「私の、……が、あなたのっ…………」
夕暮れ時の帰り道に出会った少女。彼女は、オレの左手をつかみながら見た目からは想像できないような声で呟いてきた。一体、オレが何をしたっていうんだろう? 意味が分からず混乱していると、少女がハッと口を開く。
「私のホロプリズムデビューが台無しよ!」
オレの手を強く握りしめながら大声を上げる少女。……やっぱり、分からない。ホロプリズムデビューとはどういう事なのか。そもそも、なんでこんなに怒ってるんだ? 訳がわからず戸惑うしかない。
「師匠、彼女は一体何を叫んでいるのでしょうか?」
「私に分かるわけがないわ」
うーん、師匠にも分からないのか。……困っていると、少女はキッとこちらを睨んできた。その目つきは鋭く、視線だけで人を殺せそうなほどである。……怖い。
……だが、少女は突然平静を取り戻すと、静かに謝り始めた。
「ごめんなさい。あなたは悪くないのよね。いきなり掴んで悪かったわ」
そう言って、申し訳なさそうに頭を下げてくる。そんな彼女の様子にホッと安堵する。……よかった。許してくれたようだ。思ったより悪くない子なのかもしれない。
そう考えた時、彼女が気になる事を言っていたことを思い出した。たしか、ホロプリズムデビューが台無しだとか言っていた気がする。
「もしかして、キミはあのアイドルグループの新人かな?」
「そうよ。まあ、何だかんだあって華麗なデビューが台無しになったけれど……」
「華麗なデビューなんてくだらないわ。地道に認められなさいよ」
ホロプリズムの新人であることを認めた少女だったが、師匠は冷たい言葉をぶつけた。……師匠の言葉に少しだけムッとする。彼女が華やかなデビューをするために努力してきたことを認めるべきだと思う。
「……どれだけの思いで、私がデビューしたと思ってるのよっ!」
「そうですよ、師匠。その子が例のグループに入るために凄い努力をしてきたに違いありません」
「例のグループ……」
少女の怒りに、俺も同調する。……そうだ。アイドルとして華やかにデビューする為には、血の滲むような苦労が必要だろう。……おそらく、この子の言う通り、相当な思いをしてデビューしたのに違いない。
俺たちの言葉を聞いて、師匠はバツが悪そうな表情をする。そして、誤魔化すように咳払いすると、少女に話しかけた。
「……そうね。確かに有力グループの一員として認められている事は、誇るべきことだわ」
珍しく師匠がフォローを入れる。という事は……
「分かってくれたんですね、師匠。芸能組織に入ることは凄い事なんですよ」
どうやら、師匠も彼女が頑張ってきたことを理解してくれたらしい。それはとても喜ばしいことである。
「……さっきから」
しかし、とても冷たく鋭い声色が少女の口から発せられた。その声を聞いた瞬間、背筋が凍りつく。思わず息を飲み込んでしまった。
オレは恐る恐る声の主を見る。そこには、恐ろしい形相でこちらを睨んでいる少女の姿があった。……もしかして、怒らせてしまったのだろうか。
「……さっきから、何なのあんたたち! 有力グループだとか、芸能組織だとか。ホロプリズムっていう立派な名前があるの。どうしてちゃんと呼んでくれないの?ふざけてるの!?」
彼女の怒りが爆発した。凄まじい剣幕に圧倒されてしまい、何も言い返せない。……そんな中、師匠がため息をつくと、呆れたような口調で口を開いた。
「……別にふざけてはいないわ。ホロプリズムという名前は聞いたことがあるもの。でも、どうせ私たちには関係ない事だし、興味もないから忘れていただけよ」
「どうでもいいですって!? 」
師匠の言葉に、少女はさらに激昂した。……これはマズイ状況だ。どうにかしないと、取り返しがつかなくなるかもしれない。
「あ、あの。落ち着いて?」
「落ち着けるわけないでしょう! そもそもあなたがホロプリズムを例のグループだとか、芸能組織だとか言い出したんじゃないの!」
「『ホロプリズム』はNGワードに設定しているので」
「NGワードって何よ!?!?」
何だか、火に油を注ぐ結果になってしまった気がする。彼女のイラつき具合が半端じゃない。このままでは、本当に喧嘩になってしまうかもしれない。なんとかしなくては……。……だが、そんな中少女の雰囲気が変わり始める。
「……はぁ、全く。二人ともすごく素質があるのに。……もったいない」
先ほどまでの荒々しい雰囲気とは違い、落ち着いた声で彼女は呟いた。その変化に戸惑っていると、少女はこちらに向かって話し始める。
「こんなにもアイドルに関心がないなんて。あなた達の持つ、アイドルの才能が泣くわよ?」
「才能?……まさか、キミはオレたちがホロプリズムのメンバーになれると思ってるの?」
思わず聞き返す。すると、彼女は不敵に笑みを浮かべながら口を開く。
「もちろんよ。私の目に狂いはないわ」
……自信満々の様子である。だけど、いくらなんでも無理があると思う。師匠もそう思ったのか、苦笑いしながら彼女に声をかけた。
「……バカね。私達二人はそういうのとは無縁よ。不器用な私たちにはアイドルなんて向いていないの」
師匠の言葉を聞き、少女は少し呆れたような表情を見せる。そして、静かに首を横に振った。
「その考えは古いよ。不器用で可愛い子こそ、現代のアイドルに求められているの。……極上の容姿に、独特の危うさを持つ二人。……あなた達はきっと、時代が生んだ奇跡の原石よ。私が保証する」
「何よそれ。意味が分からないわ」
師匠は眉間にシワを寄せた。そんな師匠を見て、少女は微笑む。そして、静かに語り始めた。
「アイドルと言うのは、みんなに夢を…………」
「長くなりそうだわ。話が終わったら呼んで」
少女が話している途中で、師匠はそそくさとどこかへ行ってしまった。……相変わらずマイペースな人だと思う。
「……とにかく、個性が大事なのよ。多くのアイドルたちがいる中で、ファンたちの目に留まらなければいけないのが、どんなに大変か分かる? ……とにかく、個性的なアイドルが求められているのは間違いないの。あなたたちはまさに理想的な存在。ライバルたちを軽く出し抜くことができるはずよ」
師匠が居なくなったことを気にする事もなく、ただ熱く語り続ける少女。その姿に少しだけ感心する。……アイドルに対する情熱は本物らしい。
この少女をこれだけ本気にさせることが出来るアイドル。一体、どんな活動をするのだろうか。少し、興味深くなってきた。
「……熱い語りだったよ。それで、具体的にどうすればいいのかな?」
「まず、この名刺を渡しておくわね。ここに連絡してちょうだい」
そう言って、少女は一枚の名刺を差し出してきた。……ホロプリズムの名刺だ。……ここに連絡すれば、ホロプリズムのオーディションの情報を貰えるのだろうか。
「分かった。受験が終わってからにはなるけど、連絡してみるよ」
「えぇ。待ってるわ」
そう言うと、少女は満足そうな様子で去っていこうとした。……丁度その時。体に違和感を覚える。何か嫌な感覚。何かが、抜けていく感じ。……なんだこれ。凄い気持ち悪い。……意識が遠くなっていく。
視界がぼやけ、次第に真っ暗になった。足から力が抜ける。倒れそうになるところを、なんとか堪える。しかし、それも限界で、オレはその場に崩れ落ちた。
「ちょっと、大丈夫? 」
先ほどの少女がオレを覗き込んできた。心配してくれているようだが、それに答える余裕もない。
「あ……」
辛うじて返事をする。しかし、全身から汗が吹き出た。体中が重いし、頭がクラクラする。もう視界には何も映らない。何も考えられない。ただひたすら意識が遠のいていく。そんな状態のまま、オレの意識は完全に闇に飲まれた。