードンは軍艦内の医務室とは別の部屋へと連れられる。案内された先の部屋で、肩から〝正義〟の二文字が刻まれたコートを羽織った男性に出迎えられる。彼もまた海兵のようだが、他の者よりも階級が上らしいことをゴードンは察した。

「病み上がりの状態でお呼び立てすること、どうかご容赦いただきたいゴードン王。

 私は『海軍本部』少将のモモンガです」

「『本部』……遥々マリンフォードから派遣されてきたのか……」

「国が一夜にして滅んだのです。それに加えて今回の件、関わっているという海賊が海賊……。

 本来ならば中将や大将が出てきてもおかしくない事態ですぞ」

 彼の言う「海賊」という言葉が誰のことを言っているのかは明白。自分が事情聴取のために呼び出されたということを察したゴードンは、モモンガが求めているであろう話を口に出した。

「……ああ、エレジアを襲ったのは〝赤髪のシャンクス〟だ。間違いない」

「‼ やつは懸賞金が十億を超えている凶悪な海賊。どういった経緯でこの国に……」

「それは……分からない。ただエレジアは歴史ある国。

 海賊がねらいたくなるような貴重な品もあるにはあった……はずだ」

 〝向こうから入国したいと要望があったので迎え入れた〟と真実を話してしまうのは容易い。自分のこの首をもって責任が取れるのならばそうするのも吝かではない。しかし――。

―エレジアの王ゴードンは、音楽を愛したすべての国民に誓おう‼‼―

 つい昨晩、炎の熱気と死臭に包まれた瓦礫の山で、去り行く背中に向けて叫んだ誓いを思い出す。

 今、自分がウタのそばから離れるわけにはいかない。

「ここしばらく〝赤髪海賊団〟は〝偉大なる航路〟での目撃報告が入っていない。

四方の海のどこかにいるはずだとは言われていたが、まさかこんなことをしでかすとは……」 

 ブツブツと何やら呟いていたモモンガが気が付いたようにゴードンの方へと意識を戻す。

「失礼。話を戻しますが、正確な理由は分からないものの〝赤髪〟は突然この国を襲ったということでよろしいのですな?」

「ああ」

「目立った因縁もなし、か……」

 モモンガが顎を撫でる。自分の証言は不審がられているのだろうか。ゴードンの鼓動が早くなる。

 いや、不審がられてもおかしくはない。シャンクスが危険視されているのは、彼と同じ海賊同士での抗争や政府関係者の襲撃によるもの。民間人への被害を進んで出してきたなんて話はゴードンも聞いたことがない。だが現実として〝赤髪海賊団〟がこの島にいたらしいことは、エレジアの異常を察知して駆けつけてきた海軍の巡視船からも証言を受けているはず。この件に彼らが無関係であるとは結論付けられないはずである。それに、ゴードン以外のエレジア国民から事情を聞こうにもそれは不可能だろう。なぜなら……。

「生存者は……私たち二人だけか」

「……ええ、残念ながら」

「…………‼‼」

 ゴードンは思わず拳を握り締める。頭の中に数多の人間の顔が浮かび上がる。町の国民達、音楽院の生徒、教員、秘書――。

 昨日はあんなに皆が楽しそうに笑っていたのに。すべて一瞬で消え去ってしまったというのか。

 誰のせいで。誰の……せいで……。

 顔を俯けたゴードンに、モモンガは気を遣いながらも話を続ける。

「今、海兵たちの手で遺体が集められているが……ひどい有様のようだ。

 恐らく正確な数は弾き出せんし、〝消息不明〟という形で処理される者も出てくるでしょう」

「モモンガ少将!」

 と、突然部屋の扉が開け放たれ、モモンガと同じく肩からコートを羽織った海兵が飛び込んできた。

「騒がしいぞ、どうした!」

「はっ、失礼しました!

生存者の女の子が目を覚ましたのでご報告をと思ったのですが……どうも様子が変でして……」

「‼」

 ウタのことだ。ゴードンはかけていた椅子から立ち上がり、医務室の方へと走り出す。

 廊下を駆け抜けて医務室へと近づくにつれ、何やら騒がしくなっているらしいことに気づいた。 

「ウタ‼‼」

「ああっ今は困ります! 少し外でお待ちを……‼」

 室内に入ったゴードンを、医療スタッフらしき人物が引き止める。その向こう側では、ウタもまたベッドで別のスタッフに動きを抑えられていた。

「離して‼ ここはどこ⁉ シャンクスは⁉」

「だから何を言ってるんだきみは! ここは海軍の船でだな……!」

「ウタ‼」

「! ゴードンさん‼」

 ゴードンの存在に気づいたウタは医療スタッフの腕を躱し、ゴードンのもとへ駆け寄ってきた。

「ゴードンさん、そのケガ……」

「ああこれは……気にしないでくれ」

 包帯を巻いたゴードンの頭に一瞬驚いた様子のウタだったが、すぐに思い出したように彼の服をつかんで聞いてきた。

「! そうだ、シャンクスは?」

「‼」

 ウタに逃げられた海兵がゴードンのもとへやってきて、ウタのことをちらりと見ながら言う。

「この子、起きた途端〝シャンクスはどこ〟の一点張りで……」

「ゴードンさん、なんであたしたち、こんなところにいるの? シャンクスは?」

「……」

 ウタが不安そうにゴードンのことを見上げる。ゴードンは屈んでウタと目線を合わせ、静かに告げる。

「ウタ、ここは海軍の船だ。私たちは危ないところを助けてもらったんだ。

シャンクスたちは……もうどこかへ行ってしまった」

「……⁉」

 ウタの表情が困惑から驚きに、そしてすぐに怒りへと変わった。

「ふざけないでよゴードンさん! シャンクスをどこにやったのよ‼」

「ウタ、落ち着いてくれ」

「うるさい! そこどいて! シャンクス探してくるから‼」

「ウタ‼」

「どういうことか……説明していただけますかな、ゴードン王」

「‼‼」

「モモンガ少将……」

 ウタがゴードンの背後を見れば、そこにいるのは丁髷頭に口元に長いひげを生やしたコートの大男。彼の視線はゴードンへと向かっている。詳しい経緯は分からないが、ゴードンがこの男から不審がられていることがウタには分かった。

「その少女、先ほどから〝赤髪〟の名をしきりに口にしているが、やつの関係者ですかな?」

「‼」

 モモンガと呼ばれた男の視線がウタへと移る。ぎらつく瞳から放たれる眼光に気圧され、ウタの顔から血の気が引いていく。

 すると、ウタの肩にそっと手を置いたゴードンが、モモンガへ背を向けたまま言った。

「この子は……昨日エレジアに旅行に来ていた家族の一人娘だ」

「⁉」

 ゴードンの発言に、再びモモンガがゴードンを睨む。ウタが困惑の表情を見せるなか、ゴードンは続ける。

「〝赤髪海賊団〟も昨日ただの旅行者を装ってエレジアに入国していたらしくてね。

音楽院で開かれた発表会でこの子と随分仲良くなっていたようなのだ」

「……‼」 

 身に覚えのない話にウタが反論しようとすると、ゴードンがそれを押しとどめる。サングラスの奥にある目は見えないが、彼が必死な気持ちであることを察しウタは黙って身を引いた。

 モモンガは依然としてゴードンから視線を外さない。それどころか眼光が更に鋭くなったようにみえる。

「だがそれだけの事。この子とあの男は……無関係だ」

「!」

 〝無関係〟…その言葉がウタの頭の中で反芻される。

 そうだ、ついさっきここは海軍の船だとゴードンが言っていた。なら海賊であるシャンクスのことを、ひいてはさっきまでその名を叫んで騒いでいた自分のことを怪しむのも当然だった。でも……なぜ自分たちはそんな場所に今いるのだろう?少し落ち着いてきたウタの頭の中で、現在に至るまでのそもそもの経緯が何か、という疑問が泡のように浮かび上がってきた。

「ゴードンさん……何が……」

「…………」 

 ウタの質問に答えることがないまま、立ち上がったゴードンはモモンガの方へと向き直った。

「モモンガ少将、エレジアへ上陸することは可能かな?」

 

    †

 

「なに……これ……」

 海兵に連れられ、再びエレジアの地へ降り立ったウタの眼前に広がったのは、昨日までとは似ても似つかない、変わり果てた「音楽の都」の姿だった。

 シャンクスと共に見て回った街並みは消え去り、あちこちに焼け焦げた瓦礫が積み重なっている。視線を移すと、海兵が二人一組で何かを乗せた担架を運んでいるのを見つけた。ほとんどの担架で乗せられたものに大きな布が被せられ中身ははっきりとは見えなかったが、ある担架からは布の隙間からだらりと、火傷を負った腕が力無く垂れ下がっていた。

「……‼‼」

 ソレが何なのかを理解したウタは、思わず口を手で押さえて後ずさった。

「これが……エレジア……? 誰が、こんな……」

力が抜けてへたりとその場に座り込んだウタが信じられないというように呟くと、彼女の隣に立っていたゴードンが言った。

「……〝赤髪海賊団〟だ」

「‼‼」

 ウタがゴードンを見上げる。目が隠されているせいで、彼の表情はいつも読みづらい。

 足元からの視線を感じながらも、ゴードンはまるで自分に言い聞かせるかのように再び言った。

「〝赤髪海賊団〟がエレジアを襲ったんだ。

昨日の発表会が終わり、皆が油断したタイミングでこの国の宝を狙って……」

「うそだ」

「!」

 足元がおぼつかない様子で立ち上がったウタが、ゴードンの言葉を否定する。

「シャンクスはこんなことしない。するわけない。うそだ、うそだうそだうそだうそだ……‼」

「ウタ、きみは騙されていたんだ。あの男は――」

「うそだーーー‼‼‼」

「! ウタ‼」 

 突然、ウタが走り出す。港からの道をまっすぐに、叫びながら。ゴードンやモモンガを含めた海兵たちも、慌てて彼女を追いかけ始めた。

 

 走る、走る。

 担架を運ぶ海兵たちの間を縫って走っていく。すれ違った海兵が驚きの声を上げるのを背に感じながらも、まっすぐに、エレジア城の方向を目指す。

―そうかそうか! 分かった、すまなかった。明日にはここを発とう!―

 昨日、発表会の後にシャンクスからかけられた言葉が脳裏に響く。

 ある場所の瓦礫の山の横を走り抜ける。視界の端に、焼き付いた石材の下から覗く誰かの足を見た。吐き気が襲ってくる。

―けどお前の歌声は、世界中のみんなを幸せにできる―

 なぜ、どうして、こんなことになったのか。

 溢れてくる涙で視界がぼやけてくる。石か何かにつまづいて、顔から地面に突っ込んだ。擦れた箇所がヒリヒリと痛む。それでも再び立ち上がったウタは、城を目指す。もう一度。もう一度あの場所に行けば、シャンクスたちが待ってくれているような気がした。

―この子とあの男は……無関係だ―

―君は騙されていたんだ―

 ついさっきゴードンが言っていたことを思い出す。

 そんなわけない。そんなわけない。

 あのシャンクスが。ベックマンが。ルウが。海賊団のみんなが。宝を目当てにしていたとして、こんなことするはずがない。

 ずっと一緒に船にいたんだから。ずっと私のことを大事に育ててくれてたんだから。

 よく知ってるんだ。誰よりも自分が、あの人たちのことを。

―おいウタ! 行ってみないか、「音楽の都」の発表会!―

―よぅし行くかぁー‼―

―いやっほーう‼ 目指せエレジア~‼―

 

―おいヤソップ! 何泣いてんだお前ェ―

―ぐすっ、いやぁおれたちの娘があんな立派にやり遂げるなんてよお‼―

―感激しちまったよおれもぉ~‼―

―泣きすぎだぁーギャハハ!―

 

―なぁウタ―

 ウタの目からボロボロと大粒の涙がとめどなく溢れてきた。

「なんで……」

 

―この世界に、平和や平等なんてものは存在しない―

「なんでだよぉーーーー‼‼」

 他の建物同様に、昨日までの面影が消え去ったエレジア城の前で、ウタが崩れ落ちた。

 もう、何も残っていない。

 聴講生として講義に参加した教室も。

 仲良くなった学生たちと話した中庭も。

 ゴードンと初めてまともに話した渡り廊下も。

 歌い手としての晴れ舞台となった音楽院も。

 そして、それを見守ってくれた、家族も。

 

「……本当に、無関係なんだろうな」

 蹲り泣き叫ぶウタの姿を遠目に、一緒になって追いかけてきたモモンガがゴードンへと問いただす。そこには先ほどまでの丁重な姿勢は感じられなかった。

「疑うのなら、私を捕らえて尋問でもするといい」

「………」

恐らく自分への疑いはほぼ確信へと近いものになっているだろう。モモンガは嘘が通じる人間には見えない。だが確固たる証拠がなければそれは疑惑止まりだ。小国とはいえ一国の王に、将校であろうと海兵一人が必要以上に詰問するのも難しいだろう。自身の立場をこのような形で利用することになるとは思いもしなかったゴードンだが、今の彼の心にはそんな姑息な己への嫌悪感よりも、目の前で泣き叫ぶ少女に対する罪悪感しかなかった。

 ウタの慟哭は、その後しばらくエレジアの空に響き続けた。

 

    †

 

 その日の夕方。

 大人数を動員した結果、確認できる範囲のすべての犠牲者の遺体の収容が完了した。今後身元を詳しく割り出した後、丁重に弔われるとのことだ。

 現時点で犠牲者と推定された者の名前が記されたリストがゴードンへ渡された。特に破壊の跡が酷かった音楽院にいた者の中には、遺体が見つからず行方不明となっている名前が多数あった。その行方不明者の中には、秘書のパーシーを筆頭に、発表会後の打ち上げに来ていた者の名が大人子ども問わず多く記されていた。

「私が来たのは貴方への事情聴取と残党の海賊などがいないかの警戒のため。

 一先ず本日の聴取で得た情報は上へ報告させてもらう」

「ああ、構わない」

「……あの少女のことだが」

「……」

「〝赤髪海賊団〟との関与を示すものも見つからなかったため、別の旅行者家族の一人とだけ報告させていただこう」

「……ああ」

 ウタはあの後泣き疲れて眠ってしまい、再び医務室のベッドに寝かされている。頭のケガの経過も看るためゴードンも今夜は同じ医務室で眠ることになるとモモンガは言った。

「今後はどうなさるおつもりか」

「分からないが……ウタが望むのなら一緒に別の島に移り住もうかと思う」

「……一応、エレジアはまだ国としての登録は抹消されてはいないが」

「私はこれ以上国の長を名乗るつもりはないよ」

 まだ再興の道がないわけではない。しかし肝心の国王(ゴードン)にその意思がないのであれば、これ以上何か言うのは無意味だろうとモモンガは口を噤んだ。だが、あのウタという少女に関しての疑問は彼の中からは払いきれていなかった。

 ゴードンの証言通り、彼女が偶然シャンクスと知り合った無関係の人間だという可能性は大いにあるが、それであそこまで錯乱するものとは決して思えない。だが彼女が〝赤髪海賊団〟の関係者だという証拠もない以上、幼子を尋問するわけにもいかない。納得し切れないという消化不良感で頭が重くなりながらも、モモンガはゴードンに話を続ける。

「この島に残るのであれば物資を積んだ定期船が来るよう手配もしておく。移住の際には海軍が支援もする。

未だ貴方は「世界政府」加盟国の王。海軍はできる限り手を貸すとお約束しよう」

「ありがとう、モモンガ少将。世話をかける」

「お気になさらず。これも任務だ」

 その後、モモンガを筆頭に海軍の船は数日をかけてエレジアから離れていった。

 結局、海軍が全船撤収するまでにはウタが結論を出さなかったため、ゴードンたち二人はそのまま廃墟となったエレジアに住むこととなり、エレジア城内の屋根の残った場所を居住スペースとして、二人きりの生活が始まった。

 

    †

 

 ウタとゴードンが新たな生活を始めてから数か月が経った。

 元々外界からの訪問は少ない土地ではあったが、廃墟となったエレジアにわざわざやってくる者もいない。この島だけずっと、事件のあった日から時が止まってしまったかのようだった。

 定期船からは新聞も取り寄せている。以前から島の外の情報について知る機会はそれくらいしかなかったが、この状況だと尚更外の世界のことが恋しくなってくる。

 事件当時の新聞を読むと、どうやらこの国で起こった事件のことは「エレジアの悲劇」と呼ばれているらしい。生存者は二名のみ。そして襲撃犯は〝赤髪のシャンクス〟。ウタには見せない方が良いだろう、とゴードンは事件関連の記事が載った新聞をウタからは分からないところに隠していた。

 その肝心のウタは、あの日以来笑わなくなっていた。

 毎日、日の出ている間は島内を気ままに散策しながら港まで行き、埠頭で座り込んでじっと海を見つめてばかりであった。シャンクスたちが迎えにくるのを待っているのだろうか。そんな彼女の姿を痛々しいと思いながらも、ゴードンは何も言えずにいた。

 代わりに――などとは言えないが、夕方ごろウタが城へ帰ってくると、ゴードンは彼女を歌のレッスンに誘うようになった。

「おかえりウタ。今日は新しい歌の譜を用意したんだ。どうかな?」

「ただいま。……うん」

 ゴードンの誘いに、ウタは暗い目をしながらも応じてくれる。そうやってゴードンはピアノを弾きながら、彼女にも歌ってもらう時間をつくることを日課とした。

 レッスンではゴードンがウタへ指導をすることが多々あった。その成果か彼女の歌のスキルは日を追うごとに磨きがかかっていったが、それをゴードンが褒めても寂し気な笑みが返ってくるばかり。幼いころの無邪気な笑顔というものをウタがみせることはなかった。

「これではいけない。何か、あの子が喜びそうことは……‼」

 次にゴードンは料理に手を出した。国王として政務に励んでいた頃は音楽院の食堂で生徒や教員らと食事を楽しんでいたが、自分で誰かのために料理をつくるなんてことは経験がなかった。「顔がこわい人でもわかる調理入門」と何やら無礼なタイトルの書かれた本を片手に、慣れない手つきで調理を進めていった。

 そしてある日の夕食時、 食卓に並べられている普段とは装いの違う料理の数々に、ウタが目を丸くしてゴードンに問いかけた。

「どうしたの、これ……?」

「今までは定期船から買った出来合いのものばかりだったろう?

 せっかくなら出来立ての温かいものが良いかと思ってね……」

 見れば、ゴードンの手にはケガをしたのか絆創膏が指に幾つも貼られている。ウタからの視線を察したのか、ゴードンが恥ずかしそうに手を後ろに回してそれを隠す。

 はじめての料理というにしては出来栄えはなかなか良さそうに見える。席に着いたウタは恐る恐るスプーンを手に取り、まずは目の前にあるパエリアらしき料理を口へと運んだ。

「!」

「⁉ ど、どうかな……?」

 ウタが目を見開いたのを見てギョッと反応するゴードン。

 そしてスプーンを口から離しながら、ウタは呟くように言った。

「美味しい……」

「‼ 本当かね⁉ 味見はしたんだがきみの口に合うかが分からなくてだな……」

「ううん、本当に美味しいよ」

 不安そうに身振り手振りを交えて捲し立てるゴードンに首を横に振るのを見てほっと安心したように息をつく彼の姿に、ウタがくすりと笑った。ゴードンの前で見せる、数年ぶりのまともな笑顔であった。

「……そんなに不安だったの?」

「と、当然だろう? 塩と砂糖を間違えないかヒヤヒヤしたとも」

「ああ、うん……。油断しないのは大事だよね……」

 一瞬だけだったが、ウタが見せてくれた笑みに、ゴードンは何だか救われたような気分になるのだった。

 

    †

 

 その夜、ゴードンが寝床へ就こうと自室へ向かう途中でウタの部屋の前を通り過ぎた時だった。

 半開きになった扉の隙間から明かりが漏れている。こんな時間まで起きているのか、とゴードンが思わず扉の隙間から部屋の中を覗き込もうとしたその時、室内から歌声が聞こえてきた。

 「! この歌は……?」 

 初めて聞く曲だった。伴奏も何もないアカペラでの歌唱だったが、相変わらずウタの歌声は天使のごとく聞く者の心に沁みるように響き渡る。

 だが、歌から感じられるのは楽し気なものでなく、強い寂しさであった。かつての輝かしい思い出を懐かしむ郷愁とも呼べそうな、しかしそれが果たして本当に存在していたのか信じることができないという困惑や嘆きとも捉えられる感情が読み取れる歌詞。そんな言葉の数々が美しい歌声で響くその様に、ゴードンは胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

(こんな、悲しい歌でも美しく歌い上げるのか、きみは……)

 わずかな隙間から聞こえてくる歌声を聞きながら、ゴードンは壁に背を預けて息をつく。ウタの中では未だに〝赤髪海賊団〟の存在が尾を引いている。いや、忘れろと言う方が無理がある。彼女が赤ん坊のころからずっと一緒に過ごしてきた家族なのだ。これから何年、何十年経とうとも、今のままではウタが心の底から笑顔になれる未来などない。

(何か……何か考えなければ……)

 己の無力への怒りから拳を握り締める。このままエレジアに閉じこもっているわけにはいかないと分かってはいる。しかし、今のゴードンには〝この先〟へ踏み出すための決意が、勇気が――持てなかったのだ。

 

     †

 

 そうこうして暮らすうちに、あっという間に八年もの月日が経った。

 幼かったウタはこの年で十七歳。背もスラリと伸び美しい大人の女性らしい雰囲気が出てきた。

 対してゴードンは、昔は金色にきらめいていた髪がすっかり白くなり、皺の増えた顔も相まって元の強面から不気味な印象が強くなった。

 この八年の間に、エレジアには以前ほどではないが自然が戻ってきた。焼け野原となっていた場所には草原が広がり、どこから流れついてきたのか野生の動物たちの姿も見られるようになった。相変わらず町は廃墟のままだが、長く暮らしてきたせいかさほど気にもしなくなった。

 ウタはというと――こちらは以前よりも幾分か明るくなった。共に生活をしていると笑顔を見せてくれる頻度が多くなっている。身体の成長に伴ってか、城へ帰ってきてからのレッスンで披露する歌声は、幼いころに比べると格段に練度が高まっていた。まさに、ゴードンが見込んでいた通り〝歌姫〟として申し分ない実力を身につけていたのだ。だが成長してからも毎日港まで行って座り込んで海を眺め、夕方に帰ってくるというルーティンを欠かすことはなく、城に帰ってくる彼女の表情にはいつも影が落ちていた。

 その日も夕方ごろに城へ帰ってきたウタを、ゴードンが出迎えた。

「ただいま、ゴードン」

「ああ、お帰りウタ」

 帰ってきた時の自分の顔を見るとゴードンが気まずそうにするので、ウタは城に到着するまでに笑顔でいることを特に意識するようにしていた。だがそれでもゴードンはいつも申し訳なさそうな、悲しそうな顔をするものだから、何年か前からは彼女のほうからゴードンを歌のレッスンに引っ張り出すようなかたちになっていた。暗い顔をしているだろうことを誤魔化したいという意図もあるけれど、歌うことは大好きだ。ゴードンはよく定期船を通じて色々な歌を練習に持ち込んでくれる。城に残された僅かな楽譜の類は、一年と経たないうちに全て読み込んでしまったものだから、こうやって新しいものに触れることができるのは楽しかった。

 と、いつものようにゴードンに歌のレッスンを頼もうとしたウタは、彼の服装がレッスンをするときの礼服でなく、普段着のままなことに気づいた。

「ウタ。少し話があるんだ」

「………?」

 普段とは様子の違うゴードンに違和感を覚えながらも、ウタはゴードンのあとをついていく。

 そうしてやってきたのはエレジア城のすぐ近く、かつては教会として使われていた建物だ。ステンドグラスが割れてなくなった窓枠から、西日が差し込んでくる。ウタも昼間の散策の際に何度か来たことがあるが、何か目ぼしいものがあったという記憶はない。あたりをキョロキョロと見渡すウタの方へと振り返り、ゴードンが話し始めた。

「ウタ。この八年で君はすっかり成長した。肉体的にもだが、歌い手としてもだ」

「それは……ゴードンのおかげだよ」

 笑みを浮かべて答えるウタに、同じくフッと微笑んだゴードンが数秒の沈黙を挟んでさらに続ける。

「この数年間で君の歌声はまさに〝天使の歌声〟とも呼べるものになったと思う。だが、同時にこのままではいけないとも感じている。

音楽を愛する者として、私はきみという才能を、このままこの島で囲いたくはない」

「ゴードン……?」

 話の雰囲気が何だか物々しくなってきたのを感じ取り、緊張を覚えるウタ。そんな彼女を前にして、ゴードンはこれまで言おう言おうと考えながらも言い出すことのできなかったことを、重くなった唇を開いて投げかけた。

「これは、私からの勝手な提案だ。ウタ、この島を出て……世界を巡らないか?」

「‼」

 それはゴードンがようやく振り絞った勇気の一言であった。

 思えば八年前の夜、ウタが独りで歌っていたあの歌を聞いたことが、今日この日を迎えるためのきっかけであった。このままこの島に留まって、二人きりでレッスンを続けたとして、誰が彼女の歌を聞いてくれるのだろう。いくら歌い手として成長したと嘯いても、知られなければ意味がない。誰かに認めてもらえないのは〝停滞〟に他ならない。

 それでは……あの日の誓いが果たせない。きっと、こうやってウタに話をするのは自分に課せられた避けられぬ責務だったのだろう。誓った以上はそれを果たすための行動をしなければならない。

 こんな話を突然持ち掛けられて、きっと彼女も困惑するに違いない。何せ九歳の頃から彼女にとっての〝世界〟はこの小さな島の中だけになってしまったのだから。いまゴードンがしていることは、ウタがこの八年間で定義しなおしてきた世界の在り方を壊し、それ以前のものへと戻すことを強制する行為になるはずだ。感じたくもない恐怖を与えることになる。最悪今まで以上にウタの心が傷つくことになる。

 だが。だとしても。ゴードンはこの選択から逃げるわけにはいかなかった。その最悪の事態になる可能性も知ってうえで、彼は今ウタに向き合っているのだ。

 そんなゴードンからの提案に対し、ウタの身体は固まっていた。頭の後ろで結んだ髪が彼女の心と共鳴して力なく下がる。

 突然の話に混乱している部分はある。だが、いずれこんな日が来るだろうことは頭の片隅で予想はしていた。いつまでもこの島に二人きりだなんて、正直現実味がなかったから。考えたくもないが、もしゴードンがある日突然いなくなってしまったらその瞬間自分は一人ぼっち。小さな島とはいえ二人で住むにも広すぎるこの国でたった一人生き続けていくビジョンなんて見えない。

 そんないずれ訪れる破綻を知りながらこの島で生きていたのは、ひとえにそれを避けるための道にも希望が持てなかったから。

「ゴードン、あたしは……」

「いきなり言われて困っているのは理解しているんだ。それでもよく考えてみてほしい。

 私は、このままきみをこの小さな島で終わらせたくはないんだ」

「……わかんないよ」

 終わらせたくはない、と彼は言う。けれど島の外に出たとして、その先に何かいいことがあるの?

「あたし、今でも十分楽しいよ。

島を歩き回って、ゴードンと歌って、ご飯食べて……それじゃ、ダメなの?」

「……無論、きみが心の底から現状に満足しているのなら、私はその気持ちを尊重したい」

「なら……」

「けれど私は満足できていない」

「‼」

 ゴードンが鋭く言い放った言葉の衝撃に、思わずウタはたじろいだ。

「きみが健康で、元気に明るく在ってくれることは本当に嬉しいんだ。

けれど私はエレジアが滅びたあの日、いやそれ以前、きみの歌を聞いた瞬間から望んでいたことがある」

 そう、あの日ウタの歌声を聞いて彼が感じた衝動は消えることはなく。

「私は、きみを世界一の歌い手にしたいんだ、ウタ」

「!」

 世界一の歌い手。その言葉を聞いて、子どもの頃そんなことも目指してたっけ、などとウタはふと思い出した。

 けれど結局それは昔の話。今の自分にはそんなものを目指そうという気概も気力もない。

……なら自分はこれからどうしたいんだろう?

 何のために毎日島中を歩いて、何のために毎日歌っているんだろう?

 歌うことが好きなのは自覚しているが、だったらゴードンの指導を受ける必要なんてないはずだ。自由に曲を選んで、自由に歌って、それで満足できるはずなのに。

 論理的に嚙み合っていない自身の行動を自覚し始めたウタの額に、汗がにじみはじめた。

「世界一……す、すごいねゴードン。あたしはそんなこと……」

「そうだ、これはあくまで私が勝手に目標にしていることだ。

きみを利用しているに過ぎず、きみの意思を顧みないでいることは重々承知しているんだ」

 それでも、それを言い訳にしてでもウタを外の世界に連れ出したい。

 今はまだ、自分が何をしたいのか、どうなりたいのかを定められていない目の前の女の子に、それを見つけるきっかけを与えてやりたい。それゆえのこの提案である。あくまで押し付けないように、彼女を傷つけないようにと事前のイメージトレーニングをここ数日欠かさなかったのだが、実際実行してみると緊張で口が震えてしまう。噛まずに会話と続けられたのは奇跡だろう。

 そうして、ゴードンが言いたいことを一旦言い終えた後の教会の中には、重い沈黙が続いた。

 ウタはと言うと、暗い顔を俯けたまま押し黙ってしまっている。きっと何を言おうか必死で頭の中で考えているに違いない。そう考えたゴードンは敢えて明るく話を切り上げようとしたのだが――

「……と、いう訳でだね! 結局私のわがままということなんだ。

 いや本当にすまない、変に難しく考えなくていいからね、ウタ‼」

「え…………」

「あ。いや、その…………」

「…………」

「……一応、考えて……ほしい……な」

 最後の最後にしくじった。先ほどとは毛色の違う空気の重さに、ゴードンはそう直感で悟った。

 

    †

 

 その日は歌のレッスンをすることはなく、夕食の時間になった。

 食事の間もろくに会話はなく、何か話したとしてもすぐに途切れて気まずい沈黙の時間が訪れるということの繰り返し。ゴードンもウタも口に入れたものが喉につっかえるような感覚を覚えながら食べていた。

そうしてそのままお互いに別れ、自分の部屋に戻ることになった。

 自分の部屋に戻ってすぐ、ウタはベッドに倒れ込みながら大きなため息をついた。

「世界一の歌い手、か…………」

 ゴードンは自分の声を〝天使の歌声〟だと呼んでくれる。悪い気はしない。けれど。

 ウタの頭の中に、炎に包まれる町の景色が過る。

「……‼」

 固く目をつむって両耳を手で押さえる。

 人に歌を聞かせるということを意識すると、いつもこうなる。見た覚えもない惨状が見え、聞いた覚えもない人々の悲鳴が聞こえる。そして、こちらに背を向けながら去っていく、良く知った男たちの姿。

 昔はよくこれでうなされて、泣いているのをゴードンに慰めてもらっていた。最近は考えないようにしていたが、久々に体験すると思いの外堪える。

 荒くなった息を整え、速くなった鼓動を深呼吸で落ち着かせながらゆっくりと目を開ける。

 もし仮にゴードンについて行けば、きっとこうなる頻度も増えるだろうな。そう考えるとひと際憂鬱な気分になる。

 けれどウタがゴードンの提案を断ったとしても、きっと彼は怒りもせずこれまでと同じように接してくれるだろうことも容易に想像できる。そしてそうなった場合、彼の夢を奪うのは他でもない自分自身だ。

「あたしにいいこと、ないじゃない……?」

 自分の夢を人質に(夢質?)行動を迫ってくるだなんて、普段のゴードンからは考えられない。きっと裏ではあたしのためにとか何とか考えているのを隠すための大義名分に違いない。ゴードンが何か慣れないことをしでかす時はいつもそうなのだ。

「なんか……んん~~…………」

いつもなら申し訳なさのあとに感謝の念が出てくるところに、今日は珍しく苛立ちに近い感情がウタの心をざわつかせた。

 とはいえ、今のままでいることが最良の状態だなんてウタ自身も思ってはいない。目的なく同じことを繰り返すだけの人生がどれほど虚しいのか。そんなことは理解している。ならば自分は、何に頼ればいいのだろう? 何に縋れば、救われるのだろう?

―お前の歌声は……―

 ウタの脳裏にいつかの夜言われた言葉が蘇る。

「世界中のみんなを……幸せに……」

 そうだ、かつてはウタ自身もそう信じ、そう在ろうとしていたはずなのに。

 この国は滅び、大好きだった人間は自分を置いて去っていった。

 この現実を前にして、どうやってそんな甘い夢を持ち続ければよいのだろう。

「あたしの歌じゃ、そんなこと……」

 そう呟いたその時、部屋のドアが三度軽くノックされた。

 ベッドから起き上がり出てみると、そこにはゴードンが立っていた。

「ゴードン……」

「すまないウタ。ひとつ大事なことを言いそびれていたのを思い出してね」

「大事なこと?」

ゴードンはこくりと頷いて、口を開く。

「きみを世界一の歌い手にしたいと私が願うのは、きみの歌声が素晴らしいからだ」

 それは違いないのだが、とゴードンは続ける。

「私は八年前の発表会できみが歌い終えた後、その時の観客の顔をよく覚えている」

「顔……?」

「そう、みんな本当に幸せそうだったんだよ」

「!」

 〝幸せ〟という言葉に反応して、ウタの髪が揺れた。

「私も長年あの音楽院で発表会を開いて、いろんな観客の表情を見てきた。

 笑顔になる人、感動で涙を流す人だけじゃない。つまらなくて眠る人や、気に入らない演奏や歌にイライラするような人だっていた。一つの演目にも様々な反応をする人がいるのは当然のことだ。

だけどウタ、きみの時は全く違った。きみの歌を聞いた観客は、全員が幸せを感じている表情だったんだよ」

「全員が……」

ゴードンが頷く。

「それまでの音楽家人生で初めての経験だったよ。衝撃的だった。

 あのホールいっぱいの観客全員が、きみの歌で幸せになっていただなんて。

 だから私はあの時確信したよ。きみの歌声には、世界中の人々を幸せにする力があるんだってね」

「……‼ けどゴードン、あたし歌が好きなだけで――」

 人を幸せにできるなんて思えない。そう言い終えないうちにゴードンがにっこりと笑いながらウタに言う。

「歌が好き。それで十分じゃないか。

私がそう思っただけできみが人を幸せにしよう、などと意識する必要はどこにもないよ」

「え、必要ないの?」

「ないとも。言っただろう、私のわがままだと。

 それにあれだ。世界一の歌姫にすると言っても、別に大国のステージに立てというわけでもない。気ままにいろんな島を巡って、行く先々で気ままに歌う。きみの歌声があれば、それだけでも多くの人が詰めかけてくるだろうさ」

「……なんか、旅行みたいな気軽さだね?」

 そのウタの言葉にハッと大きく口を開けて、ゴードンがそれだ!と指を差す。

「旅行! それだ、素晴らしい‼

 そうだよウタ、そんな感覚で良いんだ。物見遊山の気分でいい。

 この小さな島にいるだけでは得られない経験を外に探しに行ってみる、という感覚で!」

 どうしてこの言い回しが思いつかなかったんだ、と悔しがりながらも喜びで高揚しているゴードンに圧されつつ、ウタが問う。

「経験って、例えば……?」

「それは例えば、同年代の新しい友達をつくったりだとか……」

 それを聞いたウタが、ピタリと動きを止める。何かに気づいたかのように髪の輪が動物の耳の如く勢いよく立ち上がった。

「友だち……」

「ウ、ウタ……?」

 どこか遠くを見るような目のウタへ心配そうに声をかけようとしたゴードンはちょうどその時、かつてウタから聞いた〝東の海〟にあるという村の話を思い出した。

 そしてしばらく考え込んでから、ゴードンはまだぼうっとした様子のウタに言ってみる。

「――ウタ。きみがいつか話してくれた、〝約束〟をした友だち。

 その子に会いに行きたい、そういう理由でも旅に出るには十分なんだよ」

「‼ あいつに、会いに……」

 そういえばこの数年間、その相手のことを思い出すことは滅多になかった。心の底で、もう会えないだろうと思っていたからだろうか。

 結局、彼と別れるときに交わして約束だって果たせていないままだ。

 ――あいつは、今頃どうしているのだろう。あの時のまま、夢を追い続けて海に出ているのだろうか?それとも新しい夢を見つけて、違う道を歩いているのだろうか。まさか死んでしまったということはあるまいが。

 ああ――

 思えばあの時期は珍しくシャンクスたち以外の人間と長く関わって……随分楽しかった。

 村中を探検したり、動物たちに追い回されたり、山賊に絡まれたり――危険なこともありはしたけれど、思い出す記憶の中にはいつだってあいつがいた。それを想うと、己の胸のうちがほんのりと温かくなるような感覚になる。上手く言葉で表現できないが、勇気が――湧いてくるような気がしてくる。

「会いに、行けるかな……」

 気づくと、ウタは自分が思いがけずそう口にしていることに気が付いた。

 それを聞いたゴードンも、不意を突かれたようで驚きの表情を浮かべていたが、すぐに気を取り直して語りかける。

「広くとも海は繋がっている。可能性はゼロとは言わないよ、ウタ」

「…………」

 それからしばらく、ウタは顔を俯けて黙ってしまった。

 ああは言ったが、八年前の知り合いに会えるという保証はない。希望を持てる反応を見せてくれたが、やはりダメだったろうかと、そうゴードンが思ったその時、ウタが口を開いた。

「……ゴードン」

「! ど、どうした?」

 ウタが急に口を開いたのに驚いて、ゴードンの反応が一瞬出遅れる。

「もし、島を出るなら……」 

 ウタはこれまで、この島を出るなど考えたこともなかった。碌な終わり方にならないと分かっていてもずっとここで静かに暮らしていくのだと。

 ……今まで自分を縛っていたのは、結局自分自身だ。

 毎日港まで行っていたのも、はじめから意味なくやっていたわけではない。いつか、自分を置いていった彼らが迎えに来てくれるかもしれないって、そう信じたくて。きっと来ないだろうことも薄々わかっていたのに、止めることができなかった。

 今でも彼らが殺戮を行ったなんて信じきれない。けれど現にエレジアの国民は自分とゴードンを残して全員死に、自分はここに置いていかれた。それだけは、揺るがしようのない事実。

……まだ彼らは、あの海で旅を続けているのだろうか。

 きっと会えないんだろうな。海賊団のみんなには。

 それでも、なぜだか今は行かなければならないような気がする。

 あいつが、いるかもしれないから。

「あたし、〝東の海〟に行きたい」

 ゴードンが目にしたのは今まで見たことのない、いや、初めて出会ったころに一番近い、目の奥に確かな光を宿したウタの顔だった。決意に満ちた顔だった。

「ウタ⁉ い、一応提案したのは私だが、無理はしなくても……」

 肝心な時に逃げ腰になってしまう己の気の弱さを呪いながらも、ゴードンはウタに念を押す。

 それを聞いたウタは口角を上げていたずらっぽい笑みを浮かべながらこう言った。

「ゴードン、昔こんなこと言ってたの知ってるよ。

〝より高い研鑽を積むには、外界からの刺激を、より広く受けるべきである〟って」

「んな⁉ そんな昔のことを……‼」

「でも、その通りだと思う」

「え……?」

 今までの迷いも悩みも、全部自分がいやな思いをしたくなくて逃げていた故のものだ。

 世界一の歌い手になれるかは、分からない。会いたい人に会えるのかも、まったく分からない。

 それでも。確かな結果が得られないとしても。

「あたし、まずは前に進みたい。どうなるか分かんないけど、ゴードンについて行きたい」

「ウタ……」

 この様子ではもう、念を押す必要もあるまい。ウタを誘ったのは自分なのに、こちらが説得されたような気分になりながら、ゴードンはふっと微笑んで言った。

「……〝東の海〟だったかな?

 初めての旅の舞台として相応しいと思うよ、私は」

「だよねっ‼ ねえ、いつ出発するの?」

「今日は遅いから、明日の朝いちばんで海軍に連絡を入れて……どうなるんだろう?」

「えっ、無計画だったの?」

「いや、正直きみには断られると思ってたからな……」

「ネガティブすぎだよ……」

 結局、手続きなどのこともあり彼女たちの出発は二か月ほど後になるのだが、それはそれとして。

 その後、かつて「音楽の都」として栄えたという島から、二人の音楽家が旅立った。

 目指すは〝東の海〟。のちの〝歌姫〟の冒険はここから始まった。

 





 こちら、RED本編よりエレジアでウタが明るさをある程度取り戻せている設定です。あとゴードンさんが勇気を出した。8年かかってるけど。
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