「うー伊理戸伊理戸」
今伊理戸姉弟の席に向かって小走りしている私は高校に通うごく一般的な男の子。強いて違うところをあげるとすれば、二次三次を問わない害悪カプ厨ってとこかな……
名前は高梨唯我。
「あれ? そういや今日、伊理戸さんは?」
「ほんとだ。この時間にいないって事は休みか?
私同様教室の右前方に現れた我が友川波は、前から二番目の席が空いている事に気が付く。
「奴は風邪だ。家で寝てる」
「え、マジか」
「マジだ。……まあ、いろいろと環境が変わったから、疲れが出たんだろ」
「ああ、確かに繊細そうな所があるからな。私らと違って」
入学より数日、その美貌と学力でもって話の輪の中心にいる伊理戸結女だが、その場の主導権を握っている訳ではない事が見て取れる。話題を提供するのは常に周囲だ。彼女はそれに乗っかっているだけ。
あまり人付き合いが得意ではないのではないかと睨んでいたが、やはりそれなりのストレスがあったらしい。家庭環境も複雑なのだし。
「えーっ? 結女ちゃん、今日は来ないの~っ?」
どこからともなくポニーテールを引っさげた幼児体型の女が現れる。
南暁月、現状伊理戸姉と最も仲が良い女子と言ってよいだろう。伊理戸姉に会話の話題を提供しているのは大体コイツだ。
「風邪って大丈夫なのっ? 何度くらい!?」
「さ……38度って聞いたけど……」
「38度っ! 重病じゃんかあーっ!!」
ろくに話したこともない相手に机に手を付いてまくし立てられさしもの伊理戸弟も引き気味だ。
「南、落ち着け。伊理戸がひいてるぜ」
そんな南を川波は慣れた手つきで首根っこを掴んで引き剥がす。
「なによう、川波っ! 猫みたいに扱わないでよおっ!」
「へいへい」
「んにゃっ」
川波がパッと手を離すと南も糸が切れたように床に落ちる。本当に慣れた手つきだ。
「君、南さんと知り合いなのか?」
私が聞きたかった事を伊理戸が代わりに尋ねる。
「あー? いやー……まあ、一応知り合いだぜ。中学んとき塾が一緒でさ」
「そうそう、コイツがこの高校受かるとは思わなかったけどね!」
「そりゃお互い様だぜ」
嘘つけ。男が背後から女の首根っこ掴むなんて相当に信頼関係がなきゃできない。彼氏彼女だったとしてもいきなり首なんて掴まれたら普通はビビる。これは本能的な問題だ。
つまりこの二人には生物としての本能を機能不全にするくらいの絆がある事になる。そんじょそこらのカップルがまず太刀打ちできないほどの。
一応知り合い、と表せるような関係性でない事は明白だ。明らかに友人とかいなさそうでそもそも他人にそんなに興味がなさそうな伊理戸ならばいざ知らず、厄介カプ厨のこの私の目を誤魔化そうとは舐められたものだ。
いやしかし、まだどこか初々しさの残る伊理戸姉弟よりもよっぽどキテるなこの二人。
なあ川波君よぉ、私の前でこんな姿晒して放っておいて貰えるとは思ってないだろうな? 同好の士にウオッチされるのもまたカプ厨の、恋愛ROM専の世の習いよ。
「よし決めたっ!」
南の威勢よく机を叩く音でふと現実に引き戻される。
「学校終わったらお見舞い行く! いいよねっ、伊理戸くんっ!」
「ええ……」
「あからさまに面倒臭そうな顔しないでよお!」
「おっ、面白そう。んじゃあ俺も──」
「あ、川波はいいから」
「なんでだよっ!」
「野次馬根性で見舞いに行こうとするなよ」
そんな訳で、南が伊理戸家に見舞いに行く事が決まった。川波は蚊帳の外だった。
「どうする川波、菓子折持って伊理戸家に凸するか?」
放課後、一人家路につこうとしていた川波にそう声をかける。
「よせよせ。伊理戸と南に叩き出されるぞ」
「南はそういうの手慣れてそうだからな」
「違いねえ」
「あとそうだ。もし本当に塾で一緒だっただけの女の首を掴んでたらお前はいつかセクハラで訴えられるぞ」
「……バレたか」
「私をなんだと思ってる。公式供給の少なさを妄想で補う類いの生物だぞ」
一瞬表情を変えたような気がしたが、すぐにいつもの胡散臭い笑顔に戻った。
「まああれだ。腐れ縁とでも言うべきかな」
「そんなところだろうな」
なんとも含みのある言い方が、言外に詮索するなと言っている。
「……これは可能性、万が一の話だが」
しかし彼は少し逡巡してこうつなげた
「……もしかしたら伊理戸達と南絡みでお前の力を借りるかもしれない。いいか」
「私の手で良ければどうぞ。そんな機会が来ない事を願うとするがね」
しかしその僅か数日後の事であった。
「高梨、例の件で相談したい事があるんだが」
私の携帯に川波がそうコールしてきた。
「それはいいんだが……なんかテンション高くないかお前」
てっきりもっと深刻なトーンで話を持ちかけて来るかと思っていたが、電話口の川波を笑いをこらえているかのような調子であった。
「いやあそうは言ってもなぁ、これが笑わずにいられるかってんだ」
「いいから早く説明しろ」
「まあ単刀直入に言うとな、伊理戸姉弟がデートに行くんだ。だがそれを南暁月が尾行するだろう、当然俺が監視に入るが、まあ万が一と言う事もあるし、なによりあの二人のデートを南に見せてお前に見せないんじゃ筋が通らん。一緒に来てくれ」
「……悪いがもう少し論理性のある話をしてくれ」
待て待て、何がどうなっている。伊理戸姉弟がデートをするのはいいし、テンションがあがるのもわかる。だがなんでそれに南が尾行という形でくっついていく、そしてなぜそれを監視で留める、止めろよそこは!
「そうだな……それにはまず南の過去について話す必要がある」
「はぁ、過去」
「南は、まあ俗に言う地雷女という奴でな。中学の頃に色々とやらかしてたんだ。高校に上がってアイツなりに反省して地雷ぶりは鳴りを潜めていたんだが、今回遂に目を覚ましたと言うわけだ」
「やらかしたって何を」
「……」
途端に黙り込む川波。南との関係性を考えるに地雷を踏んだか。
「聞かない方がよかったか?」
「……いや、お前には話しておこう」
川波は意を決したように語り出す。
「アイツには中学時代彼氏がいてな、今からする話は彼氏からの又聞きになるのは承知してくれ」
「了解した」
相当親密だとは思っていたがやはり付き合っていたか、川波と南。しかし意味がないとわかっていても知り合いの話にしてるあたり自分でも極力触れたくない事なのだろう。
「南はいわゆる尽くすタイプって奴でな、そりゃあ献身的に尽くした」
「ふむ」
「だが南は度が過ぎてた。ペットをベタベタ触ってストレスを与えちまう奴っているだろ? もしくは花に水をやりすぎて枯らしちまう奴」
「南はそれを彼氏相手にやったと」
「そういうこった」
「……大丈夫だったのか? その彼氏」
「んな訳ねーだろ。胃潰瘍で入院したよ」
「い、胃潰瘍……」
「ああ。南にとって彼氏は恋人であっても人間じゃなかったんだ。ペットと一緒さ。もっと酷いかもしれねえ。そしてそれに気が付いた時には全てが遅すぎた」
語り口が完全にホラーのそれだ。そして話の中身もだいぶおぞましい。
「何というか……彼氏くんには同情するよ」
川波の壮絶な過去を聞き、それしか言葉が出て来なかった。
「さてそれを踏まえて聞いてくれ。医療に繋がれた彼氏と破局して以来、反省したのかかつてのヤバさは影を潜めていたが、つい数日前だ、伊理戸から南に求婚されたと相談を受けた」
「求婚んんん!?」
なんだそれ展開が速すぎないか?
「奴の目当ては伊理戸さんだ。今度は伊理戸さんに執着し始めた南は伊理戸と結婚することで伊理戸さんと義理の姉妹になろうとしてるらしい」
「何それ……」
どういう事なのだろうか。弟にゾッコンの伊理戸姉を百合堕ちさせる自信がないから次善の策で弟をということだろうか。弟も弟で南に堕ちるとは思えないが。
「当然伊理戸は拒絶したが、その後もしつこく迫ってきたようだ。そこまでなら実害がないので俺も様子を見ていた」
「地雷女にしつこく結婚を迫られるのは実害の内に入らないのか?」
様子を見るなよ。どうにかしようとしろよ。
「だが今し方、南は伊理戸家に不法侵入した上でリビングに自分の分の椅子を増やして逃げた。これはさすがに看過できない」
「それはもはや警察を介入させるべき事案では?」
「そういうわけでどうにかして南に伊理戸さんを諦めさせなければならない。と、言うわけで、いちゃラブデート作戦の発動だ!」
「うわぁ急にテンションを上げるな」
要するに伊理戸姉弟をどうにかデートさせる一方で、南にはそれを尾行するよう仕向ける、そして伊理戸達の仲睦まじい様子を見せつける事で南に身を引かせようと言う事らしい。
「既に伊理戸には伊理戸さんをデートに誘うように指示してある。伊理戸さんならなんのかんの言いつつのってくるだろうし、あとはデートを見守るだけだ」
川波のニヤけ面が電話越しにチラつく。
「なあ一ついいか川波」
「なんだ」
「伊理戸姉弟の仲睦まじさを見せつけても南が諦めない可能性もあるんじゃないか。むしろ個人的には伊理戸が逆恨みを買わないかが心配なんだが……」
「それはない」
低く、しかしはっきりと力強く川波は否定した。
「アイツはそこまで悪い奴じゃない。人より寂しがりなだけだ。頭を冷やしさえすればきちんと反省して人の気持ちを慮る事もできる。少し入れ込みすぎるだけで」
「だがなぁ、軽犯罪とは言え法を犯して……」
「伊理戸家の件にしたって靴を隠し忘れてる。だから伊理戸にバレたんだ。衝動的にやっちまったんだろう」
「衝動的にやったってそれ
「高梨」
俺の言葉を川波が突き刺すように遮る。
「頼む、一度アイツを信じてくれないか」
「……」
なんでお前はまだあんな元カノの良心を信じられるんだ、喉元まで出かかった言葉を胸に押し込む。
仮に理由を教えられたところで私はおそらく理解できないだろうし、そもそも川波もわからないかもしれない。
「わかった。今回はひとまずお前の言葉を信じる事にする。具体的な話が決まったら教えてくれ」
「ああ、恩に着る」
通話を終えてなお先ほどの川波の声が脳裏から離れない。
何はともあれ、京都市高校生姉弟ストーキング事件の行方は、川波の判断に託される事となった。