問題児達の参謀   作:カフェシリトレ

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羽化

■一

 

 スタートの合図。トロピカルエアが先にスタートした。一般に一人でペースを刻むのは難しいと言われている。トロピカルエアは元の脚質が差しなのもあって、誰かが前に居た方が良い走りをするが、それは一人では走れないというわけではない。

 5秒遅れてシンセダイナがスタートする。好スタートを切れたこともあり、ハイペースで上がっていく。5秒のハンデを自分だけで埋めてしまおうとする勢いだ。追う側は前の目標が分かりやすいが、追われる側は難しい。徐々に差が縮まっていくのが分かる。トロピカルエアもそれに気付いてギアを上げた。皐月賞の時みたいな破滅する走りではなく、無理なくペースを上げていく。

 トロピカルエアからアクアスワンプにタスキが渡る。それから遅れてシンセダイナからツヴァイスヴェルに。縮んだタイムは1秒弱、バ身に直せば3~4バ身と予測通りといったところだろう。逃げが得意でないトロピカルエアも、走りの勉強になった筈だ。

 

 後輩二人。第一走者のトロピカルエアとシンセダイナに比べれば当然荒削りだが、合宿始めに比べれば格段にフォームが良くなった。特にツヴァイスヴェルはシンセダイナから様々聞いていた姿を見ている。普段は一緒にトレーニングしない相手から学んだ技術は、彼女を仲間より一歩先に進ませているようだ。苦手だった芝を克服して、成果としては申し分ない走りだが、見た目よりも差は縮まらない。ツヴァイスヴェルはアクアスワンプの広いストライドを意識し過ぎて、詰めきれていない。結局1バ身縮んだかどうかというところで第三走者へとタスキが渡った。

 

■二

 

「……速い。かかってるのか?」

 

 ジュエルビスマスはスタートから一気に前に出た。先行につける走りだったのは間違いないが、こんなに前のめりになるタイプではない。これではまるでクライネキッスと同じ逃げじゃないか。

 意図的にやっているのか、それとも。最初に浮かんだのは精神的にかかってしまって、配分が崩れている可能性だ。ベテランのウマ娘でも逃げられないかかりは、スタミナを非常に消費する。あがり症の彼女はしばしばかかってしまって、失速することが多かった。しかし、こんな早いタイミングからエンジンをふかすことは初めてだ。それに、フォームが全く崩れていない。最初からこの走りをするつもりだったのか。

 

 ビューティモアが走り出す。当然、差はじわりじわりと縮まっていく。いくらジュエルビスマスがハイペースで、なおかつ余力を残しているとしても、相手は重賞で掲示板にも入るウマ娘だ。地力の差はどうしようもない。

 

 残り500m、差はおよそ10バ身。このままビューティモアがスパートをかければ差はさらに小さくなる。だいたい2バ身まで追い付いてシリウスにタスキが回るだろう。そして2500mという距離で2バ身というハンデは余りに小さい。

 

「トレーナーさん、これからですよぉ」

 

 コンテストアバターは悪戯が成功したように笑う。その目の前で、ジュエルビスマスは──もう一段階加速した。

 

■三

 

 

 肺が熱い、心臓が熱い、足が熱い、脳みそが熱い。散々走った後でまた一歩踏み込むのは体が千切れそうだ。それでもジュエルビスマスは走る。一つは自分の為。スタミナは足りている筈なのに、いつも焦って仕掛け時を間違えて、後悔し続けている自分を変えたい。その為には、ここでビューティモアに勝つ必要があった。

 

 敵わない相手なんかじゃ、ない!

 

 確かに今までは自分より速かったかもしれない。それでも、少し早く生まれて、少し早く走っていたからってけして抜かせないわけじゃない。先輩達にとっては練習で、本番とは思っていない。しかし、ジュエルビスマスにとっては、自分が自分を認める為の一世一代の大舞台。

 

 ビューティモアが後ろから迫ってくるのを肌で感じる。まだ遠い。だけど、すぐに追い付いてくる。捕まってはこの走りをした意味が無い。

 

 強く足を踏み込む。破滅的な逃げからのスパート。限界まで削ったスタミナをさらに燃やし尽くす。それは、クライネキッスから教わった走り方だった。

 

 人見知りで臆病なクライネキッスは、だからといってレース本番で慌てふためくことはない。彼女にあって、自分に無いものはなんなのか。ジュエルビスマスはそれが知りたかった。もし、それが分かれば自分はもっと先に進めると信じていた。

 

■四

 

 

「レースで、緊張、しない理由?」

 

 グループトレーニング中のある日、ジュエルビスマスの問いにクライネキッスは首を傾げた。

 

「わ、私もいっつも緊張してるよ。そんな凄いことできない、から」

「でも、クライネ先輩いつも崩れずに走り切ってるじゃないですか」

 

 クライネキッズは逃げウマでありながら、後半で失速することが少ない。差しきられて一着を逃すことは多けれど、いつも掲示板内に居る。

 

「何か、コツとかないんですか?」

「コツ、コツかあ……」

 

 クライネキッスは目を泳がせながら言葉を探す。

 

「あれこれ考えないこと、かな」

「考えないこと?」

「あのね……私、最初は逃げじゃなくて差しだったの。でも、近くで他の子が走ってると怖くて……頭真っ白になっちゃって」

 

 それは、ジュエルビスマスとは似て非なるものだった。彼女の場合は、周りを考え過ぎて、レースの組み立てをシミュレーションし過ぎて本題を見失ってしまう。

 

「それで、逃げに転向したんだけど。最初は上手く行かなかったの」

 

 シリウスやトレーナーが手応えありと感じた転換も、彼女にとっては光の見えない暗闇で一歩踏み出しただけだった。

 

「ここでスパート、ここまでのタイムはこれくらい。周りに他の子が居なくなったら何も分からなくなっちゃって。真っ白なりに、考えて走ってたんだなって、その時気付いたの」

 

 無意識の内に体に刷り込まれたレース感覚。それが狂った歯車として彼女を苦しめていた。

 

■五

 

 

「そんな時、シリウスちゃんが言ってくれたの。一回何も考えずずっと全力で走ってみろ、って」

 

 前へ、前へ、ひたすらに前へ。余力なんて考えるな。スパートなんて考えるな。ただ1000m、2000m全部をトップスピードで走れ。

 もちろんそんなことは出来る筈が無い。それが出来たなら、きっと最強のウマ娘だろう。しかし、死にそうな程に、全力で頭を完全に真っ白にした先には、走る快感だけが強く焼き付いていた。

 

「私は走るのが好き。私は勝ちたい。私は先頭に立っていたい。考えるのは、それだけ」

 

 そう話すクライネキッスの目には、いつものおどおどした揺らぎが無かった。まるでG1を勝ったウマ娘のような、真っ直ぐにあって、翳ることのない光があった。

 

「あ、これは私の場合だからね! あの、ビスちゃんにはビスちゃんの走り方があると思うし、私のって、ただ何も考えてないだけだから」

 

 すぐにいつもの調子に戻ったが、ジュエルビスマスは、その残像が目に焼き付いていた。

 

「クライネ先輩。お願いがあります」

「へっ、な、なに?」

 

 ジュエルビスマスは頭を深く下げる。今から頼むことが自分の為になるのか分からない。クライネキッスの言葉が自分に当てはまるのか分からない。だからこそ、今試してみたかった。

 

「私に、逃げを教えてください」

 

■六

 

 ジュエルビスマスの末脚は、何処からその底力が出てくるのかと問いたくなるほどに素晴らしいものだった。競る相手もなく、一人でこれだけの力を出せる。逃げとして最も必要な、誰も居ない景色を全力で走り続ける心の強さ。こんなにも逃げの適性があるだなんて知らなかった。

 

「トレーナーとしてまだまだだな……」

 

 気付かぬ内に言葉が漏れていた。彼女を逃げさせるなんて発想頭にかけらも浮かばなかった。ハイバラトレーナーなら気が付いていただろうか。或いは、マンハッタンカフェを育てたあの人なら導き出したのだろうか。

 考えても詮無いことだ。俺は俺で、どうやってもあの二人にはなれない。今するべきは後悔することではなく、彼女のトレーニングを逃げ向けに調整し直すこと。そして、それよりも先に、このリレーレースの結末を見届けること。

 

「そう来ねえとなあ!」

 

 ビューティモアが楽しそうに叫んでいるのが聞こえた。彼女は、目標が遠ければ遠い程、追うのに全力を出せる。レースの組み立てが上手いトロピカルエアとも、競り合いが強いシリウスシンボリともまた違ったタイプの差しウマだ。むしろロングスパートの掛け方は追込に近い。ジュエルビスマスの末脚を見て、彼女も早いタイミングでスパートを開始した。

 

 差は縮まらない。ビューティモアと、重賞レベルのウマ娘と同じスピードで走り続ける。それでも、最後にはスタミナが尽きたのだろう。一気にブレーキし、クライネキッスに託された。

 

 最終走者。その差はおよそ、5バ身。

 

■七

 

 

 ごめん、思ったより詰められた。トロピカルエアはそう言った。

 

 頑張ってください。アクアスワンプはそう言った。

 

 息も絶え絶えのジュエルビスマスは何も言わなかった。しかし、タスキは繋がれた。

 

 クライネキッスは地面を蹴る。特別体が軽いとは感じない。いつも通り、いつもの調子。それは別に問題ない。必要なのはいつも以上の結果。シリウスシンボリから逃げ切る。キラキラと輝いている皆に、自分だって負けていないんだぞと、声を大にして叫ぶ。それは彼女だけの為ではない。

 

 自分が歩き出すのを優しく、厳しく見守ってくれたトロピカルエア。自分を慕ってくれる後輩達。リーダーを任せてくれたトレーナー。何より、トレセン学園を去る筈だった自分を掬い上げてくれたシリウスシンボリ。

 

 Aチームは本気だろう。しかし全身全霊ではない。あくまで模擬レース。負けるつもりは毛頭ないが死にものぐるいにはきっとならない。

 

 それでも構わない。クライネキッスはめいっぱいに酸素を取り込む。まだ先は長い。ここは、ゴールではなくスタート。クライネキッスが、誰かの陰に隠れて生きるのではなく、後輩達に押し出されて日の目を見る為の出発点。心の何処かで油断していたスター達の頬っつらをひっぱたいてやろう。

 

 だが、どれだけ思いが強くとも、地力は簡単には上がらない。背後に迫る存在感は、じわりじわりとその強さを増していた。

 

■八

 

「珍しいな」

 

 気付けばそんな言葉が漏れていた。クライネキッスではない。確かに彼女の鬼気迫る走りは初めて見たものだが、想像できないものではない。結局のところ、彼女も問題を抱えながらトレセン学園に残り続けた生粋の負けず嫌いなのだ。何かきっかけがあれば化けてもおかしくはないのだろう。

 

 珍しかったのはシリウスだ。レース本番ですら、ダービーを除いて余裕の笑みを崩さなかったシリウスが、必死な様子でクライネキッスを追っている。レースとはいえ、あくまでトレーニングだ。一生に一度のダービーと同じようなプレッシャーがあるとは思えない。別に、何か彼女を奮い立たせるものがあるというのだろうか。

 

「珍しいって何がですかぁ?」

 

 横に居るコンテストアバターは不思議そうな顔をしていた。彼女には、シリウスの変化が分からないようだった。

 

「いや……」

 

 言いかけて、すんでのところで思い留まる。コンテストアバターはけして察しの悪いウマ娘ではない。その彼女が気付かないのだから、俺しか気が付いていないか、もしくは勘違いのどちらかだ。

 

 だったらいたずらに言いふらすべきではない。

 

「クライネキッスの走り、あんなに凄まじいのは見ないと思ってな」

「Bチームの子達、このレースに勝つんだ、って意気込んでましたからねぇ」

 

 コンテストアバターは頑張れとクライネキッスを応援する。

 

 お茶を濁したものの、シリウスのひりつきが、胸の奥を詰まらせて仕方がなかった。

 

■九

 

 クライネキッスはペースを落とさず逃げ続ける。シリウスは射程圏内に収めてはいたが、迂闊に抜けず、しばらくは普通の併走のような展開が続いた。勝負は最終コーナー。誰もがそれを分かっていた。

 

 動く。

 

 声には出さず呟いたのと同時にシリウスが仕掛ける。コーナーの内ラチギリギリを攻めて一気にクライネキッスに追い付いた。これで決まりだ。競り合いはシリウスの方が強い。というよりも、クライネキッスは絶望的に競り合いが弱い。

 

「離れ……ない?」

 

 そんな予測はてんで的外れだった。クライネキッスは不格好な走りで、しかしシリウスにちぎられないよう食らいついている。逃げは一度捕まったら終わりと言われるが、クライネキッスはまだ終わっていない。

 

 逃げて、差す。強い逃げウマに時折使われるフレーズを思い出した。最前列で自由なコース取りをしながら、さながら差しウマのような末脚で最後に突き放していく。クライネキッスの走りは、まるでそれを体現しようとしているかのようだった。

 

「いけー! 逃げ切れー!」

 

 アクアスワンプが叫ぶ。ゴールまであと200m。両者は横並び、どちらが勝ってもおかしくない。判官贔屓という奴で、その場にいる殆どが、言葉にせずともクライネキッスを応援していた。

 

 それでも、容赦無く叩き潰すのが王だ。

 

 最後の一瞬、クライネキッスをかわしきり先にゴール板を通り抜けたのは、シリウスだった。

 

■十

 

「……お疲れさん」

 

 走り終わって息の上がったシリウスにスポドリを差し入れる。クライネキッスの方には後輩達が群がっていた。あっちは、俺の出る幕は無いだろう。トロピカルエアはシンセダイナとばちばちに火花を飛ばしている。他のメンバーは集まって感想会の途中だ。この場で俺達のことを気に掛けているのは居ない。

 その姿は、王と呼ぶにはあまりに孤独に見えた。

 

「クライネキッスの奴。いつの間にあんな走りを覚えてるなんてな。アンタの仕込みか?」

 

 シリウスの問いに首を横に振る。俺にそんなことが出来るだけの経験は無い。クライネキッスは自分で壁を乗り越えて、手にした強さだ。それを自分の手柄と誇ることは出来ない。

 

「今日のクライネキッスは会心の走りだった。よく差し切ったな」

「当たり前だろ。あれに勝てなくちゃ、シニア級で勝つなんざ夢のまた夢だ」

「シニアでもあれだけの逃げが出来る奴は殆ど居ないだろう」

「だけどG1には出てくるだろ?」

「それは」

 

 その通りだ。言葉を詰まらせる。強いウマ娘が少数だとしても、G1レースにはその少ない例外ばかりが出て来る。秋の天皇賞への試金石だと捉えたのか。それなら、あの必死さも納得が。

 

 いや、出来ない。それは間違いなく本心なのだろうが、それだけじゃない筈だ。

 

 しかし、シリウス本人にそれを聞く訳にもいかず。もやもやとした気持ちを抱えたまま、チームレグルスの夏合宿は終わりを迎えた。

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