凱旋門賞ウィークから既に数日が経った。俺とナリタブライアンとトレーナー達も無事に日本に帰国した。
世間は未だに凱旋門賞の熱が冷めていないのか、空港から学園に帰るまでテレビ局が追いかけて来たり、ヘリを飛ばして中継するから煩いのなんの。
聴覚に優れるウマ娘ばかりのトレセン学園でそんなことしたら当然苦情ばかりで、学園側がURAと共にテレビ局に抗議したら流石に向こうも取り止めて騒ぎは収まった。
暇人共はさておき、学園に戻ってからは廊下を歩くだけで下級生からは声を掛けられて賞賛を受け取った。
俺でこんな状態だと、ナリタブライアンは三倍ぐらいに囲まれてそうだな。実際に顔を合わせたら大体予想通り、プレゼントを持った数十人に追いかけ回されていた。
帰って来た翌日には記者会見とスポーツ雑誌などの取材の嵐だ。
以前ならトレーニングを理由に大半の依頼を弾けたけど、脚が完治するまではまともに動けないから、髭がここぞとばかりに依頼をたっぷり受けやがった。無茶をして怪我した罰扱いか。
鬱々とした気分で授業を受け、その日の午前の授業が終わった。
授業から解放されたクラスメイトがそれぞれ昼食のために慌ただしく動く中、不意に教室に校内放送が流れた。
『こちらは生徒会副会長のエアグルーヴだ。ナリタブライアン、アパオシャの両名は放送を聞いていたら至急、生徒会室まで来るように。繰り返す――――――」
「生徒会?俺とナリタブライアンが?」
さて、何の用だろう。分かっているのは俺達が昼食を食い損ねた事だけ。とほほだ。
両手で松葉杖を使って歩くから、普段より倍以上の時間がかかってしまった。
重厚な生徒会室の扉を叩いた。
「アパオシャか?今開ける」
空いた扉からエアグルーヴ先輩が顔を覗かせた。
「来るのが遅れました」
「いや、負傷した身を呼び寄せてすまないな。あまり人に聞かせたくない話なんだ。とにかく中に入ってくれ」
言われるままに部屋に入れば、いつもの仏頂面のナリタブライアンと、ニコニコしているシンボリルドルフ会長が椅子に座っていた。テーブルには四人分の大きな弁当と湯呑が置かれている。
「突然呼び立ててすまなかったなアパオシャ。とにかく座ってくれ」
ルドルフ会長に言われた通り、ナリタブライアンの隣に座った。向かいにはエアグルーヴ先輩が座る。
「足はどうかな?歩き辛かったら車椅子を使っても良いんだぞ」
「右足は爪割れだけですからテーピングすれば問題無いです。左足も杖ありで何とかなりますよ」
「おい、面子が揃ったんだから、弁当に手を付けて良いのか?」
隣の奴の食う気を隠さない言葉に、会長は苦笑して最初に弁当箱の蓋を開けて箸を付ける。俺達もそれに倣って話の前に腹ごしらえをする。
味は学園でいつも食べている食堂の味だな。量もウマ娘用にたっぷり。
「食べている最中になってしまうが、二人とも今回のフランス遠征は見事の一言に尽きる。まさに胆勇無双だよ。私もレースを見ながら心が沸き立った」
「アンタの場合は自分もあの大舞台で走りたかった。そう思ったんじゃないのか?」
「否定はしないよ。私とて一人のウマ娘だ。今の立場が無ければ、君達のように世界の強豪と競い合いたいと羨んだ」
「その節は大変感謝しています。貴方達生徒会や学園の職員の方々が余計な雑音を可能な限り遮ってくれたおかげで、俺達はトレーニングに専念出来ました」
「お前達がそう思ってくれるなら、私達も骨を折った甲斐があった」
お前達…ほう、隣の奴も何気に世話を焼かれていたのをちゃんと気付いてたんだ。
それからフランスの事や俺達がいない間の学園の事を軽く話しながら弁当を食べ終わる。
食後の茶で一服しつつ、なぜ生徒会室に呼ばれたのか思考する。単に勝利を労いたいから呼んだというわけではあるまい。
「で、腹も一杯になった。そろそろ本題に移ってもいいんじゃないか」
こういう所はちょっと羨ましい。こいつの場合は向かいの二人がチームの先輩だから気安い所があるんだろうけど。
先輩二人も特に気にせず、湯呑を置いて姿勢を正した。
「では本題に入ろう。んん―――二人には生徒会に入ってもらいたい。そしてゆくゆくは、どちらか二人に私の次の生徒会長を任せたい」
「あーえーっと、それは唐突ですね。そしてなぜ人選が俺達二人になるんですか?」
「唐突と言うほどでもない。どんな役職にも世代交代というのは訪れるものだよ。私とエアグルーヴとて例外は無い」
そりゃそうだ。辞めるに辞められない独裁者でもない限りは、誰だってずっと同じ役をやり続ける事は無い。
エアグルーヴ先輩はまだ学園の大学課程だけど、会長の方は今年度で修士課程を終わる年だったような気がする。これ以上になると博士課程までしないと学園に在籍するのはきついはずだ。そして今でも制服を着るのは精神的に辛いだろう。
むしろこの話が出るのが遅いぐらいじゃないかと日頃から思っていた。それも俺達じゃなくて、もっと前の先輩達が役を受け継がないとダメだったんじゃないのかな。
「なぜ、自分達と思っているね。そしてもっと前に適任者が居たんじゃないかと考えている」
「はい。ルドルフ会長は無敗のクラシック三冠を成し遂げた偉大なウマ娘です。実績面で比肩する後任が中々見つからないのは分かります。でも、多少ハードルを下げてでも後を任せられる人は居なかったんですか?例えばG1六冠の人とか」
「貴様は幾ら六冠だからと、アグネスタキオンやゴールドシップに会長職を任せたいか?アグネスデジタルは?」
すいません。あの人達が生徒会長になったら、学園がえらい事になります。それどころか学園の外のURAにも影響が出る。
トレセン学園の生徒会長は、普通の学校の生徒会長とは比較にならない。外部の組織への多大な影響力を持つ。
それも日本全国に根を張る巨大な営利団体のURAだって無視しえない、格と発言力がある。一学生に委ねるには、あまりにもその権力は大きすぎる。
そして生徒会長は学園全生徒を束ねる本分がある。この癖者揃いのウマ娘達を有無を言わさず従わせるのは、並大抵のウマ娘には困難極まる。
そう考えたらルドルフ会長の後を継げるウマ娘って、なかなか思い至らない。
今更ながら、目の前の二人の大きさを知って身が縮む。
「その点、君達二人の実績は申し分無い。日本のウマ娘で初めて凱旋門賞を勝利したナリタブライアン。現時点でも私のG1七冠を大きく上回る十冠のアパオシャ。これ以上の後任者はもう見つからない」
会長の『もう』という言葉に、ウオーちゃんの名が出そうになって、喉の奥で引っ込めた。
ルドルフ会長とウオーちゃんの距離の近さと才能なら、本当はウオーちゃんに自分の後を継いで欲しかったんじゃないのか。『もう』という言葉に、何となくそういう感情が籠められているように思えてしまう。
「七面倒臭い事を。私は熱いレースがしたいから学園に居るんだ。机で面倒事を片付けるためじゃないんだぞ」
「そのレースをするために、誰かが面倒事を引き受けなければならんのは貴様とて知っているはずだ、ブライアン。後輩の面倒を見るのも上級生の仕事の内だ」
「私も、何も今すぐ会長を退くつもりはない。まずは二人とも生徒会に入り、他の役員と共に仕事をして学んでほしい。要望があれば可能な限り叶えよう。承諾してくれないか」
ルドルフ会長が俺達に頭を下げた。この人がここまでするのに、無碍にするのは憚られる。
それに俺個人としても、クラシック期からメディアや露骨に群がってくる連中をかなり阻んでくれた礼をしたいと思っていた。
何よりも先達がしてくれたことを、俺達自身も後輩にするのが健全な世代交代とも思っている。
「俺程度でお役に立てるなら生徒会に加わらせてもらいます。生徒会長の件はお断りして、ナリタブライアンになってもらいますが」
「おい、ちょっと待て。私よりチームのリーダーを上手くやっているアンタの方が向いている。それにG1の勝利数は三つも上だろう」
「三つ程度なんて凱旋門賞勝利の箔に比べたら誤差だよ。俺よりナリタブライアンの方がずっと相応しい」
「私はやらん。アンタがやれ」
「だめだ、生徒会長は任せる」
「「ぐぬぬ」」
「貴様ら~、自分の方が相応しいと主張するならともかく、互いに会長職を押し付け合うとはどういうことだ」
だってお互いに相手の方が生徒会長に相応しいと思ってるんだもん。
憤慨するエアグルーヴ先輩とは対照的に、ルドルフ会長はカラカラと笑っている。
「仲良き事は善き也。それとブライアンも生徒会入りは拒否しないのか」
「私一人なら拒否してたさ。アパオシャが入るなら、手伝いぐらいはしてやる。副生徒会長でな」
ちぇっ、強情な奴め。ただ、ルドルフ会長が退くのはまだ先の話だ。これからゆっくりナリタブライアンを次の生徒会長に押し上げる工作をして、学園選挙の時には大差で勝たせてやる。
先輩達は俺達が生徒会入りを承諾したのを喜び、後日他の生徒会の役員と顔合わせする旨を伝えて、この場はお開きになった。