ゆるめに書き綴る遺品回収屋の日常生活短編集、ハンターではない普通の少女が主人公なので狩猟シーンは皆無のおはなし   作:しゃくなげ

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雑話、練り香水

 走る。息を切らして、ただひたすらに。

 

 背後を振り向く余裕はない。肺が痛むその中で、必死に足を動かすばかり。

 

 もう走れないと訴える身体に鞭を打って、翔蟲を投げ放つ。少女の身体は解き放たれた矢のように、曇天の空へと打ち上げられた。

 

(ひいっ、まだついてきてる!)

 

 不意に聞こえた竜の声に、背筋を冷たい汗が流れる。視線の先には毒々しい緑色の甲殻と、ぐりぐりと動く大きな目玉。翼を大きく広げて、今まさに飛び立たんとする毒妖鳥の姿があった。

 

「ご主人、ご主人!」

 

 ぐいぐいと服の生地を引かれて、少女は視線を戻す。うしろの竜を見ていても、事態が好転することはない。二匹目の翔蟲が銀の糸を空へと架ける。

 

「こんな、ところで、つ、つかまって、たまるかぁ!」

 

 半泣きの様相で、少女が必死に叫ぶ。

 

 一瞬の加速と浮遊感、小さな手は落下しないようにと鉄蟲糸を握りしめる。突風とすれ違ったように感じたのは、まさにそのときだ。

 

 ぐええ、なんて聞こえる間抜けな声は背後から。にぶくて重たい打撃音が、それをかき消すように響いた。直後、少女が予想もしなかった弱々しい悲鳴があがる。

 

 慌てて振り返った少女の目には、ほうほうのていで逃げていく毒妖鳥と、四人のハンターの姿が映されていた。

 

 

 

 さて、はて。

 

 少女の生命を救ったのは、やはりというか当然のように、四人のハンターたちであった。固太りした中年の男性からうら若き乙女まで、その顔ぶれはさまざまである。

 

 聞けば彼ら彼女らは、狩猟場に咲く花を集めるためだとか、鉱石を集めるためだとか、思い思いの理由で散策をしていたらしい。仕事の請け負いではなく、素材の採取を目的とした集まりであったというのだ。

 

 そこから先は単純明快、四人の誰かが、たまさか、必死に逃げ惑う少女の姿を見つけた。これはいかんと立ち上がり、見事に毒妖鳥を蹴散らしたというわけだ。

 

 少女はといえば、ハンターたちのキャンプへ連れられて、ひと息をついている最中である。焚き火で沸かした湯を飲むと、いまさらになって手がふるえていることに気付く始末だった。

 

 なんとなしに、相棒のアイルーをなでてやる。やわらかな毛並みに指をうずめて、ゆっくりと。ごろごろと心地よさそうな音を聞いていると、ふしぎと手のふるえも落ち着いてくる。

 

「あの、えっと、ありがとうございます。とても、助かりました……」

 

「いいってことよ、いいってこと。いやぁ、回収屋は久しぶりに見たなあ! しかも、こんなちまいお嬢ちゃんとはなあ!」

 

 ほどよく焼けた肉を食べながら、がらがらと笑い声をあげたのは中年のハンターだ。彼は目的の素材を確保できたとかで、キャンプに戻ると帰り支度を始めていた。今は、帰還前の腹ごしらえ、らしい。

 

「プケプケのやつは、においに敏感だからな。年頃の娘とあれば、追いかけ回しても仕方ねえやなぁ」

 

「におい、ですか」

 

「おうよ、においさ」

 

 生命の恩人ではあるのだが、にやりと笑う中年のハンターの顔は、どことなくいやらしく見える。太い指が示すのは、予想の通りというべきか、少女の股間であった。

 

「そこの毛は、ぜんぶ剃っちまった方がいい。あいつらは、オレたちなんぞより、ずうっと敏感だからな。股ぐらのにおいを嗅ぎつけて、草むらに隠れてたって見つけ出すぞ」

 

 思わず脚を閉じ直す少女に、気にした様子も見せず、中年のハンターは語る。そんな彼を叱るのは、若い女性のハンターだ。

 

 否。若く見える、と表現した方が正しいだろう。女の耳は尖って長く、指の数は四本。少女と異なる特徴も当然で、女は、竜人のハンターであるらしかった。

 

「こーら、そういう話は女の子にしたらだめですよー。ごめんなさいね、このひと、もう帰るからって飲み始めちゃって」

 

「本当のことだろ、善意だよ、善意の助言さ」

 

 困ったように眉を下げて、竜人のハンターが少女に詫びる。背丈は少女よりいくらか高いが、身体の太さはまるで別物だ。

 

 筋肉の詰まった肉体は、女性の柔らかさと戦士の力強さを両立させている。それから、なんというか、とても、大きい。格差というものを感じ取って、少女はひそかに歯噛みする。

 

 一方で、中年のハンターはといえば悪びれたふうもなく、自分の言動を指摘されたことに対して不満げに鼻を鳴らすばかりだ。居心地の悪さをごまかすように、少女はハンターたちの様子へと視線をめぐらせる。

 

 我関せずとばかりに刃を研いでいる若い男のハンターもいれば、空気の悪さに困り顔の少年めいたハンターもいる。年齢層もバラバラで、連帯感もあまりない。いつもの四人、という雰囲気ではなさそうだった。

 

「……まあ、善意なのも事実は事実ですよね。わたしも、腋とか股とか、できるだけ体毛は剃ってますよ。汗で蒸れると、ほら、不衛生だし」

 

 空気が悪くなるのを防ぐように、竜人のハンターが言葉をはさんだ。物腰こそ柔らかいが、統率役は彼女なのだろうと、少女は胸中であたりをつける。

 

 人間よりもずっと長寿の竜人族は、若々しい見た目に反して百年以上を生きるものが多い。年長者に見える中年のハンターがなにも言わない様子を見て、少女は自分の考えに確信を持っていった。

 

「……気にして、みます。ほかにもなにか、注意することとか、ありますか?」

 

 種族こそ違えど、同性であることが少女の背中を軽く押した。多少の不快感はあっても、生のハンターの言葉を聞けるのは貴重な機会だと判じたのだ。

 

「注意してること、かあ……うーん、生理のときは狩場に出ない、とか。血のにおいに敏感ないきものなんて、それこそ数えきれないですしね。あと、まあ、単純にしんどいし」

 

「ああー……まあ、当然ですよね……」

 

 竜人のハンターが口にした内容は、少女の予想よりもずっとあけすけな答えだったが、それを言われると納得するほかにない。性的な話題を異性の前で、という部分にはまだ抵抗があるせいで、言葉数はずっと少ないままである。

 

 少女がどぎまぎする一方で、中年のハンターも向こうにいるふたりも、そうした話題に食いつく様子はみせなかった。慣れているのか、それとも興味がないのか。彼らを知らない少女には、わからない。

 

「それでも、どうしても出ないとならないってときは、これを使ってるかなあ。練り香水って、知ってる?」

 

「お、おお……?」

 

 ごそごそと竜人のハンターが取り出したのは、彼女の四本指におさまるほどの、使い込まれた小さな革箱だ。ふたを開けると、箱の内側は軟膏のようなもので半ばほどまで満たされている。

 

 竜人のハンターは練り香水と言っていたが、においは、あまり感じられない。少女が顔を寄せてもう一度吸い込むと、ほのかに、つい先ほど嗅いだ覚えのあるにおいがあった。

 

「……草むらの、花?」

 

「はい大正解、ソウソウ草ですね」

 

「なんでそんな……、あ、あー……」

 

「はい、そっちも大正解。普段は髪とか肌の保湿に使うんですけど、もうどうしようもないときは、これを、ほら、被せるみたいに、ね!」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべてから、竜人のハンターは革箱を腰のポーチへと戻していく。想像していたにおいとはまったく異なる、その一方で、目的がわかればまったく正しい香りだ。

 

 周囲のものと異なるにおいに反応するのであれば、その出どころにふたをして、溶け込ませる。なるほど、まったくもって道理だと、腕組みをしていた少女もうなずいてしまった。

 

「ほかにもいくつかあって、場所にあわせて変えてますね。軟膏の基剤を使っているから火傷の処置とか止血にも使えて、べんりべんり、なのです!」

 

 わざとらしい芝居がかったせりふを添え、竜人のハンターはポーズをとって笑みを浮かべる。挙句、ウインクまでしてみせるのだから、うさんくささは計り知れない。

 

 つい先ほど、彼女が鉄塊めいた巨大な金槌を振り回していた勇姿は、少女の記憶にまだ新しい。圧倒される側の少女は、なるべく愛想笑いを浮かべてやり過ごすしかなかった。

 

「……あの、ありがとう、ございます」

 

「見苦しいと思われてるぞ、年寄りめ」

 

 参考になりました、だとか、そんな言葉を少女が探している矢先。刃を研ぎ終えたらしい若者のハンターが冷たく言い放つ。

 

 竜人のハンターは笑顔のままであったが、少女の目には、艶やかな唇の右端がふるえたように、見えた。ぞくぞくと、嫌な悪寒。少女の背筋に、冷たい汗が流れていく。

 

(待ってやめて、私、さすがにそんなことまで思ってない……!)

 

 ふるふると首を振るも、凍りついた空気は溶けない。この状況を打破する言葉を探しても、突然のできごとは少女の頭から次の一手を完全に消し去っていた。

 

 あわあわとあせりつつ、少女は今まさに始まりそうな争いを仲裁しようと試みる。無駄だとわかっていたとしても、なんとかしなければ大変なことになる。そんな予感が、先ほどから止まらない。

 

 ハンター同士のケンカというものが、どんなものなのか。少女はこれから、それを嫌というほどに知ることになるわけだが、それはまた別の、おはなし──

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