問題児達の参謀 作:カフェシリトレ
■一
◆
日本ダービー。その世代の最強を決める栄誉あるレース。シリウスシンボリはパドックで威風堂々たる姿を見せた。地下バ道を通り過ぎ、スターティングゲートへと向かう。
「よう、回避しなかったんだな」
彼女が話しかけるのは、入念にストレッチをしていたシンセダイナ。シリウスシンボリの顔を見ると、露骨に不快そうな顔をする。
「私に倒される為に御苦労なことだ」
「随分な自信だけど、足元すくわれないよう気を付けた方が良いんじゃないかな」
一番人気、二番人気のトラッシュトークは、否応なしに周りの空気をひりつかせる。気付けば、殺意すらにじませたウマ娘達が、彼女達の趨勢を監視していた。
「誰にすくわれるんだろうな。アンタじゃないことは確かだが」
「……その慢心、叩きのめしてあげるよ」
「ああ、その意気だ。──逃げるなよ」
ゲート入りを求める係員の声がした。第一ラウンドは引き分け。こんな舌先で上下を決めようなど最初から考えてはいない。
各メンバーがゲートに入る。シリウスシンボリは6枠11番。シンセダイナは7枠14番。
ファンファーレが鳴り響く。ゲートが閉まっていく。
瞬き程の間、無音。
鈍い音を立ててゲートが開く。
最強を決める戦いが、今ここに始まった。
■二
「囲まれたぁ!?」
クライネキッスが悲鳴をあげた。18人フルゲートのレース。逃げウマのコンプリートとスパークルが抜け出してレースを作るのは、俺が事前に予想したプラン通りだ。
問題は、シリウスを取り囲むように走る五、六人。前を行くシンセダイナには背後からプレッシャーを掛け、後方のシリウスには内に抜かれないようしっかりと壁で固める。有力バを牽制する完璧な形だ。
「ありゃ誰か、そそのかした奴が居るな」
偶然同じことを考えていたくらいでは、あの形は出来ない。レース前に共謀して、上位の二人を潰そうと目論んだ奴がいる。
よく考えたもんだ。二人潰せば自分達が上位になる確率は増える。そして、この形ならば、ダービーを奪取する確率も。ギリギリになれば誰かが抜け出すのだろうが、それまでの同盟を持ち掛けた賢いウマ娘が居るようだ。
「いくらシリウスでも、あれじゃ抜けねえぞ!」
ビューティモアの言う通り。シリウスは完全に前を塞がれている。ここから飛び出すには大外に逃げるか、衝突覚悟で体を入れるかのどちらかしかない。
「心配すんな」
だが、焦りも不安も不思議となかった。
「俺達の王は、この程度じゃ止まらねえよ」
■三
◆
へえ、とシリウスシンボリは面白そうに舌を出した。自分を止める為に根回しをした奴が居るらしい。どいつだ、と道を遮るウマ娘達を吟味する。
「主犯は、お前か」
右前を走るウマ娘に狙いを定める。有力バを抑え勝利してきた、策士リッチブロッサム。だが、今回ばかりは相手が悪かった。
「良い作戦だな」
「ひっ……」
シリウスシンボリがリッチブロッサムの真後ろに潜り込む。ただそれだけの行動が、彼女には、背後に迫る死神の足音になる。近い、近過ぎる。跳ねた足がぶつかってしまいそうなギリギリの位置をシリウスシンボリはキープし続ける。プレッシャーで抑え込む筈が、一瞬にして影に怯える犠牲者へと変わり果てていた。
「安心しろよ、まだ前には出ねえから」
それはつまり、背後から圧を掛け続けるという宣告。平静を失った体は余分にスタミナを奪っていく。
主犯格が崩され、包囲網にも動揺が生まれた。完璧にガードできなければ、ただ自分のレースを捨てただけになってしまう。見切りをつけるべきか、そうすればそれこそ勝ち目がない。
惑う彼女達にシリウスシンボリは笑う。
「後ろばっか見てて良いのか? 前においてかれてるぜ」
■四
『シンセダイナ、ここで前に出ました! コーナーにはまだ早いが大丈夫か!』
ロングスパート。シンセダイナの走り方には見覚えがあった。データを集める為に、何度も何度も見返した走りだ。
「あれ、私が目指していた走り、ですよねぇ」
コンテストアバターが呟く。そうだ、前めにつける先行策で他のスタミナをスリ潰す。名優メジロマックイーンの得意とする走り。
「……すごい。完璧にやってる」
「ああ、本家と比べても見劣りしないだろうな」
俺が担当していた時は、王道の先行策しか持っていなかった筈だ。この短期間でいくつ走り方を覚えたのか。
それは間違いなく彼女のトレーナーによるものだ。担当を掠めていくハイエナと嫌われても、言い換えれば多くのタイプのウマ娘を育ててきたということ。変幻自在な走りが彼女の武器ならば、それを磨く為のデータを惜しみなく注げるのはそのトレーナーが持つ武器だ。
羨ましくないといえば嘘になる、そんな多くの可能性を授けられるような力は、俺は持っていない。
だが、俺には俺なりの、貢献の仕方というものがある。シリウスにどれだけの走り方を教えたか。負けるつもりはない。
この状況、どうすれば良いか。シリウスには分かっている筈だという確信があった。
■五
◆
「しまった……!」
前のマークを切られ、包囲網はさらに瓦解する。無理に追っても仕方がないとシリウスシンボリは早々に見切りをつけたが、背後からのプレッシャーで揺れていた他のウマ娘達は選択を間違える。
シンセダイナに追いつこうとして、追いつけない。ハイペースで走り続ける彼女を追い掛けるのは無謀過ぎた。
「クッソ……!」
そして、彼女の走りに恐怖を感じるのは何も後ろだけではない。むしろ逃げを打っていた二人のウマ娘こそ、背後から追い上げてくる脅威に晒されていた。一度捕まればもう浮かび上がれない。必死にハナを守ろうと走る。元々スタミナが大きな課題になる逃げで、自身のペースを乱されれば、最後まで走り切ることは出来ない。
包囲網を作っていたウマ娘達、逃げを選んだウマ娘達。既に半分近くのウマ娘が、前線からは脱落していた。
──ズン
包囲網が消えて有利を得たのは、何もシリウスシンボリだけではない。
「ああああああああ!」
雄叫びを上げながら、最高峰から追い上げてくるウマ娘が一人。有力バの一人、ツナイーグルだ。ロングスパートの追い上げを得意とする彼女が、隙間をぬって一気に前へと上がる。
最終コーナーが、来ていた。
■六
『ここでツナイーグル上がってきた! シンセダイナもハナを掴んでいる! ダービーの栄光はこの二人か!?』
最後の直線、一気に走り込んできた二人が熾烈なデッドヒートをくり広げる。レース上の誰もが、一着はこの二人のどちらかだと思っただろう。
「シリウスちゃん……」
ザッツコーリングが心配そうに見つめる先には、まだ飛び出せていないシリウスが。
もう、間に合わない。
そう判断する筈だ。仕掛けるタイミングが遅すぎる。このままでは、瞬間移動でもしない限り追いつくことはできない。
「……!」
シリウスが顔を上げた気がした。その顔は笑っていた。こんな遠くからでは表情なんて分からないのに、こいつがこれから何をするのか、伝わってきた。
「はは……っ」
笑いが溢れる。あいつらしい。派手な走りだ。作戦というには余りにガラが悪くて、無茶苦茶で、非現実的だ。それでも、こいつならやり切ってみせる。
「……回れ」
レースは内に居る方が有利だ。だから内を掴む為の駆け引きが生まれる。
そして、外を回る奇策が生まれる。
「思いっきり回っていけ、シリウス──!」
■七
◆
前を走る二人は気付けなかった。気が付けという方が無理な話だ。内ラチギリギリをを走るシンセダイナと、それを抑え込もうとするツナイーグル。彼女達の意識は互いに向けられていた。
二人の外を一筋の流れ星が走り去っていく。
「……は?」
その光景を理解できなかったツナイーグルは、自分が走っていることも忘れて驚愕の声を上げた。こいつは、さっきちぎっておいた筈だ。何故、こんなところに居るのか。何処から、どれだけの速度で上がってきたというのか。
「私は身内相手だろうと強欲でな」
誰に伝えるわけでもなく、輝く一等星は呟く。
「私のレースが一番派手に記憶に残ってないと気が済まねえんだ」
競っている相手を外からかわし、一気に差し切る。トロピカルエアが、メイクデビューで見せた走り。おそらくは、自分達のトレーナーが最も強く覚えているだろうレース。それを同じ展開で上書きする。
「シリウス……シンボリィィィィ!」
シンセダイナが叫ぶ。届かない星の光に手を伸ばすように、悲鳴を上げる足を動かし、必死に空に至ろうともがく。
「先、行くぜ」
空を掴む手を嘲笑うかのように、シリウスシンボリは、一位でゴール板を駆け抜けた。
■八
『な、なんと、勝ったのはシリウスシンボリ! 最終直線で素晴らしい末脚を見せ、一等星が、何よりも輝く光を手にしました! 2着にはツナイーグル、皐月賞に続いて掲示板に載っています! 3着はシンセダイナ。皐月賞から三冠路線の二冠目を目指しましたが、やはり栄光は厳しかった!』
実況席が上ずった声で着順を告げる。あんな差し足。散々見て分かっていても、信じられるものじゃない。
「何、トレーナー。泣いてんの?」
抱き合って喜んでいるレグルスメンバーには混ざらず。トロピカルエアが横に立っていた。触らなくても分かる。年甲斐もなく、俺は感動して泣いていた。
「こんな日だ。少しくらい泣いたって良いだろ」
疑っていたわけじゃない。それでも、意気込みだけで勝てるものではない。シリウスがG1を取ってくれたことが、何よりも嬉しい。
「……そうだね」
トロピカルエアからも、鼻を噛む音が聞こえた。今の光景をシリウスに見られたら、どう言うだろうか。このくらいで泣くなと笑うかもしれない。素直に祝福を受けるかもしれない。どちらにせよ、戻ってきたらあいつがドン引くくらい盛大に祝ってやろうと心に決めた。
■九
◆
心臓が焼ける。足が震える。こんなに全力になったのはいつぶりだろうか。あの皇帝シンボリルドルフと競った時以来かもしれない。ただ目指すは前、ひたすらに前へ、誰よりも前へ。もはや軽口を叩く余裕も無い。ただ求めるは一等強い光。
声援が聞こえる。彼女より前には誰も居ない。掲示板に映し出された11番の表示を見て、シリウスシンボリは拳を握りしめた。
「うおおおおっしゃあああああ!」
いつも飄々とした彼女らしからぬ咆哮だった。どれだけビッグマウスを演じていても、勝つかどうかは時の運と実力次第。最も幸運なウマ娘が勝つと言われる日本ダービーで、彼女は目の前から立ち去りそうな幸運をむりやり掴み取った。
「はぁ……はぁ……」
走り切ってしまえば、限界を超えていた足も悲鳴をあげる。気を失ってしまいたいところだがそうも行かない。まだ言い切れてない言葉があるのだ。震え始めた膝をむりやり抑え込んで、シリウスシンボリが向かうのは、コースの端に倒れ込んだシンセダイナ。
「おい……」
「……なに」
お互い酸素が足りずに目がちかちかしている。それでも闘志は剥き出しのまま、このレースが終わりではないと示すかのように。
「これで"一勝一敗"だ。菊にこっちから誰出るか決まってねえが、それまでに足治しとけ。二度は言い訳効かねえからな」
「……気付いてたんだ。分かったよ、彼にも伝えておいてくれ。次は負けない、って」
次のレースこそは。彼女達の戦いはまだ始まったばかりだった。
■十
「シリウスー! お前ならやると思ってたぜー!」
「シリウスちゃん凄い! 最後私もう駄目かと思って」
「おいおい、私が勝つと言ったんだ。勝つに決まってるだろ?」
控室、特に感極まったビューティモアとザッツコーリングに取り囲まれ、シリウスも満更ではない顔をしている。コンテストアバターがあたふたと二人を抑えようとしているが焼け石に水だった。トロピカルエアとクライネキッスも微笑ましそうにその光景を眺めている。
ウイニングライブまでの時間、こいつには出来るだけ休んでほしいのが本音だが、チームレグルスで喜びを分かち合う光景を邪魔する程無粋ではない。
それに、俺だって感極まっているようなもんだ。いくら感謝してもしたりない。俺を拾ってくれて、俺を信じてくれて、俺を励ましてくれた。だが、ありがとうは今は言わない。こいつがダービーを勝ったのは、こいつ自身の為だ。それにいくらか俺に対する気持ちも混ざっているかもしれないが、それは主張するべきものではない。
だから、掛けるべき言葉はもっとシンプルに。
「なあ、シリウス」
「なんだ?」
「……一着おめでとう。ダービーを獲った気分はどうだ?」
揉みくちゃにされていたシリウスは、少し考えるような素振りを見せて、案外嬉しいもんだと言った。