ハリー・ポッターのモンスターペアレントおばさん   作:しらなぎ

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*

 

 四階の扉が開いている。

 セツナの心臓に怖気が走った。誰かが入り込んだ──おぞましい裏切り者が──。

 

 杖を振ると、パシッという音が響き、ハウスエルフが姿を現した。

「お呼びでしょうか、先生様?」

「ダンブルドアに手紙を飛ばして。例のあれが危ないと……わたしは先に敵を追うと。それから他の教授……そうね、マクゴナガルにも廊下に侵入者が入ったと伝えて。今すぐに!」

「は、はい!すぐさまお伝えになります!」

 またパシッと言う音がして、その場に沈黙が落ちた。セツナは瞳に激しい炎を灯して扉の中に入った。

 

 天井に届くかというほど巨大な三頭犬が、セツナに気付いた。一気に毛を逆立たせて威嚇する。むわっとした生臭い息が顔に吹き付けた。

 

 セツナ達先生陣は石を守るための細工をしたが、防衛のためにその内容は知らない。セツナは扉に魔法を仕掛けていた。何者かが扉に触れれば即座に連絡が来る。それが無かったなら魔法が解除されたということだろう。

 たしかに効果と時間を優先し、いくらか単純な仕掛けにはした。それでも、そう易々と解けるレベルの呪文ではなかった。教師陣でも特に呪文学とDADAに優れる人にしか出来ないはずだ。

 

 教師の皮を被った裏切り者が……。

 激しい憎しみが胸を焦がした。

 

 クィレルのことは怪しいと思っていた。セブルスは何かダンブルドアから密命を受けたらしく、彼と共に監視をしていた。

 しかし彼は授業もあり、寮監でもあり、セツナはホグワーツ全体の警備の他に、生徒の取り締まりがあり、生徒の話し相手にもされている。古巣から仕事を回されることもある。

 ダンブルドアが消えたことを知ったのにタイムラグがあった。クソ──元同僚と話をしている場合ではなかった。セブルスは何をしてるのかとセツナは歯噛みした。

 

 三頭犬……フラッフィーが咆哮を上げ、セツナに噛み付いた。プロテゴで守りつつ、ステューピファイやインカーセラス、コンフリンゴで応戦するが、基本的に強力な魔法生物には魔法の効き目が薄い。

 セツナは素早く周囲を見回した。フラッフィーの足元にハープがある。クィレルが置いていったものだろう。なるほど。杖を振るとハープが穏やかに曲を奏で始めた。音を聞いた途端フラッフィーの目がとろけ始め、やがていびきをかいて眠りこけた。

 

 セツナは足元の扉を開けて滑り込んだ。

 

 マグルの滑り台のように、セツナは下へ下へ滑り落ちて行った。ドシンと何かの上に落ちる。

 ルーモスで明かりを灯すと、何かの植物であることが分かった。スプラウト先生の罠だろう。棘の生えたおどろおどろしい色の蔓がセツナの足にしゅるしゅると巻き付いてくる。一瞬考え、『悪魔の罠』の知識を脳内の引き出しから引っ張り出してインセンディオを唱える。

 

 悪魔の罠は蛇の舌のような炎に一気に燃え上がった。

 この時点でセツナの頭の片隅に疑問が湧き出した。悪魔の罠はたしかに、人を致命させうる危険性を持つ植物だが、低学年で習う初歩的な魔法植物だ。そして植物の例に漏れず、炎に弱いというなんの捻りもない弱点を持つ。悪魔の罠はむしろ暗殺に使う方が有効的だ。

 

 セツナはずっと無言だった。自分の顔が蝋のように固まっている自覚があった。心臓の部分がずっと燃えているし、ずっと凍っている。

 怒りや憎しみで我を失うどころか、ますます冷静になっていく。

 

 部屋を抜け、一本道を抜けるとまた部屋があった。

 鈴が鳴るような音がしている。扉を開くと夥しい数の羽根が生えた鍵が飛んでいた。これは……マダム・フーチ?でも彼女は防衛の罠は仕掛けていなかったはず……。呪文学の応用かもしれない。

 奥にある古めかしい扉には既に鍵がささっていた。

 セツナは進んだ。

 

 次は巨大なチェスボードだった。既にいくつか駒が壊れている。チェスをいちいち悠長にしている時間はない。盤の上を突き進むと、駒たちが襲いかかってきたが、プロテゴやボンバーダで蹴散らしていく。

 扉はアロホモラでも開かなかった。おそらく勝たなければ正規では開かない。

 レダクト・マキシマを何回か繰り返し、音を立てて壁が崩れた。瓦礫の上をセツナは進む。

 今のはマクゴナガルの罠だろう。

 

 鼻をつまみたくなる悪臭が漂い、次の罠がトロールだと気づいた。おそらくクィレル。セツナはクリスマスのクィレルの様子を思い出し、寒い芝居をしてくれたものだと凍てつくような目で床に転がっているトロールを眺める。

 

 次の部屋には七つの瓶と巻紙が並んでいた。

 書かれた文字に、能面のようなセツナの顔がフッと緩んだ。これはセブルスのものだろう。彼らしいと思った。今まで魔法の実力を試す罠ばかりだったところに、趣向の変わった論理問題が示されるなんて。

 

 これを一からセブルスが考えたのだろうか。

 セツナは、やはり彼は秀才だ、と思った。学生時代から彼は飛び抜けて才能があった。才能だけではなく、思考力と鋭い洞察力があった。学問に対しては、という注釈はつくけれど。

 巻紙の論理を脳内で当てはめていく。

 

 ヒント三、最大の瓶も最小の瓶も毒ではない。だから二番と三番は毒ではない。

 ヒント四、二番と六番は中身が同じ。だから六番も毒ではない。

 七つの瓶の内訳が毒三つ、酒二つ、前進薬一つ、退却薬一つであることを鑑みれば、「毒ではない」「同じ中身が二瓶」の条件を満たすのはイラクサ酒のみ。二番と六番はイラクサ酒になる。

 ヒント一、イラクサ酒の左には必ず毒がある。つまり一番と五番は毒薬。

 ヒント二、左端と右端の瓶は種類が違い、そのどちらも前進薬ではない。つまり一番は毒になる。そして七番は前進薬ではないから退却薬になる。

 

 セツナは三番の瓶を飲み干した。

 冷たい氷水のような液体が喉を滑り落ちて行った。セツナは黒い炎の中に歩みを進めた。

 

*

 

 炎を抜けた途端、目に飛び込んできた光景にセツナは激昂した。視界が真っ赤に染まる。

 

「ハリーから──離れろ!!」

 

 ハリーに跨り、首を絞めているクィレルを赤い光線が貫いた。クィレルは吹き飛んで壁に激突した。やつが呻いている間にセツナは抱き締め、背中に庇った。

「ノースエル先生!」

 

「この……下衆……裏切り者……信義にもとる痴れ者が……!」

 

 激情の余り、セツナの声は喘ぐように途切れた。頭の上から爪先まで爆発しそうな黒い感情が渦巻いた。

「先生……ヴォルデモートが!クィレルにヴォルデモートがついてるんです!」

 その名前に、セツナの身体がぎくりと強ばったが、恐怖や忌避感という些細な感情は激しい怒りの炎に焼かれて消え去った。

 

 ヴォルデモートがついている?尋ねようとする前にクィレルがよろよろ動き出した。体勢を立て直す前にエクスペリアームスを飛ばす。くるくるとクィレルの杖が飛んできたのをセツナは引っ掴んで、膝で真っ二つにして地面に叩きつけた。

 

「レダクト・マキシマ!」

 感情のままに叫ぶ。血しぶきが舞った。クィレルの悲鳴とハリーが息を飲む音が聞こえたが、セツナは冷静ではなかった。続けざまに「ボンバーダ!」「コンフリンゴ!」と怒鳴り、煙が晴れた頃には、クィレルの手足はあちこちに折れ曲がり、全身が血みどろになっていた。

 

 クィレルはすすり泣いていた。

「ご主人様……も、申し訳ございません……」

 彼はガクガクと震えていたが、それは痛みではなく、何か避けようのない恐怖に喘いでいる。

 

「役立たずが……」

 

 突き刺さるような甲高い誰かの声が響いた。その声を聞いた瞬間、言いようのないおぞましさで寒気が走った。

「誰!?」

 セツナは視線を走らせた。声がまた響いた。地の底から這い上ってくるような冒涜的な声……。

 

「やれ……クィレル」「しかし、ご主人様……!身体が……!」クィレルは哀願した。

「ほう……苦痛に満ちた死を望むか、クィレル?この期に及んで、まだ……」

 喉を引き攣らせる音を立て、クィレルがピクリと腕を動かした。セツナがペトリフィカス・トタルスを当てるのと、クィレルが指を鳴らすのは同時だった。

 

 縄が……縄がセツナの首を物凄い力で締め上げた。セツナは白目を向きそうになった。倒れ込むのをなんとか抑えたが、ギリギリと縄が頸動脈を圧迫し、骨がミシミシと音を立てた。

 杖なし呪文!

 息を求めて、打ち上げられた魚のように必死で口を開けながら、セツナは何とかクィレルを見下ろした。セツナの呪文がきちんと当たっている。石のように固まり、震えることも出来なくなっている。

 

「ハリー……逃げ……」

「で、できません……」

 

 恐れを成した表情をしているのに、緑の目が決意にまたたいていた。リリーの目。愛した人の目。彼女は頑固だった。こういう目をしている時、彼女は決して引かなかったし、どんな理不尽にも抗おうとした。高潔さを保ったままにリリーは……。

 

 白くなり始めた脳がいきなり開けた。

 倒れるクィレルに歩き出そうとするハリーとリリーが重なる。

 

 セツナはなんとか杖を振り、自分を締め上げている縄に火をつけた。バチバチ弾けながら、縄と共に首と髪が焼け強い痛みが走ったが、セツナは無視してハリーの腕を掴んだ。

「下がって、ハリー」

「ノースエル先生、首が……」

 焼け爛れた首から痛々しく血が滲み、傷跡が焼け焦げている。

 

「わたしは二度と喪わない。喪わせない……」

 

 目の奥がキーンと痛み、突き上げるように胸が熱くなった。セツナは涙を堪えた。泣いている場合じゃない。

 

 クィレルは恐怖に満ちた瞳で、床に這いつくばってセツナを見上げていた。虫の息だった。息も絶え絶えで、内臓が傷ついた時の水っぽい呼吸音をしていた。

 セツナはインカーセラスで一切の動きを許さないようにきつく拘束し、ステューピファイをかけ、他にもいくつかの呪文をかけた。

 意識を完全に失ったのを確認し、ようやく安堵してセツナはハリーの元に駆け戻った。

 

 ハリーはボロボロで、首に赤い手のひらの跡がくっきりと残っていた。

「ああ、ハリー……どうしてこんな危険な……いえ、あなたは勇敢だったわ……でも……」

「先生、あの……」

 

「でももしあなたを喪っていたらと思うと!」

 

 セツナの両目から抑えきれない涙が溢れ出した。ハリーは驚いたようにセツナを目を見つめた。理知的で優しく、勇敢な緑の目で見つめた。

 

「今回は譲ろう──ポッター。収穫はあった……」

 

 おぞましい声が、また響いた。涙が一気に引き、セツナは飛び上がってクィレルを睨んだ。薄黒い、靄とも霞ともつかないものが、倒れたクィレルの後頭部から煙っていた。

「まさか……」

 背筋をせり上がってくる生きる気力を奪うような悪寒がセツナを襲った。

「お前にも、両親と同じ死を与えてやろう……生き残った男の子……」

 

 霞がハリー目掛けて飛び込んできた。プロテゴもボンバーダもすり抜け、ハリーは呻き声を上げ、力なく倒れた。哄笑が遠くなって行くのを、セツナは恐れと憎しみを浮かべて見送るしか出来なかった……。

 

*

 

 ハリーをすぐさま医務室に連れていかなければならない。

 必死の形相を浮かべて、ハリーを運ぼうとしたその時、ダンブルドアが戻ってきた。

 

「よくやってくれた、セツナ」

 深い声に、セツナは安堵から一瞬涙腺が緩みそうになったが、唇を引き結んで頭を下げた。

 

「ダンブルドア……すみません、あの人が……あの人を逃がしてしまいました……」

「良い。あやつは今魂だけでさまよっているようなものじゃ。殺せもせぬし、捕まえることも出来ぬ」

「魂だけ……?」

「さよう。人としても、魔法使いとしても不完全な、ゴーストにも劣る弱々しい存在じゃが……だからこそ難しい。クィレルはどうなったかね?」

 セツナは弱々しく縛り上げたクィレルを指さした。

「死んだのかね?」

「まだ……」しかし、あのままなら時間の問題だろう。血を流しすぎている。

「では、手当してやらんとのう」

「クィレルより、ハリーが!」

「気を失っているだけじゃ。セツナ、君が守ってくれたおかげじゃよ」

 

 ダンブルドアがハリーを抱き上げた。今度こそ本当に大丈夫なはずだ。セツナは両手で顔を覆い隠し、押し殺した嗚咽を洩らした。

 

*

 

 ハリーは三日眠り続けた。セツナは一時も離れずにハリーを見つめていた。文字通り朝から晩までハリーを見守り、眠るときは医務室に泊まった。

 マダム・ポンフリーは当然いい顔をしなかったし、必要な処置は施してあるのだからセツナがいても毒にも薬にもならないと言われたが、あまりにもセツナが必死に哀願するので、とうとう諦めてそばに居ることを許してくれた。

 

 ハリーを見つめている間に色々な疑問が渦巻いたが、セツナはハリーの戦いを途中からしか知らない。マグル学を教えていたクィレルがなぜ例のあの人と同調したのか、どういういきさつで、何を思っていたのか何も知らない。

 

 もちろん、推察出来る部分も、ダンブルドアの思惑についても色々と思うところがある。

 クィレルはセツナの過剰な攻撃のせいで聖マンゴ魔法疾患傷害病院に担ぎ込まれ、まだ目を覚まさない。一応法の範囲内の呪文だったから、しばらくすれば意識を取り戻すだろうが……。

 

 あの時のセツナは暴走していた。思い返すと自分が怒りと憎しみに囚われていたことがまざまざと分かる。自分を抑えられなかったし、抑える気がなかった。死ねばいいとすら思った。

 

 リリー……アリス……シリウス……ジェームズ……ピーター……。セブルスもリーマスも……。愛した人たちが皆、手から零れ落ちて、人生がめちゃくちゃになった。

 悲しみと絶望の大きさだけ、セツナは後悔と悲しみと孤独に苛まれ、憎悪に変わった。

 もしあの時間に合わずに、ハリーが……もし……。

 考えるだけで目の前を闇が覆うようだ。

 

 ダンブルドアが見舞いに訪れた。

 ハリーが目を覚ました。ダンブルドアが促すようにセツナをチラリと見やったが、セツナは気付かないフリをした。

「セツナ」

「ハリー、目が覚めたのね」

 

 寝ぼけ眼のハリーにほほ笑みかける。ダンブルドアはもう何も言わなかった。セツナは知る権利がある。何が起きたかも、ダンブルドアがハリーに何を伝えるのかも。

 何年も前からセツナはダンブルドアに訴えていた。ハリーを引き取りたいと。彼は固辞した。聞こえのいいことを言っていたが、彼の行動には全て理由がある。だから引き下がったが、代わりにハリーの入学と同時にハリーを守る権利を主張した。ダンブルドアを説き伏せてセツナはホグワーツの警備員という立場を得たのだ。

 

 セツナは二人の会話を下がって聞いていた。

 引っかかることや、新しい情報が数点あった。

 ダンブルドアがロンドンに着いた途端、何かを察知したようにとんぼ返りしてきたこと……。

 クィレルがハリーに触れると、皮膚が焼け爛れたこと……。傷を見る前にぐちゃぐちゃにしてしまったので、あの場にいたにも関わらずセツナは知らなかった。冷静さを失うとこういうことになる……自分に恥じ入った。

 

 ハリーは「なぜ自分を狙ったのか」と尋ねた。ダンブルドアは答えなかった。ハリーは予言の子だった。だから例のあの人は……ヴォルデモートは、リリー夫婦を狙った……。そして今もハリーは狙われている。リリーの遺した子の命が脅かされている。

 

 セブルスとジェームズの件は、ダンブルドアは大きく曲解した事実を伝えたが、妥当だろう。セブルスがジェームズやシリウスと憎しみあっていたことも、ジェームズ達の方がやや理不尽だったことも、しかしセブルスが邪悪な魔法に手を染めていたことも、セブルスがリリーに恋をしていたことも、ハリーが受け止めるには複雑すぎる。

 

 そしてダンブルドアは驚くことを言った。

 リリーの愛がハリーに残り、今も彼を闇の手から守っている。それを聞いた途端、セツナの心臓が締め付けられた。

 

 ダンブルドアの語った愛の全てを、セツナに理解出来たわけではなかったが、ヴォルデモートや彼の手下がハリーに触れられないのは、リリーがハリーを愛していたからだというのは、セツナの心臓に深く染み渡った。

 

 ── たとえ愛したその人がいなくなっても、永久に愛されたものを守る力になる。

 

 セツナは唇を噛み締めた。両頬を冷たいものが滴り落ちた。ハリーのように効果のある魔法ではなくとも、セツナの中にはたしかに愛が残っていた。リリーと二度と会えなくても、友人たちと二度と笑顔を交わせなくても、彼らとの思い出は年々輝きを増してセツナの戦うよすがになってゆく。

 

 リリー……。リリー。

 彼女はずっとわたしの光だった。

 

*

 

*

 

 一年が終わった。

 

 城を去る前に、ハリーはどうしても会いたい人がいた。走り回って探した──見つけた。

 ノースエル先生の腰まであった長い黒髪が、ショートカットになっている。あの時髪が燃えてしまったせいだとハリーには分かった。

「ノースエル先生!」

 振り返った彼女の髪が肩のところでサラリと揺れた。陽の光に照らされると赤みがかった黒檀色に輝いた。

 

「ポッター。グリフィンドール優勝おめでとう」

「ありがとうございます、あの、その髪……」何を言っても申し訳なくて、ハリーは俯いてモゴモゴ言った。「すごくお似合いです」

「ありがとう。頭が軽くてけっこうお気に入りなの」

「僕……先生がいなかったら……」

「いいえ。きっとあなたは一人でもやり遂げたわ。勇猛果敢なグリフィンドール。あなたにこそふさわしい」

 彼女に褒められると嬉しかった。

 

 ノースエル先生は「でも」と続けた。

「もう危ないことはしないで。みんなが心配するし、あなたにもしものことがあったら、とても悲しい。生徒を守るためにここに来たのよ。何かあったらわたしを頼って欲しいの、ハリー」

 真摯な眼差しに見つめられ、ハリーは赤くなった。ハリーは闇の勢力に心が折られることは決してない。抗い続けることはずっと変わらない。でも、全部自分だけで何とかする必要はないのかもしれない。そう思えた。ノースエル先生なら……。

 

 ハリーは彼女の心からの誠実さを受けて、背中を押された。ローブの中からハグリッドにもらった革表紙のアルバムを取り出して広げて見せると、彼女は掠れるような吐息を零した。

 

「これ、ハグリッドに貰ったんです。学生の頃や、大人になったママとパパの写真……。二人とも笑ってて、友達に囲まれてる」

 ノースエル先生が何も言わないので、ハリーはおずおずと顔を上げた。彼女は唇を引き結んで、懐かしさに耐えるように瞳を細めている。

「それで、僕見つけたんです──いつもママと一緒に映ってる黒髪の女の子は……」

 

「ええ」ノースエル先生が頷いた。「わたしよ」

 

「友達だったんですか?」

「親友だったわ。わたし達はいつでも一緒だった」

 

 春のそよ風のように柔らかく煌めく声。何度も何度も父親と母親を見て、次はその周りの友達を見た。ハリーが今いるホグワーツで、両親が友達と過ごしていた過去に想いを馳せるうち、ノースエル先生を見つけたのだ。彼女は当時とほとんど変わっていなかった。

 やや大人びて、老けた雰囲気はあったが、優しくて穏やかそうな微笑みは一緒だった。中にはリリーと大口を開けて涙を流して笑っているのもあって、ノースエル先生はこんな笑い方もする人なのか、とハリーは驚いた。

 

「もしかしてクリスマスのも……?」

「そうよ。わたしの故郷の伝統工芸品でね……。わたしのつまみ細工を見てとても褒めてくれたから、リリーのために特注品を頼んだのよ」

「写真の中でもつけてるのがたくさんありました」

「私服の時はよくつけてくれたの。ブローチに合うように、二人でコーディネートしたり……」

 

「言ってくださったらよかったのに」ハリーは思わずそう言った。責めるつもりはなかったが、そう思われないか心配であわててつけ加える。

「もちろん先生が決めることなんですけど、でも僕ずっと不思議だったんです。その、先生が特別僕に優しいような気がしてました。ママの親友だったからなんですね」

 謎が解けた、と清々しくハリーが笑った。

「ごめんなさいね。でも言えなかったのよ」

「言えなかった?」何か理由が?と聞こうとしてハリーは言葉を飲み込んだ。

 

「あなたの前でリリーの話をすると……わたし……」

 ノースエル先生が瞼に涙を滲ませていた。スーッと深呼吸したが、先生の丸い頬を、真珠のような雫が一筋伝った。

 

「先生……すみません、僕……」

「あなたは悪くないわ。泣くつもりはなかったんだけど……情けないわね」

 苦笑して指で涙を払うと、ノースエル先生がハリーをギュッと抱きしめた。何度もこの人に温かくハグしてもらっているけれど、その度になんだか固まってしまって、ハリーは腕を回すことも出来なかった。

 

「良い夏休みをね、ハリー」

「はい。ノースエル先生も……」

「九月にまた会えるのを楽しみにしてるわ。リリーの話を色々しましょう」

「いいんですか?」

「もちろん。でも十年分だから話し切れないくらいあるわ」

 ノースエル先生はパチンとウインクを飛ばした。ハリーは胸が感激でいっぱいになった。

 

 ハリーの他にも、母親を心底大切に想ってくれる人がいる。思い出に浸るだけで、その喪失に涙を流してしまうほど深く、悼んでくれる人が──。

 

 ハリーは歩き出した。腕の中のアルバムを強く抱き締める。ノースエル先生がハリーにしてくれたように、両親の思い出を、ぎゅっと。

 

*

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