光亡き影、皇帝と帝王   作:SLあーもんど

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これは、ボクがまだ行ったことのない場所の話。


プロローグ:墓標と写真

「ホントにここでいいのか?」

 

 1996年9月16日、少し傾き始めていた太陽が影を作る、中山レース場の正門前。スーツ姿の男一人と制服姿の少女二人が立っている。

 1人は面倒くさそうに、2人はとても嬉しそうに。

 

「決まっているだろう? 今日は君の初勝利祝いなんだから」

 

 そう左肩を叩くのはシンボリルドルフ。完璧超人だが着飾らない、勤勉で気さくな私の幼馴染、そして半身とも言える大親友だ。

 

「デビュー戦で勝てるのは一人だけなんだよ? もっと胸張らなきゃ!」

 

 右肩を握るのはトレーナー。白い髪に青い目がよく似合う、物静かで温厚だがどこか機械的で掴みどころのない雰囲気の天才だ。

 

「はいはい、撮ればいいんだろ撮れば」

 

 そして、そんな二人に囲まれているのが私、シリウスシンボリだった。

 

「今日の主役でーす。これでいいか?」

 

 私の諦めたように繰り出した『コメくいてー』のポーズに二人が笑う。

 トレーナーは数歩先に三脚を立てると、少し古びたポラロイドカメラを取り付け、淡々と準備を始めた。

 そんな骨董品を使わなくても、学園備品のデジカメを使えばいいじゃないか。

 そう口に出そうとして、聞こえてくるネジ巻きの音に混じる鼻歌に気づく。

 

「写真はね、景色が写っているだけじゃないんだ。時間が詰まっているんだよ。温度も、匂いも、気持ちも、その瞬間の全てが込められているんだ。だからなるだけ自然に撮らなくちゃ」

 

 飲みこんだ言葉の先で、フィルムを巻きながら白い三つ編みは静かに笑っていた。

 その間にも、ルナはだらりと垂れた私の左腕に右腕を絡ませ寄りかかってくる。

 きっと見張ってるんだろう。私が画角から逃げ出さないために。

 でも、私より数センチ低いその背は見上げないと私の赤い目を覗けないようで。

 

「そうか、君は大きくなっていたんだな」

 

 紫の布越しに伝わる赤い熱とゆっくりの脈動が、少しだけ心地よかった。

 

「困ったな、ピントが合わない……」

 

 トレーナーは相変わらず、ファインダーを覗きながらカチカチとダイヤルを弄っている。

 その顔は想定外が起こったのか、珍しくとても難しそうだ。

 

「私がやろうトレーナー君、君の方が背は高いしね」

 

 見かねたルナが腕を解き、数歩先で膝を立てるトレーナーに優しく寄っていく。

 相槌だけで位置を変わる阿吽の呼吸は、私と彼女の一年の差を可視化していて。

 そんな二人に少し妬いていると、今度は右腕にトレーナーの硬い腕が回される。

 急に顔が熱くなった。きっと頬は染まっているだろう。

 

「それじゃあ、二人とも笑って」

 

 ルナが手を振り合図を送る。腕に力がこもった。

 でも、お互い今はレンズを向いているから、きっと見えないよな。

 

「あっ」

 

 その時突然、ルナの泡を食ったような声が耳に入った。赤らめた顔が冷めていく。

 

「どうした?」

「どうしたの?」

 

 重なった声の先で、親友は震える手をカメラから離して一言。

 

「まずい、シャッターを10秒にしてしまった」

「あぁもう何やってんだよルドルフ! とりあえずこっち並べ! トレーナーも左に寄れ!」

 

 私は焦りと呆れで半々になった手首を揺らし、風を巻いて手を招く。

 その勢いで右肩に添えられたスーツを掴んで強引に引くと、ローファーとスリッポンがもつれて。

 

「え、こうかな?」

「トレーナー君そっちは右だ! あぁもういいシリウス、肩を貸せ!」

「は? 何言ってんだ第一今屈んでてうわっ‼」

 

 カシャリ、と音が鳴る。

 せわしない、その一瞬が切り取られる。

 

「なんで主役の私が一番窮屈そうなんだよ……」

 

 ジリリとゼンマイが回り、白い光沢紙が取り出される。

 中のインクが滲まないようそっと陽にかざし、やがて浮かび上がる飛び上がって転ぶ寸前の二人と押しつぶされそうな影を見ながら私は眉をひそめた。

 

「撮り直すかい……?」

 

 事件の張本人は少し申し訳なさそうに耳を垂らしていた。

 トレーナーは予備のフィルムを探して鞄とにらめっこをしていた。

 苦笑いと無の表情が私の背後に並んでいる。夏の終わりの空気が気まずい。

 

「……いや、このままでいい」

 

 けれど、私はその光景が何故だか嬉しくなって、手握られた真新しい写真に思わず頷いた。

 

 懐かしい、三人での思い出。

 

 

 * * * * *

 

 

 15年後、2011年10月4日。千葉は秋も暮れようとしていた。

 大通りの並木に辛うじて残っている葉は風が吹けばその役目を手放してしまいそうで、その隙間から差す光が、私が進む先に影を作る。

 私は成田空港からほど近いとある場所に向かっていた。北海道からはるばる全休を使っての遠出。

 その場所に近づく度に視覚は、聴覚は、嗅覚は思い出したくない懐かしさを思い出していく。

 やがて大通りを外れ、人工林に敷かれた片側一車線ほどの道を進むと、目的の地は姿を現した。

 

「鍵は……まぁ閉まってるか」

 

 新古典主義のギリシャ様式にも似た装飾が施された黒鋼の門は、今は酷く錆びつき現役時の輝きを失っている。

 その中央に掛けられた真新しい南京錠にカラビナから外した鍵を差し入れると、不快感を催す軋む音を立てて門が開く。

 

「何年経っても酷い有様だな、ここは」

 

 その先に広がっていたのは絡みつく蔦と焦げたレンガの外壁、焼け落ちた屋根と割れた窓ガラス。

 

「嫌な空気だ……」

 

 既に大火は消え、辺りは青臭い雑草の根城になっても尚、心の奥にはまたあの煤けた臭いが染みついている。

 その記憶を振り払うよう、醜草生い茂る荒れた敷地内を300mほど進み、中心部から少し外れた小高い丘を登ると、目的の代物が見えてきた。

 丘の頂上にそびえ立つ、一本の大欅の下。

 

「相変わらず、皇帝サマにお似合いのでかい墓だな……」

 

 ここはシンボリ家の屋敷跡、私とこの世でただ一人の親友が生まれ育った場所。

 そして、稀代の皇帝7冠ウマ娘・シンボリルドルフとその活躍を支えたトレーナー、二人が眠る土地だ。

 

「アンタらがいなくなってから、今日で丸5年か。早いもんだな、時間が経つのは……」

 

 喪った時の重さを肌で感じながら、まずは親友の墓へと手を合わせた。

 

 〈〝We miss you. Symbori Rudolf 1981-2006 〟〉

 

 そう記された墓標に向けた掌の間には秋の冷たさが吹き込み、生き続ける手の熱を否が応でも感じさせられる。

 

「ようルナ、元気にしてたか? 私は半年前に三十路の仲間入りだよ。まったく、人間歳だけは取りたくないもんだな」

 

 もう二度と歳を重ねることのない彼女に語りかける。

 蠟燭に火をつける前にも関わらず香炉は暖かく、中ほどまで灰化した線香からはまだ煙が立っている。

 既に先客がいたのだろう。墓がある区画以外は権利関係が曖昧で放置されているにも関わらず、墓石の周辺は草が刈られ開けた状態を維持していた。

 献花台には色とりどりのシオンの花が活けられ、咥え葉が一本添えてある。

 

「女帝と怪物か、愛されてんな」

 

 そう呟きながら、隣に建てられた彼女のものより一回り小さい彼の墓に祈りを捧げた。

 

 〈〝Rest in peace, my friend. Yukizaki Ogami 1972-2006〟〉

 

 しゃがみながら墓標に刻まれた文字列を指の腹でなぞり、そこについた砂埃に気づくとそれをため息ではらう。

 

「ようトレーナー、会いたかったぜ。ほら、島根の酒だ。アンタ飲みたがってだろ?」

 

 鞄の中から「七冠バ」とラベリングされた桐箱を取り出し、心なしか向こうより供物の少ない彼の献花台に差し出す。

 翡翠色の硝子瓶に揺れるアルコールが、忘れ去られていく6年間の移り変わりを溶かしていた。

 

「また、こうしてアンタと二人きりになりたかったよ」

 

 二度と戻らない時間に、叶わない願いに思いを馳せながら、午前11時の乾いた空を見上げる。

 雲はまだ分厚く、陽の光は私を拒むようだ。

 

「ルナ、トレーナー……アンタらにはどう見える? アンタらが遺した、この世界は……」

 

 決して返ってはこないその答えを探して、胸ポケットから写真を取り出す。

 私がメイクデビューを勝利を飾った時、記念にと二人に撮られた写真だ。

 

 まだレースの疲労が残る私に腕を回してくるルナ

 転びそうになる私を穏やかに見つめるトレーナー

 

 写真の中の二人は、まるで自分のことのように無邪気に笑っていた。

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