「おい、お前しっかりしろよ!? いったいどうしたんだよ!?」
暗い室内。そこにいる人間の大半が、ぴくりともせずに机に突っ伏している。
どう考えても、明らかな異常事態。少なくとも休恵は今まで生きてきた中でこんな光景は一度たりとも見たことが無いし、そうでなかったとしても、会社のデスクという働くための場所でこんなにもたくさんの人間が倒れているだなんて、およそ尋常な様子でない。
なにか強盗かテロリストの襲撃でもあったのか。いや、もしかしたらガス漏れか何かの化学的な理由によって昏倒しているのかもしれない。もしくは……自分たちの想像を超えた、なにか絶望的な事態に巻き込まれたのか。
頭の中で様々な要因が巡りつつも、休恵はその身に宿る正義感に突き動かされ、一番近くにいたそいつの肩を大きく揺さぶった。
「……うう、ん」
「気づいたか!?」
幸いにして、命に別状はないらしい。パッと見る限りでは外傷は見当たらず、そして意識も明瞭ではないとはいえ、一応は戻っている。
これなら、何とか助けられる。これなら、何があったかを聞き出せる。いや、その前に念のため窓を全開にして室内の歓喜をするべきか──と目まぐるしく働く休恵のその考えは。
「……うるさいなあ。頼むから、放っておいてくれよ」
「……え」
他でもない、その男の眠たそうな声によって遮られた。
「な……放っておいてくれって、どういう……」
「……見てわからない? 寝てたんだよ」
「寝てたって……そんな……」
会社で寝る。働くための場所で寝る。ベッドはおろか、クッションの一つも無い所で、ただ机に突っ伏しただけの状態で寝る。
その一つ一つがあり得ないことであり、休恵の中の常識が音を立てて崩れ去っていく。
──よくよく周囲を観察してみれば、他の人間たちからも小さな寝息を立てていることに気づけた。
「なんでそんな……どうして会社で寝るんだよ……?」
「……寝るのに理由なんてないだろ? 昼休みなんだから好きに過ごさせてくれってば……疲れてるんだよ、こっちは」
疲れていたら眠くもなる。それは当然だ。休恵だって前日に夜更かしした時だとか、良い運動をした時なんかは疲れから早く寝ることが多い。お酒を飲んで気持ちよくなって、そのまま寝落ちしてしまうことだってある。
しかしだからといって、会社で寝たことは一度たりともない。そういう風にしている人も見たことが無い。会社とは働くための場所であり、そこは決してお昼寝するための場所なんかじゃないのだ。どういう理由があったのかはわからないが、こんなふうに疲れを持ち越している時点で、休恵にはそいつが社会人として落伍者にしか思えてならなかった。
「……っ!」
でも、違う。
ここにはそんな「落伍者」がたくさんいる。であればそれは落伍者なんかではなく、普通で正常だということに他ならない。
「寝るったって……! たったの十五分だぞ!? それだけ寝て何になる!?」
「十五分も寝られるんじゃないか……ああ、そうか。キミは新入りか」
何かに合点がついたのだろう。眠そうに目をこすったその男は、気怠そうにしながらも休恵の質問に答えた。
「うん、そういう意味ではそうだ……たった十五分だけ寝ても、正直どうにもならないね。下手に寝て下手に起きる分、逆に頭は疲れるかもしれない」
「だったら──!」
「──だけど、そうしないとやっていられない。耐えられない、って言ったほうが正しいかもしれない」
その言葉に嘘偽りはないのだと、休恵も労河原も確かに感じてしまった。そうでもなければこうもたくさん同じように寝ている人がいるわけがないし、そういうのを抜きにしても、その男からは「少しでも寝ていたい」という気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。理屈や論理を抜きにして、本能としてそれがわかってしまうのである。
「な、なあ……どうしてそんなに疲れてるんだ? どうしてみんな、こんなになるまで……」
おそるおそる、労河原が問いかける。
答えは実に、シンプルなものだった。
「なんでって……そりゃあ、みんな残業時間が嵩んでるからかな。遅くまで働いていたら、疲れるのも当然だ」
残業。定時よりもほんのちょっぴり長く働けるという夢のような制度。そんな制度がこの現状を生み出したと言われても、休恵が納得できるはずがない。明らかにこれは「ちょっと長く働ける」程度で生み出されるものじゃないし、一日は二十四時間もあるのだ。どう考えてもこの男の時間管理がなっていないのが原因で、そしてあえてわざわざこんな様子を見せつける政府側のその企みに、休恵の胸の中に正義の炎が燃え上がった。
「ふぁぁ……もういい? 聞きたいことは聞けただろ?」
「待てよ……! 待ってくれよ!」
休恵は、その男の肩を掴んで呼び止めた。
「こんな……! 途中で寸暇を惜しんで寝ないとやっていけないって、おかしいって思わないのか!?」
それに対する、男の答えは。
「──
それだけ言って、男は再びまどろみの中へと戻っていく。
──昼休み終了のチャイムが鳴った瞬間、全員が一斉に起き出して仕事を始めるその姿は、休恵たちの目には堪らなく不気味に映った。
▲▽▲▽▲▽▲▽
午後もまた、業務そのものは特に異常なく進めることができた。おまけに休恵たちに限らず、あの短い時間でさえも眠らなければやっていられない──そんな有様の”同僚”たちも、取り立てておかしな様子はなく業務を遂行していたのだ。
ある意味では正常に振舞っていることそのものが異常なことであるように思えるが、事実としてトラブルは起きていない。ならばもう、昼休みの出来事はそれこそ悪い夢か何かを見たものだと思って受け入れるしかない。どのみち、確かめる術なんてどこにもないのだから。
「ん……もう17:55か。なんだか時間が経つのが早いな」
ぐうっと伸びをして、隣に座った労河原が時計を見る。なんだかいろいろと衝撃的なことがありつつも、やっぱり”残業”そのものは想像以上に順調だ。休恵も労河原も想像通りに働けているし、無駄に時間を弄することもない。
窓の外を見れば、人工で作られたのであろう真っ赤な夕陽が地平線に沈もうとしているところが伺える。妙に凝っているというか細かい仕様だが、きっとこれこそが地下でのリアリティを築いているものなのだろう。
「ちょうど二時間……いい塩梅かな。スーパーで適当に何か買って帰るか」
残業時間、約二時間。今日もまた、特に誰かに言われることも無く、当たり前のものとしてシームレスに残業に移行することができていた。”同僚”たちは誰一人として残業できることを疑っておらず、そして定時だからと言って帰ろうともしていない。
それは残業がある社会としてごくごく自然な風景で、それを望んだ休恵の方が、あまりにも違和感のないその雰囲気に少し面食らってしまうほどだった。
「心地よい疲労感に給料三割増し、か……おかずを一品増やしてもいいかもな」
きっと今日も、昨日と同じくらいの日給が支払われることだろう。あれだけの額であれば、最初にスズキが説明していた通り外食してなおお釣りがくるはずだ。金銭的な意味では全く問題ないと言える。
「えっ、自炊すんの?」
「いや、総菜か何かで済ませようかなって。さすがに連日外食ってのもあんまり良くないし」
だがしかし、金に任せて普段と違う行動をするのはまたちょっと違うのではないか──と、休恵はそう考える。せっかく稼いだ給料を、あぶく銭として使うのはあまりにももったいない。どうせなら普段と同じように生活をして、その中でちょっぴりの贅沢がどれだけ増えたか、貯金がどれだけ増えたかを比較したほうがいいように思えた。
「仕事とプライベート、節約する時に贅沢する時……どんなことでもメリハリはしっかりつけないとな。それでこそ人生も充実するってもの──」
「──おや、もう帰り支度をしているのかい?」
ぽん、と親し気に肩に置かれた手。
「……古沢、さん」
喋っていたせいで全く気付かなかったが、いつのまにやらフルサワが休恵たちの後ろに立っていた。
「え、ええ。ちょうど残業時間も二時間でキリが良いですし。……あっ、日報に何か不備でもありました?」
恐る恐ると言った様子で労河原がフルサワに問いかける。
フルサワは、すこし悲しそうな顔をして告げた。
「んー……そうじゃなくて。朝に言っただろう? 終業時刻はこっちから通達するって。勝手に帰り支度を進められるのは、ちょっと困っちゃうかな?」
「あっ……す、すみません!」
「あはは、まぁ最初のうちはしょうがないよ。良くも悪くも普通に仕事として処理できちゃうからね。自分たちで決めたキリの良い所で終わらせられる……二人とも、優秀な証拠だ」
意外なところで出てきた誉め言葉に、労河原の顔がぱあっと明るくなる。まさか残業もできたうえでこうして褒められるだなんて、思ってもいなかったのだろう。そうでなくとも、こういう風にごくごく自然に褒めてくれる上司なんてそうは多くない。労河原の反応もそういう意味では自然なものだ。
「そのうえで、こんなに遅くまで頑張ってくれた。もう、文句なしに百点満点だよ」
もちろん、こうしてはっきりと口にしてくれるのはひとえに古沢の人柄に因るものだろう。古沢はいつだって、どんな些細なことでもこうやって見つけ出して褒めてくれた。ちゃんと頑張ったことを認めてくれて、そして親身になってくれた。だからこそ休恵は古沢のことを尊敬していて、そして部下として働きたいと思っていたのだ。
「……とはいえ、だ。ルールはルールだからね」
古沢が労河原を褒めたのは、実に古沢らしい行いだった。唯一古沢らしくなかったのは、その妙に丁寧というか、少しばかり距離を感じる喋り方だろうか。一緒に働いてきた休恵だからこそ、何もかも古沢らしいその行動の中に、異物のように混じりこんでいる違和感に気づくことができた。
「はは……そうですよね。確かにいくら時間とはいえ、新入りの分際で許可も無く帰ろうとするのは良くなかったな」
ばつが悪そうに笑う労河原。
単純に、許可なく帰ろうとしたことを咎められたのだと──そう、信じて疑っていないその表情は。
「『まだ仕事は残ってるよ? 残業してもらおうか』」
「……えっ」
単純明快な事実を告げられて、ぴしりと固まった。
「ざ、残業? もう二時間もやりましたけど……その、まだやるんですか?」
「うん。ちょっと急ぎで大事な案件だから、後回しにはできないんだ」
「え……でも、引継の人に頼めば……」
「──引継なんて人はいないよ」
これまたやっぱり、単純明快で一切の脚色が無い事実。フルサワはただ、決まっていることだけを告げている。
「周りもみんな、残業している。仕事が残っているから残業しているんだ。そんな中でキミたち二人だけ帰るっていうのは……心が痛まないかい?」
心が痛むも何も、それが休恵たちの普通だ。仕事を上がるときはある程度の引継の準備をして、次のシフトの人間にやっていた内容をそのまま受け渡す。何がどこまで進んだのか、次にやるべきことは何なのか……そういったことを共有シートか何かで確認し合って、そうして案件を進めていくのだ。
「まさ、か……」
「……休恵くんは気づいたみたいだね」
だけどそれは、タイムシフト制が──二十四時間常に会社が動いていることが前提となっている話である。タイムシフト制が存在しないこの社会では、【引き継ぐ人】という概念自体が存在しないのだ。
「周りもみんな働いている。みんな自分の案件で手いっぱいだ。だからキミたちがやるしかない」
「……どれくらい、ですか」
絞り出すようにして、休恵は問いかけた。
「……さあ、進捗次第かな。はっきりとは言えないよ。仕事ってそういうものだろう?」
返ってきたのは、あまりにもあんまりな答えだった。
「やってくれるね? これは上司命令だ」
──社会人として。首を横に振ることは、休恵達にはできなかった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「つ、疲れた……」
「うう……なんか目が、しょぼしょぼする……」
そうして──なんだかんだで、仕事が終わったのは20:00過ぎ。そのころになってようやく、休恵たちはフルサワから退社して良い旨を告げられ、デスクを後にすることができていた。もうとっくの昔に日は落ちていて、街灯の明かりこそあるものの人の気配はほとんど感じられなくなっている……かなり遅い時間と言っていい。
「休恵、目薬ある?」
「あるなら使ってるって……」
残業時間、実に四時間。朝の09:00から始まって、16:00の定時を過ぎて、そしてこの瞬間まで働いた。あえて語るまでもなくそれは休恵たちにとっての最高記録であり、精神的な疲労が凄まじいことになっている。
加えて、ずっとパソコンを見続けていたせいで目がすごくしょぼしょぼする。おまけとばかりに、体の節々もすっかり凝ってしまい、一歩歩くたびにあちこちからバキバキと変な音がする。まるで自分の体が自分の体では無いようで、それが休恵の心の中にほんのわずかばかりの苛立ちをもたらした。
「でもま、後はもう帰るだけだ……」
「……この後、また電車とバスに乗らないといけないわけだが」
「……言うなよ、そういうこと」
休恵の言葉に労河原がげんなりとした顔をする。朝のあの地獄をまた体験しなくてはならないともなれば、それも当然のことだろう。休恵だって同じ気持ちだ。
「……あ」
ぷるぷる、ぷるぷる。カバンの中で震える端末に気付いた労河原が、のろのろと半ば義務的にそれを引っ張り出す。釣られるように、休恵も自らのそれを確認してみれば。
「……昨日より多いな、すごく」
「そうだろうさ。だって昨日より働いているんだから。こんなの確認するまでもない」
明らかに昨日より増えている振込金額。細かく計算しなくても、普段のそれと比べて1.5倍以上はある。一日分の成果として支払われる金額としては明らかに破格であり、本来だったら目を輝かせ、飛び上がるほどに嬉しいことだ。
だけど。
「……素直に喜べないのは、なんでだろうな」
「……さあな」
どうしてか、今の休恵たちはそんな気分になれなかった。大金が手に入ったというのに、全然嬉しい気持ちになれなかった。昨日だったら年甲斐もなくはしゃいで二人して盛り上がっていただろうに、今日は……お金よりも、さっさと家に帰ってゆっくりしたいという気持ちの方がはるかに強い。
「……どうする、休恵? 今日はもう疲れたし、外食で済ませちゃうか?」
「いや……今日は外食しないで家で食べるって決めたんだ。それに考えてもみろ、もし俺たちが連日外食なんてして……残業導入により自炊が出来なくなったなんてイチャモンを付けられたら堪らないし」
「あ……そっか、そういう所も見られかねないのか」
「……ま、その時は残業のおかげで連日外食できるくらいに豊かになったって言うけどさ。単純に、俺の意地というかプライドの問題だよ……と、スーパーはこっちか」
「あれ、ここで買うのか? 向こうについてからのほうが荷物少なくて良いだろ?」
「ふふん、よく考えろって。ここはおままごとの世界なんだぜ?」
「……つまり?」
てくてくてく、と休恵は事前に教わったスーパーの方へと歩いていく。これから電車とバスに乗るから手荷物を増やすのはよろしくない。しかし幸か不幸か、通勤はどこまで行ってもリアリティを出すためのいわばおままごとだ。設定がどうなっているかは知らないが、今から立ち寄るスーパーも最寄りのバス停にあるスーパーも、物理的には同じものである。
「考えながら買い物する時間が惜しい。まずはざっくり特売品とかだけ確認して、買うものは通勤中に考える。……どうせ物理的にはすぐ近くなんだし」
「あっ……!」
だから、先にスーパーの品ぞろえをざっくり確認し、通勤している間に買うものを決めて、そして通勤が終わった後に改めてほしいものを購入するという手段が取れる。ちょっとでも時間を有効的に使う手法として、これはなかなか悪くないように思えた。
「そうか、設定はともかく実際のところは同じ建物の同じスーパーだもんな。……でも、後で買うのは当然として、下見だけするのって二度手間じゃないか?」
「…………帰宅時間をズラせば、電車もバスも少しはマシな状態になってるかなって」
「そっちが本音か……」
「……」
あんなものには二度と乗りたくない。それが休恵の心からの本音だ。体力的に余裕があった朝ならまだしも、こんなにもクタクタな状態でもう一度アレに乗ったらどうなってしまうかわからない。この際座りたいなんて贅沢は言わないから、せめて人としての尊厳が保てる程度の混み具合であってほしいと──そう思わずにはいられない。
「……ん?」
「……あれ?」
しかし。
休恵の願いは、また違ったベクトルによって打ち砕かれた。
「閉まってる……スーパーが……」
「なんで……そんな、どうして……」
目の前にあるスーパー。入り口は固く閉ざされていて、そして明かりも落ちている。スーパーとして機能していないのは疑いようが無く、仮にこの扉を無理やりにこじ開けたとしても、休恵たちがここで買い物をすることなんて不可能だろう。
「……なんで開いてないんだよ! そんなのってあるか!」
苛立ちのままに、休恵は叫んだ。ただでさえ憂鬱な気分だというのに、どうしてこうも自分の思い通りにならないのかと、鬱憤を晴らすかのようにして叫んだ。
スーパー。主に食料品や生活雑貨を買うための、人々の生活には無くてはならない存在だ。これが無ければまともな買い物ができず、あっという間に干上がってしまうことだろう。レベルの高いスーパーが家の近所にあるか否かが、そのまま生活の質に直結するほど──それは普通の人間の生活に大きな影響を与えている。
そんなスーパーが開いていないだなんて、休恵は今までほんの数回ほどしか見たことが無い。それも何か大規模な工事をやっているだとか、リニューアルのための改装だとか、そういう理由ばかりだ。特に何もないのにスーパーの入口が閉ざされているとなれば、それははっきり言って異常事態に他ならなかった。
「休恵……もしかして、だけど」
「なんだよ?」
労河原が、信じたくないと言わんばかりにつぶやいた言葉。
奇しくもそれは、この残業がある社会での真実であった。
「もしかして……営業時間が過ぎたから開いてないんじゃないかな」
「営業時間、だって……!?」
「うん。ほら、一部の個人経営の喫茶店とかにはあるだろ? 馬定時だけしか開いてないってやつ」
「そりゃ……俺も、そういうのは見たことあるけど。でも、ここはスーパーだぜ? 生活を営む中で誰もが使う……もう、半分公共施設みたいなもんだろ?」
「だけど、残業が無いからタイムシフトが無い。始まる時間がみんな同じだから、終わる時間もみんな同じ。二十四時間開ける必要が無いから、仕事の無い夜間は閉めてる……んだと、思う」
「…………」
ちら、と休恵は入口のあたりを確認してみる。
──営業時間は10:00から20:00までと、しっかり記載されていた。
「なんだよコレ……っ! こんな表現初めて見たぞ……!?」
「スーパーが閉まっていること自体、想像できるレベルを超えてるもんな……はは、なんかちょっと薄気味悪い雰囲気だ。探検ツアーでも組んだら金が取れそうだぞ」
自棄になったのか、労河原が暗い店内を覗いてへらへらと自嘲気味に笑う。もうすっかり、この事態に参ってしまっているらしい。
「……ちくしょう! 何でスーパーの人間は残業しないんだ!? この時間でも俺達みたいな残業者をターゲットにできるだろうし、そうでなくても単純に収入が……!」
「……ダメだよ、休恵。俺たちが望んでいるのは残業をしていい権利であって、残業を強要させることじゃない。俺たちはあくまで選択肢を与えるだけで、どちらを選ぶかは本人たちの話だ」
「でも……!」
「──じゃないと、残業を認めないという今の政府と同じだろ?」
労河原がさらっと言ってのけたその言葉。
休恵たちが最初に目指していた、その崇高であるはずの理念。
「……っ!」
自分の根底を真っ向から否定された気がして。でも、労河原が言っていることは正しいと思う自分もいて。
「……そう、だっだな」
──休恵はかろうじて、その一言を絞り出すのが精いっぱいだった。