元ロシア最強傭兵、祖国に棄てられて亡命したらトレセン学園のトレーナーになりました 作:武装田んぼ
8月の初め頃。
アルチョムは久しぶりにとある人物と連絡をとっていた。
《よおセルゲイ。元気そうだな》
電話越しに聞こえる声はナゲットだ。アルチョムに対する誹謗中傷の中にロシアとの関係を疑うものがあり、情報漏洩を危惧して話をしていた。
「お陰様で。んで、事件性は無いって本当か?」
《ああ、さっき送ったメッセージの通りだ。少なくともデータベースに不正アクセスされた履歴はない》
「アクセス履歴を消された可能性は?」
《無いね。そもそも、CIAのネットワークに侵入した時点でまず引っかかるさ》
「じゃあなんでロシアがどうのってなってるんだ」
《アンタの人相の悪さと名前?》
「クソが」
ナゲット曰く、確かにロシアとの関係性云々は言っているが、アルチョムに関わる内容はロシア出身であること以外全てデタラメであり、事件性は低い。ただ、あのアカウントはこれから監視対象になるだろうとのこと。
「監視なんてする暇あるならさっさと削除したらどうだ?」
《下手に削除してみろ。奴らはどうなると思う?》
「さあ?」
《削除したとするだろ? そうしたら奴らはこう考えるのさ。真実を語ったから敵勢力によって削除された、ってな。そして余計にそう言った動画が増えることになるぜ》
「タチの悪い連中め。どうにかならんのか」
《アンタの気持ちはわかるがどうもできん。それに下手に介入すれば内政干渉になりかねない》
「アメリカの連中も内政干渉ってのを気にするんだな」
《ああ、ロシアが気にするぐらいにはな》
そう返され、呆れたように笑うアルチョム。何にせよ、この問題は自分達でどうにかするしかないようだ。
その後、トレーナー宿舎の一角でアルチョムとたづなさんが並んでノートパソコンと向かい合っていた。そしてミーティングアプリを開き、通話を開始する。
《お久しぶりです、アルチョムトレーナー。お忙しい中、わざわざ申し訳ありません》
「こちらこそすまない。我々で解決すべき問題に君達を巻き込んでしまった」
「ええ、あなた方ファンの皆さまにご心配をおかけするような事態を招いてしまったのは我々の責任です」
《何を言ってるんですか、あなた方やテイオーさん、それだけでなくトレセン学園のウマ娘に対するあんな誹謗中傷、絶対に許せません! 我々にも協力させてください!》
その画面に映っていたのはみなみとますお。アルチョムに対する誹謗中傷動画やウマ娘への憎悪を煽る動画の拡散などへの対処に微力ながら協力したいとキタサンブラックとサトノダイヤモンドを通じて申し出てきたのだ。
協力してくれることはありがたいが、場合によってはなんらかのトラブルに巻き込まれる可能性は否定できない。アルチョムはとりあえずたづなさんに報告し、彼女も交えて話し合いの場を設けることにした。その話し合いの場が今日のオンラインミーティングである。トレーニングの予定もあるため、あまり時間は取れないが、情報を共有できるだけでも今は十分だ。
まず彼らは現状の確認を行う。氾濫する誹謗中傷動画の中でも特に悪質と言われているのが、いつぞやに出てきた“ウエスタンラリアットちゃんねる”だ。
いわゆる政治系動画投稿者とされる中でも、かなり前からウマ娘への誹謗中傷を繰り返しており、公営賭博化法案が提出される前から一部で注目されていたが、法案提出後は熊谷大臣の支持者を中心にその注目を集めているようだ。また、これに呼応するかのように一部の政治系インフルエンサーが法案を支持する内容や、ウマ娘を非難する投稿を行い、大きく拡散されている。
トレセン学園側としては、事実無根の誹謗中傷に対して断固として対応するとしているが、問題はURAとの歩調が合わないことだ。URAの光武理事長はネットの話など取るに足らないものとし、わざわざ法的措置を講じる必要はないと言うことで、トレセン学園側に非協力的だ。このことに関して批判は上がっているが、その声は決して大きなものでなく、組織を動かすには力不足といわざるを得ない。
「アイツらが動かないのはなんなんだ」
「あれだけ大きな組織です。それにURAも一枚岩ではありませんし、内部の派閥というのもあります。残念な話ですが、我々が望むような対応がされるにはかなり時間がかかるでしょう」
有志とはいえファンの前でURAの内情を話してしまって良いのかと思わなくもないが、派閥の話は何度か週刊誌などで取り上げられている話題だ。もちろんそれらの記事はインターネットでも閲覧できる。記事を読んでいればたづなさんが話した内容は容易に想像できる話だ。
《我々に出来ることはあるのでしょうか?》
「申し訳ありませんが、今は事態の推移を見守っていただくことしか……」
《……そうですよね。あまり我々が騒ぎ立てるのも……》
そう言うますお。その顔は冷静を装っているが、悔しさが滲み出ていた。
「ただ、これだけはわかってください。あなた方がウマ娘の皆さんを心から心配している気持ちはよくわかります。そしてその気持ちは私たちも同じです」
たづなさんは諭すように話す。その後しばらくは話し合いが続いたが、結局現在進行形の法的措置を待つと言う結果に落ち着いた。
だが、それでも多くのファンがウマ娘やトレセン学園の力になりたいと考えていることがわかったのは大きい。彼らの多くが口を揃えて言うのは、ウマ娘達から元気をもらった、だから恩返しがしたい。という話だ。
ウマ娘達がターフの上で、ダートの上で、晴れの日も、風の日も、雨の日も、雪の日も、全力で走って、全力で踊ってきたその姿は、確かに多くの人々を元気付けていたのだ。そのことはアルチョムやテイオー達にとって、何よりの励みとなるものだった。
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翌日。
トレーニングの準備をしていると、乙名史記者に出会った。
なんの用事かと尋ねると、ある人物に取材に行く途中で、ここに立ち寄ったと言う。その人物とはかつてURAの理事長を務めた前崎忠氏。
理事長を引退した後に夫婦でこの近くに移り住んだそうだ。
「そういえば前崎さん、テイオーさんにお会いしたいと話していたんです。もしよろしければ、私とご一緒します?」
「そうなの⁈ ねぇトレーナー、行ってみようよ!」
「トレーニングの予定あるだろ……。まあいい、最近ずっとトレーニングしてたし、息抜きがてら行こうか」
「さすがアルチョムトレーナーです! 担当ウマ娘の体調を気遣いながらも、その知見を広めるために(以下略」
「そんな褒め称えるようなことか? これ」
テイオーをスポーツウェアから制服に着替えさせ、乙名史記者の運転する車に乗り込む。40分ほど車を走らせ、着いたのは山の麓にある古民家。敷地には小さな畑があり、真っ赤に熟れたプチトマトが太陽に照らされている。
「ごめんくださーい」
乙名史記者が大きな声で呼ぶと、引き戸が空いて1人の老人が現れた。坊主頭に朗らかそうな笑顔。杖をついているが、確かな足取りでこちらに向かってくる。この人が、かつてURA理事長を務めていた前崎忠氏だ。
「初めまして。取材のお話をしていた乙名史悦子と申します。本日はわざわざお時間をいただき申し訳ありません」
「あぁ、君が記者さんね。待ってたよ。それで後ろのお二人はこの間の電話で話してた担当ペアかい?」
「初めまして! トウカイテイオーです!」
「初めまして。アルチョム・ルイシコフです」
「これはこれは、わざわざ来てくれてありがとうね。さぁさぁ、上がって上がって」
前崎元理事長に案内されるまま、3人は彼の家に上がり込む。外見は古き良き古民家だが、内部はしっかりとリフォームされており、伝統的な内装を活かした和モダンな装いはアルチョムすら見入ってしまう。
「綺麗なお家だね」
「ああ、こんな家に住むのも悪くないな」
「だいぶこだわったからね。妻といろいろ相談したよ」
すると奥から現れたのは活発そうな老婆、前崎元理事長の妻、美知子さんだ。
「あら、記者さん? お待ちしておりました。暑い中ご苦労さまです」
「いえいえ、取材のためならこれぐらい」
「頼もしいわねぇ、でも無理はダメよ」
「じゃあ、こっちの部屋で待っていてね。今プチトマト取ってくるから」
案内されたのは広めの和室。隅に置かれた座椅子を並べて、卓の前に座る。しばらくすると、冷えたお茶が注がれたグラスを持って、美知子さんが現れた。
「たくさん作ってあるから、遠慮せず飲んでね」
「おばあちゃんありがとう!」
早速グラスを取って、ごくごくと飲み干したテイオー。良い飲みっぷりである。そんなテイオーにつられてアルチョムも一口。よく冷えた緑茶は暑さで参った身体に染み渡る。
すると今度は、ボウルにプチトマトをたくさん乗せて前崎元理事長が現れた。
「庭の畑で作ったプチトマトだ。とっても甘いぞ」
形は不揃いだが、どれも真っ赤に色付いている。早速テイオーが一粒口に放り込んだ。
「なにこれ! チョーおいしい! おじいちゃん、これめちゃくちゃおいしいよ!」
「おー、よかったよかった。たくさんあるからどんどんお食べ」
最早取材ではなく帰省に来た気分だ。ただ、前崎元理事長が大変好意的な人であることはわかった。無理を言って光武理事長と代わって欲しいぐらいだ。
「えーっと、トウカイテイオーさんとアルチョムさんだね」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
「まずはトウカイテイオーさん、春シニア三冠おめでとう。大阪杯も天皇賞も宝塚記念も全部観てたよ」
「ありがとうございます!」
「今日はわざわざありがとうね。本当は僕の方から会いに行くべきなんだけど、もうこの年になると脚も腰も言うことを聞かなくてねぇ」
「いえ、むしろ我々をお招きいただき恐縮です」
「アルチョムさん、外国の方なのに日本語が上手だね。僕でも聞き取りやすいよ」
「まあ、かなり勉強しましたので」
「うんうん、トレーナーになれるぐらいだからね。真面目な人なんだね。君のような人が日本に来てくれて嬉しいよ。……さて、記者さんは僕の話を聞きに来たんだよね。あの事件の話」
「はい、1968年に起きた、暴力団幹部ウマ娘襲撃事件の話です」
「あの事件も、もう50年以上前の話なのに、今でもよく覚えているよ。本当にショックだったからね……」
それから彼はゆっくりと語り始めた。
彼が生まれたのは1944年11月。太平洋戦争の末期に、ここ宮城県で生まれたという。しかし、彼が生まれてから二ヶ月後に父親が華北で戦死してしまう。それからは母親と姉が幼い彼の面倒を見ながら必死に働いた。それでも幸いだったのは彼女たちがウマ娘であった為、働き口には困らなかったことだろうか。ただ、姉はいつかレースに出たいと言っていたという。しかし彼女は家庭を支えるためにレースを諦め、働くことに専念した。
そんな姿を間近で見ていた彼は、姉のように家庭の事情で夢を諦めるウマ娘が多くいることを知り、当時新設されたURAを目指すようになる。いつかURAに入り、1人でも多くのウマ娘にチャンスを与えたい。それはもしかしたら自分を育ててくれた母と姉への恩返しになるかもしれない。そんな想いを胸に彼は必死に勉強し、ついには日本を代表する有名大学に進学。卒業後、彼はついに文部省(当時)の官僚として採用されるに至った。
「私が文部省に採用された知らせが届いた時、ウチの近所は大騒ぎになったと聞いたなぁ。こんな田舎町からお役人さんが出たぞ、と。母も姉もそれはそれは大喜びで……」
当時を振り返りながら懐かしそうに語る前崎元理事長。
「ただ、そうして文部省に入った後、私は競バの現実を知ってしまったんだ」
前崎元理事長は重いトーンで再び語り始めた。彼が文部省に入ったあと、当時行われていたウマ娘賭博の実態を知ることになる。
明治維新と文明開花により競バというものが日本に入ってきた。ただ、江戸時代にはすでに脚自慢のウマ娘が集い、その速さを競う催しがあったようで(博物館などでは当時の番付表が展示されていたりする)、競バは瞬く間に日本で定着して行った。
当時は賭博が普通に行われており、日本でも江戸時代中期にはすでに賭博が行われていたとされる。しかし時代が下るにつれ、賭博がらみの問題が現れるようになっていく。特に欧米ではそれらの問題が社会問題化しており、第一次世界大戦後の1920年代頃から、女性の社会的地位向上と共に競バでの賭博を禁止する動きが出てきた。
その結果、1930年代に入る頃にはいくつかの国では賭博が禁止され、新たなエンターテイメントとしての競バが生まれることになる。しかし、日本では結局1945年に太平洋戦争の戦局悪化で競バが全面中止にされるまで賭博は続いていた。
また、ドイツに於いては1927年に賭博は全面禁止とされたが、1933年にナチ党が政権を握ると、翌1934年に賭博を復活させた。
それはもちろん、賭博化で得た収入を当時ナチスが計画していたヴァイマル共和国軍の再軍備と、その軍事予算に充てるためであった。
そして賭博で得られた収益は、のちにドイツ軍の兵器開発や、一部はユダヤ人に対するホロコーストなどに利用されたと記録されている。
戦後、GHQにより競バの賭博は全面禁止とされた。しかし、水面下では相変わらず続けられ、それは暴力団などの資金源となっていたのだ。
この実態は政府もある程度把握していたが、一部の政治家は彼らから袖の下を受け取っており、その一部は国庫に納められていた。その収入は決して大きな金額ではなかったが、まだまだ貧しかった当時の日本における貴重な収入源の一つだったのだ。このような事情があり、当時の政府は取り締まりに及び腰になっていた。
そんな矢先、最悪の事件が起こる。
1968年の有マ記念。その年を代表するウマ娘が集い、年末のグランプリは幕を開けた。だが、このレースで番狂わせが起きた。
この時、一着に入ったウマ娘は13番人気のウマ娘だった。そして1番人気のウマ娘は六着となり、大方の予想を大きく裏切る結果となった。
「そのウマ娘チョーすごいじゃん!」
「確かにな。1番人気だからって勝てる訳じゃないが、13番人気が来たらとんでもない番狂わせだな」
「それだけなら良かったんだけどねぇ……」
そのウマ娘の話に興味津々のテイオー。同じウマ娘として何か惹かれるものがあるのかもしれない。だが、次に前崎元理事長の口から語られた内容はテイオーはもちろん、アルチョムすら言葉を失うようなものだった。
大番狂わせが起きたその年の有マ記念。問題だったのは1番人気に推された子が、とある暴力団の幹部が贔屓にしていた子だったのだ。
「指定暴力団霧島会。あの頃、競バ賭博を仕切っていた暴力団だ。あの頃は今より暴力団とかの取り締まりがとても緩かったんだよ」
当時日本で最大の勢力を誇っていた暴力団、霧島会。もちろん、競バ賭博にも深く関わっており、当時の彼らにとって最大の収入源となっていた。そんな中、霧島会幹部だったある幹事長はその結果に激怒してしまう。
霧島会はあらかじめ目星をつけたウマ娘に金銭を渡し、勝敗の結果を前もって決めており、いわゆる八百長を行っていたのだ。そしてオッズを操り、レースを霧島会が想定した通りの結果に持ち込む。そしてその金は回り回って国庫に納められていた。しかし、その13番人気のウマ娘により八百長がめちゃくちゃになってしまった。
彼女は霧島会の眼中にはなく、八百長が行われているとは夢にも思っていなかったため、全力でレースを走っただけだった。
その結果、レース終盤で彼女はハナに躍り出てしまう。それに驚いた先行バ群のウマ娘達のペースは乱れに乱れ先述の結果となり、1968年の有マ記念は幕を閉じた。
だが、それがいけなかった。
有マ記念から5日後、見事一着に輝いたウマ娘は担当トレーナーと共に実家へ帰省するために上野駅にいた。しかし、ホームで青森行きの特急列車を待つ2人の前に霧島会の構成員が現れ、散弾銃を数発発砲。トレーナーは咄嗟にウマ娘を庇ったがその場で即死、ウマ娘も腕や脚に被弾し、また、目の前で担当トレーナーが殺されたショックで二度と走れなくなってしまった。
「これはその事件の資料だよ」
前崎元理事長は机に置いたファイルを広げ、何枚かの白黒写真が乗ったページを開く。事件現場の写真や使用された散弾銃の写真が載っていた。その中には襲撃された際にトレーナーが身につけていた衣服の写真があり、ズタズタになったシャツとセーターは血で真っ赤に染まり、銃撃の激しさを物語っている。
その下には使用された凶器であるイサカM37の写真が掲載されていた。ストックとバレルを切り詰めたソードオフタイプで、それを5発発砲したと書かれている。
「この資料は私も見たことがあります。あの時は言葉を失いました」
その資料を見ながら乙名史記者が言う。
「イかれたゴロツキめ……」
「ボク達も撃たれちゃうの……?」
「落ち着けテイオー。何があってもそんな目には遭わせない」
怖がるテイオーに優しく語りかけるアルチョム。なぜ一生懸命に努力して掴んだ勝利のせいで撃たれねばならないのか。あまりにもやるせない。再び競バで賭博が行われた時、こんな事件は絶対に起きないと誰が言えようか。
前崎元理事長はまた語り始める。
賭博が行われていた当時、少なくないウマ娘がドーピングを行っていたという。当時はまだドーピングに対する認識が低かったのに加え、現代のように厳格な検査などが行われていなかったこともあり、数多くの薬物が使われていたと言う。その中でもレースへの集中力が上がるとして〝ヒロポン〟いわゆるメタンフェタミンは中央地方問わず幅広く使用されていたが、それが原因で薬物中毒に陥るウマ娘が後を絶たなかった。
だが、この事件により八百長やドーピング、そして裏賭博が明るみになり、そしてそれは競バ賭博に対する大規模な反対運動を巻き起こし、競バ賭博を完全に禁止する法案の成立を目指した。一部では競バ自体を禁止にしようとする動きもあったが、海外の事例などを例に賭博の絡まない競バを望む声が多数上がり、超党派の議員連盟が結成されるに至った。
法案はすぐに提出された。当初、その法案への回答を渋っていた内閣だが、そのような内閣の姿勢に対する支持率の急落や海外、特に欧米からの批判的意見や、政財界からも批判の声が上がり始めたのを受け、1969年の臨時国会でその法案は可決される。それが今日の競バ基本法である。
「こういった経緯があったから、競バ賭博は禁止されたんだ。もう二度と、あんな時代に戻しちゃいけないんだ」
当時を振り返りながら、前崎元理事長はそう語る。
「そんな大事件があったなんて……。ボク、初めて知ったよ」
「俺もトレーナー講習で習ったが、ここまで酷いとは思わなかったな……」
唖然とする2人。もちろん、彼らもそのような過去を一切習わないわけではない。しかし、やはりカリキュラムや時間の都合上、省いてしまう部分は少なくないのだ。ゆえに、習ったとしても大雑把な概要だけで詳細までは踏み込まないことも珍しくない。最近は特にそれが顕著になっており、一部の新人トレーナーは事件のことすら知らない者もいると言う。
「今日は僕の話を聞いてくれてありがとうね。退屈な話じゃなかったらいいんだけど」
「退屈だなんてとんでもありません。大変貴重なお話をありがとうございます」
「この前カイチョーがめっちゃ怒ってた理由がわかったよ。こんなことになったら誰も夢を叶えられないもん」
「全くその通りです。賭博化されたからって、ドーピングや八百長が行われるとは限りませんが、そのリスクは圧倒的に高くなります。そんな中で誰が絶対に起こり得ないなんて言えるんでしょう」
「だからあのオリガルヒや大臣は信用できねぇんだ。奴らは腹の底でウマ娘を食い物にしようとしてんだよ」
アルチョムの中で再び湧き上がる怒り。奴らはこちらを搾取の対象としか見ていない。そう思えてくる。
「ねぇ、今日の話をもっと沢山の人に知ってもらえたらさ、賭博化に反対だって人、増えるんじゃない?」
「そうですね……! 私、この話を知り合いのプロデューサーに持ちかけてみます!」
そう言うと、乙名史記者は今日の録音やメモをタブレットにまとめ始める。
乙名史記者の頭の中には既に新たなプランが生まれていた。今日の話をただ記事にするだけでなく、特集や再現ドラマを組んでテレビやネットで公開しようと考えていたのだ。
この話は早速、乙名史記者の知り合いのプロデューサーや秋川理事長にも送られた。
過去の事件を知ってもらい、考えてもらい、そして共有してもらう。一人でも多くの人に知ってもらうのだ。
3人は前崎元理事長とその奥さんに見送られながら、彼の家を後にする。乙名史記者は2人を合宿所で降ろした後はそのまま東京に戻ると言う。早速打ち合わせを行うようだ。
「待っててください! 最高のプランにして見せます!」
そういい、張り切って車を飛ばす乙名史記者を2人は元気に見送った。
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