ゆるめに書き綴る遺品回収屋の日常生活短編集、ハンターではない普通の少女が主人公なので狩猟シーンは皆無のおはなし   作:しゃくなげ

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樹海と老人

 アプトノスの歩調に合わせて、がたりごとりと荷車が揺れる。

 

 遮るもののない大空は、厚い雲に覆われていた。少女の気持ちと同じで、からりとした晴天気にはほど遠い。

 

 行く先は、決めていない。ただなんとなく、遠くの景色が見たくなった、それだけだ。

 

(……お尻、いてえ)

 

 木箱を置いただけの座席は硬く、乗り心地は最悪だった。荷運びの車に同乗しただけなのだから、当然といえば当然だろう。

 

 相棒のアイルーには店の留守番を頼んであるから、今日はひさしぶりのひとり旅だ。だというのに、旅を楽しもうという気持ちにはなれない。

 

(引きずってるなあ、やっぱり……)

 

 そろえた膝を両手で抱えて、ため息をひとつ。

 

 目を閉じれば、紙のように白くなっていた依頼人の顔を、何度でも思い出してしまう。あれほど悲しそうな目を、少女は知らなかった。

 

 それこそ、仕事の失敗をなじられ罵られる夢も見た。夢が現実であったら良かったのにと思うほど、鮮明な夢だった。

 

 自分にできることを全力でやって、必死に足掻いた結果があれだったなら、まだ良かった。慣れからの気のゆるみ、惰性で動いていたのだと思い知らされたから、心が痛む。

 

「……ばかだ、本当に」

 

 ぽつりともれたつぶやきは、荷車の雑音にかき消された。

 

 がたりごとりと、車輪の音が足の下から響いてくる。ぎいぎいと軋むのは、車体のどこかなのだろう。

 

「おじいちゃん、こういうとき、どうしたらいいのかな……?」

 

 問いかけても、答えはない。

 

 祖父の仕事を、少女もきちんと見たことはない。だから、今の仕事に関しては、見よう見まねとさえ呼べない有様だ。

 

 それこそ、少女は同業者に出会ったこともない。狩猟場を歩くのであれば、ハンターになる方がずっと稼げる。だから皆、こぞってハンターを目指すのだろう。

 

(どうすれば、良かったんだろう……)

 

 結果として、少女は仕事の手本というものに出会えなかった。あのとき、もっと祖父の仕事を見ておけば良かったと後悔しても遅いのだ。

 

 今までは運が良かっただけなのだと、思い知った。そこからどうやって立ち直るのかを、少女は知らない。

 

「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」

 

「っ、あ、はい、っ」

 

 御者に呼びかけられて、あわてて返事をする。

 

 気付けば、周囲の景色はすっかりと、深緑が広がる樹海に移り変わっていた。

 

「どうするね、ここが終点だよ。あとはまた、ドンドルマに帰るだけだ」

 

 問いかけに、しばしの無言。もとより目的地などないのだと、やがて少女は腰を上げた。

 

「ここで、降ります。ありがとうございました」

 

「おう、気をつけてな」

 

 決まり文句のように告げて、御者は元来た道を引き返す。アプトノスに引かれて、荷車の車輪がわだちを踏み締めるように回り出す。

 

 小さくなっていく影を見送り、少女はゆっくりと一度、緑の香りが混じる空気を吸い込んだ。

 

 

 

 樹海の入り口には、小さいながらもしっかりとした街が根付いている。

 

 ドンドルマのような大都市と比べると歴史は浅いが、家屋や建造物は石造りの立派なもので、辺境の地には似つかわしくない。

 

 それも、そのはず。見慣れたそれとはまるで異なる衛兵の装備に、少女は今さらながら思い出した。

 

(ああ、管理してる国が、違うんだっけ……)

 

 樹海の街が所属するのは、女王が統治するという小国だ。国そのものはこの街とはずいぶんと離れているし、どうしてこんな辺鄙な土地に街を建てたのだろう。

 

 そうやって、目に映る光景に興味や疑問を抱くていどには、多少なりとも心に余裕ができてきた。もちろん、立ち直れたというのは違うのだけれど。

 

(むっ、あれは……)

 

 ふと、少女の目が屋台を見つける。

 

 品名は知らないが、見たところ、魚と芋の揚げ物だろうと推察はできる。油の跳ねる音が、雑踏の喧騒にも負けずに響いてくるようだ。

 

(落ち込んでいても、腹は減るんだよなあ……)

 

 手軽に食べられそうな小ぶりのサイズを、ひとつ。魚も芋も黄金色の衣をまとい、紙箱に収まったままで湯気を立てている。

 

「いただきます……あちっ、……」

 

 さくり。歯を埋めると、軽くて心地良い歯応えがあった。

 

(………………)

 

 白身の魚は熱々で、仲間でしっかりと火が通っているから臭みはない。芋もほくほくとした、甘さを感じる。

 

 ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、言い難いけれども問題がある。なぜなのか、なんというか、それだけなのだ。下味だとか、味付けだとか、そうしたものが感じられない。

 

 付け加えるので、あれば。

 

(………………脂っこい、ぎとぎとしてる)

 

 ちょっと、いやかなり。衣が油を吸っているのだろうか、とにかく、重たい。ひと口は良いのだけれど、食べ続けるのが、辛い。

 

(なんだこれ、素材の味なのか……? いやでも、なんか、もっとこう、下味とかそういうの、ないの……?)

 

 食べても食べても、変化がない。油のにおいと後味で、だんだんと胸焼けしそうになってくる。

 

(う、う……これ、このままじゃ具合悪くなる……失敗だった、か……)

 

 ふと、気付く。

 

 眉を寄せて食べ進める少女に、店主が手招きしていることに。

 

 それはそうだ、買ったばかりの商品を、まずそうに食べられたら誰だって嫌だろう。自分の反応を省みて、どう謝るか、少女が迷っていた矢先である。

 

「お嬢ちゃん、それね、味付けしてないんだよ。そこに調味料があるから、好きなようにかけなさい」

 

 おすすめは、果実酢をかけてからうちの特製ソースをつけるんだよ。にこやかな笑みで店主に説明されて、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 

 

 

 腹ごしらえをしたあとは、街の中をただただ目的もなしに歩く。

 

 竜種の襲撃でも想定しているのか、少女の見た街の風景は、どことなく固いように感じる。ドンドルマの戦闘街にも似ていたが、緊急事態とは縁がないのか、戦場として使用された印象はなかった。

 

 古めかしい家屋の造りや城塞めいた石壁などは、観光地としての魅力はあるだろう。なんとなし、そっと苔むした石壁に触れると、ひやりとした冷たさが指に伝わる。

 

 衛兵の姿は、あちこちで見られた。意外なことに、辺境の地であるにも関わらず、誰もがきびきびと街の警護に勤めている。それが、少女にとっては新鮮な光景に感じられた。

 

(こういうところだと、ちょっとだらけるのにな。街のひとも、なんか、軍人っぽいし……)

 

 意外と、由緒正しい街なのかもしれない。こんな状態でなければ、少女も古い街並みの散策をもっともっと楽しんでいただろう。

 

 今は、自分の職務に打ち込んでいる衛兵の姿すら、辛い。ああいう姿を見せられると、自分の至らなさを感じてしまう。少女の心は、相変わらず重たいままだ。

 

(……まじめに、やってたつもりだったんだけどな。いや、つもりだっただけ、なのかな)

 

 こういう精神状態のときは、無性に寂しくなる。慰められても立ち直れないのに、ひとりでいるのが苦しくなる。

 

 仕事のことや自分の気持ち、そういうことを話せるような友人は、一応、いる。ただ、友人を頼るのはなにか違うのだと、少女自身もわかっていた。

 

(だめだだめだ、なんか、ぐるぐるしてる……せめて、気持ちが浮ついてるのだけでもどうにかしなきゃ……)

 

 道端の小石を、つまさきで小突く。硬く軽い音を立てて、小石は壁の切れ目から、街の外へと転がっていった。

 

 気付けば、少女の足は通りを抜けて街の端まで歩いていた。広大な樹海が、目と鼻の先に広がっている。しげるなんて規模ではない、深緑の壁にしか見えない自然の片端は、少女を誘うようにも拒むようにも見える。

 

「よし、切り替えるぞ」

 

 声に出して、少女が宣言する。

 

 頭の中で考えるよりも、声に出して耳で聞いた方が、あとから取り消し辛くなるからだ。言葉にするのは、少女なりの決意のつもりであった。

 

 背負っている鞄の中には、使い込んだテントやチェアをつめてきた。

 

 少女の目的は、生業としている遺品の回収ではない。すっかり慣れたと自惚れていた自然の中で、少し、ひとりになりたくなった。それにどんな意味があるのかは、わからないけれど。

 

「自然は、怖いんだ。友達だとか、庭だとか、そんな風に感じたらだめなものだ」

 

 だから、ひとは武装する。知識を蓄えて情報を仕入れ、技術や道具で自分の寝床を作り出す。身近な隣人に見えるものと、どうにかこうにか、戦うために。

 

 それすら営みの一部だとばかりに自然は受け入れるし、そうかと思えば自然の一部の竜種が不意に牙を剥く。いつまで経っても、ひとは自然を御すことなどできないだろう。

 

 今日は、それを思い出す。ゆるんだネジを締め直す、少女にとっての、儀式のようなものだ。

 

 踏み出す靴底に砂利がこすれて、ざくりと小気味良い足音が鳴った。

 

 

 

 ハンターズ・ギルドによる生態系の管理は、地域によって受け持ちが少し違うらしい。

 

 樹海の担当は女王の国が運営するギルドであったから、ドンドルマのそれとは申請の勝手が少し異なっていて、それなりに苦労した。

 

 とはいえ、申請が済んでしまえば、あとはなにも変わらない。狩猟場として立ち入りが禁止されている区域を確認し、近づかないように心がけるだけだ。

 

 地図を頼りに、樹々の合間に作られたひとの通り道を行く。踏み固められた地面だとか、なめらかな丸石を並べた小径は、意外なことにあちこちに存在している。

 

 あの街ができるよりも前、もっと小さな集落があった時代の名残だろう。ほかにも打ち捨てられたツリーハウスの痕跡だとか、古井戸なども見つけることができた。

 

 だが、そうしたひとの住居があった土地は、少女の求めるものとは違う。今回の旅は、気楽なものではいけないのだという、使命感のようなものがある。

 

 迷わないように、枝に紐を結んで目印を作りながら歩くのは初歩中の初歩だ。まだまだ、長さには余裕がある。もう少し深部を目指しても、問題はなさそうだ。

 

 今日は、危険を察知してくれる相棒もいない。狩猟場から離れた鳥竜と遭遇でもしたら、生命を落とすことになるかもしれない。だからこそ、基本に立ち返る。

 

「焦らない、逸らない。帰り道を確保して、周囲を観察する。ケルビがいても、油断してはだめ。足の速さが違うのだから、近づかれちゃいけない距離がそもそも違う」

 

 祖父の教えを思い出すように、少女は静かな声で口にする。

 

 木々の向こうに見えたケルビは、大樹の幹に角をこすりつけている。角研ぎの光景を眺めていたい気持ちもあったが、今はキャンプ地の確保が先決だ。

 

 足元に、周囲に、肉食動物の痕跡はないか。鳥竜だけでなく、牙獣だって遭遇しては危険なのだ。ハンターならいざ知らず、自分は、こういう場所を歩くことに慣れているだけなのだから。

 

 いつしか、少女の表情は真剣なものになっていく。何年か前、祖父を連れずにたったひとりで、初めて山の麓にキャンプをしたときのように。

 

(あのときは、失敗してばかりだったな。ごはんだって、ちっとも用意できなかったし……)

 

 今は、どうだろう。

 

 ふと自分の日常を振り返って、少女は考える。だめな部分を責めるのは、簡単だ。些細なことだって、ケチをつけるのはたやすい。

 

 逆に、昔と比べてどんな部分が良くなっているのだろうと、この数日を思い返す。確かに仕事で失敗はしたけれど、悪い記憶ばかりではないはずだ。

 

(……食事は、大丈夫かな。さすがに、生肉を切り出したりとかは、できないけど)

 

 火をおこして、買った肉を焦がさないように焼いて、食べる。そのくらいはわけなくできる、問題ない。

 

(退路の確保、ってやつもしてる。目印をつけるのは、あまりやってなかったけど……今、やってるし……)

 

 道行きの不安を、ひとつずつ取り除く。甘めの採点かもしれないが、ちゃんとできていると少女は思う。

 

 そうやって確かめると、足りないものだけでなく、足りているものも意外と見つけることができた。少なくとも、街で塞ぎ込んでいるよりは、気が晴れるのかもしれない。

 

 やぶを迂回して、北へ。狩猟場とは離れた、谷側の土地へ。

 

 たどり着いた場所は足場の土も柔らかく、空気は澄んで獣や竜のにおいもしない。足を止めて休むのに、適しているように思えた。

 

(このあたりは、良さそうかな……)

 

 ひたいに浮いた汗をぬぐって、少女はもう一度、周囲を見渡す。

 

 テントの設営に、地面の問題はない。水源は、岩壁からの湧き水を見付けられた。渓流よりも蒸し暑いものの、気になることはそれくらいだ。

 

 鞄を下ろして道具を取り出し、慣れた様子で設営を始める。仕事が立て込んでいたこともあって、今日は、ひさしぶりのキャンプだ。

 

(設営が終わったら、あれ、だな……)

 

 ちらりと少女が見やるのは、鞄の中の虫かごだ。ほったらかしにしていたわけではないけれど、まだ、ちゃんと触れてもいない。

 

 やりたいことが、少しずつ見えてくる。そういう気持ちも、ちゃんと残っていた。

 

 見知らぬ樹海の中に自分だけの秘密基地を作るようで、慣れたはずの作業がいつもより少し楽しかった。

 

 

 

「ひい、っ、い、ぁぁぁあ!」

 

 情けない悲鳴をともなって、小柄な身体が風に吹かれた木の葉のように宙を舞う。

 

 頭上の青空に向けて、一直線。三階建ての屋根ぐらいまで跳ね上がったところで、今度は自由落下が始まる。

 

(なんだ、これ、すご、落ち、っ!)

 

 思わず、手の中の糸を握り締める。それに反応した翔蟲は中空で静止して、楔のように動かなくなる。結果、少女の身体は糸につながり支えられて、ぷらぷらとその場で揺れていた。

 

「お、おお……すごいな、おまえ……」

 

 くいと糸を引くと、翔蟲はゆっくりと高度を落としてくれた。ハンターは跳ね上がった勢いそのままに飛び降りるそうだが、恐ろしくてそんな真似はできそうにない。

 

 地面に足が着くと、少女は握っていた糸を放してやる。自由になった翔蟲は羽を震わせてから、携帯用の虫かごへと戻ってきた。

 

「……おお、訓練されてる、すごい。飼い主を捨てて逃げないんだな、えらいぞ」

 

 虫かごの中を覗くと、玉虫色の外皮がきらきらときらめいている。見た目の虫具合は相変わらずながら、少女もそれなりに、このいきものに慣れてきたような気はしていた。

 

 大金を叩いて購入したものの、こうして本格的に使ってみるのは初めてだった。太い銀色の糸は、想像していたよりもべたつかない。そのくせすっぽ抜けるようなこともなく、不思議な触り心地がある。

 

「柔らかいから、びんってしないんだな。これ、確かに便利かも……」

 

 使い方を教えてくれた緑衣の行商人は、両手の翔蟲で壁から壁へ、見事に翔び回ってみせた。そこまで使いこなせる自信は、今のところ、少女にはない。

 

「ええと、前に向けて、こうわあぁぁっ!」

 

 投げ放つようにすると翔蟲が応じて飛び出し、糸を握り締めると少女の身体をぐんと引いてくれる。引き絞った矢弓のように射出される勢いで、少女はまた、空を駆ける。

 

 握った手を放してしまっても、不思議と糸はつながったまま。いつでも握り直してぶら下がれるから、怪我をするような使い方はしないで済む。

 

「っても、壁とかにぶち当たったら、痛いよな……」

 

 方向だけは冷静に見極める必要があるが、そのくらいだろう。地面に降り立つと、もう一度、少女は呼吸を整える。

 

 空へ向かってから、さらに高く対の手を伸ばす。二度の疾翔けは、まるで重力から解放されたかのように、高いところへと昇っていける。

 

 飛竜の背よりも高い位置に留まると、自分のテントが小さく見えた。そのままゆっくりと、翔蟲に任せて地面へと降りていく。

 

 ひざほどの高さから糸を放して着地、同時に全身の関節を連動させて衝撃を逃してやる。ふっとゆるく息を吐き、少女は眼光鋭く顔を上げた。

 

「……今の、ハンターっぽいんじゃないかな。うん、我ながらよくできてた……と、思う……」

 

 耳に届いた自分自身のひとりごとに、顔が熱くなる。無言のままにテントに戻ると、持参した薪を組み上げていく。

 

(……さすがに、今のは、恥ずかしい。現実逃避してるのか、私……)

 

 ささやかな、ひとり遊び。誰に見咎められることもない、児戯のようなたわむれ。

 

 友人には見せられない姿を散々演じておきながら、我に返ると逃げ出したくなるのが不思議だ。翔蟲を虫かごへ戻し、夜が来る前に火をおこす。

 

(それから、どうしよう……なんか、また、普通のキャンプみたいになってる。気を抜くと、すぐこれなんだよな……)

 

 うなだれて、ため息をひとつ。そんなだから、なのか。それとも、別の要因があるのか。

 

「なあ、お嬢ちゃん」

 

「ひぃっ!」

 

 不意にかけられた声に、悲鳴があがる。ついでに、組み上げていた薪が崩れてがらがらと音を立てた。

 

 あわてて背後を振り返ると、禿頭の老人が訝しげにこちらを見つめていた。苔のような白髭が、顔の下半分を覆っている。顔には深いしわが刻まれているが、目つきはとても鋭かった。

 

 着ている衣服はつぎはぎがあちこちに見えるものの、不潔感はない。よくよく見れば、上着はなめした牙獣の毛皮らしい。だとすれば、この老人は。

 

「さっきの、すごい悲鳴だったな。大丈夫かい?」

 

「あっ、あっ、あの、いえ、あの、すみません……!」

 

 言われて、今さらながら思い出す。

 

 そういえば、翔蟲の練習中に叫んだ気がする。それも、かなり盛大に。

 

(ばか、私の、ばかっ。狩猟場でなくても、また油断してたじゃないか!)

 

 再びよみがえった自己嫌悪。少女が頭を抱えると、団子のような髪玉が形を崩す。

 

 なんとも間の抜けた様子を見ながら、老人は口の端を持ち上げて笑った。どこか、いたずら好きな子どものように。

 

「その様子なら、問題なさそうだ。こっちに来てるってことは、ハンターじゃないな。どれ、ここで知り合ったのもなにかの縁だ、ちょいと火をおこしてくれるかね」

 

「えっ、あの、あっ」

 

 勝手知ったるひとの家とばかり、老人は少女のキャンプへと入り込む。むっとした表情を前に、気にした様子も見せなかった。

 

 肌の感じは年老いているが、喋り方ははっきりとしていて、声の感じもまだ若々しい。身体を鍛えているのだろう、所作のひとつひとつにも、老いからくる鈍さは感じられない。

 

「そんな顔しなくても、ただで仕事させるわけじゃない。ほれ、ケルビの肉だ、ついさっきしとめたやつさね」

 

 そういって、老人が血のしたたるような生肉を差し出す。にかりと笑うその顔は、どこまでも得意げなものだ。表情だけなら、子どものそれにさえ見えてくる。

 

 見れば、やはりというべきか。老人が背負っているのは、ハンターの使う軽弩だった。

 

 使い込まれている金属製のフレームは、いぶし銀というのだろうか、円熟した雰囲気がある。老人のまとう雰囲気もまた、同様だ。

 

「この時期のケルビはな、つがいを探してる若いのが多いから良い。脂も乗ってるし、走り回るから赤身は歯ごたえがたまらんよ。じっくり遠火であぶると、表面の脂がパリパリになって旨味を閉じ込めてくれる。さっと塩を振ってかじると、そりゃあ、なあ?」

 

 しかも、とれたてだ。老人の解説を聞かされて、だめ押しのような言葉を付け加えられて、少女が勝てるはずもなかったのだ。

 

(……くそう、うまそうな肉じゃないか。仕方ねえ、ここは勝ちを譲ってやるぜ……)

 

 などと、負け惜しみを心の中でぼやきつつ。てきぱきとした手つきで、少女は薪を組み上げていった。

 

 

 

 ぱちぱちと音を立てて、火の粉が舞う。焚べた薪が炭になるまで、まだ時間はかかるだろう。

 

 夕暮れが訪れるころには、樹海の空気は冷えきって肌寒さを感じるほどだ。老人が毛皮を着込んでいる理由を、少女はあらためて感じていた。

 

「慣れてるじゃあないか、うまいもんだ。火種の作り方も、おじいさんに習ったのかい」

 

「まあ、あるていどは、かな。独学でやったのが多いよ」

 

「たいしたもんだ、調べようとするだけでも素質がある。人間ってのは、なまけものだからな」

 

 がははと笑う声は、大きい。

 

 今のやり取りのなにが楽しいのか、少女にはわからない。ただ、自分を見る老人の目は、どことなく祖父のそれに似ているような気がした。

 

 老人は、街に戻らず樹海で生活をしているらしい。この開けた場所も、お気に入りのスペースだと言っていた。ひとの庭に入り込んでしまったようで、なんだか、ばつが悪いように感じる。

 

 そんな少女の顔を見て、老人はまた笑うのだ。

 

「気にすることはないさ、俺の場所なんかじゃない」

 

 鉄串にケルビの肉を通していく手つきは、長年の熟練を感じさせた。下味と臭み消しのためだろう、生肉に香草を混ぜた塩をふって、老人は肉串を焚き火の周りに並べていく。

 

 少女はただ、肉が焼けていく光景を見ている。脂の匂いが漂い始めると、空腹感を思い出したように腹が小さく鳴った。

 

「お嬢ちゃん、なんだってこんなところに来た?」

 

 ふと、老人が問う。

 

 肉が焼けるまでの時間つぶしなのか、それとも、心を見透かされたのか。どちらとも判断がつかず、少女は言葉につまった。

 

 無言の少女を前に、老人は急かすこともなく上着のふところを探っている。紙巻きのたばこを引っ張り出すと、焚き火で焼いた木の枝を使って今日に紅を灯してみせた。

 

 ゆっくりと吸い込んで、紫煙を肺の中に取り込んでから吐き出す。独特のにおいは、祖父の愛飲していたそれとは違っていた。

 

「……俺は昔、軍属のハンターでなあ。いろいろあって、あの街の設営にも関わったんだ」

 

「えらいひと、だった?」

 

「さあ、どうだか。階級って意味じゃ、そこそこ偉かったかもな」

 

 この会話に意味があるのかと問われれば、老人は特にないと答えるだろう。少女もそれを感じ取っていたから、深く考えることもなく言葉を投げる。

 

「今は、どうしてここに?」

 

「引退さ、身体も、もう動かん。昔みたいな狩りも、できそうにない」

 

「……このあたりの生まれ、なんですか」

 

 いいやと、老人が答えた。

 

 少女が覚えた違和感を問いかけるよりも、焼けた肉串を差し出される方が少しだけ早い。食ってみろと言われて、拒むわけにもいかなかった。

 

(これが、とれたばかりの、ケルビの肉……)

 

 湯気を立てる肉は、顔を寄せるだけで熱気が伝わってくる。脂のにおいと、ハーブの香り。獣特有の臭みがうち消されて、食欲をそそった。

 

「どうだ、うまいか」

 

「うん、おいしい」

 

「そうだろうよ」

 

 言ってたばこを揉み潰し、老人も手近な肉串をつかむと白い歯を見せて焼けた肉へとかぶりついた。

 

 あごの力を見せつけるように、硬めの肉をざくりと食いちぎり、咀嚼する。肉汁でひげが汚れることも気にしない、豪快な食べ方だった。

 

 それからしばらくは、ふたりの間には咀嚼音だけ。差し出されたひと串を食べ終えるころには、少女が抱いていた老人への警戒心もすっかりと薄れていた。

 

(このひと、なにものなんだ……いや、引退したハンターか……)

 

 老人は、ふたつめの串に手を伸ばす。それから少女をちらりと見て、少しだけ黙ったあと、ふっと口元をゆるめて問うのだ。

 

「肉、食うかい」

 

「……いただきます」

 

 それが、きっかけになったのだろう。

 

 ぽつぽつと、少女もまた自分のことを老人に話し始める。祖父のこと、友人のこと、ドンドルマのこと、仕事のこと。

 

 重要な部分を話すほどに近くはない、けれども生まれや日常くらいなら話してもいい。そんな、あいまいな距離感だ。

 

 老人は少女の話に耳をかたむけて、時おり相槌を打つ。詮索するような質問はなく、そうかいそうかいと楽しげに笑うばかりだ。

 

 そんなだから、必然、会話の種は目減りする。鉄串を老人へ返すころには、また無言の時間が顔を出してくる。

 

「なあ、ドンドルマの」

 

 ふと、老人が変わった呼び名で少女に声をかける。

 

 少女は名前を教えていないことに気付くも、訂正するような雰囲気でもない。思えば、老人の名前だって聞いていないのだ。

 

 お互いに名前すら知らないまま、断片的な情報だけ。それでも気にならないのが、どこか不思議でもある。

 

「おまえさん、まじめな娘だな。ほかの誰がなにを言っても、ひとの言葉じゃ納得できない青いところがありそうだ」

 

 どきりと、心臓が跳ねた気がした。

 

 どこまで見えているのか、老人の目は真っ直ぐに少女を見つめている。引退したとは語っていたが、その眼光は現役だと感じさせるような力があった。

 

「だから、まあ、俺はあれこれとは言わんよ。おまえさんが答えを出すまで、応援はしてやる。こうして、一緒に火を囲んだ仲だしな。ただ、なんていうか、一個だけ忠告しておこう。老人との会話ってのは、そういうもんだろう?」

 

 こくりと、少女は首肯する。老人の言葉を肯定するというよりは、構わないと意思表示をするためだ。

 

「答えなんか、そうそう出せないぞ。俺だって、今でも出せてない。たぶん俺はもうすぐ死ぬが、死ぬまで答えは出ないだろう。それだけ難しいことだから、悩むってのも道理だがね」

 

 あまりに当然のように老人が話すから、少女もつい反応が遅れる。

 

「待って、もうすぐ、って」

 

「そこは大事なことじゃない。いいか、死ぬまで答えが出ないことなんて、たくさんある。おまえさんが覚悟しなきゃいけないのはそこだ、ドンドルマの」

 

 問い直そうとした言葉も、すぐに切って捨てられた。

 

 老いからの達観だとか、そういうものなのか。死期を受け入れている老人の様子に、悲壮なものはなにもない。まるで、それを恐れることがばかばかしいとばかり。

 

 自分のことなど気にせずに、目の前の名前も知らない少女のことを気にかけている。そんな老人の姿は、祖父とはまた違った形であるけれど、少女にとって頼もしいものに見える。

 

「おまえさんは、まじめな娘だ。ほんの少し楽しんで、すぐに思い出して気が沈んでる。まじめすぎるやつは、昔の部下にもいたからわかる。切り替えて遊べって言ったって、おまえさんたちにゃ難しいんだよな」

 

 ようく知っているんだと、老人は過去を懐かしむような表情で笑った。

 

 このひとは、どんな人生を歩んできたのだろう。少女の心に老人への興味が湧いたのは事実で、それを聞き出すほどの勇気が出せないのも、また事実だ。

 

 老人自身も、ついつい話が逸れて長くなるのを自覚しているのだろう。ひさしぶりに他人と話すから、楽しくて仕方がないのだと照れ笑いを浮かべている。

 

「がんばれとも、無理するなとも言わん。ただ、そうだな。抱えた悩みの答えなんかずっと見つからないかもしれないと、俺みたいな老人が警告しておこう。その上で、本当に心を軋ませてまで悩むものなのか、それを自分で決めるといい。……やれ、まったく。こういうのは、難しいな」

 

 今の話の答えだって見つからなかった気がすると、老人は肩をすくめてみせる。おどけた仕草は、きっと昔からやっているのだろう。やけに板についていて、どこまでも自然体のようだった。

 

「……ううん、ありがと。おじいさんの話も、きっと、なにかの参考になると思う。私は、この仕事の経験も、ひとり立ちの経験も、全然足りないから。いろんなひとの話、すごく、ためになる」

 

 三度笠のハンターも、この老人も、少女とはまるで異なる見方をする。きっと、祖父も、両親も、今までの依頼人も、食堂にいたハンターも、行商人も、あのハンターも、少女とはものの見方が違うのだろう。

 

 頭上を仰げば、いつの間にやら夜が来て、木々の切れ間から満天の星空が覗いている。どこまでも際限なく広がっていて、それこそ、ひとの考え方の数のよう。

 

「全然さ、答えなんて、見つけてない。納得だってしてないし、解決もしてない。でも、そうだよね。おじいさんが悩んでることだって、まだ解決してないんだ。私の悩みだって、すぐに解決するはずないんだ」

 

「誰だって、そんなものさ。誰かが答えをくれるわけでも、自然が答えをくれるわけでもない。自分の中でだましだまし、理由をつけるのがせいぜいだ。それで今日まで生きてきたが、この歳になったって気になってしょうがないから、困ったものだよなあ」

 

「そうだね。私もたぶん、ずっと引きずる。自然を舐めてたんじゃないかとか、もっと真剣にやってたら違ったんじゃないかとか、私の心構えが甘かったんじゃないかとか。いっつもさ、ぐるぐるしてるよ」

 

 けれど、今日のおかげで、少しは変わったかもしれない。

 

 最後の言葉は口にせず、胸の中に留めておく。言葉にするのは、なんだか照れくさかったからだ。

 

 答えが出なくても良いとは思わないし、そもそも少女はそんなふうに思えない。ただ、焦ってすぐに答えを出せるものではないと、そこをまずは受け入れられた気がしている。

 

 今日明日でどうなるものでもないのは、理解している。寝て起きたなら、きっとまた自己嫌悪に陥るのだろう。

 

 ただ、今はそこから少しだけ前に進む、きっかけよりもずっと小さな、手がかりめいたものを見た気がしている。

 

「引きずれ引きずれ、ずうっとな。年寄りがこれだけ答えを見つけ出せてないんだ、おまえさんみたいな小娘が解決できるはずもない」

 

「なにをう、絶対、先に答えを見つけてやるからな!」

 

「なあに、そのころにゃ、俺はもう死んでるから勝ち逃げよ」

 

 老人の笑い声は、相も変らず力強い。

 

 正体なんてたいそうなものではないが、老人の人生は結局なぞに包まれたままだ。故郷でもないこの辺境に、どうして骨を埋めようとしているのか。街ではなく、樹海に生きるのはなぜなのか。

 

 いつか、答えが出せたそのときは、報告に来てもいいかもしれない。そのときにまだ老人が健在であった、なら。

 

(そのときは、正体をあばいてやるからな……)

 

 そんな少女の内心を知るはずもなく、夜がふけると老人は自らの寝床へと帰っていった。なにかあったら助けに来ると、優しい言葉をひとつ残して。

 

 ひとり残されて感じるものは、うら寂しさと、静謐な空気だ。虫の声、獣の声、どこか遠くで竜の声。

 

 自然の子守唄を聞きながら、いつしか、少女の意識はまどろんでいく。どんな夢を見るのだろうと、考える余裕もないままに。

 

 前へ踏み出す、最初の一歩。その手がかりを、胸の内へそっと抱き締めたままに。

 

 少女がどんな道を歩むかは、また別の、おはなし──

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