問題児達の参謀 作:カフェシリトレ
■一
四月。トレセン学園は春のファン感謝祭で賑わっている。チームレグルスは何か出し物をするということもなく、それぞれ参加者として思い思いに楽しんでいた。
「で、なんでアンタはこんなところでカタカタキーボード叩いてるんだ?」
「お前こそなんでこんなところに居るんだよ」
トレーナー室で仕事をしていたらシリウスシンボリが入ってきた。唇の端にチョコがついていたり、奇妙なプラバンを持っていたり、こいつなりに楽しんでいるらしい。開口一番なんでと問われたが、別に深い理由は無い。
「ほれ、屋台の焼きそば」
「確かに昼飯はまだ食っちゃいなかったが……幾らだ?」
「四百円」
パックに入れられた焼きそばを渡され、渋々代金を払う。気を利かせたおごりだと思って素直に受け取ろうとすると、弄ばれるのが目に見えている。こうすればこうしたで、よく気付いたと満足げな顔をするからこいつ無敵なんだが。
パソコンを閉じ、焼きそばに口をつけると、微妙に麺が伸びた、コメントに困る味がした。ある意味、祭りの焼きそばといえばこれかもしれない。
「人が騒がしいところはあんまり好きじゃねえんだ。今更わーきゃー楽しむほどミーハーでもないしな」
「ノリの悪い奴だな。結構楽しんでるトレーナー居るぜ?」
「ここで仕事漬けのトレーナーも結構居るがな」
比率は半々くらいか。担当とのコミュニケーションの一環として一緒に回っている奴もいれば、純粋な心で楽しんでいる奴も居る。それとは別に仕事が忙しかったり、担当の大事なレースを控えていたりすれば遊んでいる余裕は無いともなる。
俺も、そうだ。
■二
トロピカルエアの皐月賞に向けての準備が、ファン感謝祭よりも大事だと思ったから仕事をしていた。
「大体、皐月賞の出走予定表が出るのが今日ってのもおかしいんだ。なんで被せてくるんだよ」
「あー、トロピカルエアがなんとなくソワソワしてたのはそれが原因だったのか」
チームレグルス初めてのG1レース。皐月賞の出走予定者は今日の午後三時頃、というかもうすぐ発表になる。
「せっかくだ、私にも見せてくれよ」
シリウスシンボリも、流石に出走者に興味はあるようだ。皐月賞は日本ダービーのトライアルレースも兼ねているから、ここで有力なウマ娘はダービーでもライバルになり得る。
ちょっと待ってろ、とURAのサイトに移動する。ちょうど公開されたタイミングのようだ。上から順に名前を見ていき──手が止まる。
「どうした?」
シリウスシンボリの困惑するような声が聞こえた。俺は、それ程までに落ち着きのない様子をしていたのだろう。動悸が治まらない。食べたばかりのものを吐き出しそうになる。
シンセダイナ。俺を捨てたウマ娘の名前がそこにあった。
■三
シンセダイナは才能に満ち溢れたウマ娘だ。それは、担当していた俺が一番よく知っている。前めにつける先行策からカミソリのような末脚で差し切る。奇抜な作戦など必要ない、シンプルな強さを持っている。半年以上前、余りにも未熟だった俺にキャリア初勝利をくれたのは彼女だ。
彼女がより上に羽ばたいていく為には俺は足枷で、それが分かっていたから彼女はより優秀なトレーナーを選んだ。だから、クラシック三冠の皐月賞に出て来るのは、前もって考えておかなければならないものだった。
「素直に言う。俺はこいつから目を背けていた」
クラシックのライバルとして先ず間違いなく出て来ると分かっておきながら、知らないふりをした。データを集めていなかったわけではない。しかし、無意識のうちにこいつが出そうなレースを避けていた。そのツケが今日回ってきたんだ。
「アンタ……」
「言わんでくれ、分かってる。ちょっとだけ心を落ち着かせる時間をくれ」
今のこいつと俺は何の関係もない。俺の希望は皐月賞という栄誉あるレースで、トロピカルエアを勝たせること。俺は、俺なりのやり方で自分を証明する。
シリウスシンボリは何か言いたそうな顔をしていたが、珍しいことに何も言わなかった。
■四
皐月賞当日、雨がざあざあと降る、バ場は不良。大荒れになるのは間違いのないコンディションだ。
「トレーナー」
地下バ道で、トロピカルエアが大きく息を吐いた。想定していない訳ではないが、ここまでの道悪は初めてだ。慣れないレース展開はトロピカルエアも苦手だろう。
「今回は芝に足を取られやすい。特に内はボロボロだから全体的に外にはける展開になるだろう」
レース場を確認し、これまでのデータと組み合わせて予想する。いつも通り、能力を十全に発揮すれば勝てる。
その矢先、懐かしさすらある声が刺さった。
「……キミも、ここに居たんだ」
シンセダイナがそこに居た。あのハイエナトレーナーの姿は無い。青い髪をなびかせて、威風堂々と立っていた。
「トレーナー、知り合い?」
トロピカルエアには、シンセダイナのことは話していなかった。それが余計な重しになるかもしれないと判断したからだ。それが結果的により悪い結果になりそうだった。
■五
「担当が見つからなくて、問題児達なら許されると思ったの?」
「……何? いきなり現れて喧嘩吹っかけてきて」
開口一番、好戦的な言葉が飛び出す。そんな血の気が多いタイプでも無い筈だが、メイクデビューまでの期間を俺に潰されたと思っているのだろうか。
「トロピカルエア、落ち着け」
「……馬鹿にされてるのはアンタだよ、トレーナー」
「分かってる。だから、俺の顔を立ててくれ」
不満げに押し黙る。気分が良くないのは分かる。だけど、これは俺の問題だ。
「久しぶりだな、シンセダイナ。契約解除から何ヶ月だ? そっちは随分調子が良いみたいだな」
不思議と自分も強い口調になってしまった。トロピカルエアの悪口を言われて頭にきているのかもしれない。
「……お陰様でね。キミと居た時よりもずっと充実してるよ」
「そうかい。そりゃ良かった。それじゃなんでわざわざ声を掛けて来たんだ? 仲良くしようって訳でもないだろ?」
「そんなの、当たり前だろう?」
シンセダイナは、不遜に言い放つ。それは余りに大胆な宣戦布告だった。
「ボクの方がキミより上だって、思い知らせに来たんだ」
■六
「皐月賞も、ダービーも、菊花賞も、全部ボクのモノだ。一つだって渡しはしない」
傲慢すぎる三冠宣言。だが、夢見過ぎな寝言かと言われればそうとも限らない。
今年は一人飛び抜けたウマ娘が居ないとは言われている。その中で有力バに挙げられるのはシリウスシンボリや、弥生賞を勝った追い込みバのツナイーグル。そして、重賞含む四戦無敗のシンセダイナ。三冠を取り得るポテンシャルがあるのは間違いない。
「どうでも良いな」
半分は本当で、半分は嘘だ。俺個人の感情は、言語化できないくらいに様々なものが混じり合っている。しかし、それは俺の問題であって、この皐月賞を走るトロピカルエアには関係が無い。
「俺は、俺の担当が夢を叶えられるように、全力を尽くすだけだ。お前は強いライバルの一人だが、それだけだ」
「……その余裕、このレースでひっぺがしてあげるよ」
シンセダイナは踵を返し、レース場へと歩いていく。気負い過ぎにも見える背中は、敵ながら頼りなくさえ見えた。
「悪かったな。変なのに巻き込ませちまった」
「別に良いけど、昔のオンナって奴?」
「言い方よ」
昔の担当なのはそうだけど。
「とりあえず……私を見ずに舐めた口聞いてくれてんじゃん」
ぶっ潰す。とトロピカルエアは闘志を露わにしていた。
■七
ゲートが開いた直後、観客席にどよめきが響いた。完璧なスタートを決めたように見えたシンセダイナが、一気に後方へと下がったからだ。
「後方策……!? 今までやったことない作戦を、この大舞台でやるのか?」
スタートで出遅れたのならまだ分かる。だが、俺から見ても百二十点の出来だ。得意な先行策で好位置につける筈の展開を自ら捨てている。この悪路だ、末脚は鈍るだろう。皐月賞の距離では、過去の伝説とも言えるミスターシービーのような追い抜きは出来ない筈だ。一体どういうつもりなのか。
不安が頭を過ぎった。だが、今更トロピカルエアに伝える手段は無い。彼女が想定外に乱されず、レースを行うのを祈るしかない。
トロピカルエアは冷静だった。真ん中より少し後ろ、得意なポジションを確保している。スローペースの運びだから、スタミナが切れることも無いだろう。バ場のせいでバ群が少し固まっているのが懸念材料だが、十分上手に動けていた。
「行けるぞトロー!」
隣でビューティモアが叫ぶ。まだ治り切ってない足で地面を踏みしめて、自分が挑戦できなかったG1で戦うトロピカルエアを鼓舞する。
最終コーナー、集団が外にはける。トロピカルエアは内側に入って、一気に差し切ろうと地面を蹴る。
────ぞわり。
シンセダイナが、そこに居た。
■八
「なっ……」
シリウスシンボリすら驚きの声を上げていた。トロピカルエアよりもさらに中、内ラチに体を擦らせそうな場所をシンセダイナが突き進む。泥でぬかるんでいることなどお構いなしに、最後方から駆け上がる。一人だけ、良バ馬のレースをしているみたいだ。スピードが他のウマ娘達と殆ど変わらない。いや、或いはそれ以上に速い。
内の方が外よりも速い。コースがトラックになっている以上、当然の事実だ。だからこそ、内を争う駆け引きが生まれるし、外を大きく回っていく奇策も出てくる。シンセダイナはこの状況で、まさにタブーを犯したとさえ言える走りだった。
あんな走りをすれば、身体にかかる負担は尋常じゃない。ここで終わっても良いと考えているのか、それとも、身体の弱さを克服したのか。
「トロちゃん!」
クライネキッスが悲鳴をあげた。ハナに立ったトロピカルエアにシンセダイナが追い付いた。駄目だ、不良バ場だぞ。ここで張り合えばリズムを崩す。ついていける筈が無い。トロピカルエアだってそれを分かってはいる筈だ。
だが、ウマ娘というのはいつだって安定の二着より、挑戦した結果の最下位を尊ぶ。トロピカルエアは、ハナを譲らまいとフォームを崩してまでシンセダイナに競り合う。
隣り合ったのは、三秒。
シンセダイナがかわしてトップでゴール板を駆け抜ける。トロピカルエアは、七着でレースを終えた。
■九
「……ごめん」
最初の言葉は謝罪だった。目尻には涙の跡が見えた。G1レース、七着という結果。最終コーナーまでは良い位置取りを取れていただけに、悔やんでも悔やみきれないだろう。
「トロちゃん元気出して」
「とりあえず、お疲れ様ぁ」
ザッツコーリングとコンテストアバターが彼女を労う。
「外にはけると言ったのは俺だ。展開を読み間違えた俺のミスだ」
こんな言葉、慰めにもならないと分かっていた。責任の所在を探しているわけじゃない。
「勝てなかったのは……もちろん悔しいけど。もっと悔しいのは、あの女に勝たせたこと」
トロピカルエアがそんなことを言うとは思わなかった。シンセダイナに眼中にない扱いをされたことがそんなに腹が立ったのか。なんて、鈍感なフリも出来ない。
「俺のことは気にするな。それでお前の走りが乱れたんだとしたら、俺のせいだ」
「でも、トレーナーが馬鹿にされたんだよ。そんな奴に負けられなかった」
トロピカルエアの気持ちは痛い程に嬉しくて、苦しかった。自分が慕われていることが、彼女達への足枷になった事実が嫌だった。
「なんだ、あいつ。私達に喧嘩売ったのか?」
「……シリウス」
シリウスシンボリの声は、今まで聞いた中で最も低く、冷徹に聞こえた。