生徒会率いる野球部との球技大会決勝戦が幕を開けた。
……といっても俺はあくまでも生徒会側の人間であるため、この戦いにはあまり身が入らなかったりする。何が悲しくて自分の味方と戦い合わなきゃならんのだ、という訳である。
しかしまぁ、球技大会開始前に契約を結んでしまってるんで、今回ばかりは生徒会に牙を剥かなければなるまい。やだなぁ、絶対に後で文句言われるだろうから参加したくないなぁ。
そんな気持ちの俺になど構わず、我らが日向チームの面々はいつも通りにベンチ前で円陣を組む。
「相手は野球部のレギュラーだが、俺達なら負けねぇ、大丈夫だ!」
「人数では負けてますけどね!」
「テメェこの野郎クソピンク!」
「いだだだだだだ! 肩が外れちゃいます、ホームランが打てなくなっちゃいますぅぅぅぅっ!」
「お前そもそも前の試合じゃあノーヒットだっただろうがッ!」
……相変わらず仲良いなぁ、この二人。
今から勝てる要素がかなり低い試合に臨むってのに、この二人ときたらいつも通りに振舞えるんだもんなぁ。その図太い神経だけは見習うべきなんだろうが……この二人を見習うのか。嫌だなぁ。コイツ等バカだし。
―――暖人! あたしのプリン食べたなぁっ!?
―――ちょっ!? キレながらカッターナイフ振り被んな!
「っ」
突然頭の中にフラッシュバックした過去の思い出に、俺は軽い頭痛を覚える。俺がまだゆりの味方でいた頃の記憶が、こんな場面で何故か思い出されてしまっていた。
……いや、『何故か』などと誤魔化す気はねえ。今、俺は、目の前ではしゃぐ日向とユイを見て、かつての自分とゆりを思い出しちまったんだ。自分で望んで捨てた過去に、今更になって執着しようとしていたんだ。
本当、思ってた通りに最低だな、俺って。
本当、思った通りに行かねえもんだな、裏切りって。
最愛の味方を裏切って敵側へと寝返ったんだから、もう少し裏切り者らしく振舞うべき――そう、頭では分かっているはずなのに、どうしてもその一線を越えられない。
ゆりとの繋がりを、SSSとの関わりを、俺はまだ捨てきれない。
事情を知らねえ奴がこれを聞いたら、「裏切る意味なんてあんの?」と疑問を抱くことだろう。それは流石に自覚してるから怒りなんて覚えねえ。俺のこの行為に、ちゃんとした理由なんてものは存在しない。
ただ、ゆりとの距離を開けるべきだと思った。
ただ、ゆりの傍に居てはいけないと判断した。
ただ、それだけの事なんだ。
「よーっし、それじゃあ最終確認な」
「うぅ……ひなっちセンパイに穢されたぁ……」
「お前、次ふざけたら金属バットで顔面打ん殴るからな?」
「試合前の最終ミーティングですね? よーっしどんとこーい!」
物思いに耽る俺を他所に、我がチームの作戦会議は進んでいく。
「守備位置は今まで通りを継続だ。打順も言わずもがなだな。相手ピッチャーは初っ端から全力では来ないだろうが、油断だけはしないでほしい。野球ってのは他のスポーツと違って実力差を埋めるのは極めて難しいスポーツだが、油断さえしなけりゃ最悪の事態だけは回避できる」
「センパイセンパイ! あたしの守備位置ってどこでしたっけっ?」
「お前はファーストだいい加減に覚えろやぁあああああああああッ!」
「まさかのジャーマンスープレッ――――ぐぎゅっ!?」
カンカンカーン! とどこかでゴングが鳴った気がした。
さて、ネガティブモードはここまでだ。こんな状態の俺は自分で言うのもなんだが、春野暖人らしくねえ。俺は捻くれ者で天邪鬼で斜に構えてて人を小馬鹿にすることに生き甲斐を感じる最低な奴だ、オーケー?
……よし、オーケーオーケー。切り替え修了、体調万全。これでいつでも本気を出せる。
「まったくこのバカは……」
「まぁ、こういう時に場を盛り上げてくれる存在は必要だと思う。だからまぁ、そんなに怒ってやるなよ」
「音無は優しすぎるんだよ……」
日向はガシガシと頭を掻く。
「っしゃ! そんじゃ、この絶望的劣勢を跳ね除けて、ゆりっぺと天使たちに一泡吹かせてやろうぜ!」
『『おーっ!』』
さぁ、いよいよプレイボールだ。
☆☆☆
《日向チーム、試合が始まりました》
「いよいよね……」
死んだ世界戦線本部である元校長室の窓枠に腰かけ、あたしは遊佐さんに通信機越しにそんな呟きを返した。あたしが見ているのは運動場で、そこでは今まさに日向くん率いる戦線チームと生徒会率いる野球部レギュラーとの野球勝負が始まったところだった。
先攻は、我らが戦線チーム。どうやら打順に変更はないようで、一番打者は引き続き音無くんが引き受けている。彼は記憶喪失をものともしないぐらいのスペックの高さを誇っているため、今回の試合のキーマンとなるのはまず間違いはないだろう。
双眼鏡で音無くんをズームし、試合を見守る。ベンチでは日向くんとユイが騒がしい応援を行っていて、その傍では暖人が見慣れない女の子と楽しそうに話して、い……た……?
「な、何者なのかしら、あのロリっ娘は……ッ!?」
ベギィッ、と双眼鏡が悲鳴を上げる。それは急激に増加したあたしの握力が原因で、今も力を加えられている双眼鏡はあたしの手が触れているところから一気に凹み始めていた。いかんいかん、冷静にならねば。こんなつまらない事で心を乱すなんて、リーダーとして情けない。
一命を取り留めた双眼鏡を再び目の前にセットし、試合の様子を窺う。
「打った……!」
相手ピッチャーの球を音無くんは正確にミートし、悠々と一塁へ出塁した。アウトにはならないとは思っていたけど、まさか野球部相手でもヒットを打てるとは……彼、本当に生前は何をしていたのかしら? 日向くんと同じ野球部だったとかいうオチだったら意外と笑えるのだけど。
音無くんの出塁が味方側に火を点けたのか、その後に日向くんと椎名さんが続く形で出塁。ノーアウト満塁になったところで野田くんが打席に立ち、鋭いストレートを余裕気な様子でホームランボールへと変貌させた。……あの子もスペックだけは高いんだけどねぇ。肝心の頭が残念だから……。
残念な野田くんに残念な気持ちを覚えていると、ついにあの男が打席に立った。
あたしを、死んだ世界戦線を裏切る形で生徒会へと入った、あの男。
春野暖人が、遂に打席に立ったのだ。
「……暖人」
思わず零れ出た呟きに、軽い頭痛を覚えてしまう。
あいつは敵だと分かっているのに、倒すべき天使の配下になってしまっていると分かっているのに、どうしても彼を敵視する事が出来ない。
頭では分かってる。今のあたしが間違っていることぐらい、頭では分かってる。―――だけど、どうしても心の方がそれを拒否する。
彼と過ごした掛け替えのない時間が、彼を突き離すための一線を越える勇気を抑え込んでしまっている。
「……あの頃に、戻れたら」
そう思ったのなんて、十回や二十回では済まない。彼と敵対したあの日から、ずっとずっと思っている。
あの頃は、死んだ世界戦線が結成される前までは、暖人と共に過ごせていたのに。日向君たちと出会うまでの間、暖人がいたから寂しくなかったのに。
あたしはみんなのリーダーだから、いつも強く気高くなければならない。
だけど、暖人の前だけでは、いつもの自分で――本当の仲村ゆりでいられた。暖人だからこそ、あたしは仲村ゆりという存在を歪ませることなく保てている。
「だけど、今更どうしようもない、か……」
動いてしまった針は戻らないし、終わってしまった過去は戻ってこない。それは暖人と過ごした時間も例外ではなく、死ぬ前に過ごした報われない人生も同様だ。
……本当、今日はらしくないな、あたし。いつも通りの『ゆりっぺ』でいなくちゃいけないのに、暖人のせいで『仲村ゆり』の方が表に出てしまう。敵になってもあたしを振り回す、あいつが憎くて仕方がない。
でも、不思議と暖人を嫌いにはなれない。
あいつを憎んでいた。
あいつに文句を重ねたこともある。
あいつへ罵倒を飛ばしたことだってある。
あいつが気絶するまで殴った事なんて言うまでもない。
だけど、だけど―――春野暖人を嫌う事は、いつになっても出来やしなかった。
それはきっと、あいつと過ごした時間が、あたしの中で大切になりすぎているからだと思う。報われない人生を送ってきたあたしの荒んでいた心を和らげ、短気なあたしの怒りを一心に受け止めてくれていた春野暖人という存在が、あたしの中で尋常じゃないぐらいに大きくなってしまっているからだと思う。
トクン、と心臓が鼓動を刻む。
ズキン、と胸が激しく痛む。
それが一体どういう気持ちから生じるものであるかなど、あたしはとうに知っている。春野暖人にあたしがどういう気持ちを抱いているのかぐらい、あたしが一番分かっている。
だけど、あたしはそれを認めないし受け入れない。
ここでその気持ちを認めてしまったら―――もう、みんなのリーダーではいられなくなってしまうと分かっているから。
ぽたっ、と太腿に落ちたのは、あたしの涙かそれとも雨か。
ムカつくぐらいに晴れ渡った空の下であたしの足を濡らしていく水滴が、あたしの心の奥の感情を外へ外へと押し出していく。このままでは、感情の波が堰き止められなくなってしまう。
「試合に、集中しないと……みんなの頑張りを、見てないと……」
だってあたしはリーダーなのだ。みんなの頑張りを見届けられないリーダーなんて、そんなの、リーダーとは言えないじゃない。
しかし、謎の液体で潤んでしまったあたしの視界は、試合の様子が分からない程に歪んで濁ってしまっている。悪い視界が、暖人のせいで塞がれた視界が、あたしの努力を水の泡にしようとする。
ああ、もう、ダメだ。
これ以上は、堰き止めていられない――!
「っ、ぅ……!」
窓枠の上で膝を抱えて、あたしは身体と足の間に顔を埋める。こんな顔を戦線の誰かに見られるわけにはいかないと、あたしは必死で声と涙を押し殺す。
わーわーと、運動場が盛り上がりを見せている。
しかし、その傍ら。
みんなが汗水垂らして頑張っている中。
あたしは、仲村ゆりは、ゆりっぺは―――
「戦線に戻ってきなさいよ、暖人ぉ……っ!」
―――迷子になった子供の様に、泣きじゃくるしかなくなっていた。
☆☆☆
試合は終わった。
決められた筋書き通りに、球技大会の決勝戦は終了した。
球技大会を制した生徒会チームは打ち上げをすることも無くそれぞれの学生寮へと戻り、コメディ風に敗北した戦線メンバーも生徒会チームと同じく寮に戻って就寝していた。
そんな、夜の出来事である。
誰もいなくなった学校の、闇夜の中の屋上での出来事である。
誰もいないはずの屋上に、二人の少年少女の姿があった。
春野暖人と仲村ゆり。
しかし、彼らは別に一緒にいるわけではない。屋上の柵に寄りかかったゆりを、屋上へと来たばかりの暖人が発見した――という状況なのだ。
月の光に照らされるゆりに歩み寄り、暖人は彼女に触れることなく声をかける。
「よーっす、ゆり。こんな所でなーにらしくねえことやってんだ?」
「あんたこそ、生徒会役員の癖に校則破りなんてふざけてるんじゃない?」
「ばーか。校則は破る為にあるんだっての」
「フフッ。それは言えてるわね」
柵の上で腕組みして立っているゆりの隣で、暖人は柵に背中を預ける。
「んで? こんな所で何やってるわけ? 次なる悪事の考案中か?」
「……どうなのかしらね」
「あン?」
「自分でも、よく分からないわ」
そう言って、ゆりは悲しそうに笑った。
寂しそうに、ゆりは笑った。
それは微かな違和感でしかなかったが、彼女との付き合いが長い暖人はすぐに気づけた。
だからこそ、暖人は彼女にこう言った。
ゆりの心に傷を負わせた加害者である癖に、暖人は彼女にこう言った。
「あんまり、気ィ張んなよ。いざとなったら俺も手回しぐれえはやってやるからよ」
「……本当、あなたは悪役には向いてないわね」
「どういう意味だコラ」
ムスッとする暖人に、ゆりはクスッと小さく笑う。
暖人は照れ隠しにと乱暴にゆりの頭を撫で、扉の方へと歩き始める。
「んじゃ、俺はもう寝る。美容のためにもあんまり夜更かしすんじゃねえぞ?」
「余計なお世話よっ!」
うがー! と咆えるゆりから逃げるように、暖人は屋上を後にした。途中で階段から誰かが転げ落ちるような音が聞こえたが、別に気にするような事でもあるまい。むしろざまあみろだ。ざまあみろ!
緩く吹く夜風を感じながら、ゆりは夜空に浮かぶ月を見上げる。
「そういえば、あたしと暖人が出会ったのも、この屋上だったっけ……」
その呟きが溶けて消える頃には、屋上からゆりの姿は消えていた。
同じ出入り口を通って同じ階段を下りた二人だが、彼らの道は交わる事はあれど重なる事は有り得ない。
かつては同じ道を歩んでいた二人に何があったのか。
それは、ゆりと暖人しか知らない楽しくも悲しい物語である。
これから紡がれるのは、彼と彼女の始まりの話。
春野暖人と仲村ゆりの出会いを紐解く、悲しくも浅ましい青春の物語である―――。
次回予告
「ここは……?」
「よーっす、ちゃんと生きてっかー?」
「きゃぁあああああーっ!?」
「ちょっ、分かった分かった! 謝るから拳を降ろせ!」
「偉そうに言うな! 殴るわよ!?」
Episode6―――Process of Betrayal
「自分の人生ぐれえ大事に思ってやれよ、この大馬鹿野郎!」