目を覚ましたのは、ムカつくぐらいに晴れ渡った空の下だった。
人気のない屋上で昼寝をしていた俺は寝ぼけ眼を手で擦りながら、ぐぐーっと身体を上へと伸ばす。固い床の上で寝ていた事で固まっていた身体が良い感じに解れ、俺の口からは小さな吐息が零れていた。
今、この校舎では、多くの高校生達がちょうど授業を受けているところだ。普通の授業に普通の教師、更には普通の学生という普通のオンパレードが、今まさにこの学校の中で根付いている。
それは当たり前のようでいて、実はとんでもなく非現実な状況だ。
何故なら、俺は死んだ人間であるから。
何故なら、ここは死後の世界であるから。
この世界の事はあのクールビューティな生徒会長から聞かされただけだからまだよく分かってねえが、ここは報われない人生を送ってきたせいで青春を謳歌できなかった少年少女が迷い込んでくる世界、であるらしい。その年齢層は十五歳から十八歳――つまりは高校生に分類される年代だ。そんな青春ど真ん中で死んじまった奴らが成仏する前にやって来る世界――それがここ、死後の世界であるらしい。
それは俺も例外ではなく、例に漏れずに俺にも報われない人生とやらの記憶が確かに残っている。あえて人に話そうだなんてことは絶対に思わねえような、残酷で悲惨で凄惨な過去の記憶が、こんな俺にも一応は存在している。
神を恨んでいたかと質問されりゃあ、数秒足らずで首を縦に振る自信がある。あんな人生を強いられて、神を恨まねえ訳がねえ。……まぁ、他に恨むものが無かったってのもあるんだけどな。
しいて言うなら、環境と状況が悪かった。運命なんてものは信じちゃいねえが、あの不幸さはもはや神憑り的としか言い表せねえぐらいだったとは思ってる。今となってはただの思い出話なあたり、今の自分が置かれている異常な状況が笑えてくる。
と。
ぼーっと空を見上げていると、校舎内からチャイムの音が響き渡って来た。これはアレだ。えーっと……そうそう、五時限目終了を知らせるのチャイムだ。最近ずっと寝てばっかだから時間の流れがよく分かんなくなってきてんな……。
「……とりあえず、パンでも買うか」
起き上がりながら放った俺のその呟きは、腹の虫の大合唱によって完全に打ち消された。
☆☆☆
昼休みの校舎ほど人気のないものはない。
それは生徒のほとんどが大食堂へと移動してしまう事が原因だ。この学校の食堂は全校生徒全員の数よりも多く座席が用意されているため、食事エリア確保合戦が繰り広げられる心配がない。俺が生きてた世界にもそれぐらいの大きさの食堂がありゃあみんな幸せになれたのかもしれんね。……いや、やっぱそれはねえわ。食堂ぐらいで幸せになってたまるかよ。
「ふあぁぁ……あーダメだ、まだ寝足りねえ……」
購買で確保したお好み焼きパンをもしゃもしゃと食しながらも止まらない欠伸に、俺は逆らう事無く大口を開けて目尻に涙を浮かべる。睡眠不足の時に眠いのは当たり前だが、睡眠過剰の時にも眠気が来ちまうのは一体どういう理屈なんだろうか。身体が「まだ眠りたいー!」とか言って駄々でもこねてるんかな?
あんまり大きさはないお好み焼きパンをごっくんと飲み込み、覇気のない目を浮かべながら昼休みの学校を徘徊する。ただでさえ悪い目つきがストレスと眠気のせいでもはや魔王のようになってしまっているが、今更気にしたところでなぁ……別に不細工になっちまってるわけじゃねえから、あんまり問題でもねえしなぁ。
だらしなく着崩した制服を揺らしながら、中庭へと移動。そこのベンチが俺の特等席なわけだが、本日は不幸な事に先客がいるようだった。
「ん、ぅ……」
その先客は、リボン付カチューシャと肩の辺りまでの長さの髪が特徴の少女だった。
学校指定の制服の上からでも分かるぐらいにスタイルが良く、中々の大きさで尚且つ整った形の胸は寝息と共に脹れあがったり縮んだりを繰り返している。短いスカートから伸びる足は程よい筋肉でバランスが取れていて、しかもモデルのように長くてしなやかだ。極めつけは彼女の顔立ちなのだが、何というか、その……死ぬ前の記憶に残っているアイドルの誰よりも可愛い顔をしていた。というか、こんな美少女を見たのって普通に初めてなんだけど。綺麗過ぎてウケるんですけどー、ってギャル風な口調になっちまうぐれえには感激できるレベルです。
そんな大絶賛するしかない外見の少女が、俺の特等席で絶賛爆睡中というこの状況。これがエロ同人誌とかエロゲーだったら眠っている彼女にエロい事をするんだろうが、俺はそんな無駄な事はしない。っつーか、こんな人目につき過ぎる場所で睡眠姦とかできませんから。
「すー……すー……」
「…………」
……それにしても、随分と幸せそうな寝顔だな。まるで昼寝中の子供のようだと評価できるが、流石にそんな事を言われて嬉しがるような歳でもなさそうだしなぁ。見た目的には俺と同年齢っぽいが……果たしてその真相は如何ほどなのか。
ここまで幸せそう且つ暢気に眠られてると、悪戯をしたくなってくるのは男としての性なのか。さっき睡眠姦を否定したばっかだってのに、俺という奴は本当に正直な奴だ。
そういう訳なので、ここは本能に正直になる事にしよう。
ぶにっ、と女子生徒の頬を人差し指で突いてみる。
「みゅ……」
ゾクゾクゥッ、と背筋が痒くなる自分が爆誕。
しかし、構わずに次は少女の胸を揉んでみる。
「んっ……」
ああやばい、なんかこんな所で人生初の経験をしちゃってる自分がいる。まぁ死んでるけど。
というか、こんな所で美少女の胸を揉んでいる俺って、傍から見たら凄ぇ変態なんじゃねえだろうか。しかも相手は眠ってるから、罪はさらに重くなると思われる。
結論。
このままだと俺の社会的地位が危ない気がする件。
「名残惜しいが、この辺でおさらばすっかな」
ああ、凄く名残惜しい。まだもうちょっとだけでもいいからこの時間を楽しんでいたい。女子の胸を揉むチャンスとかもう他にはないんだし、今のこの貴重な体験をできるだけ長くする方に集中した方が良いような気がする。……い、いや、冷静になるんだ春野暖人! 流石にこれ以上はやべえって! 女子の胸を揉み始抱くなんて所業、さっさとやめるべきなんだって!
血の涙を流すぐらいの気持ちで自分を抑え込み、少女の胸から手を離――
「ん、んぅ……ん? え? へ?」
「あ」
――なんかバッチリ目が合った。
パチパチ、と何度も瞬きを繰り返す少女。自分が置かれている状況が全く呑み込めていないようで、俺の目を真っ直ぐと見つめているのみだ。出来ればこのまま二度寝して欲しいんだが、流石にその希望は叶えられそうにない。
だらだらだら、と大量の冷や汗が背中を流れるのを自覚している俺に、覚醒したばかりの少女は言う。
「ここは……?」
よーっしまだ完全に起きちゃいねえな! 今はこのチャンスという名のビッグウェーブに乗るしかない!
出来るだけ冷静に、どもらずに、焦らずに、この状況を打破するんだ!
「よ、よーっす、ちゃんと生きてっかー?」
どこかぎこちない俺を少女はじーっと見つめ――
「…………き」
「き?」
「きゃぁあああああーっ!?」
「ぐぼぉおぇっ!?」
―――渾身の右ストレートが俺の顔面にクリーンヒットした。
しかもそれだけでは飽き足らず、少女は俺の顔面に何度も何度も拳を打ち込んでいく。抉り込むように打つべし! というどこぞのとっつぁんの声が脳内で響き渡るぐらいの威力を誇るその右ストレートは、確実に着実に俺の意識を刈り取ろうと数秒ごとに威力を増している。―――って、このままじゃ流石にヤベェ!
俺は少女の拳を両手で抑えつけ、腹の底から叫びを上げる。
「ちょっ、分かった分かった! 謝るから拳を降ろせ!」
「死ね! 惨たらしく死ね! インド象に潰されて死ねぇっ!」
「なんか妙に斬新な死因提示された! でもちょっと面白い!」
「偉そうに言うな! 殴るわよ!?」
「今のどこに偉そうな要素が!?」
「『ちょっと』って言ったじゃない! 偉そうに批評するな!」
「そこぉ!?」
なんか、凄く感性がずれた女だった。こんな女の胸を揉んだ過去の自分を全力でぶん殴ってやりたいが、今は現在進行形で凄い勢いで殴られそうになってるからそれについては保留にしておこう。まずは自分の安全を確保。いいね?
うがー! と獣のように暴れ回り怒り狂う少女をなんとか押さえつける。
「離せ! あたしに乱暴する気なんでしょう? エロ同人みたいに!」
「なんかテンプレみたいなセリフ吐かれたッ!? しかし残念、お前なんかにゃ乱暴しねえよ!」
「それがあたしの胸を揉みしだいた奴の台詞かぁああああああああっ!」
「事実過ぎて否定できねえ!」
くぅっ! これが図星ってやつか!
「えーい、いいから離しなさい! 別に殴ったりしないから!」
「ぶげっ! な、殴ってる殴ってる! そう言いながらもお前の拳は俺を確実に捉えてる!」
「若気の至りよ」
「お前の若気はとんだ乱暴者だなオイィィッ!」
最早ただの漫才だった。不毛な会話を現実に爆誕させたらこんな感じにあるんじゃねえか、ってぐらいに訳の分からない言い争いだった。
というか、このままこの不毛なやり取りを続けていたら教師共が来ちまうかもしれん。それは俺にとってはかなーり嫌な展開なので、すぐにこの騒ぎを収集させなければならない。どうする? どうやってこの場を切り抜ける……ッ?
と、数秒ほど頭を働かせた俺に、たった一つの打開策が舞い降りた。それは何というか、その――凄くバイオレンスな手段だが、この状況を打破する手段としては最も現実的な打開策だった。
故に、俺はその打開策を実行に移す。
緊張に顔を引き攣らせながらも、俺は暴れまわる少女を抑え込んでいた手を彼女の首へと回し―――
「後で謝る! だから今はちょっと眠ってろ!」
「うきゅっ!? ぐ、ぐぎぎぎぎ…………きゅぅ」
―――ぶくぶくぶく、と大量の泡を吐きながら、少女の意識が天に召された。
がくん、と人形のように崩れ落ちた少女をすぐさま抱え上げた俺は周囲に人がいない事を確認し、すたこらさっさと盗賊の様に人気のない所へと走るのだった。
そう。
俺が目指すはこの校舎内で最も人気のないエリア。
「屋上なら見られずに済むよな……?」
その呟きは空気へと溶け消え、代わりに忙しない靴音だけが響き渡った。
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