翌朝、いつものように支度を済ませた俺は、昨日ミカから受け取ったサイン用紙とペンをバッグに詰めた事を確認すると、いつものように学校へと向かう。
そして、無事に学校に到着した俺は、いつものようにクラスメイトに挨拶をすると、朝のホームルームを経て授業を受け始める。
それから時は過ぎ、本日の授業も全て終了し、放課後がやって来た。
と、放課後まで郷田を探す気配すらなく、もしかしてサインの一件を忘れたのではと心配に感じている者もいるかもしれない。
授業中はまだしも、休み時間なら、幾らでも郷田からサインをもらう機会はあっただろうと思うだろう。
しかし生憎と、郷田は俺のように真面目に授業を受けるような奴じゃない。その為、郷田は大抵、授業をすっぽかしてスラムや他の場所で過ごしている事が多い。
故に、授業時間帯に郷田を捕まえるのは難しいという訳だ。
だが、放課後なら、郷田は大抵スラムにいる。
「さて、行くか」
という事で、俺はクラスメイトと別れの挨拶を交わすと、大事なサイン用紙とペンが入ったバッグを手に、教室を後にし、一直線にスラムへと向かった。
「よぉ、郷田!」
「おぉ、よく来たな!」
「どうも、先輩方」
「さ、入れ入れ!」
「遠慮なんかすんなよ!」
スラムの入り口を守る門番の二年の先輩達に温かく迎え入れられ、俺はスラムへと足を踏み入れる。
郷田とダチになってからと言うもの、何故かスラムの他の不良さん達からも親しくされている。
まぁ、親しくされるのは嫌ではないのだが……。最近ふと思った、これって、傍から見たら俺も不良の一員って思われてるんじゃねぇか!?
清廉潔白を座右の銘としている俺としては、この誤解は、まだ始まったばかりの中学生活に汚点を与えるかもしれない。
あぁ? 今清廉潔白じゃなく"佞悪醜穢"だろって思った奴、ちょっと屋上行こうぜ、久しぶりに、キレちまったよ。
と、いかんいかん。また脳内で物騒な事を呟いてしまった。
深呼吸して、心を落ち着かせる。
「お?」
再び心が落ち着きを取り戻した所で、気がつけば、俺は見慣れた郷田のプライベートルームの前までやって来ていた。
「おーい、郷田ー、いるか~?」
錆が原因か、開きが悪くなってる重厚な扉を開けながら、俺は部屋の中に郷田がいるかどうかの確認を行う。
すると、部屋の中からお目当ての人物の声で返事が返ってきた。
「おー、いるぞ」
「この扉、ギーギー五月蠅いし、潤滑油さしといたほうがいいんじゃないか?」
「そうか、なら後でさしとくか。で、用件はそれだけか?」
どっしりとソファに腰を下ろし寛いでいた郷田に扉の事を伝えた所で、いよいよ本題を切り出し始める。
「いや、実は今日は、郷田にちょっとしたお願いがあってな」
「お願い?」
「そんな大した事じゃないんだ」
刹那、俺はバッグから大事なサイン用紙とペンを取り出すと、サインが欲しいと語り始める。
「俺のサインだぁ!?」
「あぁ」
「俺のサインを欲しがるなんて、随分物好きな奴もいたもんだな?」
「サインを欲しいのは俺の妹なんだが」
「あー、さっきの発言は取り消すぜ」
幾ら郷田と言えど、我が
と、ここで事を荒立てては折角のサインが台無しだ。
俺は怒りを鎮めると、再び話を再開する。
「それで、サインを書いてくれるのか?」
「あぁ、いいぜ。……所でカイト、妹の名前は何て言うんだ?」
「ミカだ」
「へぇ、いい名前じゃねぇか」
「だろ! いやー、まさに自慢の妹だよ! あ、聞いてくれよ郷田、実はミカ、この間学校のテストでクラスでも上位の──」
「ほら、出来たぞ」
「お、おう……」
折角、我が
まぁいい、何れ、郷田自身も我が
「サンキューな、郷田」
「いいって事よ。所でカイト、用件はそれで終わりか?」
「ん? あぁ」
「まだ時間があるんなら、俺とバトルしねぇか!?」
「あー悪い、したいのは山々なんだが、生憎とまだアーマーフレーム買い替えられてないんだよ」
「そうか」
こうして、郷田のサインを手に入れた俺は、郷田に別れを告げると、郷田のプライベートルームを後にした。
手にしたサイン用紙を見ながら、俺は思い耽る。
ふふ、このサインを見せたら、ミカ、どんな顔をするかな。
ミカの喜ぶ顔を想像したら、一刻も早くミカにこのサインを渡したいとの衝動から、自然と歩く速度も速くなる。
だが、それがいけなかった。
「キャッ!!」
「うぉっと!!」
スラムを出て、校門を通ろうとした所で、不意に、部活の一環で走っていたと思しき体操着姿の女子生徒とぶつかりそうになってしまった。
「イタタ……」
「ごめん! 大丈夫?」
「うん、何とか」
慌てて彼女に手を差し伸べ、起こすのを手伝いながら怪我をしていないかを確かめる。
幸いな事に、尻もちはついたようだが大事には至らなかった様だ。
「ごめん、俺の不注意で」
「いいよ、気にしないで……、あれ?」
「ん?」
彼女自身もあまり怒ってはいない様で、これにて一件落着。
と、思った矢先、不意に彼女が何かに気がつき俺の足元に手を伸ばした。
「これって……」
そして、彼女が拾い上げたのは、一枚のサイン用紙。
それは紛れもなく、俺が先ほど郷田に書いてもらった彼のサインであった。
どうやら、ぶつかるのを回避しようとした拍子に落としていたようだ。
「あ、そのサイン、ごめん、それ俺のなんだ」
大事なサインを落としてしまうとは、何たることだ。今後は、同じ過ちを繰り返さないようにせねば!
と、自分自身を戒めながら、彼女にサインを返してもらおうとする。
だが、何故か彼女は拾ったサインを食い入るように見つめ、まるで俺の声が聞こえていないかのようだった。
「あのー……」
「ねぇ、このサイン! これって、郷田君のサインよね!?」
「え、あ、あぁ、そうだけど」
刹那、彼女が急に顔を上げたと思ったら、興奮気味の彼女の口から飛び出してきたのはまさかの郷田の名前。
この突然の豹変っぷりに俺が困惑していると、彼女は更に衝撃的な事を口にし始めた。
「このサイン、私に譲って!!」
「えぇ!?」
「ねぇ、お願い!!」
「いや、それは俺にとって大事なサインだからして……」
「お願い!! ねぇお願いこの通り!!」
「そう言われても……」
「なら、君の言い値で買い取るから! お願い! このサイン、私に頂戴!!」
「ごめん! それは俺にとって大事なサインなんだ、だから、本当にごめん」
「……そっか、分かった」
必死に頼み込む彼女だったが、俺の態度を見て無理だと悟ったのだろう、少しがっかりしながらも俺にサインを返してくれた。
「じゃあね」
「あ、うん」
そして、まるで気持ちの整理をつけるかのように、彼女は再び走り始めると、やがて俺の視界から姿を消した。
そんな彼女の背中を見送った俺も、程なく自宅に向けて、再び歩みを始める。
(にしても、郷田の奴、案外女子から人気があるんだな……)
帰宅の途中、俺は、そんな事を考えながら歩みを進めていた。
(ま、何事にも全力で取り組むあの姿勢や、仲間想いで器の大きい、まさに男気溢れんばかりの風貌。思い返せば、異性から好かれない訳ないよな……)
それに比べて俺ときたら──。
おっといかん、それ以上は悲しみの向こうへと足を踏み入れてしまう。
寸での所で向こう側に足を踏み入れてしまうのを回避した俺は、再び思考を巡らせ始めた。
(にしても、言い値で買う程欲しいとはね。案外、他にも欲しい子がいたりして……)
次の瞬間、俺の脳裏を稲光が走った。
いや、だがしかし、これは友を裏切り、ミカを悲しませるのではないだろうか。
けど、もしこの方法が上手くいけば、アーマーフレームを買い替える為の資金や、更には、ハンドメイド型LBXを作る際の道具や材料費の確保も可能だ。
だが、勘違いしないでほしい。これは俺だけが幸せになる訳ではない。需要を満たされた女の子たちも幸せだし、俺の羽振りがよくなれば、ミカにだって恩恵を受けるし、巡り巡って郷田も幸せになる。
即ち、これは皆が幸せになるという事だ!
これから一段と忙しくなる。
俺は期待に胸を膨らませつつ、帰路を急ぐのであった。