〈今度の土日に伊理戸がうちに、伊理戸さんが隣の南の家に泊まるんだがお前も一緒に来ねえか? 〉
川波からそんな連絡が来たのは母の日の午後の事だった。
なんでも再婚したてで子供達に気を遣っている両親に二人だけの時間をあげようと伊理戸姉弟が一晩泊めて欲しいと言ってきたらしい。
このご時世に見上げた孝行者がいたもんだ。
〈そんじゃ混ぜて貰おうかな〉
二つ返事で了承し、クローゼットの奥からボストンバックを引っ張り出す。
中学時代は幾らか友人がいた私だが、思えばお泊まり会をしたことはなかった。
そう言えば川波家は親が滅多に家にいないそうな。泊まるにはうってつけだろう。
そんなわけで年甲斐もなくウキウキしながら数日を過ごし、いざ当日。
「感謝するぞ川波。来たる中間テストは僕に任せろ」
「おっ、勉強見てくれんの?」
「やったじゃないか川波」
「応援してやる、頑張れ」
「安い!!」
「……よく考えるとなかなかレアなのでは?」
男子高校生三人でわちゃわちゃと川波宅へ向かう。
「着いたぜ。オレの家だ」
目の前にあるのは築十数年といった風体のマンション。
外装は少し古びているが、入ってみるとオートロック完備のようで中はそこまで古さは感じない。
そしてエレベーターホールには
「……げ」
「……あ」
女子高生が二人。まあ隣なんだしそうもなるわな。
顔を合わせるやにらみ合いを始める伊理戸姉弟。微笑ましいなあ、うんうん。
「あっ、伊理戸くんだーっ! なになにっ? もしかして伊理戸くんもお泊まりだったりっ?」
そこに水を差したのは南である。
一瞬にして伊理戸弟の間合いに滑り込んでいる。
「ま、まあ、そんなところだよ……」
「奇遇だねっ! あたしと結女ちゃんも今日、お泊まりなんだよ」
てかなんで知らない態なのか? 伊理戸姉から事情を聞いてるんじゃないのか?
ハイテンションでガンガン距離を詰めてくる南に、さしもの伊理戸弟も後ずさる。
「そら、離れた離れた」
小声で一言二言会話したようだが、ろくな内容ではなさそうなので川波が相も変わらず慣れた手つきで引き剥がす。
「男の聖域にずかずか入り込んでくるんじゃねーぜ。女は花でも摘んでな」
「うわーお。わかりやすい男女差別。っちゅーか男の聖域って。ふっ。似合わなっ」
「おいおい、いいのかよ? 放置されたお姫様がたいそうお寂しそうにしてあそばされるぜ」
川波の指差す方には、一人ハブられむくれる伊理戸姉が。
「ごめんねっ、結女ちゃんっ! 仲間外れにしないからね! あたしは!」
「いえ、いいのよ、暁月さん。どこかの弟がだらしなく鼻の下を伸ばしているのが、家族として恥ずかしかっただけだから」
やめてあげなさいなお姉さん。弟くんはコレから君を助ける為に頑張ったんだぞ。
「……じゃ、川波、こっちには関わらないでね? 女の聖域だから」
「頼まれたって行かねーよ。お前の部屋なんか」
睨み合いながら売り言葉に買い言葉と言い合う二人を見て、伊理戸姉が率直な一言を投げ込んだ。
「……ねえ、暁月さん。気になってたんだけど……川波くんと、どういう関係なの?」
「あ。全然気にしなくていいよ?」
ノビのあるストレートを事もなげに捕球した南は、他所行きの笑顔でサラリとこう言い放った。
「アイツとは、家が隣同士で、小学生の頃から一緒に遊んでたってだけだから」
「幼馴染みじゃん」
招き入れられた川波の部屋で伊理戸弟は開口一番姉譲りのストレートを投げ込んだ。
「そんな大したもんじゃねーよ。家が隣同士で、小学生の頃から一緒に遊んでたってだけで」
そしてそれを難なく捕球し返球する川波。訓練されてるな、二人とも。
「それが幼馴染みじゃなかったら何が幼馴染みなんだよ!! 全世界の幼馴染みキャラに謝れ!!」
「何ヒートアップしてんの?」
「出がけに春琴抄でも読んできたんじゃねーの」
幼馴染に対する憧れがコイツにもあったのだろうか。
「幼馴染みね……。確かに、かつてはそう呼ばれたこともあるかもしれねーな……」
川波は何処か遠くを見つめながらしみじみと言う。
「かつて伝説を築くも今は隠居してる系の主人公みたいに言うな」
「でもさあ、幼馴染みってのは、現在進行形で仲いい奴のことを言うんじゃねーの? 小学校で同クラになっただけの友達のことを、幼馴染みとは呼ばねーだろ」
「確かにそれはそうかもな」
私にもかつて家が近所で小学校時代を共に過ごした間柄の奴がいるが、アイツを幼馴染とは死んでも呼びたくない。
「だが君達は今でも仲良さそうに見えるが」
しかし、内心はさておいて表面上は一度破局したとは思えない関係性でもある。
「そりゃお前、オレもあいつもコミュ力だけはあるからな。知ってるか? 大して仲の良くない奴とも仲良さげにできる能力のことを、俗にコミュニケーション能力って言うんだぜ」
なるほどなぁ。コミュ強とはそういうものか。
コミュニケーション能力の欠如が著しい身としては納得せざるを得なかった。
「それじゃあ、昔は仲が良かったけど、今は疎遠って感じなのか。それもまたベタだな……」
「最近見なくなったけどな」
エロゲではそこそこ生き残ってるけど。
「ベタとか言うんじゃねーよ、ヒトの人生をよ。第一、今のオレとあいつとじゃ、疎遠という言葉では表しきれないほど心の距離が離れているぜ」
そんな心の距離が開いた相手の為にわざわざあんな回りくどい事をしたのかコイツは。
「なのに、物理的な距離は隣同士なのか?」
「そうだぜ」
「地獄だな」
「だろ?」
地獄か。そう言えば、キリスト教における堕天使には、人間の娘を見初め、禁を犯して婚姻を結んだことで地獄に幽閉された者がいる。
ふとそんな事が頭をよぎった。
「……でも、僕の記憶が正しければ、君、南さんとは『中学のとき塾が一緒だった』って言ってなかったっけか」
「嘘は言ってねーだろ? 中学のとき塾が一緒でありつつ、小学生の頃から家が隣同士だったってだけで」
「伊理戸弟よ、嘘をつかずに相手を騙くらかすのは必須スキルだぞ」
やっぱりコイツまともに対人関係を構築していなかったな。
「……まあ、そっちの事情に深入りするつもりはないけど」
「オレはそっちの事情に深入りするつもり満々だぜ。伊理戸さんとはどこまで行ったんだ?」
「そーだそーだ、吐け吐け!」
「多少は気を遣え!!」
はやし立てるカプ厨二人をにべもなく一喝する伊理戸弟。
「まあまあ。一宿一飯の恩って言うじゃねーか。少しくらいオレの好奇心に応えてくれたっていいんじゃねーの?」
「容赦なく足元を見る奴だな……」
「足元どころか足裏まで見るぜ」
「魚の目数えてやる」
「ただの変態だろうが。と言うか高梨、なにちゃっかりタダ乗りしようとしてる」
「何を言う、私と川波は一心同体だぞ」
「まあまあ伊理戸、コイツは義理もないのに例の水族館デートの時に協力してくれたわけだし」
「高梨にまで協力を頼んだ覚えはないんだが……」
「それで、ぶっちゃけおっぱいは見たことあんの? 乳首の色は?」
おいいきなりそれを聞くかお前。
「言うか!! 見たことあるとしても絶対に言わない!!」
「へーえ? 伊理戸さんのおっぱいは、その情報に至るまで自分だけのもんだと」
「もうそういうことでいいよ……」
「いいのかよ」
「ふうーん。なるほどー」
刹那川波は大きく息を吸い込んだ。
「伊理戸が『結女のおっぱいは僕のものだ』だってー!!」
川波が叫んだ直後、隣室からガンガンと抗議の殴打音が聞こえてくる。
「あ、言い忘れてたけど、このマンション壁薄いからな」
「これが原初の壁ドンか」
一軒家住まいだと中々縁のないイベントだ。
『ゆ、結女ちゃん結女ちゃん! どうどうどう! それ以上は壁か結女ちゃんの手のどっちかが限界を迎えちゃうからっ!!』
『うう~……っ!! うぅうううううううう~~~っ!!!』
どうにか壁が破壊される前の家主が止めたらしく、程なく音が収まる。
そしてそれと同時に伊理戸弟のスマホから着信音が鳴り響く。
「ひーっ、ひっひっひ」
「くひっ、くひひひひ」
我々は揃って気味の悪い笑い声をあげる。
「……川波」
「ひーっ、ひーっ、ひははははははははっ!!」
「くひひひひひひ!」
「貴様の部屋はどこだ?」
「ひーっひひひ────ひ?」
「くひっ?」
そう言い捨てるやズカズカと廊下へ出ようとする伊理戸弟。
「おい、おい待て、ぐわっ!」
慌てて後を追う川波だったが、突如振り返った伊理戸弟に足をかけられて引き倒された。
「おい、伊理戸、何を」
「川波に何する気だ!」
「聞け高梨。僕に協力しないか」
のしかかって完璧にマウントポジションを取った伊理戸弟をどうにか引き離そうとするが、そんな私の腕を掴んで彼はこう囁いた
「こいつのあれやこれやが気にはならないか? 特に南さんとのあれこれとか。君もカプ厨だろう?」
「高梨! 信じてるぞ! 俺は信じてるからな!」
川波と、南のあれこれ。
「ここはこいつの本丸。絶対に外に出せない幼い頃の甘酸っぱい思い出が眠ってるかもしれないぞ。なにせ幼馴染みだからな」
「高梨! 負けるな! 誘惑に負けるな!」
幼馴染みとの甘酸っぱい思い出……
カプ厨としての好奇心と、メンヘラとしての防衛本能がせめぎ合う。
「高梨! 高梨ぃ!」
コードをキャッチした私を見て縋るように叫ぶ川波。
揺れ動く私の心は遂に結論を下した。
「許せ川波」
私は延長コードを束ねていたケーブルタイを手に取ると、伊理戸弟が抑えていた川波の手首をガッチリと固定する。
限界を迎えた私の精神は自傷を選んだのだ。
「おまえぇぇぇぇ!」
信じていた友に裏切られた川波の断末魔がむなしく響き渡った。
お泊まり回が思いのほか長くなってしまった。
これだけで三話くらい使うかも。