問題児達の参謀 作:カフェシリトレ
■一
◆
シリウスシンボリは、どうしようもない焦燥感に怯えていた。彼女自身、その感情に名前はつけられない。私を見てほしい。私が王だ。私から離れないで。そんな自己中心的な気持ちはある。皆が勝てて良かった。自分の道に進む仲間を応援したい。そんな気持ちも確かにある。自分が本当に求めているものが何なのか。他者からは答えが出せてしまうそれも、彼女には何も分からない。
「ドンマイだってモア。リベンジのチャンスはまだあんだろ? 私の仲間なら、こんなところで折れたりしないな?」
セントウルステークス。五着で辛うじて掲示板に入ったビューティモアを労う。前から選考レースなんかで仲間が負けた時はいつもやっていた。一着は当然というべきかサクラバクシンオー。二着に一馬身つけた、短距離としては圧勝だ。
「おう」
生返事のビューティモアは、シリウスシンボリの言葉など聞いていない。意気消沈しているのではない。彼女の目に映るのは、自分より前に居た者達の背中だけ。頭を過るのは、レース中の細かなミス。決定的に足りない部分、そして勝利者だけが持っている強み。今のビューティモアにとって、シリウスシンボリはレース外の雑音でしかなかった。
「……他の奴ら待ってるぞ。ウイニングライブだってあるだろ」
「え? ああ、そうだな」
背中を軽く叩き、ビューティモアを現実に引き戻す。いつまでも感傷に浸っている暇がないのも確かだが、言葉にならない嫉妬心がそうさせた。
ああ、苛々する。シリウスシンボリは知らずのうちに舌打ちをしていた。
■二
◆
「コーちゃんおめでとう!」
「頑張ったねー」
ザッツコーリングの周りに皆が集まっている。ダートに転向した第一戦で、彼女は見事に一着を取ってみせた。
「コーちゃんの次は私も……」
「クライネ先輩なら行けますよ!」
クライネキッスは自分もと意気込んでいる。彼女も来週には新潟記念だ。後輩三人が一緒になって励ましている。彼女達は、誰一人メイクデビューでは勝てなかった。しかし、まだチャンスはあるとクライネキッスに励まされ、闘志を燃やしている。
それを、シリウスシンボリは少し離れたところから見ていた。
「お前は混ざらないのか?」
「水差すのも野暮だろ」
声を掛けて来たトレーナーに振り向きもせず返す。本当は、そこに居る自分が違う気がして、歩み出せなかっただけなのに。チームレグルスのボスは私だと叫びたいのに、彼女自身が疑いを持ってしまう。疑ってしまうから、距離を取ってしまう。
「そうか」
トレーナーはそれ以上何も言わなかった。それがどうにも腹立たしかった。何か言葉を掛けてもらいたかったのかすら分からない。トレーナーをチームに引き入れたのは彼女なのに、頼るのを嫌がっている彼女が居た。
■三
◆
「……よしっ」
トロピカルエアが小さくガッツポーズを作った。神戸記念。菊花賞トライアルレースで彼女は一着を取った。チームレグルスで、ようやく二人目の重賞ウマ娘だ。そして何より、彼女にとってはこの一勝は大きな意味を持つ。
「菊花賞は、負けないから」
バチバチと火花が散りそうな視線をぶつけ合う相手はシンセダイナ。怪我からの復帰戦。皐月賞で悔しい敗北を喫したライバルに、トロピカルエアは今日初めて勝利した。
「分かってる。私だって、クラシックを取りたい」
互いに本番は菊花賞。一勝一敗、彼女達の決着をつける為にはまだ終わりではない。
クラシックはトゥインクルシリーズの花形だ。毎年違うメンバーが、一生に一度のタイトルを奪い合う。
シリウスシンボリは、自分からその舞台を降りてしまった。もう、クラシックを走る彼女達に自分の姿は映らないだろう。
「私が、勝ち続ければ良いだけの話だ」
シニア級のレースで勝てば、自分の強さは証明出来る。シリウスシンボリがレグルスで一番強いのだと、彼女がボスだと。
その為には秋の天皇賞を勝つ。毎日王冠なんていう前座で足踏みするわけには行かない。
そんな彼女の心を嘲笑うかのように、前のウマ娘がゴール板を駆け抜けていった。
■四
毎日王冠。シリウスは二着だった。クラシックのウマ娘がシニア級レースで二着を取るのは、凄いことだ。当然だが同年代しか居ないクラシックよりも、上の年代が群雄割拠しているシニア級の方が険しい道のりで、秋の天皇賞への切符を手に入れるに十分な成績を収めた筈だ。それでも、シリウスの顔は晴れない。流石にチームメイトも気が付いたのだろう、困ったように俺の方を見ていた。
「コンテストアバター。先に皆を連れて行っててくれ」
「……分かりましたー」
コンテストアバターが皆を連れ出して、控室には俺とシリウスだけになる。さて、どう言葉を掛けたものか。よくやった? それだけはない。それじゃあまるでシリウスの勝ちを信じていなかったみたいだ。俺だってシリウスが勝てると思ってこのレースに臨んだ。だからよくやったとは言えない。言葉が思いつかず、沈黙が流れる。
「……今は、俺しか居ない」
結局。そんなことしか言えなかった。他のメンバーは居ない。だから弱音を吐いても良い。直接は言えないが、そんなつもりだった。俺がシリウスのはけ口になれるならそれでも良いと思った。
それは、彼女の最後の砦を崩すには鋭すぎて。俺は、壁に叩きつけられた。
■五
「よくもまあ、そんなことが言えるな」
胸元を掴みあげられる。息ができない。前にもこんなことがあった。コンテストアバターと腹を割って話そうとしたときだ。あの時は味方になってくれたシリウスが、今は殺したいと言わんばかりの目で睨みつけている。
「誰も居ないのは当たり前だ。アンタが人払いしたんだからな。あいつらは皆裏切り者だ。私よりも、アンタなんかの言う事を聞く」
そんなことはない、と否定するべきだったかもしれない。これが八つ当たりで、ふざけたことを言っているのは彼女自身が一番分かっていて、指摘されればすぐに冷静になってしまうだろう。だから、俺は何も言わなかった。
「嬉しいか。お山の大将は。私に拾われたのに、私からそれを奪うのは」
そこにあるのは、彼女が普段飄々とした態度に隠していた嫉妬や怨み。自覚すらしていなかっただろう感情が、沸々と湧き上がっているようだった。
「コーも、クライネも私に相談すらしなくなった。私はもう要らないんだろうな。コンだって居るし、アンタも居る。コーのダートメニュー、アンタが組んだんだって? 立派なトレーナーじゃないか。問題児とは大違いだ」
絞り出すような怨嗟。それを聞いている俺も、自身の感情がないまぜになっているのを感じていた。
■六
一つは、安心だった。俺にとってシリウスシンボリというのは、学生とは思えないくらいに強くて、曇ることのない星だった。そんな彼女でも、悩んでもがいて、揺るいであたり散らすことがあるのだと。普通の人なのだと分かったことに安心していた。その安心は、高尚な人の俗な面を見たかのような失望と鏡合わせだ。
そして、崩れ落ちてしまいそうな彼女に対する庇護欲。幼い姿を見たときの恍惚とした感情。俺は、シリウスに対してこんなにも重い感情を持っていたのかと驚きさえ覚える。
「おい、何か言えよ」
首がぐっと絞まった。笑みがこぼれそうにすらなるのを我慢する。傍から見ればただのマゾヒズムかもな。だけど、こんなにも素の感情をぶつけられていることが嬉しくて仕方がない。
「なあ、何か言ってくれよ」
それは一つの懇願だった。冷水を浴びせられたように、自分の心がクリアになっていった。
彼女は、否定されたいのだろうか。俺は、なんと答えれば良いのだろう。定まらない思考とは裏腹に、本当に言いたい言葉はすっと出て来た。
「皆、お前が必要なくなったんじゃない。お前が大切だから。今こうなっているんだ」
■七
「お前。走るのは好きか」
「いきなり何を言っているんだ。そんなの」
シリウスの言葉が詰まる。当たり前だ、と言おうとして出来なかった。そんな感じだ。コンテストアバターの辛さにちゃんと気が付けた奴だ。自分の矛盾に気が付けない筈がない。
走るのが呪いになってはいけない。そういう本人が呪いに身を蝕まれていたとは。彼女が走ることを苦しむようになったのは、王としての権威を走りに求めたからだ。それはずっと昔からで、しかしつい最近のことだ。今までの彼女にとって、走ることは証明でしかなかった。
「俺の言葉が届くかは分からない。だが、一つだけ忘れないでほしい。お前が王じゃなくなったって、ただのシリウスシンボリになったって、誰もお前のことを嫌いになんかならない」
「…………」
手を離す。ズルズルと床に崩れ落ちた。シリウスの険しい顔つきは変わらない。俺では、シリウスの心を溶かすことなんて出来ない。
「シリウス」
「なんだ」
「天皇賞に向けて、あるウマ娘に併走をお願いしている。俺のことを信じてくれるなら、受けてくれ」
「……相手は誰だ」
「それは……言えない。相手から、当日まで伏せてほしいと言われている」
それは本当だ。万が一にもシリウスが断ることのないよう、シンボリルドルフの名前は伏せるように言われている。
「……分かった。乗ってやるよ」
シリウスだって、今の苦しみを乗り越えたい気持ちは同じな筈だ。彼女が首を縦に振ったことに俺は安堵した。