問題児達の参謀 作:カフェシリトレ
■一
シンボリルドルフとの併走は、トレセン学園ではなく、別のレース場を使うことになった。学園内でシンボリルドルフが走るという噂が広まれば、事態はむしろ悪化すると思ったからだ。だめもとで頼んでみたのだが、シンボリルドルフのトレーナーはあっさりと場所を確保してしまった。どれだけの費用が掛かったのか、カードローンなんかを調べながら聞いてみたのだが、気にしなくて良いと軽く返されてしまった。シンセダイナと言い、お金持ちは考えることが違う。シンボリルドルフのトレーナーが名家とはあまり聞いたことはないが。
このレース場に居るのは、俺とシリウス。シンボリルドルフとそのトレーナー。そして繋いだのだからと顔を見せたコレエダトレーナーとマンハッタンカフェ。それだけだ。チームレグルスのメンバーには伝えてすら居ない。正確に言えばコンテストアバターにだけは内容をぼかして連絡はしているが、まさか彼女もこんな状況になっているとは露にも思わないだろう。
「アンタがもったいぶるから予想はついてたが。皇帝サマが相手とはな。書類仕事ばかりでその足錆びついているんじゃないか?」
「常在戦場。シリウス、心配してくれるのは嬉しいが私はそれ程なまくらではないよ」
「チッ、そうだと良いな」
シリウスの挑発も、皇帝には効果が無い。実際、今のシンボリルドルフがどれだけの強さなのか、全く分からない。シリウスも負けないとは思っているが相手は七冠だ。それでも、価値はある。
「さて、シリウスのトレーナーくん。覚悟は出来たかな」
「覚悟?」
シリウスが疑問符を浮かべる前で、俺は静かに頷く。そして──
トレーナーバッジを差し出した。
■二
「おい、何してんだアンタ」
シリウスの声が震えているのが分かる。トレーナーバッジは、俺がトレセンに居ることを証明する唯一の手段だ。それを手放すということは、トレーナーを辞めるということ。
「これが最善だと判断した。シンボリルドルフとのレースにはそれだけの価値がある」
「アンタが居なくなったら、レグルスはどうなる」
「名目上はシンボリルドルフのトレーナーが引き継いでくれる。元々俺が居なくてもお前が引っ張っていたチームだ。支障は無いだろう」
「そういうことを言ってるんじゃねえ!」
掴みかかられそうになるところを、間にシンボリルドルフが割って入った。
「……ルドルフ」
「彼の決断に君が口を挟む資格は無い。少なくとも今は。それに、私を相手に心あらずで走るつもりか?」
威圧。シリウスですら気圧される存在感は、一線から退いたウマ娘とは思えなかった。
「喧嘩なら、レースの後にしてくれ」
「……クソッ」
余裕の無いままにシリウスが唾を吐く。これで良いのだと、自分の決意を信じる俺の手も震えていた。コレエダトレーナーに迎えられ、シリウスとシンボリルドルフがゲートに入るのを遠くから眺める。
ゲートが開く、好調なスタートを切ったシンボリルドルフとは裏腹に、シリウスは大きく出遅れた。
■三
「ひと芝居打ったのかい?」
シンボリルドルフに大きく離されるシリウスを眺めてコレエダトレーナーが言った。
「さっきのやり取りのことさ」
「あれは、まあ言葉通りですよ」
「そうかもね」
おおよそ見抜かれているんだろうとは思いつつ、一応は煙に巻いてみる。コレエダトレーナーはにやにやと笑うだけだ。それなら、俺が話す必要もない。根比べに負けたのは相手の方だった。
「バッジを捨てたにしてはやけにそわそわしてるよ。まるで戻ってくる算段があるみたいにね」
「…………」
「それに、わざわざ彼女の前で渡す必要はない。取り返しがつかないなら後で伝えるだけだ」
「…………」
「何より、俺は彼とはまあまあ長い付き合いだからね。意味もなく理不尽な要求はしないよ」
「やっぱりだいたい分かってるじゃないですか」
「だいたいはね。詳細は分からない。不自然な点もいくつかあるし」
何故、そんな芝居を打つ必要があったのか。打つにしては、シリウスに何も求めないのは何故か。聞きたいのはそんなところだろう。
「先ず訂正を。別に善意で返してもらうつもりのわけじゃありません。あれは賭けの代金です。俺が賭けに負けたら失う。勝ったら戻ってくる」
「賭けの条件は?」
「この模擬レースの勝敗」
簡単な賭けだ。
「シリウスシンボリが、シンボリルドルフに勝てば戻ってきます」
賭けの内容は本当にそれだけだ。俺は、シリウスが勝つと思って持ちかけた。この出遅れを見てもそれは変わらない。
手が震えているのは、待つということに慣れていないからに違いない。
■四
「なら、どうしてそれを彼女に伝えなかったのかな。彼女なら、そうした方が力を発揮しただろうに」
「それは分かってるでしょう」
確かに、シリウスに、お前が勝てばバッジは戻ってくる。だから勝ってくれと頼んだなら、彼女は心置きなく全力で走れただろう。今よりも、その方が絶対に速い。
だけど、それじゃ意味が無い。それは、王が臣下の願いを叶えているだけだ。彼女の為の勝利にはならない。
「迷ってほしいんです」
「迷う?」
「彼女には、このレースを全力で走る理由はありません」
観客が居るわけでもない。毎日王冠で負けた今、メンバーも居ないのにシンボリルドルフに勝たなければならないというプレッシャーはもう無いだろう。勝ったところで何か得られるわけでもない。それどころか、このレースが終われば自分は問題児達の王に舞い戻ることができる。
「だから、出てくるのはきっと本当の彼女の気持ち」
義務ではない、勝利への渇望。
「なるほどなあ」
コレエダトレーナーは納得がいったようにうんうんと頷いた。しかし、隣のマンハッタンカフェはいまいち理解できていないようだ。
「その為に、無謀な賭けを……?」
「分の悪い賭けなんてしませんよ。俺はシリウスが勝つって確信してますから」
「信頼……してるんですね」
「カフェ、こういうのは信頼よりもっといい言葉がある」
ああ、まさしく本当に。
「こういうのは、"脳を灼かれた"って言うのさ」
■五
◆
体が重い。シリウスシンボリは自分の体が、自分のものではないような気さえしていた。足は沼にハマったように重く、腕には砂の詰められた袋が幾つも垂れ下がっているようだ。視界は狭く、前を走るシンボリルドルフすらもボヤケて見える。
どうしてこんなことになった。シリウスシンボリは考える。原因は単純だ。トレーナーが、バッジを捨てた。レグルスから去ると言った。理由は分からない。拾い上げてきたものが自分の元を離れていくことなど、珍しくもなかったはずだ。
彼女が率いる問題児の群れは、レグルスの前にも何人も居た。そもそも、目についたものを拾い集めて、去るのも自由にしていたのが彼女だ。自分の才能に見切りをつけ、失意の中学園から消えていった者も居れば、熱心なトレーナーに見留められ、問題児から卒業した者も居る。
風が一際強く吹いて目を瞑った。その間に、シンボリルドルフはさらに前を行っていた。
追い掛ける気力も沸かない。この勝負、勝っても負けても、シリウスシンボリには何の関係も無い。せめて、勝てばバッジが取り戻せるというのなら、気合も入っただろうに。
──待て、今。私は何を考えた?
トレーナーに居なくなって欲しくないと思ったのか。違う。その気持ちがゼロとは言わないが、トレーナーが居なくなることにはむしろ、安堵の気持ちさえあったのだ。それも違う。考える程に思考はまとまらなくなり、シンボリルドルフには離されていく。
もう、走るのをやめてしまおうか。沼が一層深くなった気がした。
■六
シリウスはどんどんと離されていく。このままでは、取り返すことの不可能な差に広がるだろう。何をしているんだ、と拳を握る力が入る。お前は、こんなとこで燻っているようなタマじゃない筈だ。
走っている最中、シリウスの顔が見えた。ダービーの時に見せた不敵な笑みとは似ても似つかない、幼い少女の泣きそうな顔だ。
俺は、また独りよがりなことをしてしまったのか?
この併走が。シンボリルドルフと走り、競り合うことが彼女の為になると思った。バッジを賭けたことも、彼女の益になる。彼女が本当の熱を取り戻す助けになると思った。その全てが、空回りだったのか。
俺は、お前に夢を見ていたのか。
「……一度決めたら。揺れちゃ駄目だよ」
いつの間にか近くまで来ていたシンボリルドルフのトレーナーが誰に言うでもなく呟いた。いや、それは俺に対して向けられたものなのは間違いないのだが、直接言うわけでもなく、ただ聞き逃しそうな声量で、確かに伝わってきた。
支えるつもりで、寄りかかるな。俺はまた、寄りかかり過ぎていたのかもしれない。支えも無しで、立ち上がれるものか。
「シリウス──!」
気付けば立ち上がって叫んでいた。こんなところで、恥も外聞もなく。
「お前は何者だ、シリウスシンボリ──!」
■七
◆
トレーナーの声が聞こえた。はっきりと、走っている彼女の耳にも。
──私は何者だ?
チームレグルスのリーダー、違う。問題児達の王、もう違う。ただのウマ娘、そんなわけあってたまるか。私は私だ。シリウスシンボリだ。この場で、最も明るく輝く一等星だ。そうでなきゃ、私が私を許せない。
シリウスシンボリの視界がすっと開けた気がした。曇り空に日が差したようだ。当たり前のことを、当たり前に受け入れられていなかった自分を嘲笑する。言葉でなら、トレーナーにも、他の仲間にも散々言われていただろうに。シンボリルドルフのように言うなら五里霧中になっていたとでも言うべきだろうか。
「私が勝ちたいのは、王である為でも、願いに応える為でもない」
ギアが変わる。離され続けるようだったシンボリルドルフとの距離が、逆に縮まり始めた。それに気が付いたシンボリルドルフも、後ろをちらりと確認して、口角を吊り上げる。
「私が勝ちたいのは、私がシリウスシンボリだからだ!」
名分などない、ウマ娘として誰もが持っている、勝利への欲求。久しく見失いかけていたそれが、シリウスシンボリの両手足を押さえていた氷を溶かした。
ゴールまでは残り僅か200m。その差は、5バ身。
■八
◆
シリウスシンボリの走りは、無謀も良いところだった。まるで超短距離を走るかのような乱暴な走りだ。残り200mだとしても、最高速度は維持できる筈もない。シンボリルドルフは、追い付かれると思いながらも冷静にそう判断した。併走だろうと、全力で。その全力は、勝つ為の全力だ。けしてこの場でレコードを出す為でも、大差をつけるためでもない。シリウスシンボリより、僅か数コンマでも先にゴール板を通り過ぎれば良い。
先んじて言うと、シンボリルドルフのこの判断は悪手だった。彼女の判断は、長い間ひりつくような戦場で走っていなかったが故の鈍りであり、この場においては明確な間違いだったと言える。
「ああああ──!」
らしくもない叫びをあげて、シリウスシンボリは走る。ただ前に、誰よりも前に、皇帝よりも、見知らぬ誰かよりも、叶うなら自分自身すら置いていけるように。ただ速く、速く走れ。
シリウスシンボリとシンボリルドルフの距離は瞬く間に縮まり、ラスト数十メートルで完全に横に並んだ。
「なっ!?」
逃げ切れると判断していたシンボリルドルフは、慌ててスパートを強くする。だが、体はそれに追いつかない。第一線で走り続けることをやめていた体は、急な加速についていくことが出来なかった。
皇帝を叩き潰せ。
ほんの少し、ハナ差で先にゴール板を駆け抜けたのは、シリウスシンボリだった。
■九
「シリウス!」
走り切った彼女は力尽きるように倒れ伏した。怪我でもしたのか、慌てて駆け寄る。
瞳孔が開いて、息が荒い。過呼吸だ。息を吸う間も惜しんで全力で走り続けたせいで、意識が混濁している。
「シリウス、落ち着け。ゆっくりと息を吐くんだ」
うつ伏せの彼女の体を横向きにして、気道を確保する。過呼吸に必要なのは息を吸うことより吐くことだ。足りない酸素を取り込もうと無理し過ぎて、逆効果になっている体を落ち着かせてやらなければならない。
「さあ、吐いて。一、二、三……そして吸って。良いぞ、焦る必要なんて無い」
苦しそうな顔も表情が和らぎ、混濁していた意識も、少しずつ戻ってきた。それでもまだ焦点の合わない目で、か細い声でシリウスが尋ねる。
「どっちが、勝った……?」
「……お前の勝ちだよ、シリウス。誰が見ても、文句のつけようが無い程に」
「そうか……」
うわ言のように、勝ちという言葉を繰り返す。
「ああ、シリウスシンボリの勝ちだ」
呼吸が落ち着いてくる。見た限りでは体に腫れは無い。怪我なんかはしていなさそうだ。病院へ運ぶこともなく、もうしばらくすれば自分で立ち上がれるだろう。
「なあ、トレーナー」
「なんだ」
「アンタ、トレーナー続けろよ」
■十
「それは、命令か?」
意地悪な質問だった。言うようになった、とシリウスもニヤリと笑う。
「ただの願望だよ。別に王を気取るつもりもない。ただ、アンタが居なくなるのは勿体ないって、そう思っただけだ」
「……そうか」
向かいからシンボリルドルフが歩いてくる。死力を尽くしたシリウスと違って余裕のある姿だ。ようやく体を起こしたシリウスが、敗北した皇帝を前に不敵に笑う。
「よう、皇帝サマ。ネズミと思ってた奴に喉元咬み千切られた気分はどうだ?」
「……乾坤一擲。君の力を測り間違えていたよ、シリウス。慢心していたと恥じるしかない」
「フン、腹の中煮えたぎってるくせにスカした顔してるな。まあ良い」
シリウスが手を差し出す。それはけして友情の握手なんかではない。
「トレーナーバッジ、返してもらおうか。それは私のだ」
「フッ、変わらないな君は、どこまでも乱暴で、暴力的なまでに輝く星の光だ」
「どうだか。少なくとも今の私はアンタのハナ先の景色を見れて私自身記憶にないくらいに気分が良い。変わらないと思ってるなら節穴だ」
「そうかもしれんな」
シンボリルドルフが言葉にしなかった思いは、俺にも痛い程に分かった。
それは今までのシリウスが厚い雲に閉ざされて暗く隠れていたのだと。それがようやく、元の光を取り戻したのだと。
■十一
◆
「いやー、完敗だねルドルフ。いつぶりだろう、こんな負け方」
併走が終わり、シンボリルドルフとそのトレーナーは自らのトレーナー室に戻ってきていた。部屋の鍵をかけて、トレーナーはゆったりと自分の椅子に腰掛ける。
「ああ、欣喜雀躍。シリウスがあれだけの力をつけていたことは素直に喜ばしいな」
「またまた。本当の君は、そんな殊勝なタイプじゃないでしょ?」
トレーナーの一言で、シンボリルドルフの表情が変わる。笑っているようで、歯を食いしばり、目は血走りそうに見開いている。それは、プライドを傷つけられた獅子の顔だ。
「彼は、慧眼だね。きっとルドルフのそんな一面も察した上で、あんな賭けを持ち掛けたんだ」
「トレーナーくん。まさか反故にするとは言わないだろう?」
言うことを聞かなければ食い殺しそうな、静かなる剣幕も、トレーナーは柳のように受け流す。三年以上、この眠れる獅子を手懐けてきた猛獣使いは、この程度の威圧には怯まない。
「まあまあ、逸るのも良いけど落ち着きなよ。もちろん約束は履行するけど、その前に済ませなきゃいけないものも多いだろう?」
「それはそうだが」
「だから宣言だけにしておこう。そうだな、年末なんてどうだろう」
それにしても面白い子だと、シンボリルドルフのトレーナーは自分のバッジを握る。
「自分の魂を差し出して求めることが、"シンボリルドルフの現役復帰"だなんて」
■十二
シンボリルドルフの現役復帰のニュースはまたたく間にトレセン学園中、いや日本中を流れた。各所からのマスコミがトレセン学園に押しかけ、ちょっとした祭りになっている。いつも対応してくださっている職員の方々も若干疲れ顔だろう。そんなことを思いつつトレーナー室で仕事をしていると、定位置にいつもの顔が乗ってきた。
「流石は皇帝サマ、復帰して最初の目標が有馬記念と来たもんだ」
「それでも、票は集まるだろうからな。出走には問題無いだろうさ」
実績とは別にファン投票によっても出走者が選ばれる有馬記念は、ある意味では皇帝の再スタートにふさわしいのかもしれない。彼女が出たいといえば、断る人間は居ないだろう。
「シンセダイナの奴は出るんだっけか、有馬記念」
「ああ、その予定で調整してるって言っていたな」
菊花賞、トロピカルエアを接戦の末打ち破ったシンセダイナは二冠ウマ娘、クラシック世代の代表として有馬記念に名乗りを上げた。トロピカルエアは実績が足りず、ファン投票でなんとか入れればというところだが、インパクトは完全に皇帝復活に持っていかれてしまった。最大限努力するが、出走は正直難しい。
「お前も出たいのか?」
「んー? あんまり、っていうか。今年は興味無いな。天皇賞がまだ残ってんだ。先ばかり見て、そっちに身が入らないのも嫌だからな」
今週末の天皇賞。毎日王冠では勝てなかったシリウスが雪辱を晴らす為の舞台。
「私は、勝つぞ」
見なくても分かる、勝利を渇望するその目に、俺はおう、と小さく答えた。
第2話、完
次回より更新頻度が低下します。というのも、既に作品としては執筆終了していたものと違い、現時点で未だ執筆最中の作品になるからです。