元ロシア最強傭兵、祖国に棄てられて亡命したらトレセン学園のトレーナーになりました 作:武装田んぼ
2月24日。
その日のトレーニングの準備をしている時、アルチョムは最悪のニュースを聞いた。
ロシア政府は〝特別軍事作戦〟と称し、隣国ウクライナに対し軍隊を送り込んだ。それは誰がどう見ても、ただの軍事侵攻であった。
ただただ言葉を失った。
確かに前から不穏なニュースがあった。だが、それでも祖国には最後の良心が残されていると信じていた。適当なタイミングで引き上げると考えていた。
自分の認識の甘さを思い知らされた。
あれが俺の祖国か?
俺はどうすればいい?
何をしたらいい?
どうしたらあのイカれた連中を止められる?
そんなことを考えるが、ショックで頭が働かない。タブレットから流れるCNNのニュースは攻撃に晒されるキーウの状況を映し出していた。
空襲警報が鳴り響く中、あちこちから火の手が上がり、遠くで轟く爆発音。地獄のような光景が映し出されていた。
クレムリンの連中がこれほどまでバカだとは思わなかった。
こんな戦争をしたところで勝とうが負けようが誰もロシアを相手にしなくなるだろう。経済は欧米と切り離され、国民は貧窮し口を封じられ、オリガルヒとクレムリンの奴らだけは醜く肥えていく。
そしてならずもの国家の仲間入りを果たすだろう。そんなロシアが容易に想像できた。
「……俺は何のために国を守ったんだ」
ついこぼれた言葉。それが全てだった。
ただひたすらに打ちひしがれた。
自分の両手を見る。祖国の為に
ネオナチだの、民族の一体性だの、NATOの脅威だの、くだらない寝言を並べて兄弟国に軍を送り込む神経はアルチョムすら理解できないものだった。
俺の愛国心は裏切られた。そんなことを思い、天井を眺める。
確かに俺がやっていたことは非合法なものばかりだ。だが、それは西側もやっていたし、俺らが手を汚すことで守られる何かがあると信じていた。俺らが裏で手を汚すことで、戦争が防がれている。そう考えていた。
だが、それは自分を納得させるための思い込みに過ぎなかった。明らかに軍隊を送り込んで、破壊と殺戮を繰り広げて、平和を奪っていく。それで何を守ると言うのか。貴様らのチンケなプライドか? クレムリンの連中がどれだけ綺麗事を並べようとも、吹き飛ばされた家も、殺された住民も戻ってこない。
嫌な倦怠感が全身を苛む。
お前は無力だ。所詮は逃亡兵だ。黙って現状を受け入れろ。そう言われているような気分だ。
しかし、このまま落ち込んでいる訳にはいかない。今の自分には、トレーナーと言う職と責務がある。どうにか自分を奮い立たせ、トレーナー室を後にした。すると、たづなさんと出くわした。
「アルチョムさん、今お時間大丈夫で?」
「ええ」
二人は三女神像の近くのベンチに座る。
「話に誘っておいて申し訳ありませんが、私も何と言えば良いのか……」
「お気になさらず。そんなもんですよ」
「ただ、わかっていただきたいのは私も秋川理事長も、ルドルフさんもあなたがロシア人であるからといって危険視するつもりはありません」
「ありがとうございます。ただ、お気を遣わせてしまったようで……」
「そんな、とんでもないです。それに一番辛いのはアルチョムトレーナーでしょうから」
そんな何気ないたづなさんの言葉が身に染みる。クソッタレな政治に振り回されてきた人生だ。ようやく離れられたと思ったが、まだ心のどこかでロシアに囚われている。両手両脚を縛る見えない鎖の先はロシアに繋がっている。
だからと言って萎縮してしまえばそれは過去に屈することになる。トレーナーと言う職に就き、トレセンと言う場所で生徒の指導に当たる立場の意味を失うことになるのだ。
だからこそ、膝をつくことはできない。かつてどんな敵の前でも決して屈さなかったように、祖国の理不尽な横暴にも屈してはならないのだ。
「ロシアがどうなろうとも、俺は俺です。俺が成すべきと信じたことを成して、守るべきと思ったものを守る。それだけです」
「……強いお方なのですね」
「自分を強く持たなければ潰されるような環境にいただけですよ」
「ただ、どんな人間でも限界はあります。限界になる前に、絶対に私達に相談してください。それは貴方の為だけでなく、テイオーさんの為でもあるのですからね」
「そうですね、その時はよろしく頼みますよ」
そう言うと、アルチョムはベンチから立ち上がり、歩き出した。
今の俺にはやるべき職がある。胸を張って誇れる立派な職だ。ならば、その職にふさわしい立ち振る舞いをしろ。
それが今の俺にできる、唯一のことならば。