ゆるめに書き綴る遺品回収屋の日常生活短編集、ハンターではない普通の少女が主人公なので狩猟シーンは皆無のおはなし 作:しゃくなげ
「おう、いらっしゃい」
「どうも」
入店時のドアベルとともに少女を迎えたのは、低く渋い店主の声だった。
石造りの店内は、踏み入るとまず最初に立派なカウンターが目に入る。磨き抜かれた天板は、ほのかな灯りを反射してきらめいている。
その向こう側に腕組みをしている年配のアイルーこそ、この食堂の店主である。小柄な少女が見上げるほどの巨体を誇る店主は、いつものように物静かに佇んでいた。
店のかたすみ、ぶあつい木製のテーブル席では、普通サイズの小柄なアイルーとウェイトレスがぐったりといった有様で束の間の休憩を謳歌している。
少女が諸々の手続きを終えたのは昼をすっかり回ったあとで、ふたりの様子からラッシュタイムの壮絶さが感じ取れた。
「今日は、なにがおすすめですか?」
「シモフリトマトと角竜のハツの煮込みだ、高いぞ」
「いろいろ入り用で、金はないんや……」
「なら、長寿ジャムと山盛りの米虫は」
「虫は、勘弁してください……」
スツールに腰を預けると、少女はいつものように店主と向かい合う。交わされる言葉の応酬は、気心の知れたもの同士のやり取りだ。
店主は少女の生業を、祖父の頃から知っている。当然ながら懐事情も理解していて、手頃な値段で腹いっぱい食べさせてもらえる食堂は少女にとっての天国でもある。
「おう、いらっしゃい。ハンターさんかい、得物はそこに置いてくれ」
不意打ちのように響いたドアベルに、店主がいつもの調子で声をかける。床を踏む足音の重さを聞きながら、少女はちらりと視線を向けた。
「ふたりなんですけど、良いですか?」
「おう、ハンターさんなら向こうのテーブルがいいだろう。カウンターは、あんたらにゃあ狭いからな」
「あの、わたくし、こういうお店は慣れていないので……」
「いいからいいから、はいはいテーブル席ですよー」
どすどすと重たい足音は、ふたりぶん。小柄な少女には、肉体の密度というか、構成そのものが異なっているようにすら思えた。
テーブル席に向かった女性たちは、豊かな金髪を揺らして歩く。控えめに見て美人のハンターたちは、腕も脚も身体も太くて、戦うための肉体なのだと感じさせられた。
どちらも、小柄な少女よりずっと大きい。慣れていないと訴えていた方なんて、そこらの男よりも背が高いと見るだけで理解できてしまう。
いったい何を食べたら、あそこまで大きくなるのか。小柄な少女の胸中に、複雑な思いがよぎる。
ついでに、付け加えて言うのであれば。テーブルの上に乗ってしまうほどの大きさの、いわゆる女性の象徴が、少女の心を苛んだこともある。持たざる者の妬みとわかっていても、歯噛みするのを止められなかった。
いったい何を食べたら、あそこまで大きくなるのか。少女の胸中に、とても複雑な思いがよぎる。
「おう、お待ちどお」
そんな中、多少なりとむしゃくしゃしていた少女の心を、店主の声とバターの香りが慰めてくれる。今日の一品は、深層シメジを用いたきのこのソテーだった。
「おお……!」
感嘆の声をあげつつも、まずはひとつ手頃な大きさのきのこを、遠慮なく齧る。
(この、ぽきぽきした食感、くせになるんだよなぁ。しかも、噛めば噛むほど旨味が出て……濃いバターの香りも、食欲をそそる……)
しばしの、無言。あと味までたっぷりと堪能してから、ふたつ、みっつと口に運ぶ。
(不思議と、食べ飽きない……なんか、ピリってした辛味が奥の方に……? これは、いったい……いや、でも、なんだこれうまいなぁ……)
「火炎エダマメを、細かく刻んで散らしてある」
鉄鍋をかき混ぜながら、少女の心でも読んだかのように店主が答える。なるほど、なんて相槌もそこそこに、辛さで汗ばみ始めた肌を冷まそうとコップの中身を飲み干していく。
(店主め……腕を、上げたな……)
演技がかった、わざとらしいうなり声。空になったカップに、冷えた果実水が注がれる。
食堂そのものは酒類の扱いが豊富で有名だそうだが、あいにくと、少女は酒が飲めなかった。もっぱら、こうして食べることが専門だ。
「おう、三番」
「はいはい、ただいまー」
少女が一息をついたところでテーブル席の料理がカウンターに置かれ、ウェイトレスが運んでいく。見た目からするに、さっきのおすすめ料理だろう。
(ハンターは、やはり、稼ぎが良いのだ。高級食材も、簡単に食べられるのか……)
ついつい、料理の行く末を目で追ってしまう。ふたり組のハンターたちは、狩りの技法についてあれこれと話し込んでいるようだった。
「ですから、わたくしは虫の類は苦手ですので……その、かけりむし、とかいうのは遠慮したいと申しますか……」
「ほんと、すごいんですって、すごく便利だから騙されたと思って! あ、ちょっと待ってこの煮込みすっごい美味しい!」
「まあ! これは、確かに……」
耳をそばだててみたものの、料理が届くと同時に会話は打ち切られてしまう。気になる単語があったのに、ふたりはもう、店主の料理を夢中になって口に運んでいる。
きっと、育ちが良いのだろう。食事が始まると会話も途絶え、食器の擦れる音さえ聞こえなくなった。
(かけりむしって、ハンターの使うものなのか……)
少し前、露店通りで行商人が高らかに売り口上を述べていた。値段も目が飛び出るほど高かったのだが、ハンターが絶賛するとあれば、それだけの価値があるものなのか。
少女はきのこをもぐもぐと咀嚼しつつ、腕組みをして難しい顔で眉を寄せる。
かけりむしとは、どんなものなのか。なにがすごくて、便利で、高いのか。あと、虫なら虫で、気持ち悪くないのかどうか。
その顔を、勘違いしたのだろう。仕込みの手を止めた店主が、ふと少女の名を呼んだ。
「足りないかい」
「あ、いえ、あの」
「まあ食え、俺のおごりだ」
どんと目の前に置かれた皿には、丸くすくった雪色のアイスクリームがこんもりと乗せられていた。
「……ちょっと、食べ過ぎたかな」
結局アイスクリームでは止まらずに、煮込みカレーまで平らげてしまった。
重たくなった腹をさすりながら、少女がうめく。腹ごなしの散歩でもしなければ、午後からの書類仕事は手につきそうにないほどだ。
陽射しはあるが、じりじりと焼け付くほどではなくなっている。少しずつ過ごしやすくなっていく、心地よい時期だ。
寒冷期の入口を感じさせるひやりとした風が、団子のようにまとめた少女の髪球を小さく揺らすように通り過ぎていく。
「やっぱり、食べなきゃ育たないか……」
少女が思い返すのは、あの女ハンターたちの姿だ。
ふたり組はそれからも、タンジアビールからブレスワインまで、値段に関わらず店の品を飲み尽くす勢いで酒の味を堪能している様子だった。
それどころか、店主の料理に舌鼓を打ってはぺろりと平らげて次の料理を注文するほどだ。
「……違うんだな、私みたいなのと」
彼女たちは、あれだけの量を食べた上で狩りに出るのだろう。身体の構造だけでなく、内臓の性能まで別物なのかもしれない。
とにも、かくにも。
あれだけの料理と酒を堪能するには、相応の金銭が必要になる。少女の稼ぎなんて、数ヶ月分が消し飛ぶだろう。そんな存在を雇うなど、どれだけの金額が必要になるのやら。
「……ちょっと、いやかなり無理だ。五千ゼニーとか、どうやって捻出したらいいんだ」
それでさえ、ごく普通の、駆け出しも含めた一般的なハンターを雇うための金額だ。
一流どころだとか、それこそ王族が招集するような歴戦の存在となると、契約金に関しては想像すらつかない。
「せめて、二千……いや、千か。そもそも、そんな金額を出せるならうちでなくてハンターに直接頼むもんな……」
少女を訪ねる依頼人は、ただでさえ家族を失って憔悴しているのだ。
莫大な依頼金など払えない彼ら彼女らのために、削れる部分は削る。それが、今の少女が意地でも曲げようとしない信念である。
「おじいちゃんなら、どうしてたのかな……いやでも、おじいちゃんなら、ハンターの知り合いとかいてもおかしくないよな」
知り合い価格で、格安の依頼。確かにありそうで、同時にとてもうらやましい。
そんな知り合いができたらと思いはするものの、ハンターと少女では住む世界が違いすぎる。稼ぎも、肉体も、生き方も、なにもかもが別世界のようだと感じる。
ふと、何の気もなしに少女は空を仰いだ。
澄んだ蒼穹は、どこまでも高い。街中、建物の隙間から見える空なのに、自然の雄大さを感じてしまう。
どんなに目を凝らしても、星は、見えない。
「夕焼けの流れ星、どこから来て、どこに行くのさ。……やばい、なんか、恥ずい。なんだ今のポエム、うわ恥ずかしい……」
自分で言って、恥ずかしくなった。耳とほほが熱くなる感覚に、少女は視線を落として早足で道を行く。顔に当たる風が、なんだか、やたらと冷たく感じる。
ハンターを雇う方法を、真面目に考えていたはずだのに。自分自身のことながらも思考のギャップがまた羞恥心をあおり、元より少ない少女の口数をぐっと減らしていく。
雑踏の喧騒は、混じり合ってがやがやと溶けている。集中すれば聞き取れるけれど、聞き流していると声を拾うことすら難しい。
だから、伸びが良い声での高らかな口上は、ことのほか目立つものだった。
ハンターのための加工屋が建ち並ぶ大通りとは、少し異なるせまい路地。街を訪れた行商人がつどう、ドンドルマの住人が露店通りと呼ぶ区画だ。
雑多な品を並べた、色とりどりの屋台やら、なにやら。異国のスパイスも取り扱っているせいか、通りの空気は独特の、香のような匂いに満ちている。
一際大きな屋台が目を引く即席の露店には、手製らしい竜種の面や多種多様の筆絵、果ては落書きめいた絵画までもが並んでいる。そんな中で売り口上を述べていたのは、少しめずらしい出立ちの行商人だった。
少女が近づいてみると、もうすでに、行商人の周りには人だかりができ始めていた。ひとの隙間を通り抜けて、最前列へと向かう。小柄な少女の身体が、長所となる瞬間だ。
深緑を基調とした衣装は、使い込んであるとわかるのにくたびれた様子もなく、新品同然のようでいて行商人の女に馴染んでいる。手入れが完璧なのか、高級品なのか。おそらくは、その両方だ。
「さあさあ、もっと近くによりたまえ、その目で見たまえ! これこそ、遠い東のカムラの里で愛用される翔蟲! 門外不出のこの蟲を、信を得るまで言葉を交わし、夜ごと盃を酌み交わし! 時には朝からも酌み交わし!」
「おいおい、酒を飲んでるだけじゃないか!」
合いの手めいた観衆の言葉に、それもそうだと行商人は高らかに笑う。どっと笑いが巻き起こり、真面目にやれよと揶揄のような声が続く。
「まあまあ、待ちたまえよ。確かに私は酒を楽しみ料理に舌鼓を打ってきたが、この翔蟲は本物だとも。なにせ、かの地のハンターは当然のこと、里の住人は誰もがこの翔蟲を自在に操り生活を営んでいる。つまりはそれだけ、便利なものでね」
言いながら、行商人は手のひらほどの大きさの甲虫を、慣れた様子で籠から取り出す。どうやら、あれが翔蟲らしい。裏側を見ずに済んだと、少女はひとり胸をなで下ろした。
翔蟲は逃げてしまう様子も見せず、大人しく行商人の手のひらに収まっている。玉虫色の鮮やかな外皮は、陽光を浴びて色とりどりの艶を見せる。そこだけ見れば、きれいにも思えるのが不思議だ。
「それで、なにがそんなに便利なんだい」
「よろしい、説明しようじゃないか。この蟲が作り出す糸が、どれだけ素晴らしいものなのか」
言うが、早いか。
行商人が手にしたのは、彼女自身の身の丈を超えるほどの、巨大な鋼鉄の塊だった。斧の形をしていると少女が認識するまで、五秒は要したかもしれない。
「無論、これはまがいものではないとも。さあさ、とくと御覧じろ。ああ、危ないからね、手を伸ばしてはならないよ!」
なめらかな、金属の擦れる動作音が響く。行商人の持つ鉄塊が、斧から剣へ、またたく間に姿形を変えていく。そこで、やっと少女も理解した。
あの行商人は、ハンターなのだ。
行商人はハンターのみが手にすることを許される狩猟道具を自在に操り、振るい、構え、変形させる。あれは、自分も武器も本物であると、観衆の理解を得るための演武なのだ。
遅れて、わっと歓声があがる。手を叩き、指笛を吹いて、観衆たちは予想だにしなかった行商人の見事な技に酔いしれている。
「さあ、これでこの剣斧が本物だとわかったろう。諸君が持つには重すぎる、だから手を触れてはいけないよ。さあ、見たまえよ。この剣斧に翔蟲の糸をつないで……」
慣れた手つきで、行商人は己が狩猟道具と翔蟲の糸をつないでいく。それから中空へ、手中の蟲を放り投げた。
行商人が剣斧を支えていた手を頭上にあげると、わっと、また歓声がわく。
誰もが、重たい音を立てて石畳に落ちるであろうと予測していた。されども、剣斧は最初にあった位置から微動だにしていない。支えていた行商人の手が離れても、翔蟲の糸で吊るされていたのだ。
「おおー!」
「子どもひとりなんて、わけなさそうだ!」
「ははは、いやいや、子どもだなんて軽い軽い。カムラの里のハンターはね、全身鎧を着込んだ上で狩猟道具を担いでも、この翔蟲ひとつで空を駆け巡るのさ。ならば、当然ながら! およそ私たちの生活において、運べぬものなどないと言えよう!」
陽光を浴びた翔蟲の糸は、銀のきらめきを宿している。どこかで見た気がするその色に、少女の目が何度かまたたく。
思い当たるのは、すぐだ。なにせ、ついさっきまで、記憶の中で見ていたのだから。
(あれは、かけりむしだったのか……!)
夕焼け色の空にかかる、一条の銀。
未だ忘れられない光景を思い返している少女をよそに、行商人の口上は流れていく。
「さあて、それではここで、品がないがお金の話をしておこう。私もなにぶん、仕事だからね。そうでなくても、この翔蟲を輸出するのには莫大な費用がかかっている。主として……」
「わかるぞ、酒代だろう!」
「ははは、そうとも、その通り……いやいや、それは違うぞ。とにかく、申し訳がない話だが、慈善事業ともいかなくてね。三千と言いたいところだが、ここは大負けに負けて二千ゼニーだ。しかも、翔蟲のエサだとか使い方のレクチャーまで込み込みだ!」
「いやいや、それでも高いよ! もう一声、どうにかならないのかい!」
やいのやいのとやじを飛ばす男に、行商人もまぶしいまでの笑顔でそれは無理だと首を振る。
露店通りの、いつもの空気だ。ここに限らず、そこかしこで、同じようなやりとりはくり広げられている。
だから観衆たちも慣れたもので、言葉であおりこそすれども、購入までは至らない。行商人もまた、それを見越しているのだろう。必要以上に期待をしている風ではなかった。
こういう空気で手を挙げるのは、どうにも苦手だと少女は思う。熱気だとか勢いだとかノリだとか、そういうものが得意ではない。
ただ、それでも。
「あの」
「おや、そこの美しいお嬢さん。私の仕入れたこの翔蟲が、気になるのかな?」
「その、どんなふうに、使えるのかなって。荷物をぶら下げるだけじゃ、ないですよね」
勇気を出して、というのだろうか。
それとも、興味をそそられたから、なのだろうか。
周囲の注目を浴びて、声が震えそうになるのを堪える。行商人を真っ直ぐに見つめて、高鳴り続ける心臓の鼓動から目を背けて。
「もしも、私の仕事に使えそうなら……二千ゼニーで、欲しいかも、しれない」
意を決して発した少女の言葉を、行商人は笑顔で受け止める。こっくりと力強くうなずいて、ああと胸を張って肯定した。
「では、君に教えようではないか。この翔蟲を買うことで、きっと満足してもらえると!」
それから、暫時。
かくして、ようやく。少女はひとり、己が店へと到着する。
背後で扉が閉じるなり、襲いかかるのは後悔の念だ。頭を抱えてうずくまり、うんうんとうなり声をあげたい衝動に駆られる。
それも、そのはず。
少女の手には、虫かごひとつ。覗き込めば、玉虫色の翔蟲。
「ハンターを雇うんじゃないのかよぉ……うう、私のバカめぇ……」
行商人の口車、というのだろうか。話を聞いて扱い方を教えてもらうほどに、翔蟲は便利な存在に思えて仕方がなかった。
だから、つい、なのだ。そもそも二千ゼニーで雇えるハンターは、駆け出しの可能性だってある。行商人の言葉が正しければ、それ以上に役立つとは、いうが。
「虫、だもんなぁ……」
机の上には、翔蟲。
ただでさえ、閑古鳥が鳴く店だ。留守番のアイルーも、昼寝に勤しんでいたのを叩き起こされて寝ぼけ眼のままでいる。
「ニャ、ご主人、ご主人。むしだニャ!」
「そうだね、虫だ。かけりむし、っていうんだって」
「かけりむし?」
「そ。カムラの里ってところで、訓練してる虫なんだってさ」
にゃあと、アイルーが鳴く。虫かごの中を覗き込んで、興味津々の様相だった。
「最近、大きな災害が治まってやっと貿易が再開したんだって。行商人のひと、話し始めると長くって」
どれだけ良い土地なのか、どんな里なのか。そうしたバックストーリーを語り出した行商人は、朗らかな声色も相まって歌劇団のようにさえ思えた。
思えば、購入してしまったのは、その解説も影響していたのではないだろうか。そう考えると、なかなかどうして、あの行商人はやり手なのかもしれない。
腕組みをしたまま、少女の思考がぐるぐると止めどなく駆け巡り始めた頃合いで、アイルーはきらきらした大きな目を主人へと向ける。
「このむし、たべる?」
「食べんわ」
即答されて、アイルーがしょんぼりと肩を落とす。
少しだけ、ほんの少しだけかわいそうという思いが顔を見せるものの、二千ゼニーという大金を支払ったのだから、おやつにされてはたまらない。
「それを使うと、山道を翔び抜けたりとか、できるんだって。飛竜に見つかりそうになっても、すぐに逃げられるかもしれない」
アイルーはふんふんとうなずきながら、少女の言葉に目を輝かせる。
今までの危険な道行だとか、足の速さがゆえに遠回りせざるを得ない状況を、一気に打破できるのではないかと期待するのは当然だ。
少女もそれを期待して、ままよとばかりに購入したのだ。それほどまでに、狩猟場を歩くというのは、常人にとっては険しい道のりなのである。
だが、その一方で。
「ニャ。それにしても、すごいむしがいるんだニャ。ご主人、いったい、いくらでかったのニャ?」
「………………」
「……ニャ、ご主人」
アイルーの可愛らしい声に、なぜか、凄味が混じる。
実際にはそんなことはないのだけれど、少女にはなぜか、そう聞こえたのだ。
「……いい天気だね、今日は、散歩とかしたくなるよね」
だから、無理やりにでも会話の方向を転換する。転換するが、このように無理やりな手法は、得てして失敗するものだ。
「ご主人、はんたーをやとうって、ボクのおやつだいもへらしたニャ」
「……そういえば、寒冷期が来たら、ポッケ村の立ち入りも難しくなるね。雪がほら、あの、すごいし」
空気が、冷えている。
アイルーの視線に耐えきれず、とうとう、少女が折れた。
「二千ゼニーで、買っちった……」
にゃ、と間の抜けた鳴き声のあと。
「かっちった、じゃあニャいニャ! それ、ボクらがこのひとつきでがんばってためたぶんだニャ、ご主人!」
「ごめん、ほんとごめん。でもさ、ほら、駆け出しのハンターとか雇ったりして仕事が失敗するよりは、何度も使えるから経済的だって、ロンディーネさん言ってたし!」
言い訳めいたことを口にしつつも、勝敗は最初から見えている。にゃあにゃあとアイルーが怒りの声をあげる中で、少女はひたすら謝るしかない。
けれど、買ってしまったものは、もうどうしようもないのもまた事実だ。
いっそ開き直るほどの勢いで、少女は机の上に置かれた虫かごを見つめる。
ハンターになろうだなどとは、最初から思ってもいない。ただ、この翔蟲があれば、いつの日にか、もしかしたら。
夕焼けの流れ星が、どんな世界を見ていたのか。それを、自分も知ることができるかもしれない。
そんな風に思ってしまうと、どうしても諦めきれなかった。
「ご主人、ご主人! まだ、ボクのはニャしはおわってニャいニャ!」
「わかってる、わかってるよ。今回は、私が全面的に悪かった。わがままに付き合わせちゃってるから、本当にごめんね」
予想だにしない穏やかな声での謝罪に、毒気を抜かれてしまったようにアイルーはため息をもらす。
仕方がないと受け入れたアイルーが、午前中に放っておいた書類の山へと向かっていく。
昼下がりの、静かな時間。
机の上の翔蟲は、なにをいうでもなく、ただそこにいる。
この日の買い物が少女にどんな変化をもたらしたのかは、また別の、おはなし──