問題児達の参謀 作:カフェシリトレ
■一
合宿が終わり、始まるのはビューティモアの挑戦だ。スプリント路線に進むと決めた彼女はスプリンターズステークスを目標に定めた。その為に先ず挑むのは、セントウルステークス。同じ1200mを走るにも北九州記念やキーンランドカップがあったのだが、どうせ走るのならグレードが高い方が良いとビューティモアが希望した。
「自信をつける、って意味ならG3の方が良かったんだけどな」
懐かしさすら覚えるトレーナー室でため息を吐く。眠気覚ましのコーヒーを口にして、セントウルステークスの出走予想のリストを書き出す。
チームレグルスで重賞レースを取ったのはシリウスシンボリだけだ。もちろん重賞は取りたいからと言って取れるような、レベルの低いレースではない。難関のデビュー、未勝利を抜け、オープン戦を勝ち抜いた猛者だけが残る。本来チーム単位でも一つ取れたらお祭りだ。それでも、勝つだけの力があると信じているからこそ、まだタイトルが無いのは歯がゆかった。
「それに、セントウルステークスにはアレが出る」
「アレってなんだ?」
背後から声がする。シリウスだ。いつものように肩に顎を乗せて、パソコンのディスプレイを覗き込む。その様子は、疑うべくもなく普段通りで。合宿のレースの時にあった違和感は勘違いだったのではないかと思ってしまう。きっとそんなことはないのだが。
「オイ、何ボケっとしてんだ。夏休みで頭が鈍ったか?」
「そんなわけあるか。出るってのはこいつだ」
俺はリストの一番上を指差す。
「サクラバクシンオー。短距離の絶対王者だ」
サクラバクシンオーのレースを表現するには、傲慢という言葉が一番適切だろう。他者のことなど気にもせず、ただ最初から最後まで、走者が自分一人であるかのように走り切る。それで誰も敵わないのだ。皇帝のお手本のような走りとも、シリウスの全てと競り合って上に立つようなレースとも違う。たった一人孤独な王の走り。それがビューティモアの前に立ちふさがっていた。
■二
「あー、学級委員長だかなんだかでうるさい奴か」
「変人としても有名らしいな」
「ああ、だが一度走りを見たことがある。良い走りだったな。そいつがビューティモアと当たるのか」
「ああ、それもおそらく二回な」
セントウルステークスと、スプリンターズステークス。サクラバクシンオーはその両方に出走するだろう。ビューティモアがセントウルでサクラバクシンオーへの戦い方を自分で見つけられたなら価値はある。だが、もし彼女の強さに心を折られたら、スプリンターズを取ることは不可能になる。そんなことはない、と言い切れないのがサクラバクシンオーの恐ろしさだ。
「俺が昔担当したウマ娘の一人に、デビュー戦一回で心を折られたウマ娘がいる。そのウマ娘と同じレースに居たのがサクラバクシンオーだ」
「因縁の相手ってわけだ」
「そういうのじゃないさ」
実際、トレーナーとしては気力を失った彼女を止める力は無かった。だが、今となってはそれも正しい選択だったのだろうと思う。苦しみながら走るのはたくさんだ。
「それにビューティモアだけに構ってもられないさ」
走るのはビューティモアだけじゃない。後輩三人のメイクデビューも控えているし、ザッツコーリングのダート初挑戦もある。クライネキッスも重賞の新潟記念への出走権を手に入れた。トロピカルエアは菊花賞トライアルレースの神戸新聞杯に出る予定だ。
「それが終わったら、今度はお前の毎日王冠だ」
秋の天皇賞へのステップレース。シリウスはダービーを勝ったとはいえ、シニア級のG1に出走するにはまだ実績が足りない。毎日王冠でシニアの雰囲気を肌で感じてもらう必要がある。
「任せておきな。ロートル相手だ。勝ってやるさ」
「……頼もしいな」
頼もしい。自分で言った言葉とは裏腹に、ずっと感じていたおかしさが、腑に落ちた。
■三
自身のトレーナー室を離れ、トレーナー棟を一人歩く。向かう先は、恩人の部屋。ノックをすると空いてるよ、と返事が来た。
「失礼します、コレエダさん」
「やあ、急に連絡が来たときは何事かと思ったよ」
コレエダトレーナーは、相変わらず細くて折れそうな指で菓子を摘んでいた。その傍らには彼が担当するウマ娘であるマンハッタンカフェの姿も見える。
「すいません、こういう時に頼れるのがあなたしか思いつかなくて」
「良いよ良いよ、後輩が困ってたら助けるのが先輩の役目だからね」
促されるままに椅子に腰掛ける。
「お口に合うか分かりませんがどうぞ」
「カフェのコーヒーは美味しいよ。香りから楽しむと良い」
「どうも」
言われるがままに口をつける。少し苦くて、でも苦にならない。インスタントコーヒーとは比べ物にならない代物だ。
「それで、どんなアドバイスが必要かな」
「……ええと、アドバイスというよりも、思考をまとめるのを手伝ってほしいんです」
自分で言っておきながら分かりにくい注文だが、コレエダトレーナーはすぐにその意図を察してくれた。
「なるほど、それじゃあ聞き手に徹しようか」
「ありがとうございます」
ずっと燻っていた感情と疑惑を、言葉に出して人に説明して、整理する。レグルスのメンバーには出来ない、シリウス本人に聞かせるわけにもいかない。
先ず、結論から。
「俺のところのウマ娘が、壊れそうになってます」
■四
「レースに勝つのは、もちろんトレーナーの夢でもありますけれど、実際に走るウマ娘達の夢の筈なんです。でも、そいつは他人の為とばかり考えて、自分で気付かないうちに、義務にしてる」
「どうしてそんなことに?」
「たぶん、ですけど。最初からそうだったんです。問題を抱えた奴らを拾って、引っ張って、お山の大将になる。誰かに頼られることが、そいつにとって、きっととても大切なことなんです」
チームレグルスは、シリウスシンボリを中心としたチームだ。彼女のカリスマだけで成立させたといっても、過言ではない。
「これまでは、他のメンバーもそいつに頼っていました。信頼するっていうよりも、寄りかかっていたんです」
俺自身もそうだ。シリウスに引っ張られて、脳みそが焼き焦げるくらいにあいつに魅入られた。
「だけど、少しずつ変わってきた」
「はい、皆が自分の足で歩き出そうとしてます。悪い意味じゃないんです。庇護されていた関係から、対等なパートナーになろうとしている」
何をするにもシリウスの言葉に従っていた。それが自分で考え新しく動こうとしている。スプリントに挑むビューティモアも、ダートに転向したザッツコーリングも、リーダーとしての才覚を見せ始めたクライネキッスも。その理由の一つには、シリウスの負担にならないように、というのは間違いなくある。シリウスだって、トゥインクルシリーズを走る選手なのだから。
■五
「特に、最近入ってきた後輩達はそいつとの信頼関係が長いわけじゃありません」
シリウスのダービーを見て入った三人は、ふるいにかけられた所をシリウスにすくい上げられたわけではない。良くも悪くも、初期のメンバーとはシリウスに向ける感情の重さは全く違うだろう。
「だから、そいつにかかる重圧は軽くなっている」
「それがその子には辛いと」
「はい」
はっきりと、そう言い切ることが出来た。
「弱みを見せてもらえなくなったことが、人望を失ったのだと勘違いしているんです」
信頼を失った狼の王程、みすぼらしいものはない。そうならない為に、シリウスは群れで一番強いのだと証明する必要があった。合宿最後のレース、彼女があれだけ本気だったのは、クライネキッスに負けるわけにはいかなかったから。もし負けたら、彼女が上に立つ理由を失ってしまうから。
それは自信家であると同時に、自信のない人間の思考だ。この強さというものを金銭に置き換えれば分かりやすい。金持ちだから人がすり寄ってくるだけで、ばらまくお金がなくなれば人が寄り付かなくなる。横に自分より金持ちが現れたら? どうにかして自分の存在をアピールするしかない。
「なるほど、その子の状況はよく分かった。それで、君はどうしたいんだい?」
「それは……まだ答えを出せていません」
「でも考えはある」
「……はい」
思い出されるのは、ハイバラトレーナーの残した忠告。
支えるつもりで寄りかかるな
■六
「彼女に寄りかかったままでいるのが、間違いだとは思いません」
信頼が彼女の力になるのなら、それはトレーナーとして正しい行動だろう。甘えや共依存ではないか、と問われれば胸を張って否定するのは難しいが、やめないと言うだけの自信はある。
「彼女達は、どれだけ大人びていて、強くあってもまだ子供です。むりやり今のあり方から自立させるのが良いとも思いません」
「でも、それだと良くないとも思っている」
「……トレーナーとウマ娘、一対一の関係ならそれで問題無かったと思います」
だけど、相手はシリウスシンボリだけではない。チームレグルスという存在にも関わってくる。
「自立しようとしている子達の邪魔になるようなことはしたくない。俺が、そいつに寄りかかり続ければ、結局は他の子達が離れられない。或いは、離れた後でそいつには俺しか残らなくなってしまう」
臣下が離れていく中、最後の一人に執着する。そう思うのはシリウスシンボリという存在をバカにしているだろうか。そうかもしれない。だけど、可能性がゼロじゃないということはケアしなければならないということだ。彼女に必要なのは、臣下ではなく、対等な友人なのだ。それがどれだけ難しいことか。彼女自身が、それを恐れているのだから。
■七
「対等な友人か。覚えのある言葉だねえ、カフェ」
コレエダトレーナーは懐かしむようにカップを傾けた。隣のマンハッタンカフェが少しだけ表情を歪めたような気がしたのは気のせいだろうか。
「確かに、タキオンさんには助けられたことも多いですが……なんだか違う気がします」
「違うのは当たり前さ、友情のあり方は一つじゃない。腐れ縁だって立派な友情だし、親愛や恋愛だって同じようになり得る。今回の場合は、"互いに弱さをさらけ出せる相手"と定義するのが分かりやすいかもしれないね。なんだっていい、互いにというのが重要なんだ」
互いに切磋琢磨し合う関係。互いに頼り合う関係。互いに嫌い合う、は少し違うか。それでも嫌よ嫌よも好きのうちと言ったりする。向ける感情が同じなら、それは強い結びつきになり得る。
「君ではなれない。チームのメンバーでもなれない。いつかはなれるかもしれないけれど、少なくとも今はまだ。だったら、今そうなれる相手は誰か。その様子だと、当たりはついている。でも上手く行く保証はない」
「……凄いですね、本当に」
「伊達に一線級と言われてはいないさ。そして俺のことに来たってことは、俺からコンタクトが取れるのかな?」
「そうなんじゃないかと、思っているところはあります」
「なるほど。誰に繋げば良い? できる限りは応えよう」
吉と出るか凶と出るか。無茶苦茶なのは間違いない。それでも、それが俺にできる最善だと思った。
「……シンボリルドルフと、走らせてください」
■八
コレエダトレーナーと話してから数日。俺は、シンボリルドルフのトレーナーが使っている部屋の前に立っていた。ハイバラトレーナーと対面した時よりも緊張で手が震えている。なんと言ったって、あの七冠の皇帝を育て上げたトレーナーだ。そして、シリウスシンボリがあんなにも毛嫌いしているシンボリルドルフのトレーナーだ。
ノックする。扉が開くと、人の良さそうな顔の青年が迎え入れてくれた。拍子抜けするほどに存在感が無い。路傍の石のようだ。
「やあ、噂はかねがね。この間はダービーおめでとう」
「ありがとう、ございます」
「さ、立ち話で終わることでもないだろう? 入って入って」
言われるがままに入る。質素な部屋だと思ったが、自分のトレーナー室もそう変わらないな。コレエダトレーナーの部屋がやけにアンティーク趣味で特徴的なだけだ。
「それで、どういう要件だっけ」
「……うちのシリウスシンボリと走ってほしいんです」
「なんで?」
なんで、と子供のように聞かれて一瞬言葉に詰まる。
「うちのシリウスにはそれが必要だから、です」
「うん、それで? こちらには何かメリットある?」
メリット。全てのウマ娘の幸福を掲げるシンボリルドルフのトレーナーから出たとは思えないような言葉だった。
■九
「知ってるだろうけど、ルドルフは現在無期限の休養中だ」
無期限休養。それは実質的な引退だ。トゥインクルシリーズから引退し、ドリームトロフィーにも進まないウマ娘はトレセン学園への在学資格を失う。だが、例えばうちのコンテストアバターのように、走るのはやめたがトレセン学園には残りたい、という者も居る。そういうウマ娘が選ぶのは二つ、転科か休養だ。前者はスタッフ科に転科願いを出し、受理されればスタッフ候補生として学園に残ることができる。コンテストアバターはこちらのタイプで、彼女の肩書はスタッフ科であり、チームレグルスへの実習生になる。
もう一つが無期限の休養。文字通り、トゥインクルシリーズを引退したわけではないが、次走は未定という扱いだ。誰しもがこの休養を認可されるわけではない。十分な実績、或いは怪我からのリハビリなど、相応の理由がなければならない。チームの最年長が引退はしたものの、後進の育成で残るパターンが最も多いだろうか。シンボリルドルフも、最初の三年間を走り切り、生徒会長としての仕事に専念する為に無期限休養になっていた。
「それを模擬だろうとレースの場に引っ張り出す、ってトレーナーとしては認められないよ。怪我したらどうするのさ」
基礎トレーニングはずっと続けているだろうが、レースを走り抜く為のハードプログラムは組んでいない。現役のウマ娘と走らせれば無理が起きても仕方がない、というのがルドルフのトレーナーによる主張だった。
「お山の大将に付き合って復帰が不可能になった、なんて話になったら笑いものだ」
カチン、ときた。
■十
こちらが頼む立場だとか、相手がシンボリルドルフのトレーナーだとか、そういうことは頭から一気に落ちていった。
「怖いんですか?」
「なに?」
「自分が育て上げた皇帝サマが、あっさり負けるのが怖いんでしょう。七冠を達成してすぐに休みましたからね。負けてメッキが剥がれるのが怖いんだ」
昔もこんなことした時があった。あれはそうだ、シリウスシンボリと初めて会話した時だ。だが、あの時とは違って思考は明瞭だ。相手を怒らせて、望む言葉を得る為に挑発する。ジャーナリズムのやり方。
「随分失礼なことを言うね君は」
「だってそうでしょう? 戦わなければ玉座は揺らがない。挑戦者を迎え撃たないチャンピオンなんてお飾りと何も変わらない。上から見下ろしてるつもりで、蚊帳の外になってるだけだ」
「キャンキャン吠えてもみすぼらしいだけだよ」
「みすぼらしくて結構。野良犬の王は、玩具の王冠よりずっとマシだ。アンタ達は、そこで一生裸の王様になってれば良い」
もはや敬語すら崩れて煽り倒す。キレて乗ってくれればそれで良し。つまみ出されても問題こそ解決しないものの、彼らの心には楔を打てる。
「自信げだけど、シリウスシンボリがルドルフに勝てると、本気で思っているのかい」
馬鹿にするような顔に胸を張って答える。
「当たり前だ。シリウスシンボリは、皇帝よりずっと強い」
「へぇ……だってさ、ルドルフ」
ニヤリと笑うその後ろで、扉が開く音がした。
■十一
「君が心配せずとも、シリウスシンボリのトレーナーはちゃんとしてるみたいだ。ちょっと噛み付き癖があるけどね」
「狂言綺語。本音を引き出す為とはいえ、酷い言い草だったぞ、トレーナーくん」
シンボリルドルフのトレーナーは、全く怒っていなかった。そして、罵詈雑言を聞いていた筈のシンボリルドルフも、むしろ彼女のトレーナーを非難するような口調だ。
「……つまり、良いようにノセられたってことですか」
「ごめんね。それでも知りたかったんだ。君がシリウスシンボリという光をどう思っているのか。虎の威を借る狐なのか、共に歩む狼なのか」
「あの子は、優し過ぎるからな。その優しさにつけこむような下郎なら私も放っておくことはできない」
シンボリルドルフがシリウスの話をする顔は、なんというか、保護者の顔だった。母親、というのは失礼か。妹を心配する姉というのが一番近いかもしれない。彼女達の間にある確執は分からないが、きっとそれはただ反目し合うものではないのだろう。
「それで、ルドルフと併走したいんだっけ?」
「あ、ああ……はい」
さっきまでの独裁者のような雰囲気からは一転、最初に感じたのと同じ人の良さに困惑。どっちが本性なのか、後者なのだろうが、勘繰ってしまう。
「どう? ルドルフ」
「ああ。少し先になってしまうが予定の調整は可能だ。彼女と走るのは久々だから胸が高鳴るな」
「そういうわけだから、予定を合わせてくれれば問題ないよ。でも、それだけじゃないんだろう?」
見透かされている。一流のトレーナーというのは誰も彼も、一つの言葉から百の思惑を読み取るようだった。