問題児達の参謀 作:カフェシリトレ
■一
一週間後、メイクデビュー当日。レグルスのメンバーとは離れて二階席でレース開始を待つ。
「よう、探したぜ。なんでこんなとこ居るんだよ」
「……シリウスシンボリか」
後ろから肩を組んでくるのが誰かはもう声を聞いただけで分かる。レースが始まるまでは後三十分を切っていた。レグルスのメンバーは他に居ないようだ。こいつだけが、一人俺を探しに来たのだろう。わざわざ御苦労なことだと皮肉の一つでも浴びせたくなる。
「チームメンバーの応援しないなんて、薄情だなアンタ」
からかうような声が響く。本当に薄情だとは思ってないだろう。もしそう思われてたら、こんなフレンドリーにはなってない。
「まだ俺は外様だからな。俺が居ると応援しにくいだろう。お前こそあいつらと一緒に居なくて良いのか?」
「外様だからって引いてたら一生輪に入れないぜ?」
ぐ、痛いところをついて来やがる。ああいう女子学生の集団に成人男子一人で入るのは結構キツいものがあるんだから察してほしい。
「ハハハッ! そんなやわな理由じゃないだろ? いや、もっとやわな理由だろ」
「どういう意味だよ」
「怖いんだろ。トロピカルエアが負けるのが」
本当の図星をつかれて、俺は返事をすることが出来なかった。
■二
そうだ。俺は担当が負けるのが怖い。あれだけ努力した結果が報われないのが怖い。誰だって努力して、誰だって報われようと足掻いていることは分かっている。だけど、これまでに積み重ねた負けが、足を竦ませる。
自分がこれ程臆病だとは思っていなかった。今にして思えば、そんな弱虫だから、あいつも他のトレーナーの所に行ってしまったのだろう。メイクデビューを勝ったのに、次の負けにビクビクと怯えている奴のトレーニングなんて受けたい筈がない。
「だーかーら、卑屈になるなって言ったろ」
シリウスシンボリが俺の体を強く引き寄せる。俺よりも小柄な体躯が、ずっと大きな物に感じられる。なんでこいつは学生なのにこんなに強気で居られるんだ。
「提案したのはアンタだが、決めたのはあいつだ。アンタが全力でやって、あいつも全力でやる。今勝つ為にな。だから堂々としてれば良いのさ」
「……ああ、そうだな」
お前に何が分かるんだ、と叫び返したくなるのがきっと普通なのだが、そんな気持ちは一切湧かなかった。すっと心の弱い部分に吸い込まれていくような魅力のある言葉だった。
問題児の王、ってのは的確なあだ名だな。王の器って奴か。シリウスシンボリには、言葉で相手を納得させる力がある。
「じゃあ戻るか。間に合わなくなるからな」
「えっちょ、おい!」
何かと感心していたのも束の間、シリウスシンボリは俺を力ずくで、階下のレグルスメンバーが居る場所へと引っ張っていった。
■三
ゲートが開く。ウマ娘達が一斉に飛び出す。スタートは悪くない。八人のウマ娘が走る中、トロピカルエアは六番手につけていた。ハナとの差はおよそ五バ身。レース前の予想よりも少々団子になっているが、想定の範囲内だ。
八百メートル、半分を過ぎる。逃げで飛び出した子は早々に集団に飲まれ、四人がハナを争う展開になった。最後のコーナー。内側の良いポジションを取ろうと先頭集団が縦に伸びる。
今だ。
心中の声に呼応するように、トロピカルエアは前集団よりも大きく外に出る。外から全員かわして差し切る為の前の準備。先頭は内争いに夢中になって、彼女を遮る壁は無い。
「走れ──」
気が付けば叫んでいた。彼女が力強くターフを蹴る音が、ここまで聞こえてきた。シリウスシンボリと併走し続けた経験は、確かに彼女の足を動かしている。
「行っけぇ!」
レグルスのメンバーが、シリウスシンボリが吼える。
外、スローペースになった所を一気に抜け出す。スパートのタイミングも完璧だ。ゴール前200mでハナについに立った。前にいたウマ娘達は、外から突然現れた刺客に驚いたようだった。反応することが出来ず、彼女にペースを合わせる事ができない。無理に合わせようとしても、余力の残っていない彼女達には追いつけないだろう。
トロピカルエアは末脚を伸ばして、後続を突き放す。1バ身、2バ身、ゴール板を通り過ぎた時には、写真判定の必要ない、間違いない勝利がそこにあった。
「やったぁ!」
「トロちゃんが勝った!」
仲間の勝利に手を上げて喜ぶレグルスメンバーの横で、俺は言葉も出せず、ただ強く拳を握っていた。
■四
「……お疲れ様」
ウイニングライブも無事に終わり、レグルスのメンバーにもみくちゃにされるトロピカルエアに掛けられた言葉はそれだけだった。口下手だと自分でも思うが、なんて言葉で祝福すれば良いのか、上手く出てこない。
「ありがと……」
トロピカルエアからの返事もそれだけだった。ただ一言の感謝だけで、トレーナーとして仕事をした満足感が込み上げてくる。練習に殆ど口出ししてないのにな。
「トロもトレーナーも余韻に浸ってぼうっとし過ぎだっての。もっと喜べもっと!」
「うおっ、目が回るからやめろ!」
テンションの上がったシリウスシンボリに振り回される。ある意味で、一番喜んでいるのはこいつかもしれなかった。問題児の王にとっては、これが世間への反逆の狼煙だ。
「それに、まだ終わりじゃねえだろ?」
「……ああ、そうだな」
「よーし、お前達、よく聞け!」
よく通る声で、シリウスシンボリは高らかに宣言する。
「トロピカルエアに続いて、私もデビューするぞ! 全員で、トゥインクルシリーズを荒らしてやろうぜ?」
「「「「「おー!」」」」」
全員が高く拳を掲げるのを見て、俺はこの瞬間、初めてトレーナーになったような気がした。
■五
実際の所、トゥインクルシリーズを荒らす、なんて野望はそう上手くは行かないものだ。あれから三ヶ月。暦も十二月にそろそろ入ろうかという頃になり、世間では本日行われるジャパンカップへの期待が高まっていた。
レグルスのメンバーは全員がメイクデビューに出走したが、一発で勝利したのはシリウスシンボリとトロピカルエアの二人だけ。次点で体の弱いザッツコーリングが、体調の良い日に一度目の未勝利戦が重なったお陰で突破。気性難のビューティモアは三回目の未勝利戦で勝ち星を上げた。
しかし、まだ二人未勝利戦を勝ち上がれていないウマ娘が居る。
「どうしたもんか」
「あの二人のことか?」
「……お前はだからなんでいつもトレーナー室に居るんだよ。今日は練習休みだろ。というかいつ入ってきた」
「毎回その反応返すの面白いな」
いつの間にか後ろからノートパソコンを覗き込むシリウスシンボリ。この光景ももはや慣れたものになりつつあった。
「クライネもコンもまだチャンスはあるんだろ?」
「あるが、二人が焦り始めてるのはお前なら分かるだろ?」
「まあな。特にコンの方は重症だなありゃ」
レグルスのメンバーは、元々問題児の集まりだったということもあり、皆何かしらの不利を抱えている。その中でも、コンテストアバターが抱える問題は対処の難しいものの一つだろう。
■六
「コンテストアバターの怪我は、後遺症が残るようなものではなかったんだよな」
「ああ、医者からすりゃ酷い捻挫くらいのものだったらしい。そいつがヤブ医者じゃなければの話だがな」
未だ勝てないウマ娘の一人、コンテストアバターの問題は、怪我によって引き起こされた精神的・神経的な疾患。いわゆる『イップス』と呼ばれるものだった。
イップスは、何らかの理由で脳が上手く命令を送れず、体を思ったとおりに動かせない症状のことを指す。コンテストアバターの場合は、それがラストスパートのタイミングで発生していた。末脚が伸びないのだ。ポテンシャルだけで言えばシリウスシンボリにも匹敵し得るにも関わらず、未勝利戦を勝ち抜けないのは、最終局面での失速が原因だった。
元々は選抜レースの際に足をひねったことによってレースから離れていたことが、彼女がトレーナーを見つけられなかった理由だった。しかし、イップスのせいでその後も目立った結果が出ず、燻り続けている。
「アンタじゃどうにかできないのか?」
シリウスシンボリの質問に首を横に振る。イップスは治療法の確立されていない疾患だ。言い換えれば、専門家ですら治療できない不治の病である。世の中には克服したスポーツ選手も居るが、その治療法は本人のメンタルに大きな影響を受けていた。
■七
「突き放すような言い方になるが、結局は当人の問題だ。その言い方をすると、クライネキッスもそうだが」
クライネキッスはウマ娘にしては珍しい程に臆病で弱気な娘だ。バ群に呑まれると全く身動きできなくなり、壁を抜け出すような走りはできない。これまでの敗北も全て、前を塞がれたことが原因だった。
「まだアンタから逃げ回ってるもんな」
「あれ結構心に来るんだよな……」
三ヶ月も関わっていれば、多少はチームに馴染めたとも思う。少なくともオブザーバーとしての地位は得られたようだった。しかし、クライネキッスには未だに他のウマ娘の後ろに隠れられてしまう。
「まあ……何か出来ないか考えはしてるさ。っと時間か」
時計を見ると三時半を回っていた。開いていたデータベースを閉じると、ネット中継のページを開く。
「お、ジャパンカップか。今年は誰が出るんだっけか」
「前年の勝者で、昨年のURAファイナル中距離を制したスペシャルウィーク。メジロの名優、メジロマックイーン。異次元の逃亡者サイレンススズカ。この辺りが上位人気か。今年は海外バは余り有力なのが居ないな」
ディスプレイの先では今まさに、ファンファーレが鳴り響いていた。
■八
最初に飛び出したのはサイレンススズカだ。どのレースでも逃げしか打たないのは、自身の足に対する信頼の表れだろう。最初から最後までハナを譲らないつもりだ。
だが、今回はそれについていくウマ娘が居た。メジロマックイーンだ。こちらもいつも通り、退屈と称されるハイペースの先行策。ステイヤーとしてはジャパンカップの距離は少し短いが、スリ潰せると踏んでいるのだろう。
二人のウマ娘に引っ張られて、レースは縦に長い形になった。ハイペースに付いていこうとする者、後半に備えて足を溜める選択をした者。スペシャルウィークは後者を選択した。十八人フルゲートのレースで縦に伸びれば、ハナからしんがりの差が十バ身以上になる。
「凄いな。全くペースが落ちない」
ふるいに掛けるような展開にも、全てのウマ娘が対応している。G1レースに出場するような選手は、多少の揺さぶりには全く動揺しない。それぞれが自分が前に出られるタイミングを虎視眈々と狙っている。
クライネキッスならついていけないだろうな、などと失礼なことを考えてしまった。もし彼女がレースに出ていたなら、十番手辺りか。そこから抜け出せず、追い込みが強いウマ娘に抜かれて最下位だ。G1に出るようなウマ娘と比べるな、と言われればそれまでだが、他のレースでも似たような形になることは、想像に難くない。
「そろそろ動くな」
シリウスシンボリの言葉と共に、レースは動いた。
■九
最終コーナー、スペシャルウィークが内から上がってきた。サイレンススズカはまだ先頭に立っていたが、流石に距離の長さと、後ろにずっとつけていたメジロマックイーンのプレッシャーによって体力は消耗しているようだった。
直線に入る頃はスペシャルウィークがサイレンススズカを差して前に出る。しかしメジロマックイーンはスピードを落とさない。ラストスパートはこの二人の競り合いになった。
『メジロマックイーン、食らいついている! スペシャルウィーク突き離せるか!? いや、突き離せない! メジロの名優はすぐ横だ! どちらだ、どちらが先にゴール板を抜けるのか、今両者もつれあってゴール!』
テンションが上がった実況の声が上ずっていた。中継映像からはどちらが先にゴールしたのか分からなかった。確定ランプは点灯せず、勝敗は映像判定に委ねられる。
「これはマックイーンだな」
スロー映像を見ながらシリウスシンボリが呟いた。確かに、僅かではあるがメジロマックイーンの方が前に出ていた。
『えー、只今順位が確定しました。ジャパンカップ一着はメジロマックイーンです! 前年度の勝者スペシャルウィークを降し日本の頂点に立ちました。スペシャルウィークは連覇ならず! 三着はサイレンススズカ……』
実況が告げる順位を聞きながら、俺はシリウスシンボリが何か思いついた時の笑みを浮かべたのを見逃さなかった。