問題児達の参謀 作:カフェシリトレ
■一
嵐の前の静けさ、なんて言葉はあるものの。実際にそうだったと気が付くのは嵐が来てからだ。オルフェーヴルとツヴァイスヴェル達のすれ違いも解消して、三月のレースも一着こそ取れなかったものの十分な結果を残すことが出来た。四月になって学年が上がり、新入生も入ってくる。新しい風が、何処か前向きな気分にさせてくれる。嵐がやってきたのは、そんな時分だった。
「おい」
投げかけられた声に、モニターに落としていた視線を上げる。レグルスの人間ではないが、聞き覚えのある声だった。
「オルフェーヴルってのは何処にいやがる」
知らない顔にグラウンドで練習していたメンバー達の動きも止まる。特に名前が出てきたオルフェーヴルは、エアシャカールの威圧感に遠目からでも縮こまっているのが分かった。
「オルフェーヴル、ちょっと来てくれ。他はそのまま練習」
言葉をぼかしたとはいえ、以前相談したよしみもある。オルフェーヴルを紹介するくらい何の問題も無いだろう。後から思えば軽率な判断だった。
「あ、はい……トレーナー、そっちの人は……?」
困惑しながらも駆け寄ってくるオルフェーヴルの姿を、エアシャカールは見定めるかのように睨めつける。その表情は固い。いくら普段から彼女が悪人面で有名だとしても、尋常じゃないとすぐに分かった。
「納得がいかねえ」
溢れた呟きの意味は分からない。だが、その感情は読み取りやすく。
「オルフェーヴル、オレと勝負しろ」
突拍子もない要求も、すんなりと聞き取ることができてしまった。
■二
「おい、こりゃ何の騒ぎだ?」
当人いわく「ちょっとしたいざこざ」で遅れたシリウスが、コースで横に並んでいるオルフェーヴルとエアシャカールを睨んで言った。
「模擬レースだ。あちらさんたっての希望でな」
「それでアンタは許可したのか」
「……本人の許可と、危険性については説明した」
正直、あまりさせたくないというのが本音ではあった。少しずつ改善されているとはいえ、オルフェーヴルは未だ不安定だ。そして相手のエアシャカールはシリウスにも劣らぬ実力者。懸念材料は探せば幾つでも見つかる。
「……あいつの迫力に圧されたんだな」
「否定はできん」
噛み殺さんばかりの相貌でレースを望み、オルフェーヴルがそれを受け入れてしまった。後悔していないと言えば嘘になる。
「だけど、悪いことだけじゃない筈だ」
殺意とも呼べる気迫は、オルフェーヴルがこれから先何度も戦っていく相手だ。彼女はまだ真剣勝負を、クラシック三冠のような
「悪い、シリウス。俺じゃどうもできねえって時は」
「分かったよ。全く頼りないトレーナーだな」
「返す言葉もない」
不安そうな顔でコンテストアバターが旗を上げた。
■三
スタートダッシュ。先に前に出たのはオルフェーヴルだ。完璧とも言える立ち上がりで、すぐさま3バ身のリードが出来る。並のウマ娘が相手であれば、この差を埋めることはできない。
「焦りがないな」
シリウスの呟きは、エアシャカールに向けてのものだ。出方に大きな差が出たにも関わらず、その目は凍傷を起こしそうな程に冷たい。
完全無欠のデータレース。エアシャカールについてそんな話を聞いたことがある。彼女はあらゆるデータをプロファイルし、成長曲線まで計算し尽くしてレースを組み立てる。ざっくり言うと、俺の仕事の分まで、走る当人が完璧にこなしてるということだ。組み立ての精度も実行力も比べ物にならない。事実として、彼女はトレーナーをつけることなくトゥインクルシリーズ出場しようとしてURAとひと悶着起こしたことさえある。
我流の狂犬、制御不能の怪物。噂だけ聞けばオルフェーヴルにも合致するような異名の彼女は、その実オルフェーヴルとは真逆のスタイルだった。
「仕掛けた……!」
エアシャカールがピッチを上げ始めたのは、俺の予想より2秒早いタイミング。それにつられてオルフェーヴルもスパートを掛けてしまう。
「経験の差だ」
位置取りから見るに、オルフェーヴルはまだスパートを掛けるべきではなかった。最後の数メートル失速し、エアシャカールにクビ差で負ける未来が幻視される。
そして俺はやはり凡人なのだと思い知らされる。
■四
「うあああああああああ!」
マスクが外れ、オルフェーヴルが猿叫をあげる。コンマ数秒、足が早く地面を蹴った。それはたった一歩の差にもならないかもしれない。だが、ハナ先でも相手より早くゴールするには十分な刹那。
負けじとエアシャカールも腕を振る。こうなってしまえば事前の組み立てなどもはや意味をなさない。才能と努力の総量を比べ合い、運が悪戯に天秤を傾ける。全力を振り絞りきった方の勝ちだ。
ゴール直前、横並び。ヤバいと、脳が警鐘を鳴らした。今までオルフェーヴルが起こした進路妨害を再現するのにぴたりと当てはまっていた。このままでは、エアシャカールを弾き飛ばすだろう。そして、今の状況ではどんな大事故が起きてもおかしくない。
「オル──」
叫んだその時、ガクンとオルフェーヴルの体が後ろに下がった。怪我か? いや、違う。走り方も、顔色も苦痛の色ではない。彼女は今、自分の意志で競り合いを避けたのだ。
エアシャカールが先にゴール板を駆け抜け、その半バ身後ろをオルフェーヴルが通り過ぎていく。
腰が浮いた。正解が何も分からない。だけど飛び出さないと。そんな俺を安心させるように、立ち上がって走っていく後ろ姿が見えた。
■五
「てめェ!」
ゴール後のクールダウンなど知らないとばかりにエアシャカールはオルフェーヴルに掴みかかろうとする。その手首を押さえて止めたのは、シリウスだった。
「邪魔すんなッ!」
「悪いな。アンタの気持ちはよく分かる。弁明するつもりもねえ」
エアシャカールからすれば、
「チッ……そいつを庇うのかよ」
「こっちにも色々事情があんだ。アンタが納得しなくても、このレースはさせるべきじゃなかった。すまない」
シリウスが真っ直ぐに頭を下げたのを見て、エアシャカールも驚きで目を見開いた。傲岸不遜なシリウスが、誰かの為に泥を被る姿は誰も見たことがなかった。
「私に免じて、この場は収めてくれないか」
「……クソっ」
シリウスの手を振りほどき、彼女は踵を返す。
「帰る」
苛立たしそうに地面を蹴り付けてから去っていく後ろ姿を、俺は眺めることしか出来なかった。
■六
「オルフェーヴル、大丈夫か」
クライネキッズに抱えられたオルフェーヴルの方に寄る。そして俺もさっきのシリウスと同じように深々と頭を下げた。
「すまん、指導者失格だ俺は」
「そ、そんな。トレーナーが悪いわけじゃないっス」
エアシャカールの鬼気迫る姿に当てられて、彼女はまだ体の震えが収まらないようだった。
「アタシが手を抜いちゃったのが悪いんス。そりゃあの人も怒って当然で」
「いや、お前は間違っちゃいない」
たとえ今回の悲劇が起きた原因がそこにあったとしても、彼女が正しいことだけは伝えてやらなければならない。
「あの時、お前は我を失うような高揚感の中でも冷静さを取り戻せたんだ。だから、衝突を回避できた。それは俺達がずっと取り組んでいた問題の解決に、一歩進んだ証だ」
接戦の空気に呑まれそうな状態でも、暴れ癖が出ないようにする。力を抜くのは問題かもしれないが、一段ずつ登っていく階段を進んだことには間違いない。ただ、今回はその進歩が最悪のタイミングで起きてしまった。
「エアシャカールには俺の方から話をつけておく。そこは安心してくれ。ウマ娘を守るのはトレーナーの仕事だからな」
それはオルフェーヴルだけでなく、エアシャカールのことでもある。彼女がなぜ突飛な行動に出たのか。全部を丸く収めることが、俺がやらなければならない仕事だった。
■七
「いやほんとうちのシャカールがご迷惑をお掛けして申し訳ない!」
クドウに連絡を取ると、数十分後にはトレーナー室の扉を叩いてきた。先に話だけ伝えてこちらから赴くつもりだったのだが、勝手知ったる仲だ。このまま話を進めさせてもらおう。
「なんだ、知り合いなのか?」
「シリウス。お前も練習の方に混ざって……まあいい」
「私が居た方が話はスムーズだろ?」
どうだかという気持ちはあるが、シリウスも気を揉んでいるのだろう。三人分のインスタントコーヒーを淹れる。
「こちらこそ、軽率な判断だった。すまない」
「カチコミかけたのはこっちだし、って謝り倒しても話は進まねえな」
「ああ、本題に入ろう」
誰が責任を負うべきかと言われればトレーナーである俺とクドウだ。そこで話は終わっている。聞きたいのは原因の方。
「シャカールから借りてきたよ。そっちのオルフェーヴルって子のレース予測」
渡されたコピー紙の束を捲る。メイクデビューの世代から、出走するレースとその着順、レース展開が事細かに記されていて、さながら預言書のようだった。
特に目を惹いたのは、クラシックレース。
「皐月一着、ダービー一着、菊花一着。おいこれって」
「クラシック三冠。それが計算結果だそうだ」
トゥインクルシリーズの長い歴史でも数えるほどしかいない、三冠ウマ娘の栄誉。オルフェーヴルがその末席に加わるとデータは示していた。オルフェーヴルの才能は尋常じゃないと理解しているつもりだったが、流石に信じがたい気持ちの方が勝る。
「もちろんこいつはただの予測だ。幾らでもブレる。何ならレース一つ変えるだけで全部変わるからな」
だけど、とクドウは続けた。
「シャカールの三冠は何度計算し直しても出ていない。精々が二冠までだ」
「……そいつが理由か」
シリウスの言葉にクドウは頷いた。
■八
他の三冠ウマ娘とエアシャカールの違いは何度もプロファイルしただろう。それでも縮められない夢との距離。オルフェーヴルの存在は一足飛びに彼女の目当てを掠めとっていくように見えたのだろうか。そこまで考えて失礼なことだと頭を振る。
「オルフェーヴルちゃんが持つ、三冠の為のピース。それが何か確かめたかった」
ウマ娘に限った話ではない。優れた競技者は何よりも貪欲だ。未知の可能性に手を伸ばし、彼女の糧にしようとした。
「エアシャカールの方は」
「今は落ち着いてるよ。衝動的なものだったしね。そっちは大丈夫?」
「
何故かシリウスが胸を張る。
「……トレーナー、お前の方だよな」
「うちは自主性を大事にしているんでね」
問題があれば諫めるくらいはするが、俺だって同意見だ。口を挟む理由も無い。
自分の思い通りにいかない感情と付き合っていくのは、並大抵の苦労じゃない。オルフェーヴルは周りとの関わり方で悩み、迷ったことはあっても、自分の走りから逃げたことは無い。逃げ出さないのなら、ちょっと臆病なくらいがちょうど良い。
「不思議な関係だなあ」
「お前んとこには言われたくないな」
一匹狼のウマ娘についたトレーナーが、すぐ尻尾振る忠犬のような男だ。話を聞いたときには耳を疑ったが、なかなかどうして面白い関係を築いているらしい。
「それじゃ、その資料は詫びにあげるから。あんまシャカールのこと怖がらないでね」
去っていくクドウの後ろ姿を見てシリウスが一言。
「犬みたいな奴だな」
やはり誰でも同じ感想を抱くらしい。
■九
◆
オルフェーヴルは仲間に恵まれた、と実感した。クライネキッスやツヴァイスヴェルは彼女を心配してくれた。トロピカルエアはビューティモアは彼女の代わりに怒ってくれた。コンテストアバターがヒートアップし過ぎ無いようにコントロールしてくれた。チームレグルスが一丸となってオルフェーヴルを守ろうとしていた。
まるでエアシャカールを悪者に仕立て上げてしまったようで罪悪感もあったが、トレーナーがそれもカバーしてくれると約束した。だから、オルフェーヴルは自分のことに思考を集中させることが出来る。
レースの最後、エアシャカールと競り合った時。彼女に芽生えた感覚は、言葉にできない。膨大な情報が脳髄に流れ込むような、ぐちゃぐちゃになって、視界がクリアになるような矛盾した感覚。彼女は正しく動くことは出来なかった。数万のルートが同時に提示されて、コンマ数秒の間に選択しなければならなかった。正解と不正解が同じ時間軸に存在していて、重なって上手くタッチすることが出来ない。
あの感覚を、完璧に自分のものにできればどれだけ速くなれるだろうか。彼女の胸中に生まれたのは、好奇心と興奮。一段上の、新しいステージに上がったら、見える景色はどんなものだろう。全てを彼女の世界から排して、唯一自分のために与えられた道を走ることが出来たなら、どれだけ気持ちが良いだろう。
そして、それをチームの皆に教えて伝えて、同じステージで競い合うことが出来たなら。
「……ありがとッス。トレーナーさん」
あの時引き止めてくれなかったならば、この楽しさには出会えなかった。オルフェーヴルの中に、新たな目標が生まれた瞬間だった。