今日は特別に一日二回更新します
あとアパオシャの『二つ名』はどんなのがいいか悩みます
「なんだよこれ……ありえねえだろ」
「どうやったらそうなるんだ……」
「俺達は奇跡か夢でも見てるのか」
東京レース場には、興奮の歓声と共にあちこちから観客達の呻きが上がった。俺達だって同じ気持ちだよ。
十一月の末。日本の国際競争招待レース≪ジャパンカップ≫。俺を含めた数万の観客は、そこで歴史が塗り替えられる瞬間を目の当たりにした。
俺はターフの上の勝利者を食い入るように見つめる。
日常的に奇行を繰り返す、トレセン学園でトップクラスの変人かつ超実力派のウマ娘。怪しい蛍光色の液体の詰まった試験管をあちこちに差した、異様に袖の長い白衣を纏ったアグネスタキオンさん。
世界中から招待した各国の強豪ウマ娘を、一纏めに撫で切りして王冠を手にしたバケモノ。
ただの勝利者なら毎年記される、レース史の一ページに名を連ねるだけの人になった。
だが、今日のオンさんは違った。これからもあの人の名は数十年は語り継がれる伝説の人になった。
レース場の電光掲示板に表示される数字は≪2.18.98≫。この数字を理解出来る者ほど、自分の正気を疑った。
ジャパンカップのレコード2分22秒1を大きく上回り、芝2400メートルの世界レコード2分21秒98すら、そっくり3秒も塗り替えていた。
後続の二着とは大雑把に二十バ身は離れていたように思うが、掲示板には大差とだけ表示してある。
「お前ら、今日この瞬間を絶対に忘れるな!タキオンは名の通り、光を超えて駆け抜けたんだっ!」
トレーナーの上擦った声に俺や先輩達は無言で頷いた。
そしてオンさんはゆっくりした足取りで地下通路へ消えた。観客達はウイニングライブのために移動し始める。俺達も行こうとしたがカフェさんだけは険しい顔をする。
「あの人……足を庇って歩いてました……痛めているかもしれません」
カフェさんの言葉でトレーナーは我に返り、オンさんの控室にすっ飛んでいく。それに先輩達と俺も続いた。
選手控え室に入ると、オンさんは椅子に座り、タイツを脱いで素足を晒していた。極限まで鍛え上げつつも微細なバランスと美しさを失わない、ある種の芸術品めいた細脚は、今は無惨にも赤く腫れ上がっていた。特に左足首の腫れが酷い。下手をしたら靭帯損傷だけでなく骨折してる可能性だってある。
「やあ、みんな。ウイニングライブを楽しみにしていたようだけど、残念ながらこのザマだよ。トレーナーくんは悪いけど、ライブ不参加を伝えてくれたまえ」
「それもだがすぐに病院だ!」
「ああ、そうだね。多分骨に罅が入っているから、誰か私を担いでほしい」
オンさんが出した手を真っ先にカフェさんが握り、そのまま真っすぐ目を見つめる。後ろ姿には怒気を纏って、凄い怖い。
「……気は済みましたか?」
「勿論だとも。私は今最高に気分が良いっ!古い常識を突き破り、ウマ娘の限界を超え、可能性の先の『果て』に脚を踏み入れたのさっ!!」
「この脚を見てもですか」
「むしろ、予想よりかなり軽度の代償だよ。それについてはトレーナーくんをモルモットにして、日々研究を続けた甲斐があった。さあ、そろそろ痛みが酷くなるから病院に連れていってくれ」
それでもカフェさんは何か言いたそうにしていたが、無言でオンさんを抱き上げた。
殺到する記者陣を無視して、トレーナーの運転する車で俺達は病院へ行き、検査と治療が終わるのを待った。この無為の時間が俺は嫌いだ。
あまり関係無いが、サイレンススズカさんが入院しているのもこの病院だ。
「オンさんはどうなるかな」
「レースが終わってしばらく自分で歩いていましたから、足はきっと治りますよ」
「私の占いでも今のタキオンさんは大吉です!シラオキさまはきっと怪我を治してくれます」
フクキタさんとバクシさんが弱弱しくもポジティブな事を言ってくれるおかげで、病院特有のシケた空気が少しは良くなった。
待ってる時間が苦痛だったから、今日のレースを思い直し、途中でオンさんの周りに変なモノが見えたのを思い出す。
「あれは何の数式だったんだろう」
「数式……もしかしてアパオシャさんも、タキオンさんの周りに浮かんだ光る数字が見えましたか?」
「バクシさんも?」
隣の同居者や『お友だち』とは感覚が違ったから、錯覚と思ってたが他にも見えてたのか。
それにフクキタさんもたまに見えると言ってる。けど今日のはいつもと違ったらしい。
「あんなにはっきり光って見えたのは、今日のレースが初めてでした」
「他の人も見えたり、レースで浮かんだりするんですか?」
「うーん………そういえば春の天皇賞で、私がミホシンザンさんに抜かれた瞬間には山が見えたんですよ。何なんでしょうねアレ」
フクキタさんの疑問に俺達は答えられない。少なくともレース中の観客が俺達と同じようなものを見ていたら騒ぐし、何かしら情報が出るはず。しかも俺達はオンさんに同じモノを見た。
今度は隣のバクシさんが額に指を当てて、ウンウン唸って何かを思い出す。
「思い出しました。私も宝塚記念の時に、スズカさんの周りにターフと違う草原がちょこっと見えたんです」
サイレンススズカさんもか。
俺達三人の情報を突き合わせると、分かったのはウマ娘がレース中に見せる光景。走る人によって現れるイメージは異なるが、受け取る側が見るモノはたぶん一緒らしい。以前、二人がカフェさんに聞いたら『お友だち』とは違うが見えたそうだ。
あとオンさんと何年も一緒に居る先輩達も練習では一度も見てない、レースでは過去に一回か二回しか見えなかったらしい。そして髭トレーナーは見えない。
「で、結局アレは何だったんでしょう?」
「「分かりません」」
結論はそうなるか。もう少し見えてる人が居たら何か手がかりがあったのにな。
検査を始めて一時間は経った頃、トレーナーが戻って来た。その顔は自分を責めているように歪んでいる。
「検査は終わったがタキオンはしばらく入院する。着替えとか持って来る前にお前達も顔を見ておけ」
病室に入るとオンさんがベッドで体を起こして俺達に笑みを向ける。見た目は結構元気そうだが、左足に着けたギブスが目に入ると、嫌でもこの人が重傷と分かってしまう。
「左足首は亀裂骨折と靭帯損傷。両足も筋組織の断絶が複数個所ある。歩けるようになるには、ざっと三ヵ月だそうだよ」
本人の口から改めて聞かされると、重くのしかかるモノがある。俺はオンさんに、ここまでしなくても勝てたんじゃないかと尋ねた。
「勝つだけならその通りだよ。私はトレーナーくんとの三年で『普通なら』壊れない脚を手に入れた。けどねぇ、私は研究の成果を自ら証明した上で、限界の先の『果て』を見たかった。先月のサイレンススズカくんのように……過去のウマ娘が皆そうしてきたように。………それが出来る時間は残り僅かだった。だから怪我をしようがしまいが、今日やらなければならなかったんだよ」
寂しそうに足を擦るオンさんは、感謝と別れを惜しむような痛ましさを抱えていた。
時間は残り僅か―――――この言葉は俺達ウマ娘全員の胸に突き刺さる。
ウマ娘は『本格化』という身体能力の向上が始まってから、衰えが始まるまで平均五年と言われている。俺はまだ半年程度だったが、オンさんとカフェさんはちょうど五年目に入っていた。つまり今が全盛であって、今後は足が衰えることになってしまう。
例外的に六年を過ぎても衰えが緩やかなウマ娘もいる。そういう例外はドリームトロフィーへと進み、活躍の場を広げる。シンボリルドルフ会長とオグリキャップさん、それにマルゼンスキーさんがその例外だ。あるいは≪スピカ≫のゴールドシップさんも、今後そちらに進むのではないかと言われている。
しかしそれはあくまで例外。多くのウマ娘が衰えを感じて、惜しまれ祝福を受けて引退していく。
「……トレーナーさんは……前から知っていたんですか?」
「ああ、秋の天皇賞が終わってから聞かされたよ。言っておくが反対はしたんだぞ。もしレース中に重大事故になったら、足どころか命だって失うと。でもタキオンが言ったんだ。『私と君が積み上げた三年間の研究成果を信じたまえ』ってな」
「クフッフッフ!そして私は命と足を失わずに済んだ。完治しても今日の速さは戻らないが、トレーナーくんには心から感謝しているよ」
オンさんはトレーナーに深々と頭を下げた。この人が誰かに頭を下げたのは知ってる限り、これが初めてだと思う。先輩達を見れば、俺と同じように驚いていた。
「そういうわけで拾った命はこれからも有効的に使わせてもらうさ。見舞いとお弁当の差し入れは、随時受け付けているからね」
今の言葉でちょっと安心した。この人は俺達とまだ関わろうとしているし、走れなくなって自暴自棄になっていない。すぐに学園から去るなんて言わなくて良かった。
そしてオンさんから着替えや身の回りの物を寮に取りに行くように頼まれたので、面会はお開きになった。
寮に向かう車の中でトレーナーはポツリと弱弱しく呟いた。
「お前達はあいつと同じ選択をしないでくれ」
『無事之名バ』という言葉がある。多少足が遅くても怪我をせず引退まで過ごせた者こそ優れたウマ娘である、という意味だ。
それほどウマ娘のレースは怪我が頻発する危険なスポーツだ。しかしそれでも俺達は走る事を止めようとはしない。
ウマ娘にとって走り競う事は本能に刻まれた宿業に近い。魂の欲求を否定し続ければ、先に精神が病むほどに走る事を求めていた。
その本能を押し留めて効率的に鍛えるのがトレーナーの仕事なんだろうが、オンさんは制止を振り切って限界に挑み、足を壊した。オンさん自身はそれを悔いていないし、今までのトレーナーの献身に感謝もしている。
けど、そんなものは髭には何の慰めにもならない。オンさんと同じ事をするなというのはそういうことだ。
「レースに出なくたって人生は長いんだ。そう何度も命を投げ出されたら、俺はトレーナーを続けられない」
トレーナーの言葉を大袈裟と笑う事は誰も出来なかった。
栗東寮の駐車場に車を止めると、砂糖に群がるアリの様に待っていた記者たちが俺達に群がってオンさんの事を聞き出そうとした。
「こっちは俺が担当するから、お前らは部屋に行って荷物を頼む」
言われた通り、寮のオンさんの部屋に行って、ルームメイトのアグネスデジタルさんに断りを入れてから、渡されたメモ通りに荷造りした。
それをカフェさんが持つと、俺達にはもういいと言った。
「あとは……私が持っていきます……皆さんは寮に戻ってください」
確かに荷物を持つだけなら一人で済む。同期生として、同じ理科室を物置に使っていた親友にしか話さないことだって、きっとあるはず。
三人で顔を見合わせて、言われた通りあとはカフェさんに頼んで今夜は寮に帰った。