マリのピアノが鳴り響く。
ずっと近くで聞いていたようで、久しぶりに聞いたようにも感じる不思議な音色だった。永遠に聞いていたいがここでずっと突っ立っている訳にもいかない。
ヴァイオリンを構え、不慣れな手つきではあるがマリの演奏に合わせ始める。
「がんばれ…!さにー…っ!!」
小さな声が聞こえてくる。小さく目を開けると最前列に座っているケルが大きく手を振っていた。すぐに両隣に座っているヒロとオーブリーに止められて口を抑えたが、それでも此方をじっと見つめて僕を応援してくれている。
涙が一筋頬を伝って地面に零れていく。それと同時に腕に入っていた力が抜けていった。
「…あれ、サニー泣いてないか…?」
オーブリー、まだ髪が黒色のままだ。ヒロも前見た時よりもずっと小さいな。ケルはまだ僕と同じくらいの身長だ、ほんの数年で随分追い抜かされちゃったからな。そしてバジル、バジルは本当に嬉しそうな表情で僕たちの演奏を聞いていた。
ぽたり、ぽたりと涙が地面に零れていった。その度に緊張で硬くなっていた音色が柔らかく優しいものになっていく。
「んー…遠くて見えないよ…」
「いや絶対泣いてるって…!!大丈夫かなぁ…?」
皆ごめんね、ごめんね、本当にごめんね。
「…いや、まあ…でも…サニーの演奏、前聞いた時よりも…うまくなってるかも…」
「あ、私もそれちょっと思った…」
「二人とも、感想は演奏が終わった後でな」
「「はーい…」」
まるで小川のせせらぎのような透き通っている音が溢れてくる。最後に現実で演奏したのはずっと昔のことなのに。体が覚えているんだ。
涙はそれでも止まらず、僕の服やヴァイオリンを濡らしていく。それでも手を止めなかった。この演奏は例え両手を切られても続けなければいけない。
「はぁ…はぁ…」
ほんの一瞬だった。一呼吸終えると演奏は終わっていた。
会場からは大きな拍手が鳴り響き、僕の隣にはマリが立っていた。そして眩い笑顔で僕の頭をわしゃわしゃ撫でた。服の袖で涙を拭った僕は、なんとか口の周りの筋肉を動かして笑顔を浮かべた。
―――― ―――― ―――― ――――
「サニー!さっきの演奏すごかったぞっ!!」
楽屋の扉を開くとケルが飛び込んできた。咄嗟にそれを受け止めながらも、小さなケルを見て自然と頬が緩む。
「サニー君、きっといっぱい練習してたんだよね、プロもびっくりの演奏だったよ…!」
続いてバジルがカメラを首からぶら下げて現れる。
「なにぃ?それじゃあ私の演奏は普通だったってぇ?」
「あっ!いやそんなことないっていうかっ、勿論マリちゃんのピアノもすごかったよっ!」
頬を膨らませるマリに対してバジルがたじろぐ。バジルが数歩後退りすると背後からヒロが現れた。
「マリの演奏も最高だったよ、今日のために毎日練習してたもんな」
「むー…ありがと…」
そうだ、マリは毎日ピアノ部屋に入って練習していた。
最初は好きだったあの音色も、何故だかどんどんどんよりとした鈍い音になっていたのを覚えている。僕はマリが求めるような音を出せず、責められ、自分が嫌になり、ヴァイオリンが嫌いになっていった。
「う、ぐ、…ッ…」
それであの夜、僕はヴァイオリンを、階段から、下に…
「サニー君っ!!」
「サニーどうした…っ!?」
「サニー!」
その場に膝をついてしまう、ふいに顔を挙げるとそこには駆け寄ってきたオーブリーの顔があった。
「サニー君大丈夫…?」
「や、やっぱり今日は休んでた方がよかったのかな…」
「マリ、どういうことだ?」
「昨日の夜、実はサニーが廊下で吐いちゃって…休むように言ったんだけど、どうしても出たいっていうから」
僕はオーブリーの肩に手を添えると力を貸してもらいながらなんとかその場に立ち上がった。
「ちょっとフラついただけだよ、もう大丈夫、昨日は腐ったステーキを食べたせいで吐いちゃっただけなんだ」
「腐ったステーキ?おっちょこちょいだなーお前って」
「ケルだってこの前チョコと間違えて炭かじろうとしてたじゃない!」
「あ!それ内緒だって言っただろ!」
二人が喧嘩しようとするのをヒロが止める。マリはそんな3人を楽しそうに見つめていた。
「…サニー君、実はさっき君の写真を撮ったんだ…でもこれはアルバムじゃなくてサニー君にあげるね?」
「?」
静かに近づいてきたバジルが一枚の写真を見せる。
マリと僕の映った写真だ。僕は泣いていた。すごく恥ずかしいけど、それでもものすごくうれしい。こんな写真を見ることができるなんて、あんまりにも幸せだった。
「バジル」
「ん?」
「ありがとう」
写真を受け取り、僕はそれをポケットにしまった。