「朝だっ! 朝ですよ師匠」
「朝っぱらから元気ね……」
目をこすりながら、呆れた表情を見せてくる師匠。眠たそうな様子で椅子に座っている。
「それはそうですよ! 厄介事は昨日済ませたので、今日から本格的に受験勉強が出来るのですから」
「あっそ。……それにしても、尻尾がすごく揺れてるわね。嬉しいのかしら?」
「はい! ……あっ!」
師匠に言われて初めて気づく。オレの尻尾は左右にブンブンと勢いよく振られていた。……恥ずかしい。自分は狼ではなく、人間。尻尾で感情表現なんてしてはいけない。なので、尻尾の動きを止めて気持ちを落ち着かせる。
「ふぅ。厄介な物です、尻尾は。……それはともかく、早速必要な教材を揃えに行きたいと思います。行ってきます、師匠」
勉強するための道具をそろえるため、外へ出かけようとした。ところが、師匠が慌ててオレを呼び止める。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
「はい? どうしました、師匠?」
「いや、あの、その……」
珍しく歯切れの悪い口調でモゴモゴしている。一体、何を言おうとしたのだろう。しばらく待っていると、ようやく師匠が口を開いた。
「……私もついていくわ」
師匠の口から出てきた言葉は、意外なものだった。てっきり、また留守番するものだと思っていたからだ。
「師匠が来てくれるのは嬉しいです。……嬉しいんですが、どういう風の吹き回しですか? 昨日は断ってたじゃないですか」
気になった事を師匠に聞いてみる。普段からお出かけの誘いを断ってくるほどめったに外に出たがらない師匠が、どうしてオレのお買い物を手伝ってくれるのだろうか。
「こんな朝早くから外を出歩いている人は少ないわ。それに……」
「それに?」
聞き返すと、師匠は顔を赤らめながら頬を膨らませた。
「……なんでもないわ。とにかく行きましょ?」
師匠はスタスタと部屋から出て行ってしまった。なんだったんだろうか? まあ、とりあえず追いかけよう。師匠の後を追って部屋を出る。すると、師匠はすぐに部屋の中へ戻っていった。……あ。そういえば、まだ師匠は着替えていなかったな。
今の師匠は、無防備なパジャマ姿。ヒラヒラの可愛らしいピンク色の服に身を包んでいる。そのせいか、普段よりも可愛らしく見える。当然その姿で外を出歩くわけにはいかないので、すぐに着替え始める。
ちなみに、今のオレの服装はブレザー制服である。正確に言うと、ブレザー制服をファンタジー風にアレンジした衣装だ。狼少女に変身した時に、ついでに服も変化させたのだ。これから受験生になるのだから、学生らしい格好で行こうと思ったからである。
……しばらく待っていると、準備が整った師匠がやって来た。
師匠は白のブラウスに紺色のスカートという、ごく普通の私服を着ている。シンプルながらお洒落な姿。いつもと違う師匠の姿に、思わずドキッとする。……だが。
「うう、落ち着かない。……やっぱりこれよ、これ」
そう言って、師匠はローブを羽織ってしまった。せっかくいい格好をしていたのに。少し残念だが、仕方ない。師匠と一緒に家の外へ出て、お店へと向かう。
春の陽気の中、オレと師匠は街を歩いていく。師匠の言っていた通り人通りは少なく、ほとんどすれ違わない。ご機嫌な様子の師匠が話題をふってきた
「そういえば、これからどこのお店に行くの? 確か、受験用の教材を買うのよね?」
「えっとですね、城下町にある本屋さんです。そこに行く予定ですけど」
この世界にも書店はある。しかも、かなりの品ぞろえだ。参考書はもちろん、漫画やライトノベルのような物もある程である。
「じゃあ、そこへ行きましょう。私、城下町には詳しくなくて」
師匠は楽しそうに歩き出す。そんな師匠の後ろ姿を見ていると、なんだか微笑ましくなってきた。……そうだ、城下町について教えよう。師匠の隣に立ち、色々と話す。
「それじゃ、城下町について教えますね。城下町には本屋の他にも、美味しい食べ物屋さんとかがあります。もちろん道具屋さんもあるし……あ、そうだ。ホロプリズムの事務所なんかもありますよ」
城下町に関する面白い小ネタとしてホロプリズムの事務所について話したのだが、これが間違いだという事に気づく。師匠は興味なさそうに相槌を打つだけだったのだ。
師匠はホロプリズムに興味ない。だから、師匠の反応が薄い事は当たり前。オレもホロプリズムに興味があるわけではないので、話を続けられない。……昨日もこんなことがあったのに。なんで学ばなかったんだ。
ホロプリズムはNGワード。そう、心に刻み込んでおくことにする。
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「この参考書で最後ね」
「はい。とりあえずこれだけあれば困りません。……思ったより時間がかかっちゃいましたね、師匠」
「本当よ。人がいっぱいになっちゃって嫌になるわ」
城下町についた後、師匠と一緒に必要な教材を買い込んだ。しかし、思ったより時間がかかってしまったようで辺りはもう夕暮れ時になっている。ボチボチと人の姿も見え、賑やかな雰囲気になっていた。そんな中、師匠は疲れたようにため息を吐いている。
「早く帰りましょ」
「待ってくださいよ、師匠!」
師匠がスタスタと家の方向へ歩いていくので、慌てながらオレもついていく。……丁度その時だった。
「その手に持っている、たくさんの参考書。……ひょっとして、受験生ですか?」
鈴の音が鳴るような、綺麗で澄んだ声に呼び止められる。振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。彼女を見た瞬間、心臓が大きく跳ね上がる。
肩まで伸びた純白の髪に、つぶらで大きな瞳。リトルウルフのような、愛らしい顔立ちをしている。
淡いピンク色のワンピースを着ていた。春らしい優しい色合いの服に身を包み、穏やかな笑みを浮かべている。一方で、彼女の右手には不気味な仮面が握られていた。まるで、道化師のようなデザインの仮面である。
……なんか、カッコイイ! 彼女を見ていると、そう思ってしまう。可愛らしい見た目に反して、手に持っているのは不気味な仮面。なんかこう、ギャップ萌えという奴だろうか。すごく魅力的に見える。
そして、何となくだけど彼女からは知性のオーラを感じる。もしかして、彼女も受験生なのだろうか。偶然にしては、あまりにも受験に有利な姿すぎる。受験生かどうか聞いてきた事も踏まえると、彼女が受験生である可能性を否定できない。オレと同じように、変身した人間なのだろうか?
だとしたら、オレの仲間だ。見た目的にも同級生だろうし、今の内に仲良くなっておきたい。その為にも、彼女の質問にしっかりと答えないと。
「もちろん受験生だよ! 受験生同士、仲良くしようね」
「ええ、よろしくお願い……って、誰が受験生よ!?」
今までの雰囲気から一変、彼女は突然怒り出した。どうやら受験生ではないらしい。……じゃあ、なんで受験生かなんて聞いてきたんだろうか。謎だ。と言うか、どうしてこんなに怒っているのか。……もしかして、何か気に障る事でも言ってしまったのかもしれない。慌てて謝ろうとするが、それよりも先に彼女が口を開いた。
「私の、……が、あなたのっ…………」
一部が聞き取れないほどの低い声。見た目からは、想像できないような声で彼女は呟く。それと同時に、オレの左手が彼女に捕まれる。……凄い迫力だ。どうしてこんなことになってしまったんだろうか。