残業ユートピア   作:ひょうたんふくろう

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──急迫不正の侵害に対して、自己または他人の権利を防衛するため、やむを得ずに行った残業であっても処罰の対象となる。ただし、情状によりその刑を軽減することができる。【悪性超過勤務の禁止および健康で人間的な最低限度の生活確保に関する法律(通称:残業禁止法)より抜粋】


9 『理想郷』の招待

 

 例の会議室。手枷足枷はそのままに、休恵と労河原は椅子に座り、机の上に置かれているその書類を眺めていた。

 

 既に総理は部屋を退出している。やはりというか、いつまでも休恵たちに構っていられるほど暇な存在ではないのだろう。部屋に満ちていたあの重々しい雰囲気もすっかりなくなって、休恵の心にも労河原の心にも、ある種の余裕というか、落ち着きが戻っていた。

 

「──それでは、プログラムの具体的な説明をさせて頂きます。私はあなた方への説明を担当するスズキと申します。どうぞお見知りおきを」

 

 スーツ姿の、秘書かあるいは何かのセミナーの講師のような雰囲気を放っている彼女。どうやら彼女が休恵たちに対してこれからこのことを説明してくれるらしい。休恵たちと同じくらいの年代に見えるが、こうしてこの場を任されていることを鑑みるに、国家公務員の中でも相当なエリートに分類される人間であることが見て取れた。

 

 どうにも偽名臭い名乗りであるのは、まぁつまりはそういうことなのだろう。

 

「プログラムの期間は二週間。先ほど総理が仰った通り、その二週間が過ぎるまでは途中離脱は許されません」

 

 二週間の間、休恵たちは残業が合法化された疑似社会で過ごす。言ってみればそれだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。残業を体験させるためのプログラム──いわば研修に近いそれではあるものの、きちんとそれに見合った給料も支払われる。

 

「このプログラムですが──とある教育施設(・・・・)にて執り行われます。プログラム実施中は、この施設から出ることも許されません。また、原則的に施設内への私物の持ち込みもできず、プログラム終了時に物品を持ち出すこともできません」

 

「……スズキさん、質問いいですか?」

 

「どうぞ」

 

 休恵の問いかけに、スズキは表情を崩さずそれを促した。

 

「施設から出ちゃいけないってのはどういうことですか? その……残業体験をする職場に寝泊まりする部屋を用意してくれるってことですか?」

 

「いいえ。ある意味ではその通りなのですが……施設という言い方が紛らわしかったですね」

 

 ぺらぺらと手元の資料をめくって、スズキは続けた。

 

「プログラムを実施するのは──ここの地下にある巨大な空間です。この地下空間そのものが教育施設となっておりまして、会社、住居、店舗、駅やバスと言った社会空間がそのまま再現されています」

 

「……地下に小さな町そのものを作ってある、と?」

 

「はい。施設そのものが社会空間となっているので、住居での寝起き、通勤、買い出しと言った一連の行動が施設内で完結します。尤も、あくまで地下空間なので広さには制限がありますし、その機能も最低限です。作り物らしさや閉塞感を覚えるとは思いますが、目的は社会生活をシミュレーションすることにありますので」

 

「なるほど……残業だけじゃなくて、残業がある社会そのものを体験できるってわけか……」

 

「まさしくその通りです。また、よりリアルなシミュレーションのため、いくつかのルールに従ってもらいます」

 

 まず、通常の現金はこの施設内では使えない。買い物はこの施設内でのみ使える電子マネーでのみ可能であり、これは最初の手持ちとして給付される初期給付金のほかには、このプログラム中の労働で稼ぐことでしか増やすことができない。

 

「あくまでシミュレーションですので、給料は日当たりに換算して日当として支給されます。税金や保険料も日当たりで天引きされます。残った額でプログラム中の食費や追加で必要な生活雑貨などを賄ってください。スーパーにレストラン……それに、コンビニなどは一通りそろっていますので、自炊して節約してもいいですし、外食しても構いません」

 

「……ん? すみません、コンビニって言うのはなんですか?」

 

 ちら、と休恵の目を見て。スズキは事務的に答えた。

 

「……正確にはコンビニエンスストアと言います。二十四時間営業している、小さなスーパーのようなものです。お弁当に飲料、アイスやお菓子、ホットスナックと言った軽食類をメインに、生活雑貨や雑誌といったものを取り扱っています。ATMもあれば公共料金の支払いなんかもできますね。尤も、家電や家具などはさすがに取り扱ってませんが」

 

「へぇ……必要になりがちなものだけを集めた小さなスーパー……いや、便利なお店ってわけか」

 

「そんなことよりも休恵、これって……プログラム中の実質的な費用負担はゼロってことか?」

 

「説明だけ聞くとそうだが……逆に言うと、基本給次第じゃろくに買い物もできないってことだぞ。それに現金での支給じゃないってことは、どれだけ働いても俺達には実質的には一円も入ってこないってことだ。だいたい、この施設内での物価がどうなってるかもわからないんだから」

 

「御心配には及びません。物価は一般的なそれを参考として制定されていますし、基本給についてもよほどの贅沢をしなければ問題ない程度には支給されます。具体的には……そうですね、三食外食としても問題ないくらいです」

 

「え……そんなに貰えるんですか? 普段よりよっぽどいい暮らしになるんじゃ……」

 

「待て、労河原。まだ現金云々ついては解決してないぞ」

 

「支給が現金でないのは、現金持ち込みによるプログラム被験者の違いを出さないためと……」

 

「ためと?」

 

「……残業禁止法に抵触しないようにするためですね。現金を支払えば労働となり、そこで残業をすれば法律違反となります。もちろん、対価を払わず働かせる……すなわち、無賃労働も言語道断ではありますが」

 

「あくまで労働を模擬したプログラムで、労働の対価として現金を支払っているわけじゃないから残業にはならない。電子マネーが使えるのはこの施設だけだから……つまりは、規模のデカい【おままごと】だから残業法の規制対象にはならないってか」

 

「……電子マネーはこの施設内でのみ使えるので、プログラム終了直前に使い切ろうとする人が非常に多いです」

 

「……休恵、これって」

 

「黒寄りのグレー……いいや、グレー寄りの黒だな」

 

 とはいえ、別段休恵たちにとって困るようなことではない。現行の法律と照らし合わせるとなかなか怪しいところがあるが、休恵たちはまさにその法律に異を唱えている立場なのだ。むしろ、政府公認でこういう抜け穴があると言っているようなものである。

 

「話を戻しましょう。プログラムにおける基本的な流れですが……先に述べた通り、残業のある社会の疑似体験、この一点のみです。起床して、出社して、家に帰って来てまた寝る……そういう普通の生活を送るだけで構いません。ただし、残業体験をする「企業」については、こちらから提示したものの中より選択して頂きます」

 

 スズキは休恵たちの目の前に何枚かの書類を広げた。

 

「こちらが、お二人の職歴より選定した模擬企業のリストです」

 

 その書類には、各企業ごとの職務内容や待遇などの情報が載っている。業種や職種については休恵たちの元々のそれとほぼ同じであり、これならすぐにでも業務に取り掛かれるであろうことが見て取れた。

 

「あくまでシミュレーションとしての労働ですので、業務内容そのものはどの企業を選んでもほぼ変わりません。お二人に考えていただきたいのは──」

 

「各企業ごとの労働環境、か」

 

 仕事の内容でも、給料でもなく。

 

 どういう風に働けるのかを。どういう風に働きたいのかを休恵たちは選ばなくてはいけない。

 

「へぇ……少ない人数で業績を叩き出してる。残業時間もたっぷり確保……まさに、理想だ」

 

「こっちなんて見ろよ、休恵! みなし残業制……残業してなくても残業したものとして給料が支給されるって!」

 

「なんだよ、それ……!?」

 

 各企業ごとの残業時間の多さの違いはもちろん、裁量労働制やみなし残業制といった初めて目にする夢のような制度を採用している企業もあって、休恵の心に未だかつてないほどの希望と期待が満ちていく。どの企業にも休恵の目を引く何かしらの特徴があって、この中のたった一つだけを選ばなくてはいけないというその行為そのものが、休恵にとってはまさに嬉しい拷問であった。

 

「残業できるだけでもありがたいってのに、残業しなくても残業したのと同等の金を貰えるって……おいおい、本当にユートピアじゃないか!」

 

「しかもどの企業も就業時間が……09:00~18:00だって! 昼休みが一時間の八時間労働だ!」

 

「マジかよ、二時間残業が確定しているのか! 最高すぎるだろ!」

 

「……」

 

 もし、休恵たちにもう少しばかりの冷静さがあったのなら。

 

 嬉しそうにリストを眺める自分たちを、どうして彼女が可哀想なものを見るかのような目で見ていたのかを、疑問に思うことができただろう。

 

「……通勤について、軽く説明させて頂きます。残業社会のシミュレーションの一環として、どの企業を選んだ場合でも片道一時間の通勤時間を設けてあります。こちらは徒歩が十分、バスがニ十分、電車が三十分の計算です」

 

「……時間としては平均的な所、か? でも、バスはともかく電車で三十分って相当な距離だぞ」

 

「ご指摘の通り、本当の移動距離をあの地下空間内で再現することはできません。なので、この【通勤】については既定の時間だけ車両の中にいて頂くものとなっております。具体的には──」

 

 実際の路線そのものは、数駅で構成された十分程度で一周するコースとなっている。よって、プログラム被験者の情報と改札を通った時の情報を照らし合わせて、何週目のどの駅で降りるべきなのかが定まる。同じ路線、同じ車両、同じ駅であっても、被験者の状況次第でそちらのほうの名前が変わることで、疑似的に電車での移動を再現しているのだ。

 

「んん……? 休恵、どういうことだ?」

 

「簡単に言えば、これもおままごとってことだよ。通勤時間に到達するまで、電車に乗り続けてればいいんだ。実際は同じところをぐるぐる回ってるだけだけど、車内での表示はちゃんと切り替わる……ってことであってますよね?」

 

「はい。車内表示を確認して、ご自身の目的の駅になったところで降車していただければ問題ありません。名指しで案内も流れますので、間違える心配はないと思います。ただし、物理的に目的の駅で降車したとしても、設定された通勤時間に達していない場合は目的地に辿り着けていないものとみなされるので、会社に向かうことは許されません」

 

 なお、これはあくまで通勤時におけるシステムであるため、通勤以外での利用であればこういった制限は特にない。また、バスも同様のシステムとなっており、規定時間に達するまで乗車し続けなくてはいけないこととなっている。

 

「会社は物理的に歩いて行ける距離にありますが、通勤時間を満たしていない場合は出社が出来ないのでご注意ください。同様に、駅についてもバスの乗車時間を満たしていない場合は利用することができません」

 

「あくまでごっこ遊びとしてルールは守らなきゃいけないってことか」

 

「はい。ただし、言い換えればその原則さえ守っていただければ融通は利きます。例えばですが……設定された距離分だけ実際に歩いて移動してもらえれば、駅を使わずとも出社が認められます」

 

「現実的じゃないな、それは」

 

「ええ。あくまでシステムの説明ですので、そういう考え方で運用されているということだけご理解いただければ」

 

 その後もこまごまとした説明が続いていくが、勤務や通勤のほかには取り立てて変わったルールなどは無かった。おおよそ労働に関すること以外はほぼ自由であり、稼いだ金をどう使おうとも咎められることは無い。さすがに外ほどたくさんの種類は無いものの、娯楽施設も一通りそろっているため、【休日】には映画を見たりショッピングを楽しんだりすることもできる。

 

「──説明は以上となります。もしプログラム中に不明点や質問などがあれば、お渡しするこちらの端末よりお願いいたします。こちらは電子マネー決済にも用いることになりますので、紛失しないようご注意ください」

 

「……最低限の生活雑貨は揃っていて、住居も用意してある。最初に一定額の給付があるばかりか、給料だって日払いで支払われる……つまりは、給料日を待って節約する必要もない」

 

「……」

 

「なにより、残業ができる。タイムシフトだって……変則的な龍定時になるのか? 09:00始業で18:00終業だから、別段負担のかかる時間帯でもない。日中に働いて日が落ちたら仕事を切り上げるっていう、至極真っ当な形態だ」

 

 これまでの話を聞いて。あまりにも自分たちに都合が良すぎるこのシミュレーション内容を聞いて、休恵の心に一つだけ疑問が浮かんだ。

 

「どう考えても、今の社会より良い生活だ。もはや俺が証明するまでもなく、理想の社会をそのまま体現している。もちろんシミュレーションでの話とはいえ……少なくともこのプログラムの被験者にとっては、残業をそのまま肯定できるかのような設定になっている」

 

「……どういうことだ、休恵? それなら俺たちが正しいってことじゃないのか?」

 

「俺達にとってはそうだよ、労河原。だけど、総理の目的は違うだろう? 総理は──俺たちに、残業が危険思想であるということを学ばせようとしてるんだぜ? だったら、プログラムの内容はもっと過酷にしなきゃ意味が無い。これじゃあ逆効果だ」

 

「……あっ!?」

 

「そこのところがよくわからん。このプログラムは俺達にとって都合が良すぎる。残業が正しいことであると体感できる造りになっている……違いますか?」

 

 スーツ姿の彼女に、休恵は問いかける。

 

 どうせ返事はないだろうと思っていたのに、意外にもスズキは休恵の問いかけに律儀に返答した。

 

「──そう思えるのなら。あなたはまだ、真実が見えていないということです」

 

「……」

 

「既に十分過酷な内容です。もしこれが理想的な、都合の良い内容に見えているのだとしたら……あなたの理解が甘く、認識が歪んでいることの証左にほかなりません。まさしく、プログラム被験者の前提として理想的で、このプログラム後にその認識が改められることを……一人の人間として、私は心の底から願っています」

 

「……総理の危機意識があまりにも過剰であるという考えはないんですか? あなた方が、ほんのちょっとのことを大袈裟に騒いでいるだけじゃないんですか?」

 

「いいえ、ありえません。あなた方の認識があまりにも甘く、そして危機察知能力や想像力に著しい欠如があるだけです」

 

「……そうですか。だけど、それにしたって腑に落ちない。やり方が回りくどいというか、どうしてわざわざ俺たちにこんなことをさせるのかがわからない」

 

 休恵たちは残業テロリストとして残業警察に捕まったのだ。甚だ不本意ではあるが犯罪者となるわけで、本来なら問答無用で刑務所に入る立場にある。こんなふうに自らの意見を証明するような機会なんて与えられるわけが無いし、所詮はそこらにいくらでもいる若造だ。権力や立場のある人間ならまだしも、あえて特別視する理由がどこにもない。

 

「……その質問については、私の立場ではお答えすることができません」

 

「……ま、そうだよな」

 

「なので、これは私の独り言です」

 

「……えっ」

 

 ここに来てようやく。無機質だった彼女の顔に、人間らしい表情が現れた。

 

「……ある人物からの強い嘆願があったんです。あなたならきっとわかってくれるはずだ、だからどうにかチャンスを与えてほしいと。やり方は間違ってしまったけれど、その理想と行動力は本物だから、やり直す機会さえあれば──残業の恐ろしさを体感すれば、むしろ残業を憎む強力な同志になってくれるはずだ、と」

 

「……」

 

「もちろん、たかが一個人の嘆願だけで処遇が決められるものではありませんが、きっかけであるのは間違いないと思います。総理自身も、あなた方の行動に思うようなところがあったのでしょう。だからこそ、わざわざあなた達と直接対面して話をして──そして、今回の処遇を決断された」

 

「……休恵、総理に意見ができるような知り合いいるの?」

 

「いや……まるで心当たりはない。ただ、その人はどうも俺のことを勘違いしているみたいだ。何がどうあっても俺が俺の意見を変えることなんてないし……ましてや、残業禁止派になるわけがない」

 

 もしそう簡単に意見が変わるようであれば、そもそもとして休恵は残業テロリストなんかになっていない。自分の意志は決して変わることは無いと、この主張は絶対的に正しいものであると、休恵は確信をもって言い切ることができる。

 

「……その人は、このプログラムのスタッフとしても参加することになっています。あなたであれば、自ずとその正体もわかることでしょう」

 

「……いいんですか、そんなこと言ってしまって」

 

「独り言ですから。あと個人的に、その人と仲がいいんです。それに……」

 

 悲しそうにも、やるせないようにも見える表情。ただひたすらに哀れんだ様子で、彼女ははっきりと呟いた。 

 

「それに……そうでもなければ、辛すぎるから。そうだと知っていても、辛すぎるから。あなたにとっても、あの人にとっても。その辛さをほんの少しでも和らげるために、私はこうして呟いている。優しいあの人が心を痛めないために……あなたについては、ついででしかない」

 

 およそ尋常じゃない様子であることは、休恵にも労河原にもわかった。彼女がいったい何を言っているのかはさっぱりわからなかったが、そのことだけは実感として確かに二人に突き付けられた。

 

 休恵たちがこれから体験するのは、残業が合法化された理想の社会だ。それは決して、人を不幸にするものではない。人が好きなように働き、今まで以上に稼いで、好きなように生活ができる幸せな社会のはずなのだ。

 

 その社会には、彼女をあんな表情で語らせる辛いことなんてないはずなのである。だけれども、二人には彼女のそれが演技であるようにはとても思えなかった。

 

「な、なあ休恵。俺達がこれから体験するのは……理想の社会、だよな? みんなが幸せに過ごすことができる、本物のユートピアだよな?」

 

「……ああ。今更揺らぐなよ、労河原。俺たちが間違っているわけがない。俺たちはただ……このプログラムを通して、やっぱり残業のある社会は正しかったと、その事実を二週間後に総理に告げるだけだ」

 

 休恵たちのそのやりとりを聞いて。再び無機質な表情に戻ったスズキは、救いようのないバカをみるかのような冷めきった視線で、淡々と告げた。

 

「──であれば、私から話すことはもうありません。あなたがたのいう【ユートピア】の行きつく果てを、どうぞ存分に体験なさってください」

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